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親を見て

2015年08月27日

 へこりと at 14:32  | Comments(0)
葉月 9

父が、一週間、おおきな病院の世話になることになった。
入院すれば、味のうすい、質素な食事がつづく。
栄養つけてがんばって。
当日、実家の近くの鰻屋で、うな重をしっかりたいらげて、
病院へむかった。
受付を済ませて、C病棟の4階へ。
看護師さんの説明を受ければ、
さっそく午後から検査があるといい、いそがしい。
若いときから酒好きで、酔ってしくじっては、母の手を煩わせていた。
転んで前歯を折ったり、額を切ったり、
階段から落ちて腕を骨折したり、
川にはまって、3か月、車いすの身になったこともあった。
怪我の歴史はあるものの、健康診断を受ければ、
そのつどお医者からお褒めの言葉をもらっていたから、
ここへ来ての時間のかかる治療は、
気のちいさい父にとっては、心細いことだった。
酔っぱらってばかりの父に、いつも母はいらいらして、
昔からけんかの絶えない家庭だった。
いまでも些細なことで言いあらそいをしてるから、
いつまでも、互いの気性がつかめんのかとあきれている。
それでも、母がおおきな手術をして動けなかったとき、
家事と料理の一斉を父がこなしていた。
寝間着に着替える父と、手伝う母と、
八十歳をすぎて、ひとまわりちいさくなった二人を見ていれば、
文句を言いあっても、
身を案じあって、おさまるようにおさまっているのだった。
来年、ダイヤモンド婚をむかえるという。
ついぞまともな家庭も持てず、
いくつになっても、親に心配ばかりかけている。
せめてもの祝いをしなければと、気持ちに留めている。
子供のときに、父が飲み屋の女将とねんごろになって、
母にばれて、離婚騒ぎになったことがある。
いろいろあっての60年は、
愚息の目から見ても、味わい深いものだった。
酒が好きで女が好き。
つくづく、わるいところばかり受け継いでいる。




  


秋を前に

2015年08月23日

 へこりと at 13:22  | Comments(0)
葉月 8

雨上がりの平日、仕事場のまわりの草取りをした。
夏の間、放っておいたら、陽射しのいきおいに合わせて、
すっかり伸びていたのだった。
名残りの蝉の声を聞きながら、作業をしていれば、
蒸した空気にじわじわ汗ばんでくる。
うらのわずかな敷地では、自生したつるばらが、
しっかり根を張って、あちこちに伸びている。
枝を切って引っ張ってもびくともせず、
植物の生きるつよさに感心した。
初夏、白い花を咲かせたどくだみの群れも、ずいぶん増えた。
いつの間にか玄関先に根を張ったガマズミも、
ちいさな白い花が咲いたあと、今は赤い実が成っている。
葉も少しずつ朱に染まり、
季節の変わり目を教えてくれるのだった。
持病の左ひざの痛みが出て、しばらくの間、
湿布を貼ったり揉んだりしていた。
腫れが引いて、痛みもおさまって、
久しぶりに町をひとまわり走れば、
陽の暮れるのがずいぶん早くなっている。
窓を開けたまま酔いつぶれれば、
早朝寒くて目が覚めるようになり、
そのまま起きて善光寺へ行けば、
夏休みも終わり、境内の人の姿もおちついている。
見上げた空を流れる雲も、しずかになっているのだった。
齢八十を過ぎた母は、今でもおしゃれに余念がない。
若いときはしばしば着物も着たのに、
さすがに最近は着なくなった。
それでもいまだに呉服屋とは付き合いがあって、
ときどきこちらにお鉢がまわってくる。
薩摩のやわらかな綿の反物があったからと、
羽織を作ってくれたのだった。
爽やかな、淡い緑の色合いで、
Tシャツの上から羽織っても好い、夏向きの感がある。
とは言っても、今年のこの暑さでは、
とても着る気になれなかった。この頃の陽気になって、
ようやく袖を通す気にもなれるのだった。
そんなこんなの気分で、秋を前にしているのだった。





  


夏と秋の間に

2015年08月20日

 へこりと at 09:43  | Comments(0)
葉月 7

8月半ばを過ぎて、路地にひびく蝉の声にも、
すこしずつ、すき間が見えてきた。
落ちているなきがらを拾えば、端正な姿に、
ひと夏、力を尽くした健気さがある。
陽が沈めば、しずかに虫の声が聞こえてきて、
夏と秋の葉境なのだった。
ときどき、実家の両親のもとへ出かけている。
この夏の暑さに、体調をくずさなければと気にしていたら、
幸い、なにごともなくのりこえた。
おばあちゃんが守ってくれているからが口癖の母は、
毎朝、祖母の位牌に手を合わせている。
この冬、体調をくずして、しばらく仕事ができないときがあった。
その折りも、治りますようにと毎日お願いしてくれたという。
完治した折りは、
また、ありがとうございましたと、手を合わせてくれたといい、
いくつになっても、親の気持ちはありがたいのだった。
毎朝、氏神さんと善光寺と、
菩提寺の寛慶寺にお参りをしている。
朝の爽やかな空気の中、手を合わせ、
しずかに一日をむかえられるのは、門前に住む好さだった。
このごろ願い事に、父の無事の回復が加わった。
昨年の秋に病気が見つかって、
師走の頃まで治療をしていた。
お盆前、久しぶりに検査をしたら、
再びの治療となったのだった。
面倒な検査をいくつも受けて、治療が始まれば、
体力も気力もしんどい。
長生きするのも楽ではないなあと思ってしまう。
それでも、ふた親そろって支障なく生活しているのは、
ありがたいことだった。
友だちの中には、すでに見送ったり、
不自由になった身を介護しているかたもいる。
いつおなじ立場になってもおかしくないから、
気楽なさまではいられないと、
父の治療の知らせを受けて思うのだった。
おばあちゃんが守ってくれるから。
そう思える、そんな歳になっている。



  


お盆もおわり

2015年08月18日

 へこりと at 14:12  | Comments(0)
葉月 6

お盆のおわり、長野駅ビルのMIDORIへ出かけた。
富士フイルム主催の、写真展があったのだった。
3階のりんご広場に上がったら、ずらりとパネルが並んでいて、
一般のかたの応募作品が、100点飾られている。
風景に動物に人物に、じっくり構えて撮ったり、
一瞬の動きや表情をとらえたり、
どの作品にも、それぞれの個性がうかがえる。
息子や娘を写した作品も多く、カメラを向ける親の想いと、
笑顔で答える、子供の想いの両方が、しみじみと伝わってくる。
生まれたばかりの赤ちゃんを、
にこにこと見つめるお兄ちゃんの写真があって、
やさしい子なんだろうなあと感じられ、鼻の奥がつんとした。
なにげない日々の暮らしの風景に、目を留められるのは、
気持ちが温かくなることだった。
夕方、昼寝から目覚めたら、友だち夫婦と連れだって、
善光寺のお盆縁日に出かけた。
本堂の前におおきな櫓が建てられて、
坊さんが威勢よく太鼓をたたいている。
その周りを、浴衣姿の子供に大人が、
Qちゃん音頭に合わせて踊っていた。
屋台で焼きそばとビールを買って、特設ステージの前に座れば、
沖縄出身で、松本在住という女性の歌い手さんが立つ。
6月24日の、沖縄終戦に思いを馳せて作ったという、
624という歌を披露した。
あたりまえに過ごせる毎日がしあわせという台詞に、
ほんとにそうだなあとビールを啜った。
朝夕の風が涼しくなって、日中の暑さがつづく毎日にも、
すこしずつ、夏のおわりの気配が感じられる。
過ぎてみれば夏も短いと、お盆をすぎるたびに思う。
季節と人に気持ちを置くことを、
もうすこし大切にしたいのだった。



  


飯山で

2015年08月16日

 へこりと at 11:16  | Comments(0)
葉月 5

緑を眺めて温泉でも。飯山へ出かけた。
いつもは閑散としている飯山線も、お盆の帰省客や、
遊びに出かける親子連れで席が埋まる。
曇天の空模様を気にしていたら、
飯山へ入ったとたんに降り出した。
上境駅で降りれば、道ばたに褪せた商店が在った。
そこから300メートルの、湯滝温泉へと急いだ。
千曲川沿いの駐車場には、ゴムボートが並べられ、
たくさんの親子連れが、ラフティングを楽しみに来ている。
館内にも子供たちの声がひびき、
日に焼けた男の子や、若いお父さんに混ざって湯に浸かった。
食堂も混んでいて、厨房で、おじさんとおばさんたちが、
いそがしそうに注文をこなしている。
雨の千曲川を眺めながら、みゆきのポークのカツをつまみに、
缶ビールを飲んだ。
大広間で昼寝をして、もういちどひと風呂浴びて外に出れば、
雨も上がって、夕方の風が気持ち好い。
蝉の声を聞きながら国道を歩いていくと、
緑の合い間にぽつぽつと民家がある。
千曲川の彼方にぼんやりとした山が見えた。
川面地区の坂を上がっていくと、
左手に穂の揺れる田んぼがあって、
右手には今井十王堂の祠と、ひと気のない墓地があった。
北光正宗を醸す角口酒造の入口に、
全国新酒鑑評会 金賞受賞の貼り紙が映える。
坂を下って、野沢戸狩温泉駅から電車に乗って、
飯山駅で降りた。
今夜は花火大会があるのだった。
千曲川の河川敷に行けば、車が通行止めになり、
あちこちで、家族連れや恋人同士が腰を下ろしている。
はじめに、御先祖を供養する灯篭に火が灯されて、
ゆっくりと千曲川を流れていった。
木島陣太鼓の勇ましい演奏がおわり、
打ち上げがはじまれば、
のどかな間合いで、丸い輪がつぎつぎと夜空に広がる。
静かな花火のひとときは、
ちいさな寺町に似合っていると眺めたのだった。






  


須坂の夜

2015年08月11日

 へこりと at 15:04  | Comments(0)
葉月 4

ときどき須坂に出かけることがある。
ふるい蔵に、おおきな屋敷ののこる町並みの風情が好い。
ところどころにほそい小路が抜けていて、
気の向くまま歩くのが楽しい。
春、臥竜公園の桜を愛でて、
この夏は、初めて花火を見に行った。
おおきな屋敷を利用したクラシック美術館は、
季節ごとに昔の着物を展示して、
今は、大正時代の夏の着物展をやっている。
臥竜公園ちかくの版画美術館は、ちいさいながらも、
なかなか目にできない作家さんの、作品展をやってくれる。
酒の品ぞろえの好い蕎麦屋も在って、
ぶらぶら散策して、一杯のひとときがすごせるのだった。
休日の夕方、電車に乗って出かけた。
須坂に暮らす知り合いと、酌み交わそうと成ったのだった。
須坂病院近くの、みのりの戸を開けたら、
すでにお見えになっていた。
生ビールで乾杯して、
刺身とホルモン焼きと、みのり焼きの味を楽しむ。
岩手の磐乃井を頼めば、きれいな女将さんが注いでくれて、
初めての銘柄は、幅のある酸と旨みの味だった。
ほどよく酔って店を出れば、夕暮れの風が心地よい。
桜木町通りを歩いていけば、くろおびという名の店が目にとまる。
様子見に、軽く一杯と入ってみたら、
品書きに、伯楽星に十九、馴染みの銘柄が並んでいて、
友だちの酒屋の峯村君が卸しているわかる。
お店のかたの愛想も好く、
思いがけず、好い店を見つけたのだった。
駅近くの、寡黙な御主人の営む酔人倶楽部で締めて、
来週の再会を期して、須坂をあとにした。
須坂の町はいつ来ても、ひと気がなくて活気がない。
それでも、久しぶりの夜のひとときに、好い店をはしごして、
また来たくなるのだった。


  


飯山灯篭祭り

2015年08月10日

 へこりと at 09:05  | Comments(0)
葉月 3

飯山の町が好きで、ときどき出かけている。
灯篭祭りを見に行ったのだった。
新幹線で11分。一番搾り一本分で駅に着く。
ぶらぶらと歩いていくと、
いつもは閑散としている商店街にたくさんの人がいて、
道いっぱいに灯篭が並べられていた。
地元の子供たちの手造りの灯篭には、
絵やメッセージが書かれていて、ほほえましい。
暗くなるまでの間、時間をつぶそうと、
酒の品ぞろえが好いという、表六玉を覗いたら、
今夜は貸しきりとふられる。それでは、六兵衛へとむかったら、
こちらも貸切の貼り紙がしてあって、
あてもなく、わき道をうろうろする。
線路わきに、きれいな紫の花が群れている。
ちいさな美容院は、
文化パーマと、たいそう厳かな名前の店だった。
縄のれんのかかった、串焼きふじもの戸を開ければ、
幸いのくちあけさんで、カウンターのすみに腰かけた。
焼き鳥をつまみながら黒ラベルの生を飲んでいれば、
じきに常連さんもやってくる。馴染みのない店で、
御主人と常連さんの会話を聞きながら盃をかたむけるのも、
なかなかに好いのだった。
やっこをつまみに、北光正宗を二杯。
ほどよく酔って表に出れば、灯篭が通りを照らしている。
広場から尺八と二胡の静かな音色が流れてきて、
耳をかたむけた。
おじいちゃんにおばあちゃん、
ちいさな子を連れた、若いおとうさんにおかあさん。
浴衣姿の女の子たちに短パン姿の男の子たち。
地元の人に混ざって、のんびりとほのかな灯りを眺めた。
駅に向かって歩いていけば、人通りもなくなって、
飲み屋の看板だけ、ぽつぽつと明るい。
一升に立ち寄って、
もずくをつまみに、ふたたび北光正宗を酌む。
しずかな好い祭りでしたなあ。
ちいさな寺町のひとときを楽しんだのだった。



  


寄磯浜の味を

2015年08月09日

 へこりと at 09:06  | Comments(0)
葉月 3

窓を開けて寝ていたら、早朝さむくて目が覚めた。
氏神さんへお参りにと外へ出たら、
さっぱりと、空気に湿り気がない。
掃除を済ませて新聞をひろげたら、今日から立秋と載っていて、
暦の上では、もう秋なのだった。
たてつづけに野菜をもらった。冷蔵庫の引き出しが、
トマトにきゅうりにピーマンに茄子にズッキーニで埋まり、
毎晩の晩酌には、
まだまだ夏野菜の恩恵を受けている。
宮城の知り合いから宅配便が届いた。
開いてみたら、パックに詰まったほやで、
刺身と塩辛と酒蒸しの3種類、
なんとまあ、ありがたいことと感謝した。
同封されたチラシを読めば、
石巻市の寄磯浜の、マルキ遠藤商店とある。

カモメ群れ飛ぶ青い空、黄金花咲く金華山を目の前に、
この寄磯浜で海産物卸業を営み創業87年、
現代表で3代目となります。
2011年3月11日の東日本大震災の津波により
当社の施設、養殖棚、漁船、
養殖中のホヤとホタテや商品すべてが
破壊され流失してしまいました。
皆様から多くの励ましをいただき、それを力とし
平成24年3月25日、加工場を再建し、
従業員13名と共に寄磯浜で新鮮な三陸わかめや、
活ホタテ、ほや、活アワビ、うに、ひじきやまつもなどを
皆様にお届けできるよう頑張っています。

マルキ遠藤商店  代表 遠藤 仁志

挨拶の言葉といっしょに、笑顔の従業員の写真が載っていた。
夕方、いそいそと刺身の封を切れば、
ふわっと海の香りがする。
宮城の肴には宮城の酒を。愛宕の松の栓を抜く。
酌みながらつまめば、まろやかな旨味と柔らかな口あたりで、
旨いなあと思わず口に出る。
愛宕の松の、きれいな酸で味を流したら、
すぐに手が伸びる。野菜ばかりの毎日に、
贅沢な晩酌のひとときをいただけたのだった。
旨い肴と酒がある土地は好い。
ゆっくりとひとり旅をして、地元で味わってみたいものと、
ささやかな500円玉貯金の目標になるのだった。




  


上田の花火

2015年08月06日

 へこりと at 20:19  | Comments(0)
葉月 2

この夏、三度目の上田詣でをした。
祇園祭、上田わっしょいにつづいて、
花火大会へ出かけたのだった。
7年前、上田に暮らす友だちに誘われて、初めて観た。
上田駅から歩いて5分、
千曲川の河川敷で打ち上げられる花火は、
須坂に長野に上田の花火師さんの競演で、
はじめからしまいまで、切れ目がなく目を見張る。
飲み友だちと連れ合って新幹線に乗れば、
缶ビール一本分の時間で上田に着く。
まずは一献、駅前のホルモン焼き屋に立ち寄って、
肉をつまみに、
黒ラベルの生と、地酒の福無量を酌み交わす。
時間を見計らって表に出れば、
通りも、見物に向かう人たちでにぎわっている。
上田アリオで酒とつまみを仕入れていたら、
どんと音がして、今年の花火が始まった。
とんとん拍子に上がる花火を眺めながら行けば、
土手でたくさんの人が夜空を見上げ、
連なった屋台の灯りが、ぼんやりと浮いている。
おおきなガスタンクの前におちついて、
金麦を飲みながら眺めていれば、
いよいよ花火も絶好調、
天高くいっぱいに、音も豪華に花開き、
すごいすごいと声に出る。
約2時間、どうだと言わんばかりに魅せられて、
大満足のひとときとなった。
来年は、真田幸村公の大河ドラマも始まって、
上田の町もにぎやかになる。
花火にも、より一層の華やかさが期待できるのだった。
月が変われば、こんどはねぶた祭りがある。
ちいさな城下町の夏は、
はればれと見ごたえがあるのだった。





  


無事に会えること

2015年08月04日

 へこりと at 13:25  | Comments(0)
葉月 1

八月の第一土曜日、びんずる祭りが行われた。
長野駅から善光寺門前まで、
老若男女のたくさんの連が踊り歩いた。
夕方、東京から友だちが訪ねてきた。
さらりと踊りを眺めたら、馴染みのおでん屋におちついて、
いつもの仲間と宴となった。
次の日の夕方、東口の飲み屋にふたたび集まって、
連夜の、おなじ顔ぶれの飲み会となる。
新幹線で帰る姿を見送って、
ひさしぶりのかたも、いつも面をつき合わせているかたも、
笑顔で会えることがありがたい。
朝いちばん、近所に暮らす友だちが訪ねてきたのだった。
二か月ぶりに拝見すれば、
思いのほか、元気そうでほっとする。
梅雨のころ、仕事中に意識を失って倒れた。
さいわいスタッフがそばにいて、すぐに救急車を呼んで、
病院へ運ばれた。手術をして意識が戻り、
ようやくあり様がのみこめたという。
頭の病気で、手足のまひはないものの、
左目がまだよく見えなくて、足元がおぼつかないという。
手術のあとに肺炎を併発して、喉を切ったといい、
首と頭の、メスのあとが痛々しい。
このところ、身のまわりのかたがたの手術がつづき、
無事の回復に手術の成功を、
毎朝氏神さんにお願いしている。
我が身も含めて、
いつ、何が起こるかわからないことを思えば、
常日頃の、親しいかたと会えるのも、
一期一会とかわらない。
路地にひびく、しぼりだすような蝉の鳴き声が、
ことさら、胸に染み入る夏になっている。