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酩酊の果てに。

2025年03月28日

 へこりと at 10:30  | Comments(2)

弥生 6

彼岸前の週末、久しぶりに高校の同級生と宴を開いた。夕方、
仕事を終えて馴染みのべじた坊に行けば、友だち四人、すでに
ビールのジョッキを空けている。四人とも、定年退職した後に、
第二の職場で働いている。そのうち二人は、この三月で辞めると
いうのだった。
辞めた後、ひとりは畑仕事をやるといい、もう一人は住んでいる
地区のNPO法人に勤めるという。仕事を辞めてもまだ頭と体を
使うんだ。仕事を辞めたら、朝寝朝酒朝湯の小原庄助さんに
なりたいと思っている身とは出来が違うと感心してしまった。
そんな偉い友だちも話を聞けば、酔っ払ってのしくじりがあると
いうからほっとした。山の町に暮らすかた二人、それぞれバスを
乗り過ごし、隣の村まで行っちゃったり、自宅のはるか
先まで行ってしまったり。
もうひとりの友だちは、電車を乗り過ごし新潟県の妙高まで行って
しまったという。
妙高高原駅を出て途方に暮れていたら、近くで電話をかけている人が
いた。偶然同じ町のかたで同じく乗り過ごしたという。
タクシーを呼んだというから、同乗させてもらい事なきを得たの
だった。友だちの町には飯山線も走っていて、長野県の最北端、
飯山まで行ってしまったこともあるという。残念、できれば終点の
越後川口まで行ってもらいたかったなあ。
さすがに歳を重ねて、みんなそこまでの深酒は出来なくなった。
昔のしくじり話に、苦笑いの杯を重ねたことだった。
この彼岸の十九日、父の八回目の命日を迎えた。前日、
覚えていてくれた友だちから、お墓に供えてくださいと花が
届いたのだった。
心遣いに感謝して、翌日菩提寺に行って、墓前に手向けさせて
いただいた。ついこの間見送った気がするのにもう八年。
月日があっという間に過ぎている。
酒好きだった父は現役で働いていた頃、毎晩酔っ払って帰って
きた。
タクシーで帰ってくれば良いものを、薄給でつましい柄はいつも
歩いて帰って来て、転んで額を割ったり腕の骨を折ったり、
用水路に落ちて救急車で運ばれたり、母もそのたびに気を病んで
いた。
そんな姿を子供の頃にさんざん見ていたのに、すっかり父と同じ
しくじりな酔っ払いになっていた。血筋というのはつくづく恐ろしい。
今さらながらに思うのだった。

乗り過ごし酔いも醒めるや夜半の春。




  


久しぶりの銘柄を。

2025年03月25日

 へこりと at 08:59  | Comments(2)

弥生 5

母が亡くなってこの冬の間、空き家になった実家の片づけを
していた。困ったのは、母が買いこんだたくさんの着物だった。
高価な品ばかりだから捨てるには忍びない。
処分をするのが厄介だと自身のブログで愚痴ったところ、
長い間、こちらの拙劣な文章を読んでくださっているかたから、
うちの母が着物で小物を作っています。よかったら引き取ります
と、コメントを頂いたのだった。
それまでコメントのやり取りはあったものの、お会いしたことの
ないかただった。お母様のお役に立てるならこちらも嬉しいし
ありがたい。後日、こちらの連絡先をコメント欄で伝えたところ、
電話を頂き、訪ねてきて来てくれたのだった。
ブログといえば、酒と飲み屋のネタばかりで、すっかりヨッパな
柄と知られている。なんと手土産に一升瓶を持ってきてくだ
さった。越後は長岡の越乃白雁。実に久しぶりの銘柄だった。
三十年ほど前に、新潟の上越へ向かって車を走らせていたところ、
国道沿いの一軒の酒屋が目に留まった。
あれこれ旨い酒を探し求めていた頃で、迷わず車を停めた。
店に入ったときに、初めて目にしたのがこの銘柄だった。
越後の酒といえば、こちらがまだ日本酒に目覚める前から、越乃寒梅、
雪中梅、峰の白梅、〆張鶴あたりが有名だった。長野では手に入りづらく、大手の酒屋では定価よりもずいぶん高い値段で売っていた。
その後、同じ長岡の久保田が名を馳せて、地酒に力を入れ始めた長野の
酒屋でも扱うところが現れたのだった。
以来、越後の端麗辛口が席巻していた時代が長らく続いていた。
帰宅して、初めて口にした越乃白雁は、端麗辛口の例にもれず、すっきりと
した味わいで旨かった。とは言ったものの、しょっちゅう上越まで
酒を買いに行くことも出来ず、当時住んでいた場所からほど近い酒屋が
〆張鶴を扱っていると知り、〆張鶴を酌むことが多かった。まさか三十年
ぶりに越乃白雁を口にできるなんて思わなかった。
初めてお会いしたかたの気遣いが嬉しかった。
その日の晩、久しぶりに利いてみたところ、すっきりとした、飲み飽き
しない口当たりに杯が進む。一升瓶がすぐに空になりそうなので、
一日一合と我慢して酌んだのだった。
後日、着物を引き取りに来てもらい、気がかりごとがなくなって感謝を
したことだった。

朧夜や三十路の頃の酒を酌み。


  


女将さんを偲んで。

2025年03月21日

 へこりと at 08:32  | Comments(2)

弥生 4

久しぶりに上田へ出かけた。
駅を出て、すぐそばの蕎麦屋の東都庵へ行ったら、
本日休業とある。昨日の今日だからしょうがないかと
合点がいく。この店の女将さんが亡くなってしまい、
昨日が告別式だったのだった。通りを上がって角を曲がったら、
おなじく蕎麦屋の塩田屋はちょうど開店したところだった。
この日の口開けさんになって、テーブルに落ちついた。
ビールを飲みながら店のお母さんと話をすれば、店を始めて
もうじき百年を迎えるという。昭和二年の創業で、
お母さんで三代目、一緒に働く娘さんが四代目というから
たいそうな歴史があるのだった。昔は別の場所で営んでいて、
二度移転してから昭和四十年代にここに落ちついたという。
食材や光熱費の価格の高騰が続く中、壁にかかった品書きを
見れば、良心的な値段で営んでいるのがわかる。おまけに
酒を頼むたびにご好意の小鉢を出してくれて、この日も
ビール一本とお銚子二本の注文に、ひじきやらひたし豆やら
漬物やらおからやら、八品もの小鉢を出してくれた。あとの
小鉢はなんだったか、多すぎて忘れてしまった。締めに、
以前から気になっていたカレーライスを注文したら、辛味の
効いた美味しい味だった。店を出て、甲田理髪店で散髪をして、
城跡公園に行けば、まだ梅の蕾もついていないままだった。
夕方、馴染みの飲み屋の幸村で酔っ払った翌朝、部屋の
カーテンを開けたら、さんさんと雪が降って道に積もっている。
急な寒の戻りに散歩の気分も失せて、ワイドショーを観ながら
だらだらとトリスの水割りを飲んで時間をつぶした。
開店時間を見計らった昼どき、再び東都庵に行ったら、今日は
暖簾が出ていてほっとした。店に入って、女将さんの旦那さんと
一緒に働く娘さんにお悔やみを述べた。折よく地酒の和田龍を醸す
お蔵さん、和田さんとご一緒になった。女将さんとは先月上田の
馴染みの飲み屋で偶然お会いしたばかりだった。和田さんに相席を
させてもらい、娘さんに話をうかがえば、体調がわるいというので
病院へ連れて行ったら、あっという間に容体が急変して逝って
しまったという。
まだ七十二歳、いつもにこにこと、昼からの酔客を迎えてくださった。
店に女将さんの遺影が飾ってあった。御家族を見守っていてくだ
さい。手を合わせて、和田龍を献杯させていただいた。

献杯の遺影の笑顔春浅し。




  


美味しい水割りを。

2025年03月14日

 へこりと at 09:30  | Comments(2)
弥生 3

一年半ほど前からウォーターサーバーを使っている。
その頃、自宅と仕事場のトイレを新調した。世話になった
水道会社がウォーターサーバーの取り扱いをしていて、すこし
お得に設置が出来たのだった。
暮らしている善光寺門前界隈の水道水は、北にそびえる飯綱山
を水源としており、充分に美味しい。それでも飲み比べると、
ウォーターサーバーの水には水道水よりも柔らかさが感じられる
のだった。
水が良いと何よりうれしいのは、ウイスキーの水割りが
美味しく飲めることだった。ウイスキーといえば、以前は
マッカランやらグレンリベットやら山崎やら白州やら、
高級銘柄を飲んでいた。ところがそれらの銘柄が相次いで
品薄になり、手に入らなくなってから、コンビニやスーパーで
気楽に買えるトリスやブラックニッカばかりを買うようになった。
歳を重ねて、嗜好品にも欲がなくなってきたのだった。
利いてみれば、安いからとバカにしたものでもなく、なかなか
旨い。この手の安い銘柄だって、サントリーやニッカの
ブレンダーさんが味を検分してるのだから、さもありなんなこと
だった。
ウォーターサーバーを使うようになってから、ウイスキーの水割り
を飲む機会が格段に増えたことだった。
昨年の秋、いつものように自宅で晩酌をしていたら電話が鳴った。
出てみたら、長野市にあるウォーターサーバーを扱う会社の
女性からだった。
安全でおいしい水を提供しています。良かったら使ってみませんか
との勧誘だった。それからしばらくしたら、その女性から封筒が
届いた。開いて見たら、扱っている水の事細かな成分と
安全性についての説明資料が入っていた。価格を比べてみたら、
現在使っているウォーターサーバーよりもいくらか安い。翌日、
今使っている水を使い切ったら、契約したい旨を伝えた。
これまで使っていたウォーターサーバーに、これといって不満は
なかった。それを代えようと思ったのは、価格よりも電話をかけて
きた女性の話し方が、とても良い印象だったからだった。
昔から、電話の応対には、そのかたの人柄が出ると思っている。
人柄の良し悪しは電話の声に出ると思って、これまで外れたことが
ない。後日、気持ちよく契約をさせていただいたのだった。

春夕べ水割りいつも濃いめです。








  


ロートレック展へ。

2025年03月07日

 へこりと at 09:26  | Comments(0)

弥生 2

松本へ出かけた。
市立美術館でフランスの画家、ロートレックの
個展が開かれているのだった。子供の頃から絵画鑑賞が好き
だった。高校を卒業して、横浜に四年間暮らしていたことが
ある。本を買いに有隣堂へ行ったときに、たまたま目にした
フランスの画家、コローの画集を手に取ったのがきっかけ
だった。透明感のある作風に惹かれ、そこからいろんな画家に
興味が向くようになった。都会がありがたいのは、頻繁に
あちこちの美術館やデパートの会場で、いろんなかたの作品を
目にする機会があることだった。
企画展が開くたびに足を運んでいた。
コローにユトリロにターナーにロートレックが特に気に入りだった。
長野に戻って来てからも、二十代の頃は、ときどき東京の美術館に
足を運んでいたものの、仕事が忙しくなったり、家庭を持ったり
家庭を捨てたり、あれこれ身の回りのことに気を取られ、遠くの
美術館に行く気も失せていた。
それでも近年ありがたいのは、長野に上田に松本と、近場の
美術館でもたびたび好い企画展を開いてくれることだった。
それぞれの美術館にセンスの良い学芸員さんがいて、楽しませて
くれるのだった。
松本に着いた夕方、東横インに向かっていくと、松本パルコの
入り口に、「40年間ありがとうございました」の幕があった。
長年、若者のファッションを引っ張ってきた松本パルコと、
老舗のデパート、井上の相次いでの閉店が決まり、松本は寂しい
ことになっている。
チェックインを済ませたら四柱神社に行って、松本の町が平和で
ありますようにお参りをした。その足ですぐ近くの居酒屋、「深酒」
におじゃました。この店に来るのは四回目。どうやら女将さんや
旦那さんに顔を覚えていただいたようで、カウンター越しにはじめて
世間話を交わしていただいた。ヒラメの昆布締めと出汁の優しい
おでんで、県内外、あちこちの銘酒を味わったのだった。
翌朝、市立美術館へ行けば、いつものように入り口の、草間彌生の
派手なオブジェが迎えてくれる。
ロートレック展では、パリの町に生きた歌手や芸人に娼婦を
描いた作品がずらっと並んでいた。以前拝見したのはおそらく
四十年ほど前のこと。場所は高島屋デパートの会場だったっけ。
再度覚えのある作品に触れることが出来て、嬉しいことだった。

春寒し派手なオブジェの美術館。




  


懐かしい味に。

2025年03月04日

 へこりと at 09:58  | Comments(2)
弥生 1

休日になると、たいてい馴染みの蕎麦屋で昼酒を
酌んでいる。先日、馴染みのおでん屋で初めてお会いした
女性と、善光寺門前、仲見世の蕎麦屋の丸清で
酌み交わしたのだった。丸清の御主人の好意の小鉢もの
三品で銘酒、大信州の杯を重ね、もりで締めた。
三十歳も年下の娘のようなかたで、よくもまあ、こんな
しょぼくれたじじいの酒に付き合ってくれたことと、まことに
ありがたいことだった。丸清との付き合いは子供のときからで
ずいぶんと長い。
子供の頃、学校から帰るとひとりで留守番をしていた。
父は仕事が終わると、毎晩のように馴染みの飲み屋で遅くまで
酔っ払っていたし、美容師をしていた母も仕事が忙しく、仕事の
後に、お弟子さんや友だちと食事に出かけることがたびたびあった。
母が作り置きしておいた夕飯をひとりで食べていたのだった。
夕飯の作り置きをする時間がないときは、
今夜は丸清のかつ丼を頼んでおくからねと言われ、夕方になると、
出前が届くのだった。それが実に楽しみで、
毎晩かつ丼でもいいのになあと思ったものだった。
秘伝のたれがかかったソースかつ丼で、ちょこんと目玉焼きが乗って
いる。子供の頃の思い出の味といえば、すぐに思い出す美味しさ
だった。大人になって蕎麦屋酒に味を占めるようになり、
丸清にも通っている。ところが、子供の頃よりも
食が細くなって、かつ丼を食べようものなら、腹がいっぱいになり
すぎて苦しくなる有様だった。食べたいときはごはん抜きの
おつまみロースかつを頼んで、ちびちび酒を酌んでいる。
もうひとつ懐かしい味があって、鶏のから揚げだった。ひとりで
留守番をしている夕方、ときどき向かいのお宅の、上野さんの
おばちゃんが差し入れてくれたのだった。それまで唐揚げという
ものを食べたことがなかった。
初めて食べたときにその美味しさに感動したものだった。
馴染みの飲み屋に行ったときに、品書きに唐揚げを見つけると
そそられるものの、やっぱり腹が苦しくなって、他のつまみが
頼めない。いつも諦めているのだった。思い出していたら
たまには懐かしい味に触れてみたくなってきた。
かつ丼のご飯の量は少なめに、唐揚げも量を減らしてもらうことと
する。

かつ丼やごはん少な目二月尽。