上田の祇園祭
文月 7
先日、善光寺近くの弥栄神社の祇園祭が行われた。
神様の身代わりという少年が乗った、お先乗りの馬を先頭に、
日本舞踊の踊り手さんを乗せた、まわりの町々の大きな屋台
が町を練り歩く。今年の梅雨どきは、最近では珍しく
連日雨の日で、当日、なんとか持ちこたえてくださいと
空の様子をうかがっていたら、願いむなしく、
開始直後から、降ってきてしまったのだった。
お先乗りに付き添っていた、羽織袴のおじさんたちも
ずぶぬれで帰って来て、気の毒なことだった。
その週末、上田の祇園祭が行われた。
市内の二十四の町から四十の神輿が繰り出して市街地を
練り歩く。どの町の神輿も立派できらびやかで、
見ごたえがあるのだった。
上田駅構内の蕎麦屋、ちくまがわで、浅漬けとポテトサラダ
でサッポロの赤星と地酒の和田龍を酌んでから外へ出ると、
まだ明るい夕刻どき、祭り見物の人たちが、ぞくぞくと
通りを上がっていく。
法被姿のおじさんおばさんに子供たちが、それぞれの
出発場所へ向かう姿が見られ、眺めているこちらもわくわく
してきた。友だちと、馴染みの寿司屋の萬寿のご主人夫婦の
いる本町の出発場所に行くと、みんな、揃いの真っ白な
法被すがたが清々と決まっている。小学校二年生の、萬寿の
ひとり娘のなおちゃんも、お母さんに髪を結ってもらい、
ちょっぴり化粧もして、なおちゃん、かっこいいねと
声をかけたら、はにかんだように笑う。
五時半になり、神輿が一斉に動き出すと、ふだん静かな
市街地の通りがあっというまに盛り上がる。
せいやせいや!わっしょいわっしょい!威勢のいい掛け声が
交差して、上田の夜が熱くなる。
眺めていると、どこの町の神輿の担ぎ手にも、若い男の子と
女の子の姿がある。地元の信州大学繊維学部の子供たちと
察しがついた。おじさんおばさんに混ざって、きらきらと
爽やかな熱気を振りまいているのだった。
市街地の中央交差点で、それぞれの神輿の過ぎるのを眺めて
いたら、赤い法被の集団が、せいやせいやとやって来た。
大手町のかたたちで、法被の背中には真田家由来の六文銭が
白く抜いてある。上田の町は六文銭。
マンホールの蓋にも、コンビニの壁にも、どこへ行っても
目にするのだった。駅前の真田幸村公の銅像も、
今夜の賑わいをにっこりと、見つめておられることだった。
縦横に連なる神輿盛夏の夜。
好い季節に。
文月 6
客商売をしている。
ときどきお客さんに物を頂くときがあるのだった。
先日訪ねて来たかたに、一升瓶を頂いた。
前回来られたときに、帰り際に雨が降って来た。
かなり強い降りだったので、車で自宅まで送って
差し上げた。そのお礼とのことだった。
おめでたい名前の日本酒があったからどうかしらと
渡されたのは、奄美の黒糖焼酎の朝日だった。
酒を飲まない人には、日本酒も焼酎も区別がつかない。
でも大丈夫、焼酎も大好きですから。
ありがたく頂戴した。
近所に暮らすおばあさんが、日本酒を抱えてやってきた。
知人にお酒をもらったんだけど、我が家は誰も飲まない
からと持ってきてくれた。
箱を開けてみたら、伏見の月桂冠だった。これまた
ありがたく頂戴した。お礼を述べて話を伺えば、
六月の初めに手術をしたという。ある日、胸に小さな
しこりがあるのに気がついた。不安になって、すぐに
大きな病院で診てもらったところ、乳がんと言われた。
細かい検査をして、他に異常がないか確かめてもらい、
手術を受けたというのだった。
まさか八十八歳で乳がんになるとは思わなかったといい、
なによりも驚いたのは、手術をしたその日のうちに
自宅に帰されたことだった。がんと聞いたときは、
もう私もおしまいと落ち込んで、遺書まで書いて、
手術の当日は、遠くの町に暮らす娘が心配して飛んできた
のに、
手術自体も局部麻酔であっという間に済んで、なんだか
拍子抜けしちゃったという。
まだ初期のがんだったので良かった。担当してくれた
若いお医者も腕が良いかただった。
ほんとに運が良かったわあと笑うのだった。
仕事を終えた夕方、シャワーを浴びて、頂いた月桂冠で
晩酌をした。
いつも小さなお蔵さんの地酒ばかり酌んでいる。
大きなお蔵さんの味はずいぶん久しぶりのことだった。
この頃は、夕方の六時をまわっても、外が明るい。
茶の間の開けた窓から、好い風が入って来る。
下校していく子供たちの笑い声が路地を抜けていき、
近所の男の子は今日もスケボーに夢中で、カッタン
カッタン、ボードの賑やかな音が聞こえてくる。
好い季節だなあ。
のどかな気分で過ごせることが、まことにありがたい
ことだった。
久々の伏見の酒や夕薄暑。
休日に。
文月 5
東宝シネマズ上田で、「帰って来たあぶない刑事」を観た。
テレビで放送してたのは、四十年ほど前だったか。
毎週楽しみに観ていたのだった。タカ役の舘ひろしと
ユージ役の柴田恭兵は、顔に年相応のしわが刻まれて、
おしゃれないでたちで、渋い色気を出している。
全速力で走り回ったり、バイクに乗りながら散弾銃を
ぶっ放したり、相変わらずの展開で、お二人とも七十歳という
お歳を感じさせないほど、スクリーンの中ではしゃぎまわって
いた。
タカ&ユージのように素敵なジジイになりたいのお。
それには、ヘロヘロとだらしなく酔っ払ってばかりの生活を
慎まなきゃねえ。今さら無理かねえ。
そんなことを思いながら観たのだった。
映画館を出たら、夜半からの雨が上がっている。
本日の昼酒に、上田駅前の東都庵の暖簾をくぐる。
上田にいくつか蕎麦屋はあれど、たいていこの東都庵か、
塩田屋に決めている。女将さんと若女将さんの笑顔に迎えられ、
奥の入れ込みに落ちついた。。
野沢菜で黒ラベルを飲み始めたら、ちくわの天ぷらを出して
いただき、恐縮する。いつもこうしてご好意の一品を出して
くれるのだった。
地酒の和田龍澄水を二杯酌んで、冷たいもりで締めて、
女将さんと若女将さんに挨拶をして店を出た。
今度うかがうときは、ご好意のお返しに、菓子折りなんぞを
持参することにする。町なかをぶらぶら散策すれば、昼過ぎの
商店街に人の姿がすくない。
七月になると、上田祇園祭、その翌週には上田わっしょいと、
祭りが続き、たてよこ市街地の通りが賑わう。月が替わって
八月五日には、千曲川の河川敷で花火大会がある。
上田駅の温泉口を出れば、どこにいても間近で迫力ある
夜空の大輪が拝めるのだった。
夕方、寿司屋の萬寿におじゃました。黒ラベルを飲みだせば、
お通しの、トマトの甘酢和えがさっぱりと美味しい。
握りをつまみに飯山の北光正宗の夏酒を二本。
よくよく酔った本日の締めだった。
翌朝、あてもなく町なかをうろつく。ひと気のない古い住宅街を
歩いて行ったら、上田東小学校の前に出た。広い校庭に、
子供たちの姿は見当たらなかった。ちいさな飲み屋やスナックの
並ぶ袋町を抜け、コンビニで缶チューハイを二本買って、
城跡公園に行く。お堀のまわりの緑も色濃くなって、日ごと盛夏に
近づいている。この夏もずいぶん暑くなるのかな。
缶チューハイを飲み干して腰を上げたのだった。
夏酒や甘酢のトマトお通しで。
梅雨どきの体調が。
文月 4
毎年梅雨どきを迎えると、体の調子がおかしくなる。
じめじめした気圧の低さに頭痛がして、肩こりも
ひどい。仕事場でエアコンを使う時期になり、一日中
冷気の中で過ごすから体が冷えて、短パン姿の足元が
痛くなるときがある。もともと腰の左側と左足に
坐骨神経痛を抱えていたのに、少し前から右側にも
痛みが出るようになってしまった。
体を動かしているときはあまり気にならないものの、
同じ姿勢をつづけていると痛くなってくるのだった。
仕事を終えたら、ゆっくりと熱い湯船に浸かって
体を温めれば、足腰にも肩こりにもよいものを、
一秒でも早くビールが飲みたい身は、ちゃちゃっと
シャワーを浴びて済ませている。歳を重ねて生活への
無精さが、じわじわ体の不具合に出ているのだった。
加えて気になるのは、最近軽い目まいに見舞われる
ことだった。歩いているときや、仕事をしている
最中に、ふいにふわふわするときがある。
生活に支障はないものの、けっこうひんぱんに
起きるから、気になってしまう。
昨年いちど、ひどい目まいに襲われたときがあった。
朝、目覚めたら、目の前が、ぐらんぐらんと揺れて
立っていられず、ずっと布団に横たわっていた。
症状が治まってしばらくして、脳神経外科と
耳鼻科で検査をしてもらったものの、どちらの
お医者にも、異常なしと言われた。子供のころ、
けっこうな低血圧で、たびたびひどい立ちくらみに
襲われた。不摂生がたたって、今では逆に高血圧で、
大正製薬の、血圧が高めの方のタブレットを毎日
飲んでいる。もしかしてそれが効いて、血圧が
下がったゆえの目まいかと思ったものの、
自宅に血圧計がないから真偽のほどはわからぬまま
だった。体調が悪いのにもかかわらず、相変わらず
毎晩のアルコール摂取だけは律儀に欠かさない。
近ごろつくづく、酒が弱くなったなあと自覚をして
いて、飲み仲間にも指摘されている。歳が歳だから
無理からぬこととはいえ、ついそれを忘れて
若いときのような飲み方をしてしまうから始末が
悪い。この歳になると宴の席に付き合ってくれる
のは年下のかたばかりになる。
この頃も、深酒をして迷惑をかけてしまった
かたがいて、お詫びをした次第だった。
体力に見合った適量で。言い聞かせながら
杯をかさねなきゃと、つくづく思ったのだった。
長梅雨や頭痛肩こり神経痛。
油断禁物で。
文月 3
朝、スマホのアラームが鳴った。覗いてみたら、
長野市に熊が出たというのだった。ここ最近、
毎日熊出没の知らせが届いている。一日に二度も三度も
届き、テレビのニュースを観ていると、
山菜採りに出かけて襲われたり、自宅の敷地に入ってきて
襲われたり、被害が絶えない。この日はそのあとも
長野市の二箇所で熊が出て、近隣のかたがたに注意を
促していた。
毎朝、ノルディックウォーキングをしている。ときどき自宅を
出て西へ向かう。善光寺の参道を横切って、
桜枝町から西長野に入ったら、諏訪神社の坂道を上がる。
長野が平和でありますように。神社にお参りをしたら、
そのまま真っ直ぐ上がって、往生地のゆるやかな
曲がり道を進んでいく。小丸山公園を過ぎて、
東大の地震研究所を過ぎて、大きくカーブする坂道を行くと、
東山魁夷画伯の眠る霊山寺が在る。そこを過ぎて、
展望レストラン青い銀河を過ぎていくと、善光寺雲上殿に着く。
朝陽のあたる市街地を見下ろしながら歩いていると、気分も
清々するのだった。ところが先日、その雲上殿のすぐそばに
熊が現れたのだった。近くには民家も点在しているし、いよいよ
こんな間近まで来るようになったかと、ちょっとびびった。
しばらくこのコースは通らないことにする。
善光寺から北東へ三キロほど進んで、湯谷団地を抜けた高台に、
曹洞宗の古刹、昌禅寺が在る。
秋になると境内の紅葉が鮮やかに色づいて、連日たくさんの
かたが訪れている。週末になると車が混雑するほどで、
人込みを避けて、いつも早朝におじゃましている。
秋だけでなく、新緑の季節を迎えると、今度は
爽やかな緑に色づいて、幸いこちらのほうは訪れる人もなく、
静かな気配の中で癒されている。
先日、朝の散歩の折りに立ち寄って、境内を散策させて
いただいた。敷地が広く、庫裏の奥には立派な杉林と竹林が
あって、檀家さんの墓がずらっと並んでいる。
その先は行ったことがないけれど、たぶん裏山へとつながっている。
ここにも熊が出かねないなあ。
訪れるときは油断禁物と思いながら、眺めたのだった。
湯谷団地抜けて新樹の古刹かな。
見慣れた景色がなくなって。
文月 2
自宅を出て、右手の小さな橋を渡って石段を上がっていくと、
東之門町の氏神さんの伊勢社があって、天照大神が祭られている。
その昔、三重の伊勢神宮の所有地で、伊勢神宮から直々に
宮司さんが来て、神社をつかさどっていたという。
時代を経て、神社の土地が東之門町に譲られたのだった。
以来、町の氏神さんとしてとして、住人に愛されているのだった。
こんな小さな町に、どうして伊勢神宮が土地を所有していたのか、
すぐ近くの、古刹の善光寺と何か縁があるのかと、話を聞いた当時、
いぶかしんだのを覚えている。いまだにそのわけは知らない
ままだった。
石段を上がったわきに、二本の桜の木があって、金網越しに
石段わきの駐車場に枝が伸びている。
日当たりの良さに、毎年善光寺界隈でいちばん早く開花する
のだった。広い空を背景にした咲きっぷりが好く、夕方になると
缶ビールを飲みながら桜を眺めていた。ささやかな花見が
すぐ近くで出来てありがたいことだった。
境内に欅の木が何本かある。どれも老木で背が高く、
昨今の激しい雨風に枝が折れて落ちてくる危険がある。
植木業者のかたに伐採してもらうことになったと、知らせが
来た。しばらくしたら境内からチェーンソーの音や車の音が
聞こえてくるようになり、伐採が始まったとわかった。
一週間ほど過ぎた日の夕方、仕事を終えてビールを買いに
行こうと玄関を出たら、氏神さんの景色がおかしい。
いやな予感がして近づいたら、案の定、桜の木が丸々切られて
いた。切られたばかりの幹が痛々しく、嘘だろう、なんで
桜まで切るかなあと茫然自失となった。
だれが切れと命じたのか、業者のかたに悪気はないと思って
みるものの、あまりの悲しい出来事に、言葉が出てこない。
見慣れた景色が変わるのは、これまでもあったことだけど、
このたびはけっこうなショックだった。
もう来年から、開花を待ちわびることができないか。
朝陽に透ける、薄紅色の花を愛でることもできないか。
悲しい気持ちでビールを飲んだのだった。
失った景色悲しきビールかな。
気苦労を思うと。
文月 1
日曜日、屋根をたたく雨音で目が覚めた。
梅雨どきというのにさっぱり降らず、六月の下旬を
迎えて、ようやくそれらしい天気になったのだった。
客商売をしているから、天気によってその日の客足が
変わってくる。お客はお年寄りが多いから、猛暑や
大雪、大雨の日は、ぱたっと途絶えてしまう。
今日は一日この降りというから、仕事をそこそこ終いに
して、馴染みの蕎麦屋で昼酒でもと思っていたら、
夕方四時にうかがいますと、近所のおばあさんから電話が
きた。
早々に当てが外れてしまったのだった。
冷蔵庫の中が空っぽだったので、仕事を終えてから、
スーパーのツルヤへ出かけた。
ふだんの食材は、近所のセブンイレブンと、毎週
木曜日にやってくる、生活協同組合で補っている。
セブンイレブンは、中学校からの友だちが営んでいて、
ほぼ毎日世話になっている。働いているスタッフも感じが
良くて、ありがたいことだった。
生活協同組合の配達員のお兄さんは、職場の移動があって、
ときどき顔触れが変わる。前任のお兄さんは、元気が良くて
いつも明るく挨拶をしながらやって来た。
代わって来るようになったかたは、やや中年の男性で、
声も小さく、いつも憂いを帯びたお顔でやって来る。
会うたびに、心配事があるんですかと気になってしまうの
だった。スーパーで買い物をするのはときどきのことで、
これまで会計のことなど気にも留めたことがなかった。
ところがこの頃は、思ったより支払いが多かったな
と思うときがある。
食材がなんでもかんでも値上がりしていると、テレビの
ニュースで言っていた。気楽な男やもめでも
気になるのだから、育ち盛りの子供を抱えたご家庭の
親御さんはさぞかし大変なことだった。
おまけにここへきて、米が不足しているというのだった。
昨年の猛暑の影響や、観光客の増加の影響で、
需要に供給が追いつかないという。
テレビのニュースで、スーパーのガラガラの米売り場の
様子が流れ、米の値段が高騰しているという。
インタビューを受けていた寿司屋のご主人は、五十キロで
二千円の値上がりといい、飲食店のかたがたは、コロナ禍
以来、材料や光熱費の値上げに、さらに米の値上げと、
気持ちの休まる日がないことだった。
馴染みの店のご主人がたが、愁いを帯びた顔にならぬよう
願ってしまうのだった。
値上がりの知らせばかりや梅雨に入る。