春にあおられて
弥生 7
気ぜわしく春が進んでいく。
氏神さんの桜が、開花したかと思ったら、
陽気の好さにつられて、もう満開になった。
仕事を終えて、
近所をひと回りしたら、
善光寺界隈の桜の木々も、日当たりの好い処から、
早々に見ごろをむかえ始めている。
夕方の陽も伸びて、のんびりと桜を見上げて歩く
親子連れや、年配のご夫婦や友だちどうしの
姿があった。
4月生まれのせいなのか、春を迎えると、
好いなあと、気持ちがほっとするのだった。
気に入りの、上田城址公園の桜の様子を
確かめようと、
市のホームページを開いたら、
城門前のシダレザクラも、お堀のまわりのソメイヨシノも
すでに満開とあって、マジっすか!とおどろいた。
桜の名所百選の、須坂の臥竜公園はいかがかと、
市のホームページを開いたら、
来週には見ごろをむかえそうで、
マジっすか!とおどろいた。
毎年春になれば、
桜のあんばいにそわそわしているものの、
今年は輪をかけて、
早く来ないと散っちゃいますと、桜に
せきたてられている。
朝、裾花川沿いを散歩した。
温泉施設、うるおい館の駐車場を抜けて、
川沿いの土手を行く。
春らしい、さらさらとなめらかな川音が、
耳に心地よい。
山王小学校の校庭の桜も、すでに満開になっていた。
新1年生の入学式まで、見ごろを保ってくれるかなあ。
気がかりなことだった。
土手から見下ろす河川敷に、ずらっと
鮮やかな黄色のスイセンが並んでいた。
まっすぐ進んでいくと、マルコメ味噌の工場に沿って、
シダレザクラの並木がある。
こちらはまだ、ぽつぽつ開き始めだったものの、
陽気の好い日がつづけば、これもまた、
あっという間に満開になるとうかがえる。
裾花公園の満開の桜を眺めてすぎて、
まことにこの春の、
歩みの速さにおどろく次第だった。
懐かしい味を
弥生 6
休日の昼どきは、
たいてい、どこぞの蕎麦屋で酒を酌んでいる。
酔っ払うのは一緒でも、蕎麦屋の酒のひとときは、
居酒屋の酒とは、またちがった趣きがあるのだった。
善光寺仲見世の丸清は、子供のころからの
付き合いだった。
両親が共働きで、学校から帰るとひとりで
留守番をしていた。
父は仕事が終われば、
毎日権堂の飲み屋でおそくまで酔っ払っていて、
母もときどき友だちと、食事に出かけるときがあった。
そんな日の夕飯は、
きまって丸清から、出前を取ってくれたのだった。
丸清は、蕎麦も旨いが、カツ丼や、アイノコと称する
カツカレーも旨い。
外食など、めったに縁のない子供の身には、
とてもぜいたくな味だった。
その昔、品書きにラーメンも載っていた。
忙しくて手がまわらなくなり、
40年近く前にやめてしまったのだった。
ところがこの頃になって、ふたたび作ってみようかと、
丸清のご主人が言いだした。
仕込みの都合で毎日は作れないから、
日にち限定で提供しようかどうしようか
思案中といい、
懐かしい味の復活は、
古くから暮らしているご近所さんにとって、
喜ばしいことだった。
平日の朝、丸清のご主人から電話がかかってきた。
ラーメン復活の話を聞きつけたテレビ局が
取材に来るという。
親しいお客がラーメンを食べているのを
撮りたいというから、来てくれという。
昼下がり、取材の時刻に合わせて顔を出せば、
じきに長野朝日放送の、
スタッフとアナウンサーのかたがたがやってきた。
アナウンサーの大槻瞳さんに、
丸清さんとの関わりなどを話しているうちに、
ほどなくラーメンがテーブルに届いた。
さっそく口にすれば、程よく出汁の効いたスープに
細打ちの麺が絡まって、
しつこくない味わいで美味しい。
その日の夕方、
試食にやってきた、近所のお仲間さんにも好評で、
久しぶりに、
身近の明るい話題に触れられたのだった。
取材の内容は、4月10日のあさ10:45の、
信州スゴヂカラで放送されるという。
アナウンサーの大槻瞳さんは、
小顔のじつに美しいかただった。
ラーメンを食べながら、間近で目の保養ができたのも、
まことに嬉しいことだった。

休日の昼どきは、
たいてい、どこぞの蕎麦屋で酒を酌んでいる。
酔っ払うのは一緒でも、蕎麦屋の酒のひとときは、
居酒屋の酒とは、またちがった趣きがあるのだった。
善光寺仲見世の丸清は、子供のころからの
付き合いだった。
両親が共働きで、学校から帰るとひとりで
留守番をしていた。
父は仕事が終われば、
毎日権堂の飲み屋でおそくまで酔っ払っていて、
母もときどき友だちと、食事に出かけるときがあった。
そんな日の夕飯は、
きまって丸清から、出前を取ってくれたのだった。
丸清は、蕎麦も旨いが、カツ丼や、アイノコと称する
カツカレーも旨い。
外食など、めったに縁のない子供の身には、
とてもぜいたくな味だった。
その昔、品書きにラーメンも載っていた。
忙しくて手がまわらなくなり、
40年近く前にやめてしまったのだった。
ところがこの頃になって、ふたたび作ってみようかと、
丸清のご主人が言いだした。
仕込みの都合で毎日は作れないから、
日にち限定で提供しようかどうしようか
思案中といい、
懐かしい味の復活は、
古くから暮らしているご近所さんにとって、
喜ばしいことだった。
平日の朝、丸清のご主人から電話がかかってきた。
ラーメン復活の話を聞きつけたテレビ局が
取材に来るという。
親しいお客がラーメンを食べているのを
撮りたいというから、来てくれという。
昼下がり、取材の時刻に合わせて顔を出せば、
じきに長野朝日放送の、
スタッフとアナウンサーのかたがたがやってきた。
アナウンサーの大槻瞳さんに、
丸清さんとの関わりなどを話しているうちに、
ほどなくラーメンがテーブルに届いた。
さっそく口にすれば、程よく出汁の効いたスープに
細打ちの麺が絡まって、
しつこくない味わいで美味しい。
その日の夕方、
試食にやってきた、近所のお仲間さんにも好評で、
久しぶりに、
身近の明るい話題に触れられたのだった。
取材の内容は、4月10日のあさ10:45の、
信州スゴヂカラで放送されるという。
アナウンサーの大槻瞳さんは、
小顔のじつに美しいかただった。
ラーメンを食べながら、間近で目の保養ができたのも、
まことに嬉しいことだった。
観光列車ろくもんに
弥生 5
日曜日の夕方、
しなの鉄道の観光列車、ろくもんに乗った。
客室乗務員をしている友だちがいる。
先だって会ったとき、
コロナのおかげで、集客がなかなかきびしいと
話していた。
微力ながら力になれればと、参加したのだった。
この日の行程は、上田を出発してから、
善光寺平が見渡せる篠ノ井線の姨捨駅まで。
そこから長野まで、およそ3時間の
ゆったりとした旅だった。
あいにくの雨降りの日で、車窓のにじんだ景色を
眺めながら、まずは東御市のOH!LA!HO!BEERで
のどを潤した。
車内で供されたのは、別所温泉の料理屋、
松籟亭さんの先付けと八寸の盛り込みだった。
ときどき友だちがインスタグラムに載せるたびに、
いつか味わってみたいと心待ちにしていた。
見た目もきれいな料理は、やさしく染みる味が好く、
しかも量もけっこうなものだった。
料理に合わせる日本酒は、東信地方の3銘柄で、
瀧澤、澤の花、黒澤と、澤つながりでそろえてきた。
どれもすでに名を馳せている味だから、
旨い酒と肴をゆっくりと堪能した。
久しぶりに眺めた姨捨からの夜景は、
雨にけむって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ひと雨ひと雨が、
善光寺平に春を呼んでくれるのだった。
とちゅう車内で,女性二人の室内楽の演奏に
聞きほれて、
終始、乗務員のかたがたのきれいな笑顔に
癒されていた。
電車の揺れに酔い加減も増して、
まことに贅沢なひとときを過ごさせてもらったのだった。
500円玉貯金が貯まったら、
ふたたび、微力ながらの力になりたいものだった。

日曜日の夕方、
しなの鉄道の観光列車、ろくもんに乗った。
客室乗務員をしている友だちがいる。
先だって会ったとき、
コロナのおかげで、集客がなかなかきびしいと
話していた。
微力ながら力になれればと、参加したのだった。
この日の行程は、上田を出発してから、
善光寺平が見渡せる篠ノ井線の姨捨駅まで。
そこから長野まで、およそ3時間の
ゆったりとした旅だった。
あいにくの雨降りの日で、車窓のにじんだ景色を
眺めながら、まずは東御市のOH!LA!HO!BEERで
のどを潤した。
車内で供されたのは、別所温泉の料理屋、
松籟亭さんの先付けと八寸の盛り込みだった。
ときどき友だちがインスタグラムに載せるたびに、
いつか味わってみたいと心待ちにしていた。
見た目もきれいな料理は、やさしく染みる味が好く、
しかも量もけっこうなものだった。
料理に合わせる日本酒は、東信地方の3銘柄で、
瀧澤、澤の花、黒澤と、澤つながりでそろえてきた。
どれもすでに名を馳せている味だから、
旨い酒と肴をゆっくりと堪能した。
久しぶりに眺めた姨捨からの夜景は、
雨にけむって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ひと雨ひと雨が、
善光寺平に春を呼んでくれるのだった。
とちゅう車内で,女性二人の室内楽の演奏に
聞きほれて、
終始、乗務員のかたがたのきれいな笑顔に
癒されていた。
電車の揺れに酔い加減も増して、
まことに贅沢なひとときを過ごさせてもらったのだった。
500円玉貯金が貯まったら、
ふたたび、微力ながらの力になりたいものだった。
かつてのことに
弥生 4
この頃、町を徘徊していると、あたらしい通りに
出くわす。
昨年は、長野大通りから中央通りの
セントラルスクエアの南に、
道が開通した。
先月は、檀田通りから東に通りが開いた。
今月は、北長野通りのカメラのキタムラ付近から
SBC通りまで、南北の通りが開くという。
天気の良い休日、愛車のスーパーカブにまたがって、
檀田通りまで行ってみた。
徳間、稲田、檀田と地名の付くこの辺りは、
子供のころ、田んぼばかりの景色だった。
それが今では、西友やツルヤのスーパーに、
綿半や本久のホームセンターが在り、
通りの両側には、飲食店に美容室にお医者が
いくつも出来て、
まことに暮らしやすい町になっている。
中学の同級生の自宅が近くにあって、
田んぼのあぜ道を歩きながら訪ねた日が
うそのようだった。
檀田通りの湯谷小学校をすぎて、
綿半の四つ角をすぎて、本久の信号の先が
あたらしく開いた道だった。
まっすぐに進んでいって1キロ余り、
じきに古里小学校の在る道路にぶつかって、
下校途中の子供たちの、にぎやかな姿が
飛び込んできた。
昔、この小学校の近くで2年ほど
暮らしていたことがある。
馴染めない環境に身を置いていたときで、
すさんだ気持ちで毎日をすごしていた。
まわりのかたがたに、いらぬ心配と迷惑をかけ、
こうして訪ねてくると思い出し、
なにをやっていたのかと、
今でも自己嫌悪におちいるのだった。
ひと雨ごとに暖かさが増している。
風のつめたい日もあるけれど、
氏神さんの桜の蕾も、赤く膨らんできた。
城山公園に新設された、
信濃美術館あらため、長野県立美術館の
開館は4月10日。
界隈の桜が、見ごろをむかえるときと重なって、
まことにめでたいことだった。
歳をかさねるたびに、
春をむかえられるありがたさが、
出来損ないの身に染みてくるのだった。

この頃、町を徘徊していると、あたらしい通りに
出くわす。
昨年は、長野大通りから中央通りの
セントラルスクエアの南に、
道が開通した。
先月は、檀田通りから東に通りが開いた。
今月は、北長野通りのカメラのキタムラ付近から
SBC通りまで、南北の通りが開くという。
天気の良い休日、愛車のスーパーカブにまたがって、
檀田通りまで行ってみた。
徳間、稲田、檀田と地名の付くこの辺りは、
子供のころ、田んぼばかりの景色だった。
それが今では、西友やツルヤのスーパーに、
綿半や本久のホームセンターが在り、
通りの両側には、飲食店に美容室にお医者が
いくつも出来て、
まことに暮らしやすい町になっている。
中学の同級生の自宅が近くにあって、
田んぼのあぜ道を歩きながら訪ねた日が
うそのようだった。
檀田通りの湯谷小学校をすぎて、
綿半の四つ角をすぎて、本久の信号の先が
あたらしく開いた道だった。
まっすぐに進んでいって1キロ余り、
じきに古里小学校の在る道路にぶつかって、
下校途中の子供たちの、にぎやかな姿が
飛び込んできた。
昔、この小学校の近くで2年ほど
暮らしていたことがある。
馴染めない環境に身を置いていたときで、
すさんだ気持ちで毎日をすごしていた。
まわりのかたがたに、いらぬ心配と迷惑をかけ、
こうして訪ねてくると思い出し、
なにをやっていたのかと、
今でも自己嫌悪におちいるのだった。
ひと雨ごとに暖かさが増している。
風のつめたい日もあるけれど、
氏神さんの桜の蕾も、赤く膨らんできた。
城山公園に新設された、
信濃美術館あらため、長野県立美術館の
開館は4月10日。
界隈の桜が、見ごろをむかえるときと重なって、
まことにめでたいことだった。
歳をかさねるたびに、
春をむかえられるありがたさが、
出来損ないの身に染みてくるのだった。
春に向けて
弥生 3
毎週日曜日に大河ドラマを観ている。
「青天を衝け」は、明治の実業家、
渋沢栄一の物語だった。
中学生のころ、
幕末の長州藩の指導者、大村益次郎の生涯を描いた
「花神」を観ていらい、
明治維新の物語が好きになった。
これまでいくつか放送されて、
日曜の夜が楽しみなことだった。
このたびも、アメリカの黒船が来航して、
これから安政の大獄へと話が進むから、
いよいよ目が離せない。
ときどき飲み会が入って、見逃すことがある。
それでも翌日パソコンを開けば、
NHKプラスの配信で観ることができるから、
便利な世の中になったものだった。
前回の「麒麟がくる」は、戦国武将の明智光秀の話だった。
出演者の衣装が、彩り明るかったのが印象的で、
素朴な普段着姿でも、画面に華やかさがあった。
栄一の家は、藍染めの原料になる、
藍玉作りを生業にしていたということで、
毎回栄一の、藍色の衣装が目をひくのだった。
ふだん仕事で,髪を染める薬剤を使っている。
うっかり服に付いても目立たぬように、
いつも黒いTシャツばかりを着ている。
寒い日は重ね着して、陽気がよくなれば、1枚脱いで。
馴染みの飲み屋の旦那さんが、
何年か前に店を移転オープンしたときに、
うちのシンボルカラーは赤と決めて、
髪を赤色のモヒカンにして、
毎日、赤いシャツを着て仕事をしていた。
ところがこの頃、うかがうたびに、黒いシャツばかり
着ている。
焼き物揚げ物炒め物、毎日ふんだんに油を使う。
はねて付くたびに汚れが気になるといい、
黒いシャツなら目立たないからと、
こちらとおなじ理由だった。
近ごろのラーメン屋の従業員は、
どこの店でも黒いTシャツばかりなのが
理解できたというのだった。
先だって、フェイスブックを覗いていたら、わきの広告に
目が留まった
愛知のちいさな草木染めの工房の商品で、
藍色の、柔らかなガーゼのTシャツだった。
藍というのは、日本人の遺伝子に根付いているのか、
目にすると、いつも惹かれるものがある。
コロナ騒ぎで気分の盛り上がらない日々。
黒ばかり着てないで、気分転換に趣向を変えてみようかね。
春に向けてポチっとした。
夏まつりの季節になると、浴衣姿の女の子を見かける。
たいがい安っぽい、ポリエステルの浴衣だから、
肌も髪もつやつやきらきらしているのに、
もったいないなあと思ってしまう。
本藍染めの浴衣なんぞ着せたいのお。
目の覚めるような美しい子を見つけると、
いつも思うことだった。

毎週日曜日に大河ドラマを観ている。
「青天を衝け」は、明治の実業家、
渋沢栄一の物語だった。
中学生のころ、
幕末の長州藩の指導者、大村益次郎の生涯を描いた
「花神」を観ていらい、
明治維新の物語が好きになった。
これまでいくつか放送されて、
日曜の夜が楽しみなことだった。
このたびも、アメリカの黒船が来航して、
これから安政の大獄へと話が進むから、
いよいよ目が離せない。
ときどき飲み会が入って、見逃すことがある。
それでも翌日パソコンを開けば、
NHKプラスの配信で観ることができるから、
便利な世の中になったものだった。
前回の「麒麟がくる」は、戦国武将の明智光秀の話だった。
出演者の衣装が、彩り明るかったのが印象的で、
素朴な普段着姿でも、画面に華やかさがあった。
栄一の家は、藍染めの原料になる、
藍玉作りを生業にしていたということで、
毎回栄一の、藍色の衣装が目をひくのだった。
ふだん仕事で,髪を染める薬剤を使っている。
うっかり服に付いても目立たぬように、
いつも黒いTシャツばかりを着ている。
寒い日は重ね着して、陽気がよくなれば、1枚脱いで。
馴染みの飲み屋の旦那さんが、
何年か前に店を移転オープンしたときに、
うちのシンボルカラーは赤と決めて、
髪を赤色のモヒカンにして、
毎日、赤いシャツを着て仕事をしていた。
ところがこの頃、うかがうたびに、黒いシャツばかり
着ている。
焼き物揚げ物炒め物、毎日ふんだんに油を使う。
はねて付くたびに汚れが気になるといい、
黒いシャツなら目立たないからと、
こちらとおなじ理由だった。
近ごろのラーメン屋の従業員は、
どこの店でも黒いTシャツばかりなのが
理解できたというのだった。
先だって、フェイスブックを覗いていたら、わきの広告に
目が留まった
愛知のちいさな草木染めの工房の商品で、
藍色の、柔らかなガーゼのTシャツだった。
藍というのは、日本人の遺伝子に根付いているのか、
目にすると、いつも惹かれるものがある。
コロナ騒ぎで気分の盛り上がらない日々。
黒ばかり着てないで、気分転換に趣向を変えてみようかね。
春に向けてポチっとした。
夏まつりの季節になると、浴衣姿の女の子を見かける。
たいがい安っぽい、ポリエステルの浴衣だから、
肌も髪もつやつやきらきらしているのに、
もったいないなあと思ってしまう。
本藍染めの浴衣なんぞ着せたいのお。
目の覚めるような美しい子を見つけると、
いつも思うことだった。
今月も上田まで
弥生 2
先月につづき、今月も上田まで出かけた。
新幹線を下りた昼どき、迷わず中華の檸檬さんに
おじゃまする。
カウンターのすみで、
餃子をつまみにビールを飲んでいれば、
じきに店内が満席となった。
さっぱり味のラーメンで腹を満たしたら、
市立美術館のある、サントミューゼまで坂を下った。
県内ゆかりの作家による、
シンビズム展が開かれているのだった。
あちこちの美術館で定期的に開かれていて、
このたびは、
小山利枝子さん、辰野登恵子さん、母袋俊也さんの
絵画に、戸谷成雄さんの彫刻の展示だった。
ことに印象に残ったのは、辰野登恵子さんの作品で、
ややくすんだ、鮮やかな色合いの絵は、
見ていると、気持ちが沈むようにしずかになる。
いつまでも足をとめていたい雰囲気があった。
また再訪しようと思ったら、残念ながら、
展示は3月14日までだった。
見終わって外へ出れば、暖かな陽気のなか、
女の子が二人、芝生にシートを広げて弁当を食べている。
城跡公園へ上がって行けば、
白梅と紅梅が満開だった。
3月半ばをすぎると、城門前やお堀のまわりの桜の開花に、
気もそぞろになるのだった。
ひとまわりして城門を出たら、
武将姿の幸村様がワンコとたわむれておられた。
木町から柳町を抜けて駅前の東横インへ。
ひと風呂浴びた夕暮れどき、
久しぶりに、袋町のめめ家さんにおじゃました。
焼き鳥をつまみにビールを飲んで、
ご主人に話をうかがえば、まだまだ客足が遠のいている。
桜が咲いたら、
もっとお客さんに来てもらいたいという。
二階堂のロックを飲み始めたころ、ガラガラと戸が開いて、
おじいさんが入ってきた。
席に着くなりご主人に、これあげるわと小さな花束を差し出す。
ご主人が遠慮をすると、
おれの花なんか受け取れねえのかと絡むから、
仕方なく頂だいしていた。
どうやら馴染みの店の、気に入りの女の子に会いに
花束持って出かけたところ、
店が臨時休業だったらしい。
ふてくされた態度で、でかい声で
延々と、わけのわからん自慢話をしながら
あおるようにビールと焼酎をおかわりしている。
話しかけられるのもおっくうだから、背を向けて、
鶴瓶の家族に乾杯を観ながら、
ちびちび焼酎をなめていた。
やさしいご主人に相手をしてもらい、
ようやく気が済んだのか、
カラオケのある店を教えてもらい出ていった。
若いときは、
こんな酒ぐせの悪い酔っぱらいをよく見かけたものだった。
昭和の風情の袋町で、久しぶりに、
昭和っぽい酔っぱらいに遭遇した。
たいへんお疲れさまでした。
苦笑いを浮かべて、ご主人をねぎらったのだった。

先月につづき、今月も上田まで出かけた。
新幹線を下りた昼どき、迷わず中華の檸檬さんに
おじゃまする。
カウンターのすみで、
餃子をつまみにビールを飲んでいれば、
じきに店内が満席となった。
さっぱり味のラーメンで腹を満たしたら、
市立美術館のある、サントミューゼまで坂を下った。
県内ゆかりの作家による、
シンビズム展が開かれているのだった。
あちこちの美術館で定期的に開かれていて、
このたびは、
小山利枝子さん、辰野登恵子さん、母袋俊也さんの
絵画に、戸谷成雄さんの彫刻の展示だった。
ことに印象に残ったのは、辰野登恵子さんの作品で、
ややくすんだ、鮮やかな色合いの絵は、
見ていると、気持ちが沈むようにしずかになる。
いつまでも足をとめていたい雰囲気があった。
また再訪しようと思ったら、残念ながら、
展示は3月14日までだった。
見終わって外へ出れば、暖かな陽気のなか、
女の子が二人、芝生にシートを広げて弁当を食べている。
城跡公園へ上がって行けば、
白梅と紅梅が満開だった。
3月半ばをすぎると、城門前やお堀のまわりの桜の開花に、
気もそぞろになるのだった。
ひとまわりして城門を出たら、
武将姿の幸村様がワンコとたわむれておられた。
木町から柳町を抜けて駅前の東横インへ。
ひと風呂浴びた夕暮れどき、
久しぶりに、袋町のめめ家さんにおじゃました。
焼き鳥をつまみにビールを飲んで、
ご主人に話をうかがえば、まだまだ客足が遠のいている。
桜が咲いたら、
もっとお客さんに来てもらいたいという。
二階堂のロックを飲み始めたころ、ガラガラと戸が開いて、
おじいさんが入ってきた。
席に着くなりご主人に、これあげるわと小さな花束を差し出す。
ご主人が遠慮をすると、
おれの花なんか受け取れねえのかと絡むから、
仕方なく頂だいしていた。
どうやら馴染みの店の、気に入りの女の子に会いに
花束持って出かけたところ、
店が臨時休業だったらしい。
ふてくされた態度で、でかい声で
延々と、わけのわからん自慢話をしながら
あおるようにビールと焼酎をおかわりしている。
話しかけられるのもおっくうだから、背を向けて、
鶴瓶の家族に乾杯を観ながら、
ちびちび焼酎をなめていた。
やさしいご主人に相手をしてもらい、
ようやく気が済んだのか、
カラオケのある店を教えてもらい出ていった。
若いときは、
こんな酒ぐせの悪い酔っぱらいをよく見かけたものだった。
昭和の風情の袋町で、久しぶりに、
昭和っぽい酔っぱらいに遭遇した。
たいへんお疲れさまでした。
苦笑いを浮かべて、ご主人をねぎらったのだった。
この3月に
弥生 1
三寒四温の日々、
上着を1枚着たり脱いだりしているうちに、
弥生3月をむかえた。
気温の上がらぬ日があっても、
日の出が早くなり、日足も伸びた。
明るい時間が増えて、日ごとの春に
気分も和やかになっている。
この3月で、東日本大震災から
まる10年になる。
テレビをつければ、連日どこかの局で、
特集番組を流しているのだった。
震災の記憶が薄れぬよう、
訪ねて来た人たちを被災地へ案内しながら、
当時の様子を語りつづけるかたや、
10年前、まだ幼かった子供たちが、
まわりの大人たちから話を聞いて、
震災の記録を残していくさまに、
身内や友人を亡くされたかたたちの、
その後の暮らしを観ていると、
10年ひと区切りというものの、
被災されたかたにとって、この先20年、
30年が過ぎても、
気持ちに区切りはつかないことと
うかがえた。
毎朝、町の中をひとまわり歩いている。
陽の上るころの空気も柔らかくなって、
先々で、散歩をしている人とすれちがう。
しずかな住宅街を歩いていけば、
魚を焼いている匂いや、みそ汁の匂いが
鼻先をかすめることがある。
旨そうなカレーの匂いにそそられた日は、
金も持たぬのに、
そのまますき家に寄りたくなって困った。
平和な朝の訪れを、見知らぬ家庭の匂いに
感じるたびに、
なにげない今があることを、幸せに思うのだった。
散歩のゴールは、近所の古刹の善光寺で、
身近なかたがたの、今日の無事をお願いする。
本堂の西側にちいさな仏舎がある。
陸前高田の、津波に倒された松の木で
つくられた仏さまが、
まつってあるのだった。
10年前の3月11日に思いを馳せては、
大きな災害が起こりませんよう、
手を合わせている。