ご近所さんで
睦月 7
朝の冷え込みがきびしい。
休日、ようやく布団から這い出して、
朝風呂に身を沈めて目を覚ました。
善光寺門前のかどの大丸さんは、朝の9時から暖簾が出ている。
伺ったら、ガラス越しの打ち場で、
おおきな体の若旦那が蕎麦をこしらえていた。
伸ばした生地を、しかくい包丁で切っていく。
小気味よい音を聞きながら、
年季のしみ込んだ店内で、野沢菜をつまみにビールを飲んだ。
大丸さんではこの時期に、
自家製の醤油豆を仕込んで売っている。
これが酒に好く合う。
かけ蕎麦で腹を満たして、ひとつ求めた。
それにしても、蕎麦を担いで厨房に向かう、
若旦那のおおらかな背中を見ていたら、
今年こそ、身を預けてくれる女性を見つけてもらいたいと、
切に願ってしまうのだった。
午前のうちに雑用を済ませてしまえば、
あとはぽっかりひまになる。
昼どき、仲見世の丸清さんに行き、
朝昼、蕎麦屋のはしごとなった。
砂肝をつまみにビールを一本。
この店との付き合いも、子供のときからでずいぶんと長い。
ときどき出前を取るというと、かつ丼やかつカレーは
最高のごちそうだった。
今でもそそられるものの、胃がもたれてしまいいけない。
小鉢をつまみに酒と蕎麦が定番で、
この日も、鰊の棒煮で、大信州の燗酒を二本。
さっぱりとつめたいもりで締めた。
酔いざましの散歩の道すがら、こまつやさんに立ち寄る。
カウンターのひと角で、通りを眺めながら酌むのが好きで、
ことに、いそがしさのすこし落ちついた、
ちょいと外れた時間のときが好い。
はまぐりをつまみに、十九の純米吟醸のグラスを傾けた。
こまつやさんの奥さんは、春に出産を控えている。
ちいさな命の誕生は、
今年の春に彩りを添えてくれるのだった。
近所の気のおけない店で身をなぐさめてもらうのも、
手近なぜいたくとありがたいのだった。

朝の冷え込みがきびしい。
休日、ようやく布団から這い出して、
朝風呂に身を沈めて目を覚ました。
善光寺門前のかどの大丸さんは、朝の9時から暖簾が出ている。
伺ったら、ガラス越しの打ち場で、
おおきな体の若旦那が蕎麦をこしらえていた。
伸ばした生地を、しかくい包丁で切っていく。
小気味よい音を聞きながら、
年季のしみ込んだ店内で、野沢菜をつまみにビールを飲んだ。
大丸さんではこの時期に、
自家製の醤油豆を仕込んで売っている。
これが酒に好く合う。
かけ蕎麦で腹を満たして、ひとつ求めた。
それにしても、蕎麦を担いで厨房に向かう、
若旦那のおおらかな背中を見ていたら、
今年こそ、身を預けてくれる女性を見つけてもらいたいと、
切に願ってしまうのだった。
午前のうちに雑用を済ませてしまえば、
あとはぽっかりひまになる。
昼どき、仲見世の丸清さんに行き、
朝昼、蕎麦屋のはしごとなった。
砂肝をつまみにビールを一本。
この店との付き合いも、子供のときからでずいぶんと長い。
ときどき出前を取るというと、かつ丼やかつカレーは
最高のごちそうだった。
今でもそそられるものの、胃がもたれてしまいいけない。
小鉢をつまみに酒と蕎麦が定番で、
この日も、鰊の棒煮で、大信州の燗酒を二本。
さっぱりとつめたいもりで締めた。
酔いざましの散歩の道すがら、こまつやさんに立ち寄る。
カウンターのひと角で、通りを眺めながら酌むのが好きで、
ことに、いそがしさのすこし落ちついた、
ちょいと外れた時間のときが好い。
はまぐりをつまみに、十九の純米吟醸のグラスを傾けた。
こまつやさんの奥さんは、春に出産を控えている。
ちいさな命の誕生は、
今年の春に彩りを添えてくれるのだった。
近所の気のおけない店で身をなぐさめてもらうのも、
手近なぜいたくとありがたいのだった。
日本酒を酌みながら
睦月 6
冬らしからぬ穏やかな陽気が、
大寒をすぎてきびしい冷え込みに変わった。
界隈に人の姿も少なくなって、
訪ねてくるかたのいない暇な時間、
友だちから借りたDVDを観ていた。
WOWWOWで、
全国の酒蔵さんを紹介する番組をやっていて、
録画して貸してくれたのだった。
番組では、十四代をはじめとする、
名を馳せた銘柄を醸すお蔵さんの跡継ぎが、
造りにまつわる話をしてくれる。
日本酒の売り上げが落ち込む中、
跡を継ぐのも容易なことではなかった。
借金が在ったり、味の評判がわるかったり、
病気や高齢化で杜氏さんが辞めてしまったり、
難題と向き合うこととなる。
造りを始めてからも、古い蔵人とぶつかったり、
身内を作業中の事故で亡くしたり、
おおきな災害で被害を受けたり、どこのお蔵さんも、
波風を乗り越えて酒造りをしているのだった。
長野の下諏訪で「御胡鶴」を醸す、
菱友醸造の社長さんも出ておられた。
27歳のときに、地元のかたがたの協力を得て、
休業していたお蔵を引き継いだという。
搾った酒を、
東京の有名な酒屋に持ち込んだところ、
あっさりダメ出しをされたといい、
あんな不味い酒をを持ってきた酒蔵は
初めてだったという酒屋の社長の台詞に、
思わず笑ってしまった。
それが今では、長野を代表する銘柄となったのは、
あらためてすごいことだった。
日ごろ縁のあるお蔵さんがたも、
今季の造りの真っただ中にいる。
みなさん、体力気力をすり減らして、
毎年ほれぼれとする味を醸している。
冷え込みつづいたあとにはまた暖かくなるといい、
寒仕込みの時期の不安定な気候に、
お蔵さんの気苦労が案じられる。
顔を思い浮かべるたびに、
頑張ってくださいと思うのだった。

冬らしからぬ穏やかな陽気が、
大寒をすぎてきびしい冷え込みに変わった。
界隈に人の姿も少なくなって、
訪ねてくるかたのいない暇な時間、
友だちから借りたDVDを観ていた。
WOWWOWで、
全国の酒蔵さんを紹介する番組をやっていて、
録画して貸してくれたのだった。
番組では、十四代をはじめとする、
名を馳せた銘柄を醸すお蔵さんの跡継ぎが、
造りにまつわる話をしてくれる。
日本酒の売り上げが落ち込む中、
跡を継ぐのも容易なことではなかった。
借金が在ったり、味の評判がわるかったり、
病気や高齢化で杜氏さんが辞めてしまったり、
難題と向き合うこととなる。
造りを始めてからも、古い蔵人とぶつかったり、
身内を作業中の事故で亡くしたり、
おおきな災害で被害を受けたり、どこのお蔵さんも、
波風を乗り越えて酒造りをしているのだった。
長野の下諏訪で「御胡鶴」を醸す、
菱友醸造の社長さんも出ておられた。
27歳のときに、地元のかたがたの協力を得て、
休業していたお蔵を引き継いだという。
搾った酒を、
東京の有名な酒屋に持ち込んだところ、
あっさりダメ出しをされたといい、
あんな不味い酒をを持ってきた酒蔵は
初めてだったという酒屋の社長の台詞に、
思わず笑ってしまった。
それが今では、長野を代表する銘柄となったのは、
あらためてすごいことだった。
日ごろ縁のあるお蔵さんがたも、
今季の造りの真っただ中にいる。
みなさん、体力気力をすり減らして、
毎年ほれぼれとする味を醸している。
冷え込みつづいたあとにはまた暖かくなるといい、
寒仕込みの時期の不安定な気候に、
お蔵さんの気苦労が案じられる。
顔を思い浮かべるたびに、
頑張ってくださいと思うのだった。
朝の散歩
ヴィヴィアンマイヤーを探して
睦月 5
出かけるときにカメラを持ち歩いている。
朝の善光寺へお参りに行くときも、蕎麦屋の昼酒に伺うときも、
馴染みの飲み屋へおじゃまするときも、
電車に乗って、すこし遠出の散歩をするときも、
首からぶら下げて、魅かれたひとコマを撮っている。
昨年の夏、雨のそぼ降る夕方に飲み屋へ出かけた。
カメラが濡れぬよう懐に入れて行ったのに、
酔い酔いの帰り道に油断して濡らした。
翌朝、うんともすんとも言わぬカメラを前に、
まぬけなこととへこんだ。
おしゃかになったカメラは、仕事場に置いてある。
ずいぶん高価なオブジェになってしまったのだった。
イトーヨーカドーのシネマポイントで、
「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を観た。
2007年、シカゴに住む青年が、オークションで、
段ボール箱いっぱいのフイルムを落札した。
写真を撮ったのは、ヴィヴィアン・マイヤーという女性で、
一部を現像してブログに上げたところ、
半世紀前のシカゴの町や人の写真に、
あちこちから絶賛の声が上がった。
プロの写真家にも認められ、
作品展を開けば、ニューヨークでもパリでもロンドンでも、
大勢の人が訪れた。
これほどの写真を撮りながら、
なぜ一枚も公表することなく、無名のまま生涯を終えたのか。
不可解な彼女の人生を、
生前の彼女を知るかたたちの話を聞きながら、
探していくというドキュメンタリーなのだった。
現在はインターネットのおかげで、
言葉も写真も容易に立ち上げることができる。
実際に写真を撮れば、すぐに立ち上げて、
出来ばえを見たり、馴染みのかたに伝えている。
暮らしが貧しくて、現像まで金がまわらなかったのか、
人と関わるのがいやだったのか、
今の世に彼女が生きていたら、撮った作品をどうしたか、
思いながら観た。
自身のポートレートも残していて、
顔立ちは、鼻がやや上向きで、目つきが暗い。
愛機はドイツのローライフレックスで、
箱型のカメラを構える姿は、なんだか近寄りがたい。
孤高の写真家、そう思える雰囲気が有るのだった。

出かけるときにカメラを持ち歩いている。
朝の善光寺へお参りに行くときも、蕎麦屋の昼酒に伺うときも、
馴染みの飲み屋へおじゃまするときも、
電車に乗って、すこし遠出の散歩をするときも、
首からぶら下げて、魅かれたひとコマを撮っている。
昨年の夏、雨のそぼ降る夕方に飲み屋へ出かけた。
カメラが濡れぬよう懐に入れて行ったのに、
酔い酔いの帰り道に油断して濡らした。
翌朝、うんともすんとも言わぬカメラを前に、
まぬけなこととへこんだ。
おしゃかになったカメラは、仕事場に置いてある。
ずいぶん高価なオブジェになってしまったのだった。
イトーヨーカドーのシネマポイントで、
「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を観た。
2007年、シカゴに住む青年が、オークションで、
段ボール箱いっぱいのフイルムを落札した。
写真を撮ったのは、ヴィヴィアン・マイヤーという女性で、
一部を現像してブログに上げたところ、
半世紀前のシカゴの町や人の写真に、
あちこちから絶賛の声が上がった。
プロの写真家にも認められ、
作品展を開けば、ニューヨークでもパリでもロンドンでも、
大勢の人が訪れた。
これほどの写真を撮りながら、
なぜ一枚も公表することなく、無名のまま生涯を終えたのか。
不可解な彼女の人生を、
生前の彼女を知るかたたちの話を聞きながら、
探していくというドキュメンタリーなのだった。
現在はインターネットのおかげで、
言葉も写真も容易に立ち上げることができる。
実際に写真を撮れば、すぐに立ち上げて、
出来ばえを見たり、馴染みのかたに伝えている。
暮らしが貧しくて、現像まで金がまわらなかったのか、
人と関わるのがいやだったのか、
今の世に彼女が生きていたら、撮った作品をどうしたか、
思いながら観た。
自身のポートレートも残していて、
顔立ちは、鼻がやや上向きで、目つきが暗い。
愛機はドイツのローライフレックスで、
箱型のカメラを構える姿は、なんだか近寄りがたい。
孤高の写真家、そう思える雰囲気が有るのだった。
本醸造を熱燗で
睦月 4
小寒をすぎて、冷え込みが増している。
雪が降らずに、乾いた空気の寒々とした日がつづく。
それでも日が延びて、
夕方5時をすぎても、薄暮の明るさが残っている。
すこしづつ春に近づいている気配に、
気分も和らぐのだった。
訪ねて来たかたに日本酒をいただいた。
宮城の一ノの蔵の本醸造で、燗に向く酒をありがたい。
初めて日本酒を旨いと思ったのは25歳のときで、
そのときに口にしたのが一ノ蔵だった。
宮城に出張に行った友だちが、土産に買ってきてくれた。
初めて目にする銘柄を、半信半疑で口にしたら、
あまりの旨さにおどろいた。
感動のあまり、お蔵さんに手紙を出したら、
お蔵の専務さんから、
酒造りの真摯な姿勢が、便箋4枚に綴られて返ってきた。
それ以来、飲み屋の品書きに一ノ蔵を見つけると、
今でも、背筋を伸ばして飲みたい気持ちになる。
酔ってじきに、ぐずぐずにくずれてしまうが。
むかし、お江戸でござるという番組に、
江戸の文化に詳しい、
杉浦日向子さんというかたが出ていた。
若くして亡くなられてしまったが、
江戸の粋と蕎麦屋と酒と銭湯を愛したかたで、
著書を読んでいると、
叶わぬこととわかっていても、
いちど杯を交わしたかったと思うのだった。
たたみいわしが好物で、さっとあぶったのをかじりながら、
ありふれた本醸造の熱燗を、
大ぶりのぐい呑みでやってると、
ちうくらいのほどよいしあわせを感じる。
こんな台詞を読むたびに、まったくですと思うのだった。
この頃は、ありふれた本醸造にも、
ずいぶん旨い銘柄が増えた。
寒い夜の熱燗に、隠居気分で浸りたいのだった。

小寒をすぎて、冷え込みが増している。
雪が降らずに、乾いた空気の寒々とした日がつづく。
それでも日が延びて、
夕方5時をすぎても、薄暮の明るさが残っている。
すこしづつ春に近づいている気配に、
気分も和らぐのだった。
訪ねて来たかたに日本酒をいただいた。
宮城の一ノの蔵の本醸造で、燗に向く酒をありがたい。
初めて日本酒を旨いと思ったのは25歳のときで、
そのときに口にしたのが一ノ蔵だった。
宮城に出張に行った友だちが、土産に買ってきてくれた。
初めて目にする銘柄を、半信半疑で口にしたら、
あまりの旨さにおどろいた。
感動のあまり、お蔵さんに手紙を出したら、
お蔵の専務さんから、
酒造りの真摯な姿勢が、便箋4枚に綴られて返ってきた。
それ以来、飲み屋の品書きに一ノ蔵を見つけると、
今でも、背筋を伸ばして飲みたい気持ちになる。
酔ってじきに、ぐずぐずにくずれてしまうが。
むかし、お江戸でござるという番組に、
江戸の文化に詳しい、
杉浦日向子さんというかたが出ていた。
若くして亡くなられてしまったが、
江戸の粋と蕎麦屋と酒と銭湯を愛したかたで、
著書を読んでいると、
叶わぬこととわかっていても、
いちど杯を交わしたかったと思うのだった。
たたみいわしが好物で、さっとあぶったのをかじりながら、
ありふれた本醸造の熱燗を、
大ぶりのぐい呑みでやってると、
ちうくらいのほどよいしあわせを感じる。
こんな台詞を読むたびに、まったくですと思うのだった。
この頃は、ありふれた本醸造にも、
ずいぶん旨い銘柄が増えた。
寒い夜の熱燗に、隠居気分で浸りたいのだった。
古傷に
睦月 3
ときどき左の膝が痛くなる。
子供のころからのことで、付き合いが長い。
昨年の秋のおわりに、ジョギングをしていたら痛みが出た。
年末までのひと月、お医者通いをして、
ようやく痛みと腫れがおさまった。
年が明けてひさしぶりに、町をひとまわり走りに出たら、
なんのことはない、2キロも走らぬうちに、
ふたたび痛くなったのだった。
治療の甲斐もなく、おまけに膝をかばって歩いていたら、
腰まで痛くなる始末で、
新年早々、我が身のぽんこつぶりにへこんでしまった。
平日の夕方、父から電話が来た。
熱が下がらないから、お医者へ連れて行けというのだった。
一昨年から、すこしやっかいな病気を抱えていた。
常用している薬の副作用で、ときどき体調がおかしくなる。
かかりつけのお医者で診てもらったら、
くわしく検査をした方がよいという。
紹介状を書いてもらって、
翌日、おおきな病院へ行き、内科の待ち合いで、
順番が来るのを待った。
高校生のときに陸上部に入っていた。
左膝が痛くなり走れなくなったときに、
見かねた父に、医者に連れて行かれたことがある。
知人を介して、おおきな病院の外科の先生にお願いして、
診てもらうこととなった。
ところが、いそがしいところへ、
急な予定外の診察を頼まれて、先生の機嫌がわるい。
会うなりぞんざいな言葉づかいで父に文句を言うものだから、
それなら断ればいいのにと、気まずい思いになった。
結局診てもらったものの、
痛みの原因はわからず、病院をあとにした。
帰り道、ああいう態度のでかい大人にはなるなよと、
ひとこと父に言われたことを覚えている。
教訓めいたことを言われたのは、
よくよくそれっきりのことだったなと振り返り、
年々ちいさくなっていく親の姿を見ていると、
子供のころのやりとりなど思いだしてしまうのだった。

ときどき左の膝が痛くなる。
子供のころからのことで、付き合いが長い。
昨年の秋のおわりに、ジョギングをしていたら痛みが出た。
年末までのひと月、お医者通いをして、
ようやく痛みと腫れがおさまった。
年が明けてひさしぶりに、町をひとまわり走りに出たら、
なんのことはない、2キロも走らぬうちに、
ふたたび痛くなったのだった。
治療の甲斐もなく、おまけに膝をかばって歩いていたら、
腰まで痛くなる始末で、
新年早々、我が身のぽんこつぶりにへこんでしまった。
平日の夕方、父から電話が来た。
熱が下がらないから、お医者へ連れて行けというのだった。
一昨年から、すこしやっかいな病気を抱えていた。
常用している薬の副作用で、ときどき体調がおかしくなる。
かかりつけのお医者で診てもらったら、
くわしく検査をした方がよいという。
紹介状を書いてもらって、
翌日、おおきな病院へ行き、内科の待ち合いで、
順番が来るのを待った。
高校生のときに陸上部に入っていた。
左膝が痛くなり走れなくなったときに、
見かねた父に、医者に連れて行かれたことがある。
知人を介して、おおきな病院の外科の先生にお願いして、
診てもらうこととなった。
ところが、いそがしいところへ、
急な予定外の診察を頼まれて、先生の機嫌がわるい。
会うなりぞんざいな言葉づかいで父に文句を言うものだから、
それなら断ればいいのにと、気まずい思いになった。
結局診てもらったものの、
痛みの原因はわからず、病院をあとにした。
帰り道、ああいう態度のでかい大人にはなるなよと、
ひとこと父に言われたことを覚えている。
教訓めいたことを言われたのは、
よくよくそれっきりのことだったなと振り返り、
年々ちいさくなっていく親の姿を見ていると、
子供のころのやりとりなど思いだしてしまうのだった。

湯と蕎麦と酒と
睦月 2
正月、草津温泉に出かけた。
友だちが二人、ひとりは旅館を、
もう一人はそば屋を営んで暮らしている。
電車で上田まで行って、旅館を営む友だちに迎えに来てもらった。
素泊まりの宿、「勢州館」に荷物を置いて、さっそく熱い湯に浸かる。
湯上りに狭い小路を散策したら、ちいさな教会を見つけた。
向かいの林では、女の子が二人で雪遊びをしている。
坂道を下りていくと、
湯畑の前はあいかわらず人が多い。
もうもうと上がる湯けむりに交じって、
日本語と英語と中国語が飛び交っている。
ごおんとひびく鐘の音につられて、高台の光泉寺でお参りをした。
昼どきの混雑をさけて、友だちの、「蕎麦 かない」へ向かう。
道すがら、近くの白根神社で、この地に暮らすふたりの、
今年の無事をよくよくお願いしたのだった。
昼すぎの蕎麦屋酒の杯をかさね、そのまま宿での宴となって、
酔いつぶれた。
次の朝、宿のワンコと散歩をした帰り、
開店前の蕎麦屋に立ち寄った。昨日店じまいのあとに、
かえしから蕎麦汁を作るさまを見せてもらった。
職がちがっても、手に生業のかたの手性は、
見ていておもしろい。。
この日の蕎麦を打つ様子を見せてもらったのだった。
蕎麦粉を捏ねて、円錐型にしわを伸ばしたら、
綿棒を使って、なんどもうすくうすく伸ばして生地にする。
伸ばした生地をたたんで、テンポよく、細打ちの麺に切っていく。
流れるような冴えた所作に、さすがとほれぼれとした。
西の河原の湯の沸く景色を眺め、
鶴ちゃんの美術館で、味わいある字体をを眺め、
ひと風呂浴びて、ふたたびの蕎麦屋酒と相成った。
湯と蕎麦と酒をたっぷり堪能した年明けは、ぜいたくなひとときで、
帰るそばからまた来たくなるのは困ったことだった。

正月、草津温泉に出かけた。
友だちが二人、ひとりは旅館を、
もう一人はそば屋を営んで暮らしている。
電車で上田まで行って、旅館を営む友だちに迎えに来てもらった。
素泊まりの宿、「勢州館」に荷物を置いて、さっそく熱い湯に浸かる。
湯上りに狭い小路を散策したら、ちいさな教会を見つけた。
向かいの林では、女の子が二人で雪遊びをしている。
坂道を下りていくと、
湯畑の前はあいかわらず人が多い。
もうもうと上がる湯けむりに交じって、
日本語と英語と中国語が飛び交っている。
ごおんとひびく鐘の音につられて、高台の光泉寺でお参りをした。
昼どきの混雑をさけて、友だちの、「蕎麦 かない」へ向かう。
道すがら、近くの白根神社で、この地に暮らすふたりの、
今年の無事をよくよくお願いしたのだった。
昼すぎの蕎麦屋酒の杯をかさね、そのまま宿での宴となって、
酔いつぶれた。
次の朝、宿のワンコと散歩をした帰り、
開店前の蕎麦屋に立ち寄った。昨日店じまいのあとに、
かえしから蕎麦汁を作るさまを見せてもらった。
職がちがっても、手に生業のかたの手性は、
見ていておもしろい。。
この日の蕎麦を打つ様子を見せてもらったのだった。
蕎麦粉を捏ねて、円錐型にしわを伸ばしたら、
綿棒を使って、なんどもうすくうすく伸ばして生地にする。
伸ばした生地をたたんで、テンポよく、細打ちの麺に切っていく。
流れるような冴えた所作に、さすがとほれぼれとした。
西の河原の湯の沸く景色を眺め、
鶴ちゃんの美術館で、味わいある字体をを眺め、
ひと風呂浴びて、ふたたびの蕎麦屋酒と相成った。
湯と蕎麦と酒をたっぷり堪能した年明けは、ぜいたくなひとときで、
帰るそばからまた来たくなるのは困ったことだった。
草津にて
未から申へ
新年になって
睦月 1
未から申へ、雪の中、年が変わった。
大晦日、実家で父母と年とりをした。
近所の仕出し屋からおせち料理を取り寄せて、
一年の締めの宴をした。
紅白歌合戦を途中で切り上げて外へ出れば、
いつのまにか雪が降っていた。
善光寺の境内には、ぞろぞろと、二年参りの客の姿が増えている。
善光寺の北西、界隈の町を仕切る湯福神社の、
越年の儀式の手伝いを頼まれた。
おおきな神社で、年明けとともに、つぎつぎと参拝客がやってくる。
手伝いを終えて、お参りをして境内を出るころには、
午前の2時を回っていた。
二年参りのざわつきののこる善光寺でお参りをして、
ひっそり静まった、氏神さんの伊勢社にお参りをした。
目が覚めて早々に起きだせば、
雪上がりの、きりりとした元旦の朝だった。
町を見下ろす高台で待っていれば、
菅平の空からちりちりと初日の出が上がってくる。
さっぱりとした気持ちで手を合わせたのだった。
菩提寺の寛慶寺でお参りをして、
実家で、父母と新年の訪れを祝った。
今年、気に留めておきたいのは、
もうすこし、こまかいことを気にせずに簡素に往きたい。
日々の不安はあるものの、風通し好くとしたいのだった。
届いた年賀状を見ていたら、電話が鳴った。
早速のお誘いで、近所のカフェのナノグラフィカで、
酒豪のかたがたと、新年最初の宴となった。
近くのかたも遠くのかたも、
今年も一献のひとときを、宜しくお願いします。

未から申へ、雪の中、年が変わった。
大晦日、実家で父母と年とりをした。
近所の仕出し屋からおせち料理を取り寄せて、
一年の締めの宴をした。
紅白歌合戦を途中で切り上げて外へ出れば、
いつのまにか雪が降っていた。
善光寺の境内には、ぞろぞろと、二年参りの客の姿が増えている。
善光寺の北西、界隈の町を仕切る湯福神社の、
越年の儀式の手伝いを頼まれた。
おおきな神社で、年明けとともに、つぎつぎと参拝客がやってくる。
手伝いを終えて、お参りをして境内を出るころには、
午前の2時を回っていた。
二年参りのざわつきののこる善光寺でお参りをして、
ひっそり静まった、氏神さんの伊勢社にお参りをした。
目が覚めて早々に起きだせば、
雪上がりの、きりりとした元旦の朝だった。
町を見下ろす高台で待っていれば、
菅平の空からちりちりと初日の出が上がってくる。
さっぱりとした気持ちで手を合わせたのだった。
菩提寺の寛慶寺でお参りをして、
実家で、父母と新年の訪れを祝った。
今年、気に留めておきたいのは、
もうすこし、こまかいことを気にせずに簡素に往きたい。
日々の不安はあるものの、風通し好くとしたいのだった。
届いた年賀状を見ていたら、電話が鳴った。
早速のお誘いで、近所のカフェのナノグラフィカで、
酒豪のかたがたと、新年最初の宴となった。
近くのかたも遠くのかたも、
今年も一献のひとときを、宜しくお願いします。