インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 11人
オーナーへメッセージ

ほどほどで

2014年11月28日

 へこりと at 09:05  | Comments(2)
霜月 十一

子供のころから、左ひざに痛みがある。
バスケットボールをしていた中学時代、陸上をしていた高校時代、
疲れがたまると痛みに悶えていた。
のちのちお医者に診てもらったら、
生まれつきの,
かすかなひびが、ひざの骨にあるという。
手術も出来るが、これ以上わるくなることもないといい、
そのままほったらかしにして、今日に至っている。
ときどきジョギングをして、汗を流していると、
一年に一、二度、つよい痛みにおそわれる。
このごろになり、またまたやってきた。
いつもより痛みの度合いがつよく、腫れてきた。
畳に座るのも難儀な始末で、歳をかさねると、
不具合の加減も、おおきくなってしまうのだった。
霜月下旬、足も痛いし、懐ぐあいもさびしくなった。
おとなしく、家飲みの夜がつづく。
寒くなって、豆腐白菜大根油揚げ。鍋ばかりしている。
ひとつかふたつ具材を温めて、突っつきながら燗酒を酌む。
家でのゆるいひとときには、気楽で手ごろな酒で好いと、
このところは二千円ほどの、
純米か本醸造を買っているのだった。
北光正宗の試作の辛口の純米は、口あたりの硬さにおどろいた。
燗にしても角がとれず、それでも持ち前のきれいな味に、
個性的ですなと楽しんだ。
ひさしぶりの、御湖鶴の安い純米は、
常温から燗で、控えめな旨みが感じられ、
だらだら飲んでいられるのが好い。
上等な銘柄は、馴染みの店の上等な魚で。
御主人と、味の感想言いあいながら酌めば好い。
この歳になると、ひとり、家での晩酌は、
ほっとする、ほどほどのところでじゅうぶんなこととなる。
ずいぶんひさしぶりの、越後の〆張り鶴の本醸造は、
熱めの燗が合う。
空いたら、島根の李白が待っている。
足の調子がわるくても、気にせずだらしなく酔っているのだった。



  


健さんを観ながら

2014年11月27日

 へこりと at 10:29  | Comments(2)
霜月 十

高倉健さんが亡くなった。
とくべつファンではなかったものの、偉大な俳優さんの訃報に、
おどろいてしまったのだった。
子供のころ、映画館の前に、背中に刺青をしょって、
刀を持っていたポスターを見かけた。
やくざ映画で名が売れて、後年は、
かなしい過去を背負った、寡黙な男を演じていた。
若いときに、善光寺の節分会に招かれた。
それから毎年、お参りに来ていたという。
今年の二月二日、お参りの帰りに、
町内の北野家さんに、蕎麦を食べに立ち寄ったという。
隅っこの、ついたて越しの席に座っていたのを、
女将さんが気がついた。
あっと声をあげたら、人差し指を口に当てて、
内緒での仕草をした。
私的なひとときを、他のお客に気づかれずに帰られたという。
後日、北野家さんへと書かれた、サイン入りの写真が届いた。
形見となった気遣いは、店内に飾られている。
亡くなってから、主演の作品が、テレビで放送されている。
湯豆腐で燗酒を酌みながら、「駅」を観た。
吹雪の夜、健さんがおでん屋に立ち寄る場面があった。
倍賞千恵子演じる女将と知り合って、仲良くなる。
大晦日の晩、カウンターで寄り添いながら酌み合う姿に、
いいなあとひとり言が出た。
おなじ年頃の、艶やかな女将のいる店があったなら、
足しげく通ってみたいものだった。
行きつけの、鶴賀のちいさなおでん屋は、
背の高いひげ面の、のどかな若だんなが営んでいる。
寄り添われてもなあ。
現実は、妄想のようにはいかないのだった。





  


地震が来て

2014年11月25日

 へこりと at 16:34  | Comments(0)
霜月 九

土曜日、好い加減で酔っぱらっていたら、地震が来た。
激しい揺れに、茶の間の茶箪笥の戸が開いて、
つぐつぎとグラスが落ちる。
あわてて支えて、治まるのを待った。
両親と友だちに電話をしてもつながらない。
とりあえず、実家の様子をうかがいに出た。
善光寺の境内を抜けて行けば、灯篭が倒れている。
実家の並びのお宅二軒、そろって塀が倒れて、
道をふさいでいた。
家の中では、寝間着姿の父母が、途方にくれていた。
箪笥が倒れて、本棚がずれている。
着道楽の母の、積み上げられた衣装ケースも、
みんな落ちていた。
陶器の花瓶や置物に、額縁も落ちて割れていた。
ガレージでは、二段に積んだ靴箱が、
車にもたれてきずをつけていた。
おおまかなところだけ元に戻し、あとは明日以降とする。
ニュースで知った、遠くの友だち知人から、
メールが来ていた。
電話をして無事を知らせ、気遣いに感謝した。
翌朝ひとまわりをしたら、古いお宅や宿坊のあちこちで、
壁がくずれたり、ガラスが割れている。
近所のコンビニや酒屋では、
陳列してある商品が、ずいぶん落ちて割れたという。
なじみの蕎麦屋では、連休のかきいれどきに、
どんぶりの半分が、割れて使い物にならなくなった。
休日の月曜日、ふたたび実家へむかう。
陽の下で見ると、善光寺の灯篭も、あちこちで倒れている。
善光寺保育園のむかい、おおきな宴会場の壁が、
広くくずれて骨組みが顔を出していた。
実家でも、塀や壁の一部がくずれ、庭の灯篭が倒れていた。
手分けをして片づけていたら、
業者さんがやって来て、倒れた塀を、
つぎつぎとトラックで運んでいく。
このくらいで済んだのは幸いだった。
冬を前に、もっと甚大な被害を受けたかたがたの、
心情はいかばかりなのか。
師走のひと月が、しずかにすごせますよう、
願わずにいられない。


  


ボジョレー・ヌーヴォーの日に

2014年11月22日

 へこりと at 12:55  | Comments(0)
霜月 八

毎月、馴染みのおでん屋のひろびろさんで、
ワインの会をやっている。ひとり一本持ち込んで、味を利く。
今月は、折よく第三木曜日。
ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日とかさなった。
買ったばかりの一本をぶら下げて出かけた。
解禁日といっても、
景気がよかった頃のような、ばか騒ぎも見られず、
この頃は、毎年しずかに迎えている。
冬を前に、新米、新そば、新酒ときて、
海の向こうからボジョレー・ヌーヴォー。
毎年、実りのあたらしい味に向き合えるのは、
生きていてよかったと思えて、ありがたいのだった。
気のおけないかたがたと、味の感想を言い合いながら、
つぎつぎとボトルを空にして酔っぱらった。
飲食店を営んでいたいとこがいた。
ラーメンとケーキと珈琲が人気の店で、繁盛していた。
初めてボジョレー・ヌーヴォーを飲んだのがいとこの店で、
ブームになる前のころだったから、
ずいぶんありがたがって飲んだのを覚えている。
借金をして、店をおおきくした頃に、
景気の波が下がったのがいけなかった。
客足がおちて、ストレスから酒量が増えて、体をこわした。
ボジョレー・ヌーヴォーの日に旅立ったから、
毎年この日が来ると思いだす。
今年で十三年。
年が明ければ、いとことおなじ歳になる。
亡くなったかたの年齢に追いつくのは、
気持ちがしんとなることだった。



  


えびす講におでんに

2014年11月21日

 へこりと at 08:36  | Comments(0)
霜月 七

長野の冬は、えびす講とともにやってくる。
11月19日、いつものだるま屋さんが、だるまを持ってきた。
茶箪笥の上に置いてある、昨年のだるまの左目を入れて、
一年間、なんとか食べていけました。手を合わせ、
右目を入れた、あたらしいだるまと取りかえた。
夕方、西ノ宮神社へお参りに出かけた。
道沿いに、熊手やだるまの露店が並び、
おじさんやおばさんが、行きかう人に声をかけている。
境内には、お参り客の長い列ができていて、
並ぶのはめんどうと、あっさりあきらめた。
ことさら冷える宵えびすの夜は、
おでんに燗酒ですなと、ひろびろさんへ河岸をかえた。
定期購読しているサライの今月の特集は、
おでん東西だった。
あちこちのおでん屋が紹介されて、旨そうな写真に、
昼から一杯やりたくなる。
先日、日本酒の会でお会いした杜氏さんは、
日本酒が合わせにくい料理は?との問いに、
おでんと答えていた。
野菜に豆腐に肉に練り物。
いろんな食材すべてに合う味を、醸すのはむずかしいという。
好き味求める造り手さんは、
庶民の味のおでんにも、するどい目をむけているのだった。
日ごろ、そこそこ好い酒を酌んでいる身でも、
ゆるいおでんのひとときには、安い普通酒が似合うと思っている。
場末の、古い店のカウンターで、
味の染みたおでんをつまみに、安い酒を酌む。
おでん屋ほど、男やもめのみすぼらしさが、
絵になる場所はない。
翌朝、ふたたびお参りに出向いた。
露店には朱色のシートがかけられて、開店にはまだ早い。
境内には、すでにお参りするかたの姿があった。
受付では、そろいの衣装の巫女さん三人、
にこにこと言葉を交わしている。
拝殿に、二礼二拍一礼。酒くさいなりで頭を下げても、
神様が聞いてくれるか、こころもとないことだった。






  


信濃町のお蔵さん

2014年11月19日

 へこりと at 09:35  | Comments(0)
霜月 六

また冬が来るなあ。などと思いながら酒を酌んでいる。
日曜日、馴染みの飲み屋の、いいださんへ出かけた。
上水内郡信濃町に、松尾を醸す高橋助作酒造店がある。
このたび、長野県の品評会で一位になったといい、
蔵元さんと杜氏さんを交えて、
いろいろ味を利いてみようの集まりだった。
熟成や貯蔵、水や米の性質、造りに関する話を聞きながら、
順番に杯をかたむける。
正直にもの申せば、以前は好みではなかった。
好き味をおぼえたころ、松尾の純米吟醸を買ったことがある。
ひと口飲んで、金を返してもらいたい気分になった。
知り合いの飲食店のだんながたと、
蔵見学に行ったことがある。
風情のある蔵の中を見せてもらい、
ずらり並んだ四合瓶を試飲した。
ところがみんな黙ったままで、だれも感想を口にしない。
蔵元を目の前に、
いただけない味ですとは言えないのだった。
それが、現在の杜氏さんが手がけるようになってから、
様相が変わる。
杜氏の駒村さんは、地元出身で、三十三歳と若い。
一年一年、試行錯誤をくりかえし、
造りに工夫をかさねてきた。
気になっていた老ね香や雑味が消えて、
冴えた味に仕上げているのだった。
程よい厚みのきれいな旨味は、努力のたまものとうかがえる。
行きつけのおでん屋で、松尾の安い普通酒を扱っている。
飲むたびに、旨くなったと感じていた。
案の定、安い酒でも手を抜かず、
酒質を上げているとのことだった。
でも、地元のおじさんの中には、前のきたない味が良かった、
という人もいてと、苦笑いを浮かべた。
米は、地元も含めた県産米。水は、戸隠山系、鳥居川の軟水。
今季の造りが始まっているといい、
来月のはじめには新酒が出るという。
さっそくの楽しみごととなる。



  


性格うんぬん

2014年11月18日

 へこりと at 10:10  | Comments(0)
霜月 五

近所のかたが訪ねてきた。
高校受験を控えた息子さんがいて、
ぜんぜん勉強しなくてとこぼす。
夜も九時になれば布団にもぐってしまうといい、
それはたしかに早寝ですと笑った。
中学三年生のとき、毎晩、
深夜放送を聴きながら勉強をしていた。
志望の高校に合格できたものの、根気のない身はそこまでだった。
入学してからの三年間は、成績が下がる一方で、
かろうじて、三流大学にひっかかった。
飲み仲間の中に、公務員をしているかたがたがいる。
楽しく酔っているときは、おくびにも出さないものの、
ときどき、優秀なかたと思い出す。
大学四年生のときに、公務員の上級試験を受けたことがある。
一問目を見たときに、こりゃ、むりと悟り、
小論文に至っては、問われた課題の意味すら分からなかった。
勉強ができるということは、本人の努力もさることながら、
運動神経のように、
持って生まれたセンスもあるのではないかと思っている。
出来のわるい脳みそは、長年のアルコール漬けで、
ますますあやしくなっているのだった。
馴染みのべじた坊さんへ出かけたら、
常連さんがカウンターで酔っていた。
高校で、書道の先生をしているかただった。
べじた坊さんの店内にも、書が飾ってあって、
来れば、趣きのある字体を眺めながら、酌んでいる。
勤めている高校は、そんなにレベルが高くない。
卒業すれば、たいていの生徒が就職するという。
社会に出れば、性格の良し悪しが、職場の人間関係を左右する。
常々生徒に言っているのは、性格を良くするようにということだった。
まわりを見渡しても、仕事や勉強ができるのに、
人に慕われないかたがいる。
あの性格ではねと、思いあたるのだった。
具体的になにをどうすれば、
日々の有り様を、考える習慣を身につけるのは大事なこと。
気がつくのが遅すぎた身は、
今になり、ときどきへこむ目にあっている。



  


中学生のころを

2014年11月14日

 へこりと at 15:44  | Comments(0)
霜月 四

朝の冷え込みがふかくなり、明けるのがおそい。
星を眺めながら善光寺へ行き、
お朝事前の本堂で手を合わせた。
奥の入れ込みで若い坊さんがふたり、
暖をとりながら談笑していた。
氏神さんに手を合わせ、ラジオ体操をする。
玄関前の掃除をしたら、白湯を一杯、体をあたためる。
新聞をひろげて、
消費再増税先送りの記事に目を通すころ、
ぽつりぽつりと柳町中学の生徒たちが、
路地を抜けて行くのだった。
のんびり歩いていく女の子に、不機嫌そうな顔をした男の子、
毎朝、必死の形相ですぎて行く男の子の、走りっぷりが好い。
先日ひさしぶりに訪ねてみたら、すっかり様変わりをしていた。
出来たばかりの校舎の正面には、
全国大会出場 剣道部 男子団体/個人 近藤巧哉さん、
相撲競技 石坂亘平さんとある。
どちらも、通っていたころはなかった運動部だった。
校舎も部活も変わっても、
あいかわらず、白い肩かけかばんだけは昔のままだった。
霜月のはじめ、初めてのかたと、ひさしぶりのかたと宴をした。
中学校の先輩がたで、
きのこ鍋を囲んで思い出話を繰りだせば、
40年前の、純情無垢だった恋話に盛り上がって、杯がすすんだ。
バスケットボールをやっていて、毎日体育館で汗を流していた。
練習量は多かったのに、からっきし弱かった。
子供のときは、指導する先生の力量が結果に出ると
今さらながらにわかる。
好きだったのは、国語に社会。
きらいだったのは、理科に英語に数学。
いちど、理科の試験で93点をとったことがあった。
やれば出来るではないかと感心したら、
先生の採点ミスで、ほんとは83点だった。
ちょっと迷って、言わずじまいでごまかした。
熱を上げていたのは、
室内楽部でバイオリンを弾いていた、5組の女の子。
いちどいっしょに映画を見に行っただけで、
卒業式の日にさっぱりとふられた。
ものごとごまかす不誠実さも、
中途はんぱに惚れてしくじるところも、
ぜんぜん変わっていない。
つくづく、進歩がないまま歩いている。





  


須坂へ

2014年11月11日

 へこりと at 12:47  | Comments(0)
霜月 三

須坂へ出かけた。
臥竜公園の紅葉を眺めようと思いたったのだった。
電車が駅で停まるたび、
小学生に中学生に高校生が乗りこんできて、
にぎやかになる。
駅を出たら、飲み屋の並ぶ小路を抜けて、
須坂高校の生徒に混ざって、坂を上がって行く。
小山小学校の校舎から、子供たちの元気な声が聞こえる。
玄関のガラス戸に、ともだち月間と貼ってあり、
すすんでともだちの輪を広げようと書いてあった。
臥竜公園の紅葉は、さかりのときを過ぎ、
春、みごとな桜を咲かせた木々は、
ずいぶん葉が落ちていた。
池のまわりに並ぶおでん屋も、そろって店を閉めている。
わきの坂道で、運動着姿の高校生が、
スタートダッシュをくりかえし、汗を流していた。
滝の流れる小山では、もみじが朱に赤に映えている。
菊科展の最中で、たいそうりっぱな菊が、
ずらっと並んでいた。
ひとまわりして、ほそい通りを歩いていけば、
豆腐屋に食堂に飲み屋が、
すっかり店じまいをしてわびしい。
勝善寺の境内では、いちょうにもみじが空に伸びていた。
むかいの連休寺の門前には、
人生は長いだけが能ではない。長さに加えて広さ、
広さに加えて深さ、長くて広くて深い人生を送りたいと、
ずいぶん欲張りなことが書いてある。
不摂生に日々を過ごす身には、
とうてい無理なことだった。
道すがら、臥龍山という銘柄を醸す、
松葉屋酒造さんの前を通った。
つい最近、廃業したと聞いたのだった。
いちど、日本酒のイベントで飲んだことがある。
年配の、蔵元の奥さんが応対してくれたと思いだし、
どんな思いで造りをやめたのか、
煙の出ていない煙突を眺めた。



  


語りに柄が出て

2014年11月06日

 へこりと at 15:53  | Comments(4)
霜月 二

この頃朝がいけない。
NHKの連続テレビ小説を観ているのだった。
マッサンは、日本で初めてウイスキーを造った、
竹鶴政孝さんの物語で、
酒好きの身には、楽しみなドラマだった。
ところが毎朝、主人公のマッサンが、奥さんやご近所さんや、
仕事仲間に怒鳴っている場面が出る。
ここずっと、バラエティーやドラマを観ていない。
派手な笑いや、おおきな声から
遠ざかっていたのもいけなかった。
めりはりつけるためとはいえ、朝いちばんからの騒々しさは、
うんざりしてしまうのだった。馴染みの飲み屋へ行くと、
年配の常連さんと出会うことがある。
物腰やわらかく、しずかにしゃべるかたとの一献は、
楽しく酌める。うらはらに、おおきな声で、
ご自身の論説を語るかたもいる。
そういうかたは、たいてい他人の話に耳かたむけずだから、
会話が成り立たない。
がまんして、修業の気分で飲まなければいけないのだった。
先日、柳家小三治さんの落語を聴いたとき、
長めのまくらの話といえば、
近所のおじいさんの世間話のようなものだった。
それが疲れず、引き込まれ、本題の時そばまで、
あっという間に過ぎた。語るというあたりまえの仕草にも、
奥行きがあると感嘆したのだった。
宮城のお蔵の新澤さんの、愛宕の松の新酒を飲んだ。
みどり色の一升瓶に、26BY新米新酒のシールが貼られ、
この頃は、新酒の出るのがほんとに早い。
淡い澱のからんだ味を利けば、
きめの細かい旨みが爽やかで、すっと切れていく。
品があるなあ。すなおにそんな言葉が浮かんだ。
他人様の語り口をいろいろいえる身ではなかった。
品のある酒を飲んでいるのに、
酔えば、品のない下ネタばかりをしゃべっている。
ざまがないことだった。


  


御湖鶴のお蔵さんへ

2014年11月04日

 へこりと at 11:41  | Comments(0)
霜月 一

文化の日、せいせいと晴れて気持ちが好い。
電車に乗って下諏訪へ出かけた。
御湖鶴を醸す菱友酒造さんの、蔵開きがあったのだった。
駅で降りたら、じきにハロウィーンのかっこをした、
親子の集団に遭遇した。
この日は、三角八丁という地域の祭りも行われていた。
中仙道を渡って御田町商店街の通りを往くと、
すでにお蔵の前にひとだかりがある。
グラスを受けとったら、普通酒から大吟醸まで。
並んだ一升瓶は、飲み放題と気前が好い。
かたわらではお兄さんたちが、焼き鳥からあげほお葉焼き、
元気よく、酒のつまみを作っている。
つぎからつぎへと酒を求める人がやって来て、
敷地も通りも、わいわいにぎやかになってくる。
はっぴを着た、木遣り保存会の子供たちがやって来て、
やまのかみさま、おねがいだ~。
張りのある木遣りを聞かせてくれる。
筋骨たくましいしぶいお兄さんたちが、
腹にひびく太鼓の演奏をしてくれた。
ぶらりと下諏訪大社の秋宮へ行けば、
境内の紅葉が見頃の色を添え、
七五三の親子がお参りをしていた。
お蔵のある御田町商店街は、
昔ながらの瀬戸物屋に惣菜屋、本屋があって、
パン屋に、おしゃれな喫茶店もある。
角を曲がれば、
愛想のよいおばちゃんが、番台に座る温泉もあった。
住み心地が好さそうな町なのだった。
すっかり酔って、千鳥足で帰ってゆくおじさんに、
踊りおえて一杯始めた、
きれいな衣装のフラメンコのお姉さんがた、
蔵のなかでは、酒粕の詰め放題をやっていて、
関西弁のおばちゃんが、親のかたきのように詰めていた。
ちいさな通りで、地元のおじいさんたちに混ぜてもらい、
のんびりと蔵開きを楽しんだ。
ゆる~く酔わせてもらったのだった。