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ご近所さんで

2016年01月27日

 へこりと at 14:55  | Comments(0)
睦月 7

朝の冷え込みがきびしい。
休日、ようやく布団から這い出して、
朝風呂に身を沈めて目を覚ました。
善光寺門前のかどの大丸さんは、朝の9時から暖簾が出ている。
伺ったら、ガラス越しの打ち場で、
おおきな体の若旦那が蕎麦をこしらえていた。
伸ばした生地を、しかくい包丁で切っていく。
小気味よい音を聞きながら、
年季のしみ込んだ店内で、野沢菜をつまみにビールを飲んだ。
大丸さんではこの時期に、
自家製の醤油豆を仕込んで売っている。
これが酒に好く合う。
かけ蕎麦で腹を満たして、ひとつ求めた。
それにしても、蕎麦を担いで厨房に向かう、
若旦那のおおらかな背中を見ていたら、
今年こそ、身を預けてくれる女性を見つけてもらいたいと、
切に願ってしまうのだった。
午前のうちに雑用を済ませてしまえば、
あとはぽっかりひまになる。
昼どき、仲見世の丸清さんに行き、
朝昼、蕎麦屋のはしごとなった。
砂肝をつまみにビールを一本。
この店との付き合いも、子供のときからでずいぶんと長い。
ときどき出前を取るというと、かつ丼やかつカレーは
最高のごちそうだった。
今でもそそられるものの、胃がもたれてしまいいけない。
小鉢をつまみに酒と蕎麦が定番で、
この日も、鰊の棒煮で、大信州の燗酒を二本。
さっぱりとつめたいもりで締めた。
酔いざましの散歩の道すがら、こまつやさんに立ち寄る。
カウンターのひと角で、通りを眺めながら酌むのが好きで、
ことに、いそがしさのすこし落ちついた、
ちょいと外れた時間のときが好い。
はまぐりをつまみに、十九の純米吟醸のグラスを傾けた。
こまつやさんの奥さんは、春に出産を控えている。
ちいさな命の誕生は、
今年の春に彩りを添えてくれるのだった。
近所の気のおけない店で身をなぐさめてもらうのも、
手近なぜいたくとありがたいのだった。



  


日本酒を酌みながら

2016年01月26日

 へこりと at 12:18  | Comments(0)
睦月 6

冬らしからぬ穏やかな陽気が、
大寒をすぎてきびしい冷え込みに変わった。
界隈に人の姿も少なくなって、
訪ねてくるかたのいない暇な時間、
友だちから借りたDVDを観ていた。
WOWWOWで、
全国の酒蔵さんを紹介する番組をやっていて、
録画して貸してくれたのだった。
番組では、十四代をはじめとする、
名を馳せた銘柄を醸すお蔵さんの跡継ぎが、
造りにまつわる話をしてくれる。
日本酒の売り上げが落ち込む中、
跡を継ぐのも容易なことではなかった。
借金が在ったり、味の評判がわるかったり、
病気や高齢化で杜氏さんが辞めてしまったり、
難題と向き合うこととなる。
造りを始めてからも、古い蔵人とぶつかったり、
身内を作業中の事故で亡くしたり、
おおきな災害で被害を受けたり、どこのお蔵さんも、
波風を乗り越えて酒造りをしているのだった。
長野の下諏訪で「御胡鶴」を醸す、
菱友醸造の社長さんも出ておられた。
27歳のときに、地元のかたがたの協力を得て、
休業していたお蔵を引き継いだという。
搾った酒を、
東京の有名な酒屋に持ち込んだところ、
あっさりダメ出しをされたといい、
あんな不味い酒をを持ってきた酒蔵は
初めてだったという酒屋の社長の台詞に、
思わず笑ってしまった。
それが今では、長野を代表する銘柄となったのは、
あらためてすごいことだった。
日ごろ縁のあるお蔵さんがたも、
今季の造りの真っただ中にいる。
みなさん、体力気力をすり減らして、
毎年ほれぼれとする味を醸している。
冷え込みつづいたあとにはまた暖かくなるといい、
寒仕込みの時期の不安定な気候に、
お蔵さんの気苦労が案じられる。
顔を思い浮かべるたびに、
頑張ってくださいと思うのだった。













  


朝の散歩

2016年01月19日

 へこりと at 15:20  | Comments(0)













  


ヴィヴィアンマイヤーを探して

2016年01月19日

 へこりと at 14:42  | Comments(0)
睦月 5

出かけるときにカメラを持ち歩いている。
朝の善光寺へお参りに行くときも、蕎麦屋の昼酒に伺うときも、
馴染みの飲み屋へおじゃまするときも、
電車に乗って、すこし遠出の散歩をするときも、
首からぶら下げて、魅かれたひとコマを撮っている。
昨年の夏、雨のそぼ降る夕方に飲み屋へ出かけた。
カメラが濡れぬよう懐に入れて行ったのに、
酔い酔いの帰り道に油断して濡らした。
翌朝、うんともすんとも言わぬカメラを前に、
まぬけなこととへこんだ。
おしゃかになったカメラは、仕事場に置いてある。
ずいぶん高価なオブジェになってしまったのだった。
イトーヨーカドーのシネマポイントで、
「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を観た。
2007年、シカゴに住む青年が、オークションで、
段ボール箱いっぱいのフイルムを落札した。
写真を撮ったのは、ヴィヴィアン・マイヤーという女性で、
一部を現像してブログに上げたところ、
半世紀前のシカゴの町や人の写真に、
あちこちから絶賛の声が上がった。
プロの写真家にも認められ、
作品展を開けば、ニューヨークでもパリでもロンドンでも、
大勢の人が訪れた。
これほどの写真を撮りながら、
なぜ一枚も公表することなく、無名のまま生涯を終えたのか。
不可解な彼女の人生を、
生前の彼女を知るかたたちの話を聞きながら、
探していくというドキュメンタリーなのだった。
現在はインターネットのおかげで、
言葉も写真も容易に立ち上げることができる。
実際に写真を撮れば、すぐに立ち上げて、
出来ばえを見たり、馴染みのかたに伝えている。
暮らしが貧しくて、現像まで金がまわらなかったのか、
人と関わるのがいやだったのか、
今の世に彼女が生きていたら、撮った作品をどうしたか、
思いながら観た。
自身のポートレートも残していて、
顔立ちは、鼻がやや上向きで、目つきが暗い。
愛機はドイツのローライフレックスで、
箱型のカメラを構える姿は、なんだか近寄りがたい。
孤高の写真家、そう思える雰囲気が有るのだった。




  


本醸造を熱燗で

2016年01月16日

 へこりと at 09:16  | Comments(0)
睦月 4

小寒をすぎて、冷え込みが増している。
雪が降らずに、乾いた空気の寒々とした日がつづく。
それでも日が延びて、
夕方5時をすぎても、薄暮の明るさが残っている。
すこしづつ春に近づいている気配に、
気分も和らぐのだった。
訪ねて来たかたに日本酒をいただいた。
宮城の一ノの蔵の本醸造で、燗に向く酒をありがたい。
初めて日本酒を旨いと思ったのは25歳のときで、
そのときに口にしたのが一ノ蔵だった。
宮城に出張に行った友だちが、土産に買ってきてくれた。
初めて目にする銘柄を、半信半疑で口にしたら、
あまりの旨さにおどろいた。
感動のあまり、お蔵さんに手紙を出したら、
お蔵の専務さんから、
酒造りの真摯な姿勢が、便箋4枚に綴られて返ってきた。
それ以来、飲み屋の品書きに一ノ蔵を見つけると、
今でも、背筋を伸ばして飲みたい気持ちになる。
酔ってじきに、ぐずぐずにくずれてしまうが。
むかし、お江戸でござるという番組に、
江戸の文化に詳しい、
杉浦日向子さんというかたが出ていた。
若くして亡くなられてしまったが、
江戸の粋と蕎麦屋と酒と銭湯を愛したかたで、
著書を読んでいると、
叶わぬこととわかっていても、
いちど杯を交わしたかったと思うのだった。

たたみいわしが好物で、さっとあぶったのをかじりながら、
ありふれた本醸造の熱燗を、
大ぶりのぐい呑みでやってると、
ちうくらいのほどよいしあわせを感じる。

こんな台詞を読むたびに、まったくですと思うのだった。
この頃は、ありふれた本醸造にも、
ずいぶん旨い銘柄が増えた。
寒い夜の熱燗に、隠居気分で浸りたいのだった。








  


古傷に

2016年01月14日

 へこりと at 17:07  | Comments(0)
睦月 3

ときどき左の膝が痛くなる。
子供のころからのことで、付き合いが長い。
昨年の秋のおわりに、ジョギングをしていたら痛みが出た。
年末までのひと月、お医者通いをして、
ようやく痛みと腫れがおさまった。
年が明けてひさしぶりに、町をひとまわり走りに出たら、
なんのことはない、2キロも走らぬうちに、
ふたたび痛くなったのだった。
治療の甲斐もなく、おまけに膝をかばって歩いていたら、
腰まで痛くなる始末で、
新年早々、我が身のぽんこつぶりにへこんでしまった。
平日の夕方、父から電話が来た。
熱が下がらないから、お医者へ連れて行けというのだった。
一昨年から、すこしやっかいな病気を抱えていた。
常用している薬の副作用で、ときどき体調がおかしくなる。
かかりつけのお医者で診てもらったら、
くわしく検査をした方がよいという。
紹介状を書いてもらって、
翌日、おおきな病院へ行き、内科の待ち合いで、
順番が来るのを待った。
高校生のときに陸上部に入っていた。
左膝が痛くなり走れなくなったときに、
見かねた父に、医者に連れて行かれたことがある。
知人を介して、おおきな病院の外科の先生にお願いして、
診てもらうこととなった。
ところが、いそがしいところへ、
急な予定外の診察を頼まれて、先生の機嫌がわるい。
会うなりぞんざいな言葉づかいで父に文句を言うものだから、
それなら断ればいいのにと、気まずい思いになった。
結局診てもらったものの、
痛みの原因はわからず、病院をあとにした。
帰り道、ああいう態度のでかい大人にはなるなよと、
ひとこと父に言われたことを覚えている。
教訓めいたことを言われたのは、
よくよくそれっきりのことだったなと振り返り、
年々ちいさくなっていく親の姿を見ていると、
子供のころのやりとりなど思いだしてしまうのだった。




  


湯と蕎麦と酒と

2016年01月06日

 へこりと at 12:25  | Comments(0)
睦月 2

正月、草津温泉に出かけた。
友だちが二人、ひとりは旅館を、
もう一人はそば屋を営んで暮らしている。
電車で上田まで行って、旅館を営む友だちに迎えに来てもらった。
素泊まりの宿、「勢州館」に荷物を置いて、さっそく熱い湯に浸かる。
湯上りに狭い小路を散策したら、ちいさな教会を見つけた。
向かいの林では、女の子が二人で雪遊びをしている。
坂道を下りていくと、
湯畑の前はあいかわらず人が多い。
もうもうと上がる湯けむりに交じって、
日本語と英語と中国語が飛び交っている。
ごおんとひびく鐘の音につられて、高台の光泉寺でお参りをした。
昼どきの混雑をさけて、友だちの、「蕎麦 かない」へ向かう。
道すがら、近くの白根神社で、この地に暮らすふたりの、
今年の無事をよくよくお願いしたのだった。
昼すぎの蕎麦屋酒の杯をかさね、そのまま宿での宴となって、
酔いつぶれた。
次の朝、宿のワンコと散歩をした帰り、
開店前の蕎麦屋に立ち寄った。昨日店じまいのあとに、
かえしから蕎麦汁を作るさまを見せてもらった。
職がちがっても、手に生業のかたの手性は、
見ていておもしろい。。
この日の蕎麦を打つ様子を見せてもらったのだった。
蕎麦粉を捏ねて、円錐型にしわを伸ばしたら、
綿棒を使って、なんどもうすくうすく伸ばして生地にする。
伸ばした生地をたたんで、テンポよく、細打ちの麺に切っていく。
流れるような冴えた所作に、さすがとほれぼれとした。
西の河原の湯の沸く景色を眺め、
鶴ちゃんの美術館で、味わいある字体をを眺め、
ひと風呂浴びて、ふたたびの蕎麦屋酒と相成った。
湯と蕎麦と酒をたっぷり堪能した年明けは、ぜいたくなひとときで、
帰るそばからまた来たくなるのは困ったことだった。





  


草津にて

2016年01月06日

 へこりと at 12:11  | Comments(0)







































  


未から申へ

2016年01月05日

 へこりと at 10:46  | Comments(0)























  


新年になって

2016年01月05日

 へこりと at 10:36  | Comments(0)
睦月 1

未から申へ、雪の中、年が変わった。
大晦日、実家で父母と年とりをした。
近所の仕出し屋からおせち料理を取り寄せて、
一年の締めの宴をした。
紅白歌合戦を途中で切り上げて外へ出れば、
いつのまにか雪が降っていた。
善光寺の境内には、ぞろぞろと、二年参りの客の姿が増えている。
善光寺の北西、界隈の町を仕切る湯福神社の、
越年の儀式の手伝いを頼まれた。
おおきな神社で、年明けとともに、つぎつぎと参拝客がやってくる。
手伝いを終えて、お参りをして境内を出るころには、
午前の2時を回っていた。
二年参りのざわつきののこる善光寺でお参りをして、
ひっそり静まった、氏神さんの伊勢社にお参りをした。
目が覚めて早々に起きだせば、
雪上がりの、きりりとした元旦の朝だった。
町を見下ろす高台で待っていれば、
菅平の空からちりちりと初日の出が上がってくる。
さっぱりとした気持ちで手を合わせたのだった。
菩提寺の寛慶寺でお参りをして、
実家で、父母と新年の訪れを祝った。
今年、気に留めておきたいのは、
もうすこし、こまかいことを気にせずに簡素に往きたい。
日々の不安はあるものの、風通し好くとしたいのだった。
届いた年賀状を見ていたら、電話が鳴った。
早速のお誘いで、近所のカフェのナノグラフィカで、
酒豪のかたがたと、新年最初の宴となった。
近くのかたも遠くのかたも、
今年も一献のひとときを、宜しくお願いします。