午後の上田で
如月 5
上田市立美術館へ出かけた。
先月拝見した、村上早展を再訪したのだった。
銅版画の、大胆な構図の大きな作品は、
どれも静かで深い、力づよさと哀しみが感じられる。
しんと胸に迫ってくるのだった。
この美術館はこうしてたびたび、
気もちの魅かれる企画を催してくれる。
好い美術館があることも、
上田の町を好きな理由のひとつだった。
学校帰りの中学生とすれちがいながら、
上田城跡公園へ行くと、
先月の白梅につづいて、紅梅も開いていた。
凍っていたお堀の水もすっかり溶けて、
のんびりと鴨の群れが浮いている。
この頃、上田市に10億円の寄付をした人がいた。
上田城には、かつて7つの櫓があった。
現在は3つだけ残っており、
なくなった4つの櫓の復元に役立ててほしいと、
市民が匿名で寄付をされたのだった。
地元の資産家か、大きな会社の社長か、
はたまたどこかの土地持ちが、
どーんと田畑売ったのか。
それとも一介の市民が、
こつこつ貯めて差し出したのか。
どんなに暮らしに余裕があったって、
無償で身銭を切ることは、
なかなか出来ることではない。
金額のでかさもさることながら、
心意気のでかさにほとほと感心をした。
金額ははるかに及ばないものの、
気に入りの公園のために、
500円玉貯金が貯まったら寄付しようか。
柄にもなく、殊勝なことを思ってしまった。
春間近、桜間近の城跡公園を出ると、
そろそろ飲み屋の口開けどきのころだった。
先日初めて伺った上田駅前の幸村は、
家族で営む好い店だったなあ。
気もちが揺れたものの、
この日はあいにく先約が入っていた。
うしろ髪をひかれる思いで電車に乗って、
上田をあとにしたのだった。

上田市立美術館へ出かけた。
先月拝見した、村上早展を再訪したのだった。
銅版画の、大胆な構図の大きな作品は、
どれも静かで深い、力づよさと哀しみが感じられる。
しんと胸に迫ってくるのだった。
この美術館はこうしてたびたび、
気もちの魅かれる企画を催してくれる。
好い美術館があることも、
上田の町を好きな理由のひとつだった。
学校帰りの中学生とすれちがいながら、
上田城跡公園へ行くと、
先月の白梅につづいて、紅梅も開いていた。
凍っていたお堀の水もすっかり溶けて、
のんびりと鴨の群れが浮いている。
この頃、上田市に10億円の寄付をした人がいた。
上田城には、かつて7つの櫓があった。
現在は3つだけ残っており、
なくなった4つの櫓の復元に役立ててほしいと、
市民が匿名で寄付をされたのだった。
地元の資産家か、大きな会社の社長か、
はたまたどこかの土地持ちが、
どーんと田畑売ったのか。
それとも一介の市民が、
こつこつ貯めて差し出したのか。
どんなに暮らしに余裕があったって、
無償で身銭を切ることは、
なかなか出来ることではない。
金額のでかさもさることながら、
心意気のでかさにほとほと感心をした。
金額ははるかに及ばないものの、
気に入りの公園のために、
500円玉貯金が貯まったら寄付しようか。
柄にもなく、殊勝なことを思ってしまった。
春間近、桜間近の城跡公園を出ると、
そろそろ飲み屋の口開けどきのころだった。
先日初めて伺った上田駅前の幸村は、
家族で営む好い店だったなあ。
気もちが揺れたものの、
この日はあいにく先約が入っていた。
うしろ髪をひかれる思いで電車に乗って、
上田をあとにしたのだった。
町に動きが
如月 4
ずいぶんと陽がのびた。
夕方の5時をまわっても、空に乳白色の明るさが残っている。
朝の陽射しにも柔らかさが感じられるようになり、
春が近づいているのだった。
春に向けて、身近な景色が動いている。
城山小学校の南にあった、古い屋敷が取り壊された。
更地になっても間をおかず、工事の音がつづいていた。
3月の引っ越しシーズンに間に合うように、
あっという間に3階建てのアパートが姿を現した。
町内に耳鼻科の建物がある。
かつて、やさしいおばあちゃん先生がやっていて、
亡くなったのち、長らく空き家になっていた。
この頃、作業服のお兄さんたちがやって来て、
室内のガラクタをトラックに山積みにして、
次々と運び去って行った。
先生のお孫さんが歯医者をしているといい、
開業するというのだった。
建て替えるのかリフォームなのか、
またにぎやかな工事の音が聞こえることとなる。
善光寺の西側、湯福神社の真ん前に、
イタリアンの店が出来た。開店して間もないのに、
すでにランチの時間になると混み合っているという。
善光寺から下ってすぐの岩石町に、
地元のガス会社のショールームがあって、
ときどきガス器具を使った料理教室を開いていた。
このたびそこも、イタリアンの店になるというのだった。
前を通りかかったら、
3月上旬オープン、
スタッフ、アルバイト募集の張り紙があった。
古い門前町は、お年寄りが多いから、
人が減っていくだけと思っていた。
ここ数年、若い人の営む店が増えてきたのは、
彩りができて面白いことだった。
ひとつ気になるうわさも飛び交っている。
善光寺仲見世の、老舗の土産物屋が閉めるという。
そのあとに、スターバックスが入るというのだった。
まじですか?
かつては想像もできなかった町の動きを気にしつつ、
今年の春を待っている。

ずいぶんと陽がのびた。
夕方の5時をまわっても、空に乳白色の明るさが残っている。
朝の陽射しにも柔らかさが感じられるようになり、
春が近づいているのだった。
春に向けて、身近な景色が動いている。
城山小学校の南にあった、古い屋敷が取り壊された。
更地になっても間をおかず、工事の音がつづいていた。
3月の引っ越しシーズンに間に合うように、
あっという間に3階建てのアパートが姿を現した。
町内に耳鼻科の建物がある。
かつて、やさしいおばあちゃん先生がやっていて、
亡くなったのち、長らく空き家になっていた。
この頃、作業服のお兄さんたちがやって来て、
室内のガラクタをトラックに山積みにして、
次々と運び去って行った。
先生のお孫さんが歯医者をしているといい、
開業するというのだった。
建て替えるのかリフォームなのか、
またにぎやかな工事の音が聞こえることとなる。
善光寺の西側、湯福神社の真ん前に、
イタリアンの店が出来た。開店して間もないのに、
すでにランチの時間になると混み合っているという。
善光寺から下ってすぐの岩石町に、
地元のガス会社のショールームがあって、
ときどきガス器具を使った料理教室を開いていた。
このたびそこも、イタリアンの店になるというのだった。
前を通りかかったら、
3月上旬オープン、
スタッフ、アルバイト募集の張り紙があった。
古い門前町は、お年寄りが多いから、
人が減っていくだけと思っていた。
ここ数年、若い人の営む店が増えてきたのは、
彩りができて面白いことだった。
ひとつ気になるうわさも飛び交っている。
善光寺仲見世の、老舗の土産物屋が閉めるという。
そのあとに、スターバックスが入るというのだった。
まじですか?
かつては想像もできなかった町の動きを気にしつつ、
今年の春を待っている。
糸魚川まで。
如月 3
飲み屋のカウンターで、テレビを観ていたら、
糸魚川の、加賀の井酒造さんが出た。
2年前の冬、駅前のラーメン屋の失火から、
町が大火に襲われた。
酒蔵も、全焼してしまったのだった。
再起をかけて新たに蔵を建て、
初めて迎える冬の仕込みの様子だった。
日をおいて、糸魚川まで出かけてみた。
昼どき、初めての町に降り立つと、
風つよく、雪が吹きすさんでいる。
散水栓から水の湧きでる道路を渡り、
目に留まった寿司屋におじゃました。
地物のネタ尽くしのにぎりで、
地酒の加賀の井と謙信を1合づつ。
共に出された美しいさかずきは、
ヒスイでできているという。
糸魚川は、ヒスイの産地なのだった。
愛想の好いご主人に見送られ、雪風の町を歩く。
火災の折りは,つよい風にあおられて、
次々と古い家屋が燃えたという。
木造の家屋や年季の入ったビルの合間に、
きれいな家や、工事中の更地が在って、
火災の名残りがうかがえた。
町と海がすこぶる近い。
先々の路地を覗くたびに、
海の気配をまとった鉛色の空が見える。
海に向かった展望台へ上がると、
風はますますつよく顔を打つ。
空と海が冷たく混然とした、冬の景色だった。
加賀の井酒造さんへ行くと、
新しい酒蔵に、
今季の造りを知らせる杉玉がぶら下がっていた。
蔵のとなりには江戸時代の土蔵があって、
このたびの火災に負けずに残ったという。
重々しい姿は、耐えて頑張れと、
蔵人はじめ町の人々を励ましているかのようだった。
山と海に挟まれたちいさな町は、
落ちついた佇まいがあって、
しかも酒と魚が旨いときてる。
のどけし春のころ、また来たいのだった。
ヒスイのさかずきを買っていこうと、
駅のとなりのヒスイ王国館へ行ったら、
想定外の値段にたじろいだ。
泣く泣くあきらめて、帰りの新幹線に乗ったのだった。

飲み屋のカウンターで、テレビを観ていたら、
糸魚川の、加賀の井酒造さんが出た。
2年前の冬、駅前のラーメン屋の失火から、
町が大火に襲われた。
酒蔵も、全焼してしまったのだった。
再起をかけて新たに蔵を建て、
初めて迎える冬の仕込みの様子だった。
日をおいて、糸魚川まで出かけてみた。
昼どき、初めての町に降り立つと、
風つよく、雪が吹きすさんでいる。
散水栓から水の湧きでる道路を渡り、
目に留まった寿司屋におじゃました。
地物のネタ尽くしのにぎりで、
地酒の加賀の井と謙信を1合づつ。
共に出された美しいさかずきは、
ヒスイでできているという。
糸魚川は、ヒスイの産地なのだった。
愛想の好いご主人に見送られ、雪風の町を歩く。
火災の折りは,つよい風にあおられて、
次々と古い家屋が燃えたという。
木造の家屋や年季の入ったビルの合間に、
きれいな家や、工事中の更地が在って、
火災の名残りがうかがえた。
町と海がすこぶる近い。
先々の路地を覗くたびに、
海の気配をまとった鉛色の空が見える。
海に向かった展望台へ上がると、
風はますますつよく顔を打つ。
空と海が冷たく混然とした、冬の景色だった。
加賀の井酒造さんへ行くと、
新しい酒蔵に、
今季の造りを知らせる杉玉がぶら下がっていた。
蔵のとなりには江戸時代の土蔵があって、
このたびの火災に負けずに残ったという。
重々しい姿は、耐えて頑張れと、
蔵人はじめ町の人々を励ましているかのようだった。
山と海に挟まれたちいさな町は、
落ちついた佇まいがあって、
しかも酒と魚が旨いときてる。
のどけし春のころ、また来たいのだった。
ヒスイのさかずきを買っていこうと、
駅のとなりのヒスイ王国館へ行ったら、
想定外の値段にたじろいだ。
泣く泣くあきらめて、帰りの新幹線に乗ったのだった。
良い酔いのひとときを
如月 2
雪の降らない冬がつづいている。
空気に湿り気がないから、
陽が落ちると、風の当たりが
なかなかきついのだった。
年が明けて、相変わらず、
馴染みの飲み屋行脚をしている。
伺うたびに、したたかに酔って店を出ても、
夜風の冷たさにひるんで、
はしご酒もせずに、すみやかに家路をたどっている。
いつもは、酔ってごきげんな気分になると、
2軒3軒と徘徊しては散財をしていた。
50歳の半ばをすぎて、もう若くない。
昔ほど酒の量も飲めなくなって、
肴もそんなに食べられない。
たいがい1軒目で相当酔っているから、
はしごをしても、1杯も飲めないようなときも有った。
落ち着きのない飲みかたはやめて、
今夜はここと決めたら、きっちり1軒勝負。
今年は心がけたいものだった。
だいたい、はしごをされる店のかただって、
たまったものではない。
夕方開店して、次から次へとやって来る客に、
酒と肴を提供する。嵐のような忙しさが過ぎて、
ようやくほっとひと息ついたころ、
もうすっかりだらしのない酔っぱらいが
入ってくるのである。
いらっしゃいませと、笑顔で迎えてくれるものの、
疲れているというのに、これからこいつの
相手をせにゃあいかんのか・・・
そもそも今夜うちへ来たことを、
ちゃんと覚えているのか・・・と、
腹の中でうんざりしているのは、
明らかなことだった。
世話になっている飲み屋さんに、
余計な神経を使わせぬよう、
これからは行儀良くと、
つくづく思う次第だった。
朝夕の冷え込みはつらくても、
陽が伸びて、薄暮の余韻に気が和らぐようになった。
日中の陽射しにつよさが増して、
氏神さんの桜の木に、ちいさなちいさな蕾が出た。
春待ち気分で、旨い酒に酔っているこの頃だった。
村上早展へ
如月 1
上田で飲み会があった。
電車を降りて駅を出たら、大きなポスターが目に留まる。
上田市立美術館の、村上早展の案内だった。
気を引かれ、翌週再びの上田詣でと相成った。
お昼どき、袋町のべんがるへ向かうと、
はす向かいの、いつも賑わっている焼きそばの
福昇亭が閉まっている。
入り口の張り紙に、
「店主ぎっくり腰のためしばらく休みます。」
と書いてあり、気の毒になった。
べんがるの旨いカレーで腹を満たして、美術館へ向かった。
村上早さんは、高崎市生まれの26歳。
武蔵野美術大学で銅版画を学び、
大学院在学のときに作った作品で、
上田ゆかりの「山本鼎版画大賞展」で、大賞を受賞した。
「gone girl」と名付けられた今回の作品展は、
これまでのすべての作品が展示されているのだった。
縦横1メートル以上の大きな作品たちは、
まるで望遠レンズで切り取ったような、
大胆で単純な構図だった
顔のない女の子が主題になっていて、
そこはかとない恐れと哀しみと孤独が感じられる。
両親が動物病院をしていたことや、
4歳のときに心臓の手術という怖い思いをしたことが、
作品の根にあるとうかがえた。
自分は誰かに傷つけられ、
誰かを傷つけたいというのが常にあるという。
そんな折々の気持ちの有り様を、
作品にしているという。
内面を形にする作業は苦しいけれど、
きちんと作品になることで救われているというのだった。
このかたの作品に魅かれるのは、
誰しもが抱える不安定な気持ちを、
作品に感じるせいかもしれない。
美術館を出て、城跡公園に立ち寄ってみた。
冬枯れの景色を眺めながらお堀のまわりを歩いていくと、
おばさんが、塀ぎわの木を見上げて、
スマホで写真を撮っていた。
よくよく見たら梅の木で、
枝々に、もうつぼみが膨らんでいた。
まだ2月なのに早いなあ。
傷つけて、傷つけられて年をかさね、
今年の春が近づいているのだった。

上田で飲み会があった。
電車を降りて駅を出たら、大きなポスターが目に留まる。
上田市立美術館の、村上早展の案内だった。
気を引かれ、翌週再びの上田詣でと相成った。
お昼どき、袋町のべんがるへ向かうと、
はす向かいの、いつも賑わっている焼きそばの
福昇亭が閉まっている。
入り口の張り紙に、
「店主ぎっくり腰のためしばらく休みます。」
と書いてあり、気の毒になった。
べんがるの旨いカレーで腹を満たして、美術館へ向かった。
村上早さんは、高崎市生まれの26歳。
武蔵野美術大学で銅版画を学び、
大学院在学のときに作った作品で、
上田ゆかりの「山本鼎版画大賞展」で、大賞を受賞した。
「gone girl」と名付けられた今回の作品展は、
これまでのすべての作品が展示されているのだった。
縦横1メートル以上の大きな作品たちは、
まるで望遠レンズで切り取ったような、
大胆で単純な構図だった
顔のない女の子が主題になっていて、
そこはかとない恐れと哀しみと孤独が感じられる。
両親が動物病院をしていたことや、
4歳のときに心臓の手術という怖い思いをしたことが、
作品の根にあるとうかがえた。
自分は誰かに傷つけられ、
誰かを傷つけたいというのが常にあるという。
そんな折々の気持ちの有り様を、
作品にしているという。
内面を形にする作業は苦しいけれど、
きちんと作品になることで救われているというのだった。
このかたの作品に魅かれるのは、
誰しもが抱える不安定な気持ちを、
作品に感じるせいかもしれない。
美術館を出て、城跡公園に立ち寄ってみた。
冬枯れの景色を眺めながらお堀のまわりを歩いていくと、
おばさんが、塀ぎわの木を見上げて、
スマホで写真を撮っていた。
よくよく見たら梅の木で、
枝々に、もうつぼみが膨らんでいた。
まだ2月なのに早いなあ。
傷つけて、傷つけられて年をかさね、
今年の春が近づいているのだった。