今年もおわりに
師走 8
平成27年がおわる。
今年も世話になっていたかたが幾人か亡くなった。
目をかけてくれたご厚意はほんとにありがたく、
ご冥福をお祈りした。
年が明けてひと月ほどしたころ、
右手の神経が麻痺して動かなくなった。
毎朝医者通いをして、日がな一日、
こころぼそい気持ちで、冬の日を過ごしていた。
春のはじめに回復をして、握力がすこし落ちたものの、
これぐらいで済んだのはさいわいだったと、
心底ほっとした。
両親がそろって体調をくずしたり、
おおきな病気にかかって、手術をした友だちや知人がいた。
昨年は、噴火や地震、
自然の災害に、日々のありがたさを教えられた。
このたびは、我が身や身近なかたがたを通じて、
ふつうに暮らせるありがたさを実感したのだった。
今年もしあわせの報告が届いたのは、
こちらも嬉しいことだった。
夏の気配が近づいてきたころ、
馴染みの飲み屋の御主人が結婚をした。
お相手は、長らく店で働いている女性だった。
日ごろカウンター越しに、
伯楽星の純米吟醸をなめながら、
息の合ったやりとりを眺めては、
なんでこの二人は、
さっさと結婚しないのだと思っていたから、
ようやくのめでたい知らせに、お祝いに馳せ参じた。
秋のおわりが見えたころ、友だち夫婦が親になった。
結婚して9年、長女が生まれたのだった。
お父さんもお母さんも良い顔立ちだから、
美人になるのはまちがいない。
ヨッパのおじさんも、成長ぶりが楽しみとなる。
友だちは、槙と書いてまきという名をつけた。
調べたら、葉がびっしり茂るという意味がある。
健やかに、たくさんのしあわせが茂ってもらいたい。
あたらしい土地で仕事を始めた友だちに、
来年を、区切りの年にと考えている友だちがいる。
微力ながら、力になれればと思う。
今年も親しいかたがたの、
心遣いに支えられた一年だった。
ありがとうございました。
申の年を、爽やかに迎えられますように。

平成27年がおわる。
今年も世話になっていたかたが幾人か亡くなった。
目をかけてくれたご厚意はほんとにありがたく、
ご冥福をお祈りした。
年が明けてひと月ほどしたころ、
右手の神経が麻痺して動かなくなった。
毎朝医者通いをして、日がな一日、
こころぼそい気持ちで、冬の日を過ごしていた。
春のはじめに回復をして、握力がすこし落ちたものの、
これぐらいで済んだのはさいわいだったと、
心底ほっとした。
両親がそろって体調をくずしたり、
おおきな病気にかかって、手術をした友だちや知人がいた。
昨年は、噴火や地震、
自然の災害に、日々のありがたさを教えられた。
このたびは、我が身や身近なかたがたを通じて、
ふつうに暮らせるありがたさを実感したのだった。
今年もしあわせの報告が届いたのは、
こちらも嬉しいことだった。
夏の気配が近づいてきたころ、
馴染みの飲み屋の御主人が結婚をした。
お相手は、長らく店で働いている女性だった。
日ごろカウンター越しに、
伯楽星の純米吟醸をなめながら、
息の合ったやりとりを眺めては、
なんでこの二人は、
さっさと結婚しないのだと思っていたから、
ようやくのめでたい知らせに、お祝いに馳せ参じた。
秋のおわりが見えたころ、友だち夫婦が親になった。
結婚して9年、長女が生まれたのだった。
お父さんもお母さんも良い顔立ちだから、
美人になるのはまちがいない。
ヨッパのおじさんも、成長ぶりが楽しみとなる。
友だちは、槙と書いてまきという名をつけた。
調べたら、葉がびっしり茂るという意味がある。
健やかに、たくさんのしあわせが茂ってもらいたい。
あたらしい土地で仕事を始めた友だちに、
来年を、区切りの年にと考えている友だちがいる。
微力ながら、力になれればと思う。
今年も親しいかたがたの、
心遣いに支えられた一年だった。
ありがとうございました。
申の年を、爽やかに迎えられますように。
詫びたい気持ち
師走 7
新聞のお悔やみ欄に、覚えのある名前を見つけた。
ちいさな町の酒蔵で、杜氏をしていたかただった。
造っていたのは、界隈の酒屋へ行けば、
たいてい目にする銘柄で、なんどか口にしたことがある。
ところが、味が好みに合わず、
すすんで買うことのない銘柄なのだった。
好みに合わないのは味だけではなかった。
お蔵の前を通りかかれば、
入口に、「日本で一番小さな酒蔵」と看板が出ていた。
そのわりには、テレビでCMを流しているし、
新聞にも広告を頻繁に載せている。
都会で暮らす友だちからは、
スーパーで山積みで売ってたよと報告が来るし、
およそちいさいお蔵にふさわしくない構えに、
なんだかなあと思ってしまうのだった。
品評会へ出す酒は、金賞を取るほどの出来栄えで、
そのたびに宣伝をしている。
うらはらに、地元のかたがふだん飲む安い酒は、
他のお蔵の酒を使っているのも、
地元をないがしろにしていて気に入らない。
安い酒にも真摯に向き合う、
ちいさなお蔵を知っている身には、
ぜんぜん縁がいらないのだった。
亡くなった杜氏さんと初めてお会いしたときに、
宴の席を御一緒したことがある。
売り物ではないんですがと、
仕込んだばかりの酒を持ってきていて、
利かせてもらったら、
売っている酒よりも、きれいで旨くておどろいた。
後日飲み屋の御主人に、
こんなにうまい酒が造れるのに、
なんであんな蔵に勤めているんだと、
さかんに絡んでいたと聞かされて、
酔ったいきおいで失礼なことをと焦った。
半年ほどして再びお会いしたときに、
かつての非礼を詫びたら、
わたしも酔っていて、
そのときの記憶がありませんと笑ったのは、
たちのわるい酔っぱらいへの思いやりだった。
亡くなられたあとに、後輩の杜氏さんに、
いつか造りたい酒があると話していたと知り、
お蔵と造りの間で、
いちばん屈託を抱えていたのは、
本人だったかもしれず、
ほんとに申しわけのないことをした。
忘年会の帰り道、立ち寄ったラーメン屋に、
造っていた銘柄が置いてあった。
ご冥福を祈りながら、一杯酌ませてもらった。

新聞のお悔やみ欄に、覚えのある名前を見つけた。
ちいさな町の酒蔵で、杜氏をしていたかただった。
造っていたのは、界隈の酒屋へ行けば、
たいてい目にする銘柄で、なんどか口にしたことがある。
ところが、味が好みに合わず、
すすんで買うことのない銘柄なのだった。
好みに合わないのは味だけではなかった。
お蔵の前を通りかかれば、
入口に、「日本で一番小さな酒蔵」と看板が出ていた。
そのわりには、テレビでCMを流しているし、
新聞にも広告を頻繁に載せている。
都会で暮らす友だちからは、
スーパーで山積みで売ってたよと報告が来るし、
およそちいさいお蔵にふさわしくない構えに、
なんだかなあと思ってしまうのだった。
品評会へ出す酒は、金賞を取るほどの出来栄えで、
そのたびに宣伝をしている。
うらはらに、地元のかたがふだん飲む安い酒は、
他のお蔵の酒を使っているのも、
地元をないがしろにしていて気に入らない。
安い酒にも真摯に向き合う、
ちいさなお蔵を知っている身には、
ぜんぜん縁がいらないのだった。
亡くなった杜氏さんと初めてお会いしたときに、
宴の席を御一緒したことがある。
売り物ではないんですがと、
仕込んだばかりの酒を持ってきていて、
利かせてもらったら、
売っている酒よりも、きれいで旨くておどろいた。
後日飲み屋の御主人に、
こんなにうまい酒が造れるのに、
なんであんな蔵に勤めているんだと、
さかんに絡んでいたと聞かされて、
酔ったいきおいで失礼なことをと焦った。
半年ほどして再びお会いしたときに、
かつての非礼を詫びたら、
わたしも酔っていて、
そのときの記憶がありませんと笑ったのは、
たちのわるい酔っぱらいへの思いやりだった。
亡くなられたあとに、後輩の杜氏さんに、
いつか造りたい酒があると話していたと知り、
お蔵と造りの間で、
いちばん屈託を抱えていたのは、
本人だったかもしれず、
ほんとに申しわけのないことをした。
忘年会の帰り道、立ち寄ったラーメン屋に、
造っていた銘柄が置いてあった。
ご冥福を祈りながら、一杯酌ませてもらった。

年の瀬に
師走 7
秋のおわりに、ジョギングをしていて左膝を痛めた。
子供のときの名残りの古傷で、
ときどき思い出したように痛くなる。
昨年の今ごろも痛めていたと思い出し、
寒くなると、体も心も、古傷がうずいてせつないのだった。
いつもなら10日ほどで痛みも消えるのに、
このたびは勝手がちがった。
ひと月を過ぎた今でも痛みが引かず、
毎朝、整骨院の世話になっている。
近所の整体師さんにも診てもらったら、
これはそうとう重症ですねえと言われ、
寄る歳なみに、怪我の治りもわるくなっているとわかる。
師走になって、親しいかたがたと、
今年の区切りの宴がつづく。
運動ができずに飲み食いばかりしているから、
体が重たくていけないのだった。
友だちと酌み交わした翌朝、
めずらしく目覚めが良い。
酩酊した次の日は、たいていどんよりとだるいのに、
どうしたことかと振り返ったら、
寝る前に、りんごをひとつ食べたと思い出す。
りんごに二日酔いを和らげる力があるとは、
目からうろこの発見だった。
何も進歩のなかったこの一年、さいごに、
身のためになる学習ができたのはうれしいことだった。
そのまま散歩に出れば、
乳白色の空に、菅平の山なみがかすんでいる。
夜中の冷え込みに、落ち葉や枯れ木に霜がつき、
うっすらとした蒸気が里山をかすめていく。
善光寺へ行ったら、若い男女が冷たい石畳に正座をして、
友だちに写真を撮ってもらっていた。
手前に鏡餅が置いてあり、
新婚さんの年賀状ですなと察しがついた。
遠くの町の友だちから、気持ちのこもった手紙と、
旨いワインが届いた。
今年もたくさんの気遣いに支えられたことと、
ようやく年の瀬の気分になるのだった。

秋のおわりに、ジョギングをしていて左膝を痛めた。
子供のときの名残りの古傷で、
ときどき思い出したように痛くなる。
昨年の今ごろも痛めていたと思い出し、
寒くなると、体も心も、古傷がうずいてせつないのだった。
いつもなら10日ほどで痛みも消えるのに、
このたびは勝手がちがった。
ひと月を過ぎた今でも痛みが引かず、
毎朝、整骨院の世話になっている。
近所の整体師さんにも診てもらったら、
これはそうとう重症ですねえと言われ、
寄る歳なみに、怪我の治りもわるくなっているとわかる。
師走になって、親しいかたがたと、
今年の区切りの宴がつづく。
運動ができずに飲み食いばかりしているから、
体が重たくていけないのだった。
友だちと酌み交わした翌朝、
めずらしく目覚めが良い。
酩酊した次の日は、たいていどんよりとだるいのに、
どうしたことかと振り返ったら、
寝る前に、りんごをひとつ食べたと思い出す。
りんごに二日酔いを和らげる力があるとは、
目からうろこの発見だった。
何も進歩のなかったこの一年、さいごに、
身のためになる学習ができたのはうれしいことだった。
そのまま散歩に出れば、
乳白色の空に、菅平の山なみがかすんでいる。
夜中の冷え込みに、落ち葉や枯れ木に霜がつき、
うっすらとした蒸気が里山をかすめていく。
善光寺へ行ったら、若い男女が冷たい石畳に正座をして、
友だちに写真を撮ってもらっていた。
手前に鏡餅が置いてあり、
新婚さんの年賀状ですなと察しがついた。
遠くの町の友だちから、気持ちのこもった手紙と、
旨いワインが届いた。
今年もたくさんの気遣いに支えられたことと、
ようやく年の瀬の気分になるのだった。
草津の友だち
師走 6
草津に友だちを訪ねた。
友だちは二人いて、
ひとりは長らく、善光寺門前の蕎麦屋に勤めていた。
温泉が好きで草津通いをしていたら、
居抜きの物件と巡り合った。
改装して、蕎麦屋を開いたのだった。
もうひとりは、失業していたかただった。
草津へ、蕎麦屋の開店準備の手伝いに行っていたら、
地元の不動産屋に、休業中の旅館を紹介された。
そのまま借り受けて、素泊まりの宿を始めたのだった。
どちらもこの秋に決まったことで、
山の温泉町が、急に身近な場所になってしまった。
休日、友だちと連れだって、地蔵峠を上がっていく。
雪の降らない冬で、
道沿いの里山が、褪せた枯れ木をさらしていた。
うすく雪をかぶった浅間山が見えて、
どんよりとした厚い雲に、天気の変わる気配があった。
草津の町は相変わらずにぎわっていて、
大学が冬休みになったせいか、
若い男女の姿が多い。
スノーボードを抱えた若者もいて、
スキー場、雪はあるのですかと、
他人ごとながら心配になった。
蕎麦 かないに行ったら、この日の口開けさんだった。
開店して2か月余り、
蕎麦の評判も良いようで安心をしている。
卵焼きと鴨でビールと燗酒を酌む。
角の立った蕎麦は喉ごしが好く、
きりっとした汁との相性も良い。
ひととき好い酔いで、
湯に浸かりに、旅館勢州館へ立ち寄った。
年季の入った古い建物は、
友だちが毎日手直しをしていて、
ひとりで作業をしているから大変なのだった。
旅館の湯は湯畑からの源泉で、
さらりと肌触りが好い。
毎日こんなにくつろげるなら、
住みたくなるわけだなあと合点がいくのだった。

草津に友だちを訪ねた。
友だちは二人いて、
ひとりは長らく、善光寺門前の蕎麦屋に勤めていた。
温泉が好きで草津通いをしていたら、
居抜きの物件と巡り合った。
改装して、蕎麦屋を開いたのだった。
もうひとりは、失業していたかただった。
草津へ、蕎麦屋の開店準備の手伝いに行っていたら、
地元の不動産屋に、休業中の旅館を紹介された。
そのまま借り受けて、素泊まりの宿を始めたのだった。
どちらもこの秋に決まったことで、
山の温泉町が、急に身近な場所になってしまった。
休日、友だちと連れだって、地蔵峠を上がっていく。
雪の降らない冬で、
道沿いの里山が、褪せた枯れ木をさらしていた。
うすく雪をかぶった浅間山が見えて、
どんよりとした厚い雲に、天気の変わる気配があった。
草津の町は相変わらずにぎわっていて、
大学が冬休みになったせいか、
若い男女の姿が多い。
スノーボードを抱えた若者もいて、
スキー場、雪はあるのですかと、
他人ごとながら心配になった。
蕎麦 かないに行ったら、この日の口開けさんだった。
開店して2か月余り、
蕎麦の評判も良いようで安心をしている。
卵焼きと鴨でビールと燗酒を酌む。
角の立った蕎麦は喉ごしが好く、
きりっとした汁との相性も良い。
ひととき好い酔いで、
湯に浸かりに、旅館勢州館へ立ち寄った。
年季の入った古い建物は、
友だちが毎日手直しをしていて、
ひとりで作業をしているから大変なのだった。
旅館の湯は湯畑からの源泉で、
さらりと肌触りが好い。
毎日こんなにくつろげるなら、
住みたくなるわけだなあと合点がいくのだった。
師走の別れ
師走 5
12月、冷え込みがゆるくすごしやすい。
まだ平地では雪も降らず、
このまま春までいってくれないかと、
甘い見通しで空を眺めている。
ひまな平日、年賀状を書いた。
宛名を書いて、ひとこと添えて。
春、上田へ花見に行った折りに、
城跡公園のお堀端の桜を撮った。
なかなか好い案配だったと思い出し、
年賀状に使おうと探したら、
どのSDカードにも見当たらない。
どうやら削除してしまったらしく、
とほほの気分で、あらたに写真を用意した。
毎年早々に書き上げると、
そのあとに、
決まって幾人から、年賀欠礼のはがきが届く。
今年はそれを見越して、師走半ばまで手を付けずにいた。
今年は、御身内を亡くされた7人のかたから、
さみしい正月を迎える知らせが届いた。
仕事をしていたら、友だちから電話がかかってきた。
平日の昼間にかけてくるのは珍しい。
いぶかしんででてみたら、
お父さんが亡くなったとの知らせだった。
このところ、
体力気力がずいぶん弱くなったとは聞いていた。
いちばんふるい友だちだから、
お父さんとも長らく馴染みがあった。
まだ元気だったころ、ときどき友だち宅に伺えば、
いっしょに酌み交わしたこともあったと思い出す。
気さくな好いお父さんだったと懐かしく、
ありがとうございましたとお参りをした。
彼岸へ逝って会えなくなるかたに、
縁が切れて会わなくなるかたに、
今年もいくつか別れがあった。
昔はうじうじ気にしたものの、
この頃は、ため息ひとつであきらめも付くようになった。
年の瀬になると、今在る縁に思いが向くのだった。

12月、冷え込みがゆるくすごしやすい。
まだ平地では雪も降らず、
このまま春までいってくれないかと、
甘い見通しで空を眺めている。
ひまな平日、年賀状を書いた。
宛名を書いて、ひとこと添えて。
春、上田へ花見に行った折りに、
城跡公園のお堀端の桜を撮った。
なかなか好い案配だったと思い出し、
年賀状に使おうと探したら、
どのSDカードにも見当たらない。
どうやら削除してしまったらしく、
とほほの気分で、あらたに写真を用意した。
毎年早々に書き上げると、
そのあとに、
決まって幾人から、年賀欠礼のはがきが届く。
今年はそれを見越して、師走半ばまで手を付けずにいた。
今年は、御身内を亡くされた7人のかたから、
さみしい正月を迎える知らせが届いた。
仕事をしていたら、友だちから電話がかかってきた。
平日の昼間にかけてくるのは珍しい。
いぶかしんででてみたら、
お父さんが亡くなったとの知らせだった。
このところ、
体力気力がずいぶん弱くなったとは聞いていた。
いちばんふるい友だちだから、
お父さんとも長らく馴染みがあった。
まだ元気だったころ、ときどき友だち宅に伺えば、
いっしょに酌み交わしたこともあったと思い出す。
気さくな好いお父さんだったと懐かしく、
ありがとうございましたとお参りをした。
彼岸へ逝って会えなくなるかたに、
縁が切れて会わなくなるかたに、
今年もいくつか別れがあった。
昔はうじうじ気にしたものの、
この頃は、ため息ひとつであきらめも付くようになった。
年の瀬になると、今在る縁に思いが向くのだった。
お参りに
師走 4
師走になって、くっきりとした冬の気配になった。
日中の陽射しも弱くなり、
木々や家々に映る光と影もやわらかくなっている。
休日、菩提寺の寛慶寺へ出かけた。
一年を締めくくる御法要が行われたのだった。
同じ町内にあるから、
毎朝、今日の無事と身内の健康をお願いしている。
本堂の中で仏さまと向き合うのは、
祖母の27回忌以来で、20年ぶりのことだった。
ご住職が座に着いて、朗々とした読経が始まった。
うしろで手を合わせながら、途中、立ったり座ったりをくりかえし、
いっしょに南無阿弥陀仏を唱えた。
毎年、御法要の合い間に落語が催されるという。
今年は春風亭一之輔師匠が来るといい、
それも目当てのひとつだった。
この春までBS放送で、
「酒とつまみと男と女」という番組をやっていた。
師匠が進行役を務めていて、
毎回いろんなゲストと酒場を徘徊していた。
酒の飲みっぷりがいいなあと、毎週眺めていたのだった。
仏さまの前に設けられた高座に着くと、
長野は寒いですねえと始まったまくらから、
本筋のよたろう話まで、
テンポと切れの好い語り口がつづき、
本堂が、笑いにつつまれた。
寒い中、一本の落語のために来ていただいたのは、
ありがたいことだった。
ひと笑いしてお腹も空いて、庫裏でお昼ご飯となる。
ご住職の奥さん手作りの、
野菜の煮物に煮びたしと粕汁が美味しく、ご飯がすすむ。
お参りをしたあとのやさしい味は、
体にも心にも温かく染み入るのだった。
お腹を満たして、再び本堂で、
さいごの結願法要のお参りをした。
今年一年、
無事に過ごさせていただいてありがとうございました。
一年のけじめに、
仏さまと向き合って南無阿弥陀仏を唱えたら、
気持ちがすっきりとおちついた。
冷え込んだ冬の空気も、清々と気持ちが好いのだった。

師走になって、くっきりとした冬の気配になった。
日中の陽射しも弱くなり、
木々や家々に映る光と影もやわらかくなっている。
休日、菩提寺の寛慶寺へ出かけた。
一年を締めくくる御法要が行われたのだった。
同じ町内にあるから、
毎朝、今日の無事と身内の健康をお願いしている。
本堂の中で仏さまと向き合うのは、
祖母の27回忌以来で、20年ぶりのことだった。
ご住職が座に着いて、朗々とした読経が始まった。
うしろで手を合わせながら、途中、立ったり座ったりをくりかえし、
いっしょに南無阿弥陀仏を唱えた。
毎年、御法要の合い間に落語が催されるという。
今年は春風亭一之輔師匠が来るといい、
それも目当てのひとつだった。
この春までBS放送で、
「酒とつまみと男と女」という番組をやっていた。
師匠が進行役を務めていて、
毎回いろんなゲストと酒場を徘徊していた。
酒の飲みっぷりがいいなあと、毎週眺めていたのだった。
仏さまの前に設けられた高座に着くと、
長野は寒いですねえと始まったまくらから、
本筋のよたろう話まで、
テンポと切れの好い語り口がつづき、
本堂が、笑いにつつまれた。
寒い中、一本の落語のために来ていただいたのは、
ありがたいことだった。
ひと笑いしてお腹も空いて、庫裏でお昼ご飯となる。
ご住職の奥さん手作りの、
野菜の煮物に煮びたしと粕汁が美味しく、ご飯がすすむ。
お参りをしたあとのやさしい味は、
体にも心にも温かく染み入るのだった。
お腹を満たして、再び本堂で、
さいごの結願法要のお参りをした。
今年一年、
無事に過ごさせていただいてありがとうございました。
一年のけじめに、
仏さまと向き合って南無阿弥陀仏を唱えたら、
気持ちがすっきりとおちついた。
冷え込んだ冬の空気も、清々と気持ちが好いのだった。
一献の系譜
師走 3
イトーヨーカドーのシネマポイントで映画を観た。
「一献の系譜」は、日本酒造りに携わる、
石川県能登地方出身の、杜氏と蔵人のドキュメンタリーだった。
能登杜氏四天王と称されるかたがたがいる。
農口尚彦さんに中三郎さん、三盃幸一さんに波瀬正吉さんで、
それぞれ、石川の菊姫に天狗舞、
富山の満寿泉に静岡の開運と、無名だった地方の銘柄を、
品質の良さで世に知らしめた、ベテラン杜氏なのだった。
酒の味を覚えたころ、
出入りしていた酒屋で菊姫と天狗舞を扱っていて、
頻繁に飲んでいた。
富山の酒で初めて口にしたのが満寿泉で、
開運は、銘酒の揃う静岡の中でいちばん気に入りでいる。
張りつめた酒造りの現場の様子に、美しい能登の四季の風景、
そして、偉大な先代のあとを継ぐ蔵人たちの重圧と悩みが、
描かれた作品だった。
かつては、農作業のできない冬の間、
農家のかたがたがお蔵さんへ出稼ぎに来て、酒を造っていた。
この頃は、おおきなお蔵さんでは通年で社員を雇い、
一年中造りをしたり、ちいさなお蔵さんでは、
跡とりの身内のかたが杜氏になって、
造りをするところも増えたという。
長野市や、まわりのお蔵さんがたと、
ときどき宴をする機会に恵まれる。
造りの話を伺うたびに、
米の出来に水の質、気温の上がり下がりに体調管理、
体力気力の苦労が絶えない。
まともに睡眠もとらずに醪と向き合って、
ひと冬越せば、
みなさんぐったりと、疲れ果てたさまになっている。
その甲斐あって、仕上げた味を利いてみれば、
年々追うごとに美味しくなって、ありがたいと思うのだった。
冬が来て、今年度の造りのときとなる。
ひとりひとりを思い浮かべれば、
無事の造りができますように、願わずにいられないのだった。

イトーヨーカドーのシネマポイントで映画を観た。
「一献の系譜」は、日本酒造りに携わる、
石川県能登地方出身の、杜氏と蔵人のドキュメンタリーだった。
能登杜氏四天王と称されるかたがたがいる。
農口尚彦さんに中三郎さん、三盃幸一さんに波瀬正吉さんで、
それぞれ、石川の菊姫に天狗舞、
富山の満寿泉に静岡の開運と、無名だった地方の銘柄を、
品質の良さで世に知らしめた、ベテラン杜氏なのだった。
酒の味を覚えたころ、
出入りしていた酒屋で菊姫と天狗舞を扱っていて、
頻繁に飲んでいた。
富山の酒で初めて口にしたのが満寿泉で、
開運は、銘酒の揃う静岡の中でいちばん気に入りでいる。
張りつめた酒造りの現場の様子に、美しい能登の四季の風景、
そして、偉大な先代のあとを継ぐ蔵人たちの重圧と悩みが、
描かれた作品だった。
かつては、農作業のできない冬の間、
農家のかたがたがお蔵さんへ出稼ぎに来て、酒を造っていた。
この頃は、おおきなお蔵さんでは通年で社員を雇い、
一年中造りをしたり、ちいさなお蔵さんでは、
跡とりの身内のかたが杜氏になって、
造りをするところも増えたという。
長野市や、まわりのお蔵さんがたと、
ときどき宴をする機会に恵まれる。
造りの話を伺うたびに、
米の出来に水の質、気温の上がり下がりに体調管理、
体力気力の苦労が絶えない。
まともに睡眠もとらずに醪と向き合って、
ひと冬越せば、
みなさんぐったりと、疲れ果てたさまになっている。
その甲斐あって、仕上げた味を利いてみれば、
年々追うごとに美味しくなって、ありがたいと思うのだった。
冬が来て、今年度の造りのときとなる。
ひとりひとりを思い浮かべれば、
無事の造りができますように、願わずにいられないのだった。
店がなくなって
師走 2
このところ、毎日工事の音を聞きながら過ごしている。
近所のだんご屋のお宅がリフォームをしているのだった。
この春の、善光寺の御開帳をさいごに店じまいをして、
店舗部分を住居に改修をしている。
元気のいいおばさんがひとりで営んでいた。
もともと御夫婦二人で切り盛りしていた。
のちに、
旦那さんが女をつくって蒸発したと聞いたときは、
こんなちいさな町でも、
ドラマのような出来事があったのかと、
妙に感心してしまった。
通りを下った先に在る喫茶店も、
御開帳を最後に商いをやめた。
かつてこの場所には、長野市初の映画館が在った。
小学生のときに、火事を出してつぶれたあとに、
喫茶店ができたのだった。
年配の御夫婦が営んでいて、
ロートレックという名のとおり、
趣きのある建物の二階は画廊になっていて、
地元の作家の絵画の展示をしていた。
かつては、通りいっぱいに店が並んでいた町並みも、
蕎麦屋が二軒に、
酒屋と八百屋と葬儀屋と食堂が一軒づつ。
二年前に、
空家を改修して和菓子屋を始めた御主人が越してきて、
町にとっては、ひさしぶりのあたらしい店だった。
平日の午後、
近所に事務所を構える建築家のかたがやってきた。
若い男性を同行していて、
通り沿いの空き家を直して、
安い宿屋を開くと紹介された。しずかな町に、
人の流れが増えるのは好いことと挨拶をした。
日曜日、ロートレックの前に、
作業着姿のおじさんたちが集まって、
重機を積んだダンプが停まっていた。
更地にして、お決まりのとおり、
コインパーキングになるという。
見慣れた景色がまた消えるのは、さみしいことだった。

このところ、毎日工事の音を聞きながら過ごしている。
近所のだんご屋のお宅がリフォームをしているのだった。
この春の、善光寺の御開帳をさいごに店じまいをして、
店舗部分を住居に改修をしている。
元気のいいおばさんがひとりで営んでいた。
もともと御夫婦二人で切り盛りしていた。
のちに、
旦那さんが女をつくって蒸発したと聞いたときは、
こんなちいさな町でも、
ドラマのような出来事があったのかと、
妙に感心してしまった。
通りを下った先に在る喫茶店も、
御開帳を最後に商いをやめた。
かつてこの場所には、長野市初の映画館が在った。
小学生のときに、火事を出してつぶれたあとに、
喫茶店ができたのだった。
年配の御夫婦が営んでいて、
ロートレックという名のとおり、
趣きのある建物の二階は画廊になっていて、
地元の作家の絵画の展示をしていた。
かつては、通りいっぱいに店が並んでいた町並みも、
蕎麦屋が二軒に、
酒屋と八百屋と葬儀屋と食堂が一軒づつ。
二年前に、
空家を改修して和菓子屋を始めた御主人が越してきて、
町にとっては、ひさしぶりのあたらしい店だった。
平日の午後、
近所に事務所を構える建築家のかたがやってきた。
若い男性を同行していて、
通り沿いの空き家を直して、
安い宿屋を開くと紹介された。しずかな町に、
人の流れが増えるのは好いことと挨拶をした。
日曜日、ロートレックの前に、
作業着姿のおじさんたちが集まって、
重機を積んだダンプが停まっていた。
更地にして、お決まりのとおり、
コインパーキングになるという。
見慣れた景色がまた消えるのは、さみしいことだった。
伯楽星と愛宕の松と
師走 1
日曜日、駅前の居酒屋、景家に出かけた。
宮城県で伯楽星と愛宕の松を醸している、
新澤醸造の社長を招いて、
酒の会が開かれたのだった。
先代から跡を継いで10年余り、
すっかり酒徒の間に名を馳せているお蔵さんだった。
先の大震災で被災したのち、蔵をあたらしく移転した。
仕込みに使う、裏山からの湧き水が良い質で、
さらに好き味を醸せるようになった。
ひさしぶりにお会いした社長は
あいかわらずのつるつる頭で肥えている。
愛宕の松のスパークリングで乾杯をして、
旨い海の幸と山の幸を肴に順番に利いていく。
「残響」は、7パーセントまで磨いた米で造った酒で、
米を削るだけで2週間かかるという。
高価な精米機を持っているからこその、
ひときわ手間のかかった銘柄は、
とろけるような味わいにうっとりとした。
JALのファーストクラスで使われている純米大吟醸は、
きびしい審査に受かって、10年扱ってもらっているという。
品質の良さが認められて、今年はJALのほうから、
扱いたいと申し込みがあったという。
伯楽星は、海外17国に輸出もしているといい、
上品な味わいは、
青い目のかたがたにも好評なのだった。
めったに飲めない酒のあとに、ふだん愛飲している、
愛宕の松の本醸造が出てきた。
上のクラスの味のあとに酌んでみると、
安い酒でも、きっちりすきなく造っているのがわかり、
ありがたいことだった。
最上のひとときを堪能しての別れぎわ、
また宮城に来てくださいと社長がいう。
また利き酒しましょうといわれ、
いやいやそれはと苦笑いになった。
以前訪ねたときに、
仙台は国分町の居酒屋で利き酒をした。
ずらりと並んだぐい呑みをはしから利いて、
さあ、伯楽星はどれでしょう?
これっとひとつを指さしたとたん、
こんな酒を造るぐらいなら自殺してますよおーと、
社長に言わせてしまったのだった。
にぶい舌の持ち主は、
今でも思い出すたびに、恥ずかしくなるのだった。
今季も無事の造りができますように。
頑張ってくださいと握手を交わした。

日曜日、駅前の居酒屋、景家に出かけた。
宮城県で伯楽星と愛宕の松を醸している、
新澤醸造の社長を招いて、
酒の会が開かれたのだった。
先代から跡を継いで10年余り、
すっかり酒徒の間に名を馳せているお蔵さんだった。
先の大震災で被災したのち、蔵をあたらしく移転した。
仕込みに使う、裏山からの湧き水が良い質で、
さらに好き味を醸せるようになった。
ひさしぶりにお会いした社長は
あいかわらずのつるつる頭で肥えている。
愛宕の松のスパークリングで乾杯をして、
旨い海の幸と山の幸を肴に順番に利いていく。
「残響」は、7パーセントまで磨いた米で造った酒で、
米を削るだけで2週間かかるという。
高価な精米機を持っているからこその、
ひときわ手間のかかった銘柄は、
とろけるような味わいにうっとりとした。
JALのファーストクラスで使われている純米大吟醸は、
きびしい審査に受かって、10年扱ってもらっているという。
品質の良さが認められて、今年はJALのほうから、
扱いたいと申し込みがあったという。
伯楽星は、海外17国に輸出もしているといい、
上品な味わいは、
青い目のかたがたにも好評なのだった。
めったに飲めない酒のあとに、ふだん愛飲している、
愛宕の松の本醸造が出てきた。
上のクラスの味のあとに酌んでみると、
安い酒でも、きっちりすきなく造っているのがわかり、
ありがたいことだった。
最上のひとときを堪能しての別れぎわ、
また宮城に来てくださいと社長がいう。
また利き酒しましょうといわれ、
いやいやそれはと苦笑いになった。
以前訪ねたときに、
仙台は国分町の居酒屋で利き酒をした。
ずらりと並んだぐい呑みをはしから利いて、
さあ、伯楽星はどれでしょう?
これっとひとつを指さしたとたん、
こんな酒を造るぐらいなら自殺してますよおーと、
社長に言わせてしまったのだった。
にぶい舌の持ち主は、
今でも思い出すたびに、恥ずかしくなるのだった。
今季も無事の造りができますように。
頑張ってくださいと握手を交わした。