洗濯機と冷蔵庫と
長月 5
18年前、自宅を新築したときに、
洗濯機と冷蔵庫を買いそろえた。
洗濯機は、
脱水のたびにやかましい
雄たけびを上げるようになり、
冷蔵庫はときどき、
意味不明のエラー表示が出るようになった。
この春から、
実家でひとり暮らしをしていた母が、
介護施設に入居した。
使われなくなった実家の洗濯機と冷蔵庫を、
自宅で使うことにした。
運送屋さんに運んでもらい、
さんざん世話になったやつを引き取ってもらう。
実家に有った洗濯機は、年式は新しくないものの、
水量に洗いにすすぎに細かい設定が出来て、
洗い物がすくないひとり身は、
ささやかな節約ができて好い。
冷蔵庫に至っては、
母が施設に入る少し前に買ったから、
ぴかぴかのままだった。
早速、中のたなをぜんぶ外して、
日本酒の一升瓶と四合瓶を詰め込んだ。
今の冷蔵庫って、タンクに水を入れておくと、
勝手に氷をじゃかじゃか作ってくれるんですね。
ぜんぜん知らなかった。
おかげで作り忘れることがなくなって、
この頃は、ウイスキーのロックやハイボールを、
毎日飲んでいる。
人工知能が発達してるご時世に、
冷蔵庫の製氷器に感動しているありさまだった。
洋間に有ったでかいテレビや、
母が買ったまま使わずにいた、
焼き物の器たちももらってきて、
これまでの物と入れ換えた。
手あかのついた日々の暮らしも、
目にする物が変わると、
すこし新鮮な気分になるのだった。
先だって、茶の間の畳を換えたときに、
畳屋の御主人が、あたらしい畳と一緒に、
きれいな甕を持ってきてくれた。
かつて、梅でも漬けていたものか。
あきらちゃんの仕事場に
合うんじゃないかと思ってさあと、
物置から出してきてくれたのだった。
艶のある、うすはだ色の甕は、
たしかに仕事場の雰囲気に合って、
目にした人がみんな、
きれいな甕ですねえと褒めてくれる。
ざっくり枝ものでも突っ込むか、
それとも金魚やでめきんでも飼うか、
思案している最中なのだった。

18年前、自宅を新築したときに、
洗濯機と冷蔵庫を買いそろえた。
洗濯機は、
脱水のたびにやかましい
雄たけびを上げるようになり、
冷蔵庫はときどき、
意味不明のエラー表示が出るようになった。
この春から、
実家でひとり暮らしをしていた母が、
介護施設に入居した。
使われなくなった実家の洗濯機と冷蔵庫を、
自宅で使うことにした。
運送屋さんに運んでもらい、
さんざん世話になったやつを引き取ってもらう。
実家に有った洗濯機は、年式は新しくないものの、
水量に洗いにすすぎに細かい設定が出来て、
洗い物がすくないひとり身は、
ささやかな節約ができて好い。
冷蔵庫に至っては、
母が施設に入る少し前に買ったから、
ぴかぴかのままだった。
早速、中のたなをぜんぶ外して、
日本酒の一升瓶と四合瓶を詰め込んだ。
今の冷蔵庫って、タンクに水を入れておくと、
勝手に氷をじゃかじゃか作ってくれるんですね。
ぜんぜん知らなかった。
おかげで作り忘れることがなくなって、
この頃は、ウイスキーのロックやハイボールを、
毎日飲んでいる。
人工知能が発達してるご時世に、
冷蔵庫の製氷器に感動しているありさまだった。
洋間に有ったでかいテレビや、
母が買ったまま使わずにいた、
焼き物の器たちももらってきて、
これまでの物と入れ換えた。
手あかのついた日々の暮らしも、
目にする物が変わると、
すこし新鮮な気分になるのだった。
先だって、茶の間の畳を換えたときに、
畳屋の御主人が、あたらしい畳と一緒に、
きれいな甕を持ってきてくれた。
かつて、梅でも漬けていたものか。
あきらちゃんの仕事場に
合うんじゃないかと思ってさあと、
物置から出してきてくれたのだった。
艶のある、うすはだ色の甕は、
たしかに仕事場の雰囲気に合って、
目にした人がみんな、
きれいな甕ですねえと褒めてくれる。
ざっくり枝ものでも突っ込むか、
それとも金魚やでめきんでも飼うか、
思案している最中なのだった。
秋の彼岸に
長月 4
秋の彼岸、
菩提寺の寛慶寺まで出かけた。
早朝のひと気のない墓地で、
祖父母と父の眠る墓に手を合わせた。
父が亡くなって一年半。
四十九日に新盆に一周忌と、
ばたばた過ごしたのが、ずいぶん前のことのようだった。
亡くなったのち、
生前見せなかった家族への想いが、身に染みることとなり、
つくづくありがたいことと思う。
祖母が亡くなったのは、小学校一年生のときだった。
共働きの両親に変わって、
とてもかわいがってくれたから、
亡くなったときは、あまりの悲しさにわんわん泣いた。
それにひきかえ祖父に対しては、とくに思い入れがない。
こちらが生まれるはるか以前に亡くなったから、
記憶がまるでないのだった。
母の話によれば、百姓の地主をしていた人という。
馴染みの料理屋で、働き始めたばかりの祖母を見染めて、
お妾さんにした。
善光寺門前、東之門町に住まいを見つけて、
囲っていたのだった。
のちにそこへ母が養子に来て、
しばらくしてから父が婿養子に来た。
祖父がこの地を見つけなければ、
こうして、風情の有る門前町で暮らすことも叶わなかった。
血のつながらない祖父に、
感謝をしなくてはいけないのだった。
夏のはじめに亡くなった友だちがいる。
車とバイクが好きな人だった。
自宅の車庫には、
まだ形見のバイクが二台並んで置いてある。
大きなバイクが小さく見えるほど、
ゆったりと、体のでかい人だった。
自宅の前を通るたびに懐かしく思い出すのだった。
午後、西町の西方寺まで,墓参りに出かけることにする。
歴史の有る家系の友だちで、
夏にお参りに来たら、墓地にもそれ相応の年季が入っていた。
久しぶりに訪れたら、墓石のまわりに玉石が敷かれ、
すっきりと整地されて、見栄えが良くなっていた。
誠叡院良譽慈弘陽照居士。
せいえいいんりょうよじこうようしょうこじ、でいいのかな。
古い墓石に刻まれた戒名は、
誠実で優しくて温かかった友だちにふさわしい。
こんな立派な戒名、もったいないですよ~。
あの世で、謙遜してる姿が目に浮かぶ。
偲んで手を合わせた。

秋の彼岸、
菩提寺の寛慶寺まで出かけた。
早朝のひと気のない墓地で、
祖父母と父の眠る墓に手を合わせた。
父が亡くなって一年半。
四十九日に新盆に一周忌と、
ばたばた過ごしたのが、ずいぶん前のことのようだった。
亡くなったのち、
生前見せなかった家族への想いが、身に染みることとなり、
つくづくありがたいことと思う。
祖母が亡くなったのは、小学校一年生のときだった。
共働きの両親に変わって、
とてもかわいがってくれたから、
亡くなったときは、あまりの悲しさにわんわん泣いた。
それにひきかえ祖父に対しては、とくに思い入れがない。
こちらが生まれるはるか以前に亡くなったから、
記憶がまるでないのだった。
母の話によれば、百姓の地主をしていた人という。
馴染みの料理屋で、働き始めたばかりの祖母を見染めて、
お妾さんにした。
善光寺門前、東之門町に住まいを見つけて、
囲っていたのだった。
のちにそこへ母が養子に来て、
しばらくしてから父が婿養子に来た。
祖父がこの地を見つけなければ、
こうして、風情の有る門前町で暮らすことも叶わなかった。
血のつながらない祖父に、
感謝をしなくてはいけないのだった。
夏のはじめに亡くなった友だちがいる。
車とバイクが好きな人だった。
自宅の車庫には、
まだ形見のバイクが二台並んで置いてある。
大きなバイクが小さく見えるほど、
ゆったりと、体のでかい人だった。
自宅の前を通るたびに懐かしく思い出すのだった。
午後、西町の西方寺まで,墓参りに出かけることにする。
歴史の有る家系の友だちで、
夏にお参りに来たら、墓地にもそれ相応の年季が入っていた。
久しぶりに訪れたら、墓石のまわりに玉石が敷かれ、
すっきりと整地されて、見栄えが良くなっていた。
誠叡院良譽慈弘陽照居士。
せいえいいんりょうよじこうようしょうこじ、でいいのかな。
古い墓石に刻まれた戒名は、
誠実で優しくて温かかった友だちにふさわしい。
こんな立派な戒名、もったいないですよ~。
あの世で、謙遜してる姿が目に浮かぶ。
偲んで手を合わせた。
八方尾根へ
長月 3
山へ行こうと誘われた。連休の最終日、
国道19号から大町街道を走って、白馬へ向かう。
朝晩の空気が冷えて、あんなに暑かった夏の空も、
高く静かに落ちついている。
道沿いの田んぼでは、黄金の稲穂が揺れて、
秋の実りを伝えているのだった。
駐車場に車を停めて、
さびれた宿泊施設の間を抜けたら、
ゴンドラとリフトを乗り継いだ。
そこから、八方尾根の八方池までを目指す。
あいにくの曇天で、前も横も雲におおわれて、
彼方の景色が見えない。
ごろごろの岩道を上がって行けば、
山はすでに初秋の色づきを見せている。
急な斜面の山肌を、ゆるやかに雲がなめていく。
途中のケルンでおにぎりをほおばって、
小雨まじりの中、八方池に着けば、
水面が風にさざ波打っていた。
晴れた日は、北アルプスが、
池にきれいに映えるといい、
本日お預けの景色に気が馳せた。
同行したかたは、登山に長けた人だった。
今年は仕事がいそがしすぎて、
ぜんぜん山に行けないとこぼす。
八方池から2時間半で唐松岳に着くといい、
まだ先の山道を欲しているのが、
よくよくわかるのだった。
山に来たのは25年ぶりで、
山好きの友だちと、御嶽山に行って以来だった。
歩くのが好きで、10キロ20キロ歩くのも苦にならない。
それでも山登りをしようとは、
これまで1度も思ったことがない。
学校行事で行ったのと、友だちに誘われて2,3回。
本日の山道めぐりは1,5キロ。
平地なら、15分で歩ける距離だった。
たわいない散歩のような道のりでも、おまけに曇天でも、
ふだん触れることのない景色と大気の山の気が
しみじみと心身に染みこんできた。
おおきなリュックを背負って、
えっちらおっちら山登りをする人たちは、
もっとたくさんの喜びを感じてきた。
懲りずに頂上を目指す、その気持ちがうかがえた。
下山して、八方の湯の柔らかい温泉に浸っていたら、
雲切れて、北アルプスの山並みがくっきりと顔を出す。
まこと信州は山の国。
勇壮な姿にほれぼれとした。
山に囲まれているんだから、
長野の人はもっと山に行けばいいのに。
同行してくれたかたの台詞が、
ものぐさの身にひびくのだった。

山へ行こうと誘われた。連休の最終日、
国道19号から大町街道を走って、白馬へ向かう。
朝晩の空気が冷えて、あんなに暑かった夏の空も、
高く静かに落ちついている。
道沿いの田んぼでは、黄金の稲穂が揺れて、
秋の実りを伝えているのだった。
駐車場に車を停めて、
さびれた宿泊施設の間を抜けたら、
ゴンドラとリフトを乗り継いだ。
そこから、八方尾根の八方池までを目指す。
あいにくの曇天で、前も横も雲におおわれて、
彼方の景色が見えない。
ごろごろの岩道を上がって行けば、
山はすでに初秋の色づきを見せている。
急な斜面の山肌を、ゆるやかに雲がなめていく。
途中のケルンでおにぎりをほおばって、
小雨まじりの中、八方池に着けば、
水面が風にさざ波打っていた。
晴れた日は、北アルプスが、
池にきれいに映えるといい、
本日お預けの景色に気が馳せた。
同行したかたは、登山に長けた人だった。
今年は仕事がいそがしすぎて、
ぜんぜん山に行けないとこぼす。
八方池から2時間半で唐松岳に着くといい、
まだ先の山道を欲しているのが、
よくよくわかるのだった。
山に来たのは25年ぶりで、
山好きの友だちと、御嶽山に行って以来だった。
歩くのが好きで、10キロ20キロ歩くのも苦にならない。
それでも山登りをしようとは、
これまで1度も思ったことがない。
学校行事で行ったのと、友だちに誘われて2,3回。
本日の山道めぐりは1,5キロ。
平地なら、15分で歩ける距離だった。
たわいない散歩のような道のりでも、おまけに曇天でも、
ふだん触れることのない景色と大気の山の気が
しみじみと心身に染みこんできた。
おおきなリュックを背負って、
えっちらおっちら山登りをする人たちは、
もっとたくさんの喜びを感じてきた。
懲りずに頂上を目指す、その気持ちがうかがえた。
下山して、八方の湯の柔らかい温泉に浸っていたら、
雲切れて、北アルプスの山並みがくっきりと顔を出す。
まこと信州は山の国。
勇壮な姿にほれぼれとした。
山に囲まれているんだから、
長野の人はもっと山に行けばいいのに。
同行してくれたかたの台詞が、
ものぐさの身にひびくのだった。
今年の秋に
長月 2
雨の日がつづいて、秋に成った。
朝の空気が冷たくなって、
毛布一枚で寝ていると、寒くて目が覚める。
このごろは、季節の変わり目に、ほんとに余韻がない。
あの、バカみたいな夏の暑さを忘れるほど、
空気がしんとしてきたのだった。
この秋が穏やかに過ぎてくれればいい。
そう願うほど、災害つづきの夏だった。
地震や台風がつづき、土砂崩れや地盤のゆがみ、
川の氾濫で、たくさんのかたが被害に遭われた。
めちゃめちゃになった被災地や、
暮らしを奪われた被害者のかたがたを
テレビで観るたびに、気持ちが沈んだ。
住んでいる町の界隈は、
まわりの高い山々が、雨風をさえぎってくれるのか、
善光寺の仏さんが守ってくれるのか、
なにごともなかったのは、
ほんとにさいわいなことだった。
夏の疲れをいやそうと、
お医者をしている友だちを訪ねた。
裸になって、背中にお灸をしてもらったら、
夏の不摂生が体に出ているよお。
やんわりと注意をされた。
たしかに、暑い暑いと言いながら、あちこち出かけては、
暴飲暴食を繰り返していた。
紅葉の季節を迎えれば、遠く近く、
目に馴染んだ、秋の景色を楽しみたい。
ついでに、秋の味覚も楽しみたい。
秋、旅に出ませんかと誘ってくれた知人がいる。
ものぐさの身は、旅をしたいと思っても、
重たい腰がなかなか上がらない。
良いきっかけをくれたことと、ありがたかった。
無事に過ごせる今日がありがたい。
秋の始まりに、
あらためて感じ入っているのだった。

雨の日がつづいて、秋に成った。
朝の空気が冷たくなって、
毛布一枚で寝ていると、寒くて目が覚める。
このごろは、季節の変わり目に、ほんとに余韻がない。
あの、バカみたいな夏の暑さを忘れるほど、
空気がしんとしてきたのだった。
この秋が穏やかに過ぎてくれればいい。
そう願うほど、災害つづきの夏だった。
地震や台風がつづき、土砂崩れや地盤のゆがみ、
川の氾濫で、たくさんのかたが被害に遭われた。
めちゃめちゃになった被災地や、
暮らしを奪われた被害者のかたがたを
テレビで観るたびに、気持ちが沈んだ。
住んでいる町の界隈は、
まわりの高い山々が、雨風をさえぎってくれるのか、
善光寺の仏さんが守ってくれるのか、
なにごともなかったのは、
ほんとにさいわいなことだった。
夏の疲れをいやそうと、
お医者をしている友だちを訪ねた。
裸になって、背中にお灸をしてもらったら、
夏の不摂生が体に出ているよお。
やんわりと注意をされた。
たしかに、暑い暑いと言いながら、あちこち出かけては、
暴飲暴食を繰り返していた。
紅葉の季節を迎えれば、遠く近く、
目に馴染んだ、秋の景色を楽しみたい。
ついでに、秋の味覚も楽しみたい。
秋、旅に出ませんかと誘ってくれた知人がいる。
ものぐさの身は、旅をしたいと思っても、
重たい腰がなかなか上がらない。
良いきっかけをくれたことと、ありがたかった。
無事に過ごせる今日がありがたい。
秋の始まりに、
あらためて感じ入っているのだった。
抱き枕を頂いて
長月 1
でかい包みを抱えて、友だちがやって来た。
はい、これ使ってと渡された袋の中身は、
水色の抱き枕だった。
抱いて寝ると腰痛にいいというのだった。
長年、腰痛持ちの身でいる。
さかのぼること40年前。すでに高校生のときからだった。
原因は、おそろしく体が固いことで、
柔軟体操をしても、体は曲がらない、足は開かないで、
ぜんぜん柔軟にならないありさまだった。
部活動をしていても、疲れがたまると、
腰や関節が痛くなり、肩や背中が張ってくる。
そのたびに、その当時行きつけの、
鍼灸院の世話になっていた。
仕事柄、腰を曲げる姿勢が多くて、慢性的な痛みがある。
冬の寒いときはもとより、
この夏のようにことさら暑いときでも、
ビールを飲みすぎて、
パンツ一丁で毛布も掛けずにつぶれているから、
腰を冷やしている。
熱い湯に浸かって体を温めればよいものを、
ちゃっちゃっとシャワーを浴びるだけだから、
痛い痛いと言いながら、体をいたわっていないのだった。
抱き枕をくれたのは、蕎麦職人の友だちだった。
自身も、毎日腰を曲げて蕎麦を打っているから、
腰痛持ちにちがいない。
同胞からの気遣いに感謝をした。
調べてみたら、抱き枕を使って寝ると、
腰痛軽減のほかに、ストレス解消や安眠促進、
いびき防止の効果があるという。
深酒をしては、大いびきをかいて、
眠りが浅い身にはありがたいことだった。
それにしても、抱き枕を抱えて寝ると、
飲み仲間の美しいかたがたを思い出しては、
いらぬ妄想をしてしまう。
男やもめの身には、それが困ったことなのだった。

でかい包みを抱えて、友だちがやって来た。
はい、これ使ってと渡された袋の中身は、
水色の抱き枕だった。
抱いて寝ると腰痛にいいというのだった。
長年、腰痛持ちの身でいる。
さかのぼること40年前。すでに高校生のときからだった。
原因は、おそろしく体が固いことで、
柔軟体操をしても、体は曲がらない、足は開かないで、
ぜんぜん柔軟にならないありさまだった。
部活動をしていても、疲れがたまると、
腰や関節が痛くなり、肩や背中が張ってくる。
そのたびに、その当時行きつけの、
鍼灸院の世話になっていた。
仕事柄、腰を曲げる姿勢が多くて、慢性的な痛みがある。
冬の寒いときはもとより、
この夏のようにことさら暑いときでも、
ビールを飲みすぎて、
パンツ一丁で毛布も掛けずにつぶれているから、
腰を冷やしている。
熱い湯に浸かって体を温めればよいものを、
ちゃっちゃっとシャワーを浴びるだけだから、
痛い痛いと言いながら、体をいたわっていないのだった。
抱き枕をくれたのは、蕎麦職人の友だちだった。
自身も、毎日腰を曲げて蕎麦を打っているから、
腰痛持ちにちがいない。
同胞からの気遣いに感謝をした。
調べてみたら、抱き枕を使って寝ると、
腰痛軽減のほかに、ストレス解消や安眠促進、
いびき防止の効果があるという。
深酒をしては、大いびきをかいて、
眠りが浅い身にはありがたいことだった。
それにしても、抱き枕を抱えて寝ると、
飲み仲間の美しいかたがたを思い出しては、
いらぬ妄想をしてしまう。
男やもめの身には、それが困ったことなのだった。