木曽へ
文月 十一
伊那へ出かけた次の日、
友だちのプジョーに乗せてもらい、
雨の中を、
木曽の開田高原まで足を伸ばした。
木曽に暮らす友だちふたりと、
昼のひとときを一緒することになっていた。
開田高原に店をかまえるわらび野さんは、
おもむきのある料理屋さんで、
先に着いてしばらく待てば、
見覚えのあるラパンがやってきた。
おなじ歳の友だちに、年下の友だち、
ひさしぶりでとあいさつ交わし、
お茶みっつにビールひとつの乾杯となる。
わらび野さんの料理は、
この日も見た目も味も好く、
地酒の中乗りさんの杯もすすむ。
おなじ歳の友だちは、
春のはじめに喉の調子をわるくした。
一年ぶりにお会いしたら、思ったよりも、
元気に声が出ていて安心をする。
完治するまでは、
アルコールが飲めないというから、
全快のあかつきには、
楠ワイナリーさんのマリコヴィンヤードかなと、
早々のお祝いを描く。
木曽の二人は今年の冬、
一泊二日で香川まで、
うどんめぐりの旅行をしてきたという。
そのあとも、
思いついたら計画立てて即実行。
日帰りで、京都に行ったり北陸へ行ったりと、
なにしろフットワークが軽いのだった。
面倒くさがりで、あれこれ思い描いても、
動きだすまでとかく時間のかかる身は、
見習いたいことだった。
年下の友だちのラパンは、十四万キロを
走ったといい、フットワークの軽さが、
そのまま走行距離にあらわれている。
このたび、あたらしいラパンに
買い換えることにしたというから、
慣らし運転がてら、長野にランチに
来ていただきたい。
土産にいただいた、
木祖村のバーゼさんの焼き菓子は、
冷酒やワインに合う味で、
呑み助にふさわしいものをありがたい。

伊那へ出かけた次の日、
友だちのプジョーに乗せてもらい、
雨の中を、
木曽の開田高原まで足を伸ばした。
木曽に暮らす友だちふたりと、
昼のひとときを一緒することになっていた。
開田高原に店をかまえるわらび野さんは、
おもむきのある料理屋さんで、
先に着いてしばらく待てば、
見覚えのあるラパンがやってきた。
おなじ歳の友だちに、年下の友だち、
ひさしぶりでとあいさつ交わし、
お茶みっつにビールひとつの乾杯となる。
わらび野さんの料理は、
この日も見た目も味も好く、
地酒の中乗りさんの杯もすすむ。
おなじ歳の友だちは、
春のはじめに喉の調子をわるくした。
一年ぶりにお会いしたら、思ったよりも、
元気に声が出ていて安心をする。
完治するまでは、
アルコールが飲めないというから、
全快のあかつきには、
楠ワイナリーさんのマリコヴィンヤードかなと、
早々のお祝いを描く。
木曽の二人は今年の冬、
一泊二日で香川まで、
うどんめぐりの旅行をしてきたという。
そのあとも、
思いついたら計画立てて即実行。
日帰りで、京都に行ったり北陸へ行ったりと、
なにしろフットワークが軽いのだった。
面倒くさがりで、あれこれ思い描いても、
動きだすまでとかく時間のかかる身は、
見習いたいことだった。
年下の友だちのラパンは、十四万キロを
走ったといい、フットワークの軽さが、
そのまま走行距離にあらわれている。
このたび、あたらしいラパンに
買い換えることにしたというから、
慣らし運転がてら、長野にランチに
来ていただきたい。
土産にいただいた、
木祖村のバーゼさんの焼き菓子は、
冷酒やワインに合う味で、
呑み助にふさわしいものをありがたい。

伊那へ
文月 十
日曜日、仕事を早仕舞いして伊那に出かけた。
友だちに会いにいったのだった。
茅野行きの電車に乗って二時間あまり。
岡谷で乗り換えて五十分。
のんびりと缶ビールを飲みながら、
夏の緑を眺めて行った。
体格良く、ひげ面で坊主頭の友だちは、
いかつい成りの見かけによらず、
ファニーマーケットという、おしゃれな雑貨屋さんを
営んでいる。
出向いていって、あいさつ交わして眺めてみれば、
広い店内に、夏物の服や帽子に、
アンティークや、和や洋の雑貨に、
ガーデニングの小物などがコーナーごとに
きれいに並べられている。
つぎつぎとお客さんが入ってきて、
会計をしたり商品の説明をしたり、
スタッフのかたがたの応対がさわやかなのは、
友だちの教育のたまものと感心した。
久しぶりの友だちは、左手に包帯をしていたから
尋ねたら、自転車で転んだといい、
相変わらず熱心に、ロードバイクのペダルをこいでいる。
自家用車が、マークXジオから
プジョーの508のワゴンに変わっていて、
かっこいいではないかと見惚れた。
外車を買うにつけて、ベンツでもアウディでもなく
なぜ、プジョーをと尋ねれば、
そういうドイツの車では、いかにもの感じがするからと
返ってきた。
社長の肩書きあるものの、
自由人の雰囲気のある人だから
ラテンの車は好いセンスで、似合っていると感心した。
夕方、落ちついた雰囲気の
蕎麦居酒屋に連れて行ってもらい、
乾杯をした。
刺身と生がきをつまみに、井の頭に信濃鶴、
こんな夜にと地元の酒を利いてみれば、
南信の酒もまた旨い。
酌み交わしながら、この頃の様子をうかがえば、
子供のことや店のこと、
父親として、社長としての気苦労が伝わってくる。
おなじ歳でも、
養うもののない、ひとりの商いの身には、
比べようのない抱えごとをしているのだった。
もう一軒、馴染みの店に連れて行ってもらい、
白ワイン一本空にして、
伊那のひとときに好く酔った。
ファニーマーケットは、伊那市駅から1,5キロ。
伊那街道沿いにある。
近くにお越しの際は足を運んでくださいな。

日曜日、仕事を早仕舞いして伊那に出かけた。
友だちに会いにいったのだった。
茅野行きの電車に乗って二時間あまり。
岡谷で乗り換えて五十分。
のんびりと缶ビールを飲みながら、
夏の緑を眺めて行った。
体格良く、ひげ面で坊主頭の友だちは、
いかつい成りの見かけによらず、
ファニーマーケットという、おしゃれな雑貨屋さんを
営んでいる。
出向いていって、あいさつ交わして眺めてみれば、
広い店内に、夏物の服や帽子に、
アンティークや、和や洋の雑貨に、
ガーデニングの小物などがコーナーごとに
きれいに並べられている。
つぎつぎとお客さんが入ってきて、
会計をしたり商品の説明をしたり、
スタッフのかたがたの応対がさわやかなのは、
友だちの教育のたまものと感心した。
久しぶりの友だちは、左手に包帯をしていたから
尋ねたら、自転車で転んだといい、
相変わらず熱心に、ロードバイクのペダルをこいでいる。
自家用車が、マークXジオから
プジョーの508のワゴンに変わっていて、
かっこいいではないかと見惚れた。
外車を買うにつけて、ベンツでもアウディでもなく
なぜ、プジョーをと尋ねれば、
そういうドイツの車では、いかにもの感じがするからと
返ってきた。
社長の肩書きあるものの、
自由人の雰囲気のある人だから
ラテンの車は好いセンスで、似合っていると感心した。
夕方、落ちついた雰囲気の
蕎麦居酒屋に連れて行ってもらい、
乾杯をした。
刺身と生がきをつまみに、井の頭に信濃鶴、
こんな夜にと地元の酒を利いてみれば、
南信の酒もまた旨い。
酌み交わしながら、この頃の様子をうかがえば、
子供のことや店のこと、
父親として、社長としての気苦労が伝わってくる。
おなじ歳でも、
養うもののない、ひとりの商いの身には、
比べようのない抱えごとをしているのだった。
もう一軒、馴染みの店に連れて行ってもらい、
白ワイン一本空にして、
伊那のひとときに好く酔った。
ファニーマーケットは、伊那市駅から1,5キロ。
伊那街道沿いにある。
近くにお越しの際は足を運んでくださいな。

痛い思いで
文月 九
顔をぶつけた。
飲み屋からの帰り道、
コンビニでカップラーメンを買った。
お湯を注いで三分。
舞っている間に眠りこけて、
椅子から転げ落ちたのだった。
以前もおなじことをした覚えがあるから、
つくづく学習能力がない。
翌朝、腫れた顔で、
すっかりふやけたラーメンを見れば、
さめざめと悲しい。
このごろ怪我や病気をするたびに、
治りがおそいと感じている。
歳のせいもあることながら、
日ごろの食生活がいけないと、
栄養にくわしいかたに言われ思い当たる。
家での食事といえば、
出来合いのものばかり買って食べている。
家庭を持っていたときは、
ときどき料理もやっていた。
醤油やみりんや塩も、
取り寄せの良いものを使っていたから、
袋を開けて、皿に盛って出来上がりの、
手抜きの今の暮らしにくらべると
他人ごとの気分になる。
定期購読しているクロワッサンに、
料理の特集が載っていれば、
そのたび本棚に並べていたのに、
いつだったか、さっぱり片づけてしまった。
野菜を煮たり魚を焼いたり、
面倒くさがり屋に出来たのも、
食べてくれる人がいたからだった。
人さまと暮らすということは、
体のためにも好いことと、よくよくわかる。
体だけでなく、
気持ちも盛り上がらない日も多いかなと、
感じるときもある。
手抜きの毎日を我が身にほどこしていると、
身にも気にもそれ相応の反応が出る。
すこし、暮らしのむきを変えなきゃと気づいたのは、
おそすぎるくらいのことだった。
ぶつけた顔の目のふちが、
一日経って青あざになった。
みっともないから、めがねをかけてごまかしている。
訪ねてきたかたに、
めがね、似合いますね。
ぼんやりした顔に、めりはりがついていいですと、
うれしくない褒め言葉をいただいてしまった。

顔をぶつけた。
飲み屋からの帰り道、
コンビニでカップラーメンを買った。
お湯を注いで三分。
舞っている間に眠りこけて、
椅子から転げ落ちたのだった。
以前もおなじことをした覚えがあるから、
つくづく学習能力がない。
翌朝、腫れた顔で、
すっかりふやけたラーメンを見れば、
さめざめと悲しい。
このごろ怪我や病気をするたびに、
治りがおそいと感じている。
歳のせいもあることながら、
日ごろの食生活がいけないと、
栄養にくわしいかたに言われ思い当たる。
家での食事といえば、
出来合いのものばかり買って食べている。
家庭を持っていたときは、
ときどき料理もやっていた。
醤油やみりんや塩も、
取り寄せの良いものを使っていたから、
袋を開けて、皿に盛って出来上がりの、
手抜きの今の暮らしにくらべると
他人ごとの気分になる。
定期購読しているクロワッサンに、
料理の特集が載っていれば、
そのたび本棚に並べていたのに、
いつだったか、さっぱり片づけてしまった。
野菜を煮たり魚を焼いたり、
面倒くさがり屋に出来たのも、
食べてくれる人がいたからだった。
人さまと暮らすということは、
体のためにも好いことと、よくよくわかる。
体だけでなく、
気持ちも盛り上がらない日も多いかなと、
感じるときもある。
手抜きの毎日を我が身にほどこしていると、
身にも気にもそれ相応の反応が出る。
すこし、暮らしのむきを変えなきゃと気づいたのは、
おそすぎるくらいのことだった。
ぶつけた顔の目のふちが、
一日経って青あざになった。
みっともないから、めがねをかけてごまかしている。
訪ねてきたかたに、
めがね、似合いますね。
ぼんやりした顔に、めりはりがついていいですと、
うれしくない褒め言葉をいただいてしまった。

呉服屋さんへ
文月 八
よわい八十をすぎた母は、
若いときから着道楽なひとだった。
いまでもときどき服を買っていて、
おしゃれ心をなくさないのは、
気持ちが若くて好いとながめている。
着物好きの友だちが、
展示会があるのでご一緒にと
声をかけてくれた。
駅前にある老舗の呉服屋は、
かつて母が贔屓にしていた店だった。
その頃目をかけていた社員のかたが、
いま専務になっているという。
ひさしぶりにと足を運んだら、
たくさんの着物、
刺激が会って楽しかったという。
十年前におおきな手術をして、
帯をしめると傷口にひびくからと、
着る機会がなくなった。
柔らかい生地の帯があったから、
これならしめても平気と買ってきたという。
それはよかったと言ったあとに、
値段を聞かされて、まじっすかあ!と
ひっくり返りそうになった。
買うなら良いものをが、
昔からあたりまえのひとだった。
コンビニでおにぎりを買うような感覚で、
さらっと着物に手を出す豪気な柄は、
ビール一本、十円二十円のちがいで
エビスにしようか黒ラベルにしようか
なやんでしまう、
気の小さい息子から見れば
うらやましいことだった。
お前に似合いの下駄があったという。
折りよく安売りセールがあるからと、
後日、着物好きの友だちも誘い呉服屋へ
出向いた。
開店早々、すでにたくさんのご婦人方が
訪れている。
専務さんのあいさつを受けて、
会場を案内される。
素人目にも、
これは見事という華やかな柄がならび、
見とれていたら、
息子さんにはこんなのがお似合いと、
さささと鏡の前に立たされて、
江戸小紋の反物をあてられる。
いや、そんな色気のある柄は、
この貧相な顔には似合わないと
即座に母が却下して選んだ柄は、
たしかにこの貧相な顔にも好く馴染み、
長い間に養った、玄人目はさすがと感心した。
大島紬の好きな母と、はるばる出張してきた
織り元さんの話を聞けば、
織りにも染めにも、
ずいぶんの手間がかかっている。
ふかい色柄は、見れば見るほど引き込まれ、
買ってしまう気持ちもわかるのだった。
これだけのもの、さぞかしと値札を見たら、
案の定、ひええ~っという額なのに、
大島も安くなったわねえ。
平然とつぶやく母にもひええ~っとなった。
じっくり目の保養をさせていただいて、
さらりと着流し姿で杯を酌む。
そんな粋な酒徒になりたい気分に
ひたったのだった。

よわい八十をすぎた母は、
若いときから着道楽なひとだった。
いまでもときどき服を買っていて、
おしゃれ心をなくさないのは、
気持ちが若くて好いとながめている。
着物好きの友だちが、
展示会があるのでご一緒にと
声をかけてくれた。
駅前にある老舗の呉服屋は、
かつて母が贔屓にしていた店だった。
その頃目をかけていた社員のかたが、
いま専務になっているという。
ひさしぶりにと足を運んだら、
たくさんの着物、
刺激が会って楽しかったという。
十年前におおきな手術をして、
帯をしめると傷口にひびくからと、
着る機会がなくなった。
柔らかい生地の帯があったから、
これならしめても平気と買ってきたという。
それはよかったと言ったあとに、
値段を聞かされて、まじっすかあ!と
ひっくり返りそうになった。
買うなら良いものをが、
昔からあたりまえのひとだった。
コンビニでおにぎりを買うような感覚で、
さらっと着物に手を出す豪気な柄は、
ビール一本、十円二十円のちがいで
エビスにしようか黒ラベルにしようか
なやんでしまう、
気の小さい息子から見れば
うらやましいことだった。
お前に似合いの下駄があったという。
折りよく安売りセールがあるからと、
後日、着物好きの友だちも誘い呉服屋へ
出向いた。
開店早々、すでにたくさんのご婦人方が
訪れている。
専務さんのあいさつを受けて、
会場を案内される。
素人目にも、
これは見事という華やかな柄がならび、
見とれていたら、
息子さんにはこんなのがお似合いと、
さささと鏡の前に立たされて、
江戸小紋の反物をあてられる。
いや、そんな色気のある柄は、
この貧相な顔には似合わないと
即座に母が却下して選んだ柄は、
たしかにこの貧相な顔にも好く馴染み、
長い間に養った、玄人目はさすがと感心した。
大島紬の好きな母と、はるばる出張してきた
織り元さんの話を聞けば、
織りにも染めにも、
ずいぶんの手間がかかっている。
ふかい色柄は、見れば見るほど引き込まれ、
買ってしまう気持ちもわかるのだった。
これだけのもの、さぞかしと値札を見たら、
案の定、ひええ~っという額なのに、
大島も安くなったわねえ。
平然とつぶやく母にもひええ~っとなった。
じっくり目の保養をさせていただいて、
さらりと着流し姿で杯を酌む。
そんな粋な酒徒になりたい気分に
ひたったのだった。

根知男山
文月 七
休日、飲み仲間のかたと昼酒を酌み交わす。
長野の地酒を飲みながら、
このごろは、新潟の酒もおとなしくなってという
話になった。
上越で生まれ育ったかただから、
故郷の酒が盛り上がらないのは、
少々さみしいことだった。
かつて地酒といえば、越後の端麗辛口と、
名の知れた銘柄が口にあがったものだった。
ちかごろは全国のあちこちから
ちいさなお蔵の旨い銘柄がぞくぞくと出て、
新潟の酒も目立たなくなってしまった。
それでも、なにかの折に口にすれば、
〆張り鶴に鮎正宗、鶴齢に妙高山に
竹林爽風、良寛と、やっぱり旨いですとなる。
近所に、モンマートとみやさんという店がある。
食料品から日用品まで扱っていて、
遠くに買い物にいけない近所のお年寄りに
重宝がられている。
夕方ともなれば、部活帰りの西高校生たちが
店の前でジュースを飲んだりアイスを食べて
くつろいでいる。
いつもにこにこ愛想の好いご主人がいて、
お酒好きのおかげで、日本酒や焼酎も
品揃えが好い。
先日店の前を通ったら、貼り紙がしてあった。
社長一押しの日本酒、根知男山。
くろぐろ達筆の字で書いてある。
糸魚川の近くの、ちいさなお蔵の銘柄で、
この界隈ではなかなか手に入らない。
店に入りご主人に尋ねたら、
このたび、取り引き相成りましたという。
純米吟醸を試飲させてもらったら、
かすかな含み香のあと、
やわらかな芯の旨みがすっと切れて、
好い味わいだった。
蔵を訪ねたら、
まず田んぼに案内されたという。
担い手なく、荒れた田んぼを借りて、
蔵元自ら米を作り、酒を仕込んでいるといい、
地元でしか出せない味を求めているのだという。
純米と本醸造をそれぞれ買って利いてみた。
どちらも飲み飽きしない旨さがあって、
あとくちがすがすがしい。
好いですなあと、
社長一押しの味に納得したのだった。
糸魚川駅で乗り換えて根知駅下車。
雨飾山と駒ケ岳の見える谷間に、
田と蔵があるという。
気持ちの好い風が吹くところというから、
みのりのころ、
電車に乗ってぶらぶら行ってみたくなる。

休日、飲み仲間のかたと昼酒を酌み交わす。
長野の地酒を飲みながら、
このごろは、新潟の酒もおとなしくなってという
話になった。
上越で生まれ育ったかただから、
故郷の酒が盛り上がらないのは、
少々さみしいことだった。
かつて地酒といえば、越後の端麗辛口と、
名の知れた銘柄が口にあがったものだった。
ちかごろは全国のあちこちから
ちいさなお蔵の旨い銘柄がぞくぞくと出て、
新潟の酒も目立たなくなってしまった。
それでも、なにかの折に口にすれば、
〆張り鶴に鮎正宗、鶴齢に妙高山に
竹林爽風、良寛と、やっぱり旨いですとなる。
近所に、モンマートとみやさんという店がある。
食料品から日用品まで扱っていて、
遠くに買い物にいけない近所のお年寄りに
重宝がられている。
夕方ともなれば、部活帰りの西高校生たちが
店の前でジュースを飲んだりアイスを食べて
くつろいでいる。
いつもにこにこ愛想の好いご主人がいて、
お酒好きのおかげで、日本酒や焼酎も
品揃えが好い。
先日店の前を通ったら、貼り紙がしてあった。
社長一押しの日本酒、根知男山。
くろぐろ達筆の字で書いてある。
糸魚川の近くの、ちいさなお蔵の銘柄で、
この界隈ではなかなか手に入らない。
店に入りご主人に尋ねたら、
このたび、取り引き相成りましたという。
純米吟醸を試飲させてもらったら、
かすかな含み香のあと、
やわらかな芯の旨みがすっと切れて、
好い味わいだった。
蔵を訪ねたら、
まず田んぼに案内されたという。
担い手なく、荒れた田んぼを借りて、
蔵元自ら米を作り、酒を仕込んでいるといい、
地元でしか出せない味を求めているのだという。
純米と本醸造をそれぞれ買って利いてみた。
どちらも飲み飽きしない旨さがあって、
あとくちがすがすがしい。
好いですなあと、
社長一押しの味に納得したのだった。
糸魚川駅で乗り換えて根知駅下車。
雨飾山と駒ケ岳の見える谷間に、
田と蔵があるという。
気持ちの好い風が吹くところというから、
みのりのころ、
電車に乗ってぶらぶら行ってみたくなる。

誘われて
文月 六
夏風邪をひいた。
連日連夜、ビールと酒で体を冷やし、
パンツ一丁で寝ていたせいだった。
喉が荒れて咳がとまらない。
熱が上がらなかったことだけ幸いだった。
仕事場でエアコンを入れるようになってから、
足首が冷えて痛い。
風呂に入っても、
ぬるめのシャワーで済ませているから、
血行もよくない。
そんなふうに、
気だるい毎日を過ごしていても、
飲みに行きましょうとお声がかかれば
出ないわけにはいかない。
年上のかたに、お誘いいただいたのだった。
馴染みの店で知り合ったかたで、
いつも穏やかな物ごしで、
気持ちの好い一献を交わしてもらっている。
連れて行っていただいたのは、
魚の品揃えの好い店で、
あなごと金目鯛とあいなめをつまみに
銀盤と〆張り鶴を酌み交わす。
以前はビールばかり飲んでいた。
知り合えたおかげで、
日本酒の旨さを教えてもらいましたと
お礼をいわれ、
それしか取り得がないものでと恐縮した。
胃がんの手術をしてから、
すっかり量が飲めなくなったと初めて聞いて、
会うたびに、
若輩者にながなが付き合ってくれてと
こちらが頭を下げたくなった。
このごろ駅の近くから、郊外へ引っ越しをしたから、
飲みに出る機会が減って、体のためにも好いという。
縁を大事にするかただから、馴染みの店にも、
義理立てて、足繁く通っていたと察しがつく。
歳かさね、病のときを経て、
無理かけずのひとときに誘っていただいたのは、
ありがたいことだった。
もう一軒と案内されたのは、
気さくなママのいる店で、スナックなのに、
山口の獺祭が置いてあり、うれしい。
杯かさね、すっかりごちそうになったから、
次回はこちらのお馴染みさんにお連れして、
しゅくしゅくお返ししたいと決めたのだった。

夏風邪をひいた。
連日連夜、ビールと酒で体を冷やし、
パンツ一丁で寝ていたせいだった。
喉が荒れて咳がとまらない。
熱が上がらなかったことだけ幸いだった。
仕事場でエアコンを入れるようになってから、
足首が冷えて痛い。
風呂に入っても、
ぬるめのシャワーで済ませているから、
血行もよくない。
そんなふうに、
気だるい毎日を過ごしていても、
飲みに行きましょうとお声がかかれば
出ないわけにはいかない。
年上のかたに、お誘いいただいたのだった。
馴染みの店で知り合ったかたで、
いつも穏やかな物ごしで、
気持ちの好い一献を交わしてもらっている。
連れて行っていただいたのは、
魚の品揃えの好い店で、
あなごと金目鯛とあいなめをつまみに
銀盤と〆張り鶴を酌み交わす。
以前はビールばかり飲んでいた。
知り合えたおかげで、
日本酒の旨さを教えてもらいましたと
お礼をいわれ、
それしか取り得がないものでと恐縮した。
胃がんの手術をしてから、
すっかり量が飲めなくなったと初めて聞いて、
会うたびに、
若輩者にながなが付き合ってくれてと
こちらが頭を下げたくなった。
このごろ駅の近くから、郊外へ引っ越しをしたから、
飲みに出る機会が減って、体のためにも好いという。
縁を大事にするかただから、馴染みの店にも、
義理立てて、足繁く通っていたと察しがつく。
歳かさね、病のときを経て、
無理かけずのひとときに誘っていただいたのは、
ありがたいことだった。
もう一軒と案内されたのは、
気さくなママのいる店で、スナックなのに、
山口の獺祭が置いてあり、うれしい。
杯かさね、すっかりごちそうになったから、
次回はこちらのお馴染みさんにお連れして、
しゅくしゅくお返ししたいと決めたのだった。

若いころは
文月 五
ひさしぶりの友だちが訪ねてきた。
読書が好きな人だから、
会えば本の話で会話がすすむ。
今、吉田健一を読んでいるというから、
むずかしそうなのをと感心した。
こう見えても、
若いときには人生にうつうつと
悩んでいたときもある。
糧をもとめて、小林秀雄や三島由紀夫に
高村光太郎などなど、
むずかしい本も読んだのに、
いまでは読んだ中身もおぼえていない。
よきにつけあしきにつけ、
ここまで歳をかさねれば、
こんなもんでしょうと、
おのれの程度も見えてくる。
本を買いに行っても、
極上の酒を生む土と人だの、
愛と情熱の日本酒だの、
ウイスキーは日本の酒だの、
千曲川ワインバレーだの、
このごろは好きな酒がらみの本しか
買っていない始末だった。
作家の酒という本を以前もとめた。
名の知れた作家のかたがたの、
好きな酒と肴が写真入りで紹介されている。
吉田健一も載っていて、
吉田茂元首相の息子で、
翻訳や評論や小説を書いていたという。
ビーフシチューで赤ワイン、
鱧のつけ焼きで菊正宗、タンの塩漬けで
シェリーと、
なかなかぜいたくな酒飲みでいらっしゃる。
犬が日向ぼっこをしているような心境で飲めと、
好いことをいっているから、
えらい作家の台詞も、酒にかかわることなら
すんなり身に染みるのだった。
身内に甥っ子がひとりいる。
函館に住んでいる兄の子で、
高校を卒業してから、
はるばる九州は宮崎の大学へと進んだ。
ときどき、つぶやいているのを覗いてみれば、
我が家の家系よろしく、
きちんと酒に慣れ親しんだ生活をしている。
卒業したあとも、
そのまま宮崎で暮らしていたのに、
このごろ覗いたら、
どうやら函館に戻ると決めたらしい。
親しんだ友だちと別れるさみしさや、
見えない未来へむける気持ちをつぶやいて、
ひとくぎりのときに立っている。
なにがあるかわからない道のりも、
ひとりの酒を静かに酌めば、
時が経ってゆく。
生きている我が身が過不足なく、
ただそこに在る。
なんとかなると、
おじさんは伝えたいのだった。

ひさしぶりの友だちが訪ねてきた。
読書が好きな人だから、
会えば本の話で会話がすすむ。
今、吉田健一を読んでいるというから、
むずかしそうなのをと感心した。
こう見えても、
若いときには人生にうつうつと
悩んでいたときもある。
糧をもとめて、小林秀雄や三島由紀夫に
高村光太郎などなど、
むずかしい本も読んだのに、
いまでは読んだ中身もおぼえていない。
よきにつけあしきにつけ、
ここまで歳をかさねれば、
こんなもんでしょうと、
おのれの程度も見えてくる。
本を買いに行っても、
極上の酒を生む土と人だの、
愛と情熱の日本酒だの、
ウイスキーは日本の酒だの、
千曲川ワインバレーだの、
このごろは好きな酒がらみの本しか
買っていない始末だった。
作家の酒という本を以前もとめた。
名の知れた作家のかたがたの、
好きな酒と肴が写真入りで紹介されている。
吉田健一も載っていて、
吉田茂元首相の息子で、
翻訳や評論や小説を書いていたという。
ビーフシチューで赤ワイン、
鱧のつけ焼きで菊正宗、タンの塩漬けで
シェリーと、
なかなかぜいたくな酒飲みでいらっしゃる。
犬が日向ぼっこをしているような心境で飲めと、
好いことをいっているから、
えらい作家の台詞も、酒にかかわることなら
すんなり身に染みるのだった。
身内に甥っ子がひとりいる。
函館に住んでいる兄の子で、
高校を卒業してから、
はるばる九州は宮崎の大学へと進んだ。
ときどき、つぶやいているのを覗いてみれば、
我が家の家系よろしく、
きちんと酒に慣れ親しんだ生活をしている。
卒業したあとも、
そのまま宮崎で暮らしていたのに、
このごろ覗いたら、
どうやら函館に戻ると決めたらしい。
親しんだ友だちと別れるさみしさや、
見えない未来へむける気持ちをつぶやいて、
ひとくぎりのときに立っている。
なにがあるかわからない道のりも、
ひとりの酒を静かに酌めば、
時が経ってゆく。
生きている我が身が過不足なく、
ただそこに在る。
なんとかなると、
おじさんは伝えたいのだった。

上田で飲んで
文月 四
上田へ出かけた。
駅をおりてほどなく行けば、
ちいさな飲み屋の立ちならぶ
路地に入り込む。
このたびは、馴染みの酒蔵さんに酒屋さん、
飲み屋さんの宴の席にまぜてもらったのだった。
地元の宮島酒店さんの案内で
初めての、花壱さんの座敷に腰をおろす。
積善、御湖鶴、仙醸、十九、北光正宗と、
信州の銘柄を堪能すれば、
ほんとに美味しくなりました。
自然と口に出る。たっぷり飲んで食べて、
二軒目のスナックでも、日本酒の瓶を空にして、
ホテルに着くなりつぶれた。
次の朝、窓から眺めれば、
新幹線のホームのむこう、千曲川沿いの、
のんびりした景色がひろがっている。
ぶらりと散歩に出れば、
上田高校の校舎から、にぎやかな吹奏楽の
音がひびいている。
緑におおわれた上田城のお堀のまわりで
犬を連れたおばさんや、
ジョギングをするおじさんとすれちがい,
真田神社に手を合わせるおじいさんに
おばあさんがいて、
城門前の塀の上で、女子高生がふたり
アイスを食べていた。
ホテルを出てから、同行したかたがたと、
宮島酒店さんへおじゃまをする。
市街地から十キロ、
菅平への道を上がってゆくと、
風も涼しくなってきて、じきに地酒専門店の
看板が見えてきた。
店に入って見わたすと、壁のはしからはし、
地域ごとに分けられて、信州の銘柄が
ずらりと列を成している。
それぞれのラベルを眺めながら
御主人の話に耳をかたむければ、
お蔵さんを応援する気持ちも伝わったきて、
このままここで一杯やりたくなってきた。
すこし迷って、中川村の今錦と、
佐久の明鏡止水、ひさしぶりの二本を
手に入れた。
ちいさな城下町の、のどかな風情が好い。
がんばっている酒屋さんがあるのは
輪をかけて好いことだった。
またふらふら酔っ払いに伺いたいのだった。

上田へ出かけた。
駅をおりてほどなく行けば、
ちいさな飲み屋の立ちならぶ
路地に入り込む。
このたびは、馴染みの酒蔵さんに酒屋さん、
飲み屋さんの宴の席にまぜてもらったのだった。
地元の宮島酒店さんの案内で
初めての、花壱さんの座敷に腰をおろす。
積善、御湖鶴、仙醸、十九、北光正宗と、
信州の銘柄を堪能すれば、
ほんとに美味しくなりました。
自然と口に出る。たっぷり飲んで食べて、
二軒目のスナックでも、日本酒の瓶を空にして、
ホテルに着くなりつぶれた。
次の朝、窓から眺めれば、
新幹線のホームのむこう、千曲川沿いの、
のんびりした景色がひろがっている。
ぶらりと散歩に出れば、
上田高校の校舎から、にぎやかな吹奏楽の
音がひびいている。
緑におおわれた上田城のお堀のまわりで
犬を連れたおばさんや、
ジョギングをするおじさんとすれちがい,
真田神社に手を合わせるおじいさんに
おばあさんがいて、
城門前の塀の上で、女子高生がふたり
アイスを食べていた。
ホテルを出てから、同行したかたがたと、
宮島酒店さんへおじゃまをする。
市街地から十キロ、
菅平への道を上がってゆくと、
風も涼しくなってきて、じきに地酒専門店の
看板が見えてきた。
店に入って見わたすと、壁のはしからはし、
地域ごとに分けられて、信州の銘柄が
ずらりと列を成している。
それぞれのラベルを眺めながら
御主人の話に耳をかたむければ、
お蔵さんを応援する気持ちも伝わったきて、
このままここで一杯やりたくなってきた。
すこし迷って、中川村の今錦と、
佐久の明鏡止水、ひさしぶりの二本を
手に入れた。
ちいさな城下町の、のどかな風情が好い。
がんばっている酒屋さんがあるのは
輪をかけて好いことだった。
またふらふら酔っ払いに伺いたいのだった。

記憶力がわるくて
文月 三
馴染みの店で、
伯楽星のグラスをかたむけていたら、
こんにちはと声をかけられた。
はて、どちらさんでしたっけ?
ぽかんとした顔をしたら、
中野のしゅう坊ですと名のられて思い出す。
友だちに連れられて伺ったことのある
飲み屋の御主人なのだった。
一度だけ、一年以上も前のことなのに、
よく覚えていましたねえとおどろいて、
うらやましい。
記憶力に自信がない。
学校に通っていたときは、暗記の必要な
科目のテストはからっきしだめだった。
客商売をしているくせに、
ひと様の名前と顔がすんなり頭に
入らないのもこまったことだった。
ずいぶん間をおいて訪ねてくる人が
ときどきいる。
さて、お会いするのは今日が初めてか、
それとも以前に来ていただいたか、
腹の中でさぐりながら、
顔はにこにこ受け答えをするはめになる。
このごろ輪をかけてよろしくないのは、
アルコールで脳がすっかり
やられているから、
宴の席でのやりとりをたいてい忘れる。
深酒をした次の日、ポケットに名刺が入っていた。
日産自動車の丸山さん。
どんな話をしたのか記憶がとんでいる。
酔うと気がおおきくなるから、
車を注文したのではないかと不安になった。
先日も、獺祭という名の日本酒を
飲みたいという知り合いがいた。
お安い御用です、次回の飲み会に用意しますと
請け負ったことをさっぱりと忘れていた。
同席した別のかたが偶然持ってきてくれたから
よかったものの、
飲み仲間には、
こりゃだめだとあきれられているのだった。
ヨッパの約束ごとは、
後日メールをいただけますように。
重々お願いいたします。

馴染みの店で、
伯楽星のグラスをかたむけていたら、
こんにちはと声をかけられた。
はて、どちらさんでしたっけ?
ぽかんとした顔をしたら、
中野のしゅう坊ですと名のられて思い出す。
友だちに連れられて伺ったことのある
飲み屋の御主人なのだった。
一度だけ、一年以上も前のことなのに、
よく覚えていましたねえとおどろいて、
うらやましい。
記憶力に自信がない。
学校に通っていたときは、暗記の必要な
科目のテストはからっきしだめだった。
客商売をしているくせに、
ひと様の名前と顔がすんなり頭に
入らないのもこまったことだった。
ずいぶん間をおいて訪ねてくる人が
ときどきいる。
さて、お会いするのは今日が初めてか、
それとも以前に来ていただいたか、
腹の中でさぐりながら、
顔はにこにこ受け答えをするはめになる。
このごろ輪をかけてよろしくないのは、
アルコールで脳がすっかり
やられているから、
宴の席でのやりとりをたいてい忘れる。
深酒をした次の日、ポケットに名刺が入っていた。
日産自動車の丸山さん。
どんな話をしたのか記憶がとんでいる。
酔うと気がおおきくなるから、
車を注文したのではないかと不安になった。
先日も、獺祭という名の日本酒を
飲みたいという知り合いがいた。
お安い御用です、次回の飲み会に用意しますと
請け負ったことをさっぱりと忘れていた。
同席した別のかたが偶然持ってきてくれたから
よかったものの、
飲み仲間には、
こりゃだめだとあきれられているのだった。
ヨッパの約束ごとは、
後日メールをいただけますように。
重々お願いいたします。

善光寺の気配に
文月 二
遠くの友だちからメールが来た。
日曜日に母と叔母を連れて
善光寺参りに来るという。
ちかくに、和食の美味しい店はないですかとの
問い合わせなのだった。
界隈の蕎麦屋なら当てはあるのに、
日曜日は混雑しておちつかない。
行ったことはないものの、
知人が褒めていた店を思い出し、伝えた。
当日の夕方、お昼ご飯美味しかったですと
メールが届き、安心した。
毎朝善光寺でお参りをしている。
早朝のランニングに出たときは、
川むこうの町まで走って、戻ってきて
本堂がゴールになっている。
前夜のビールを汗に変え、
はずんだ息をととのえながら見まわせば、
いつも来ているおじいさんやおばあさん、
通勤途中のおじさんに、
家族やカップルの観光客と、
お参りをするかたの姿がある。
ときどきえらいお坊さんが、
朝のお勤めに上がってくるのを
見かけるときがある。
お付きの人を従えて歩いてくると、
参拝客のみなさんは、参道にひざまずいて
手を合わせ、えらいお坊さんの数珠を
頭に頂戴して、ご利益を分けてもらっている。
善光寺には、えらいお坊さんは二人いて、
最初に男のお坊さんがお経をあげて、
そのつぎに、女のお坊さんがお経を上げに来る。
女のえらいお坊さんは、ご高齢のせいなのか、
このごろ姿を見せずに、かわりに
二番目にえらい、若い女のかたがやってくる。
ならんだ参拝客のかたがたに、
お経を唱えながら
痛くないように、数珠の房のところを
そっと置いていく様子が、
ていねいでやさしい。
我が家もおなじ宗派でよかったと思えてしまい、
ひとくちにえらいといっても、
手さばきひとつにもお坊さんの柄が
見てとれるのだった。
夕方仕事を終えたあと、散歩に行くことがある。
参拝客のいない薄暮の境内は、
ながれのゆるい、静かな気配につつまれている。
今朝お参りに出かけたら、
登校途中のちいさな女の子が、
牛に噛まれて善光寺参りっていうんだよねえと
話していた。
それをいうなら、牛に引かれて善光寺参り、
口をはさみそうになる。
牛に噛まれたら、善光寺へ来る前に
お医者に行っていただきたい。

遠くの友だちからメールが来た。
日曜日に母と叔母を連れて
善光寺参りに来るという。
ちかくに、和食の美味しい店はないですかとの
問い合わせなのだった。
界隈の蕎麦屋なら当てはあるのに、
日曜日は混雑しておちつかない。
行ったことはないものの、
知人が褒めていた店を思い出し、伝えた。
当日の夕方、お昼ご飯美味しかったですと
メールが届き、安心した。
毎朝善光寺でお参りをしている。
早朝のランニングに出たときは、
川むこうの町まで走って、戻ってきて
本堂がゴールになっている。
前夜のビールを汗に変え、
はずんだ息をととのえながら見まわせば、
いつも来ているおじいさんやおばあさん、
通勤途中のおじさんに、
家族やカップルの観光客と、
お参りをするかたの姿がある。
ときどきえらいお坊さんが、
朝のお勤めに上がってくるのを
見かけるときがある。
お付きの人を従えて歩いてくると、
参拝客のみなさんは、参道にひざまずいて
手を合わせ、えらいお坊さんの数珠を
頭に頂戴して、ご利益を分けてもらっている。
善光寺には、えらいお坊さんは二人いて、
最初に男のお坊さんがお経をあげて、
そのつぎに、女のお坊さんがお経を上げに来る。
女のえらいお坊さんは、ご高齢のせいなのか、
このごろ姿を見せずに、かわりに
二番目にえらい、若い女のかたがやってくる。
ならんだ参拝客のかたがたに、
お経を唱えながら
痛くないように、数珠の房のところを
そっと置いていく様子が、
ていねいでやさしい。
我が家もおなじ宗派でよかったと思えてしまい、
ひとくちにえらいといっても、
手さばきひとつにもお坊さんの柄が
見てとれるのだった。
夕方仕事を終えたあと、散歩に行くことがある。
参拝客のいない薄暮の境内は、
ながれのゆるい、静かな気配につつまれている。
今朝お参りに出かけたら、
登校途中のちいさな女の子が、
牛に噛まれて善光寺参りっていうんだよねえと
話していた。
それをいうなら、牛に引かれて善光寺参り、
口をはさみそうになる。
牛に噛まれたら、善光寺へ来る前に
お医者に行っていただきたい。

体調気をつけて
文月 一
七月、今年も折り返しの月となる。
先月の末に体調をくずした。
風邪のなごりの咳が、いまだ止まずにつらい。
しばらく外飲みを控えていたら、
体が軽く調子が好い。
いかにいままで負担をかけていたか、
今ごろになって気づくのもいかがなものかと
われながらなさけがない。
飲み友だちでも体調をくずしたかたがいる。
いきなりげっそりと痩せたから、
大丈夫かとおどろいた。
お医者へ行ったり、仕事の量を減らしたり、
このごろになりようやく酒が飲めるまで
回復をしてきて安心をした。
疲れた顔をして訪ねてきたかたがいる。
今しがた、松本から帰ってきたところだという。
娘夫婦が松本で暮らしている。
二歳になる息子が、風邪をひいて熱を出した。
共働きをしているから、
仕事に行っている間診ていてくれと
頼まれて出向いていたという。
お医者へ連れて行ったり、
ぐずつくのをなだめたり、
言葉のおぼつかない孫の相手は
大変だったといい、
元気になったときは胸をなでおろしたと
孫を思うおばあちゃんの顔で話す。
七月上旬は、暦の七十二候の第三十候、
半夏生にあたるという。
大雨が降ったり田植え仕事で疲れたり、
昔から体調をくずす時期とされていた。
天の毒気にやられぬように、
酒や肉を禁じていたというから
どんなに文明が進歩しても
ふるい言い伝えには、
耳をかたむけなければいけないのだった。
休日昼寝から目覚めたら、
ちょうど好い時間となっている。
ビールを飲みながら、
晩酌の支度をはじめたら、
飲み友だちが訪ねてきた。
陽も明るく、窓の外、むかいのお宅の
緑をながめながら酌み合えば、
せいせいと癒される。
この夏も暑くなるという。
自愛して、旨いビールを飲みつづけたい。

七月、今年も折り返しの月となる。
先月の末に体調をくずした。
風邪のなごりの咳が、いまだ止まずにつらい。
しばらく外飲みを控えていたら、
体が軽く調子が好い。
いかにいままで負担をかけていたか、
今ごろになって気づくのもいかがなものかと
われながらなさけがない。
飲み友だちでも体調をくずしたかたがいる。
いきなりげっそりと痩せたから、
大丈夫かとおどろいた。
お医者へ行ったり、仕事の量を減らしたり、
このごろになりようやく酒が飲めるまで
回復をしてきて安心をした。
疲れた顔をして訪ねてきたかたがいる。
今しがた、松本から帰ってきたところだという。
娘夫婦が松本で暮らしている。
二歳になる息子が、風邪をひいて熱を出した。
共働きをしているから、
仕事に行っている間診ていてくれと
頼まれて出向いていたという。
お医者へ連れて行ったり、
ぐずつくのをなだめたり、
言葉のおぼつかない孫の相手は
大変だったといい、
元気になったときは胸をなでおろしたと
孫を思うおばあちゃんの顔で話す。
七月上旬は、暦の七十二候の第三十候、
半夏生にあたるという。
大雨が降ったり田植え仕事で疲れたり、
昔から体調をくずす時期とされていた。
天の毒気にやられぬように、
酒や肉を禁じていたというから
どんなに文明が進歩しても
ふるい言い伝えには、
耳をかたむけなければいけないのだった。
休日昼寝から目覚めたら、
ちょうど好い時間となっている。
ビールを飲みながら、
晩酌の支度をはじめたら、
飲み友だちが訪ねてきた。
陽も明るく、窓の外、むかいのお宅の
緑をながめながら酌み合えば、
せいせいと癒される。
この夏も暑くなるという。
自愛して、旨いビールを飲みつづけたい。
