日本酒ばかりに
長月 12
秋の気配が色濃くなって、日中穏やかに晴れても、
陽が沈むと、とたんに涼しさが増す。
人肌恋しい男やもめを温めてくれるかたもいないから、
燗酒を酌んでは、我が身をなぐさめている。
自宅では、手ごろな値段の純米や本醸造を酌んでいる。
その手の酒は、冷やで好く、温めればより旨みが増す。
温度を問わず、飲み飽きしない融通の好さは、
気楽な晩酌にはもってこいなのだった。
近所のギャラリーかねまつでは、ときどき五間バーと称して、
五間のスペースを使ったイベントを行っている。
土曜日、五九醸の会のかたがたが、試飲会を開いた。
参加費千円でつまみの持ち込みができるという。
近所の肉屋で串かつを揚げてもらい、出かけた。
会場はすでに酒徒の人たちでにぎわっていて、
めいめいに酒を注いでもらっている。
五九醸の会は、昭和59年生まれの、酒蔵の跡取りさんたちの会で、
北光正宗に勢正宗、
積善に本老いの松に福無量の銘柄を醸す、
五つのお蔵さんで成っている。
景気の不振にあえぐ日本酒業界を、
若い力で盛り上げようと結成されたのだった。
酔いながら歳をかさねてきた中で、ここ20年ほどの間に、
あちこちのお蔵さんで世代交代がすすみ、それに伴い、
以前よりも好い味を醸すお蔵さんが増えてきた。
若いかたがたの創意工夫のおかげで、
昔は口にすると顔をゆがめた銘柄が、
美味しい味になったりしているから、
時代の移りかわりを感じるのだった。
この夜のひとときは、おおきな酒のイベントのように、
押し合うように混雑することもなく、
のんびりと蔵人さんがたと言葉を交わしながら、
それぞれの銘柄の個性を楽しんだ。
秋に夜長は、ますます酒が旨く感じることとなる。

秋の気配が色濃くなって、日中穏やかに晴れても、
陽が沈むと、とたんに涼しさが増す。
人肌恋しい男やもめを温めてくれるかたもいないから、
燗酒を酌んでは、我が身をなぐさめている。
自宅では、手ごろな値段の純米や本醸造を酌んでいる。
その手の酒は、冷やで好く、温めればより旨みが増す。
温度を問わず、飲み飽きしない融通の好さは、
気楽な晩酌にはもってこいなのだった。
近所のギャラリーかねまつでは、ときどき五間バーと称して、
五間のスペースを使ったイベントを行っている。
土曜日、五九醸の会のかたがたが、試飲会を開いた。
参加費千円でつまみの持ち込みができるという。
近所の肉屋で串かつを揚げてもらい、出かけた。
会場はすでに酒徒の人たちでにぎわっていて、
めいめいに酒を注いでもらっている。
五九醸の会は、昭和59年生まれの、酒蔵の跡取りさんたちの会で、
北光正宗に勢正宗、
積善に本老いの松に福無量の銘柄を醸す、
五つのお蔵さんで成っている。
景気の不振にあえぐ日本酒業界を、
若い力で盛り上げようと結成されたのだった。
酔いながら歳をかさねてきた中で、ここ20年ほどの間に、
あちこちのお蔵さんで世代交代がすすみ、それに伴い、
以前よりも好い味を醸すお蔵さんが増えてきた。
若いかたがたの創意工夫のおかげで、
昔は口にすると顔をゆがめた銘柄が、
美味しい味になったりしているから、
時代の移りかわりを感じるのだった。
この夜のひとときは、おおきな酒のイベントのように、
押し合うように混雑することもなく、
のんびりと蔵人さんがたと言葉を交わしながら、
それぞれの銘柄の個性を楽しんだ。
秋に夜長は、ますます酒が旨く感じることとなる。
久しぶりの再会に
長月 11
六歳上の兄がいる。
若いころ、北海道の函館に移り住んで、所帯を持って、
一男一女の父をしている。
九月連休、義姉さんと姪っ子が、はるばる長野へ訪ねてきた。
兄は仕事がいそがしく、このたびは来れないという。
長野駅まで迎えに行けば、旅の疲れを感じさせない、
ひさしぶりの笑顔の再会となる。
夕方、近所の蕎麦屋の北野家で、
実科の父母ともどもの宴となった。
姪っ子は、
美容師を目指して、地元の美容学校に通っている。
授業を終えると、アルバイトで、
宅配の寿司屋で寿司を握っているといい、
海の町だからネタも好い。
まかないで旨い寿司を食べているといい、うらやましい。
来年、めでたく成人式を迎える。
お祝いに、母が振袖を作ってあげたから、
記念写真を撮ろうと相成った。
駅前の呉服屋で着付けをして、写真を撮ってもらう。
母が見立てたのは無地の朱色の振袖で、
着つけた姿を目にすれば、ずいぶんと艶やかに映える。
もう一枚、母が昔着ていたしぼりの小紋も、
仕立て直しをした。
振袖を脱いで着替えれば、黒地の柄に、
こんどは、しぶく落ち着いた雰囲気になる。
孫娘の晴れ姿を前に、
母が、女の子がいると楽しいねえという。
たしかに愚息ふたりでは、
いくら高価な着物を持っていても、
のちのち着せる楽しみもない。
はるかひさしぶりの長野詣では、
好いおばあちゃん孝行になったのだった。
美容学校は、今月いっぱい秋休みという。
帰る折りに、東京に立ち寄って、
高校時代の友だちと会うという。
まあ、のびのびと健やかにおおきくなって、
おじさんもうれしいことなのだった。

六歳上の兄がいる。
若いころ、北海道の函館に移り住んで、所帯を持って、
一男一女の父をしている。
九月連休、義姉さんと姪っ子が、はるばる長野へ訪ねてきた。
兄は仕事がいそがしく、このたびは来れないという。
長野駅まで迎えに行けば、旅の疲れを感じさせない、
ひさしぶりの笑顔の再会となる。
夕方、近所の蕎麦屋の北野家で、
実科の父母ともどもの宴となった。
姪っ子は、
美容師を目指して、地元の美容学校に通っている。
授業を終えると、アルバイトで、
宅配の寿司屋で寿司を握っているといい、
海の町だからネタも好い。
まかないで旨い寿司を食べているといい、うらやましい。
来年、めでたく成人式を迎える。
お祝いに、母が振袖を作ってあげたから、
記念写真を撮ろうと相成った。
駅前の呉服屋で着付けをして、写真を撮ってもらう。
母が見立てたのは無地の朱色の振袖で、
着つけた姿を目にすれば、ずいぶんと艶やかに映える。
もう一枚、母が昔着ていたしぼりの小紋も、
仕立て直しをした。
振袖を脱いで着替えれば、黒地の柄に、
こんどは、しぶく落ち着いた雰囲気になる。
孫娘の晴れ姿を前に、
母が、女の子がいると楽しいねえという。
たしかに愚息ふたりでは、
いくら高価な着物を持っていても、
のちのち着せる楽しみもない。
はるかひさしぶりの長野詣では、
好いおばあちゃん孝行になったのだった。
美容学校は、今月いっぱい秋休みという。
帰る折りに、東京に立ち寄って、
高校時代の友だちと会うという。
まあ、のびのびと健やかにおおきくなって、
おじさんもうれしいことなのだった。
秋の彼岸に
長月 10
休日、前夜の深酒が効いて寝坊をした。
連休中日、目の前の道路は、
県外ナンバーの車が数珠つなぎになっている。
車の列を眺めながら歩いていけば、
ひときわ野太い音を出して、
かっこよいスポーツカーがゆっくりとすぎる。
城山小学校の校庭では、子供たちがサッカーの練習をしていた。
子供たちが元気に走り回る様子は、気持ちが和む。
近づいて写真を撮りたくても、昨今は、
ためらわれるご時世になってしまい、いけない。
向かいの信濃美術館では、横井弘三展が始まった。
道路を渡って向かったら、城山公園のベンチで、
ホームレスのおじさんが、ごろりと横になっていた。
横井弘三は、飯田市生まれの画家で、
長野市をはじめ、逗留した先々で、たくさんの作品を残している。
色彩ゆたかな画風は、
日本のアンリ・ルソーと評されているといい、
丸みを帯びた筆さばきは、一見おおらかな作風に見える。
それでも、並んだ作品を通じて感じる暗さがあって、
それが余韻になったのだった。
となりの東山魁夷館では、秋の常設展をやっていて、
このたびは、信州にゆかりのある画家二人の作品を観に、
つぎつぎとお客が入ってきた。
館内のカフェで、パスタとビールで昼ご飯を済ませ、外へ出たら、
秋晴れの空の下、城山公園の噴水が、
涼しげに水しぶきを上げている。
木陰のベンチでは、男性と女性がかたく抱擁を交わしていて、
見てるこっちがどきどきした。
善光寺の庭園でも、葉が色づきはじめてきた。
連休とはいえ、善光寺の境内は、思った以上ににぎわっている。
子供のころから触れてきた門前の景色と気配は、
すっかりあたりまえに馴染んでいる。
里山を背景に、
仁王門と山門と本堂がすがすがしくそびえるさまは、
旅のかたには新鮮に目に映るのかと思ったのだった。
そのまま菩提寺に立ち寄って、彼岸の墓参りをした。
酔ってばかりの身がこんにち無事なのも、
御先祖さんの御加護のおかげとありがたい。

休日、前夜の深酒が効いて寝坊をした。
連休中日、目の前の道路は、
県外ナンバーの車が数珠つなぎになっている。
車の列を眺めながら歩いていけば、
ひときわ野太い音を出して、
かっこよいスポーツカーがゆっくりとすぎる。
城山小学校の校庭では、子供たちがサッカーの練習をしていた。
子供たちが元気に走り回る様子は、気持ちが和む。
近づいて写真を撮りたくても、昨今は、
ためらわれるご時世になってしまい、いけない。
向かいの信濃美術館では、横井弘三展が始まった。
道路を渡って向かったら、城山公園のベンチで、
ホームレスのおじさんが、ごろりと横になっていた。
横井弘三は、飯田市生まれの画家で、
長野市をはじめ、逗留した先々で、たくさんの作品を残している。
色彩ゆたかな画風は、
日本のアンリ・ルソーと評されているといい、
丸みを帯びた筆さばきは、一見おおらかな作風に見える。
それでも、並んだ作品を通じて感じる暗さがあって、
それが余韻になったのだった。
となりの東山魁夷館では、秋の常設展をやっていて、
このたびは、信州にゆかりのある画家二人の作品を観に、
つぎつぎとお客が入ってきた。
館内のカフェで、パスタとビールで昼ご飯を済ませ、外へ出たら、
秋晴れの空の下、城山公園の噴水が、
涼しげに水しぶきを上げている。
木陰のベンチでは、男性と女性がかたく抱擁を交わしていて、
見てるこっちがどきどきした。
善光寺の庭園でも、葉が色づきはじめてきた。
連休とはいえ、善光寺の境内は、思った以上ににぎわっている。
子供のころから触れてきた門前の景色と気配は、
すっかりあたりまえに馴染んでいる。
里山を背景に、
仁王門と山門と本堂がすがすがしくそびえるさまは、
旅のかたには新鮮に目に映るのかと思ったのだった。
そのまま菩提寺に立ち寄って、彼岸の墓参りをした。
酔ってばかりの身がこんにち無事なのも、
御先祖さんの御加護のおかげとありがたい。
秋の酒に
長月 9
こまったことに、陽が沈むと、酒を飲むしかやることがない。
この頃は、家での飲み食いに欲がなくなって、
粗末なつまみで日本酒を酌んでいる。
近所に、旨い豆腐を扱う店がいくつかあって、
酒飲みは、
豆腐の味にうるさいと相場が決まっているから、
ありがたいことだった。
先日ひさしぶりに、おおきな店に出かけたら、
ぴかぴかの秋刀魚が並んでいた。
秋刀魚を焼いて一杯を、
時期の過ぎぬうちにと言いきかせる。
野菜売り場にも、秋の味覚が並んでいた。
国産松茸、一本2500円也。思わず拝みたくなった。
付き合いのある酒屋は、常々のところと、
ときどきのところと二軒。名の馳せた銘柄の、
手ごろな価格のやつが、
容易に手に入るのもありがたいことだった。
酒の味が、器によって変わるのもおもしろく、
土で作った器でも、素焼きのものは、
酒に含まれる酸味が立って、ひきしまった味になる。
釉薬を塗られたものは、かどが取れてやわらかい。
ガラスの器で利けば、より端正な味になり、
その日の気分で使い分けている。
友だちの、仙台土産の笹かまぼこをつまみに、
澤乃花の燗酒を酌んだ。
酔ってつぶれた深夜、雨の音で目が覚めた。
翌朝、雨上がりの青空に、
界隈が、水気を含んだ空気に包まれている。
城山公園の桜も、葉が赤く色づきはじめ、
旭山は、名残りの雲におおわれて見えない。
日ごと秋が深まって、冷気を帯びてくる。
今夜は湯豆腐で一杯と決めて、
愛想の好いおばさんの営む、江口豆腐店へと向かった。

こまったことに、陽が沈むと、酒を飲むしかやることがない。
この頃は、家での飲み食いに欲がなくなって、
粗末なつまみで日本酒を酌んでいる。
近所に、旨い豆腐を扱う店がいくつかあって、
酒飲みは、
豆腐の味にうるさいと相場が決まっているから、
ありがたいことだった。
先日ひさしぶりに、おおきな店に出かけたら、
ぴかぴかの秋刀魚が並んでいた。
秋刀魚を焼いて一杯を、
時期の過ぎぬうちにと言いきかせる。
野菜売り場にも、秋の味覚が並んでいた。
国産松茸、一本2500円也。思わず拝みたくなった。
付き合いのある酒屋は、常々のところと、
ときどきのところと二軒。名の馳せた銘柄の、
手ごろな価格のやつが、
容易に手に入るのもありがたいことだった。
酒の味が、器によって変わるのもおもしろく、
土で作った器でも、素焼きのものは、
酒に含まれる酸味が立って、ひきしまった味になる。
釉薬を塗られたものは、かどが取れてやわらかい。
ガラスの器で利けば、より端正な味になり、
その日の気分で使い分けている。
友だちの、仙台土産の笹かまぼこをつまみに、
澤乃花の燗酒を酌んだ。
酔ってつぶれた深夜、雨の音で目が覚めた。
翌朝、雨上がりの青空に、
界隈が、水気を含んだ空気に包まれている。
城山公園の桜も、葉が赤く色づきはじめ、
旭山は、名残りの雲におおわれて見えない。
日ごと秋が深まって、冷気を帯びてくる。
今夜は湯豆腐で一杯と決めて、
愛想の好いおばさんの営む、江口豆腐店へと向かった。
休日、雑感
長月 8
朝がすっかり涼しくなった。
目を覚ましても、二度寝におちる寝心地の良さに、
怠けて朝をむかえている。
休日、ゆっくり起きて町を走った。
通勤中の背広姿とすれちがい、
土手沿いのコスモスを眺めながら、ひとまわりすれば、
流れる汗に、風の気配が変わったのがわかる。
ひと風呂浴びて、郵便局で手紙を出してぶらぶら行くと、
連日の雨降りで、鐘鋳川の水も濁っている。
長野電鉄の延線沿いに、てんてんとちいさな花が咲いている。
ひさしぶりの青空に、軒先の緑も映えていた。
踏み切りの写真を撮ろうとしたら、
銀色の、上がりの電車が走っていった。
遮断機のない、ちいさな踏み切りのむこうに小道が見えた。
抜けようと渡ったら、
私有地に付き、立ち入り禁止と書いてある。
踏み切りをひとり占めできるのは、うらやましいことだった。
本郷駅まで行ってひき返そうと歩いていたら、電話が鳴る。
実家の母からで、
お昼にラーメンを食べたいから連れて行けという。
先週から父がおおきな病院に入院をしていた。
先月、一週間、検査と治療を兼ねて入院をした。
退院して一週間経った朝、母から、
お父さんの調子がわるいと電話が来た。
病院へ連れて行ったら、
そのまま再びの入院となったのだった。
ラーメンに回転寿司、いつもなら連れだって行けたのに、
母ひとりでは店に入りずらい。
近所の、とんかつ健に同行して、
こちらはスープ定食をごちそうになった。
腹を満たして、そのまま病院へ出向く。
駐車場で車を下りたら、
すれちがいざまの車の中から声をかけられた。
顔見知りの知り合い夫婦で、どうしたんですかと尋ねたら、
奥さんの腹を指さす。
ぷっくり丸いふくれ具合に合点がいって、
もうすぐ出産というからめでたい。
あたらしい命の知らせに、ぽっと明るい気持ちを頂けた。
病室に入ったら、父が私服に着替えて待っていた。
退院の許可が出たといい、それはよかったとほっとする。
歳をとるのも楽じゃない。
ごくろうさんでしたと荷物を持った。

朝がすっかり涼しくなった。
目を覚ましても、二度寝におちる寝心地の良さに、
怠けて朝をむかえている。
休日、ゆっくり起きて町を走った。
通勤中の背広姿とすれちがい、
土手沿いのコスモスを眺めながら、ひとまわりすれば、
流れる汗に、風の気配が変わったのがわかる。
ひと風呂浴びて、郵便局で手紙を出してぶらぶら行くと、
連日の雨降りで、鐘鋳川の水も濁っている。
長野電鉄の延線沿いに、てんてんとちいさな花が咲いている。
ひさしぶりの青空に、軒先の緑も映えていた。
踏み切りの写真を撮ろうとしたら、
銀色の、上がりの電車が走っていった。
遮断機のない、ちいさな踏み切りのむこうに小道が見えた。
抜けようと渡ったら、
私有地に付き、立ち入り禁止と書いてある。
踏み切りをひとり占めできるのは、うらやましいことだった。
本郷駅まで行ってひき返そうと歩いていたら、電話が鳴る。
実家の母からで、
お昼にラーメンを食べたいから連れて行けという。
先週から父がおおきな病院に入院をしていた。
先月、一週間、検査と治療を兼ねて入院をした。
退院して一週間経った朝、母から、
お父さんの調子がわるいと電話が来た。
病院へ連れて行ったら、
そのまま再びの入院となったのだった。
ラーメンに回転寿司、いつもなら連れだって行けたのに、
母ひとりでは店に入りずらい。
近所の、とんかつ健に同行して、
こちらはスープ定食をごちそうになった。
腹を満たして、そのまま病院へ出向く。
駐車場で車を下りたら、
すれちがいざまの車の中から声をかけられた。
顔見知りの知り合い夫婦で、どうしたんですかと尋ねたら、
奥さんの腹を指さす。
ぷっくり丸いふくれ具合に合点がいって、
もうすぐ出産というからめでたい。
あたらしい命の知らせに、ぽっと明るい気持ちを頂けた。
病室に入ったら、父が私服に着替えて待っていた。
退院の許可が出たといい、それはよかったとほっとする。
歳をとるのも楽じゃない。
ごくろうさんでしたと荷物を持った。
心機一転の開業に
長月 7
休日になると、馴染みの蕎麦屋で昼酒をたしなんでいる。
生ビール一杯にお銚子を二本。
冷たいもりで締めれば、ささやかな大人の贅沢に、気持ちも潤う。
蕎麦屋の店長をしている友だちが、この頃退職をした。
店の経営者が変わり、この先勤めつづけるには、
なかなか受け入れがたい状況になったのだった。
それでも、日ごろの行いの良さのせいなのか、
捨てる神あれば拾う神ありの、折りが好いときだった。
温泉好きで、毎月草津まで足を運んでいた。
馴染みの飲み屋もいくつかできて、
地元の蕎麦屋の御主人と知り合いになった。
店を二軒営んでいて、
そのうちの一軒を、譲りたいと持ち掛けられていたのだった。
これはもう、草津に行きなさいという思し召しでしょうと、
とんとん拍子に話が決まる。
秋のうちに開業したいといい、急にいそがしくなる。
まずは店名を決めなければといい、
本人は、無頼庵という名が好いと思っていた。
ところが、まわりの友だちの受けが良くない。
昭和っぽい、頑固おやじがいるようだと言われ、
蕎麦打ちのセンスは良くても、
名づけのセンスはさっぱりなのだった。
どんなのがいいかなあ。
名前の一文字と、縁起のいい末広がりの八で、伸八。
訪れたお客さんが温かい気持ちになるように、灯庵。
こちらもいろいろ考える。
日曜日、我が家でみんなで集まって、あれこれ話したところ、
苗字をそのまま使って、
蕎麦 かない
がいちばん好いのではとなった。
たしかに、細打ちの蕎麦に通じる、切れのあるひびきも好い。
店名が決まって、これから看板に暖簾にチラシを準備して。
美しい、淑女の従業員を雇えればなお好い。
にぎわう湯の町で、心機一転がんばってもらいたいのだった。
蕎麦 かない は、湯畑の前、
山本館からの小路を上がって行った処に成る。
開店は、十月半ばを目指している。
訪れた折りは、足を運んでいただきたいのだった。

休日になると、馴染みの蕎麦屋で昼酒をたしなんでいる。
生ビール一杯にお銚子を二本。
冷たいもりで締めれば、ささやかな大人の贅沢に、気持ちも潤う。
蕎麦屋の店長をしている友だちが、この頃退職をした。
店の経営者が変わり、この先勤めつづけるには、
なかなか受け入れがたい状況になったのだった。
それでも、日ごろの行いの良さのせいなのか、
捨てる神あれば拾う神ありの、折りが好いときだった。
温泉好きで、毎月草津まで足を運んでいた。
馴染みの飲み屋もいくつかできて、
地元の蕎麦屋の御主人と知り合いになった。
店を二軒営んでいて、
そのうちの一軒を、譲りたいと持ち掛けられていたのだった。
これはもう、草津に行きなさいという思し召しでしょうと、
とんとん拍子に話が決まる。
秋のうちに開業したいといい、急にいそがしくなる。
まずは店名を決めなければといい、
本人は、無頼庵という名が好いと思っていた。
ところが、まわりの友だちの受けが良くない。
昭和っぽい、頑固おやじがいるようだと言われ、
蕎麦打ちのセンスは良くても、
名づけのセンスはさっぱりなのだった。
どんなのがいいかなあ。
名前の一文字と、縁起のいい末広がりの八で、伸八。
訪れたお客さんが温かい気持ちになるように、灯庵。
こちらもいろいろ考える。
日曜日、我が家でみんなで集まって、あれこれ話したところ、
苗字をそのまま使って、
蕎麦 かない
がいちばん好いのではとなった。
たしかに、細打ちの蕎麦に通じる、切れのあるひびきも好い。
店名が決まって、これから看板に暖簾にチラシを準備して。
美しい、淑女の従業員を雇えればなお好い。
にぎわう湯の町で、心機一転がんばってもらいたいのだった。
蕎麦 かない は、湯畑の前、
山本館からの小路を上がって行った処に成る。
開店は、十月半ばを目指している。
訪れた折りは、足を運んでいただきたいのだった。
尾澤酒造場・十九
長月 6
毎日日本酒を酌んでいる。
夕方から夜、秋めいて涼しくなり、虫の声を聞きながら、
燗酒を酌む時期になっている。
愛飲している銘柄のひとつに、
信州新町の尾澤酒造場さんの、十九がある。
十年あまり前、
杜氏に就いたお嫁さんが立ちあげた銘柄で、
造りがまだ一人前じゃないこと、
国道19号線沿いに、お蔵が在ることから名付けた。
はじめの頃の味わいは、アルコールが高く、酸もつよく、
味が多かった。
飲み屋で一杯二杯酌むには好いものの、
晩酌で毎日酌むのは疲れると、個人的に感じていた。
ここ近年、酸と旨みの案配が好い、きれいな味になり、
杯をかさねても飲み飽きしない。
杜氏の人柄がやさしくなったのか、含む思いがあったのか、
まわりの酒徒の間でも、評判が高いのだった。
通年商品のほかに、季節に合わせた商品を出していて、
桜に入道雲に飛行機雲、イチョウにもみじに雪だるまと、
そのつど、しゃれたエチケットが瓶を飾る。
デザイナーのようなセンスの良さも、
杜氏の持ち味になっている。
この夏、社長を務める旦那さんが病気になった。
ちいさなお蔵は、すくない人数で造りから雑用まで、
すべてをこなさなくてはいけない。
いそがしい中、杜氏に蔵人の心身に、
さらに負担がかかることになり心配をした。
飲み仲間の間から、せめて、飲んで応援しようと話が出て、
十九を飲みまくる会を開いてくれたのだった。
当日、飲み仲間のかたのお宅におじゃまして、
つぎつぎと味を利いてみる。
蔵人の加藤さんも来てくれて、
それぞれの酒の説明や、造りの話を聞きながら、
湯豆腐と、信州新町のでかい厚揚げと、
持ち寄ったつまみを突っつきながら酌みあった。
最近出た新商品はAnatroccoloといい、
読めない単語は、イタリア語でアヒルの子の意味だという。
かわいいアヒルのラベルがあしらわれて、
上を向いて、一歩前を踏み出してくれる感じという。
ほんとに一歩ずつ前へと頑張って。
みんなで応援しております。

毎日日本酒を酌んでいる。
夕方から夜、秋めいて涼しくなり、虫の声を聞きながら、
燗酒を酌む時期になっている。
愛飲している銘柄のひとつに、
信州新町の尾澤酒造場さんの、十九がある。
十年あまり前、
杜氏に就いたお嫁さんが立ちあげた銘柄で、
造りがまだ一人前じゃないこと、
国道19号線沿いに、お蔵が在ることから名付けた。
はじめの頃の味わいは、アルコールが高く、酸もつよく、
味が多かった。
飲み屋で一杯二杯酌むには好いものの、
晩酌で毎日酌むのは疲れると、個人的に感じていた。
ここ近年、酸と旨みの案配が好い、きれいな味になり、
杯をかさねても飲み飽きしない。
杜氏の人柄がやさしくなったのか、含む思いがあったのか、
まわりの酒徒の間でも、評判が高いのだった。
通年商品のほかに、季節に合わせた商品を出していて、
桜に入道雲に飛行機雲、イチョウにもみじに雪だるまと、
そのつど、しゃれたエチケットが瓶を飾る。
デザイナーのようなセンスの良さも、
杜氏の持ち味になっている。
この夏、社長を務める旦那さんが病気になった。
ちいさなお蔵は、すくない人数で造りから雑用まで、
すべてをこなさなくてはいけない。
いそがしい中、杜氏に蔵人の心身に、
さらに負担がかかることになり心配をした。
飲み仲間の間から、せめて、飲んで応援しようと話が出て、
十九を飲みまくる会を開いてくれたのだった。
当日、飲み仲間のかたのお宅におじゃまして、
つぎつぎと味を利いてみる。
蔵人の加藤さんも来てくれて、
それぞれの酒の説明や、造りの話を聞きながら、
湯豆腐と、信州新町のでかい厚揚げと、
持ち寄ったつまみを突っつきながら酌みあった。
最近出た新商品はAnatroccoloといい、
読めない単語は、イタリア語でアヒルの子の意味だという。
かわいいアヒルのラベルがあしらわれて、
上を向いて、一歩前を踏み出してくれる感じという。
ほんとに一歩ずつ前へと頑張って。
みんなで応援しております。
祈りたくなること。
長月 5
向かいのお宅の奥さんが訪ねてきた。
椅子に座るなり、この辺は何事もなくてありがたいという。
テレビで、鬼怒川の大変な様子を見ていたという。
昔、長野でも裾花川が氾濫して、
相生橋が崩れたことがあったといい、
あれはほんとにこわかったという。
そういえば、今の橋の南側に、橋げたが残っていたと思い出す。
昨年の御嶽山の噴火では、大勢の犠牲者が出た。
長野北部の地震では、幸い亡くなるかたはいなかったものの、
たくさんの家屋が倒壊した。
四年半前の東北の地震では、
いまだ復興途中のかたがいると聞く。
長野で三十年前に起きた、地附山の土砂崩れでも、
ふもとにあった、老人ホームのお年寄りが犠牲になった。
おなじ地層の場所に、ただいませっせとダムを造っているから、
大丈夫かいなと心配になる。
夕方仕事を終えて実家に顔を出した。
かぼちゃの煮物といんげんの胡麻和えで酒を酌んでいたら、
ニュースで鬼怒川の様子を映しだした。
水に浸かった家の中から、自衛隊がヘリコプターで、
取り残された人を救助している。
被害にあわれたかたの心情を思うと、他人ごとながら痛々しく、
災害のたびに助けてくれる、自衛隊や消防隊のかたには、
つくづく頭が下がる。
帰ろうとしたら、いつの間にか雨降りになっていた。
傘を借りて、自宅までの十分歩く間に、
雨風はげしくなってずぶ濡れになった。
これでもけっこうつらいのにと、
また、被害にあわれたかたを思った。
翌朝、うす暗いなか、善光寺へ出かけた。
ひと影まばらな境内が、
雨に洗われた、しんとした気配に包まれている。
まだ坊さんの姿も見えない本堂で、手を合わせて頭を下げた。
手を合わせたい、
ほんとにそう思うことの多い、この頃になっているのだった。

向かいのお宅の奥さんが訪ねてきた。
椅子に座るなり、この辺は何事もなくてありがたいという。
テレビで、鬼怒川の大変な様子を見ていたという。
昔、長野でも裾花川が氾濫して、
相生橋が崩れたことがあったといい、
あれはほんとにこわかったという。
そういえば、今の橋の南側に、橋げたが残っていたと思い出す。
昨年の御嶽山の噴火では、大勢の犠牲者が出た。
長野北部の地震では、幸い亡くなるかたはいなかったものの、
たくさんの家屋が倒壊した。
四年半前の東北の地震では、
いまだ復興途中のかたがいると聞く。
長野で三十年前に起きた、地附山の土砂崩れでも、
ふもとにあった、老人ホームのお年寄りが犠牲になった。
おなじ地層の場所に、ただいませっせとダムを造っているから、
大丈夫かいなと心配になる。
夕方仕事を終えて実家に顔を出した。
かぼちゃの煮物といんげんの胡麻和えで酒を酌んでいたら、
ニュースで鬼怒川の様子を映しだした。
水に浸かった家の中から、自衛隊がヘリコプターで、
取り残された人を救助している。
被害にあわれたかたの心情を思うと、他人ごとながら痛々しく、
災害のたびに助けてくれる、自衛隊や消防隊のかたには、
つくづく頭が下がる。
帰ろうとしたら、いつの間にか雨降りになっていた。
傘を借りて、自宅までの十分歩く間に、
雨風はげしくなってずぶ濡れになった。
これでもけっこうつらいのにと、
また、被害にあわれたかたを思った。
翌朝、うす暗いなか、善光寺へ出かけた。
ひと影まばらな境内が、
雨に洗われた、しんとした気配に包まれている。
まだ坊さんの姿も見えない本堂で、手を合わせて頭を下げた。
手を合わせたい、
ほんとにそう思うことの多い、この頃になっているのだった。
早朝の空に
長月 4
雨の日がつづく。
はげしく降ったかと思えば、さめざめと降る日もあって、
さえない秋の出だしになっている。
日本のあちこちで、川が氾濫したり、道路に水があふれたり、
土砂崩れが起きている。
暮らしの身に、被害がないのはありがたいことと、
ニュースを見た。
低気圧のせいで、体調に締まりがなく、一日だるい。
久しぶりに、しゃきっとひと走りしようと外へ出たら、
日の出前の東の空に、ほそい月と明けの明星が、
ならんで光っていた。雲のかたちも様子が変わり、
虫の声を聞きながら、冴えばえとした空を眺めた。
参道を横切っていくと、
善光寺へお参りに来るかたの姿も少ない。
連休になるまでは、門前もしばらく静かになっている。
県庁の前を過ぎて裾花川に沿って走っていけば、
濁った川の流れがはげしい。
犬を連れた外人の女性とすれちがい、
おはようございます。
きれいな日本語であいさつを返してくれる。
堤防を下りた河川敷で、おばさんが詩吟の練習をしていた。
ろうろうと、川面にひびく高い声を聞きながら、
あやとり橋を渡ってUターンをする。
善光寺に着いて、自宅に戻る道すがら見上げれば、
月も星も見えなくなって、雲が厚みを増している。
空気も湿ってきて、今日も秋晴れとはいかないとわかる。
シャワーを浴びて、近所に暮らす、
自営業の友だちの仕事場を訪ねた。
この夏、病に倒れたのだった。
二度の手術をして、その後の様子をスタッフに伺ったら、
先日、三度目の手術を終えたところという。
わずかな間に三回も体にメスを入れ、
大変な夏だったと切なくなった。
少しずつでも回復が進みますように、
すがすがしく、
季節を目に出来ますようにと願う気持ちで、
元気な姿に会えるのを、心待ちにしています。
一筆添えることとする。

雨の日がつづく。
はげしく降ったかと思えば、さめざめと降る日もあって、
さえない秋の出だしになっている。
日本のあちこちで、川が氾濫したり、道路に水があふれたり、
土砂崩れが起きている。
暮らしの身に、被害がないのはありがたいことと、
ニュースを見た。
低気圧のせいで、体調に締まりがなく、一日だるい。
久しぶりに、しゃきっとひと走りしようと外へ出たら、
日の出前の東の空に、ほそい月と明けの明星が、
ならんで光っていた。雲のかたちも様子が変わり、
虫の声を聞きながら、冴えばえとした空を眺めた。
参道を横切っていくと、
善光寺へお参りに来るかたの姿も少ない。
連休になるまでは、門前もしばらく静かになっている。
県庁の前を過ぎて裾花川に沿って走っていけば、
濁った川の流れがはげしい。
犬を連れた外人の女性とすれちがい、
おはようございます。
きれいな日本語であいさつを返してくれる。
堤防を下りた河川敷で、おばさんが詩吟の練習をしていた。
ろうろうと、川面にひびく高い声を聞きながら、
あやとり橋を渡ってUターンをする。
善光寺に着いて、自宅に戻る道すがら見上げれば、
月も星も見えなくなって、雲が厚みを増している。
空気も湿ってきて、今日も秋晴れとはいかないとわかる。
シャワーを浴びて、近所に暮らす、
自営業の友だちの仕事場を訪ねた。
この夏、病に倒れたのだった。
二度の手術をして、その後の様子をスタッフに伺ったら、
先日、三度目の手術を終えたところという。
わずかな間に三回も体にメスを入れ、
大変な夏だったと切なくなった。
少しずつでも回復が進みますように、
すがすがしく、
季節を目に出来ますようにと願う気持ちで、
元気な姿に会えるのを、心待ちにしています。
一筆添えることとする。
上田ねぷた祭り
長月 3
飲み仲間と連れだって上田へ出かけた。
真田幸村公出陣ねぷた祭りがあったのだった。
夏から秋、祇園祭りに上田わっしょいに納涼花火大会と、
上田のひとときを楽しませていただいた。
ねぷた祭りは、真田幸村公が主人公の、
大河ドラマ制作を願ってはじめられたという。
来年は、念願かなって、いよいよ真田丸が放送される。
上田の町も盛り上がるとうかがえるのだった。
駅を出たら、さっそくおおきなねぷたが目に入る。
まずは一献と、駅前のホルモン焼き屋のカウンターで、
肉をつまみに、生ビールのジョッキをかたむける。
祭りの夜は飲み屋も混みあう。
生ビールからハイボールへとおかわりする間にも、
つぎつぎとお客がやってくる。
席を譲って店を出て、通りを上がった。
眩しく光るねぷたを眺めれば、
それぞれに鮮やかに描かれた真田幸村公が、
そろいの赤いTシャツを着た、
地元の人たちに引っ張られてすすんで行く。
行列を支えるお囃子は、子供たちの演奏で、
上田の町の人々は、催しごとがあるたびに、
大人も子供もまとまって、一体感があるのだった。
突然雨が降ってきて、
一斉に、商店街の軒下で雨宿りとなった。
小雨になったのを見計らって、
小路を行き、田吾作の戸を開けた。
つくねとキャベツ揚げで、秀峰喜久盛の燗酒を酌んでいれば、
あとから入ってきた三人組は、赤いTシャツを私服に着替えて、
ひと仕事終えてきたとわかり、
のびのびと芋焼酎を頼んでいる。
そのあとに、上田に暮らす知り合いに教えていただいた、
名月へおじゃまして、
秋刀魚の刺身と穴子の白焼きといぶりがっこで、
明鏡止水の夏酒を酌んだ。
上田の町は、
気になるちいさい飲み屋があちこちに在って、
うろつくたびにそわそわしてしまう。
城跡公園のけやきが色づく頃にまた来たい。
ちいさな城下町は、まこと懐のふかい町なのだった。

飲み仲間と連れだって上田へ出かけた。
真田幸村公出陣ねぷた祭りがあったのだった。
夏から秋、祇園祭りに上田わっしょいに納涼花火大会と、
上田のひとときを楽しませていただいた。
ねぷた祭りは、真田幸村公が主人公の、
大河ドラマ制作を願ってはじめられたという。
来年は、念願かなって、いよいよ真田丸が放送される。
上田の町も盛り上がるとうかがえるのだった。
駅を出たら、さっそくおおきなねぷたが目に入る。
まずは一献と、駅前のホルモン焼き屋のカウンターで、
肉をつまみに、生ビールのジョッキをかたむける。
祭りの夜は飲み屋も混みあう。
生ビールからハイボールへとおかわりする間にも、
つぎつぎとお客がやってくる。
席を譲って店を出て、通りを上がった。
眩しく光るねぷたを眺めれば、
それぞれに鮮やかに描かれた真田幸村公が、
そろいの赤いTシャツを着た、
地元の人たちに引っ張られてすすんで行く。
行列を支えるお囃子は、子供たちの演奏で、
上田の町の人々は、催しごとがあるたびに、
大人も子供もまとまって、一体感があるのだった。
突然雨が降ってきて、
一斉に、商店街の軒下で雨宿りとなった。
小雨になったのを見計らって、
小路を行き、田吾作の戸を開けた。
つくねとキャベツ揚げで、秀峰喜久盛の燗酒を酌んでいれば、
あとから入ってきた三人組は、赤いTシャツを私服に着替えて、
ひと仕事終えてきたとわかり、
のびのびと芋焼酎を頼んでいる。
そのあとに、上田に暮らす知り合いに教えていただいた、
名月へおじゃまして、
秋刀魚の刺身と穴子の白焼きといぶりがっこで、
明鏡止水の夏酒を酌んだ。
上田の町は、
気になるちいさい飲み屋があちこちに在って、
うろつくたびにそわそわしてしまう。
城跡公園のけやきが色づく頃にまた来たい。
ちいさな城下町は、まこと懐のふかい町なのだった。
秋祭りの時期になり
長月 2
秋の気配が増してきた。
8月末から、善光寺のまわりの町で、秋祭りが始まっている。
早朝、おじいさんたちが提灯を掲げて、
氏神さんの掃除をする姿を見かけるようになり、
夜は神輿の担ぎ手のかけ声が、町なかにひびく。
9月1日、となりの西之門町の秋祭りが行われた。
氏神さんは三峰山。
酒蔵、西之門の広い駐車場のわきに、ぽつんと建っている。
西之門町は世帯が14軒のちいさな町で、それが好い。
住み着いて商売を始めたり、
家業を継ぎに戻ってきた、若いかたがたと、
古くからのお年寄りとの距離が近く、まとまりがある。
季節の折々にいろんな行事をおこなって、
町の気配にメリハリをつけている。
ナノグラフィカの畳のカフェで、ビールを飲んでくつろいだり、
布団屋の箱山さんに、布団を作ってもらったり、
パスタとワインのこまつやさんでは、
酔っぱらってばかりいる。
なにかと世話になっているから、
氏神さんにも、お礼を述べなければいけないのだった。
夕方、半被を着てうかがえば、
氏神さんの前に祭壇が施され、神輿が鎮座している。
さあ、始めようというそのときに、空からいきなり降ってきて、
おもたい色の雨雲がうらめしい。
神主さんに祝詞をあげてもらい、雨の中を担ぎ出す。
通りを下りたらUターンして、上がっていく。
つよくなったりよわくなったり、降りつづく雨の中、
のんびりと、一軒一軒、木遣りをおさめながら、
さいごのこまつやさんまで終えたのだった。
濡れた体を拭いて、ナノグラフィカの宴の席に落ちつけば、
じきにちゃぶ台に、至れり尽くせりの料理が並ぶ。
ご苦労様と酌み合えば、神輿のあとの酒が旨い。
ちいさな町の和やかな祭りを、
楽しませてもらったのだった。

秋の気配が増してきた。
8月末から、善光寺のまわりの町で、秋祭りが始まっている。
早朝、おじいさんたちが提灯を掲げて、
氏神さんの掃除をする姿を見かけるようになり、
夜は神輿の担ぎ手のかけ声が、町なかにひびく。
9月1日、となりの西之門町の秋祭りが行われた。
氏神さんは三峰山。
酒蔵、西之門の広い駐車場のわきに、ぽつんと建っている。
西之門町は世帯が14軒のちいさな町で、それが好い。
住み着いて商売を始めたり、
家業を継ぎに戻ってきた、若いかたがたと、
古くからのお年寄りとの距離が近く、まとまりがある。
季節の折々にいろんな行事をおこなって、
町の気配にメリハリをつけている。
ナノグラフィカの畳のカフェで、ビールを飲んでくつろいだり、
布団屋の箱山さんに、布団を作ってもらったり、
パスタとワインのこまつやさんでは、
酔っぱらってばかりいる。
なにかと世話になっているから、
氏神さんにも、お礼を述べなければいけないのだった。
夕方、半被を着てうかがえば、
氏神さんの前に祭壇が施され、神輿が鎮座している。
さあ、始めようというそのときに、空からいきなり降ってきて、
おもたい色の雨雲がうらめしい。
神主さんに祝詞をあげてもらい、雨の中を担ぎ出す。
通りを下りたらUターンして、上がっていく。
つよくなったりよわくなったり、降りつづく雨の中、
のんびりと、一軒一軒、木遣りをおさめながら、
さいごのこまつやさんまで終えたのだった。
濡れた体を拭いて、ナノグラフィカの宴の席に落ちつけば、
じきにちゃぶ台に、至れり尽くせりの料理が並ぶ。
ご苦労様と酌み合えば、神輿のあとの酒が旨い。
ちいさな町の和やかな祭りを、
楽しませてもらったのだった。
町をぶらぶら
長月 1
休日になると、カメラをぶら下げてあちこちを徘徊している。
すっかり馴染みの近所の町に、ときどき出かける気に入りの町に、
新たな景色に目が留まるのは、癒されることだった。
写真が趣味の友だちが松本へ行ってきたという。
松本市美術館で開かれている、
篠山紀信の写真展に行ってきたのだった。
そそられて、9月になったら足を運ぼうと思ったのに、
よくよく調べたら、月曜日が休館日で、
こちらの休日とかち合っていけない。
最終日の、10月12日の祝日の月曜日は開いているというから、
忘れぬように予定に入れた。
そういえば、松本には久しく出かけていなかった。
さいごに行ったのは5年前だったか。
女鳥羽川沿いの、
愛想がわるくて、値段が高くて、たいしてうまくもない蕎麦屋で、
不味い酒を酌み、
夕方は、市街地から離れた畑の中の飲み屋で、
旨い酒を酌んだのをおぼえている。
ゆっくり蔵づくりの町なかを歩こうと思うのだった。
この頃、中央通りの門前ぷらざで、
老舗の写真屋主催の写真展が開かれている。
フジフイルムのカメラの愛好者による写真展で、
おなじ愛好者だから足を運んでみた。
会場で作品を眺めているのはおじいさんばかりで、
聞こえてくる会話から、出品しているかたもいるとわかる。
古い店と付き合いの長い、
古いかたがたの作品が並ぶのだった。
見覚えのある門前の景色に、
行くことのない海のかなたの景色に、
赤や黄色の花々に、深い表情の女性。
眺めていくと、鮮やかな色合いで、
メリハリを利かせた作品が多い。
フィルムの頃からシャッターを押してきたかたの目線は、
新鮮な発見があり、上手だなあと感心しながらひとまわりした。
作品の下には使った機材が書いてあり、
どなたも、いちばん上等なカメラとレンズを使っている。
500円玉貯金で手が届くのは、まだまだ先の話だった。
夕方、さっとひと雨降って風が涼しくなる。
夏過ぎて、秋の景色をむかえることとなる。

休日になると、カメラをぶら下げてあちこちを徘徊している。
すっかり馴染みの近所の町に、ときどき出かける気に入りの町に、
新たな景色に目が留まるのは、癒されることだった。
写真が趣味の友だちが松本へ行ってきたという。
松本市美術館で開かれている、
篠山紀信の写真展に行ってきたのだった。
そそられて、9月になったら足を運ぼうと思ったのに、
よくよく調べたら、月曜日が休館日で、
こちらの休日とかち合っていけない。
最終日の、10月12日の祝日の月曜日は開いているというから、
忘れぬように予定に入れた。
そういえば、松本には久しく出かけていなかった。
さいごに行ったのは5年前だったか。
女鳥羽川沿いの、
愛想がわるくて、値段が高くて、たいしてうまくもない蕎麦屋で、
不味い酒を酌み、
夕方は、市街地から離れた畑の中の飲み屋で、
旨い酒を酌んだのをおぼえている。
ゆっくり蔵づくりの町なかを歩こうと思うのだった。
この頃、中央通りの門前ぷらざで、
老舗の写真屋主催の写真展が開かれている。
フジフイルムのカメラの愛好者による写真展で、
おなじ愛好者だから足を運んでみた。
会場で作品を眺めているのはおじいさんばかりで、
聞こえてくる会話から、出品しているかたもいるとわかる。
古い店と付き合いの長い、
古いかたがたの作品が並ぶのだった。
見覚えのある門前の景色に、
行くことのない海のかなたの景色に、
赤や黄色の花々に、深い表情の女性。
眺めていくと、鮮やかな色合いで、
メリハリを利かせた作品が多い。
フィルムの頃からシャッターを押してきたかたの目線は、
新鮮な発見があり、上手だなあと感心しながらひとまわりした。
作品の下には使った機材が書いてあり、
どなたも、いちばん上等なカメラとレンズを使っている。
500円玉貯金で手が届くのは、まだまだ先の話だった。
夕方、さっとひと雨降って風が涼しくなる。
夏過ぎて、秋の景色をむかえることとなる。