親を見て
葉月 9
父が、一週間、おおきな病院の世話になることになった。
入院すれば、味のうすい、質素な食事がつづく。
栄養つけてがんばって。
当日、実家の近くの鰻屋で、うな重をしっかりたいらげて、
病院へむかった。
受付を済ませて、C病棟の4階へ。
看護師さんの説明を受ければ、
さっそく午後から検査があるといい、いそがしい。
若いときから酒好きで、酔ってしくじっては、母の手を煩わせていた。
転んで前歯を折ったり、額を切ったり、
階段から落ちて腕を骨折したり、
川にはまって、3か月、車いすの身になったこともあった。
怪我の歴史はあるものの、健康診断を受ければ、
そのつどお医者からお褒めの言葉をもらっていたから、
ここへ来ての時間のかかる治療は、
気のちいさい父にとっては、心細いことだった。
酔っぱらってばかりの父に、いつも母はいらいらして、
昔からけんかの絶えない家庭だった。
いまでも些細なことで言いあらそいをしてるから、
いつまでも、互いの気性がつかめんのかとあきれている。
それでも、母がおおきな手術をして動けなかったとき、
家事と料理の一斉を父がこなしていた。
寝間着に着替える父と、手伝う母と、
八十歳をすぎて、ひとまわりちいさくなった二人を見ていれば、
文句を言いあっても、
身を案じあって、おさまるようにおさまっているのだった。
来年、ダイヤモンド婚をむかえるという。
ついぞまともな家庭も持てず、
いくつになっても、親に心配ばかりかけている。
せめてもの祝いをしなければと、気持ちに留めている。
子供のときに、父が飲み屋の女将とねんごろになって、
母にばれて、離婚騒ぎになったことがある。
いろいろあっての60年は、
愚息の目から見ても、味わい深いものだった。
酒が好きで女が好き。
つくづく、わるいところばかり受け継いでいる。

父が、一週間、おおきな病院の世話になることになった。
入院すれば、味のうすい、質素な食事がつづく。
栄養つけてがんばって。
当日、実家の近くの鰻屋で、うな重をしっかりたいらげて、
病院へむかった。
受付を済ませて、C病棟の4階へ。
看護師さんの説明を受ければ、
さっそく午後から検査があるといい、いそがしい。
若いときから酒好きで、酔ってしくじっては、母の手を煩わせていた。
転んで前歯を折ったり、額を切ったり、
階段から落ちて腕を骨折したり、
川にはまって、3か月、車いすの身になったこともあった。
怪我の歴史はあるものの、健康診断を受ければ、
そのつどお医者からお褒めの言葉をもらっていたから、
ここへ来ての時間のかかる治療は、
気のちいさい父にとっては、心細いことだった。
酔っぱらってばかりの父に、いつも母はいらいらして、
昔からけんかの絶えない家庭だった。
いまでも些細なことで言いあらそいをしてるから、
いつまでも、互いの気性がつかめんのかとあきれている。
それでも、母がおおきな手術をして動けなかったとき、
家事と料理の一斉を父がこなしていた。
寝間着に着替える父と、手伝う母と、
八十歳をすぎて、ひとまわりちいさくなった二人を見ていれば、
文句を言いあっても、
身を案じあって、おさまるようにおさまっているのだった。
来年、ダイヤモンド婚をむかえるという。
ついぞまともな家庭も持てず、
いくつになっても、親に心配ばかりかけている。
せめてもの祝いをしなければと、気持ちに留めている。
子供のときに、父が飲み屋の女将とねんごろになって、
母にばれて、離婚騒ぎになったことがある。
いろいろあっての60年は、
愚息の目から見ても、味わい深いものだった。
酒が好きで女が好き。
つくづく、わるいところばかり受け継いでいる。
秋を前に
葉月 8
雨上がりの平日、仕事場のまわりの草取りをした。
夏の間、放っておいたら、陽射しのいきおいに合わせて、
すっかり伸びていたのだった。
名残りの蝉の声を聞きながら、作業をしていれば、
蒸した空気にじわじわ汗ばんでくる。
うらのわずかな敷地では、自生したつるばらが、
しっかり根を張って、あちこちに伸びている。
枝を切って引っ張ってもびくともせず、
植物の生きるつよさに感心した。
初夏、白い花を咲かせたどくだみの群れも、ずいぶん増えた。
いつの間にか玄関先に根を張ったガマズミも、
ちいさな白い花が咲いたあと、今は赤い実が成っている。
葉も少しずつ朱に染まり、
季節の変わり目を教えてくれるのだった。
持病の左ひざの痛みが出て、しばらくの間、
湿布を貼ったり揉んだりしていた。
腫れが引いて、痛みもおさまって、
久しぶりに町をひとまわり走れば、
陽の暮れるのがずいぶん早くなっている。
窓を開けたまま酔いつぶれれば、
早朝寒くて目が覚めるようになり、
そのまま起きて善光寺へ行けば、
夏休みも終わり、境内の人の姿もおちついている。
見上げた空を流れる雲も、しずかになっているのだった。
齢八十を過ぎた母は、今でもおしゃれに余念がない。
若いときはしばしば着物も着たのに、
さすがに最近は着なくなった。
それでもいまだに呉服屋とは付き合いがあって、
ときどきこちらにお鉢がまわってくる。
薩摩のやわらかな綿の反物があったからと、
羽織を作ってくれたのだった。
爽やかな、淡い緑の色合いで、
Tシャツの上から羽織っても好い、夏向きの感がある。
とは言っても、今年のこの暑さでは、
とても着る気になれなかった。この頃の陽気になって、
ようやく袖を通す気にもなれるのだった。
そんなこんなの気分で、秋を前にしているのだった。

雨上がりの平日、仕事場のまわりの草取りをした。
夏の間、放っておいたら、陽射しのいきおいに合わせて、
すっかり伸びていたのだった。
名残りの蝉の声を聞きながら、作業をしていれば、
蒸した空気にじわじわ汗ばんでくる。
うらのわずかな敷地では、自生したつるばらが、
しっかり根を張って、あちこちに伸びている。
枝を切って引っ張ってもびくともせず、
植物の生きるつよさに感心した。
初夏、白い花を咲かせたどくだみの群れも、ずいぶん増えた。
いつの間にか玄関先に根を張ったガマズミも、
ちいさな白い花が咲いたあと、今は赤い実が成っている。
葉も少しずつ朱に染まり、
季節の変わり目を教えてくれるのだった。
持病の左ひざの痛みが出て、しばらくの間、
湿布を貼ったり揉んだりしていた。
腫れが引いて、痛みもおさまって、
久しぶりに町をひとまわり走れば、
陽の暮れるのがずいぶん早くなっている。
窓を開けたまま酔いつぶれれば、
早朝寒くて目が覚めるようになり、
そのまま起きて善光寺へ行けば、
夏休みも終わり、境内の人の姿もおちついている。
見上げた空を流れる雲も、しずかになっているのだった。
齢八十を過ぎた母は、今でもおしゃれに余念がない。
若いときはしばしば着物も着たのに、
さすがに最近は着なくなった。
それでもいまだに呉服屋とは付き合いがあって、
ときどきこちらにお鉢がまわってくる。
薩摩のやわらかな綿の反物があったからと、
羽織を作ってくれたのだった。
爽やかな、淡い緑の色合いで、
Tシャツの上から羽織っても好い、夏向きの感がある。
とは言っても、今年のこの暑さでは、
とても着る気になれなかった。この頃の陽気になって、
ようやく袖を通す気にもなれるのだった。
そんなこんなの気分で、秋を前にしているのだった。
夏と秋の間に
葉月 7
8月半ばを過ぎて、路地にひびく蝉の声にも、
すこしずつ、すき間が見えてきた。
落ちているなきがらを拾えば、端正な姿に、
ひと夏、力を尽くした健気さがある。
陽が沈めば、しずかに虫の声が聞こえてきて、
夏と秋の葉境なのだった。
ときどき、実家の両親のもとへ出かけている。
この夏の暑さに、体調をくずさなければと気にしていたら、
幸い、なにごともなくのりこえた。
おばあちゃんが守ってくれているからが口癖の母は、
毎朝、祖母の位牌に手を合わせている。
この冬、体調をくずして、しばらく仕事ができないときがあった。
その折りも、治りますようにと毎日お願いしてくれたという。
完治した折りは、
また、ありがとうございましたと、手を合わせてくれたといい、
いくつになっても、親の気持ちはありがたいのだった。
毎朝、氏神さんと善光寺と、
菩提寺の寛慶寺にお参りをしている。
朝の爽やかな空気の中、手を合わせ、
しずかに一日をむかえられるのは、門前に住む好さだった。
このごろ願い事に、父の無事の回復が加わった。
昨年の秋に病気が見つかって、
師走の頃まで治療をしていた。
お盆前、久しぶりに検査をしたら、
再びの治療となったのだった。
面倒な検査をいくつも受けて、治療が始まれば、
体力も気力もしんどい。
長生きするのも楽ではないなあと思ってしまう。
それでも、ふた親そろって支障なく生活しているのは、
ありがたいことだった。
友だちの中には、すでに見送ったり、
不自由になった身を介護しているかたもいる。
いつおなじ立場になってもおかしくないから、
気楽なさまではいられないと、
父の治療の知らせを受けて思うのだった。
おばあちゃんが守ってくれるから。
そう思える、そんな歳になっている。

8月半ばを過ぎて、路地にひびく蝉の声にも、
すこしずつ、すき間が見えてきた。
落ちているなきがらを拾えば、端正な姿に、
ひと夏、力を尽くした健気さがある。
陽が沈めば、しずかに虫の声が聞こえてきて、
夏と秋の葉境なのだった。
ときどき、実家の両親のもとへ出かけている。
この夏の暑さに、体調をくずさなければと気にしていたら、
幸い、なにごともなくのりこえた。
おばあちゃんが守ってくれているからが口癖の母は、
毎朝、祖母の位牌に手を合わせている。
この冬、体調をくずして、しばらく仕事ができないときがあった。
その折りも、治りますようにと毎日お願いしてくれたという。
完治した折りは、
また、ありがとうございましたと、手を合わせてくれたといい、
いくつになっても、親の気持ちはありがたいのだった。
毎朝、氏神さんと善光寺と、
菩提寺の寛慶寺にお参りをしている。
朝の爽やかな空気の中、手を合わせ、
しずかに一日をむかえられるのは、門前に住む好さだった。
このごろ願い事に、父の無事の回復が加わった。
昨年の秋に病気が見つかって、
師走の頃まで治療をしていた。
お盆前、久しぶりに検査をしたら、
再びの治療となったのだった。
面倒な検査をいくつも受けて、治療が始まれば、
体力も気力もしんどい。
長生きするのも楽ではないなあと思ってしまう。
それでも、ふた親そろって支障なく生活しているのは、
ありがたいことだった。
友だちの中には、すでに見送ったり、
不自由になった身を介護しているかたもいる。
いつおなじ立場になってもおかしくないから、
気楽なさまではいられないと、
父の治療の知らせを受けて思うのだった。
おばあちゃんが守ってくれるから。
そう思える、そんな歳になっている。
お盆もおわり
葉月 6
お盆のおわり、長野駅ビルのMIDORIへ出かけた。
富士フイルム主催の、写真展があったのだった。
3階のりんご広場に上がったら、ずらりとパネルが並んでいて、
一般のかたの応募作品が、100点飾られている。
風景に動物に人物に、じっくり構えて撮ったり、
一瞬の動きや表情をとらえたり、
どの作品にも、それぞれの個性がうかがえる。
息子や娘を写した作品も多く、カメラを向ける親の想いと、
笑顔で答える、子供の想いの両方が、しみじみと伝わってくる。
生まれたばかりの赤ちゃんを、
にこにこと見つめるお兄ちゃんの写真があって、
やさしい子なんだろうなあと感じられ、鼻の奥がつんとした。
なにげない日々の暮らしの風景に、目を留められるのは、
気持ちが温かくなることだった。
夕方、昼寝から目覚めたら、友だち夫婦と連れだって、
善光寺のお盆縁日に出かけた。
本堂の前におおきな櫓が建てられて、
坊さんが威勢よく太鼓をたたいている。
その周りを、浴衣姿の子供に大人が、
Qちゃん音頭に合わせて踊っていた。
屋台で焼きそばとビールを買って、特設ステージの前に座れば、
沖縄出身で、松本在住という女性の歌い手さんが立つ。
6月24日の、沖縄終戦に思いを馳せて作ったという、
624という歌を披露した。
あたりまえに過ごせる毎日がしあわせという台詞に、
ほんとにそうだなあとビールを啜った。
朝夕の風が涼しくなって、日中の暑さがつづく毎日にも、
すこしずつ、夏のおわりの気配が感じられる。
過ぎてみれば夏も短いと、お盆をすぎるたびに思う。
季節と人に気持ちを置くことを、
もうすこし大切にしたいのだった。

お盆のおわり、長野駅ビルのMIDORIへ出かけた。
富士フイルム主催の、写真展があったのだった。
3階のりんご広場に上がったら、ずらりとパネルが並んでいて、
一般のかたの応募作品が、100点飾られている。
風景に動物に人物に、じっくり構えて撮ったり、
一瞬の動きや表情をとらえたり、
どの作品にも、それぞれの個性がうかがえる。
息子や娘を写した作品も多く、カメラを向ける親の想いと、
笑顔で答える、子供の想いの両方が、しみじみと伝わってくる。
生まれたばかりの赤ちゃんを、
にこにこと見つめるお兄ちゃんの写真があって、
やさしい子なんだろうなあと感じられ、鼻の奥がつんとした。
なにげない日々の暮らしの風景に、目を留められるのは、
気持ちが温かくなることだった。
夕方、昼寝から目覚めたら、友だち夫婦と連れだって、
善光寺のお盆縁日に出かけた。
本堂の前におおきな櫓が建てられて、
坊さんが威勢よく太鼓をたたいている。
その周りを、浴衣姿の子供に大人が、
Qちゃん音頭に合わせて踊っていた。
屋台で焼きそばとビールを買って、特設ステージの前に座れば、
沖縄出身で、松本在住という女性の歌い手さんが立つ。
6月24日の、沖縄終戦に思いを馳せて作ったという、
624という歌を披露した。
あたりまえに過ごせる毎日がしあわせという台詞に、
ほんとにそうだなあとビールを啜った。
朝夕の風が涼しくなって、日中の暑さがつづく毎日にも、
すこしずつ、夏のおわりの気配が感じられる。
過ぎてみれば夏も短いと、お盆をすぎるたびに思う。
季節と人に気持ちを置くことを、
もうすこし大切にしたいのだった。
飯山で
葉月 5
緑を眺めて温泉でも。飯山へ出かけた。
いつもは閑散としている飯山線も、お盆の帰省客や、
遊びに出かける親子連れで席が埋まる。
曇天の空模様を気にしていたら、
飯山へ入ったとたんに降り出した。
上境駅で降りれば、道ばたに褪せた商店が在った。
そこから300メートルの、湯滝温泉へと急いだ。
千曲川沿いの駐車場には、ゴムボートが並べられ、
たくさんの親子連れが、ラフティングを楽しみに来ている。
館内にも子供たちの声がひびき、
日に焼けた男の子や、若いお父さんに混ざって湯に浸かった。
食堂も混んでいて、厨房で、おじさんとおばさんたちが、
いそがしそうに注文をこなしている。
雨の千曲川を眺めながら、みゆきのポークのカツをつまみに、
缶ビールを飲んだ。
大広間で昼寝をして、もういちどひと風呂浴びて外に出れば、
雨も上がって、夕方の風が気持ち好い。
蝉の声を聞きながら国道を歩いていくと、
緑の合い間にぽつぽつと民家がある。
千曲川の彼方にぼんやりとした山が見えた。
川面地区の坂を上がっていくと、
左手に穂の揺れる田んぼがあって、
右手には今井十王堂の祠と、ひと気のない墓地があった。
北光正宗を醸す角口酒造の入口に、
全国新酒鑑評会 金賞受賞の貼り紙が映える。
坂を下って、野沢戸狩温泉駅から電車に乗って、
飯山駅で降りた。
今夜は花火大会があるのだった。
千曲川の河川敷に行けば、車が通行止めになり、
あちこちで、家族連れや恋人同士が腰を下ろしている。
はじめに、御先祖を供養する灯篭に火が灯されて、
ゆっくりと千曲川を流れていった。
木島陣太鼓の勇ましい演奏がおわり、
打ち上げがはじまれば、
のどかな間合いで、丸い輪がつぎつぎと夜空に広がる。
静かな花火のひとときは、
ちいさな寺町に似合っていると眺めたのだった。

緑を眺めて温泉でも。飯山へ出かけた。
いつもは閑散としている飯山線も、お盆の帰省客や、
遊びに出かける親子連れで席が埋まる。
曇天の空模様を気にしていたら、
飯山へ入ったとたんに降り出した。
上境駅で降りれば、道ばたに褪せた商店が在った。
そこから300メートルの、湯滝温泉へと急いだ。
千曲川沿いの駐車場には、ゴムボートが並べられ、
たくさんの親子連れが、ラフティングを楽しみに来ている。
館内にも子供たちの声がひびき、
日に焼けた男の子や、若いお父さんに混ざって湯に浸かった。
食堂も混んでいて、厨房で、おじさんとおばさんたちが、
いそがしそうに注文をこなしている。
雨の千曲川を眺めながら、みゆきのポークのカツをつまみに、
缶ビールを飲んだ。
大広間で昼寝をして、もういちどひと風呂浴びて外に出れば、
雨も上がって、夕方の風が気持ち好い。
蝉の声を聞きながら国道を歩いていくと、
緑の合い間にぽつぽつと民家がある。
千曲川の彼方にぼんやりとした山が見えた。
川面地区の坂を上がっていくと、
左手に穂の揺れる田んぼがあって、
右手には今井十王堂の祠と、ひと気のない墓地があった。
北光正宗を醸す角口酒造の入口に、
全国新酒鑑評会 金賞受賞の貼り紙が映える。
坂を下って、野沢戸狩温泉駅から電車に乗って、
飯山駅で降りた。
今夜は花火大会があるのだった。
千曲川の河川敷に行けば、車が通行止めになり、
あちこちで、家族連れや恋人同士が腰を下ろしている。
はじめに、御先祖を供養する灯篭に火が灯されて、
ゆっくりと千曲川を流れていった。
木島陣太鼓の勇ましい演奏がおわり、
打ち上げがはじまれば、
のどかな間合いで、丸い輪がつぎつぎと夜空に広がる。
静かな花火のひとときは、
ちいさな寺町に似合っていると眺めたのだった。
須坂の夜
葉月 4
ときどき須坂に出かけることがある。
ふるい蔵に、おおきな屋敷ののこる町並みの風情が好い。
ところどころにほそい小路が抜けていて、
気の向くまま歩くのが楽しい。
春、臥竜公園の桜を愛でて、
この夏は、初めて花火を見に行った。
おおきな屋敷を利用したクラシック美術館は、
季節ごとに昔の着物を展示して、
今は、大正時代の夏の着物展をやっている。
臥竜公園ちかくの版画美術館は、ちいさいながらも、
なかなか目にできない作家さんの、作品展をやってくれる。
酒の品ぞろえの好い蕎麦屋も在って、
ぶらぶら散策して、一杯のひとときがすごせるのだった。
休日の夕方、電車に乗って出かけた。
須坂に暮らす知り合いと、酌み交わそうと成ったのだった。
須坂病院近くの、みのりの戸を開けたら、
すでにお見えになっていた。
生ビールで乾杯して、
刺身とホルモン焼きと、みのり焼きの味を楽しむ。
岩手の磐乃井を頼めば、きれいな女将さんが注いでくれて、
初めての銘柄は、幅のある酸と旨みの味だった。
ほどよく酔って店を出れば、夕暮れの風が心地よい。
桜木町通りを歩いていけば、くろおびという名の店が目にとまる。
様子見に、軽く一杯と入ってみたら、
品書きに、伯楽星に十九、馴染みの銘柄が並んでいて、
友だちの酒屋の峯村君が卸しているわかる。
お店のかたの愛想も好く、
思いがけず、好い店を見つけたのだった。
駅近くの、寡黙な御主人の営む酔人倶楽部で締めて、
来週の再会を期して、須坂をあとにした。
須坂の町はいつ来ても、ひと気がなくて活気がない。
それでも、久しぶりの夜のひとときに、好い店をはしごして、
また来たくなるのだった。

ときどき須坂に出かけることがある。
ふるい蔵に、おおきな屋敷ののこる町並みの風情が好い。
ところどころにほそい小路が抜けていて、
気の向くまま歩くのが楽しい。
春、臥竜公園の桜を愛でて、
この夏は、初めて花火を見に行った。
おおきな屋敷を利用したクラシック美術館は、
季節ごとに昔の着物を展示して、
今は、大正時代の夏の着物展をやっている。
臥竜公園ちかくの版画美術館は、ちいさいながらも、
なかなか目にできない作家さんの、作品展をやってくれる。
酒の品ぞろえの好い蕎麦屋も在って、
ぶらぶら散策して、一杯のひとときがすごせるのだった。
休日の夕方、電車に乗って出かけた。
須坂に暮らす知り合いと、酌み交わそうと成ったのだった。
須坂病院近くの、みのりの戸を開けたら、
すでにお見えになっていた。
生ビールで乾杯して、
刺身とホルモン焼きと、みのり焼きの味を楽しむ。
岩手の磐乃井を頼めば、きれいな女将さんが注いでくれて、
初めての銘柄は、幅のある酸と旨みの味だった。
ほどよく酔って店を出れば、夕暮れの風が心地よい。
桜木町通りを歩いていけば、くろおびという名の店が目にとまる。
様子見に、軽く一杯と入ってみたら、
品書きに、伯楽星に十九、馴染みの銘柄が並んでいて、
友だちの酒屋の峯村君が卸しているわかる。
お店のかたの愛想も好く、
思いがけず、好い店を見つけたのだった。
駅近くの、寡黙な御主人の営む酔人倶楽部で締めて、
来週の再会を期して、須坂をあとにした。
須坂の町はいつ来ても、ひと気がなくて活気がない。
それでも、久しぶりの夜のひとときに、好い店をはしごして、
また来たくなるのだった。
飯山灯篭祭り
葉月 3
飯山の町が好きで、ときどき出かけている。
灯篭祭りを見に行ったのだった。
新幹線で11分。一番搾り一本分で駅に着く。
ぶらぶらと歩いていくと、
いつもは閑散としている商店街にたくさんの人がいて、
道いっぱいに灯篭が並べられていた。
地元の子供たちの手造りの灯篭には、
絵やメッセージが書かれていて、ほほえましい。
暗くなるまでの間、時間をつぶそうと、
酒の品ぞろえが好いという、表六玉を覗いたら、
今夜は貸しきりとふられる。それでは、六兵衛へとむかったら、
こちらも貸切の貼り紙がしてあって、
あてもなく、わき道をうろうろする。
線路わきに、きれいな紫の花が群れている。
ちいさな美容院は、
文化パーマと、たいそう厳かな名前の店だった。
縄のれんのかかった、串焼きふじもの戸を開ければ、
幸いのくちあけさんで、カウンターのすみに腰かけた。
焼き鳥をつまみながら黒ラベルの生を飲んでいれば、
じきに常連さんもやってくる。馴染みのない店で、
御主人と常連さんの会話を聞きながら盃をかたむけるのも、
なかなかに好いのだった。
やっこをつまみに、北光正宗を二杯。
ほどよく酔って表に出れば、灯篭が通りを照らしている。
広場から尺八と二胡の静かな音色が流れてきて、
耳をかたむけた。
おじいちゃんにおばあちゃん、
ちいさな子を連れた、若いおとうさんにおかあさん。
浴衣姿の女の子たちに短パン姿の男の子たち。
地元の人に混ざって、のんびりとほのかな灯りを眺めた。
駅に向かって歩いていけば、人通りもなくなって、
飲み屋の看板だけ、ぽつぽつと明るい。
一升に立ち寄って、
もずくをつまみに、ふたたび北光正宗を酌む。
しずかな好い祭りでしたなあ。
ちいさな寺町のひとときを楽しんだのだった。

飯山の町が好きで、ときどき出かけている。
灯篭祭りを見に行ったのだった。
新幹線で11分。一番搾り一本分で駅に着く。
ぶらぶらと歩いていくと、
いつもは閑散としている商店街にたくさんの人がいて、
道いっぱいに灯篭が並べられていた。
地元の子供たちの手造りの灯篭には、
絵やメッセージが書かれていて、ほほえましい。
暗くなるまでの間、時間をつぶそうと、
酒の品ぞろえが好いという、表六玉を覗いたら、
今夜は貸しきりとふられる。それでは、六兵衛へとむかったら、
こちらも貸切の貼り紙がしてあって、
あてもなく、わき道をうろうろする。
線路わきに、きれいな紫の花が群れている。
ちいさな美容院は、
文化パーマと、たいそう厳かな名前の店だった。
縄のれんのかかった、串焼きふじもの戸を開ければ、
幸いのくちあけさんで、カウンターのすみに腰かけた。
焼き鳥をつまみながら黒ラベルの生を飲んでいれば、
じきに常連さんもやってくる。馴染みのない店で、
御主人と常連さんの会話を聞きながら盃をかたむけるのも、
なかなかに好いのだった。
やっこをつまみに、北光正宗を二杯。
ほどよく酔って表に出れば、灯篭が通りを照らしている。
広場から尺八と二胡の静かな音色が流れてきて、
耳をかたむけた。
おじいちゃんにおばあちゃん、
ちいさな子を連れた、若いおとうさんにおかあさん。
浴衣姿の女の子たちに短パン姿の男の子たち。
地元の人に混ざって、のんびりとほのかな灯りを眺めた。
駅に向かって歩いていけば、人通りもなくなって、
飲み屋の看板だけ、ぽつぽつと明るい。
一升に立ち寄って、
もずくをつまみに、ふたたび北光正宗を酌む。
しずかな好い祭りでしたなあ。
ちいさな寺町のひとときを楽しんだのだった。
寄磯浜の味を
葉月 3
窓を開けて寝ていたら、早朝さむくて目が覚めた。
氏神さんへお参りにと外へ出たら、
さっぱりと、空気に湿り気がない。
掃除を済ませて新聞をひろげたら、今日から立秋と載っていて、
暦の上では、もう秋なのだった。
たてつづけに野菜をもらった。冷蔵庫の引き出しが、
トマトにきゅうりにピーマンに茄子にズッキーニで埋まり、
毎晩の晩酌には、
まだまだ夏野菜の恩恵を受けている。
宮城の知り合いから宅配便が届いた。
開いてみたら、パックに詰まったほやで、
刺身と塩辛と酒蒸しの3種類、
なんとまあ、ありがたいことと感謝した。
同封されたチラシを読めば、
石巻市の寄磯浜の、マルキ遠藤商店とある。
カモメ群れ飛ぶ青い空、黄金花咲く金華山を目の前に、
この寄磯浜で海産物卸業を営み創業87年、
現代表で3代目となります。
2011年3月11日の東日本大震災の津波により
当社の施設、養殖棚、漁船、
養殖中のホヤとホタテや商品すべてが
破壊され流失してしまいました。
皆様から多くの励ましをいただき、それを力とし
平成24年3月25日、加工場を再建し、
従業員13名と共に寄磯浜で新鮮な三陸わかめや、
活ホタテ、ほや、活アワビ、うに、ひじきやまつもなどを
皆様にお届けできるよう頑張っています。
マルキ遠藤商店 代表 遠藤 仁志
挨拶の言葉といっしょに、笑顔の従業員の写真が載っていた。
夕方、いそいそと刺身の封を切れば、
ふわっと海の香りがする。
宮城の肴には宮城の酒を。愛宕の松の栓を抜く。
酌みながらつまめば、まろやかな旨味と柔らかな口あたりで、
旨いなあと思わず口に出る。
愛宕の松の、きれいな酸で味を流したら、
すぐに手が伸びる。野菜ばかりの毎日に、
贅沢な晩酌のひとときをいただけたのだった。
旨い肴と酒がある土地は好い。
ゆっくりとひとり旅をして、地元で味わってみたいものと、
ささやかな500円玉貯金の目標になるのだった。

窓を開けて寝ていたら、早朝さむくて目が覚めた。
氏神さんへお参りにと外へ出たら、
さっぱりと、空気に湿り気がない。
掃除を済ませて新聞をひろげたら、今日から立秋と載っていて、
暦の上では、もう秋なのだった。
たてつづけに野菜をもらった。冷蔵庫の引き出しが、
トマトにきゅうりにピーマンに茄子にズッキーニで埋まり、
毎晩の晩酌には、
まだまだ夏野菜の恩恵を受けている。
宮城の知り合いから宅配便が届いた。
開いてみたら、パックに詰まったほやで、
刺身と塩辛と酒蒸しの3種類、
なんとまあ、ありがたいことと感謝した。
同封されたチラシを読めば、
石巻市の寄磯浜の、マルキ遠藤商店とある。
カモメ群れ飛ぶ青い空、黄金花咲く金華山を目の前に、
この寄磯浜で海産物卸業を営み創業87年、
現代表で3代目となります。
2011年3月11日の東日本大震災の津波により
当社の施設、養殖棚、漁船、
養殖中のホヤとホタテや商品すべてが
破壊され流失してしまいました。
皆様から多くの励ましをいただき、それを力とし
平成24年3月25日、加工場を再建し、
従業員13名と共に寄磯浜で新鮮な三陸わかめや、
活ホタテ、ほや、活アワビ、うに、ひじきやまつもなどを
皆様にお届けできるよう頑張っています。
マルキ遠藤商店 代表 遠藤 仁志
挨拶の言葉といっしょに、笑顔の従業員の写真が載っていた。
夕方、いそいそと刺身の封を切れば、
ふわっと海の香りがする。
宮城の肴には宮城の酒を。愛宕の松の栓を抜く。
酌みながらつまめば、まろやかな旨味と柔らかな口あたりで、
旨いなあと思わず口に出る。
愛宕の松の、きれいな酸で味を流したら、
すぐに手が伸びる。野菜ばかりの毎日に、
贅沢な晩酌のひとときをいただけたのだった。
旨い肴と酒がある土地は好い。
ゆっくりとひとり旅をして、地元で味わってみたいものと、
ささやかな500円玉貯金の目標になるのだった。
上田の花火
葉月 2
この夏、三度目の上田詣でをした。
祇園祭、上田わっしょいにつづいて、
花火大会へ出かけたのだった。
7年前、上田に暮らす友だちに誘われて、初めて観た。
上田駅から歩いて5分、
千曲川の河川敷で打ち上げられる花火は、
須坂に長野に上田の花火師さんの競演で、
はじめからしまいまで、切れ目がなく目を見張る。
飲み友だちと連れ合って新幹線に乗れば、
缶ビール一本分の時間で上田に着く。
まずは一献、駅前のホルモン焼き屋に立ち寄って、
肉をつまみに、
黒ラベルの生と、地酒の福無量を酌み交わす。
時間を見計らって表に出れば、
通りも、見物に向かう人たちでにぎわっている。
上田アリオで酒とつまみを仕入れていたら、
どんと音がして、今年の花火が始まった。
とんとん拍子に上がる花火を眺めながら行けば、
土手でたくさんの人が夜空を見上げ、
連なった屋台の灯りが、ぼんやりと浮いている。
おおきなガスタンクの前におちついて、
金麦を飲みながら眺めていれば、
いよいよ花火も絶好調、
天高くいっぱいに、音も豪華に花開き、
すごいすごいと声に出る。
約2時間、どうだと言わんばかりに魅せられて、
大満足のひとときとなった。
来年は、真田幸村公の大河ドラマも始まって、
上田の町もにぎやかになる。
花火にも、より一層の華やかさが期待できるのだった。
月が変われば、こんどはねぶた祭りがある。
ちいさな城下町の夏は、
はればれと見ごたえがあるのだった。

この夏、三度目の上田詣でをした。
祇園祭、上田わっしょいにつづいて、
花火大会へ出かけたのだった。
7年前、上田に暮らす友だちに誘われて、初めて観た。
上田駅から歩いて5分、
千曲川の河川敷で打ち上げられる花火は、
須坂に長野に上田の花火師さんの競演で、
はじめからしまいまで、切れ目がなく目を見張る。
飲み友だちと連れ合って新幹線に乗れば、
缶ビール一本分の時間で上田に着く。
まずは一献、駅前のホルモン焼き屋に立ち寄って、
肉をつまみに、
黒ラベルの生と、地酒の福無量を酌み交わす。
時間を見計らって表に出れば、
通りも、見物に向かう人たちでにぎわっている。
上田アリオで酒とつまみを仕入れていたら、
どんと音がして、今年の花火が始まった。
とんとん拍子に上がる花火を眺めながら行けば、
土手でたくさんの人が夜空を見上げ、
連なった屋台の灯りが、ぼんやりと浮いている。
おおきなガスタンクの前におちついて、
金麦を飲みながら眺めていれば、
いよいよ花火も絶好調、
天高くいっぱいに、音も豪華に花開き、
すごいすごいと声に出る。
約2時間、どうだと言わんばかりに魅せられて、
大満足のひとときとなった。
来年は、真田幸村公の大河ドラマも始まって、
上田の町もにぎやかになる。
花火にも、より一層の華やかさが期待できるのだった。
月が変われば、こんどはねぶた祭りがある。
ちいさな城下町の夏は、
はればれと見ごたえがあるのだった。
無事に会えること
葉月 1
八月の第一土曜日、びんずる祭りが行われた。
長野駅から善光寺門前まで、
老若男女のたくさんの連が踊り歩いた。
夕方、東京から友だちが訪ねてきた。
さらりと踊りを眺めたら、馴染みのおでん屋におちついて、
いつもの仲間と宴となった。
次の日の夕方、東口の飲み屋にふたたび集まって、
連夜の、おなじ顔ぶれの飲み会となる。
新幹線で帰る姿を見送って、
ひさしぶりのかたも、いつも面をつき合わせているかたも、
笑顔で会えることがありがたい。
朝いちばん、近所に暮らす友だちが訪ねてきたのだった。
二か月ぶりに拝見すれば、
思いのほか、元気そうでほっとする。
梅雨のころ、仕事中に意識を失って倒れた。
さいわいスタッフがそばにいて、すぐに救急車を呼んで、
病院へ運ばれた。手術をして意識が戻り、
ようやくあり様がのみこめたという。
頭の病気で、手足のまひはないものの、
左目がまだよく見えなくて、足元がおぼつかないという。
手術のあとに肺炎を併発して、喉を切ったといい、
首と頭の、メスのあとが痛々しい。
このところ、身のまわりのかたがたの手術がつづき、
無事の回復に手術の成功を、
毎朝氏神さんにお願いしている。
我が身も含めて、
いつ、何が起こるかわからないことを思えば、
常日頃の、親しいかたと会えるのも、
一期一会とかわらない。
路地にひびく、しぼりだすような蝉の鳴き声が、
ことさら、胸に染み入る夏になっている。

八月の第一土曜日、びんずる祭りが行われた。
長野駅から善光寺門前まで、
老若男女のたくさんの連が踊り歩いた。
夕方、東京から友だちが訪ねてきた。
さらりと踊りを眺めたら、馴染みのおでん屋におちついて、
いつもの仲間と宴となった。
次の日の夕方、東口の飲み屋にふたたび集まって、
連夜の、おなじ顔ぶれの飲み会となる。
新幹線で帰る姿を見送って、
ひさしぶりのかたも、いつも面をつき合わせているかたも、
笑顔で会えることがありがたい。
朝いちばん、近所に暮らす友だちが訪ねてきたのだった。
二か月ぶりに拝見すれば、
思いのほか、元気そうでほっとする。
梅雨のころ、仕事中に意識を失って倒れた。
さいわいスタッフがそばにいて、すぐに救急車を呼んで、
病院へ運ばれた。手術をして意識が戻り、
ようやくあり様がのみこめたという。
頭の病気で、手足のまひはないものの、
左目がまだよく見えなくて、足元がおぼつかないという。
手術のあとに肺炎を併発して、喉を切ったといい、
首と頭の、メスのあとが痛々しい。
このところ、身のまわりのかたがたの手術がつづき、
無事の回復に手術の成功を、
毎朝氏神さんにお願いしている。
我が身も含めて、
いつ、何が起こるかわからないことを思えば、
常日頃の、親しいかたと会えるのも、
一期一会とかわらない。
路地にひびく、しぼりだすような蝉の鳴き声が、
ことさら、胸に染み入る夏になっている。