久しぶりにデパートへ
文月 9
仕事場にちいさなふくろうの置き物が二つある。
母がどこぞで買ってきた品で、ふくろうは幸福を招くと
言われているから、縁起を担いで置いてあるのだった。
その母が介護施設で暮らすようになり、4年が過ぎた。
施設に入るときに、実家に置いてあった母の貴重品を
預かった。その折りに、
フクロウのブローチを頂いた。
幸せになれるように身につけていなさいと、
バカ息子の身を案じてくれて、年老いた親の気持ちが、
切ないことだった。
旨い酒さえ飲んでいられれば充分幸せなんでとは、
言えなかった。
ところが、ブローチなどそれまでつけたことがないから、
もらったまま、ずっと机の引き出しに入れたままだった。
コロナ禍でなかなか会えない中、ときどき医者に
連れて行く際に迎えに行くと、
あんた、どうしてブローチつけないのと聞かれるときがあり、
なんだかこちらも申しわけない気持ちになっていた。
預かったネックレスやペンダントは、外出するときに
拝借して、首からぶら下げているから、このブローチも、
鎖をつけてぶら下げようと思いつき、長野駅前のデパートまで
出かけた。
このところ、服に靴、身の回りの小物など、買い物といえば、
すっかりインターネットの世話になってばかりで、
店に足を運ぶのは久しぶりのことだった。
デパートの宝石売り場に行って、このブローチに鎖を
つけたいのですがと、応対してくれた若い女性に尋ねたら、
形のちがう鎖をいくつか出して見せてくれる。
値段を見たら、ピンからキリまでいろいろで、
いちばん手ごろなやつを選んで包んでもらった。
丁寧に説明していただき、帰る時も、
こちらの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
きちんとした対面の接客に触れて、
オンラインショップでは得られない温かさが
心地よかったのだった。
応対してくれた女性、誰かに雰囲気が似てたなあと
思いながらエスカレーターで下り、外に出たとたん
ひらめいた。以前、オステリア・ガットでシェフをしていた
祐子ちゃんに面差しが似ていたのだった。
今は地元の八王子で店を営んでいる。
コロナが落ちついたら特急あずさで料理を味わいに
行こうかな。久しぶりに思い出したことだった。
炎天や母のブローチ光りけり。

仕事場にちいさなふくろうの置き物が二つある。
母がどこぞで買ってきた品で、ふくろうは幸福を招くと
言われているから、縁起を担いで置いてあるのだった。
その母が介護施設で暮らすようになり、4年が過ぎた。
施設に入るときに、実家に置いてあった母の貴重品を
預かった。その折りに、
フクロウのブローチを頂いた。
幸せになれるように身につけていなさいと、
バカ息子の身を案じてくれて、年老いた親の気持ちが、
切ないことだった。
旨い酒さえ飲んでいられれば充分幸せなんでとは、
言えなかった。
ところが、ブローチなどそれまでつけたことがないから、
もらったまま、ずっと机の引き出しに入れたままだった。
コロナ禍でなかなか会えない中、ときどき医者に
連れて行く際に迎えに行くと、
あんた、どうしてブローチつけないのと聞かれるときがあり、
なんだかこちらも申しわけない気持ちになっていた。
預かったネックレスやペンダントは、外出するときに
拝借して、首からぶら下げているから、このブローチも、
鎖をつけてぶら下げようと思いつき、長野駅前のデパートまで
出かけた。
このところ、服に靴、身の回りの小物など、買い物といえば、
すっかりインターネットの世話になってばかりで、
店に足を運ぶのは久しぶりのことだった。
デパートの宝石売り場に行って、このブローチに鎖を
つけたいのですがと、応対してくれた若い女性に尋ねたら、
形のちがう鎖をいくつか出して見せてくれる。
値段を見たら、ピンからキリまでいろいろで、
いちばん手ごろなやつを選んで包んでもらった。
丁寧に説明していただき、帰る時も、
こちらの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
きちんとした対面の接客に触れて、
オンラインショップでは得られない温かさが
心地よかったのだった。
応対してくれた女性、誰かに雰囲気が似てたなあと
思いながらエスカレーターで下り、外に出たとたん
ひらめいた。以前、オステリア・ガットでシェフをしていた
祐子ちゃんに面差しが似ていたのだった。
今は地元の八王子で店を営んでいる。
コロナが落ちついたら特急あずさで料理を味わいに
行こうかな。久しぶりに思い出したことだった。
炎天や母のブローチ光りけり。
えらい仕事を
文月 8
今月、参議院選挙が行われた。
長野県では、当選者ひとりに対して6人のかたが
立候補をされた。その中に、
長らく地元で活躍しているタレントさんがいた。
テレビや雑誌で拝見するたびに、顔つきが
傲慢そうだなと眺めていた。
現職のかたと議席を競っているさなか、
過去の女性トラブルと金銭トラブルが週刊誌に
取り上げられて落選した。
立候補を促した地元のお偉い先生がたの、
人を見る目の乏しさにあきれたことだった。
そして投票日直前に、演説中の元総理が殺される事件が
起きて、なんとも驚いたのだった。
事件のあと、警備体制は万全だったのか、新聞や
ニュースで何度か取り上げられていた。
選挙期間中、ある政党の党首の演説を聞きに出かけた。
長野駅前の広場にに足を運ぶと、すでに支持者のかたがたで
いっぱいになっている。
選挙カーのまわりには、青い制服姿のおまわりさんが何人もいる。
一緒に、黒いスーツにノーネクタイの目つきの鋭いかたも
あちこちにいて、ピリピリした空気を醸し出している。
ひと目で要人警護のかたとわかるのだった。
この人混みの中からどうやって怪しい人を見つけ出すのか。
仕事の最中はずっと緊張感を保っているんだろうなあ。
まったく緊張感なく毎日を過ごしている身には、
おなじ人間とは思えないことだった。
警官に消防士に自衛隊員などを目にすると、
いつも、その仕事を選んだきっかけはなんですかと
聞きたくなる。命の危険を伴う仕事をしている
かたには、ほんとに頭が下がるのだった。
東日本大震災の時に、任務を終えて現場を去る自衛隊員に、
僕も将来自衛隊に入りますと言っていた男の子を
テレビで観た。懸命に働く姿は、被災した子供たちに勇気を
与えたこととうかがえた。
もう自衛官になっているかなあ。
先日上田市でひき逃げ事件があった。朝刊に、
被害者が死亡して、上田警察署に捜査本部が設けられ、
捜査本部長は小山健二と載っていた。中学校の同級生だった。
一週間後、犯人逮捕の記事が朝刊に出た。
健ちゃん、ご苦労さま。
意志の強そうな顔つきを思い出したのだった。
要人を守る輩や夏景色。
飯山まで
文月 7
飯山市美術館で開催されている、佐藤武造展を観に行った。
飯山駅を出て歩いていくと、道沿いのなちゅら交流館に、
きれいな衣装を着たおばさんお姉さんが大勢集まっている。
ダンスの発表会なのだった。
暑い中えらいなあと眺めた。
佐藤武造は飯山の瑞穂地区出身の画家で、
高校生の時に、丸山挽歌に才能を見出されたという。
このたびは没後50年の記念展で、100点もの作品が
展示されていた。画家としての後半は、色味鮮やかな
作品が多く、むしろ初期の頃や、渡英していた頃の柔らかな
水彩画に惹かれた。
美術館の2階には、飯山の伝統工芸品の仏壇が
並んで展示されていた。どれも目を見張るほど絢爛豪華で、
軽々ベンツやクラウンが買える価格でぶったまげた。
美術館を出て、ひと気のない道を歩いて、
映画「阿弥陀堂だより」の舞台になった正受庵へ行ってみる。
坂道を上がっていくと、ちいさな境内から蝉の鳴き声が
聞こえてきた。静かな鳴き声だけどアブラゼミかな。
この夏初めて、蝉の声を聞いたのだった。仏さまに
手を合わせていたら、ふくらはぎがかゆくなる。
この夏初めて、蚊に刺された。
庵を離れて、住宅の間の細い道を歩いていく。先々にちいさな
田んぼがあり、げこげこと、ちいさく蛙の声が響いている。
この夏初めて、蛙の声も聞いたのだった。
道すがら、目に留まった称念寺に立ち寄った。
浄土真宗の古刹は、庭園の緑の楓がきれいで、紅葉もさぞかし
きれいと察しがついた。忘れずに秋の予定としたい。
寺と仏壇屋の並ぶ愛宕町の通りを行って、久しぶりの
高橋まゆみ美術館に寄ってみた。
のどかなおじいさんおばあさんの人形作品は、
いつ見ても気持ちが温かくなって、
作り手の高橋さんの人柄がうかがえた。
外へ出て歩いていくと、パティスリーヒラノのカフェの前に、
順番待ちの列ができていた。その先の、鰻の本多の店先にも
お客があふれている。飯山の、ぱたりとひと気の途絶えた
町なかで、この2軒だけ、いつも盛況なのだった。
ぶらぶらしているうちに、すっかり昼どきを
逃してしまった。駅まで戻り、舎内のカフェに落ちついた。
乾いたのどに一番搾りを流し込めば、
歩き疲れた体もようやく生き返るのだった。
改札口のわきで、地元のおじさんが野菜を売っている。
ズッキーニが10円、キュウリが15円。3本づつ買って、
しめて75円也。100円を渡してお釣りはいらないと言ったら、
キュウリをもう一本おまけしてくれた。
かえって申しわけないことだった。
坂道の先の古刹や蝉しぐれ。
おかしな陽気に
文月6
夏場になると、日がな一日冷房の中で仕事をしている。
体が冷えて、肩こり腰痛を抱え、気だるい調子で過ごして
いるのだった。先月、坐骨神経痛がひどくなり、
整骨院に通っている。治療を受けて、
頂いた塗り薬を毎晩風呂上がりに塗っていたら、
いくらか痛みがひいたものの、冷房にさらされて痛みが
ぶりかえさないか、気にしている。
痛みはあっても適度な運動は大事と言われ、
毎朝ノルディックウォーキングを続けている。
東西南北、その日の気分でコースを決めて、
1時間余りの道のりを歩いている。新緑から初夏の頃、
歩く先々にバラが咲いていた。赤に黄色に白、それぞれのお宅の
庭を彩っていた。梅雨どきのころから、紫陽花を
見かけるようになる。
白や紫や薄赤のおおきな花や、がくあじさいが住宅街や、
広い道路の道端に咲いていた。歩きながら、まこと気分が
癒されたのだった。
紫陽花の時期を過ぎると、いよいよ里山や木々の緑も
深みを増してくる。そんな中、どうも気になることがある。
夏の様子が以前と変わってきているのだった。
自宅の在る路地の先に神社がある。夏になると高い木々の茂みから、
賑やかな蝉の声が聞こえてきた。昼間はミンミンゼミが景気よく、
夕方になればヒグラシがとちょいと寂しげな声で鳴いていた。
それが年々声の数が少なくなっている。
命を終えた亡きがらも、以前は路地のあちこちで見かけたのに、
少なくなっている。
蚊に刺されぬよう、仕事場でも住まいでも
蚊取り線香を焚いていた。ところが気がついたら、最近は
蚊にも刺されることがなく、線香も炊いていなかった。
みんなどこへ行っちゃったんだろう。
梅雨をむかえてもさっぱり雨が降らず、田畑の世話を
している人は、水不足を嘆いていた。
かと思えば、梅雨明け宣言が出たのちに、大雨警報が出たりする。
天気の動きのおかしさは、ちいさな生き物の暮らしぶりにも
影響を与えているのかもしれない。
蝉はいつ鳴きだすのかねえ。毎朝神社に行くたびに、
木々を見上げてしまうのだった。
自宅から歩いて1分、菩提寺のノウゼンカズラが見ごろをむかえた。
門の向こうの本堂の前に、鮮やかな朱色の花が咲いている。
毎朝お参りに伺っては、見事な咲きぐあいに見惚れているのだった。
朱色の花が落ちだすと、いよいよ暑さも盛りを迎えるのだった。
蝉時雨少し大人の少女かな。
暑さにやられて
文月 5
友だちに会いに、金沢まで出かけた。
飯山から妙高高原を過ぎて富山まで。車窓に田園の緑が映えて
気持ちが和む。
旨い酒と肴でもてなしてもらい、穏やかな内灘の景色に癒されて、
帰宅した翌朝、友だちからラインが届いていた。
体に留意して酒と付き合ってほしい。
酔いかたが明らかに前とちがったと、こちらの身を案じる
便りだった。
たしかに出発当日の朝、体が重く、再会の宴の一献でも、
やけに酔いの回るのが早く、体がだるかった。
帰りの新幹線では、長野に着くまでずっと寝ていた。
おかしいなあといぶかしんでいたら、
はたと思い当たったことがある。
金沢へ行く前日、炎天下の町なかを歩き回っていたのだった。
長野駅から南へ下ったところに水野美術館が在る。
長野を代表するキノコの会社ホクトの創設者、水野正幸が
建てた美術館で、生前収集した日本画の数々を
展示しているのだった。
この夏、水のある風景と題して、河合玉堂や横山大観等の、
水辺の景色を描いた作品展が催されている。
今日を逃すと拝見できないと、足を運んだのだった。
自宅を出て通りをまっすぐ下っていく。
ちょいと遅めのランチをと、長野駅ビルの食堂街に行ったら、
日曜日の昼どきは、どの店もお客が列を成している。
あきらめて、美術館までの道沿いに在る、
あっぷるぐりむに立ち寄った。プレミアムモルツを飲みながら、
エビグラタンで腹を満たして美術館へ向かった。
河合玉堂に横山大観、菱田春草などの著名なかたから、
はじめて目にしたかたの作品まで、水のある涼とした景色に、
しばし暑さを忘れた。
静かな時間を過ごして外へ出れば、昼下がりから薄暮にかけての
陽射しは、まだ衰えがない。
再び歩いて自宅まで戻った。
往復8キロの道のりを、水分も取らずに陽に照らされて
歩いていた。気づかぬ間に、日射病にやられていたかと、
察しがついた。
歩くのは苦にならなくても、真夏の陽射しは体力をうばう。
もう若くもないのだから、出歩くときは、それ相応の
気構えが必要だった。
翌日の金沢詣でに備えて、体力を万全にせず、
うかつなことだった。
友だちにいらぬ心配をかけることとなり、
申しわけのないことをしてしまった。
能天気8キロ歩き日射病。
旺盛な食欲に
文月 4
休日、朝からばたばたと用事を済ませたら、
1時半を回っていた。
おそい昼酒をどこでやろうか思案しながら
通りを下っていったら、
おおきな通り沿いの、ロイヤルホストの看板が
目についた。たまにはファミレスもいいですな。
階段を上がって、笑顔のきれいなお姉さんに案内されて、
窓際の席に落ちついた。
フライドポテトとウインナーの盛り合わせに、
キリンのクラシックラガーを注文してしばし待つ。
眼下のとおりを眺めていると、車がひっきりなしに
行き来している。国産車に混じって、フランスや
ドイツの車が走っていく。見覚えのある緑色の幌の
ハトヤ酒店の車も通っていった。
古いヤマハのバイクが赤信号で停車した。
かっちょいいのお。車種はなんだろうと、サイドカバーの
文字に目を凝らしたけれど、小さすぎてわからない。
しばらくしたら、歩道に黄色い帽子のちびっ子たちが、
やってきた。近くの鍋屋田小学校の生徒だった。
近ごろは、登下校の時に保護者の姿もある。
若いお母さんが、にこにこと子供と話しながら
付き添っていた。目の前の席にはさっきから、60代後半とおぼしき、
太った松山千春みたいなおじさんと、40代ほどの女性が座っていた。
おじさんの声が大きくて、いやでも話が聞こえてきて、
夫婦ではないけれど、濃厚な関係と察しがついたのだった。
お待たせしましたと、二人に届いた料理を見たら、
サラダやライスと一緒に、おじさんの前に厚切りのステーキが
置かれた。あの量を食べるんだ、すごいねえと眺めてしまった。
ビールを飲みながら、見るともなしに見ていれば、
会話を絶やすことなく、わしわしと肉を口に運び、
ライスをおかわりして、すっかりたいらげて、
しばらくしたら、再びメニューをめくりだす。
店員さんを呼んだと思ったら、
ハンバーグとライスを注文したものだから、
ビールを吹き出しそうになった。
おっさん、まだ食うの!思わず突っ込みそうになる。
さらにチョコレートパフェも注文したから、
その顔でチョコレートパフェはないでしょ!
またまた突っ込みそうになった。
年下の女性と付き合うには、でかい声を出す元気と、
あれだけの食欲がないとだめなんだなあ。
晩酌で、豆腐ときゅうりとトマトだけの身は、ほとほと
恐れ入ったのだった。
日盛りやステーキなんて食えませぬ。
夏も盛りに
文月 3
善光寺の御開帳が終了した。
数えで7年に一度の大行事は、コロナ禍の中、
一年延期をしての開催だった。毎回4月5月の2か月に
わたって開かれる。このたびは参拝客の密集を
避けるために、
6月まで延長して開かれていたのだった。ところが、
出だしの4月は客の姿がまことに少なく、
土産物屋のご主人が、御開帳とは思えないほど
しずかだよと、こぼすほどだった。
それがゴールデンウィークを境に混み始め、
終盤になるにつれ、平日でも週末のような混雑で、
結局ずいぶん密になっていた。
参道に人があふれ、参拝客の長い列ができ、
界隈の蕎麦屋は、どこも午後の3時を回っても、
お客の列が途切れなかった。
駐車場へ向かう車の渋滞が続き、うっかり愛車に乗って
買い物にでも出ようものなら、巻き込まれて
自宅にたどり着けない目にあうのだった。
連日、県外ナンバーの車や、大型バイクの集団を
眺めて、いっしょに救急車も頻繁に眺め、
暑いさなか体調をくずすかたもたくさんいたと
見受けられた。ようやくいつもの静けさが
門前町に戻り、ほっとしているのだった。
休日、かかりつけの整骨院で、腰痛の治療をしてもらい、
その足で権堂温泉に出かけた。午前中の温泉は、入浴客も
少なく、柔らかい湯でゆっくりと汗を流した。
休息室で缶酎ハイを飲んで、汗が引いたら、
ふたたび通りを上がっていく。
久しぶりの蕎麦屋の昼酒に、かどの大丸におじゃました。
店主の陽一朗さんが亡くなってから、
美人のお姉さんが、職人さんを使って店を守っている。
御開帳ご苦労様でしたと声をかければ、
陽一朗が元気だった前回よりはひまだったのよと
苦笑いを浮かべる。
野沢菜をつまみにキリンのラガーを飲んでいると、
御開帳の余韻のお客がぽちぽちと入ってくる。
いらっしゃいませ~。お好きなお席へど~ぞ~。
聞きなれたお姉さんの明るい声を聞いていると、
いつもの日常が戻ってきたのを実感するのだった。
真っ白なさらしなで締めてお勘定をすれば、
明日から3日間休業するという。
3か月分の疲れを、
よくよく癒していただきたいことだった。
大行事終えて迎える盛夏かな。
カメラが壊れて
文月 2
休日、カメラを持ち歩いている。
好きな町の蕎麦屋で昼酒をたしなんだあと、あてもなく
うろうろしては、目に留まった景色を
撮っているのだった。おなじく写真を撮っている
友だちがいる。カメラに精通しているかたで、
わからないことがあったときは、師匠教えてくださいと、
頼りにしている。
四季おりおり、遠くまで足を延ばして、桜や
花火や蛍、紅葉に満天の星を、ときには早朝から、
ときには夜から明け方にかけて、寒暖の天気に耐えて、
粘り強く撮っている。素敵な作品を拝むたびに、
その根気に感心しているのだった。
我が身といえば、どんなに景色が好くても、
車じゃないと行けないところは、
昼酒ができないから行かない。夜になれば、
どんな景色よりも、馴染みの飲み屋のカウンターが恋しい。
ものぐさな身は、歩いて動ける範囲だけで、
もっぱら撮っている。
フジフイルムのカメラを3台持っていて、その日の気分で
使い分けている。
先日、その中の1台をぶら下げて出かけた折りに、
スイッチを入れたら、ファインダーが真っ白になり、
何も見えなくなった。
壊れてしまったのだった。落ち込んだ気分の帰り道、
ヤマモトカメラに寄って、修理をお願いしたところ、
先日、ご主人から電話があった。
カメラをフジフイルムに送ったところ、
修理代の見積もりが届いたという。
まことに申し上げづらいんですが、
七万七千円かかります。どうしましょう?と言われ、
マジっすか!と大声をあげてしまった。
カメラを分解したところ、ファインダーの他にも
不具合が散見され、中身を全部取り換えなければ
いけないという。
こんなに高い修理代、うちでも初めてですと言われ、
あまりの金額にぶっ倒れそうになった。
新品のレンズが2本買えるではないか・・・
どうしましょうと言われても、初めて買った
高級カメラで、5年も使っていれば愛着有って
おしゃかにするのは忍びない。
砂嵐吹きすさぶサハラ砂漠で使ったわけでもなく、
湿度濃厚なアマゾンの熱帯雨林で使ったわけでもなく、
凍てつく極寒のシベリアで使ったわけでもない。
ごくごく身近な景色を撮っていただけだった。
なんでそんなに重症になるかなあ。
さっぱりわけがわからないのだった。
壊れただけでもショックだったのに、さらにとどめを
刺され、予想外の出費にへこんでいるのだった。
風鈴の音色悲しや大出費。

エアコンを買って
文月 1
馴染みのかたが訪ねてきた。
駐車場に停めた車を見て、おっ、ようやく
来ましたねと声をかけたら、
ようやく来ましたよと苦笑いを浮かべる。
それまで乗っていた車が古くなり、
販売店に行って新車を注文したところ、
納車まで1年くらいかかると
言われたのだった。ようやく手元に届いたのだった。
生活に関わる製品が、このところ
手に入りづらくなっている。万事につけ、部品不足が
原因だった。
自宅の向かいに住む男の子は、先だって、バイクを
買おうとしたら、販売店のご主人に、いつ納車できるか
わからないと言われた。
馴染みの飲み屋のご主人は、この冬、仕事場の
給湯器がこわれた。新しい給湯器を注文したのに、
春まで届かず、寒い冬の間、冷たい水で器やグラスを
洗っていた。空き家になっている実家の給湯器を
はずして持って行ってあげればよかったと、
後になって気がついて、申しわけないことをした。
先日朝刊の一面に、大きな見出しで、
エアコンが手に入らないと出ていた。部品不足で、
家電販売店の品不足が続いているというのだった。
折しも、仕事場のエアコンを新調しようと算段していた
矢先だった。
暮らしに必要な電化製品は、こわれるときは突然息絶える。
自宅兼仕事場を新築したときに、電化製品も新しく
買いそろえた。あれから22年の間に、洗濯機が息絶え、
電子レンジが息絶え、冷蔵庫が息絶えた。
2年前に、寝室にエアコンを設置した。ところが、
翌年、風水を生業とされているかたに
家相を診てもらったら、寝室には悪い気が流れている、
ここで寝るのは良くないと言われ、茶の間で
寝起きをするようにした。その際に、寝室に取り付けた
エアコンを、茶の間の古いエアコンと取り換えた。
ズバ暖霧ヶ峰、夏の暑さにも冬の寒さにも重宝しております。
あとの気がかりは、仕事場のエアコンだった。
電気代が高騰している折りでもあるし、
省エネの、新しいエアコンに買い替えなきゃと
思っていたのだった。
新聞の見出しにあおられて、ヤマダ電機に行って
愛想の好いお兄さんに話をうかがえば、
ズバ暖霧ヶ峰、納期に2か月ほどかかるという。
注文して、品物が届くのを待つこととなった。
夏の暑さが増す中、古いエアコンが
こわれぬよう祈っているのだった。
冷房やこわれぬことを祈りおり。