片付けごとに
皐月 6
仕事場の奥に、6畳ひと間の部屋がある。
一緒に働いていた母の部屋で、
歳をとり、すっかり仕事をしなくなった。
不用の荷物が15年以上そのままだから、
片づけることにしたのだった。
昔の人は物持ちがいい。
北海道旅行の、
熊とアイヌの木彫りの置物が6個。
ガラスケースに入った日本人形が5個。
こんなに必要かというくらいの急須と茶碗に、
シャープの電気炬燵とアイロンと、
ナショナルのアイロンも出てきた。
西川の、ローズの掛布団に敷き布団に、
毛布とシーツが5枚づつ。
来客用の座布団が8個もあって、
6畳ひと間にそんなにお客は呼べんだろう・・・
未使用の、ブドウの柄のコーヒーカップは、
深い青の色合いに、高価なものとわかる。
もったいないなあ。
買った本人は、買ったことさえ忘れている。
紙袋いっぱいの紙袋に、紙袋いっぱいのタオルと手ぬぐい。
美空ひばりと宝塚の写真集は、
郵便局の旅行のコンサートで買ってきた。
箱いっぱいの紙切れは、宝石や洋服の領収書で、
ビビるような金額に、美容師として、
羽振りが良かったのがわかってうらやましい。
色紙と書いてある袋には、たくさんの色紙が入っていた。
一枚一枚眺めても、読めたのは、巨人の水野投手と、
スケートの堀井学だけだった。
履歴書と写真の入った封筒もたくさん出てきて、
よく見合いの世話をしていたなと思い出した。
見知った人もいて、ついぞ結婚できなかったなあ、
この人は3年で離婚したなあと思い出しながら眺めた。
古い付き合いの友だちの封筒もあって、
若かりし頃の精悍な写真が出てきた。
見合いは成就しなかったが、
のちのちすてきな奥さんをもらって、
今は幸せに暮らしているから良かったのだった。
3日かけて、ようやく片付いた。
着付けのときに使っていた小道具や裁縫道具は、
母の歴史そのものだから、
そっくりそのまま押入れに戻す。
跡を継いで仕事をさせてもらっていても、
足元にも及ばない働きぶりで申し訳ないのだった。

仕事場の奥に、6畳ひと間の部屋がある。
一緒に働いていた母の部屋で、
歳をとり、すっかり仕事をしなくなった。
不用の荷物が15年以上そのままだから、
片づけることにしたのだった。
昔の人は物持ちがいい。
北海道旅行の、
熊とアイヌの木彫りの置物が6個。
ガラスケースに入った日本人形が5個。
こんなに必要かというくらいの急須と茶碗に、
シャープの電気炬燵とアイロンと、
ナショナルのアイロンも出てきた。
西川の、ローズの掛布団に敷き布団に、
毛布とシーツが5枚づつ。
来客用の座布団が8個もあって、
6畳ひと間にそんなにお客は呼べんだろう・・・
未使用の、ブドウの柄のコーヒーカップは、
深い青の色合いに、高価なものとわかる。
もったいないなあ。
買った本人は、買ったことさえ忘れている。
紙袋いっぱいの紙袋に、紙袋いっぱいのタオルと手ぬぐい。
美空ひばりと宝塚の写真集は、
郵便局の旅行のコンサートで買ってきた。
箱いっぱいの紙切れは、宝石や洋服の領収書で、
ビビるような金額に、美容師として、
羽振りが良かったのがわかってうらやましい。
色紙と書いてある袋には、たくさんの色紙が入っていた。
一枚一枚眺めても、読めたのは、巨人の水野投手と、
スケートの堀井学だけだった。
履歴書と写真の入った封筒もたくさん出てきて、
よく見合いの世話をしていたなと思い出した。
見知った人もいて、ついぞ結婚できなかったなあ、
この人は3年で離婚したなあと思い出しながら眺めた。
古い付き合いの友だちの封筒もあって、
若かりし頃の精悍な写真が出てきた。
見合いは成就しなかったが、
のちのちすてきな奥さんをもらって、
今は幸せに暮らしているから良かったのだった。
3日かけて、ようやく片付いた。
着付けのときに使っていた小道具や裁縫道具は、
母の歴史そのものだから、
そっくりそのまま押入れに戻す。
跡を継いで仕事をさせてもらっていても、
足元にも及ばない働きぶりで申し訳ないのだった。
安さと便利さと
皐月 5
テレビをつけたら、築地市場の特集をやっていた。
豊洲への移転問題のさなか、
賛成する人に反対する人、
すでに移転に向けて、大きな投資をしてしまった人、
市場で働くかたがたの、困惑する様子が映されていた。
問題なのは、移転のことだけではなかった。
インターネットの普及で、
近ごろは、直接漁師や農家と契約をして、
市場を使わない店も増えているのだった。
移転してもしなくても、もう先はないよお。
場内の喫茶店でコーヒーを飲みながら、
仲卸しのおじさんがぼやいていた。
たしかにネットの買い物は、店で買うより値段が安く、
在庫がなくて待たされることもほとんどない。
本と衣服に関しては、もう何年も店で買ったことがない。
近所から、個人の店がすっかり消えて久しい。
週末になると、安売りの大手のスーパーは、
買い物客で混雑をしているという。
馴染みの飲み屋さんの話では、この頃は予約が入ると、
飲み放題のお客ばかりだという。
3000円で料理と飲み物込みで。
もう少し余分にお金を払っても、
旨い肴と酒を楽しんでもらいたい。
かと言って、飲み放題をやめてしまうと、
商いにひびくというのだった。
駅前で働く同業の友だちに聞いたら、
フリーペーパーで、安いキャンペーンをしている
店ばかり探しては、うろうろしているお客もいるという。
安さと便利さばかりが先行して、じっくりと、
人と向き合う気持ちが希薄になっているのかと思う。
親しい人の中には、商いをしているかたもいる。
飲み屋ばかりだけど。
せめてそういうかたがたには、薄給の身でも、
すこしでも余分にお金を落とすよう、
こころがけたいのだった。

テレビをつけたら、築地市場の特集をやっていた。
豊洲への移転問題のさなか、
賛成する人に反対する人、
すでに移転に向けて、大きな投資をしてしまった人、
市場で働くかたがたの、困惑する様子が映されていた。
問題なのは、移転のことだけではなかった。
インターネットの普及で、
近ごろは、直接漁師や農家と契約をして、
市場を使わない店も増えているのだった。
移転してもしなくても、もう先はないよお。
場内の喫茶店でコーヒーを飲みながら、
仲卸しのおじさんがぼやいていた。
たしかにネットの買い物は、店で買うより値段が安く、
在庫がなくて待たされることもほとんどない。
本と衣服に関しては、もう何年も店で買ったことがない。
近所から、個人の店がすっかり消えて久しい。
週末になると、安売りの大手のスーパーは、
買い物客で混雑をしているという。
馴染みの飲み屋さんの話では、この頃は予約が入ると、
飲み放題のお客ばかりだという。
3000円で料理と飲み物込みで。
もう少し余分にお金を払っても、
旨い肴と酒を楽しんでもらいたい。
かと言って、飲み放題をやめてしまうと、
商いにひびくというのだった。
駅前で働く同業の友だちに聞いたら、
フリーペーパーで、安いキャンペーンをしている
店ばかり探しては、うろうろしているお客もいるという。
安さと便利さばかりが先行して、じっくりと、
人と向き合う気持ちが希薄になっているのかと思う。
親しい人の中には、商いをしているかたもいる。
飲み屋ばかりだけど。
せめてそういうかたがたには、薄給の身でも、
すこしでも余分にお金を落とすよう、
こころがけたいのだった。
新しい店で
皐月 4
人生は捨てたもんじゃない。
以前通っていた店があった。家族で営んでいた店で、
繁華街から外れた場所の食堂なのに、
息子さんの目利きした日本酒の品ぞろえが
すごかったのだった。
おまかせで注文すれば、初めて目にする銘柄ばかりが出てきて、
いろいろな味を教えていただいた。
通ううちに、常連の酒徒さんがたとも親しくなって、
息子さんともども、
今でもお付き合いをさせていただいている。
すっかり店に馴染んだころ、なんと、お母さんが裁判を起こして
息子さん夫婦を追い出してしまったのだった。
察するところ、ご自身が始めた店に息子さんびいきの客が増え、
息子の色合いが強くなってきたのが、
気に入らなかったのかもしれない。
初めて訪ねたときに、感情の起伏のつよそうな相だなと、
お母さんの顔を眺めたのを覚えていて、
ここは私の店の思いが爆発したと想像がついた。
息子のいなくなった店の入り口に、
でかい笑顔のお母さんの写真が貼ってある。
通るたびに、なんだかなあの気持ちになってしまうのだった。
ところが、捨てる神あれば拾う神ありの話が飛び込んできた。
松本の駅前に、風林火山という飲み屋が在る。
あれだけ日本酒の普及に頑張ってきた人を、
このままにしておくのは忍びないと、
このたび長野店を出す際に、
息子さんを店長にと雇ってくれたのだった。
開店初日、さっそく飲み仲間のかたがたと押しかけた。
生ビールはハイネケン。瓶ビールはサッポロのラガーと渋い。
日本酒は、信州の名だたる銘柄が並び、
さかなは250円からと安い。満員御礼の店内で、
お客を案内したりバイトの子に指示を出したり、
その合間に厨房で腕を振るったり、
いきいきと動いてる姿を見ていたら、
なんだかこっちもうれしくなった。
良かったなあ。
旨い酒に、すっかり酔っぱらったのだった。

人生は捨てたもんじゃない。
以前通っていた店があった。家族で営んでいた店で、
繁華街から外れた場所の食堂なのに、
息子さんの目利きした日本酒の品ぞろえが
すごかったのだった。
おまかせで注文すれば、初めて目にする銘柄ばかりが出てきて、
いろいろな味を教えていただいた。
通ううちに、常連の酒徒さんがたとも親しくなって、
息子さんともども、
今でもお付き合いをさせていただいている。
すっかり店に馴染んだころ、なんと、お母さんが裁判を起こして
息子さん夫婦を追い出してしまったのだった。
察するところ、ご自身が始めた店に息子さんびいきの客が増え、
息子の色合いが強くなってきたのが、
気に入らなかったのかもしれない。
初めて訪ねたときに、感情の起伏のつよそうな相だなと、
お母さんの顔を眺めたのを覚えていて、
ここは私の店の思いが爆発したと想像がついた。
息子のいなくなった店の入り口に、
でかい笑顔のお母さんの写真が貼ってある。
通るたびに、なんだかなあの気持ちになってしまうのだった。
ところが、捨てる神あれば拾う神ありの話が飛び込んできた。
松本の駅前に、風林火山という飲み屋が在る。
あれだけ日本酒の普及に頑張ってきた人を、
このままにしておくのは忍びないと、
このたび長野店を出す際に、
息子さんを店長にと雇ってくれたのだった。
開店初日、さっそく飲み仲間のかたがたと押しかけた。
生ビールはハイネケン。瓶ビールはサッポロのラガーと渋い。
日本酒は、信州の名だたる銘柄が並び、
さかなは250円からと安い。満員御礼の店内で、
お客を案内したりバイトの子に指示を出したり、
その合間に厨房で腕を振るったり、
いきいきと動いてる姿を見ていたら、
なんだかこっちもうれしくなった。
良かったなあ。
旨い酒に、すっかり酔っぱらったのだった。
草津温泉まで
皐月 3
五月上旬、気がかりごとだった用事が済んだ。
気分もひと区切りと、草津温泉まで出かけた。
友だちのアクセラに同乗して山道を抜けていくと、
濃く薄く、里山の緑がまぶしい。
1年半前に、友だちふたりが草津へ引っ越した。
ひとりは宿を、もうひとりは蕎麦屋を営んでいて、
以来、草津の地と湯が身近になったのだった。
温泉町のせまい通りを抜けていくと、
日曜日の昼どきに、
名の知れた蕎麦屋では行列ができている。
宿に車を置いたらさっそくひと風呂と、
西の河原温泉へと向かう。
片岡鶴太郎美術館の前を過ぎ、
なだらかな坂道を上がっていくと、広い露天風呂にたどり着く。
草津の外湯はどこも熱すぎて身を浸すのに難儀をする。
ここの湯は、熱さの加減も良く、
ゆっくりじんわりと汗を流すことができた。
湯を出たら、歩いてじきの、蕎麦 かないへと行く。
ビールと日本酒を酌み交わし、細打ちの旨い蕎麦を食べた。
宿に戻ってまた酌み交わし、
夜は寿司屋と中華料理屋をはしごして、
また宿に戻って酌み交わし、そのままつぶれた。
翌朝の早朝散歩に出たら、霧雨が舞っていて寒い。
あちこちの路地をうろうろして湯畑の前に出たら、
目の前の御座乃湯で、酔いざましの湯に浸かった。
土産の温泉まんじゅうと佃煮を買い、
旨いと評判のカレー屋でランチをして、
ほとほとゆるいひとときを過ごして帰ってきた。
そこかしこ、独りで出歩くのが苦にならない。
それでも、気の置けない仲間とときどき出かけると、
しんみりと楽しい。
だらしのない性分を受け入れてくれる、
年下の友だちのおかげと感謝しているのだった。

五月上旬、気がかりごとだった用事が済んだ。
気分もひと区切りと、草津温泉まで出かけた。
友だちのアクセラに同乗して山道を抜けていくと、
濃く薄く、里山の緑がまぶしい。
1年半前に、友だちふたりが草津へ引っ越した。
ひとりは宿を、もうひとりは蕎麦屋を営んでいて、
以来、草津の地と湯が身近になったのだった。
温泉町のせまい通りを抜けていくと、
日曜日の昼どきに、
名の知れた蕎麦屋では行列ができている。
宿に車を置いたらさっそくひと風呂と、
西の河原温泉へと向かう。
片岡鶴太郎美術館の前を過ぎ、
なだらかな坂道を上がっていくと、広い露天風呂にたどり着く。
草津の外湯はどこも熱すぎて身を浸すのに難儀をする。
ここの湯は、熱さの加減も良く、
ゆっくりじんわりと汗を流すことができた。
湯を出たら、歩いてじきの、蕎麦 かないへと行く。
ビールと日本酒を酌み交わし、細打ちの旨い蕎麦を食べた。
宿に戻ってまた酌み交わし、
夜は寿司屋と中華料理屋をはしごして、
また宿に戻って酌み交わし、そのままつぶれた。
翌朝の早朝散歩に出たら、霧雨が舞っていて寒い。
あちこちの路地をうろうろして湯畑の前に出たら、
目の前の御座乃湯で、酔いざましの湯に浸かった。
土産の温泉まんじゅうと佃煮を買い、
旨いと評判のカレー屋でランチをして、
ほとほとゆるいひとときを過ごして帰ってきた。
そこかしこ、独りで出歩くのが苦にならない。
それでも、気の置けない仲間とときどき出かけると、
しんみりと楽しい。
だらしのない性分を受け入れてくれる、
年下の友だちのおかげと感謝しているのだった。
上田を散歩
皐月 2
朝刊を開いたら、上田市のサントミューゼで、
吉田博・生誕140周年展をやっているという。
ちょうど長野に来ていた甥っ子を誘って、
ひさしぶりの上田散歩と出かけたのだった。
駅を出て、歩きなれた小路を抜けていく。
上田高校の敷地から、にぎやかな声が聞こえてきて、
朝の活気がある。
上田第二中学校では、
子供たちがぐるぐるトラックのまわりを走っていた。
近ごろの中学生は体格がいいと眺めながら、
城跡公園へ向かう。
桜の季節、花見客でにぎわっていた公園は、
すっかり若葉が茂り、鮮やかな緑で覆われている。
人の姿もまばらで、静かな気配の中、
お堀をひと回りした。
甥っ子と駅前のベンチでビールを飲んで、
改札口で見送れば、じきに昼どきとなる。
いつもなら蕎麦屋の昼酒なのに、
今日はフレンチのル・カドルさんへおじゃました。
以前友だちと初めて伺って、
良い店と気に入ったのだった。
サラダとウインナーでビールを飲んで、
牛の赤身をほおばりながら、白赤白とワインを飲んだ。
腹を満たして、感じの良いご主人夫婦に見送られて、
サントミューゼへ向かう。
吉田博さんの作品は、油絵も水彩画も絵柄が柔らかい。
木版画の「光る海」は、ダイアナ妃の気に入りで、
宮殿の執務室に飾っていたという。
白く照らされた海を向こうに、二つの帆船が浮いている。
構図と色合いが、ことに印象に残る作品だった。
サントミューゼを出ると、夜の宴にはまだ早い。
目の前の上田アリオにマッサージ屋があったと思い出し、
時間をつぶすことにする。
きれいなお姉さんに、頭の先から足の先まで揉んでもらったら、
折よく友だちから電話が来た。
先にやってますの声に、すぐに行きます。
酒場・ここからさんへ早足になったのだった。

朝刊を開いたら、上田市のサントミューゼで、
吉田博・生誕140周年展をやっているという。
ちょうど長野に来ていた甥っ子を誘って、
ひさしぶりの上田散歩と出かけたのだった。
駅を出て、歩きなれた小路を抜けていく。
上田高校の敷地から、にぎやかな声が聞こえてきて、
朝の活気がある。
上田第二中学校では、
子供たちがぐるぐるトラックのまわりを走っていた。
近ごろの中学生は体格がいいと眺めながら、
城跡公園へ向かう。
桜の季節、花見客でにぎわっていた公園は、
すっかり若葉が茂り、鮮やかな緑で覆われている。
人の姿もまばらで、静かな気配の中、
お堀をひと回りした。
甥っ子と駅前のベンチでビールを飲んで、
改札口で見送れば、じきに昼どきとなる。
いつもなら蕎麦屋の昼酒なのに、
今日はフレンチのル・カドルさんへおじゃました。
以前友だちと初めて伺って、
良い店と気に入ったのだった。
サラダとウインナーでビールを飲んで、
牛の赤身をほおばりながら、白赤白とワインを飲んだ。
腹を満たして、感じの良いご主人夫婦に見送られて、
サントミューゼへ向かう。
吉田博さんの作品は、油絵も水彩画も絵柄が柔らかい。
木版画の「光る海」は、ダイアナ妃の気に入りで、
宮殿の執務室に飾っていたという。
白く照らされた海を向こうに、二つの帆船が浮いている。
構図と色合いが、ことに印象に残る作品だった。
サントミューゼを出ると、夜の宴にはまだ早い。
目の前の上田アリオにマッサージ屋があったと思い出し、
時間をつぶすことにする。
きれいなお姉さんに、頭の先から足の先まで揉んでもらったら、
折よく友だちから電話が来た。
先にやってますの声に、すぐに行きます。
酒場・ここからさんへ早足になったのだった。
菜の花公園へ
皐月 1
毎朝、氏神さんの伊勢社に行って、大木の新緑を見上げている。
いつもこんなにきれいだったっけと、
思うほどの鮮やかさが目にまぶしい。
城山公園の桜が、いつもより咲いていたという人もいたから、
今年は植物の見栄えが良い、そんな年なのかもしれない。
休日の朝早く、飯山へ出かけた。
毎年、上田の城跡公園の桜と、飯山の菜の花を見ないと、
春のおさまりがわるいのだった。
バイクでツーリングと思っていたのに、
雲行きが怪しい。
車で走っていたら案の定、中野市に入ったあたりで、
ぽつっと当たってきた。
初めて菜の花を見に行ったのは、20年くらい前のことだった。
当時の連れ合いの親戚が近くにいて、
連れて行ってくれたのだった。
その頃は、人の姿もそんなになかったのに、
全国誌やテレビで紹介されてから、
見ごろが、ゴールデンウィークとかさなることもあって、
この頃は大勢の観光客でにぎわっている。
延々とした畑の間を走って行っていくと、
早朝の菜の花畑はしんとしている。
軽トラで乗り付けてきた年配の夫婦と、
キャノンを片手のおじさんと、
人の姿はそれだけだった。
菜の花の向こうに、千曲川の川面がにぶく光っている。
ちいさな風の気配の中、見ごろの黄色を愛でたのだった。
小学校へ向かう、子供たちの姿を遠目に眺めていたら、
雨足がつよくなってきた。
今年はこれまでとあきらめて、車に乗り込んだ。
帰り道、飯山の道の駅の前を通ったら、
カフェがもう開いていた。
Uターンして立ち寄って、
旨いカレーで腹を満たしたのだった。

毎朝、氏神さんの伊勢社に行って、大木の新緑を見上げている。
いつもこんなにきれいだったっけと、
思うほどの鮮やかさが目にまぶしい。
城山公園の桜が、いつもより咲いていたという人もいたから、
今年は植物の見栄えが良い、そんな年なのかもしれない。
休日の朝早く、飯山へ出かけた。
毎年、上田の城跡公園の桜と、飯山の菜の花を見ないと、
春のおさまりがわるいのだった。
バイクでツーリングと思っていたのに、
雲行きが怪しい。
車で走っていたら案の定、中野市に入ったあたりで、
ぽつっと当たってきた。
初めて菜の花を見に行ったのは、20年くらい前のことだった。
当時の連れ合いの親戚が近くにいて、
連れて行ってくれたのだった。
その頃は、人の姿もそんなになかったのに、
全国誌やテレビで紹介されてから、
見ごろが、ゴールデンウィークとかさなることもあって、
この頃は大勢の観光客でにぎわっている。
延々とした畑の間を走って行っていくと、
早朝の菜の花畑はしんとしている。
軽トラで乗り付けてきた年配の夫婦と、
キャノンを片手のおじさんと、
人の姿はそれだけだった。
菜の花の向こうに、千曲川の川面がにぶく光っている。
ちいさな風の気配の中、見ごろの黄色を愛でたのだった。
小学校へ向かう、子供たちの姿を遠目に眺めていたら、
雨足がつよくなってきた。
今年はこれまでとあきらめて、車に乗り込んだ。
帰り道、飯山の道の駅の前を通ったら、
カフェがもう開いていた。
Uターンして立ち寄って、
旨いカレーで腹を満たしたのだった。