体がかたくて
皐月 8
この頃、持病の腰痛がぶり返している。
腰の左側から左足の太ももの後ろ側にかけて、
けっこうな痛みがあってつらい。これまでも
思い出したようにおなじ症状が出たものの、このたびは、
いつもより痛いのだった。
困るのは、仕事をしているときよりも、座っていたり
寝ていたり、休んでいるときの方がひどいことだった。
さすったり揉んだり、痛みが気になって
落ちつかない。
整骨院を営む友だちに診てもらったら、腰も足の筋も
ぱんぱんに張っているという。おまけに背中にもひどい
張りがあり、これは背中の張りからきてるねえという。
連日、入念なマッサージをしてもらい、長々電気を
当ててもらっているのだった。
だいたい腰痛は、中学の部活でバスケをやっていたときや、
高校の部活で、陸上をやっていたときからの付き合いだった。
体がかたくて、柔軟性がぜんぜんないのが原因だった。
立ったまま膝を曲げずに手のひらを地面につけたり、
八の字に足を広げて、ぺた~っと胸を地面につけたり、
仲間のそんな姿を見ると、ありえませんとあきれて感心した。
当時腰痛がひどくなると、大会前に針灸院に通っていた。
友だちに話したら、おまえはじじいかと笑われた。
高校二年生の修学旅行で京都に行ったとき、一日中
歩いていたら腰が痛くなった。夕飯の後、みんなで
くつろいでいるときに、
すまん、だれか腰を押すなり踏むなりしてくれと言ったら、
私が踏んであげると、同級生の西山由紀ちゃんが背中に乗って
踏んでくれた。あの子は優しい子だったなあ。
今ごろどうしているのかな。
毎朝ノルディックウォーキングをしている。
腰痛で休んでいたら、整骨院の友だち曰く、歩いていた方が
回復が早まるとのことだった。
あれ、そうなの?それからまた朝のウォーキングを再開
している。歩き終えてそのまま整骨院へ。
街路樹の緑が新緑から夏の緑に変わってきている。
陽の光にも朝から勢いが増している。東へ歩いて
戻ってくれば、三重公園の上空を鳥が二羽旋回して、
つややかな郭公の声が響く。
その先の守田公園では、黄色いジャージ姿のおじさんが、
鉄棒をにぎって、うめき声をあげながら懸垂をしていた。
歩く距離が長すぎたか。東鶴賀の梅岡旅館を過ぎたあたりで、
腰の痛みが増してきた。整骨院が開くにはまだ早い。
すぐ近くのセブンイレブンに寄り道して、アイスコーヒーと
サンドイッチでひと休みをしたのだった。
腰痛いだから焼酎お湯割りで。
片づけ日和
皐月 7
昨年の12月、介護施設に入居している母が、
転んで腰を骨折した。
大きな病院にひと月半入院したあとに、リハビリ設備の有る
施設に移って過ごしている。
リハビリをして、ちゃんと歩けるようになったら、
以前の介護施設に戻る予定だった。
先日、ひさしぶりに母と面会したら、
施設のかたが車いすに乗せてきて、
まだ歩けないとうかがえた。面会の後に、
リハビリを担当しているかたに話を聞いたら、
まだ腰に痛みがあって、自立で歩けるようになるのは、
かなり時間がかかるという。
以前の施設に戻れるのは、いつになるかわからないと
いうのだった。
リハビリ設備の有る施設と、以前の施設の両方に経費が
かかっていて、家計の負担がよろしくない。よくよく思案して、
以前の施設はいったん解約することにした。
休日、施設の母の住んでいた部屋の片付けに出かけた。
長年美容師をしていて、おしゃれな母だった。
施設での暮らしの間に外出するといえば、お医者に行くときと、
こちらの休日のときに、昼飯を食べに連れて行くだけだった。
それでも施設のなかにいるときも身なりを気にしていたのか、
休日に食事に行った帰りには、実家に寄って、あれこれ洋服を
持ち帰っていた。
大量の洋服と、身の回りの雑貨を袋に詰めて2往復、
自宅に運び込んだ。
翌日、自宅の仕事場の奥の6畳間で、洋服を春物と夏物と冬物に
分けて、雑貨物を分別したら、可燃ごみ不燃ごみプラスチック類で、
ごみ袋10個分になった。
年を重ねても年より臭い恰好が嫌いで、洋服もしゃれたデザインの、
赤色黄色青色紫色などの派手な色味の物ばかりだった。
畳に積み重ねながら、おしゃれで颯爽としていた姿を
思い出し、ちょっと切ない気持ちになってしまったのだった。
まだ実家に置いてある洋服も、少しづつ自宅に運んでいる。
先日、実家のタンスに、若いときに買ったスカートを
何着か見つけた。これ、甥っ子の連れ合いの蘭ちゃんに
絶対に合うよなあと思っていたら、折りよく二人で長野に来てくれた。
身につけてもらったら、おおっ、いいじゃないの!
きれいな容姿に好く似合う。
あとは着物だよなあ。大きな桐のタンス二つ分の着物が
そっくり残っている。
着道楽だった母の片づけは、まだまだ果てしないのだった。
白シャツに母のスカート夏に入る。
たまには鰻で
皐月 6
須坂のメセナホールで、夏井いつきさんの
句会ライブを楽しんだ夕刻どき、ホールを出たら小雨が
降っている。
この程度の雨ならば涼しくて気持ちが好いと、
ぶらぶら歩きながら臥竜公園まで足を向けた。
春、たくさんの人で賑わっていた桜の名所百選の公園も、
時期を過ぎれば静かなもので、ひと気のない中、
爽やかな新緑の景色をゆっくりと眺めた。
公園を出て、坂道を下っていく。森厳な趣きの墨坂神社で、
須坂の町が平和でありますようにお詣りをして、
はす向かいに在る鰻料理屋、た幸におじゃまをした。
ご主人夫婦は以前長野駅前で料理屋を営んでいた。
地元の須坂で店を始めてからも、ときどき足を運ばせて
もらっているのだった。
子供の頃から胃腸が弱い。たびたび腹を壊しては、
胃腸薬ミヤリサンの世話になっていた。
高校生のときに陸上部に入っていて、朝夕練習をしていた。
日によって朝練で疲れてしまうと、食欲が出ず、
昼の弁当を同級生に食べてもらっていた。
大人になって酒の味を覚えてから、がんがん飲んでさらに
胃腸に負担をかけて、ますます調子がよろしくない。
ことに、油のつよい料理を口にすると、すぐに腹がこわれる。
自宅を出て善光寺の境内を抜けてしばらく歩くと、
老舗の鰻屋が在る。実家がそばに在り、父が健在だったとき、
ときどき両親と食事に伺っていた。
ところが、ビールを飲みながらうな重を食べて、自宅に戻る
途中、善光寺の山門の階段を下りたあたりで、
かならず腹がぎゅるる~となるのだった。
これはまずい・・自宅まで持ちこたえられるのか・・
ひやひやすることが毎回だった。
味の濃い、油のつよい鰻は相性が悪く、
父が亡くなってからはすっかり行かなくなった。
た幸でひととき過ごした折りは、全然腹に影響がない。
ご主人曰く、
柔らかくてしっかり油の落ちた味は、蒸し時間を
長くしているからとのことだった。
この日の夜はほかにお客の姿がなく、貸し切りでご主人夫婦に
お相手をして頂いた。
サッポロ赤ラベルでのどを潤して、うまきにすっぽんの
肝吸いに、白焼きにかば焼きをつまみながら、日本酒の杯を
重ねたのだった。
電車に乗って20分。駅から歩いて10分。
須坂詣での楽しみになっている。
この町の無事を詣でて鰻食う。
句会ライブへ
皐月 5
土曜日の午後、須坂市へ出かけた。
メセナホールで、俳人の夏井いつきさんの句会ライブが
有ったのだった。開演間近のホールに着くと、
600人満席の盛況ぶりで、夏井さんの人気の程がうかがえた。
年配のかたがたに混じって若い男女に、
子供たちの姿もちらほらと見られ、年齢に関係なく、
俳句に親しんでおられるかたが多い。
拍手の中、夏井さんと息子の正人さんが登場したら、この日は
夏井さんの誕生日。
熱心なファンの、誕生日おめでとうの垂れ幕が揺れる。
俳句についての夏井さんのざっくばらんな語り口に、
会場もしばしば笑いの渦に巻き込まれる。
いちばん前席の青い服の女性に問いかける。今日のお昼は
なにを食べた?
女性が、コメダ珈琲で玉子サンドを食べたというと、
ほら、コメダのランチで句ができると言って、
風薫るコメダのランチ美味しいぞ。と作例を示してくれた。
真似をして一句。
夏の空コメダのランチ食いそびれ。
っていうか、コメダ行ったことないんですけどね。
どこかの駅の写真がスクリーンに映し出され、この写真から
ひとり一句作りましょう。持ち時間は5分ですと、作句を
促された。5分で一句、きびしいぞ。
薫風や車窓の先の母子かな。
集められたみんなの句を、夏井さんと正人さんが、すばやい
目さばきで読んで入選作を選んだ。小学生に中学生に高校生の
句も選ばれて、
そのたびに会場から大きなどよめきと拍手が起きる。
子供の感性の豊かさに、ほれぼれ感心してしまった。
さらに選ばれた特選七句のそれぞれに、
観客からいろいろな感想が述べられる。
ひとつの句に、皆それぞれの想像があり、
五七五、17音の深さが伝わってきた。
七句から優勝句を。
優勝を決めるのはみなさんの拍手です。
いちばん良いと思った句に拍手を
してくださいと言う。
スクリーンに映し出された句を見れば、どれもじつに
好い。
大きな拍手をもらって優勝したのは、仙台の大学に通う
女の子だった。
花の雨改札向こう母がいた。
長野に帰省して過ごしたあと、再び
仙台に戻るとき、いつも母に新幹線の切符を買ってもらう。
改札口を抜けてエスカレーターに乗るときに振り返れば、
まだ母がそこにいて見送ってくれている。
お金をかけてもらったり、寂しい思いをさせたりで、
申しわけない思いを詠んだといい、聞いていたら涙が
出てしまった。隣に座っているお母さんも、娘の言葉に
涙ぐんでいた。
句を通じて、見知らぬかたがたとのひととき,
帰り道の小雨が爽やかなことだった。
句巡りの六百人や初夏の雨。

土曜日の午後、須坂市へ出かけた。
メセナホールで、俳人の夏井いつきさんの句会ライブが
有ったのだった。開演間近のホールに着くと、
600人満席の盛況ぶりで、夏井さんの人気の程がうかがえた。
年配のかたがたに混じって若い男女に、
子供たちの姿もちらほらと見られ、年齢に関係なく、
俳句に親しんでおられるかたが多い。
拍手の中、夏井さんと息子の正人さんが登場したら、この日は
夏井さんの誕生日。
熱心なファンの、誕生日おめでとうの垂れ幕が揺れる。
俳句についての夏井さんのざっくばらんな語り口に、
会場もしばしば笑いの渦に巻き込まれる。
いちばん前席の青い服の女性に問いかける。今日のお昼は
なにを食べた?
女性が、コメダ珈琲で玉子サンドを食べたというと、
ほら、コメダのランチで句ができると言って、
風薫るコメダのランチ美味しいぞ。と作例を示してくれた。
真似をして一句。
夏の空コメダのランチ食いそびれ。
っていうか、コメダ行ったことないんですけどね。
どこかの駅の写真がスクリーンに映し出され、この写真から
ひとり一句作りましょう。持ち時間は5分ですと、作句を
促された。5分で一句、きびしいぞ。
薫風や車窓の先の母子かな。
集められたみんなの句を、夏井さんと正人さんが、すばやい
目さばきで読んで入選作を選んだ。小学生に中学生に高校生の
句も選ばれて、
そのたびに会場から大きなどよめきと拍手が起きる。
子供の感性の豊かさに、ほれぼれ感心してしまった。
さらに選ばれた特選七句のそれぞれに、
観客からいろいろな感想が述べられる。
ひとつの句に、皆それぞれの想像があり、
五七五、17音の深さが伝わってきた。
七句から優勝句を。
優勝を決めるのはみなさんの拍手です。
いちばん良いと思った句に拍手を
してくださいと言う。
スクリーンに映し出された句を見れば、どれもじつに
好い。
大きな拍手をもらって優勝したのは、仙台の大学に通う
女の子だった。
花の雨改札向こう母がいた。
長野に帰省して過ごしたあと、再び
仙台に戻るとき、いつも母に新幹線の切符を買ってもらう。
改札口を抜けてエスカレーターに乗るときに振り返れば、
まだ母がそこにいて見送ってくれている。
お金をかけてもらったり、寂しい思いをさせたりで、
申しわけない思いを詠んだといい、聞いていたら涙が
出てしまった。隣に座っているお母さんも、娘の言葉に
涙ぐんでいた。
句を通じて、見知らぬかたがたとのひととき,
帰り道の小雨が爽やかなことだった。
句巡りの六百人や初夏の雨。
馴染みの店があれば
皐月 4
定期購読している長野県の情報誌、
Komachiの今月の特集は、松本と長野。おおきな街の
店の紹介だった。
ぱらぱら眺めていたら、古くからの店に混じって、
ずいぶんと新しい店が載っている。コロナが蔓延して
みんなが外出を控えるようになり、長野の繁華街も、
いくつか店がなくなった。飲食店を営む
友だちも口をそろえて、以前のような活気は戻ってこないと
嘆くのだった。その反面、ぽちぽち新しい店を見かけるときがあり、
ありゃ、こんなところにこんな店がと驚いている。
長野市の善光寺からほど近いところに、西鶴賀、東鶴賀という
かつて色街だった地域がある。盛りをすぎたこんにち、
昭和で時間が止まったような佇まいを見せている。
つぶれた店が並ぶなか、今でも商いをつづけている、飲み屋に
旅館にスナックなどが在る。
そこに加えて、最近になって若い子たちがポチポチ店を始めて
いるのだった。
若い子たちにしてみれば、廃れたような街並みが、
逆に新鮮なのかもしれない。
20代30代の頃は、新しい飲み屋が出来たと聞けば、いそいそと
足を運んだものだった。
蕎麦屋の昼酒を覚えた20代後半の頃などは、はしからはしまで
蕎麦屋巡りをしていた。
酒と食に欲があって徘徊していた若いときが、
もうはるか昔のことになってしまった。
コロナ禍になって飲み屋詣でが減ると、気持ちの通い合う、
大事な店にだけ足を運ぶようになった。
この先どれだけ酒が飲めるかわからぬが、飲み屋も蕎麦屋も
馴染みの処が数件あればよいのだった。
土曜日の夕方、久しぶりに近所のイタリアン、こまつやに
出かけた。
扉を開ければすぐにご主人の、元気でしたか~の声に迎えられる。
ご主人夫婦の、奥さんの実家の荒物屋を改築して開店したのが
14年前のことで、開店して間もないころから世話になっている。
ワインの品ぞろえが好く、野菜や肉がほんとに旨い。
品書きを開いたら、気に入りの宮城のジン、欅が載っていて
嬉しいことだった。ジントニックをなめながら、
見慣れた厨房の景色に、
イタリアンはここ一軒でじゅうぶんですとなるのだった。
品書きにジントニックの立夏かな。
夏を待って
皐月 3
毎年5月の連休を迎える頃には、花粉症が収まってくるのに、
今年はよろしくない。
花粉なのか細かいほこりなのか、いまだ鼻水が出て
目がかゆい。
早朝の散歩から帰ってきたら、鼻の穴を掃除して、目と顔を
洗っている。先日、日中の陽気の好さに、仕事場の入口を
網戸にしていたら、空気清浄機が威勢よくごおごおと動き出した。
そのうちに鼻水が出てきて、慌てて戸を閉めた。
夕方、風呂に入って顔を洗っても、ぜんぜん止まる気配がない。
あいにく花粉症の薬を切らしていた。晩酌の最中で、
酒と一緒に飲むのはどうかと思ったものの、風邪薬で代用した。
天気の様子もはっきりせず、気温の上がらない日が多い。
夏物の衣類と入れ替えに、収納箱に仕舞いこんだ長袖のシャツや
パンツをふたたび引っ張り出して着ている。
今年は桜や梅や菜の花の開花が早く、玄関先のガマズミも、
例年よりも早く蕾が膨らんでいる。向かいの松木さんちの
つたの葉も、すっかりつやつやの緑の葉を茂らしている。
早々に暑くなると思っていたのに、なんともあいまいな、
天気だった。
平日の午前、スマホに電話がかかってきた。
覚えのない番号にいぶかしながら出てみたら、
こんにちは、相原と申しますと言われ、合点がいった。敬愛する
写真家の、相原正明さんだった。
昨年の12月、東京のギャラリーで開かれた作品展に
おじゃまして、初めてお会いした。主にオーストラリアと
国内の風景を撮っているかたで、迫力ある作品の数々と、
気さくなお人柄にほれぼれとした。
しばらくして、クラウドファンディングで買わせてもらった
サイン入りの写真集が届いて、丁寧なお礼の手紙が
添えられていた。
昨年上田に来られたときがあった。仕事を終えて、上田駅前の
居酒屋、幸村に行ったところ、地酒の和田龍がとても美味しかったと
ブログにあげていた。
この頃発売になった、和田龍の新酒を送らせてもらったのだった。
そのお礼の電話だった。
今年は所用で上田に行くことが増えるといい、
いずれ長野や上田で個展を開きたいという。
ぜひ楽しみにしていますと伝えて、その折りは和田龍での
一献を御一緒させていただきたいと、楽しみの出来た夏始めだった。
夏めくや和田龍登水幸村で。

毎年5月の連休を迎える頃には、花粉症が収まってくるのに、
今年はよろしくない。
花粉なのか細かいほこりなのか、いまだ鼻水が出て
目がかゆい。
早朝の散歩から帰ってきたら、鼻の穴を掃除して、目と顔を
洗っている。先日、日中の陽気の好さに、仕事場の入口を
網戸にしていたら、空気清浄機が威勢よくごおごおと動き出した。
そのうちに鼻水が出てきて、慌てて戸を閉めた。
夕方、風呂に入って顔を洗っても、ぜんぜん止まる気配がない。
あいにく花粉症の薬を切らしていた。晩酌の最中で、
酒と一緒に飲むのはどうかと思ったものの、風邪薬で代用した。
天気の様子もはっきりせず、気温の上がらない日が多い。
夏物の衣類と入れ替えに、収納箱に仕舞いこんだ長袖のシャツや
パンツをふたたび引っ張り出して着ている。
今年は桜や梅や菜の花の開花が早く、玄関先のガマズミも、
例年よりも早く蕾が膨らんでいる。向かいの松木さんちの
つたの葉も、すっかりつやつやの緑の葉を茂らしている。
早々に暑くなると思っていたのに、なんともあいまいな、
天気だった。
平日の午前、スマホに電話がかかってきた。
覚えのない番号にいぶかしながら出てみたら、
こんにちは、相原と申しますと言われ、合点がいった。敬愛する
写真家の、相原正明さんだった。
昨年の12月、東京のギャラリーで開かれた作品展に
おじゃまして、初めてお会いした。主にオーストラリアと
国内の風景を撮っているかたで、迫力ある作品の数々と、
気さくなお人柄にほれぼれとした。
しばらくして、クラウドファンディングで買わせてもらった
サイン入りの写真集が届いて、丁寧なお礼の手紙が
添えられていた。
昨年上田に来られたときがあった。仕事を終えて、上田駅前の
居酒屋、幸村に行ったところ、地酒の和田龍がとても美味しかったと
ブログにあげていた。
この頃発売になった、和田龍の新酒を送らせてもらったのだった。
そのお礼の電話だった。
今年は所用で上田に行くことが増えるといい、
いずれ長野や上田で個展を開きたいという。
ぜひ楽しみにしていますと伝えて、その折りは和田龍での
一献を御一緒させていただきたいと、楽しみの出来た夏始めだった。
夏めくや和田龍登水幸村で。
夏にそなえて
皐月 2
日曜日の夕方、上田へ出かけた。甲田理髪店に来週の散髪の
予約をして、すぐそばの寿司屋の萬寿の暖簾をくぐる。
茶碗蒸しをつまみに日本酒を飲んでいたら、二階から
ひとり娘のなおちゃんが降りてきた。この春から
小学校一年生。お友だちできた?と尋ねれば、照れたように
ちいさく頷く。
こんど太郎山登山があるというから、頑張ってねと励まして、
おかあさんと先に帰る姿を見送った。
翌朝、駅前をぶらぶら散歩して、ヴァシランドコーヒーに立ち寄る。
深煎りの、苦みの効いた珈琲で目を覚まし、城跡公園まで足を延ばした。
お堀のまわりの桜の木も、すっかり緑が茂り、爽やかな景色が
目にやさしい。上田は一年中いつ来ても好い町だけれど、
新緑から初夏にかけての風が、ことのほか気に入って
いるのだった。ゴールデンウィークに入っても、普段暮らしている
善光寺界隈ほど混雑しないのも有り難い。
ひと気のない路地を巡りながら、久しぶりのフレンチのル・カドルへ
むかった。
コロナ禍で席数を減らしているせいで、いつも満席だった。
このたびは早めに予約をして、あいかわらず
寡黙なご主人と、美しい奥様にお会いすることができた。
美味しい肉と野菜をほおばりながら、エビスを飲んで、白ワインを
飲んで、奥様の地元の、北海道は厚岸町のウイスキーを飲んで、
チーズをつまみに赤ワインで締めた。
帰り際、また来週も伺いますと奥様に言ったような記憶が
あるんだけれど、言ったっけ?
酔っ払って記憶が定かでないのだった。
通りを上がって呉服のゆたかやの前を通ったときに、
ふと思いつく。
夏になると、ときどき浴衣を着て飲み屋に行く。持っているのは
一着だけで、ずいぶん昔に母に買ってもらったものだった。
久しぶりにあつらえようかなと扉を押した。
10年前に上田へ来た際に、たまたま前を通りかかったら、
地元の染色作家さんがたの、紬の展示会を開いていた。
そそられて覗いてみたのだった。
作家さんとお店の従業員のかたにいろいろ尋ねたら、
素人のつたない問いかけに細かく丁寧に答えてくださった。
後日、応対してくれた従業員のかたから、手書きのはがきが届いた。
紬展に来てくださりありがとうございました。
お着物似合いそうです。ぜひ着てくださいねとあり、
着物を買ったわけでもないのに、細やかな気遣いがとても
印象的だった。この日も若い従業員のめりはりのある接客が
気持ち好く、あらためて、ちゃんとした店だなあと感心した。
じつは、飲み仲間の女性が、この店の社長と懇意にしている。
こばやしかおりさんの友だちですと伝えたら、すぐに内線電話で
呼んでくれ、忙しいのにもかかわらず、挨拶に来てくれた。
素晴らしい応対に、あともう少し酔っていたら、
上田紬買いますと言ってしまうところだった。
この夏は、ずっと中止になっていた上田祇園祭が再開されるという。
新しい浴衣で訪れるのが楽しみなことだった。
酔っ払い浴衣の柄にあれこれと。
言葉を選んで。
皐月 1
作家の石田千さんの著書を愛読している。
20年前に、たまたまこのかたの随筆を読む機会があり、
以来、新刊が出るたびに取り寄せている。
福島県生まれの、御年55歳になられる女性で、
日々の暮らしのささやかな様子を、風通しの好い文章で
表しているのだった。
なにやら厄介な病気を抱えて通院していたり、何年か前に
大学の教授の仕事に就いたこともあり、体力的に大変なのか、
最近は、新刊が出る兆しがなくさみしい。
幸いnoteというSNSで、画家の牧野伊佐夫さんと
往復書簡をしている連載を見つけた。
お仲間といっしょに俳句もたしなんでいて、金町という俳号で、
著書に句を載せていたり、noteでも、文のさいごに一句
添えてある。
真似をして昨年から、歳時記を睨んで一日一句ひねりだしている。
テレビで観るのは、ニュースとスポーツと、NHKの
ブラタモリと鶴瓶の家族に乾杯に、気を惹かれたドキュメンタリー
ぐらいで、バラエティー番組は観ない。
毎週木曜日のプレバトに俳句コーナーがあると知ったのも
昨年のことだった。
俳人の夏井いつきさんが、いろんな芸能人の作った句を添削
していく。
歯切れの好い辛口の説明がわかりやすく、今では毎週の
楽しみになっている。出演されているかたがたも、
皆さん感性が豊かで、日々の中の目の付けどころに
感心することしきりだった。ついこの頃、永世名人の
梅沢冨美男さんの句集が発売になった。50句の掲載の他に、
過去に添削された句の、どこがいけないのか載っており、
ちょっとした言葉の羅列のちがいで、伝わり方にめりはりが
出ると説いている。
近ごろはインターネットのおかげで、季語や、多くの俳人の
作品に気軽に触れられる。
仕事がひまなときは、たいていどなたかの句を、拝見している。
坪内稔典さんの、
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ。
なんていう句を見つけちゃったりすると、どうすりゃそんな句が
思いつくのか、ほとほと唸ってしまうのだった。
仕事場の玄関先の黒板に、毎月一句、愚作を書いている。
ときどき通りすがりの人が褒めてくれるときがあり、
ちょいと嬉しい。
中学生のときに、母の知り合いの易者さんに姓名判断を
してもらったことがある。章と書いてあきらと読む名前は、
結婚運が悪いと言われ、旭良にしなさいと言われた。
子供の時のことだから、そんなことはすっかり忘れて、
変わらず章を使っていたら、結婚を二度しくじった。
易者さんすごいなあ。当たりましたよと感心してしまった。
縁起の良い名前と思い出し、俳号は旭良にしているのだった。
日を置かず五七五なぞる夏来たる。