ふるい車を
水無月 九
近所に住んでいる友だちがいる。
朝、自宅の前を通ったら、見慣れぬ車が停まっていた。
また新しいおもちゃを買いましたなと察しがついた。
古いバイクや車が好きで、
ときどき物欲に負けては手を出している。
買って三日で動かなくなったり、
走っている最中に部品が落ちたりと、
痛い目にあっても懲りない。
次の日の昼下がり、
近くの四つ角からおもい音が聞こえてきた。
もしかしたらと出てみれば、案の定、
買ったばかりの車に乗ってやって来て、
ぼこぼこにぎやかな排気音が、路地いっぱいにひびく。
白黒ツートンのカローラ・レビンは、
発売された当時、人気があったと覚えている。
ボンネットをカーボン製にして、
トランクにはでかい羽根がついている。
補強のためのロールバーが、後ろの座席を占領して、
あしまわりを替え、エンジンも載せ替えている。
長野市に在る、有名な専門店で買ったという。
イニシャルDで人気に火が付いた、
姉妹車のスプリンター・トレノに比べると、
幾分安く買えたのはありがたいことだったという。
車に疎い奥さんに、パトカーみたいだと言われ、
近所のやくざには、暴走族ですかと聞かれたという。
街なかを走るとみんなの視線を感じるといい、
この音と外観ならねえと合点がいく。
あちこちいじってあっても、年代の古さは否めない。
信号待ちのダッシュでは、
あっさりプリウスに置いていかれるといい、
電気の力はすごいと感心をしている。
それでも古い車には、今の車にはない味がある。
故障しないといいねえと眺めた。
百二十万円で買ったのに、
奥さんには二十万円で買ったと嘘をついた。
男の道楽に、身内をだますことは欠かせない。
黙っていてやるから、
ビールをおごれと言いたいのだった。

近所に住んでいる友だちがいる。
朝、自宅の前を通ったら、見慣れぬ車が停まっていた。
また新しいおもちゃを買いましたなと察しがついた。
古いバイクや車が好きで、
ときどき物欲に負けては手を出している。
買って三日で動かなくなったり、
走っている最中に部品が落ちたりと、
痛い目にあっても懲りない。
次の日の昼下がり、
近くの四つ角からおもい音が聞こえてきた。
もしかしたらと出てみれば、案の定、
買ったばかりの車に乗ってやって来て、
ぼこぼこにぎやかな排気音が、路地いっぱいにひびく。
白黒ツートンのカローラ・レビンは、
発売された当時、人気があったと覚えている。
ボンネットをカーボン製にして、
トランクにはでかい羽根がついている。
補強のためのロールバーが、後ろの座席を占領して、
あしまわりを替え、エンジンも載せ替えている。
長野市に在る、有名な専門店で買ったという。
イニシャルDで人気に火が付いた、
姉妹車のスプリンター・トレノに比べると、
幾分安く買えたのはありがたいことだったという。
車に疎い奥さんに、パトカーみたいだと言われ、
近所のやくざには、暴走族ですかと聞かれたという。
街なかを走るとみんなの視線を感じるといい、
この音と外観ならねえと合点がいく。
あちこちいじってあっても、年代の古さは否めない。
信号待ちのダッシュでは、
あっさりプリウスに置いていかれるといい、
電気の力はすごいと感心をしている。
それでも古い車には、今の車にはない味がある。
故障しないといいねえと眺めた。
百二十万円で買ったのに、
奥さんには二十万円で買ったと嘘をついた。
男の道楽に、身内をだますことは欠かせない。
黙っていてやるから、
ビールをおごれと言いたいのだった。
乗り過ごし注意
水無月 八
ときどき訪ねてくるかたがいる。
椅子に座るなり、
酒で失敗したことはあるかと聞いてきたから、
数かぎりなくと返事をした。
そんなことを聞いてくるのはめずらしい。
なにかあったのですかと尋ねたら、
息子がねえと話しだす。
息子さん夫婦が鎌倉に住んでいる。
息子さんは、毎日電車に乗って、東京まで通勤をしている。
先日仕事のあと、上司に誘われて飲み屋に行ったという。
酔っぱらって、帰りの電車の中で寝てしまい、
逗子まで乗り過ごしてしまった。
仕方なく上がりの電車で戻ったら、また寝てしまい、
こんどは横浜まで行ってしまった。
お嫁さんが電話をかけてきて、
おかあさんからも説教してくださいと言われたと、
しぶい顔をするのだった。
親子は変なところばかり似るといい、
旦那さんも若いころ、おなじことをしていたという。
東京で飲んだ帰り、長野を通り越して
金沢まで行ってしまったこともあったといい、
さすがにそのときは、あきれて怒る気力も失せたという。
こういう話を聞くたびに、同胞ですと親近感がわく。
電車を乗り過ごして、
二十キロの道のりを歩いて帰ったことがある。
終電を逃して、駅のベンチでひと晩明かしたこともある。
自身も含めて、身のまわりに、
おなじしくじりをしたかたが何人かいます。
けがをしたり、
ひと様に迷惑をかけていないだけましですと慰めた。
ときどき遠くの町で酌み交わすことがある。
しなの鉄道は長野が終点でも、
そのまま折り返しの上がりの電車になるから
気を付けなくてはいけない。
酔ってひとりで帰ってくるときは、
新幹線を使うようにしている。
長野駅が終点だから乗り過ごす心配がない。
ところが北陸新幹線が開通すれば、
終点が金沢駅になる。
気がついたら金沢、そんなことにならぬよう、
よくよく戒めなくてはいけないのだった。

ときどき訪ねてくるかたがいる。
椅子に座るなり、
酒で失敗したことはあるかと聞いてきたから、
数かぎりなくと返事をした。
そんなことを聞いてくるのはめずらしい。
なにかあったのですかと尋ねたら、
息子がねえと話しだす。
息子さん夫婦が鎌倉に住んでいる。
息子さんは、毎日電車に乗って、東京まで通勤をしている。
先日仕事のあと、上司に誘われて飲み屋に行ったという。
酔っぱらって、帰りの電車の中で寝てしまい、
逗子まで乗り過ごしてしまった。
仕方なく上がりの電車で戻ったら、また寝てしまい、
こんどは横浜まで行ってしまった。
お嫁さんが電話をかけてきて、
おかあさんからも説教してくださいと言われたと、
しぶい顔をするのだった。
親子は変なところばかり似るといい、
旦那さんも若いころ、おなじことをしていたという。
東京で飲んだ帰り、長野を通り越して
金沢まで行ってしまったこともあったといい、
さすがにそのときは、あきれて怒る気力も失せたという。
こういう話を聞くたびに、同胞ですと親近感がわく。
電車を乗り過ごして、
二十キロの道のりを歩いて帰ったことがある。
終電を逃して、駅のベンチでひと晩明かしたこともある。
自身も含めて、身のまわりに、
おなじしくじりをしたかたが何人かいます。
けがをしたり、
ひと様に迷惑をかけていないだけましですと慰めた。
ときどき遠くの町で酌み交わすことがある。
しなの鉄道は長野が終点でも、
そのまま折り返しの上がりの電車になるから
気を付けなくてはいけない。
酔ってひとりで帰ってくるときは、
新幹線を使うようにしている。
長野駅が終点だから乗り過ごす心配がない。
ところが北陸新幹線が開通すれば、
終点が金沢駅になる。
気がついたら金沢、そんなことにならぬよう、
よくよく戒めなくてはいけないのだった。

横浜へ
水無月 七
横浜へ出かけた。
亡くなったおばさんの、三回忌の法事があったのだった。
菩提寺で、ひさしぶりの親戚のかたがたと挨拶を交わす。
本堂で、住職のお経を聞きながら焼香をして、
墓に手を合わせた。
中華街の料理屋で旨い料理をごちそうになり、
桜木町のホテルへむかう。
部屋に荷物を置いてから、ひとまわり散歩に出た。
大学生活の四年間を横浜ですごしていた。
おばさんのお宅で世話になりながら、
鶴見区の高台にある、ちいさな学校に通っていた。
学校自体は楽しくなかったものの、
初めての都会暮らしが新鮮で、
街をぶらつき歩いていた。
おしゃれな店の並ぶ元町あたりを歩いても、
金のない貧乏学生は、買い物をする機会もない。
伊勢佐木町の有隣堂で、
ときどき本を買うぐらいの毎日だった。
なにもなかった桜木町で、
みなとみらい21の工事が始まったころだった。
三菱ドックの跡地で、
ブルドーザーやトラックが盛んに働いていたのが、
電車の窓から見えたのを覚えている。
あれから三十年、
港を見下ろせる高いホテルが並び、
美術館やデパートも出来た。
街路樹の並ぶ広い通りを行けば、
遊園地から子供たちのにぎやかな声が聞こえ、
海沿いの公園では、
親子連れやカップルがくつろいでいる。
赤レンガ倉庫にはたくさんの店が入り、
観光客でにぎわっていた。
すっかりきれいになった街なみを歩きながら、
中途半端な気持ちですごしていた
若いときを思いだした。
今もあまり変わっていないのは、情けないことだった。

横浜へ出かけた。
亡くなったおばさんの、三回忌の法事があったのだった。
菩提寺で、ひさしぶりの親戚のかたがたと挨拶を交わす。
本堂で、住職のお経を聞きながら焼香をして、
墓に手を合わせた。
中華街の料理屋で旨い料理をごちそうになり、
桜木町のホテルへむかう。
部屋に荷物を置いてから、ひとまわり散歩に出た。
大学生活の四年間を横浜ですごしていた。
おばさんのお宅で世話になりながら、
鶴見区の高台にある、ちいさな学校に通っていた。
学校自体は楽しくなかったものの、
初めての都会暮らしが新鮮で、
街をぶらつき歩いていた。
おしゃれな店の並ぶ元町あたりを歩いても、
金のない貧乏学生は、買い物をする機会もない。
伊勢佐木町の有隣堂で、
ときどき本を買うぐらいの毎日だった。
なにもなかった桜木町で、
みなとみらい21の工事が始まったころだった。
三菱ドックの跡地で、
ブルドーザーやトラックが盛んに働いていたのが、
電車の窓から見えたのを覚えている。
あれから三十年、
港を見下ろせる高いホテルが並び、
美術館やデパートも出来た。
街路樹の並ぶ広い通りを行けば、
遊園地から子供たちのにぎやかな声が聞こえ、
海沿いの公園では、
親子連れやカップルがくつろいでいる。
赤レンガ倉庫にはたくさんの店が入り、
観光客でにぎわっていた。
すっかりきれいになった街なみを歩きながら、
中途半端な気持ちですごしていた
若いときを思いだした。
今もあまり変わっていないのは、情けないことだった。
黒姫山の町
水無月 六
この頃、パソコンに向き合うことが多い。
画面を凝視していると、目が疲れ、首と肩と背中が凝って、
しまいには気持ちがわるくなってくる。
わずかな時間でこの始末なのだから、
一日仕事で向き合っているかたは、
さぞかし大変なことと思う。
夕方仕事を終えたあと、近所の整体院へ出かけた。
おなじ歳のご主人が営んでいて、
肩こりの身に、近所に開業してくれたのは
ありがたいことだった。
目と体の凝りをほぐしてもらい、
翌朝はすっきりと目が覚めた。
整体院の奥さんにわらびをいただいた。
黒姫山のそびえる、信濃町に実家があるという。
たくさん採れたからと分けていただいたのだった。
信濃町には親近感がある。
以前所帯を持っていたときの、
連れ合いの実家があるのだった。
お義父さんとお義母さんが畑で野菜を作っていて、
うかがうたびに、季節の恵みをたくさんもらっていた。
畑に立てば、飯綱山と黒姫山が目の前に広がり、
爽やかな風の中、緑の景色を眺めながらビールを飲む。
離婚をして、
ぜいたくなひとときも失ったのは、今でも惜しい。
それでもいまだ縁がある。
世話になっている酒屋さんは、
信濃町の古間の商店街にある。
長野の飲み屋へ配達に来る折に、
ときどき好みの酒を届けてもらう。
そろそろまた、澤屋まつもとを注文しなければいけない。
お盆には、亡くなったお義父さんの墓参りに行く。
川の流れる林のそばに墓地があり、
毎年しずかに手を合わせている。
手を合わせるたびに、
寡黙で穏やかな人柄を思いだす。
信濃町では、
ぼたごしょうという、辛みの効いた青野菜が採れる。
豚肉といっしょに炒めてつまみにすると、
ビールがぐいぐいとすすむ。
離婚してからすっかりご無沙汰になっていたら、
整体院の奥さんが、たくさん採れたら持ってきてくれると、
うれしいことを言ってくれた。
夏の楽しみがひとつ増えたのは、なによりのことだった。

この頃、パソコンに向き合うことが多い。
画面を凝視していると、目が疲れ、首と肩と背中が凝って、
しまいには気持ちがわるくなってくる。
わずかな時間でこの始末なのだから、
一日仕事で向き合っているかたは、
さぞかし大変なことと思う。
夕方仕事を終えたあと、近所の整体院へ出かけた。
おなじ歳のご主人が営んでいて、
肩こりの身に、近所に開業してくれたのは
ありがたいことだった。
目と体の凝りをほぐしてもらい、
翌朝はすっきりと目が覚めた。
整体院の奥さんにわらびをいただいた。
黒姫山のそびえる、信濃町に実家があるという。
たくさん採れたからと分けていただいたのだった。
信濃町には親近感がある。
以前所帯を持っていたときの、
連れ合いの実家があるのだった。
お義父さんとお義母さんが畑で野菜を作っていて、
うかがうたびに、季節の恵みをたくさんもらっていた。
畑に立てば、飯綱山と黒姫山が目の前に広がり、
爽やかな風の中、緑の景色を眺めながらビールを飲む。
離婚をして、
ぜいたくなひとときも失ったのは、今でも惜しい。
それでもいまだ縁がある。
世話になっている酒屋さんは、
信濃町の古間の商店街にある。
長野の飲み屋へ配達に来る折に、
ときどき好みの酒を届けてもらう。
そろそろまた、澤屋まつもとを注文しなければいけない。
お盆には、亡くなったお義父さんの墓参りに行く。
川の流れる林のそばに墓地があり、
毎年しずかに手を合わせている。
手を合わせるたびに、
寡黙で穏やかな人柄を思いだす。
信濃町では、
ぼたごしょうという、辛みの効いた青野菜が採れる。
豚肉といっしょに炒めてつまみにすると、
ビールがぐいぐいとすすむ。
離婚してからすっかりご無沙汰になっていたら、
整体院の奥さんが、たくさん採れたら持ってきてくれると、
うれしいことを言ってくれた。
夏の楽しみがひとつ増えたのは、なによりのことだった。

上田にて
水無月 五
上田へ出かけた。
みすゞ飴の飯島商店で買い物を済ませたら、
友だち親子と待ち合わせる。
ひさしぶりに会った友だちは、
すこし横に太くなったように見受けられ、
おかあさんのたくましさが増していた。
この夏三歳になる息子は、
たくさんの台詞をしゃべるようになり、
ほんとに子供の成長ははやい。
路地を行く間も、蟻を見つけたり、川の流れを眺めたり、
花をさわったり、あちこち興味がむいていそがしい。
城跡公園のプールが掃除をされて、
水が入る日もちかい。
利用料は、子供が無料で大人が八十円。
なんとも良心的なことだった。
広場では、若いおかあさんたちが子供を遊ばせている。
このごろは、子供が怪我をするからと、
どこの公園でも遊具を取り払っている。
ここは、鉄棒もぶらんこもジャングルジムも
すべり台もある。そんなところにも、
上田の町のおおらかさがうかがえる。
缶ビールを飲みながら遊び相手をすれば、
慣れないことに息がきれる。ちいさな子を持つ親は、
毎日のこととしているからえらいのだった。
国道沿いのかっぱ寿司で、握りをつまみにビールを飲んで、
ひと気のない通りを戻る。昼寝をするという友だち親子と、
また遊んでねと手を振って別れ、別所へ行く。
あいそめの湯にゆっくり浸かり、
露天風呂から青々とした空を眺めた。
夕方は飲み仲間のかたがたと、上田飲みとなる。
雷門ホールのネオンを眺め、目の前の店に腰を下ろした。
午前の、友だち親子ののどかな時間とうらはらに、
男三人顔つき合わせ、
いくつになってもおちつきがない。
いくつになっても女心がつかめない。
なさけない話で酔ったのだった。

上田へ出かけた。
みすゞ飴の飯島商店で買い物を済ませたら、
友だち親子と待ち合わせる。
ひさしぶりに会った友だちは、
すこし横に太くなったように見受けられ、
おかあさんのたくましさが増していた。
この夏三歳になる息子は、
たくさんの台詞をしゃべるようになり、
ほんとに子供の成長ははやい。
路地を行く間も、蟻を見つけたり、川の流れを眺めたり、
花をさわったり、あちこち興味がむいていそがしい。
城跡公園のプールが掃除をされて、
水が入る日もちかい。
利用料は、子供が無料で大人が八十円。
なんとも良心的なことだった。
広場では、若いおかあさんたちが子供を遊ばせている。
このごろは、子供が怪我をするからと、
どこの公園でも遊具を取り払っている。
ここは、鉄棒もぶらんこもジャングルジムも
すべり台もある。そんなところにも、
上田の町のおおらかさがうかがえる。
缶ビールを飲みながら遊び相手をすれば、
慣れないことに息がきれる。ちいさな子を持つ親は、
毎日のこととしているからえらいのだった。
国道沿いのかっぱ寿司で、握りをつまみにビールを飲んで、
ひと気のない通りを戻る。昼寝をするという友だち親子と、
また遊んでねと手を振って別れ、別所へ行く。
あいそめの湯にゆっくり浸かり、
露天風呂から青々とした空を眺めた。
夕方は飲み仲間のかたがたと、上田飲みとなる。
雷門ホールのネオンを眺め、目の前の店に腰を下ろした。
午前の、友だち親子ののどかな時間とうらはらに、
男三人顔つき合わせ、
いくつになってもおちつきがない。
いくつになっても女心がつかめない。
なさけない話で酔ったのだった。
ふくろうの画をいただいて
水無月 四
母から電話がかかってきた。
荷物を取りに来いというから出向いたら、
額に入った絵を渡された。
先日、呉服屋の展示会に行ったときに、売っていたという。
月・水とふくろうと題された作品は、
石盤に、白いふくろうと細い月が描かれていた。
なんでまたこんなものをと尋ねたら、
ふくろうは幸せを運んでくる鳥という。
おまえには幸せになってもらいたいからねえと、
しみじみと申されるのだった。
すまん、充分幸せなんだがと思ったものの、
しくじりつづきの人生で、ずいぶん心配をかけてきた。
八十歳をすぎた親に、
いまだ気遣いさせるのは申しわけないことだった。
礼をいって、持って帰って茶の間にかけた。
作者は百貫俊夫さんといい、金沢在住のかただった。
昭和十九年生まれで、御年七十歳をむかえる。
友禅染めの作家さんで、
石盤に絵を描くことも生業にしている。
経歴を調べたら、
日展、美術展、工芸展でたくさんの賞をいただいていた。
天皇陛下に作品をお披露目したり、
外国の大統領と対談したり、
薬師寺に作品を奉納したり、たいそうりっぱなかただった。
酔ってつぶれて、腹を出して大いびきでうたた寝をする。
そんな輩の部屋に飾るのは、
ずいぶんと不相応なことと身が縮こまる。
ふくろうは日本中の森にいるものの、
最近は木々の乱伐のせいで、絶滅のおそれもあるという。
夜行性の猛禽類で、昼は眠って夜に動く。
昼間あまり働かず、
陽の暮れるころから活発に動くのはまったく一緒と、
そこだけ妙に親しみが沸くのだった。

母から電話がかかってきた。
荷物を取りに来いというから出向いたら、
額に入った絵を渡された。
先日、呉服屋の展示会に行ったときに、売っていたという。
月・水とふくろうと題された作品は、
石盤に、白いふくろうと細い月が描かれていた。
なんでまたこんなものをと尋ねたら、
ふくろうは幸せを運んでくる鳥という。
おまえには幸せになってもらいたいからねえと、
しみじみと申されるのだった。
すまん、充分幸せなんだがと思ったものの、
しくじりつづきの人生で、ずいぶん心配をかけてきた。
八十歳をすぎた親に、
いまだ気遣いさせるのは申しわけないことだった。
礼をいって、持って帰って茶の間にかけた。
作者は百貫俊夫さんといい、金沢在住のかただった。
昭和十九年生まれで、御年七十歳をむかえる。
友禅染めの作家さんで、
石盤に絵を描くことも生業にしている。
経歴を調べたら、
日展、美術展、工芸展でたくさんの賞をいただいていた。
天皇陛下に作品をお披露目したり、
外国の大統領と対談したり、
薬師寺に作品を奉納したり、たいそうりっぱなかただった。
酔ってつぶれて、腹を出して大いびきでうたた寝をする。
そんな輩の部屋に飾るのは、
ずいぶんと不相応なことと身が縮こまる。
ふくろうは日本中の森にいるものの、
最近は木々の乱伐のせいで、絶滅のおそれもあるという。
夜行性の猛禽類で、昼は眠って夜に動く。
昼間あまり働かず、
陽の暮れるころから活発に動くのはまったく一緒と、
そこだけ妙に親しみが沸くのだった。
駅前を飲み歩いて
水無月 三
日曜日の午後、仕事をさぼって長野駅前へいそぐ。
酒トラップと題したイベントを、
馴染みの飲み屋さんと酒屋さんと酒蔵さんが
開いたのだった。
五軒の店の飲み歩きで、ひとつの店で、
二つの酒蔵さんが酒を振る舞ってくれるという。
全店まわると七合ちかい量を飲むことになり、
相当な気合が必要なのだった。
一軒目のいいださんに行けば、
すでに常連のかたがたが列を成している。
駒ケ根の信濃鶴と、中野の岩清水ではじまりとなった。
二軒目のまんちさんで、
小布施の北信流と信濃町の松尾を利く。
三限目の優羽さんで、飯山の北光正宗と、
千曲の聖山を利くころになると、
気分もほどよく好い酔いになってきた。
四軒目のみちのかさんで、
小布施の豊賀と佐久の澤の花を利き、
五軒目のひ魯ひ魯さんで、
信州新町の十九と篠ノ井の積善を利いて、
全店制覇と相成った。
初めての試みにもかかわらず、
たくさんのお客が訪れて、
盛況だったのはなによりだった。
県外から来たという、飲み屋や酒屋のかたもいて、
来年以降、すこしずつ輪がひろがって、
長野の酒を愛でる人が増えてくれればと思う。
本業のかたわら、
企画を立てて実行するのは大変なことと思う。
携わったかたがたの労をねぎらって、
末々長くつづいてくれればと願いたい。。
そのまま夜まで飲みつづけた翌朝、
同行したかたからメールが来た。
電車を乗り過ごして小諸まで行っちゃいました・・・
それもまたご愛嬌。
昼間の酒はよくよく効くのだった。

日曜日の午後、仕事をさぼって長野駅前へいそぐ。
酒トラップと題したイベントを、
馴染みの飲み屋さんと酒屋さんと酒蔵さんが
開いたのだった。
五軒の店の飲み歩きで、ひとつの店で、
二つの酒蔵さんが酒を振る舞ってくれるという。
全店まわると七合ちかい量を飲むことになり、
相当な気合が必要なのだった。
一軒目のいいださんに行けば、
すでに常連のかたがたが列を成している。
駒ケ根の信濃鶴と、中野の岩清水ではじまりとなった。
二軒目のまんちさんで、
小布施の北信流と信濃町の松尾を利く。
三限目の優羽さんで、飯山の北光正宗と、
千曲の聖山を利くころになると、
気分もほどよく好い酔いになってきた。
四軒目のみちのかさんで、
小布施の豊賀と佐久の澤の花を利き、
五軒目のひ魯ひ魯さんで、
信州新町の十九と篠ノ井の積善を利いて、
全店制覇と相成った。
初めての試みにもかかわらず、
たくさんのお客が訪れて、
盛況だったのはなによりだった。
県外から来たという、飲み屋や酒屋のかたもいて、
来年以降、すこしずつ輪がひろがって、
長野の酒を愛でる人が増えてくれればと思う。
本業のかたわら、
企画を立てて実行するのは大変なことと思う。
携わったかたがたの労をねぎらって、
末々長くつづいてくれればと願いたい。。
そのまま夜まで飲みつづけた翌朝、
同行したかたからメールが来た。
電車を乗り過ごして小諸まで行っちゃいました・・・
それもまたご愛嬌。
昼間の酒はよくよく効くのだった。
金沢へ行こうと
水無月 二
実家へ出かけたら、
母が顔に青あざをこしらえていた。
どうしたのかと尋ねたら、
旅先でころんだと、ばつのわるい顔をする。
呉服屋の招待で、金沢へ行ったのだった。
好物の、中田屋のきんつばを土産に買い求め、
店を出るときにつまずいてころんだという。
幸い打ち身だけで済んだものの、
気をつけておくれと、日ごろ、
酔ってころんでいるのを棚に上げてたしなめた。
金沢には、母のふるい友だちがいる。
東京の、専門学校時代の同級生で、
母より三歳年下だった。若いときは、
長野と金沢を行き来して旧交をあたためていた。
老いて、会う機会がまれになったものの、
電話で話をしたり、金沢の旨い酒や魚が届けば、
蕎麦や林檎を送ったりと、付き合いが絶えない。
金沢に戻って寿司屋の女将になり、
旦那さんと一緒に店を切り盛りしてきた。
豪放磊落、酒が好きで気前が好い。
会えばからから笑いながら、
もっと飲んでえと酒をすすめてくる。
亡くなった旦那さんの法事のときには、
生前贔屓にしていた芸者を呼んで、
胡蝶蘭で埋まった座敷で舞ってもらったという。
ひさしぶりの再会と、ホテルで待ち合わせをしたら、
髪をきっちり結い上げて、白い絣の着物で現れた。
呉服屋の社長が、息をのむほど見事なあつらえで、
母も思わず、のぶちゃんすてきと見惚れたら、
呉服屋さんが来るのに、
へんなかっこうはできんしねえと笑ったという。
時間でうごくツアーの旅行だったから、
長々会っていられない。
母とのわずかなひとときのために手間ひまかけて、
粋なことをと鼻の奥がつんとなった。
菓子処の金沢に暮らしているのに、
長野のみすゞ飴が大好きで、来るたび買っていた。
気遣いに感謝してさっそく送るときめる。
北陸新幹線が開通すれば、距離がぐっと近くなる。
はやばやと、母を連れて行く算段をしているのだった。

実家へ出かけたら、
母が顔に青あざをこしらえていた。
どうしたのかと尋ねたら、
旅先でころんだと、ばつのわるい顔をする。
呉服屋の招待で、金沢へ行ったのだった。
好物の、中田屋のきんつばを土産に買い求め、
店を出るときにつまずいてころんだという。
幸い打ち身だけで済んだものの、
気をつけておくれと、日ごろ、
酔ってころんでいるのを棚に上げてたしなめた。
金沢には、母のふるい友だちがいる。
東京の、専門学校時代の同級生で、
母より三歳年下だった。若いときは、
長野と金沢を行き来して旧交をあたためていた。
老いて、会う機会がまれになったものの、
電話で話をしたり、金沢の旨い酒や魚が届けば、
蕎麦や林檎を送ったりと、付き合いが絶えない。
金沢に戻って寿司屋の女将になり、
旦那さんと一緒に店を切り盛りしてきた。
豪放磊落、酒が好きで気前が好い。
会えばからから笑いながら、
もっと飲んでえと酒をすすめてくる。
亡くなった旦那さんの法事のときには、
生前贔屓にしていた芸者を呼んで、
胡蝶蘭で埋まった座敷で舞ってもらったという。
ひさしぶりの再会と、ホテルで待ち合わせをしたら、
髪をきっちり結い上げて、白い絣の着物で現れた。
呉服屋の社長が、息をのむほど見事なあつらえで、
母も思わず、のぶちゃんすてきと見惚れたら、
呉服屋さんが来るのに、
へんなかっこうはできんしねえと笑ったという。
時間でうごくツアーの旅行だったから、
長々会っていられない。
母とのわずかなひとときのために手間ひまかけて、
粋なことをと鼻の奥がつんとなった。
菓子処の金沢に暮らしているのに、
長野のみすゞ飴が大好きで、来るたび買っていた。
気遣いに感謝してさっそく送るときめる。
北陸新幹線が開通すれば、距離がぐっと近くなる。
はやばやと、母を連れて行く算段をしているのだった。

青天の霹靂を
水無月 一
青天の霹靂を観た。
この作品は、上田市で撮影されたという。
電車に乗って、アリオ上田の東宝シネマへ出向いた。
売れないマジシャンの晴夫は、
希望のないまま毎日をすごしている。
生まれて間もなく母に捨てられ、
長いあいだ、父とも縁が切れていた。
父の訃報が届き、遺骨を引き取り、住み家に行く。
昔の父の写真を手に、
生きるってむずかしいなあと泣き出す晴夫に、
一閃の雷が落ちて、タイムスリップをしてしまうのだった。
昭和四十八年の浅草で、
晴夫は、若かりし父と母に会うことになる。
父とコンビを組んで舞台に立つ日々の中、
それまで知らなかった父と母の過去が、
明らかになるのだった。
監督の劇団ひとりと、主役の大泉洋の挨拶を観たら、
ロケ地に上田を選んだのは、
本町にある、
上田映劇の建物に魅かれたからだという。
ありがたかったのは、撮影のあいだ、
地元のかたがたが、とても協力的だったことという。
無理なお願いも、いやな顔をせず引き受けてくれ、
おかあさんたちがご飯を作ってくれたり、
エキストラのかたたちも好演してくれた。
上田のかたのやさしさとあたたかさに支えられ、
ほんとに好い町ですと述べていた。
見終えて、余韻を抱きながら上田の町を歩く。
商店街のあちこちに、映画のポスターが貼ってある。
上田映劇へ行けば、雷門ホールのセットが残っていた。
となりのストリップ劇場には、ほんとに客が来たといい、
映画のためのセットです。貼り紙がしてあった。
主演の大泉さんは、
撮影の合間に、あちこちの店に行ったという。
上田は食べ物が美味しいと褒めていて、
檸檬という店の焼きそばが気に入りだったらしい。
好い飲み屋に蕎麦屋があって、別所の湯もちかい。
眺めの好い城址公園があり、
町並みに穏やかな気配がある。
宝くじが当たったら、迷わず別宅を建てたいと、
くじを買ったことがないくせにときどき思う。
ほんとに好い町なのだった。
朝いちばん、好い作品を観て、
蕎麦屋の昼酒がことのほか旨かった。

青天の霹靂を観た。
この作品は、上田市で撮影されたという。
電車に乗って、アリオ上田の東宝シネマへ出向いた。
売れないマジシャンの晴夫は、
希望のないまま毎日をすごしている。
生まれて間もなく母に捨てられ、
長いあいだ、父とも縁が切れていた。
父の訃報が届き、遺骨を引き取り、住み家に行く。
昔の父の写真を手に、
生きるってむずかしいなあと泣き出す晴夫に、
一閃の雷が落ちて、タイムスリップをしてしまうのだった。
昭和四十八年の浅草で、
晴夫は、若かりし父と母に会うことになる。
父とコンビを組んで舞台に立つ日々の中、
それまで知らなかった父と母の過去が、
明らかになるのだった。
監督の劇団ひとりと、主役の大泉洋の挨拶を観たら、
ロケ地に上田を選んだのは、
本町にある、
上田映劇の建物に魅かれたからだという。
ありがたかったのは、撮影のあいだ、
地元のかたがたが、とても協力的だったことという。
無理なお願いも、いやな顔をせず引き受けてくれ、
おかあさんたちがご飯を作ってくれたり、
エキストラのかたたちも好演してくれた。
上田のかたのやさしさとあたたかさに支えられ、
ほんとに好い町ですと述べていた。
見終えて、余韻を抱きながら上田の町を歩く。
商店街のあちこちに、映画のポスターが貼ってある。
上田映劇へ行けば、雷門ホールのセットが残っていた。
となりのストリップ劇場には、ほんとに客が来たといい、
映画のためのセットです。貼り紙がしてあった。
主演の大泉さんは、
撮影の合間に、あちこちの店に行ったという。
上田は食べ物が美味しいと褒めていて、
檸檬という店の焼きそばが気に入りだったらしい。
好い飲み屋に蕎麦屋があって、別所の湯もちかい。
眺めの好い城址公園があり、
町並みに穏やかな気配がある。
宝くじが当たったら、迷わず別宅を建てたいと、
くじを買ったことがないくせにときどき思う。
ほんとに好い町なのだった。
朝いちばん、好い作品を観て、
蕎麦屋の昼酒がことのほか旨かった。