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松本詣で

2022年06月28日

 へこりと at 11:06  | Comments(0)

水無月 8

久しぶりに映画館に出かけた。
水谷豊監督の、太陽とボレロを観たのだった。
地方のちいさな交響楽団が、資金難のために
活動ができなくなった。解散前の最後のコンサートを
開くまでの、楽団員たちの気持ちの葛藤を描いた
作品だった。松本を舞台に撮影された作品で、
見覚えのある女鳥羽川沿いの景色に、
見覚えがないけれどそそられる、
飲み屋の並ぶ小路が映しだされていた。
楽団員役の俳優さんは、実際に楽器を練習して、
大詰めの最後の場面では、世界的指揮者、
西本智実率いる交響楽団とボレロを奏でていた。
ほのぼのとした好い作品だった。先日その松本の
信毎メディアガーデンまで、山岳写真家の
三宅修、岳親子の写真展を観に出かけたのだった。
日曜日の夕方、仕事を早く終いにして、
特急しなのに揺られて行く。
駅前のホテルにチェックインをしたら、暑さの残る
夕方の町へ出て、焼き鳥の末喜商店におじゃまする。
先月はじめて来たときに、ご主人と店員さんの気持ちの好い
接客と、旨い焼き鳥に、すっかり惹かれたのだった。
この日もじきに満席になり、人気ぶりがうかがえた。
翌朝、大浴場で夕べの酔いを流して、松本駅前の蕎麦屋、
榑木野へ行く。朝の7時半から開店していて、
モーニングビールが安く飲める、ありがたい店だった。
アサヒの熟選を3杯飲んで、もりで締めたら、
通勤客とすれちがいながら、町をぶらぶら
散歩する。松本の町は空気が清々しく、
歩いていると気分がさっぱりとしてくる。
時間を見計らってメディアガーデンに行き、三宅さん親子の
雄大な山の景色を拝見した。今日の昼酒は、松本在住のかたが
勧めてくれた、蕎麦処のもときと決めていた。昼どきまでの間、
近くの松本城や開智小学校でも撮っていようと、
持参したカメラの電源を入れたら、ファインダーが
真っ白で何も見えない。
いぶかしんで、なんども電源を切ったり入れたりしても、
変わらぬままだった。買って5年、こわれてしまったのだった。
帰ったら山本カメラに直行だな・・・
へこんだ気分でもときの暖簾をくぐり、ひたし豆をつまみに、
久保田の千寿で我が身を慰めた。

烏城カメラこわれて撮れぬ夏。


  


お気遣いがありがたく

2022年06月24日

 へこりと at 09:02  | Comments(0)

水無月 7

美容師をして、日々の糊口をしのいでいる。
ものぐさな性分で、毎日の晩酌だけを楽しめれば
幸せと、金銭感覚のゆるい、どんぶり勘定の毎日を
過ごしている。そんなお気楽な身でも、この頃の、
暮らしにかかる経費の高騰は、さすがに
気になることだった。
車はほとんど乗らないから、ガソリンの値上がりは
さして影響はないものの、この冬の,灯油の値段の高さには
ため息が出た。ガソリンもふたたび値が上がり、
通勤や仕事で車を使っているかたは、さぞかし頭が痛い。
ガスも電気も値上がりして
えっ、こんなにと、毎月戸惑っている。
そこに加えて、食料品の値上がりも相次いでいるという。
ふだんスーパーで野菜や肉を買わないから、
相場のほどは知らないものの、
ご家族を抱えたかたがたや、飲食店を営むかたがたは、
さぞかし大変とうかがえる。
仕事柄、パーマ液やカラー剤を使っている。
値上がりしませんようにと祈っているのだった。
母がまだ現役の美容師だった時に、初めて消費税が
導入された。ところが、1円玉やら5円玉やら、
小銭を用意するのは面倒くさいと言って、
料金を今までと変えずにいた。しばらくして、
母と一緒に仕事をするようになって、消費税も何度か
上がったものの、料金はそのままで、
こんにちに至っている。
お客さんの中には、値上げしなくて大丈夫ですか?
遠慮しないで上げてくださいと、
心配してくれるかたもいて、ほんとにお気遣いが
ありがたい。
昔に比べて、お客さんも売り上げも、ずいぶんと減っている。
それでいて、飲み屋に行く回数は昔と一緒だから、
金が貯まるわけがない。
独り身だからなんとかやっていけている。
奥さんや子供がいたらとても無理なことだった。
以前結婚していたことがある。
愛想をつかされて、離婚して一人暮らしになったら、
光熱費に水道代が、それまでの半分以下になった。
寂しいさなか、それだけちょっと嬉しかった。
嘆いてみてもどうにかできるわけでもなし。
気がかりごとといえば、10月からのビールの
値上げだけ。
くよくよせずに、なるようにしかならないと、
変わらずエビスを飲んでゆくのだった。

気がかりはビールの値上げそれだけで。




  


腰が痛くて

2022年06月21日

 へこりと at 09:13  | Comments(2)

水無月 6

この頃、腰の左側から太ももと膝にかけて、
疼くような痛みがある、
これまでも同じ症状が出て、そのたびに、
整骨院を営む友だちに診てもらっていた。
歩くときに左足に重心がかかっている。
それが痛みの原因と言われたのだった。
このたびは、日ごと痛みがつよくなり、
立っていても座っていても
寝ていても、疼いている。
晩酌をしながら、腰をたたいたり太ももを押したり
膝をさすったり、落ち着いて酔えないのは
困ったことだった。
休日の朝、整骨院へ行き、友だちに
診てもらったら、
これは坐骨神経痛だねえと言われた。以前、
坐骨神経痛に苦しんでいた知人がいた。
整形外科へ治療に行ったら、
腰に注射を20回も打たれたといい、その注射が
ものすごく痛かったとこぼしていた。
自宅の向かいに住む、整形外科の先生の顔が
浮かんだけれど、
腰の痛みもつらいが、痛い注射もいやだぞ・・
夏になると入浴は、ちゃちゃっとシャワーだけで
済ませている。それも良くないと言われたのだった。
ちゃんと湯船に浸かって体を温めて、
血行をよくしないといけない。歩いていける距離に温泉が
二つ在り、どちらも神経痛に効くという。
せいぜい通わなくてはいけないのだった。
左の膝は、子供のころから痛みがあった。
中学校でバスケットボールを、高校で陸上の長距離を
やっていて、ときどき痛みが増して、練習を休むことが
あった。高校生の時に、大きな病院で検査を受けたものの、
原因はわからずじまいだった。ところがそれから10年後、
旅先で交通事故に遭い、病院に担ぎ込まれたときだった。
MRIで検査を受けたところ、膝の裏側に、ちいさなひびが
見つかったのだった。担当の先生曰く、
これは事故の傷ではなく、生まれついての
ひびとのことで、交通事故のおかげで長年の疑問が
解決するとは、夢にも思わぬことだった。
手術で治せるけれど、ほおっておいても、悪化することは
ないという。それならば、そのままでとお願いして、
こんにちに至っている。そんな経緯があったから、
膝が痛くなっても、しょうがないことと、
すっかりあきらめている。
友だちに、お灸とマッサージの治療を続けてもらい、
痛みの引くのを待っている。
日々養生が必要な、
そんな歳になっているのだった。

冷や酒や酔って腰痛ごまかして。


  


安くて旨い酒を

2022年06月17日

 へこりと at 08:54  | Comments(0)

水無月 5

父の日が近づくと、5年前に亡くなった
父に思いが馳せる。酒飲みだったから、
毎年日本酒を送っていたのだった。毎日
夕方になると、いそいそと酒のつまみを用意して、
水戸黄門の再放送を観ながら、5合の酒を酌んでいた。
貧しい家庭に生まれ育ったから、贅沢ができない性分だった。
2リットル800円の紙パックの日本酒を、レンジでチンしては
旨そうに飲んでいた。いちど、実家へ出向いたときに
飲ませてもらったことがある。
・・・これを日本酒と言っていいものか。
この味を5合も飲めるのは、すごいことだなあと
感心したのを覚えている。父が亡くなったときに、
未開封のその酒が5本残っていた。母に、
お父さんの形見だから、あんた飲んじゃいなさいと
言われたときは、これは修行ですかの気分になった。
我慢して毎晩1合だけ飲んで、あとは料理に使ったり、
風呂にどぼどぼ入れたり、なんとか使い切った。
せめて父の日には、もっとうまい酒を飲んでもらいたいと、
大吟醸なんぞを贈っても、もったいながっていつまでも
飲まない。めでたい正月に封を切ったときには、
すっかり味が劣化しているありさまだった。それから、
地元の銘柄の普通酒の一升瓶を贈るようにしたら、
よほど嬉しそうな顔をされたのも、
懐かしいことだった。
馴染みの酒屋の峯村くんから、ときどき
商品の案内のラインが届く。
純米酒や純米吟醸酒などに混ざって、
このたびは珍しく、信州新町のお蔵さん、
尾澤さんの、美寿々錦の普通酒も推してきた。
一升税込み1870円。
爽やかな甘さと心地よい酸の味で、欠点のない、
晩酌に最適な一本という。
安くて旨いに越したことはない。
早速取り寄せてみたのだった。
日本酒の味を覚えたころは、たいした稼ぎも
ないくせに、
上等な銘柄ばかりを酌んでいた。
折りよく長野市内に、県外の旨い地酒を扱う酒屋が
出始めていた頃だった。
あれから40年近くが過ぎ、もう日々の暮らしに
肩ひじ張るような欲もない。酒もまたしかりで、
晩酌は、ゆるい気分でのんびり酌める、
手ごろなやつが好い。さいわい、
安くても旨い味を醸してくれる
お蔵さんも増えて、
毎晩そんな銘柄を楽しんでいる。
久しぶりの美寿々錦の普通酒は、冷やでも燗でも
すいすいいける、飲みやすい旨さだった。
晩酌の常連に加えたいことだった。

父の日や安い酒でも喜ばれ。


  


近所に温泉

2022年06月14日

 へこりと at 11:27  | Comments(0)
水無月 4

毎朝、ひとまわり散歩をしている。
木々の緑も日ごと色濃くなって、水の張った田んぼでは
もう田植えが済んでいた。梅雨どきの、やや湿り気を帯びた
空気の向こうには、穏やかな山並みが、
水墨画のように淡い姿を映している。
朝晩はまだ少し冷え込みがあるものの、Тシャツ一枚に、
素足にサンダルで過ごせるようになり、
好い季節になったのだった。
自宅から西へ20分歩いたところに、温泉施設の
うるおい館が在る。天然かけ流しで、
塩気のある、やや柔らかい湯で、
休日の散歩の折りに、朝風呂に寄ったり、
夕暮れどき、ひと風呂浴びて、馴染みの飲み屋へ
出かけたり、近くにくつろげる温泉があるのは、
ありがたいことだった。
すぐ近所に御年98歳のおばあさんがいて、
週に3日、タクシーに乗ってうるおい館に通っている。
午前に出かけて夕方まで、ゆっくり1日過ごして
帰ってくる。
高齢なのに、ぴんぴんしゃんしゃんお元気なのも、
温泉の効能かと思えるのだった。
今月になって、自宅から10分の長野市の繁華街、
権堂に、権堂温泉が開館した。
以前、フィットネスクラブのビルだった。
建てたときに温泉が湧き出たのだった。、
ところが、コロナ禍で利用者がいなくなり、
新たなお客を呼び込もうと、
温泉施設に改築をしたのだった。先日、
飲み屋へ行くついでに早速足を運んでみた。
受付を済ませて地下へ降りると、
広い浴槽があって、廊下を隔てて、泡風呂とサウナがある。
ここの湯も、天然かけ流しの柔らかな湯で、
肌触りがぬるっとしている。
しばらくご無沙汰している、戸倉上山田温泉の湯を
思い出した。
まだ開業して間もないのに、すでに近所のおじいさんたちが、
常連さんよろしく入ってくるのだった。
汗を流して外へ出たら、そのまま権堂界隈の、馴染みの
飲み屋へ行くも好し。温泉から歩いて15秒、
洋平さんの店が在る。
夕涼みがてらちょいと下って、長野駅前の、
馴染みの飲み屋へ行くも好し。
さっぱり力の抜けた身に、冷たいビールが待っている。
好い場所に出来たことと、まことに嬉しいことだった。

温泉で薄暮迎えし麦酒かな。


  


風薫る季節に

2022年06月10日

 へこりと at 08:17  | Comments(0)

水無月 3

5月の終わり、世話になっていたかたが亡くなった。
90歳のかたで、昨年から介護施設で暮らしていた。
前日まで、普段と変わりなく元気だったのに、
翌朝体調がおかしくなり、病院に運ばれて間もなく
息を引き取ったという。
母の古い友だちで、70年の付き合いがあった。
母もこの6月で満90歳になった。足腰が
弱くなったものの、頭もしっかりしているし、
食欲もある。ただ、ずいぶんと気性が
弱くなってしまった。美容師として
ばりばり働いていた頃は、感情の起伏がつよく、
気に入らないことがあれば、家族に
すぐ怒鳴り声をあげていた。
こちらが謝るまで、理屈の通らないことでも、
わたしが正しいと言い張って、延々怒鳴っていた。
たまたま訪ねてきた母の知人が、
怒鳴り声をあげているのを見て、
あんなに怖い人だったのかと、以来、
付き合いをやめたほどだった。そんな母が、
70歳のときに大病をしてから、嘘のように
おとなしくなってしまった。
80歳を過ぎてから、さらに弱くなり、
病院へ連れて行ったり、
買い物を頼まれたり、そのたびに、
ありがとう。迷惑かけてごめんねと何度もいう。
6月3日の誕生日に花とケーキを届けたら、
余計なお金を使わせてごめんねと、また謝られた。
昔の気性の荒さがなくなったのは良かったものの、
あまりの弱々しさに切なくなってしまうのだった。
そんな母に、友だちの死を伝えていいものか。
このまま黙っていようか、思案をしている。
翌6月4日、ふたたび花屋へ寄った。
いくつか花を包んでもらい、善光寺の門前を
抜けて行くと、御開帳の参拝客がぞくぞくと
上がっていく。
七味唐辛子の八幡屋磯五郎では、外までお客が
あふれていて、店員さんがあたふたと応対に
追われていた。
人混みを避けて裏道を行き、西町の西方寺に着くと、
ボランティアのおじさんが、参拝客に
寺の説明をしていた。門をくぐって本堂のわきを
過ぎていくと、墓地の隣の幼稚園は、
本日運動会。賑やかな音楽と子供たちの歓声に
気持ちが和む。4年前に亡くなった友だちの命日
なのだった。
墓前にきれいな花が供えてあり、
ご家族が早々にお参りに来たとうかがえる。
一緒に花を供えて手を合わせた。
陽さん、みんなを見守っていてください。
ご家族を見守っていてください。
本堂の、おおきな屋根の彼方の青空に、
ぽっかり雲が浮いている。しばらくすると
ご住職の重々しい読経が聞こえてきた。
門前で蕎麦屋を営んでいた友だちだった。
ときどき思い出していたら、
嬉しいことがあった。
長野駅の新幹線の改札口の広場に、長野市の
観光案内の動画が流れている。
そこに見つけたのだった。
おおきな体をゆさゆさ動かして、せっせと蕎麦を
打っている。昼酒をやりながら、毎度眺めた姿だった。
見るたびに、懐かしく切なく温かいことだった。

薫風や蕎麦打つ後姿かな。


  


甥っ子と

2022年06月07日

 へこりと at 08:41  | Comments(0)

水無月 2

甥っ子が訪ねてきた。
函館に暮らす兄夫婦の子で、今年33歳になる。
函館の高校を卒業してから、はるばる宮崎の大学に
進学して、卒業後は、いちど函館に帰ったものの、
ふたたび宮崎に渡り、飲食店で働いていた。
何年か働いていた後に、支店を東京に開くこととなり、
マネージャーとして、東京に転勤になった。
それからしばらくしてコロナ騒ぎが始まったのだった。
店の売り上げが激減して、せっかく出した支店も
閉鎖の憂き目にあってしまった。
飲食店を退職したあと、通信制の高校の職員に転職して、
現在東京に暮らしている。
海外留学に力を入れている学校で、
英語の授業をしたり、留学の講演会をしたり、
都の中学を営業で回ったり、毎日忙しい。
甥っ子も大学を卒業したあと、海外へバックパッカーの
旅に出て、外国暮らしの経験がある。
それを生徒のために活かせればというのだった。
親よりも、この叔父さんの血が濃いんじゃないかと
思うくらい、
写真を撮るのが好き、珈琲が好き、胃腸が弱くて、
すぐ腹をこわすところまで一緒だった。
当然酒も好きで、アルコールなら、
なんでもござれだった。
飲みだせばだらしなく酔うのもおなじだから、会えば、
きりなくいつまでも、杯を重ねてしまうのだった。
昨年の夏に結婚をして、このたびは嫁さんも
連れてきてくれた。
嫁さんも、甥っ子とおなじくらい酒が
つよいというから素晴らしいことだった。
馴染みの飲み屋の暖簾をくぐり、
久しぶりと初めましての夜に酔っ払った。
翌日二人を連れて、介護施設に暮らす母に会いに行った。
甥っ子は、ときどき母に手紙を出してくれている。
優しい気づかいを受けて、
母もずっと会いたがっていたのだった。
コロナ禍で、ほんとは東京からの来訪者との面会は
いけないことだった。母も今年90歳で、
この先、甥っ子といつ会えなくなるかわからない。
所長さんの計らいで、玄関先でごくごく短い時間、
会わせていただいた。ちいさくなった体で、
来てくれてありがとう。何度も頭を下げる母に、
甥っ子も嫁さんも、泣き笑いの顔で答えていた。
馴染みの蕎麦屋で昼酒を交わし、
夕方、東京に帰る二人に、長野の日本酒と
ワインと、八幡屋磯五郎の唐辛子を持たせて見送った。
かわいい二人ではないか。
また会えるのが楽しみなことだった。

冷や酒や甥っ子夫婦ととめどなく。


  


夏を迎えて

2022年06月03日

 へこりと at 08:35  | Comments(2)

水無月 1

毎春、花粉症に悩まされている。
5月のゴールデンウィークをすぎたあたりに、
目鼻のぐずぐずが収まってくれるのに、
今年はいまだに少々ぐずついている。
薬を飲むほどではないにしろ、黄砂でも
舞っているのか、気になってしまうのだった。
加えてここしばらく、胃の具合がよろしくない。
たいして食べているわけでもないのに、
すぐに腹が苦しくなって、気持ちがわるくなる。
朝飯に昼飯はほとんど食べない。
夕飯は、ビールや酒を酌みながら、ちょっとした
つまみを突っつく程度だった。
胃がせっせと動くこともなく、歳も重なって、
弱っているのかもしれない。
親しいかたがたと、調子に乗って深酒をした翌朝は、
昔よりも回復がわるい。すっかりしじみ習慣が
手放せなくなっている。
夏場、冷たいアルコールを飲む量も増える。
酔っ払って腹を出したままつぶれて、
胃腸をこわさぬようにしなければいけない。
子供の頃から肩こりで、血行が良くなるようにと、
親に養命酒を飲まされていた。
友だちに話したら、
若いのにじじいみたいとからかわれた。
近ごろ肩こりに、首痛に頭痛も伴うようになり、
腰痛も昔から抱えている。
痛みで眠れないときもあり、困ってしまう。
酔っ払わないことには、安眠もできないのだった。
体調がわるいと、気分も浮かない。
仕事もひまで、ますます浮かない。
これではいけないと、先日気分転換に、
一階の仕事場と二階の住まいの片づけをした。
長らく放っておいた不要なものを捨て、
整理整頓をしたら、気分もいくらかさっぱりする。
仕事場の入口に暖簾をかけている。
これまでかけていた厚手の暖簾を、夏に合わせて
薄手の暖簾に変えることにした。
ところが毎日、陽にさらされ、ときには強い雨風を
受けたりするから、薄い生地は痛みや色褪せが早く、
昨年捨ててしまった。
思案して、手ごろな値段の手ぬぐいで作ることにした。
近所の土産物屋で、おなじ柄の水色の手ぬぐいを二枚。
上の端をテープでつなげて、入口にぶら下げたら、
見ごろをむかえた、ガマズミの白い花と相まって、
なかなか好い。
隣の湯本さんの奥さんに、
まあ、涼しげねえとほめられて、浮かない気分を
持ち上げてもらったのだった。

水色の手ぬぐいふたつ夏暖簾。