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同期の仲間と。

2024年10月29日

 へこりと at 10:31  | Comments(2)

神無月 7

朝夕、自宅の前を近くの高校に通う子供たちが通っていく。
近ごろの子供たちは、男の子も女の子も見映えのする子が
多いなあと見惚れている。小顔できれいな顔つきで、すらっと
背丈もあってかっこよいのだった。
中にはしっかり日焼けをしている子もいて、運動頑張ってるねと
察しがつく。運動にしろ音楽にしろ、子供たちの健気に
頑張る姿は見ていて清々しい気持ちになることだった。
高校時代、陸上部に所属していた。
毎朝学校に着いたら、すぐそばの浅川の土手を
走りまわり、放課後になれば、東和田の運動公園まで
自転車を飛ばして、陸上競技場のトラックを走り
回っていた。そこそこ持久力があったから、もっぱら中長距離を
やっていて、1500mに5000m、駅伝をやっていた。
もうあれから四十年余り。
早朝のノルディックウォーキングで、ときどき運動公園の
陸上競技場まで歩いている。
競技場の芝生の匂いに触れると、今でも当時のことを思い
出すのだった。
先だって、外出先から帰ってきたら、固定電話の
ナンバーディスプレーに、見知らぬ番号の着信が入っていた。
誰だろうといぶかしながら折り返しの電話をしたら、
高校時代、共に走り回っていた陸上部の同期の友だちだった。
思いがけない連絡に、どうしたことかと思ったら、
陸上部の同期会を開こうと思う。ぜひ参加してくれと
いうのだった。同期だった仲間はぜんぶで十人。
短距離をしていたのが四人、中長距離は我が身を含めて三人に、
競歩がひとりに投てきが二人。懐かしい子供の頃の顔ぶれが、
次々と浮かんできた。それから日を置いた十月の祝日、
長野駅前の寿司屋に集まった。ほとんど高校を卒業して以来の
顔ぶれで、いやあ久しぶりの声が上がる。みんないいおっさんに
なったものの、子供の頃の面影が残っている。
杯を交わし、近況報告をしたり、思い出話にふけったり、
再会のひとときに気持ちが和んだ。
みんなで全力で挑んで、長野県大会で総合優勝を勝ち取ったなあ。
強かった、うん、強かったぞ。
最高の仲間に恵まれたことを、あらためて誇りに思ったのだった。

仲間との再会秋の夕べかな。


  


最後の演奏会に。

2024年10月25日

 へこりと at 10:22  | Comments(2)

神無月 6

自宅を出て、善光寺の仲見世の通りを横切って、
西之門町の通りを下っていくと、馴染みのイタリアンの
店が在る。
店が出来てほどなく通いだしたから、もう十五年の
付き合いになっている。食の細い身で、あまりたくさんの
料理が食べられない。いつもほど良い量のアラカルトを出して
もらっては、だらだらワインを飲んでいる。使い勝手の好い
店が近所に在るのは、まことにありがたいことだった。
その店のご主人夫婦の娘さんが、中学校で吹奏楽部に
入っている。今年三年生になり、この十月に最後の
定期演奏会があったのだった。まだお母さんのお腹の中にいた
ときから知っている。もう中学三年生かあ。子供の成長は早い
ものだなあ。
十月最初の土曜日、仕事をさぼってホクト文化ホールまで
聴きに出かけた。昼どき、長野駅の東口を出て会場に着くと、
入り口には親御さんやら孫の晴れ舞台を観に来た
年配のかたや、友だちと思われる子供たちが大勢いる。
折よく娘さんのお母さんと遭遇して、演奏ぶりの良く見える
席に落ちつけた。わが母校でもあるこの中学校の吹奏楽部は、
毎年コンクールで優秀な成績を収めている。久しぶりに
音色を耳に出来るのは楽しみなことだった。
ぜんぶで二十九名の子供たちがステージに現れて、
コンクールの課題曲に自由曲、ワーグナーの行進曲と続いて
いく。娘さんのフルートの音色を聴き逃さぬよう、真剣な
まなざしで演奏している姿を見ていたら、立派になったなあと、
その成長ぶりがしみじみ伝わってきた。休憩をはさんだ第二部では、
それぞれのパートの独奏があったり、これで引退する三年生だけの
演奏があり、途中、一年生の子供たちが三年生の面々に感謝の
気持ちを伝えたときには、娘さんが両手で顔を覆って泣きだし
ちゃって、おじさんもついもらい泣きをしてしまった。
第三部では、みなさんそろいの赤いTシャツに着替えて、ディズニー
メドレーを演奏したり、マツケンサンバを踊り手付きで演奏したり、
アンコールに答えてくれて、賑やかに締めくくったのだった。
子供たちの健気な澄んだ音色に触れられて、温かく清々しい気持ちを
頂いたことだった。

秋澄むや子等の音色の余韻かな。




  


信州の酒を。

2024年10月22日

 へこりと at 08:43  | Comments(0)

神無月 5

毎晩日本酒を酌んでいる。秋の風が冷たくなってきて、
今年も鍋で燗酒の季節となったのだった。
近ごろは地元信州の酒も旨い銘柄が増えて喜ばしいこと
だった。信州には、現在七十余りのお蔵さんが造りを
行っている。酒を造るだけでなく、日本酒のイベントも
一年を通じて開かれているのだった。
新酒や秋酒のころに、あちこちのお蔵さんが蔵開きをして、
一般の皆さんに酒をふるまったり、地酒に力を入れている
酒屋が、お蔵さんを招いて酒の会を開いたり、いくつかの
お蔵さんが集まって酒の会を開いたり、がんばって日本酒の
普及に励んでいる。長野県酒造組合が、毎年秋になると
長野駅前のホテルで、信州のお蔵さんを一堂に集めて酒の会を
開いている。この頃は、東京や大阪や札幌にも足を延ばして
会を開き、県外のかたにも宣伝しているのだった。
その長野県酒造組合のイベント、YOMOYAMA NAGANOが
この秋も開かれた。
夕方、仕事を早仕舞いして会場のホテルへ向かうと、酔客の
老若男女たちがぞろぞろと会場へ向かっている。受付を済ませて
早速酒を利いていく。それぞれのお蔵さんのブースがずらっと
並ぶ様は、眺めているだけでよだれが出そうになる。
そうは言っても、六十余りのブースを全部回っていたら
酔っ払って家路にたどり着けない。顔見知りのお蔵さんだけを
回って行った。
北光正宗、豊賀、幻舞、五岳、和田龍、亀齢、亀の海、月吉野、
北信流、十六代九朗右衛門、積善、本老いの松、互、勢正宗、
久しぶりにお会いするお蔵さんのかたがたは、みんな元気な
笑顔で迎えてくれて嬉しい。
勝手知ったる味だけど、こうして造り手本人と言葉を交わしながら
利く味は格別のものだった。
身の回りでは日本酒を好む若者が増えている感じがするけれど、
まだまだ需要は厳しいと聞く。こうして会場を埋めている酔っ払い
のかたがたが、足繁く飲み屋と酒屋に行って、おおいに日本酒の
杯を重ねてくれればと願ってしまうのだった。
そろそろ今期の造りの季節になる。お蔵さんの皆さんが、無事の
造りに入れますように。

利酒や個々のお蔵の旨さかな。



  


懐かしい店が。

2024年10月18日

 へこりと at 09:03  | Comments(2)

神無月 4

二十代のとき、長野電鉄の本郷駅からほど近いアパートに
住んでいた。目の前に葡萄畑が広がって、その向こうには
長野女子短期大学が在って、昼休みになると子供たちの
賑やかな声が聞こえてきた。
ちょうど酒の味に目覚めた頃で、県内外のいろんな銘柄に手を
付けはじめた頃だった。県外の銘柄には気に入りが出来た
ものの、残念ながら身近で手に入る県内の銘柄にはがっかり
してばかりだった。
そんなある日、アパートから五分ほど北へ上がった場所に在る、
山とも庵という蕎麦屋へ初めて行ったのだった。
暖簾をくぐると四人掛けのテーブル席がいくつかと、その奥に
座敷があって、座卓がいくつか。昔ながらの蕎麦屋の風情の
店だった。ビールを空けた後に、長野の佐久の菊秀という酒を
頼んだら、これが旨かったのだった。
やっと旨い地酒に会えました。店のご主人に扱っている酒屋を
教えてもらい、早速買いに行った。
あの頃は、蕎麦屋といえばもっぱら山とも庵ばかりで、
ちょっとした肴で菊秀を酌んでいた。山とも庵との出会いが
蕎麦屋の昼酒を始めるきっかけになったのだった。通い始めて
何年かして、店がリフォームされてきれいになった。
嬉しいのは、日本酒の銘柄ががいくつか増えたことで、
ふつうにお酒と頼むと静岡の銘酒、開運の純米酒が出てくる。
同じようにこの店を贔屓にしている友だちがいて、ときどき
一緒に昼酒に伺っていた。この店で飲む越後の〆張鶴の
純米吟醸は、なぜかことのほか旨く感じるのおと言い合った
ものだった。それからしばらくして、善光寺門前に自宅兼
仕事場を建ててからは、足が遠のいてしまった。
いちど久しぶりに伺ったら、休店日がいつの間にかこちらの
休日と同じになっていて入れなかった。
以来足を向けることがなくなったのだった。
先日、友だちからメールが来た。
山とも庵が十月いっぱいで閉店するとの知らせだった。
そうかあ、閉店かあ。もう何年も通っていなかったのに寂しい
気持ちになってしまった。
ご主人も奥さんも、とても愛想の好いかたで、いつも気持ちの
好いひとときを過ごさせていただいた。
蕎麦屋の昼酒の楽しさを教えていただいて、ほんとにありがたい
ことだった。閉店する前に、感謝の気持ちを込めて再訪を
したことだった。

惜別の〆張鶴や秋の昼。


  


七尾まで。

2024年10月15日

 へこりと at 09:09  | Comments(2)

神無月 3

石川県の七尾市へ出かけた。新幹線のかがやきで
金沢まで行って、和倉温泉行きの特急に乗り換えて、
七尾駅で降りる。金沢に大学時代の友だちがいて、
七尾で生まれ育ったかただった。その縁で、二十代の頃
一度足を運んだことがあり、それ以来の七尾詣でだった。
駅前からの大きな通りをゆっくり歩いていくと、
人の姿が見当たらず、静かな港町の風情が漂っている。
潮の香りにつられて港まで来ると、すぐそばに、食品会社の
スギヨの社屋が在った。長野県民にとって、昔からスギヨは
縁が深い。
ここのビタミンちくわという商品は、製造量の七割が長野県で
消費されているのだった。正月の地震で被災したときは、
長野からたくさんの応援メッセージが届いたという。
製造を再開出来たときは、スギヨの社員がわざわざ長野の
スーパーまで店頭販売に来てくれた。七尾のちくわなのに
長野県のソールフードなのだった。
海沿いの道の駅の食堂街に、海鮮丼の店が在ったから行って
みたら、あいにく休みでふられた。
開いていたのはラーメン屋と洋食屋だけで、しばし迷って
洋食屋の戸を開けた。能登牛のハンバーグをつまみに、
一番搾りと角ハイボールを飲んで外に出れば、目の前に
穏やかな海が広がっている。地震のとき、この海がどれだけ
荒れたのか想像がつかないのだった。
あてもなく町の中を徘徊していると、屋根や壁にブルーシートが
かかっているお宅や、重機で解体されているお宅をあちこちに
見掛ける。被災したまま手つかずで残っているお宅も在って、
住んでいたかたはもうこの地に戻ってこないかもしれないと、
崩れた家屋に気持ちがふさいだ。駅前のホテルにチェックインを
して、目の前の飲み屋に入る。イカ納豆をつまみに地酒の
ほまれを飲めば、能登の酒の重い味わいがふさいだ気持ちに
染みて来る。
店の女将さんの話を聞けば、能登の観光を担っていた和倉温泉の
復旧がまったく進んでいないというのだった。
みんな生活が懸かっている。女将さんも以前は和倉温泉で
働いていた。とても生活のめどが立たないからと、七尾に
来て、この店に勤めたというのだった。
どうにかならないものかねえ。被災地の様子をわずかばかり
目にしただけで、事態の重さが伝わってきたのだった。

潮香る七尾の秋の静けさや。


  


秋の酒を。

2024年10月04日

 へこりと at 09:55  | Comments(0)

神無月 2

毎晩日本酒を飲んでいる。九月に入り、県内外の
お蔵さんから秋の酒、ひやおろしがぞくぞくと
発売になっている。冬に仕込んで、ひと夏超えた
ひやおろしは熟成感が増した旨味が特徴だった。
その熟成感もお蔵さんによって色々で、しっかり旨味を
出している銘柄もあれば、言われなければひやおろしと
わからないほどすっきりした味の銘柄もある。
馴染みの飲み屋であれこれ飲み比べるのが楽しいこと
だった。
長野市の古い飲み屋が並ぶ西鶴賀に、馴染みのおでん屋、
[ひろびろ]がある。温かな人柄の女将さんが始めた店で、
女将さんが亡くなってから、これまた温かな人柄の
息子さんが跡を継いでいる。
ひと月に一度貸し切りにしてもらい、日本酒の会を
やっているのだった。参加するかたがひとり一本、
四合瓶を持ち込んで飲み比べをする。
参加するかたは酒にうるさい面々だから、毎回地方の
ちいさなお蔵さんの垂涎ものの地酒が並ぶ。
先代の女将さんが健在だったときに始めたから、
もう十年余り続いている。
店内には、これまで空けた銘柄のラベルが壁いち面に
びっしりと貼られているのだった。長らく続けていると
いつからか参加しなくなったかたもいれば、新たに
仲間に加わってくださるかたもいる。
そのときどきの顔ぶれのかたがたと杯を交わし、
酒談義のひとときを過ごしている。
秋の彼岸の夜、宮城の綿屋をぶら下げておでん屋の
暖簾をくぐった。この日は八種類の銘柄が並び、
北陸の銘柄がふたつに東北の銘柄がふたつ。
県内の銘柄が四つで、集まったかたがたと旨い旨いと
杯を重ねた。
八本のうち六本を空けたのだった。しっかり飲んで
皆と別れた帰り道、近くの地下鉄の入口のわきで,中年の
男性が壁にもたれて酔いつぶれていた。
カバンとスマホを道路に放り出したままだから、盗まれる
かもしれない。
気になって警察に電話をしたら、しばらくして
おまわりさんが三人駆けつけてきてくれた。これで安心と、
コンビニでエビグラタンを買って帰宅した。いつも酔って
記憶をなくしてばかりなのに、今夜はどういうわけか
あれだけ杯をかさねたのに、見知らぬ酔っ払いの
世話までするほどしっかりとしていた。
いつもこんな飲みかたが出来ればいいのにと思いながら、
エビグラタンを突っつきながら締めのハイボールを飲んだ、
そんな秋の始まりだった。

秋分や記憶飛ばさず酔いの夜。


  


天災に思う。

2024年10月01日

 へこりと at 08:47  | Comments(2)

神無月 1

十年前の九月二十七日の昼どき、長野県木曽の御嶽山が
噴火をして、六十三人もの登山者が犠牲になった。
ついこの間のことのように記憶に残っているのに、
この十年、遺族はどんな思いで過ごされてきたのか。
五人のかたがまだ行方不明で、遺族は今でも山に登って
探している。ニュースで観るたびに切なくなってしまうの
だった。
全国のあちこちで大きな天災が起きるたびに、たくさんの
かたが犠牲になっている。
先日仙台へ旅行に出かけた。繁華街のきらびやかなアーケード
を歩いていると、あの大きな震災から好く復興したなあと、
あらためて感慨にふけってしまった。地元のかたがたの
並々ならぬ努力がうかがえて、頭を下げたい気落ちになった。
宮城では東日本大震災以後もたびたび地震が起きている。
もう大きな被害が出ぬように、震災の地に身を置いて願った
ことだった。
辰の年の始まりに、石川の能登で巨大な竜があばれた。
あちこちに大きな被害が出て、町が目も当てられない
有り様になってしまった。犠牲者も出て、まだその傷も
癒えぬさなか、この秋に今度は激しい雨に襲われたの
だった。あちこちで土砂崩れが起きて家屋がつぶされた。
町に水があふれ家屋が流され、またしても犠牲者が出て
しまった。地震の復旧が速やかに進まぬところへ、さらなる
追い打ちをかける様子に、地元のかたの心情を思うと
やりきれなくなるのだった。
十月に北陸へ旅行に行く予定を立てていた。電車の切符を買って、
ホテルも予約して準備万端、楽しみにしていた。
その矢先の水害だった。滞在は二泊で、一泊目は能登の玄関口、
七尾に滞在して、二泊目は金沢に行く予定だった。
能登に再び大きな被害が出ているさなか、のんきに観光に出かけ
てよいものか、テレビで被災地の様子を観ながら躊躇してしまった。
そんな話を友だちにしたら、足を運んで少しでもお金を落として
来るのも応援になるよと言われ、そうだよなあ、まことに微力ながら
お役に立ちたいよなあ。十月上旬、七尾の海を眺めに行くと決めた。

秋山の追悼の日や十年に。