桜を待って
弥生 3
仕事場の前の路地を、
すぐ先の高校へ通う子供たちが、
ぽつぽつと行き来するようになった。
コロナウイルスの騒ぎが出て以来、
ぱたりと姿が途絶えていた。
目にすると、なんだかほっとするのだった。
暖かな日の夕方、
近所のおばあさんが訪ねて来た。
座るなり、
毎日、コロナコロナで疲れちゃうねえと
いう。
穏やかな季節を迎えたというのに、
いまだ新聞もテレビも、
先行きの見えないニュースがつづく。
コロナもたしかに心配だけど、
毎日食事ができるんだから
そんなに不安にならなくてもいいのよという。
子供のころ、戦争体験をしているかただった。
あの時代貧しくて、
ほんとうに食べるものがなかった。
日本の勝ち負けよりも、今夜のごはん、
明日のごはん、そればっかりが心配で、
毎日飢えていたという。
それに比べたら、
今はいつでも美味しいものが食べられる。
それだけでしあわせなことなんだから、
コロナばかりに気をとられずに
明るくいかなきゃと笑うのだった。
ほんとにねえ。力づよいお言葉に
元気をいただいてしまった。
桜の季節、いつも足を運んでいる
上田城跡公園では、
城門前のしだれ桜が開花したという。
来週あたりが見ごろだろうか。
お堀を囲むソメイヨシノも、じきに開花する。
桜に気をとられたほうが、
よほど精神的にも好い。
桜詣でに、気もそぞろとなってくるのだった。

仕事場の前の路地を、
すぐ先の高校へ通う子供たちが、
ぽつぽつと行き来するようになった。
コロナウイルスの騒ぎが出て以来、
ぱたりと姿が途絶えていた。
目にすると、なんだかほっとするのだった。
暖かな日の夕方、
近所のおばあさんが訪ねて来た。
座るなり、
毎日、コロナコロナで疲れちゃうねえと
いう。
穏やかな季節を迎えたというのに、
いまだ新聞もテレビも、
先行きの見えないニュースがつづく。
コロナもたしかに心配だけど、
毎日食事ができるんだから
そんなに不安にならなくてもいいのよという。
子供のころ、戦争体験をしているかただった。
あの時代貧しくて、
ほんとうに食べるものがなかった。
日本の勝ち負けよりも、今夜のごはん、
明日のごはん、そればっかりが心配で、
毎日飢えていたという。
それに比べたら、
今はいつでも美味しいものが食べられる。
それだけでしあわせなことなんだから、
コロナばかりに気をとられずに
明るくいかなきゃと笑うのだった。
ほんとにねえ。力づよいお言葉に
元気をいただいてしまった。
桜の季節、いつも足を運んでいる
上田城跡公園では、
城門前のしだれ桜が開花したという。
来週あたりが見ごろだろうか。
お堀を囲むソメイヨシノも、じきに開花する。
桜に気をとられたほうが、
よほど精神的にも好い。
桜詣でに、気もそぞろとなってくるのだった。
気持ちを大事に
弥生 2
コロナウイルスの流行で、
町がすっかり閑散としている。
甥っ子が東京の飲食店で働らいている。
先日ブログを覗いたら、
売り上げが、いつもの半分に減ったと嘆いていて、
気の毒になってしまった。
客商売をしているから、この頃はお客さんに、
みやいりさんのところは
大丈夫ですかと、たびたび心配をされている。
さいわい我が家は、もともと暇な店だから
さしたる影響も受けずに済んでいるのだった。
そうはいっても、連日のコロナ騒ぎを目にすれば、
気分もなんだかちんやりとする。
こんなときにありがたいのは、
酌み交わせるお仲間がいることだった。
月にいちどの、なじみのおでん屋ひろびろの、
酒の会に出かけたのだった。
日本酒好きのかたがたが、
ひとり一本4合瓶を持ち寄って、飲みくらべをする。
そのときどきのみんなの都合で、
集まる顔ぶれがおおかったり少なかったり。
それでも、
亡くなった先代の女将さんのときからだから、
およそ10年、脈々とつづいている。
ときにはみんなで温泉に行ったり花見に出かけたり、
和気あいあいの縁にまぜてもらっている。
仕事の転勤や、結婚してお母さんになって、
なかなか会えなくなった人もいる。
かと思えばこのごろは、
日本酒好きの20代の若者が来てくれたり、
外人さんも顔を出してくれるようになり、
国際色ゆたかになってきた。
アメリカ人の英語の先生は、いつも体を鍛えていて、
筋骨隆々、底なしに飲めるから頼もしい。
この日は、南アフリカ出身の、
国際線のパイロットをしているという
青年が来てくれた。
長野が好きで別宅を買って、
休日は長野で過ごしているという。
縁あっておでん屋のお客になって、
この日の初参加と相成った。
古びたおでん屋のカウンターで、
テレビの演歌なんぞを聞きながら、
しみじみと酒を酌む国際線のパイロット。
なんかよいですね。
この日揃った4合瓶は7本。
初めて口にした福井の紗利は、すっきりきれいな、
春の雪解け水のような味だった。
気のおけない友だちと旨い酒を酌みあって、
この春を明るく往きたいものだった。

コロナウイルスの流行で、
町がすっかり閑散としている。
甥っ子が東京の飲食店で働らいている。
先日ブログを覗いたら、
売り上げが、いつもの半分に減ったと嘆いていて、
気の毒になってしまった。
客商売をしているから、この頃はお客さんに、
みやいりさんのところは
大丈夫ですかと、たびたび心配をされている。
さいわい我が家は、もともと暇な店だから
さしたる影響も受けずに済んでいるのだった。
そうはいっても、連日のコロナ騒ぎを目にすれば、
気分もなんだかちんやりとする。
こんなときにありがたいのは、
酌み交わせるお仲間がいることだった。
月にいちどの、なじみのおでん屋ひろびろの、
酒の会に出かけたのだった。
日本酒好きのかたがたが、
ひとり一本4合瓶を持ち寄って、飲みくらべをする。
そのときどきのみんなの都合で、
集まる顔ぶれがおおかったり少なかったり。
それでも、
亡くなった先代の女将さんのときからだから、
およそ10年、脈々とつづいている。
ときにはみんなで温泉に行ったり花見に出かけたり、
和気あいあいの縁にまぜてもらっている。
仕事の転勤や、結婚してお母さんになって、
なかなか会えなくなった人もいる。
かと思えばこのごろは、
日本酒好きの20代の若者が来てくれたり、
外人さんも顔を出してくれるようになり、
国際色ゆたかになってきた。
アメリカ人の英語の先生は、いつも体を鍛えていて、
筋骨隆々、底なしに飲めるから頼もしい。
この日は、南アフリカ出身の、
国際線のパイロットをしているという
青年が来てくれた。
長野が好きで別宅を買って、
休日は長野で過ごしているという。
縁あっておでん屋のお客になって、
この日の初参加と相成った。
古びたおでん屋のカウンターで、
テレビの演歌なんぞを聞きながら、
しみじみと酒を酌む国際線のパイロット。
なんかよいですね。
この日揃った4合瓶は7本。
初めて口にした福井の紗利は、すっきりきれいな、
春の雪解け水のような味だった。
気のおけない友だちと旨い酒を酌みあって、
この春を明るく往きたいものだった。

春そぞろ
弥生 1
西の町の友だちから、
あでやかな桜の絵ハガキが届いた。
こちらは梅がすっかり終わり、
河津桜が満開ですと、春を知らせる便りだった。
今年の春がはやばやと。
善光寺のまわりでも、梅がほころび始めていた。
ところが、新型ウイルスの広がりで
観光客の姿がめっきり減ってしまったのだった。
仲見世の土産物屋や飲食店は、
さぞ痛手なこととうかがえた。
人が集まることは自粛せよとのことで、
新聞やテレビでは、
連日あちこちの行事の中止を伝えている。
学校も、突然休校になってしまい、
朝夕、自宅の前を行きかう子供たちの姿が
ぱたりと消えた。
せめて学校生活だけでもふつうに
やれなかったのかねえ。
ニュースで流れた、
在校生や父兄のいないさびしい卒業式に、
ため息がでてしまったのだった。
夕方、ひと気の沈んだ町を抜けて、
馴染みの飲み屋へ出かけた。
ビールを飲みながらご主人の話を聞けば、
すっかり客足が落ちて、
ひと晩に、一組か二組くらいと嘆く。
ご家庭に、年寄りや子供を抱えている
お父さんにしてみれば、
飲みに出るのもはばかられることだった。
そんな影響もあるのかもしれない。
家庭のない、気楽な独り身は、
せいぜい馴染みの飲み屋で
散財しなくてはいけないのだった。
桜の開花予想日も、今年はいつもより早い。
どうにもならない世間のことに、
気持ちを散らかさず、
しずかに桜詣でに出向きたいものだった。

西の町の友だちから、
あでやかな桜の絵ハガキが届いた。
こちらは梅がすっかり終わり、
河津桜が満開ですと、春を知らせる便りだった。
今年の春がはやばやと。
善光寺のまわりでも、梅がほころび始めていた。
ところが、新型ウイルスの広がりで
観光客の姿がめっきり減ってしまったのだった。
仲見世の土産物屋や飲食店は、
さぞ痛手なこととうかがえた。
人が集まることは自粛せよとのことで、
新聞やテレビでは、
連日あちこちの行事の中止を伝えている。
学校も、突然休校になってしまい、
朝夕、自宅の前を行きかう子供たちの姿が
ぱたりと消えた。
せめて学校生活だけでもふつうに
やれなかったのかねえ。
ニュースで流れた、
在校生や父兄のいないさびしい卒業式に、
ため息がでてしまったのだった。
夕方、ひと気の沈んだ町を抜けて、
馴染みの飲み屋へ出かけた。
ビールを飲みながらご主人の話を聞けば、
すっかり客足が落ちて、
ひと晩に、一組か二組くらいと嘆く。
ご家庭に、年寄りや子供を抱えている
お父さんにしてみれば、
飲みに出るのもはばかられることだった。
そんな影響もあるのかもしれない。
家庭のない、気楽な独り身は、
せいぜい馴染みの飲み屋で
散財しなくてはいけないのだった。
桜の開花予想日も、今年はいつもより早い。
どうにもならない世間のことに、
気持ちを散らかさず、
しずかに桜詣でに出向きたいものだった。