ノルディックウォーキングなんぞを。
皐月 4
以前、健康維持のため、
ときどき、10キロほど走ったり歩いたりしていた。
北へ上がって、徳間のデーツーまで。
南へ下がって、丹波島橋のむこうまで。
誰かに話すたびに、それよりも酒を控えたほうが
よほど体のために良いと、だらしのないヨッパは、
いつも混ぜ返されていたのだった。
昨年、縁あって知り合った整体師のみっちゃんに、
ノルディックウォーキングを勧められた。
ふつうに歩いたり走ったりするよりも、
両手のポールを突いて歩くのは、
全身の筋肉を使い、おまけに肩甲骨が引きしまって、
姿勢が良くなるという。
万年猫背の身には、それはありがたいことだった。
さっそくポールを取り寄せて、
いつものように、10キロてくてく歩いてみた。
翌朝目を覚ましたら、
体が岩のように重くて動けない。
予想以上に、体に負荷がかかってしまったのだった。
ようやく布団から這い出たものの、
体中がミリンミリンとこわばって、
疲労困ぱいのありさまだった。
それから、
距離を3キロ、4キロに縮めてつづけている。
それでも歩いた翌日は重さが残り、
寄る年波を、ひしひしと感じるしまつだった。
整骨院を営む友だちがいる。
昨年、その治療室の片すみに、
なにやら白くて頑丈そうな箱が据え付けられた。
これはなにかと尋ねたら、
高気圧の酸素を浴びる機械だという。
扉を開けると、1,5畳ほどのスペースにマットが敷いてあり、
エアコンにテレビまで付いている。
疲労回復に、けがや病気の快復、そして、
二日酔いにも効くんだよとにっこり説明された。
いつも治療に訪ねても、横目で眺めるだけだった。
ノルディックウォーキングの翌日、
思い出して、体験させてもらった。
1,4気圧の酸素の中で50分。
テレビを観てもスマホをいじってもかまわないという。
ごろりと横になってうとうとしていたら、
あっという間に時間がすぎた。
扉を開けて出てみると、
あれまあ、さっきまでの疲れはどこへやら、
うそのように体が軽い。
おまけに、頭も視界もすっきりはっきり冴えている。
これすごいねえ、よくよく効果のほどに感嘆したら、
二日酔いにも効くからね。
にっこりと、ふたたび念を押されてしまったのだった。

以前、健康維持のため、
ときどき、10キロほど走ったり歩いたりしていた。
北へ上がって、徳間のデーツーまで。
南へ下がって、丹波島橋のむこうまで。
誰かに話すたびに、それよりも酒を控えたほうが
よほど体のために良いと、だらしのないヨッパは、
いつも混ぜ返されていたのだった。
昨年、縁あって知り合った整体師のみっちゃんに、
ノルディックウォーキングを勧められた。
ふつうに歩いたり走ったりするよりも、
両手のポールを突いて歩くのは、
全身の筋肉を使い、おまけに肩甲骨が引きしまって、
姿勢が良くなるという。
万年猫背の身には、それはありがたいことだった。
さっそくポールを取り寄せて、
いつものように、10キロてくてく歩いてみた。
翌朝目を覚ましたら、
体が岩のように重くて動けない。
予想以上に、体に負荷がかかってしまったのだった。
ようやく布団から這い出たものの、
体中がミリンミリンとこわばって、
疲労困ぱいのありさまだった。
それから、
距離を3キロ、4キロに縮めてつづけている。
それでも歩いた翌日は重さが残り、
寄る年波を、ひしひしと感じるしまつだった。
整骨院を営む友だちがいる。
昨年、その治療室の片すみに、
なにやら白くて頑丈そうな箱が据え付けられた。
これはなにかと尋ねたら、
高気圧の酸素を浴びる機械だという。
扉を開けると、1,5畳ほどのスペースにマットが敷いてあり、
エアコンにテレビまで付いている。
疲労回復に、けがや病気の快復、そして、
二日酔いにも効くんだよとにっこり説明された。
いつも治療に訪ねても、横目で眺めるだけだった。
ノルディックウォーキングの翌日、
思い出して、体験させてもらった。
1,4気圧の酸素の中で50分。
テレビを観てもスマホをいじってもかまわないという。
ごろりと横になってうとうとしていたら、
あっという間に時間がすぎた。
扉を開けて出てみると、
あれまあ、さっきまでの疲れはどこへやら、
うそのように体が軽い。
おまけに、頭も視界もすっきりはっきり冴えている。
これすごいねえ、よくよく効果のほどに感嘆したら、
二日酔いにも効くからね。
にっこりと、ふたたび念を押されてしまったのだった。
この先の行方が
皐月 3
気がつけば、
駐車場のつるばらの、
白い花が咲いていた。
玄関先のガマズミも、
日ごと、ちいさな白い花が膨らんでいる。
氏神さんの大木や、善光寺を囲む木々も、
新緑のときから鮮やかに、緑が増している。
コロナコロナと、
コロナばかりに気をとられて、
今年は季節の移ろいが早い。
外出を控えろとの呼びかけで、
善光寺門前から、観光客が絶えて久しい。
車の量も少なくなって、
まことに、しずかなときが続いている。
騒がしいのは苦手だから、正直、
町がしずかなのは好ましいことだった。
うぐいすの鳴き声も、善光寺の鐘の音も、
ことさらすがすがしく聞こえてくる。
しかし、
まわりで商いをしているかたがたは、
そんなのんきなことは言っていられない。
商売にならず、
土産物屋に蕎麦屋、休業しているところが
いくつもあるのだった。
休日の昼どき、近所の蕎麦屋へ出かけた。
お客のいない店内で、
枝豆ともつ煮で、
生ビールを2杯。
ふきの煮物で,お銚子を2本。
さっぱりとつめたいもりで締めて、
ゆっくりと、そば湯でおなかを落ちつかせて、
お勘定お願いしますのその間、
ひとりもお客が来なかった。
商売やめたくなるよ~~。
ご主人の愚痴りたい気持ちが、
よくわかるのだった。
飲み屋も休業する店が相次ぐなか、
長野駅前の馴染みの店は、
変わらず営業していた。
席の間をあけて、5人を過ぎたら入れぬよう、
気を使っていた。
週にいちど顔を出せば、
ぽつっと、常連さんがひとりか二人、
だれもこない日も何度もあるという。
先日、入り口の黒板に、
元気に美味しい酒を飲みましょうと
書いたら、
帰るときには、
だれかにすっかり消されていたという。
飲みにいくのが犯罪みたいだねえと
ちんやりしてしまったのだった。
緊急事態宣言が解除になって、
ようやく再開する店も出てきた。
週末、通りを下りて行けば、
そうはいってもまだまだ人の姿がない。
再開なった、馴染みの店の階段を上がれば,
先客がひと組みあってほっとする。
困るのは、外出を控えた暮らしが、
この先も当たり前になってしまうことだった。
お客さん、戻ってきますかねえ。
ご主人の、いぶかる台詞を聞きながら、
ビールのグラスを傾けたのだった。

気がつけば、
駐車場のつるばらの、
白い花が咲いていた。
玄関先のガマズミも、
日ごと、ちいさな白い花が膨らんでいる。
氏神さんの大木や、善光寺を囲む木々も、
新緑のときから鮮やかに、緑が増している。
コロナコロナと、
コロナばかりに気をとられて、
今年は季節の移ろいが早い。
外出を控えろとの呼びかけで、
善光寺門前から、観光客が絶えて久しい。
車の量も少なくなって、
まことに、しずかなときが続いている。
騒がしいのは苦手だから、正直、
町がしずかなのは好ましいことだった。
うぐいすの鳴き声も、善光寺の鐘の音も、
ことさらすがすがしく聞こえてくる。
しかし、
まわりで商いをしているかたがたは、
そんなのんきなことは言っていられない。
商売にならず、
土産物屋に蕎麦屋、休業しているところが
いくつもあるのだった。
休日の昼どき、近所の蕎麦屋へ出かけた。
お客のいない店内で、
枝豆ともつ煮で、
生ビールを2杯。
ふきの煮物で,お銚子を2本。
さっぱりとつめたいもりで締めて、
ゆっくりと、そば湯でおなかを落ちつかせて、
お勘定お願いしますのその間、
ひとりもお客が来なかった。
商売やめたくなるよ~~。
ご主人の愚痴りたい気持ちが、
よくわかるのだった。
飲み屋も休業する店が相次ぐなか、
長野駅前の馴染みの店は、
変わらず営業していた。
席の間をあけて、5人を過ぎたら入れぬよう、
気を使っていた。
週にいちど顔を出せば、
ぽつっと、常連さんがひとりか二人、
だれもこない日も何度もあるという。
先日、入り口の黒板に、
元気に美味しい酒を飲みましょうと
書いたら、
帰るときには、
だれかにすっかり消されていたという。
飲みにいくのが犯罪みたいだねえと
ちんやりしてしまったのだった。
緊急事態宣言が解除になって、
ようやく再開する店も出てきた。
週末、通りを下りて行けば、
そうはいってもまだまだ人の姿がない。
再開なった、馴染みの店の階段を上がれば,
先客がひと組みあってほっとする。
困るのは、外出を控えた暮らしが、
この先も当たり前になってしまうことだった。
お客さん、戻ってきますかねえ。
ご主人の、いぶかる台詞を聞きながら、
ビールのグラスを傾けたのだった。
運動公園で
皐月 2
このところ善光寺界隈に、
ランニングをしている人が増えた。
コロナ騒ぎの外出自粛の中、
みなさん運動不足の解消に
励んでいるのだった
細身の体で軽快に駆けてゆくお兄さんに、
のんびりと、おしゃべりをしながら
走っているおばちゃんたち、
年配のおじさんや、中学生や高校生の、
子供たちの姿も見かける。
華奢な体つきの、きれいな女性が走ってくると、
思わず、うしろ姿を目で追ってしまうのだった。
毎朝、仕事場の前を走っていくおじさんは、
ぴっちりとした黒いウェアに身を包み、
大きなおなかをたっぷんたっぷん揺らしながら、
あごを突きだして、
ぜいぜいと、ようやくの足取りで過ぎていく。
見かけるたびに、お水を手渡したくなってしまう。
休日、母のかかりつけの耳鼻科で、
薬をもらった帰り道、
東和田の運動公園に立ち寄った。
入り口の赤い看板には、5月15日まで。
陸上競技場に体育館に野球場にプール、
すべての施設が、立ち入り禁止と書いてある。
陸上競技場のサブトラックに行くと、
立ち入り禁止を意に介さず、
白髪頭のおじさんが、
せっせとトラックをまわっていた。
高校生のときに、陸上部に入っていた。
学校の狭いグラウンドは、放課後になると
野球部に占領されるから、
毎日ここまで来ては、トラックを
駆けまわっていたのだった。
今でも、こうして芝生の匂いに触れると、
仲間と一緒に汗を流していた日がなつかしい。
犬を連れたおばさんや、ちいさな子供連れの
お母さんとすれちがいながら、
ひとまわり歩けば、
まわりを囲む木々の緑がまぶしい。
朝からさっぱりと晴れた日で、
真っ青な空が広がっている。
あの頃は、ここの空がこんなに広いなんて、
見入ることもなかった。
ただただ走りまわっていたんだった。
吹く風も肌に心地よく、
ひととき、清々とした気分に
浸れたのだった。

このところ善光寺界隈に、
ランニングをしている人が増えた。
コロナ騒ぎの外出自粛の中、
みなさん運動不足の解消に
励んでいるのだった
細身の体で軽快に駆けてゆくお兄さんに、
のんびりと、おしゃべりをしながら
走っているおばちゃんたち、
年配のおじさんや、中学生や高校生の、
子供たちの姿も見かける。
華奢な体つきの、きれいな女性が走ってくると、
思わず、うしろ姿を目で追ってしまうのだった。
毎朝、仕事場の前を走っていくおじさんは、
ぴっちりとした黒いウェアに身を包み、
大きなおなかをたっぷんたっぷん揺らしながら、
あごを突きだして、
ぜいぜいと、ようやくの足取りで過ぎていく。
見かけるたびに、お水を手渡したくなってしまう。
休日、母のかかりつけの耳鼻科で、
薬をもらった帰り道、
東和田の運動公園に立ち寄った。
入り口の赤い看板には、5月15日まで。
陸上競技場に体育館に野球場にプール、
すべての施設が、立ち入り禁止と書いてある。
陸上競技場のサブトラックに行くと、
立ち入り禁止を意に介さず、
白髪頭のおじさんが、
せっせとトラックをまわっていた。
高校生のときに、陸上部に入っていた。
学校の狭いグラウンドは、放課後になると
野球部に占領されるから、
毎日ここまで来ては、トラックを
駆けまわっていたのだった。
今でも、こうして芝生の匂いに触れると、
仲間と一緒に汗を流していた日がなつかしい。
犬を連れたおばさんや、ちいさな子供連れの
お母さんとすれちがいながら、
ひとまわり歩けば、
まわりを囲む木々の緑がまぶしい。
朝からさっぱりと晴れた日で、
真っ青な空が広がっている。
あの頃は、ここの空がこんなに広いなんて、
見入ることもなかった。
ただただ走りまわっていたんだった。
吹く風も肌に心地よく、
ひととき、清々とした気分に
浸れたのだった。
新緑の季節へ
皐月 1
向かいのお宅のツタの葉が、
日ごとつやつやと茂っている。
新緑の季節を迎えたというのに、
まだまだコロナ騒ぎが収まらないのだった。
信濃毎日新聞を広げると、
建設標という、読者の投稿欄がある。
じいさんばあさんの達者な意見の下には、
子供たちの投稿も載っている。
部活をがんばりたい、勉強をがんばりたい、
自立した生活をしたい、
毎回前を向く意見が寄せられている。
それなのに、今だ学校再開のめどがたたず、
読むたびに切なくなってしまう。
みんなが外出を控えて、
町も,景気のわるい日がつづく。
休日、昼酒をたしなみに近所の蕎麦屋へ
出かけた。
枝豆でビールを飲んで、
こごみの胡麻和えとセリのお浸しで
お銚子を2本。
もりで締めて会計をするまでに、
近所のじいさんがひとり来ただけだった。
我が身もお客さん相手の仕事をしている。
口のわるい友だちに、
お前のところはもともと暇だから、
たいした影響はないだろうと言われた。
返す言葉もないと苦笑いを浮かべていたら、
さにあらず、こんな場末の店にもひびいてきて、
輪をかけて、暇になってしまった。
それでも、なんとかいつもの暮らしができたのは、
この4月、どこの飲み屋も休業になり、
飲み代を使うことがなかったからだった。
その分を、暮らしに回せたのだった。
いかに夜ごとの散財が大きかったかと、
よくよく反省をしてしまった。
朝、整骨院を営む友だちからラインが来た。
同業者がコロナに感染した。
それに伴い、しばらく休業するという。
持病の腰痛を、
我慢しなければいけないこととなり、
考えただけで、痛みが増してくるのだった。

向かいのお宅のツタの葉が、
日ごとつやつやと茂っている。
新緑の季節を迎えたというのに、
まだまだコロナ騒ぎが収まらないのだった。
信濃毎日新聞を広げると、
建設標という、読者の投稿欄がある。
じいさんばあさんの達者な意見の下には、
子供たちの投稿も載っている。
部活をがんばりたい、勉強をがんばりたい、
自立した生活をしたい、
毎回前を向く意見が寄せられている。
それなのに、今だ学校再開のめどがたたず、
読むたびに切なくなってしまう。
みんなが外出を控えて、
町も,景気のわるい日がつづく。
休日、昼酒をたしなみに近所の蕎麦屋へ
出かけた。
枝豆でビールを飲んで、
こごみの胡麻和えとセリのお浸しで
お銚子を2本。
もりで締めて会計をするまでに、
近所のじいさんがひとり来ただけだった。
我が身もお客さん相手の仕事をしている。
口のわるい友だちに、
お前のところはもともと暇だから、
たいした影響はないだろうと言われた。
返す言葉もないと苦笑いを浮かべていたら、
さにあらず、こんな場末の店にもひびいてきて、
輪をかけて、暇になってしまった。
それでも、なんとかいつもの暮らしができたのは、
この4月、どこの飲み屋も休業になり、
飲み代を使うことがなかったからだった。
その分を、暮らしに回せたのだった。
いかに夜ごとの散財が大きかったかと、
よくよく反省をしてしまった。
朝、整骨院を営む友だちからラインが来た。
同業者がコロナに感染した。
それに伴い、しばらく休業するという。
持病の腰痛を、
我慢しなければいけないこととなり、
考えただけで、痛みが増してくるのだった。