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日本酒ばかりに

2015年09月29日

 へこりと at 15:04  | Comments(0)
長月 12

秋の気配が色濃くなって、日中穏やかに晴れても、
陽が沈むと、とたんに涼しさが増す。
人肌恋しい男やもめを温めてくれるかたもいないから、
燗酒を酌んでは、我が身をなぐさめている。
自宅では、手ごろな値段の純米や本醸造を酌んでいる。
その手の酒は、冷やで好く、温めればより旨みが増す。
温度を問わず、飲み飽きしない融通の好さは、
気楽な晩酌にはもってこいなのだった。
近所のギャラリーかねまつでは、ときどき五間バーと称して、
五間のスペースを使ったイベントを行っている。
土曜日、五九醸の会のかたがたが、試飲会を開いた。
参加費千円でつまみの持ち込みができるという。
近所の肉屋で串かつを揚げてもらい、出かけた。
会場はすでに酒徒の人たちでにぎわっていて、
めいめいに酒を注いでもらっている。
五九醸の会は、昭和59年生まれの、酒蔵の跡取りさんたちの会で、
北光正宗に勢正宗、
積善に本老いの松に福無量の銘柄を醸す、
五つのお蔵さんで成っている。
景気の不振にあえぐ日本酒業界を、
若い力で盛り上げようと結成されたのだった。
酔いながら歳をかさねてきた中で、ここ20年ほどの間に、
あちこちのお蔵さんで世代交代がすすみ、それに伴い、
以前よりも好い味を醸すお蔵さんが増えてきた。
若いかたがたの創意工夫のおかげで、
昔は口にすると顔をゆがめた銘柄が、
美味しい味になったりしているから、
時代の移りかわりを感じるのだった。
この夜のひとときは、おおきな酒のイベントのように、
押し合うように混雑することもなく、
のんびりと蔵人さんがたと言葉を交わしながら、
それぞれの銘柄の個性を楽しんだ。
秋に夜長は、ますます酒が旨く感じることとなる。














  


久しぶりの再会に

2015年09月24日

 へこりと at 09:38  | Comments(2)
長月 11

六歳上の兄がいる。
若いころ、北海道の函館に移り住んで、所帯を持って、
一男一女の父をしている。
九月連休、義姉さんと姪っ子が、はるばる長野へ訪ねてきた。
兄は仕事がいそがしく、このたびは来れないという。
長野駅まで迎えに行けば、旅の疲れを感じさせない、
ひさしぶりの笑顔の再会となる。
夕方、近所の蕎麦屋の北野家で、
実科の父母ともどもの宴となった。
姪っ子は、
美容師を目指して、地元の美容学校に通っている。
授業を終えると、アルバイトで、
宅配の寿司屋で寿司を握っているといい、
海の町だからネタも好い。
まかないで旨い寿司を食べているといい、うらやましい。
来年、めでたく成人式を迎える。
お祝いに、母が振袖を作ってあげたから、
記念写真を撮ろうと相成った。
駅前の呉服屋で着付けをして、写真を撮ってもらう。
母が見立てたのは無地の朱色の振袖で、
着つけた姿を目にすれば、ずいぶんと艶やかに映える。
もう一枚、母が昔着ていたしぼりの小紋も、
仕立て直しをした。
振袖を脱いで着替えれば、黒地の柄に、
こんどは、しぶく落ち着いた雰囲気になる。
孫娘の晴れ姿を前に、
母が、女の子がいると楽しいねえという。
たしかに愚息ふたりでは、
いくら高価な着物を持っていても、
のちのち着せる楽しみもない。
はるかひさしぶりの長野詣では、
好いおばあちゃん孝行になったのだった。
美容学校は、今月いっぱい秋休みという。
帰る折りに、東京に立ち寄って、
高校時代の友だちと会うという。
まあ、のびのびと健やかにおおきくなって、
おじさんもうれしいことなのだった。



  


秋の彼岸に

2015年09月23日

 へこりと at 17:25  | Comments(0)
長月 10

休日、前夜の深酒が効いて寝坊をした。
連休中日、目の前の道路は、
県外ナンバーの車が数珠つなぎになっている。
車の列を眺めながら歩いていけば、
ひときわ野太い音を出して、
かっこよいスポーツカーがゆっくりとすぎる。
城山小学校の校庭では、子供たちがサッカーの練習をしていた。
子供たちが元気に走り回る様子は、気持ちが和む。
近づいて写真を撮りたくても、昨今は、
ためらわれるご時世になってしまい、いけない。
向かいの信濃美術館では、横井弘三展が始まった。
道路を渡って向かったら、城山公園のベンチで、
ホームレスのおじさんが、ごろりと横になっていた。
横井弘三は、飯田市生まれの画家で、
長野市をはじめ、逗留した先々で、たくさんの作品を残している。
色彩ゆたかな画風は、
日本のアンリ・ルソーと評されているといい、
丸みを帯びた筆さばきは、一見おおらかな作風に見える。
それでも、並んだ作品を通じて感じる暗さがあって、
それが余韻になったのだった。
となりの東山魁夷館では、秋の常設展をやっていて、
このたびは、信州にゆかりのある画家二人の作品を観に、
つぎつぎとお客が入ってきた。
館内のカフェで、パスタとビールで昼ご飯を済ませ、外へ出たら、
秋晴れの空の下、城山公園の噴水が、
涼しげに水しぶきを上げている。
木陰のベンチでは、男性と女性がかたく抱擁を交わしていて、
見てるこっちがどきどきした。
善光寺の庭園でも、葉が色づきはじめてきた。
連休とはいえ、善光寺の境内は、思った以上ににぎわっている。
子供のころから触れてきた門前の景色と気配は、
すっかりあたりまえに馴染んでいる。
里山を背景に、
仁王門と山門と本堂がすがすがしくそびえるさまは、
旅のかたには新鮮に目に映るのかと思ったのだった。
そのまま菩提寺に立ち寄って、彼岸の墓参りをした。
酔ってばかりの身がこんにち無事なのも、
御先祖さんの御加護のおかげとありがたい。



  


秋の酒に

2015年09月19日

 へこりと at 07:40  | Comments(0)
長月 9

こまったことに、陽が沈むと、酒を飲むしかやることがない。
この頃は、家での飲み食いに欲がなくなって、
粗末なつまみで日本酒を酌んでいる。
近所に、旨い豆腐を扱う店がいくつかあって、
酒飲みは、
豆腐の味にうるさいと相場が決まっているから、
ありがたいことだった。
先日ひさしぶりに、おおきな店に出かけたら、
ぴかぴかの秋刀魚が並んでいた。
秋刀魚を焼いて一杯を、
時期の過ぎぬうちにと言いきかせる。
野菜売り場にも、秋の味覚が並んでいた。
国産松茸、一本2500円也。思わず拝みたくなった。
付き合いのある酒屋は、常々のところと、
ときどきのところと二軒。名の馳せた銘柄の、
手ごろな価格のやつが、
容易に手に入るのもありがたいことだった。
酒の味が、器によって変わるのもおもしろく、
土で作った器でも、素焼きのものは、
酒に含まれる酸味が立って、ひきしまった味になる。
釉薬を塗られたものは、かどが取れてやわらかい。
ガラスの器で利けば、より端正な味になり、
その日の気分で使い分けている。
友だちの、仙台土産の笹かまぼこをつまみに、
澤乃花の燗酒を酌んだ。
酔ってつぶれた深夜、雨の音で目が覚めた。
翌朝、雨上がりの青空に、
界隈が、水気を含んだ空気に包まれている。
城山公園の桜も、葉が赤く色づきはじめ、
旭山は、名残りの雲におおわれて見えない。
日ごと秋が深まって、冷気を帯びてくる。
今夜は湯豆腐で一杯と決めて、
愛想の好いおばさんの営む、江口豆腐店へと向かった。






  


休日、雑感

2015年09月17日

 へこりと at 09:52  | Comments(2)
長月 8

朝がすっかり涼しくなった。
目を覚ましても、二度寝におちる寝心地の良さに、
怠けて朝をむかえている。
休日、ゆっくり起きて町を走った。
通勤中の背広姿とすれちがい、
土手沿いのコスモスを眺めながら、ひとまわりすれば、
流れる汗に、風の気配が変わったのがわかる。
ひと風呂浴びて、郵便局で手紙を出してぶらぶら行くと、
連日の雨降りで、鐘鋳川の水も濁っている。
長野電鉄の延線沿いに、てんてんとちいさな花が咲いている。
ひさしぶりの青空に、軒先の緑も映えていた。
踏み切りの写真を撮ろうとしたら、
銀色の、上がりの電車が走っていった。
遮断機のない、ちいさな踏み切りのむこうに小道が見えた。
抜けようと渡ったら、
私有地に付き、立ち入り禁止と書いてある。
踏み切りをひとり占めできるのは、うらやましいことだった。
本郷駅まで行ってひき返そうと歩いていたら、電話が鳴る。
実家の母からで、
お昼にラーメンを食べたいから連れて行けという。
先週から父がおおきな病院に入院をしていた。
先月、一週間、検査と治療を兼ねて入院をした。
退院して一週間経った朝、母から、
お父さんの調子がわるいと電話が来た。
病院へ連れて行ったら、
そのまま再びの入院となったのだった。
ラーメンに回転寿司、いつもなら連れだって行けたのに、
母ひとりでは店に入りずらい。
近所の、とんかつ健に同行して、
こちらはスープ定食をごちそうになった。
腹を満たして、そのまま病院へ出向く。
駐車場で車を下りたら、
すれちがいざまの車の中から声をかけられた。
顔見知りの知り合い夫婦で、どうしたんですかと尋ねたら、
奥さんの腹を指さす。
ぷっくり丸いふくれ具合に合点がいって、
もうすぐ出産というからめでたい。
あたらしい命の知らせに、ぽっと明るい気持ちを頂けた。
病室に入ったら、父が私服に着替えて待っていた。
退院の許可が出たといい、それはよかったとほっとする。
歳をとるのも楽じゃない。
ごくろうさんでしたと荷物を持った。


  


心機一転の開業に

2015年09月15日

 へこりと at 12:12  | Comments(0)
長月 7

休日になると、馴染みの蕎麦屋で昼酒をたしなんでいる。
生ビール一杯にお銚子を二本。
冷たいもりで締めれば、ささやかな大人の贅沢に、気持ちも潤う。
蕎麦屋の店長をしている友だちが、この頃退職をした。
店の経営者が変わり、この先勤めつづけるには、
なかなか受け入れがたい状況になったのだった。
それでも、日ごろの行いの良さのせいなのか、
捨てる神あれば拾う神ありの、折りが好いときだった。
温泉好きで、毎月草津まで足を運んでいた。
馴染みの飲み屋もいくつかできて、
地元の蕎麦屋の御主人と知り合いになった。
店を二軒営んでいて、
そのうちの一軒を、譲りたいと持ち掛けられていたのだった。
これはもう、草津に行きなさいという思し召しでしょうと、
とんとん拍子に話が決まる。
秋のうちに開業したいといい、急にいそがしくなる。
まずは店名を決めなければといい、
本人は、無頼庵という名が好いと思っていた。
ところが、まわりの友だちの受けが良くない。
昭和っぽい、頑固おやじがいるようだと言われ、
蕎麦打ちのセンスは良くても、
名づけのセンスはさっぱりなのだった。
どんなのがいいかなあ。
名前の一文字と、縁起のいい末広がりの八で、伸八。
訪れたお客さんが温かい気持ちになるように、灯庵。
こちらもいろいろ考える。
日曜日、我が家でみんなで集まって、あれこれ話したところ、
苗字をそのまま使って、
 蕎麦 かない 
がいちばん好いのではとなった。
たしかに、細打ちの蕎麦に通じる、切れのあるひびきも好い。
店名が決まって、これから看板に暖簾にチラシを準備して。
美しい、淑女の従業員を雇えればなお好い。
にぎわう湯の町で、心機一転がんばってもらいたいのだった。
 蕎麦 かない は、湯畑の前、
山本館からの小路を上がって行った処に成る。
開店は、十月半ばを目指している。
訪れた折りは、足を運んでいただきたいのだった。


  


尾澤酒造場・十九

2015年09月13日

 へこりと at 16:02  | Comments(0)
長月 6

毎日日本酒を酌んでいる。
夕方から夜、秋めいて涼しくなり、虫の声を聞きながら、
燗酒を酌む時期になっている。
愛飲している銘柄のひとつに、
信州新町の尾澤酒造場さんの、十九がある。
十年あまり前、
杜氏に就いたお嫁さんが立ちあげた銘柄で、
造りがまだ一人前じゃないこと、
国道19号線沿いに、お蔵が在ることから名付けた。
はじめの頃の味わいは、アルコールが高く、酸もつよく、
味が多かった。
飲み屋で一杯二杯酌むには好いものの、
晩酌で毎日酌むのは疲れると、個人的に感じていた。
ここ近年、酸と旨みの案配が好い、きれいな味になり、
杯をかさねても飲み飽きしない。
杜氏の人柄がやさしくなったのか、含む思いがあったのか、
まわりの酒徒の間でも、評判が高いのだった。
通年商品のほかに、季節に合わせた商品を出していて、
桜に入道雲に飛行機雲、イチョウにもみじに雪だるまと、
そのつど、しゃれたエチケットが瓶を飾る。
デザイナーのようなセンスの良さも、
杜氏の持ち味になっている。
この夏、社長を務める旦那さんが病気になった。
ちいさなお蔵は、すくない人数で造りから雑用まで、
すべてをこなさなくてはいけない。
いそがしい中、杜氏に蔵人の心身に、
さらに負担がかかることになり心配をした。
飲み仲間の間から、せめて、飲んで応援しようと話が出て、
十九を飲みまくる会を開いてくれたのだった。
当日、飲み仲間のかたのお宅におじゃまして、
つぎつぎと味を利いてみる。
蔵人の加藤さんも来てくれて、
それぞれの酒の説明や、造りの話を聞きながら、
湯豆腐と、信州新町のでかい厚揚げと、
持ち寄ったつまみを突っつきながら酌みあった。
最近出た新商品はAnatroccoloといい、
読めない単語は、イタリア語でアヒルの子の意味だという。
かわいいアヒルのラベルがあしらわれて、
上を向いて、一歩前を踏み出してくれる感じという。
ほんとに一歩ずつ前へと頑張って。
みんなで応援しております。



  


祈りたくなること。

2015年09月12日

 へこりと at 12:26  | Comments(0)
長月 5

向かいのお宅の奥さんが訪ねてきた。
椅子に座るなり、この辺は何事もなくてありがたいという。
テレビで、鬼怒川の大変な様子を見ていたという。
昔、長野でも裾花川が氾濫して、
相生橋が崩れたことがあったといい、
あれはほんとにこわかったという。
そういえば、今の橋の南側に、橋げたが残っていたと思い出す。
昨年の御嶽山の噴火では、大勢の犠牲者が出た。
長野北部の地震では、幸い亡くなるかたはいなかったものの、
たくさんの家屋が倒壊した。
四年半前の東北の地震では、
いまだ復興途中のかたがいると聞く。
長野で三十年前に起きた、地附山の土砂崩れでも、
ふもとにあった、老人ホームのお年寄りが犠牲になった。
おなじ地層の場所に、ただいませっせとダムを造っているから、
大丈夫かいなと心配になる。
夕方仕事を終えて実家に顔を出した。
かぼちゃの煮物といんげんの胡麻和えで酒を酌んでいたら、
ニュースで鬼怒川の様子を映しだした。
水に浸かった家の中から、自衛隊がヘリコプターで、
取り残された人を救助している。
被害にあわれたかたの心情を思うと、他人ごとながら痛々しく、
災害のたびに助けてくれる、自衛隊や消防隊のかたには、
つくづく頭が下がる。
帰ろうとしたら、いつの間にか雨降りになっていた。
傘を借りて、自宅までの十分歩く間に、
雨風はげしくなってずぶ濡れになった。
これでもけっこうつらいのにと、
また、被害にあわれたかたを思った。
翌朝、うす暗いなか、善光寺へ出かけた。
ひと影まばらな境内が、
雨に洗われた、しんとした気配に包まれている。
まだ坊さんの姿も見えない本堂で、手を合わせて頭を下げた。
手を合わせたい、
ほんとにそう思うことの多い、この頃になっているのだった。



  


早朝の空に

2015年09月10日

 へこりと at 16:03  | Comments(0)
長月 4

雨の日がつづく。
はげしく降ったかと思えば、さめざめと降る日もあって、
さえない秋の出だしになっている。
日本のあちこちで、川が氾濫したり、道路に水があふれたり、
土砂崩れが起きている。
暮らしの身に、被害がないのはありがたいことと、
ニュースを見た。
低気圧のせいで、体調に締まりがなく、一日だるい。
久しぶりに、しゃきっとひと走りしようと外へ出たら、
日の出前の東の空に、ほそい月と明けの明星が、
ならんで光っていた。雲のかたちも様子が変わり、
虫の声を聞きながら、冴えばえとした空を眺めた。
参道を横切っていくと、
善光寺へお参りに来るかたの姿も少ない。
連休になるまでは、門前もしばらく静かになっている。
県庁の前を過ぎて裾花川に沿って走っていけば、
濁った川の流れがはげしい。
犬を連れた外人の女性とすれちがい、
おはようございます。
きれいな日本語であいさつを返してくれる。
堤防を下りた河川敷で、おばさんが詩吟の練習をしていた。
ろうろうと、川面にひびく高い声を聞きながら、
あやとり橋を渡ってUターンをする。
善光寺に着いて、自宅に戻る道すがら見上げれば、
月も星も見えなくなって、雲が厚みを増している。
空気も湿ってきて、今日も秋晴れとはいかないとわかる。
シャワーを浴びて、近所に暮らす、
自営業の友だちの仕事場を訪ねた。
この夏、病に倒れたのだった。
二度の手術をして、その後の様子をスタッフに伺ったら、
先日、三度目の手術を終えたところという。
わずかな間に三回も体にメスを入れ、
大変な夏だったと切なくなった。
少しずつでも回復が進みますように、
すがすがしく、
季節を目に出来ますようにと願う気持ちで、
元気な姿に会えるのを、心待ちにしています。
一筆添えることとする。




  


上田ねぷた祭り

2015年09月06日

 へこりと at 12:42  | Comments(2)
長月 3

飲み仲間と連れだって上田へ出かけた。
真田幸村公出陣ねぷた祭りがあったのだった。
夏から秋、祇園祭りに上田わっしょいに納涼花火大会と、
上田のひとときを楽しませていただいた。
ねぷた祭りは、真田幸村公が主人公の、
大河ドラマ制作を願ってはじめられたという。
来年は、念願かなって、いよいよ真田丸が放送される。
上田の町も盛り上がるとうかがえるのだった。
駅を出たら、さっそくおおきなねぷたが目に入る。
まずは一献と、駅前のホルモン焼き屋のカウンターで、
肉をつまみに、生ビールのジョッキをかたむける。
祭りの夜は飲み屋も混みあう。
生ビールからハイボールへとおかわりする間にも、
つぎつぎとお客がやってくる。
席を譲って店を出て、通りを上がった。
眩しく光るねぷたを眺めれば、
それぞれに鮮やかに描かれた真田幸村公が、
そろいの赤いTシャツを着た、
地元の人たちに引っ張られてすすんで行く。
行列を支えるお囃子は、子供たちの演奏で、
上田の町の人々は、催しごとがあるたびに、
大人も子供もまとまって、一体感があるのだった。
突然雨が降ってきて、
一斉に、商店街の軒下で雨宿りとなった。
小雨になったのを見計らって、
小路を行き、田吾作の戸を開けた。
つくねとキャベツ揚げで、秀峰喜久盛の燗酒を酌んでいれば、
あとから入ってきた三人組は、赤いTシャツを私服に着替えて、
ひと仕事終えてきたとわかり、
のびのびと芋焼酎を頼んでいる。
そのあとに、上田に暮らす知り合いに教えていただいた、
名月へおじゃまして、
秋刀魚の刺身と穴子の白焼きといぶりがっこで、
明鏡止水の夏酒を酌んだ。
上田の町は、
気になるちいさい飲み屋があちこちに在って、
うろつくたびにそわそわしてしまう。
城跡公園のけやきが色づく頃にまた来たい。
ちいさな城下町は、まこと懐のふかい町なのだった。



  


秋祭りの時期になり

2015年09月03日

 へこりと at 09:35  | Comments(0)
長月 2

秋の気配が増してきた。
8月末から、善光寺のまわりの町で、秋祭りが始まっている。
早朝、おじいさんたちが提灯を掲げて、
氏神さんの掃除をする姿を見かけるようになり、
夜は神輿の担ぎ手のかけ声が、町なかにひびく。
9月1日、となりの西之門町の秋祭りが行われた。
氏神さんは三峰山。
酒蔵、西之門の広い駐車場のわきに、ぽつんと建っている。
西之門町は世帯が14軒のちいさな町で、それが好い。
住み着いて商売を始めたり、
家業を継ぎに戻ってきた、若いかたがたと、
古くからのお年寄りとの距離が近く、まとまりがある。
季節の折々にいろんな行事をおこなって、
町の気配にメリハリをつけている。
ナノグラフィカの畳のカフェで、ビールを飲んでくつろいだり、
布団屋の箱山さんに、布団を作ってもらったり、
パスタとワインのこまつやさんでは、
酔っぱらってばかりいる。
なにかと世話になっているから、
氏神さんにも、お礼を述べなければいけないのだった。
夕方、半被を着てうかがえば、
氏神さんの前に祭壇が施され、神輿が鎮座している。
さあ、始めようというそのときに、空からいきなり降ってきて、
おもたい色の雨雲がうらめしい。
神主さんに祝詞をあげてもらい、雨の中を担ぎ出す。
通りを下りたらUターンして、上がっていく。
つよくなったりよわくなったり、降りつづく雨の中、
のんびりと、一軒一軒、木遣りをおさめながら、
さいごのこまつやさんまで終えたのだった。
濡れた体を拭いて、ナノグラフィカの宴の席に落ちつけば、
じきにちゃぶ台に、至れり尽くせりの料理が並ぶ。
ご苦労様と酌み合えば、神輿のあとの酒が旨い。
ちいさな町の和やかな祭りを、
楽しませてもらったのだった。






  


町をぶらぶら

2015年09月02日

 へこりと at 11:21  | Comments(0)
長月 1

休日になると、カメラをぶら下げてあちこちを徘徊している。
すっかり馴染みの近所の町に、ときどき出かける気に入りの町に、
新たな景色に目が留まるのは、癒されることだった。
写真が趣味の友だちが松本へ行ってきたという。
松本市美術館で開かれている、
篠山紀信の写真展に行ってきたのだった。
そそられて、9月になったら足を運ぼうと思ったのに、
よくよく調べたら、月曜日が休館日で、
こちらの休日とかち合っていけない。
最終日の、10月12日の祝日の月曜日は開いているというから、
忘れぬように予定に入れた。
そういえば、松本には久しく出かけていなかった。
さいごに行ったのは5年前だったか。
女鳥羽川沿いの、
愛想がわるくて、値段が高くて、たいしてうまくもない蕎麦屋で、
不味い酒を酌み、
夕方は、市街地から離れた畑の中の飲み屋で、
旨い酒を酌んだのをおぼえている。
ゆっくり蔵づくりの町なかを歩こうと思うのだった。
この頃、中央通りの門前ぷらざで、
老舗の写真屋主催の写真展が開かれている。
フジフイルムのカメラの愛好者による写真展で、
おなじ愛好者だから足を運んでみた。
会場で作品を眺めているのはおじいさんばかりで、
聞こえてくる会話から、出品しているかたもいるとわかる。
古い店と付き合いの長い、
古いかたがたの作品が並ぶのだった。
見覚えのある門前の景色に、
行くことのない海のかなたの景色に、
赤や黄色の花々に、深い表情の女性。
眺めていくと、鮮やかな色合いで、
メリハリを利かせた作品が多い。
フィルムの頃からシャッターを押してきたかたの目線は、
新鮮な発見があり、上手だなあと感心しながらひとまわりした。
作品の下には使った機材が書いてあり、
どなたも、いちばん上等なカメラとレンズを使っている。
500円玉貯金で手が届くのは、まだまだ先の話だった。
夕方、さっとひと雨降って風が涼しくなる。
夏過ぎて、秋の景色をむかえることとなる。