小布施町で
如月 4
小布施町へ出かけた。
特急ゆけむり号で千曲川を渡っていくと、
じきに栗の町に着く。
町の風情が好きで、
ときどき足を運んでいるのだった。
飲食店や土産物屋のならぶ町なかは、
あいかわらず観光客でにぎわっている。
それでも祝日にしては少ないのかなあ。
マスクだらけのおじさんおばさんがたを眺めた。
あちこちに新型ウイルスの感染者が出て、
連日テレビや新聞で報道されている。
日ごと数が増えているのだった。
ちまたでは、マスクや除菌液が手に入らず、
パソコンでアマゾンを覗いてみたら、
とんでもない値段で売られていた。
向かいのお宅の奥さんは、
ニュージーランドの友だちを訪ねる予定が
中止を余儀なくされた。
善光寺にも客足が遠のいて、
顔見知りの土産物屋の奥さんは、
もう、商売めちゃめちゃよ~!と
目を吊り上げて怒っていた。
近所のコンビニの店長も、この連休は、
さっぱりとひまだったといい、
あちこちのイベントをはじめ、人の集まる行事が
のきなみ中止になっている。
連日のニュースを見ているだけで
気分が落ちてしまうのだった。
小布施の北斎館の企画展を観て、
町なかを外れると、
人の気配のない静かな景色がつづく。
朽ちた土蔵の点在する旧道からわきに入ると、
褪せた栗やぶどうの畑に、
柔らかな陽射しがそそいで、
もう春の気配が感じられた。春が来る。
いやなことにちりちりせずに、
明るくいかにゃあいかんのだった。
小布施町へ出かけた。
特急ゆけむり号で千曲川を渡っていくと、
じきに栗の町に着く。
町の風情が好きで、
ときどき足を運んでいるのだった。
飲食店や土産物屋のならぶ町なかは、
あいかわらず観光客でにぎわっている。
それでも祝日にしては少ないのかなあ。
マスクだらけのおじさんおばさんがたを眺めた。
あちこちに新型ウイルスの感染者が出て、
連日テレビや新聞で報道されている。
日ごと数が増えているのだった。
ちまたでは、マスクや除菌液が手に入らず、
パソコンでアマゾンを覗いてみたら、
とんでもない値段で売られていた。
向かいのお宅の奥さんは、
ニュージーランドの友だちを訪ねる予定が
中止を余儀なくされた。
善光寺にも客足が遠のいて、
顔見知りの土産物屋の奥さんは、
もう、商売めちゃめちゃよ~!と
目を吊り上げて怒っていた。
近所のコンビニの店長も、この連休は、
さっぱりとひまだったといい、
あちこちのイベントをはじめ、人の集まる行事が
のきなみ中止になっている。
連日のニュースを見ているだけで
気分が落ちてしまうのだった。
小布施の北斎館の企画展を観て、
町なかを外れると、
人の気配のない静かな景色がつづく。
朽ちた土蔵の点在する旧道からわきに入ると、
褪せた栗やぶどうの畑に、
柔らかな陽射しがそそいで、
もう春の気配が感じられた。春が来る。
いやなことにちりちりせずに、
明るくいかにゃあいかんのだった。
日本酒の会で
如月 3
上田に暮らす友だちに、宴の席に誘われた。
地元の宮島酒店さんが主催の、
長野の日本酒の会があったのだった。
会場のホテルに行けば、
お蔵さんがたのブースを真ん中に、
100人あまりの酒豪の男女が囲んでいる。
気をせくように乾杯をしたら、
さっそくそれぞれの銘柄の味を利きまわる。
長野のお蔵さんは、造り手が若い世代になってから、
ほんとに良い味を醸すようになったことと思う。
さっぱりと切れのある味から、
旨味の幅のある味まで、
それぞれの個性を味わいながら、
酒歴30年のおじさんは、
ほとほと感心してしまうのだった。
宴に誘ってくれた友だちは、
先日、となりの新潟県の酒蔵を巡ってきたという。
利き酒をしたけれど、
てんで、長野の酒のほうが旨かったというのだった。
長野の味が、越後の端麗辛口に
大きく水をあけられていたことなんて、
もうすっかり昔のことだった。
この正月、函館に暮らす兄から北海道の地酒を頂いた。
飲んでみたらべらぼうに旨くて、
あっという間に四合瓶一本空にした。
かつて北海道の酒と言えば、
ろくな酒米もとれず、旨い銘柄もなくというのが常だった。
それが今では、質の良い米を作り、地元の天然水で
まことに旨い酒を造るお蔵さんも出てきたという。
酒蔵の老朽化と、この頃の気候の温暖化を懸念した
岐阜の老舗のお蔵さんが、
北海道に移転するなどという話もあって、
お蔵さんの世界も、
それぞれの事情がうかがえるのだった。
かつてない暖冬で、顔なじみのお蔵さんがたも、
このたびは、醪の様子にかなり気を使われたことと思う。
造りの苦労話を聞かせてもらいながら、
杯を交わしたことだった。

上田に暮らす友だちに、宴の席に誘われた。
地元の宮島酒店さんが主催の、
長野の日本酒の会があったのだった。
会場のホテルに行けば、
お蔵さんがたのブースを真ん中に、
100人あまりの酒豪の男女が囲んでいる。
気をせくように乾杯をしたら、
さっそくそれぞれの銘柄の味を利きまわる。
長野のお蔵さんは、造り手が若い世代になってから、
ほんとに良い味を醸すようになったことと思う。
さっぱりと切れのある味から、
旨味の幅のある味まで、
それぞれの個性を味わいながら、
酒歴30年のおじさんは、
ほとほと感心してしまうのだった。
宴に誘ってくれた友だちは、
先日、となりの新潟県の酒蔵を巡ってきたという。
利き酒をしたけれど、
てんで、長野の酒のほうが旨かったというのだった。
長野の味が、越後の端麗辛口に
大きく水をあけられていたことなんて、
もうすっかり昔のことだった。
この正月、函館に暮らす兄から北海道の地酒を頂いた。
飲んでみたらべらぼうに旨くて、
あっという間に四合瓶一本空にした。
かつて北海道の酒と言えば、
ろくな酒米もとれず、旨い銘柄もなくというのが常だった。
それが今では、質の良い米を作り、地元の天然水で
まことに旨い酒を造るお蔵さんも出てきたという。
酒蔵の老朽化と、この頃の気候の温暖化を懸念した
岐阜の老舗のお蔵さんが、
北海道に移転するなどという話もあって、
お蔵さんの世界も、
それぞれの事情がうかがえるのだった。
かつてない暖冬で、顔なじみのお蔵さんがたも、
このたびは、醪の様子にかなり気を使われたことと思う。
造りの苦労話を聞かせてもらいながら、
杯を交わしたことだった。
初めての飲み屋へ
如月 2
休日の午後、散歩に出た。
県庁のわきを抜けて、
相生橋を渡って、裾花川沿いの堤防を行く。
河川敷には雪もなく、
延々と、冬枯れた草木がつづいている。
銀色のテレビ局の鉄塔と、
赤白のNTTの鉄塔がそびえる空を、
うっすらとした雪雲がおおい始めていた。
あやとり橋を渡って引き返していけば、
裾花小学校のグラウンドで、
子供たちが雀のようにかたまって
遊んでいる。
国道へ出てまっすぐ上がり、
派手な装いのハンコ屋のかどを曲がる。
ぽつんとある八百屋の、
ほのかな灯りを眺めながら行くと、
じきに、飲み屋の並びが見えてきた。
時刻も5時をまわってちょうどよい。
初めての、やきとり・宝さんに寄ったのだった。
この頃、酒屋を営む友だちが、
旨い日本酒を卸している。
よい店ですよと勧められていたのだった。
年季の入った店内は、
落ち着いた昭和の佇まいがある。
カウンターのはしっこで、
ずらりと張られた短冊を眺めれば、
ちくわの天ぷらに丸干しいわし、
ニラせんべいにハムカツなど、
肩の力の抜けた品ぞろえが好い。
愛想の好い、お母さんと娘さんの店で、
旨い日本酒は、娘さんのこだわりという。
厚揚げの肉巻きをつまみに、なみなみ注がれた、
山形の盾野川をいただいた。
この地で店を始めて35年という。
じきに,昭和の風情の常連さんがたもやってき来て、
店内が、まるく和やかな空気に包まれた。
あてもなく、ふらふら、さまよい出て、
締めに居心地のよい飲み屋で一献。
ささやかな休日のぜいたくとなったのだった。

休日の午後、散歩に出た。
県庁のわきを抜けて、
相生橋を渡って、裾花川沿いの堤防を行く。
河川敷には雪もなく、
延々と、冬枯れた草木がつづいている。
銀色のテレビ局の鉄塔と、
赤白のNTTの鉄塔がそびえる空を、
うっすらとした雪雲がおおい始めていた。
あやとり橋を渡って引き返していけば、
裾花小学校のグラウンドで、
子供たちが雀のようにかたまって
遊んでいる。
国道へ出てまっすぐ上がり、
派手な装いのハンコ屋のかどを曲がる。
ぽつんとある八百屋の、
ほのかな灯りを眺めながら行くと、
じきに、飲み屋の並びが見えてきた。
時刻も5時をまわってちょうどよい。
初めての、やきとり・宝さんに寄ったのだった。
この頃、酒屋を営む友だちが、
旨い日本酒を卸している。
よい店ですよと勧められていたのだった。
年季の入った店内は、
落ち着いた昭和の佇まいがある。
カウンターのはしっこで、
ずらりと張られた短冊を眺めれば、
ちくわの天ぷらに丸干しいわし、
ニラせんべいにハムカツなど、
肩の力の抜けた品ぞろえが好い。
愛想の好い、お母さんと娘さんの店で、
旨い日本酒は、娘さんのこだわりという。
厚揚げの肉巻きをつまみに、なみなみ注がれた、
山形の盾野川をいただいた。
この地で店を始めて35年という。
じきに,昭和の風情の常連さんがたもやってき来て、
店内が、まるく和やかな空気に包まれた。
あてもなく、ふらふら、さまよい出て、
締めに居心地のよい飲み屋で一献。
ささやかな休日のぜいたくとなったのだった。
大根を頂いて。
如月 1
今にも梅がほころびそうな。
善光寺門前は、あいかわらずそんな陽気が
つづいている。
まだ2月なのに、
この先の季節の加減をいぶかしんで
しまうのだった。
穏やかな陽気は、いらぬお客もつれてきた。
目と鼻がちりちりとうずきだし、早々に、
花粉の気配に見まわれているのだった。
近所の薬屋にマスクを求めたところ、
案の定、在庫がないという。
中国から世界に広まった、新型ウイルスのせいだった。
連日新聞やテレビでは、
どんどんひろがる感染者の様子を、
にぎにぎしく知らせている。
マスク詣での人がぐんと増えて、
コンビニからドラッグストアをはしごしても、
マスクの棚は、どこもきれいさっぱりと空だった。
殺人事件に交通事故、詐欺に火事、
インフルエンザに新型ウイルスと、
気の滅入る出来事が、毎日あとを絶たない。
目にするたびに、1日を無事に終えるのが、
まるで奇跡のように思えてしまう。
畑を耕している友だちに、大根をたくさん頂いた。
おかげで、雪もなく、酔って滑ってころぶ心配もないのに、
飲み屋にも行かず、
大根をつまみに晩酌をしている。
3日で一本消費と決めて、
毎晩千六本に切って、鍋でぐつぐつ煮ている。
かわりばえがしなくても、、
大根そのものが旨いから、飽きずに食べている。
はた目に新型ウイルスのニュースを観ながら、
大根でのんびりと酔って。
平和でいられる身を、
つくづくありがたいことと思うのだった。

今にも梅がほころびそうな。
善光寺門前は、あいかわらずそんな陽気が
つづいている。
まだ2月なのに、
この先の季節の加減をいぶかしんで
しまうのだった。
穏やかな陽気は、いらぬお客もつれてきた。
目と鼻がちりちりとうずきだし、早々に、
花粉の気配に見まわれているのだった。
近所の薬屋にマスクを求めたところ、
案の定、在庫がないという。
中国から世界に広まった、新型ウイルスのせいだった。
連日新聞やテレビでは、
どんどんひろがる感染者の様子を、
にぎにぎしく知らせている。
マスク詣での人がぐんと増えて、
コンビニからドラッグストアをはしごしても、
マスクの棚は、どこもきれいさっぱりと空だった。
殺人事件に交通事故、詐欺に火事、
インフルエンザに新型ウイルスと、
気の滅入る出来事が、毎日あとを絶たない。
目にするたびに、1日を無事に終えるのが、
まるで奇跡のように思えてしまう。
畑を耕している友だちに、大根をたくさん頂いた。
おかげで、雪もなく、酔って滑ってころぶ心配もないのに、
飲み屋にも行かず、
大根をつまみに晩酌をしている。
3日で一本消費と決めて、
毎晩千六本に切って、鍋でぐつぐつ煮ている。
かわりばえがしなくても、、
大根そのものが旨いから、飽きずに食べている。
はた目に新型ウイルスのニュースを観ながら、
大根でのんびりと酔って。
平和でいられる身を、
つくづくありがたいことと思うのだった。