秋の日に
神無月 6
電車に乗って上田へ出かけた。
ちいさな城下町は、穏やかな気配が有って、
ときどき、ふいに行きたくなる。
駅を出て、あてもなく歩いていくと、
じきにひと気が途絶える。穏やかな陽射しの中、
静かな通りを歩いていると、保育園が在った。
にぎやかに遊ぶ園児たちの姿に、
思わず笑みが出てしまった。
ぐるりと歩いて城跡公園に行くと、
ケヤキの黄色に桜やもみじの赤と、
まだ秋の色づきは浅かった。
それでも、盛りのひとつ手前の景色も、
それはそれで趣きが有るのだった。
日暮れどき、
ちいさな飲み屋の集まる袋町に繰り出して、
ひさしぶりの上田の夜に酔ったのだった。
一泊した次の日、となりの東御市に出かけた。
東御市で生まれ育った水彩画家、丸山晩霞の、
生誕150周年の作品展が開かれているという。
上田駅から三つ目の田中駅で降りて、
丸山晩霞記念館へ行く。
前々から、名前だけは存じ上げていたものの、
作品を拝見するのは初めてだった。
柔らかい色彩で描かれた、故郷の地や
信州の山々の昔の風景に、
気分が和やかになった。。
東御市は、今やワインと葡萄の町。
記念館からまっすぐ先の里山には、
いくつかのワイナリーと、ブドウ畑が広がっている。
見るからに陽当たりの良さそうな地は、
あらためてゆっくり訪ねてみたいものだった。
ふたたび駅に戻ったら、
電車が来るまでずいぶんと間が有る。
宿場町の風情の残る海野宿を抜けて、
ひと駅歩くことにする。
平地の紅葉は、これからあちこち見ごろになる。
歩いて歩いて、短い秋の日を楽しみたいのだった。

電車に乗って上田へ出かけた。
ちいさな城下町は、穏やかな気配が有って、
ときどき、ふいに行きたくなる。
駅を出て、あてもなく歩いていくと、
じきにひと気が途絶える。穏やかな陽射しの中、
静かな通りを歩いていると、保育園が在った。
にぎやかに遊ぶ園児たちの姿に、
思わず笑みが出てしまった。
ぐるりと歩いて城跡公園に行くと、
ケヤキの黄色に桜やもみじの赤と、
まだ秋の色づきは浅かった。
それでも、盛りのひとつ手前の景色も、
それはそれで趣きが有るのだった。
日暮れどき、
ちいさな飲み屋の集まる袋町に繰り出して、
ひさしぶりの上田の夜に酔ったのだった。
一泊した次の日、となりの東御市に出かけた。
東御市で生まれ育った水彩画家、丸山晩霞の、
生誕150周年の作品展が開かれているという。
上田駅から三つ目の田中駅で降りて、
丸山晩霞記念館へ行く。
前々から、名前だけは存じ上げていたものの、
作品を拝見するのは初めてだった。
柔らかい色彩で描かれた、故郷の地や
信州の山々の昔の風景に、
気分が和やかになった。。
東御市は、今やワインと葡萄の町。
記念館からまっすぐ先の里山には、
いくつかのワイナリーと、ブドウ畑が広がっている。
見るからに陽当たりの良さそうな地は、
あらためてゆっくり訪ねてみたいものだった。
ふたたび駅に戻ったら、
電車が来るまでずいぶんと間が有る。
宿場町の風情の残る海野宿を抜けて、
ひと駅歩くことにする。
平地の紅葉は、これからあちこち見ごろになる。
歩いて歩いて、短い秋の日を楽しみたいのだった。
ささやかな気遣いを
神無月 5
秋も深まって、氏神さんの木々も緑が褪せてきた。
朝夕の冷気が増して、晴れた日の陽射しに、
乾いた静けさを感じるようになった。
先日、町内の秋祭りがおわった。
長野市でいちばん最後の祭りは、
あちこちから、大勢の神輿の担ぎ手さんがやってきて、
おおいに盛り上げてくれたのだった。
わっしょいわっしょいと、通りを行き来する
神輿のあとを歩いていたら、
みやいりさん、元気にしてますかあと、
年下の友だちに声をかけられた。
しばらく行くと、別の年下の友だちから、
みやいりさん、元気ないよお。どうしたのお?
と声をかけられた。
すこし前から、胸に気がかりごとを抱えていた。
知らぬ間に、浮かぬ気分が顔に出ていた。
賑やかな祭りの夜に
気に留めて、声をかけてくれた二人の気遣いが
ありがたいことだった。
客商売をしているから、日々人が訪ねてくる。
だれも来ない日もときどきあるけれど。
場末のちいさな町で、
ゆるんだ顔で仕事をしていると、
訪ねてくる方も気を許すのか、
胸に抱えた悩みごとを話されるかたがいる。
気の利かない嫁や、気のつよい姑の愚痴を聞けば、
いっしょに悪口を言い合い、
孫が大学に合格したり、就職が決まった話を聞けば、
にこにこと、よかったですねえと声をかける。
中には、兄弟と、遺産相続の争いをしていることや、
子供が重い病気になってしまったこと、
会社でパワハラを受けた話を聞くこともあり、
のんきな独り身の想像力では、
及びもつかない心労を抱えているかたもいた。
話すことで、いっとき気持ちが楽になればと
あとあといつも思っているのだった。
今日に至るまで、
身近なかたがたの、7気遣いと心配に支えられて生きてきた。
おなじように人さまに。
情の薄い身は、よくよく忘れぬようにと思うのだった。

秋も深まって、氏神さんの木々も緑が褪せてきた。
朝夕の冷気が増して、晴れた日の陽射しに、
乾いた静けさを感じるようになった。
先日、町内の秋祭りがおわった。
長野市でいちばん最後の祭りは、
あちこちから、大勢の神輿の担ぎ手さんがやってきて、
おおいに盛り上げてくれたのだった。
わっしょいわっしょいと、通りを行き来する
神輿のあとを歩いていたら、
みやいりさん、元気にしてますかあと、
年下の友だちに声をかけられた。
しばらく行くと、別の年下の友だちから、
みやいりさん、元気ないよお。どうしたのお?
と声をかけられた。
すこし前から、胸に気がかりごとを抱えていた。
知らぬ間に、浮かぬ気分が顔に出ていた。
賑やかな祭りの夜に
気に留めて、声をかけてくれた二人の気遣いが
ありがたいことだった。
客商売をしているから、日々人が訪ねてくる。
だれも来ない日もときどきあるけれど。
場末のちいさな町で、
ゆるんだ顔で仕事をしていると、
訪ねてくる方も気を許すのか、
胸に抱えた悩みごとを話されるかたがいる。
気の利かない嫁や、気のつよい姑の愚痴を聞けば、
いっしょに悪口を言い合い、
孫が大学に合格したり、就職が決まった話を聞けば、
にこにこと、よかったですねえと声をかける。
中には、兄弟と、遺産相続の争いをしていることや、
子供が重い病気になってしまったこと、
会社でパワハラを受けた話を聞くこともあり、
のんきな独り身の想像力では、
及びもつかない心労を抱えているかたもいた。
話すことで、いっとき気持ちが楽になればと
あとあといつも思っているのだった。
今日に至るまで、
身近なかたがたの、7気遣いと心配に支えられて生きてきた。
おなじように人さまに。
情の薄い身は、よくよく忘れぬようにと思うのだった。
富山散歩
神無月 4
なんとなく、富山へ出かけてしまった。
春、金沢へ出かけたときに、
途中下車をして立ち寄った。
勇壮な、神通川の流れる町なかを歩いたら、
のどかな気配が好かったのだった。
駅の北口を出てしばらく行くと、
運河の有る環水公園に着く。
犬の散歩をする人に、
小さな子供を連れたママ友さんたち。
平日の午前、運河のまわりの芝生に、
人の数が少ない。
運河を見下ろすスターバックスコーヒーは、
窓辺の席だけいっぱいだった。
運河に沿って海まで。
きれいに整備された歩道を、
ゆるやかな水の流れを見ながら行けば、
海の方から遊覧船がやってくる。
えんえんと歩いていたら、
近くの工場から、昼どきを知らせるサイレンが聞こえた。
どこかで腹を満たそうと、歩道から国道へ出たら、
すぐにラーメン屋にぶつかった。
富山でラーメンといえば、富山ブラック。
初挑戦と意気込んで入ったら、
品書きに富山ブラックがない。あきらめて、
餃子をつまみに生ビールを2杯。
あっさりと塩ラーメンを頂いた。
富山ブラックにはふられたけれど、
愛想の好い旦那さんと娘さんが営む、
旨い店だった。
店を出て歩いていくと、国道の向こう側を、
ガタゴトと、ライトレールが行き来する。
富山湾の突端の堤防では、
おじさんたちが釣り糸を垂らしていた。
秋晴れの穏やかな陽気で、海面がまぶしく輝いている。
空の青、海の青。
さっぱりとした秋の青だった。
海の景色をあとにして行けば、
かつて港が栄えていたころの、
廻船問屋の町並みが保存されていた。
趣きの有る家屋を眺めて、
帰りは遊覧船に乗ろうと思ったら、
すでに営業が終わっている。
次回の楽しみにして、
再び、運河沿いの歩道を歩いていったのだった。
駅ビルの寿司屋で、
旬のネタをつまみに地酒を酌んで、
富山散歩の締めとした。
海を、船と電車がのんびりつなぐこの町は、
やっぱり、のどかに過ごせる心地よさがある。
おまけに酒と魚も旨いときて、
呑兵衛を迎える支度も整っている。
ここで暮らすのも,
わるくないと思ってしまうのだった。

なんとなく、富山へ出かけてしまった。
春、金沢へ出かけたときに、
途中下車をして立ち寄った。
勇壮な、神通川の流れる町なかを歩いたら、
のどかな気配が好かったのだった。
駅の北口を出てしばらく行くと、
運河の有る環水公園に着く。
犬の散歩をする人に、
小さな子供を連れたママ友さんたち。
平日の午前、運河のまわりの芝生に、
人の数が少ない。
運河を見下ろすスターバックスコーヒーは、
窓辺の席だけいっぱいだった。
運河に沿って海まで。
きれいに整備された歩道を、
ゆるやかな水の流れを見ながら行けば、
海の方から遊覧船がやってくる。
えんえんと歩いていたら、
近くの工場から、昼どきを知らせるサイレンが聞こえた。
どこかで腹を満たそうと、歩道から国道へ出たら、
すぐにラーメン屋にぶつかった。
富山でラーメンといえば、富山ブラック。
初挑戦と意気込んで入ったら、
品書きに富山ブラックがない。あきらめて、
餃子をつまみに生ビールを2杯。
あっさりと塩ラーメンを頂いた。
富山ブラックにはふられたけれど、
愛想の好い旦那さんと娘さんが営む、
旨い店だった。
店を出て歩いていくと、国道の向こう側を、
ガタゴトと、ライトレールが行き来する。
富山湾の突端の堤防では、
おじさんたちが釣り糸を垂らしていた。
秋晴れの穏やかな陽気で、海面がまぶしく輝いている。
空の青、海の青。
さっぱりとした秋の青だった。
海の景色をあとにして行けば、
かつて港が栄えていたころの、
廻船問屋の町並みが保存されていた。
趣きの有る家屋を眺めて、
帰りは遊覧船に乗ろうと思ったら、
すでに営業が終わっている。
次回の楽しみにして、
再び、運河沿いの歩道を歩いていったのだった。
駅ビルの寿司屋で、
旬のネタをつまみに地酒を酌んで、
富山散歩の締めとした。
海を、船と電車がのんびりつなぐこの町は、
やっぱり、のどかに過ごせる心地よさがある。
おまけに酒と魚も旨いときて、
呑兵衛を迎える支度も整っている。
ここで暮らすのも,
わるくないと思ってしまうのだった。
太田南海展へ
神無月 3
朝刊をめくっていたら、木彫りの、
3人の女性の写真が目に留まる。
松本市美術館の広告で、
太田南海展をやっているのだった。
ちょいと魅かれて、電車に乗って出かけてみた。
太田南海は明治21年、松本市の中町に生まれ、
16歳のときに、木彫り家の米原雲海のもとに弟子入りをした。
大正7年の、長野市・善光寺の仁王門建立の際には、
師の雲海と共に、仁王像の制作にあたったというから、
ここ門前町にも縁があるのだった。
3人の女性の作品は、「宿命」という。
それぞれ過去と現在と未来を表しているといい、
品の有る、静かなたたずまいが印象的だった。
愛嬌のある表情の、竹取翁や花坂翁や寒山拾得に、
良寛さんの穏やかな雰囲気。
「雪ぞら」という作品は、背を丸めて雪の中を進む
三人の像で、吹きすさぶ雪景色が目に見えるようだった。
「征く春」は、盲目の童子が、鳥のさえずりや花の香りに,
春の気配を楽しんでいる。
和やかな微笑みの姿かたちに、
こちらも、春が待ち遠しい気持ちに成ったのだった。
美術館を出て、女鳥羽川付近へ行くと、
祝日の松本は、観光客でにぎわっている。
四柱神社には、七五三の家族連れの姿が有って、
拝殿の中では、宮司さんが参拝客に、
神妙に祝詞をあげている。
昼どきを過ぎて、飲食店も混んでいて、
有名な蕎麦屋の前には、長い列が出来ていた。
さて、どうしたものかと徘徊していたら、
昼間から開いている焼き鳥屋を見つけた。
のどの渇き具合もちょうどよろしい。
生ビールとレモンサワーで、
焼き鳥と枝豆のランチにしたのだった。

朝刊をめくっていたら、木彫りの、
3人の女性の写真が目に留まる。
松本市美術館の広告で、
太田南海展をやっているのだった。
ちょいと魅かれて、電車に乗って出かけてみた。
太田南海は明治21年、松本市の中町に生まれ、
16歳のときに、木彫り家の米原雲海のもとに弟子入りをした。
大正7年の、長野市・善光寺の仁王門建立の際には、
師の雲海と共に、仁王像の制作にあたったというから、
ここ門前町にも縁があるのだった。
3人の女性の作品は、「宿命」という。
それぞれ過去と現在と未来を表しているといい、
品の有る、静かなたたずまいが印象的だった。
愛嬌のある表情の、竹取翁や花坂翁や寒山拾得に、
良寛さんの穏やかな雰囲気。
「雪ぞら」という作品は、背を丸めて雪の中を進む
三人の像で、吹きすさぶ雪景色が目に見えるようだった。
「征く春」は、盲目の童子が、鳥のさえずりや花の香りに,
春の気配を楽しんでいる。
和やかな微笑みの姿かたちに、
こちらも、春が待ち遠しい気持ちに成ったのだった。
美術館を出て、女鳥羽川付近へ行くと、
祝日の松本は、観光客でにぎわっている。
四柱神社には、七五三の家族連れの姿が有って、
拝殿の中では、宮司さんが参拝客に、
神妙に祝詞をあげている。
昼どきを過ぎて、飲食店も混んでいて、
有名な蕎麦屋の前には、長い列が出来ていた。
さて、どうしたものかと徘徊していたら、
昼間から開いている焼き鳥屋を見つけた。
のどの渇き具合もちょうどよろしい。
生ビールとレモンサワーで、
焼き鳥と枝豆のランチにしたのだった。
食欲の秋に
神無月 2
この春から、生活協同組合の世話になっている。
毎週木曜日になると、
注文した日用品やら食料品を届けてくれるのだった。
居ながらにして、必要なものが手に入るのは,
店のない界隈には便利なことで、
町内でも、利用している人がけっこういる。
洗剤やトイレットペーパーのような、
ふだん使いの物のほかに、
季節に合わせた商品が、カタログに載ってくる。
この夏買い求めたトウモロコシピーラーは、
まことに便利なしろものだった。
ひと夏の間、ビールのつまみに、
ずいぶんとトウモロコシを食べた。
食料品も、肉から魚から菓子まで、
びっしりとカタログに載っている。
ところが、朝昼晩、まともにものを食べるのは、
晩酌のときだけで、
おまけに外へ飲みに出る日も多い。
あれこれ注文しても、
消費できぬまま一週間が経ってしまう。
上等な料理は、馴染みの店の世話になるとして、
豊富な品書きの中から選ぶものといえば、
豆腐に油揚げに納豆に卵。
そこにときどき、はんぺんやちくわが加わるくらいで、
素朴な酒のつまみだけの、
しょぼい注文になっている。
ときどき御近所さんからおかずを頂くことがある。
天ぷらを揚げたから。肉じゃがを作ったから。
男やもめのわびしい食事を気遣ってくれるのは、
ほんとにありがたいことだった。
先日、マカオを旅した友だちから、
土産の缶詰を頂いた。
マカオはかつて、ポルトガルの植民地だったといい、
SARDINES A LA SAUCE TOMATE
と書いてあり、いわしのトマトソース漬けだった。
ど派手なピンクの缶に、ひるんだものの、
晩酌の折りに、
ハイボールのつまみに開けてみたら、
見た目とうらはらに、さっぱりと美味しい。
年をかさねて欲もなくなってきて、
酒のつまみを頂くのが、いちばんうれしいことだった。
夜も冷え込んできて、ぽちぽち鍋も好い頃となる。
湯豆腐で、
あるいはあっさりと、油揚げと大根を出汁だけで。
ゆるゆると、燗酒をやりたくなるのだった。

この春から、生活協同組合の世話になっている。
毎週木曜日になると、
注文した日用品やら食料品を届けてくれるのだった。
居ながらにして、必要なものが手に入るのは,
店のない界隈には便利なことで、
町内でも、利用している人がけっこういる。
洗剤やトイレットペーパーのような、
ふだん使いの物のほかに、
季節に合わせた商品が、カタログに載ってくる。
この夏買い求めたトウモロコシピーラーは、
まことに便利なしろものだった。
ひと夏の間、ビールのつまみに、
ずいぶんとトウモロコシを食べた。
食料品も、肉から魚から菓子まで、
びっしりとカタログに載っている。
ところが、朝昼晩、まともにものを食べるのは、
晩酌のときだけで、
おまけに外へ飲みに出る日も多い。
あれこれ注文しても、
消費できぬまま一週間が経ってしまう。
上等な料理は、馴染みの店の世話になるとして、
豊富な品書きの中から選ぶものといえば、
豆腐に油揚げに納豆に卵。
そこにときどき、はんぺんやちくわが加わるくらいで、
素朴な酒のつまみだけの、
しょぼい注文になっている。
ときどき御近所さんからおかずを頂くことがある。
天ぷらを揚げたから。肉じゃがを作ったから。
男やもめのわびしい食事を気遣ってくれるのは、
ほんとにありがたいことだった。
先日、マカオを旅した友だちから、
土産の缶詰を頂いた。
マカオはかつて、ポルトガルの植民地だったといい、
SARDINES A LA SAUCE TOMATE
と書いてあり、いわしのトマトソース漬けだった。
ど派手なピンクの缶に、ひるんだものの、
晩酌の折りに、
ハイボールのつまみに開けてみたら、
見た目とうらはらに、さっぱりと美味しい。
年をかさねて欲もなくなってきて、
酒のつまみを頂くのが、いちばんうれしいことだった。
夜も冷え込んできて、ぽちぽち鍋も好い頃となる。
湯豆腐で、
あるいはあっさりと、油揚げと大根を出汁だけで。
ゆるゆると、燗酒をやりたくなるのだった。
今年の秋を
神無月 1
残暑もなく秋が来た。
空気の冷え込みが増してくると、
夏の間の浮かれた気分も沈んでくる。
盛り上がりに欠けたまま過ごしていたら、
あっという間に九月が終わってしまった。
台風の通過で、ひと晩、はげしい雨が降った翌朝、
窓から晴れ間が見えた。
氏神さんにお参りに行くと、
雨風に打たれた木々の枝と葉が、
濡れた石畳に落ちている。
高台のあずま屋から望めば、菅平の空を、
夜半の名残りの雲が、柔らかく流れていた。
善光寺へお参りに行くと、
浄土宗の坊さんたちが、
朝の読経の最中で、
つかさどる、尼さんの艶やかな声が、
心地よくひびいてくる。
菩提寺でお参りを済ませたら、
上松の昌禅寺まで、足を延ばしてみた。
いつものように、
城山公園の桜並木から城山団地を抜けて、
湯谷団地の坂道を上がっていく。
湿気の残る蒸した陽気に、ほどなく体が汗ばんできた。
坂の途中で見渡せば、
東から南に清々と、台風一過の空が好い。
昌禅寺の木々は、
夏に来たときよりも、緑が褪せていて、
すこし秋の色づきを始めている葉もあった。
本堂の扉が開いていて、
初めて御仏さんに手を合わせた。
横の庫裏では掃除の最中で、
ぱんぱんと、威勢よく布団をたたく音がする。
あとひと月もすれば、境内が秋の朱色に満たされる。
紅葉の名所なのに、
ありがたいことに、あまり知られていない。
人が押し寄せることもなく、
静かに愛でることができるのだった。
紅葉の盛りに成るまでの、
移り変わりを眺めるのも、なかなか好いものだった。
気持ちを乱さずに、この秋を往きたいものです。

残暑もなく秋が来た。
空気の冷え込みが増してくると、
夏の間の浮かれた気分も沈んでくる。
盛り上がりに欠けたまま過ごしていたら、
あっという間に九月が終わってしまった。
台風の通過で、ひと晩、はげしい雨が降った翌朝、
窓から晴れ間が見えた。
氏神さんにお参りに行くと、
雨風に打たれた木々の枝と葉が、
濡れた石畳に落ちている。
高台のあずま屋から望めば、菅平の空を、
夜半の名残りの雲が、柔らかく流れていた。
善光寺へお参りに行くと、
浄土宗の坊さんたちが、
朝の読経の最中で、
つかさどる、尼さんの艶やかな声が、
心地よくひびいてくる。
菩提寺でお参りを済ませたら、
上松の昌禅寺まで、足を延ばしてみた。
いつものように、
城山公園の桜並木から城山団地を抜けて、
湯谷団地の坂道を上がっていく。
湿気の残る蒸した陽気に、ほどなく体が汗ばんできた。
坂の途中で見渡せば、
東から南に清々と、台風一過の空が好い。
昌禅寺の木々は、
夏に来たときよりも、緑が褪せていて、
すこし秋の色づきを始めている葉もあった。
本堂の扉が開いていて、
初めて御仏さんに手を合わせた。
横の庫裏では掃除の最中で、
ぱんぱんと、威勢よく布団をたたく音がする。
あとひと月もすれば、境内が秋の朱色に満たされる。
紅葉の名所なのに、
ありがたいことに、あまり知られていない。
人が押し寄せることもなく、
静かに愛でることができるのだった。
紅葉の盛りに成るまでの、
移り変わりを眺めるのも、なかなか好いものだった。
気持ちを乱さずに、この秋を往きたいものです。