上田で一日
卯月 9
休日、朝から気温が高い。
歩いていると、じんわり背中に汗をかき、
上着を脱いで長野駅の階段を上がった。
上田の町へ出かけたのだった。
上田駅を出て、広い通りを歩いていると、
町なかの木々の、爽やかな緑に気持ちが和む。
ちいさな城下町の新緑の眺めだった。
昼どきになり、この日はひさしぶりに、
横町の中華料理屋、美華にうかがった。
愛想の好いお姉さんに迎えられ、
隅の入れこみに落ちつく。
酢豚をつまみにビールを飲んでいれば、
じきに常連さんたちがやってきて、
お姉さんと親しく言葉を交わしながら、
思いおもいに料理を頼んでいる。
しばらくすると、
上田に暮らす友だちが顔を出してくれて、
昼のひとときを付き合ってくれた。
友だちは、この4月から新しい職場に就職された。
仕事は毎日忙しいといい、でも楽しいという。
仕事を御一緒するかたがたは、かつて学校の
校長先生をしていたような偉い人ばかりで、
いちばん年下の身で関わっているという。
いつも笑顔で、はきはきと明るい人柄は、
そんな目上の人たちにも慕われていると
うかがえたのだった。
午後の仕事に戻る友だちを見送って、
上田の銘酒、明峰喜久盛を酌みながら、
肉厚のワンタンで締めた。
飲み屋に蕎麦屋に中華屋、あちこち
知っているわけではないけれど、
これまで足を運んだ上田の店は、
どこも外れがない。
味が好くて、店を営むかたの感じが好いのが
何よりだった。
午後は、別所温泉まで足を延ばし、ひと風呂の
予定だったのに、
ビール2本と日本酒1合に酔ったら、気力が萎えた。
店を出て、ぶらぶらと辺りを散策することにした。
上田の町はもう何度も歩いている界隈でも、
ふるびた昭和の面影が、落ちついた風情を感じさせ、
飽きない。
ひと気のない通り沿いに、斜めに傾いている
古いお宅があった。
今にもつぶれそうと眺めていたら、中から
おじいさんが出てきた。
住んでいるのかい・・・
地震が来たら一発でアウトですよ。
とても心配になってしまった。
家々の軒先に見ごろの花が咲いている。
高いマンションに見下ろされるように、
緑の木々が冴えている。
ふだん暮らしている、善光寺門前も緑に囲まれて、
落ちついた風情がある。
同じくらい上田の町にも、終の棲家にしたくなる、
好い風が吹いているのだった。
ひとまわり歩いて、酔いざましにひと眠りしたら、
時刻も好い塩梅になっている。
今夜は上田の近くに暮らす友だちと、萬寿寿司で
一献の予定だった。
寿司屋が開くまで軽く一杯、久しぶりの花壱に
立ち寄った。
品書きを見たら、この日は宮城のホヤが有る。
好いですねえ。
このゴールデンウイーク、その宮城から
友だち家族が訪ねて来る。
楽しみなことと思い出しながら、
佐久の明鏡止水のうす濁りを酌みながら、
東北の春の味を利いたのだった。
酢豚食う春の近況聞きながら。
春の雨に
卯月 8
早朝、久しぶりにさっぱりと目が覚めた。
ここしばらく、花粉症のせいで、
目鼻ぐずぐずの、くしゃみ連発の目覚めが
つづいていたのだった。
昨日からの春雨に気温が下がり、
今年の花粉も落ち着いてくれたかと、
ほっとした。
着替えて散歩に出れば、雨上がりの空気が
ひんやりと気持ちが好い。
善光寺の参道を横切っていくと、参拝客の姿が
すくない。
7年にいちどの大行事、御開帳が始まって
2週間余り。
コロナ禍での混雑を避けるために、このたびは
開催期間を一か月伸ばした。
そのせいなのか、いつものような混雑も、
車の渋滞もなく、ゆっくりとした気配の
陽がつづく。土産物屋の奥さんも、
蕎麦屋の御主人も、顔を合わせれば、
ひまだよ~とこぼしている。
長野市のコロナ感染者が増えていたこの頃まで、
旅館や宿坊もキャンセルが相次いだという。
こんどばかりはお客の流れが読めないと、
商売を営むかたがたも戸惑っているのだった。
桜枝町をすぎて行くと、家々の軒先に、加茂神社と
書かれた提灯がぶら下がっていて、
本日は、西長野町の氏神さん、加茂神社の
春祭りだった。
その先の新諏訪町に行くと、今度は
諏訪神社の提灯がぶら下がっていた。
神社に向かって歩いていくと、鳥居の前で
近所のかたがたが、おおきな旗を立てて、春祭りの
支度を整えていた。
挨拶をして、鳥居の先の急坂を上がり、
神社にお参りをした。
そのまま進んで、夕陽が丘団地に入れば、
おおきな桜の木が、夜半の雨にもへこたれず、
見ごろを保っていた。
往生地の高台から眺めれば、彼方の山並みをおおうように、
柔らかな雲が流れていく。
ひと声、うぐいすのきれいなさえずりが、
耳に飛び込んできた。
湿った藁の匂いを吸いながら歩いていくと、
道沿いの畑には、菜の花の黄色が冴えている。
里山の木々もすこし色味を増してきて、
新緑の季節の気配がうかがえるのだった。
くねくね坂を下っていくと、霊山寺の境内の桜が
目に留まる。
境内入口の墓地には、長野にゆかりの日本画家、
東山魁夷さんが眠っている。
自宅のすぐそばに、東山魁夷館が在り、
気が向けばいつでもこのかたの、深くて静かな作品に
触れられる。ありがたいことだった。
手を合わせ、墓地の先へ行けば、
そこには、長野県警の殉職された警官の
慰霊碑が建っている。明治から平成まで、
職務で命を落とされたかたの名前が刻まれている。
長野が平和でありますように。深々お祈りをした。
坂道を下りて善光寺へ戻ってくれば、
浄土宗の坊さんたちの読経が本堂に響いていた。
黄金週間が始まれば、人の流れも増えるかな。
ひと気のまばらな境内で、本堂前の、
回向柱を見上げたのだった。
鶯のひと鳴きだけやいさぎよく。
久しぶりの一献を
卯月 7
ときどき、いつもの縄張りをはなれて
一杯やるのもわるくない。
知らない町の知らない飲み屋のひとときは、
馴染みの店の安心感とはまたちがう、
新鮮な趣きがあるのだった。
愚息から連絡があって、ひさしぶりに
酌み交わそうと相成った。
場所は、愚息の馴染みの店で。
長野電鉄の柳原駅で降りて、歩いてすぐの
中華料理屋、光栄亭におじゃました。
いつも息子が世話になっています。
愛想のいいご主人夫婦に、手土産の菓子を渡して
挨拶をして、愚息と乾杯をする。
以前結婚していたときがあって、
一男一女の親をしていた。
愚息が5歳のときに離婚をして、
以来、ずっと顔を合わせることがなかったのに、
13年前に再会をして、ときどき会う
機会ができた。
お互いに、それぞれの暮らしがあるから、
会うのは、一年に数えるほどのことだった。
ずっと土木関係の仕事をしてきて、
つい先だって、職場を変えたという。
仕事は毎日忙しくて、日曜出勤の日も
多いという。ひとり暮らしをしているから、
仕事を終えて、家にいてもつまらない。
近所のこの店で一杯やるのが楽しみで、
週に8日は通っていると笑うのだった。
昭和のいちばん最後の年に生まれた子だから、
今年34歳になる。辛口の麻婆豆腐をつまみに、
スーパードライを飲みながら、
こいつも年相応に苦労してきたのかな。
そんなことを感じさせる,
やや疲れた顔つきになっている。
付き合っている女性はいないのかいと問えば、
いないいないと手を振る。
もう女はいいです。一緒に飲んでくれる子がいれば
それで充分ですと、年寄りみたいなことを言う。
以前、女性がらみのおおきなしくじりをしたと
聞いていた。
そんなところまで、我が身の血を引いたかと
思いながら、話を聞いた覚えがある。
そうはいっても、
まだ若いのに、欲がないなあとあきれた。
カウンターのすみでは、先客のおじいさんが
酔い酔いに出来上がって舟をこいでいる。
しばらくすると、年配のおじいさんが続けざまに
入ってきて、愚息に声をかけてきた。
父ですと紹介されて、お世話になってますと
挨拶を交わした。
先客のおじいさんも目を覚まして、常連さん同士、
みんなで酌み交わし始めた。
杯を重ねている間に、店の奥さんが、
ちょこちょこと好意のつまみを出してくれる。
気のおけない馴染みの店があって、酒席を
共にしてくれる先輩さんがいて。
ふだん見えなかった愚息の日常を眺めながら、
ひと息つける身の拠りどころがあると知って、
なんだか気持ちがほっとしたのだった。
好い店だねえ、またここで一杯やるのも好いねと、
思った次第だった。
春の宵愚息に欲がなさすぎて。
免許の更新に
卯月 6
休日、運転免許証の更新に出かけた。
5年間、これといった違反をしていなかったから、
このたびも、近所の警察署で簡単に手続きが
できるものと思っていたら、
交通安全センターで1時間の講習を受けろと
知らせが届いた。
よくよく振り返ったら、思い当たる節があった。
以前、母を助手席に乗せたときに、
うっかりシートベルトをはめ忘れた。
たまたま通りかかった婦警さんに
見とがめられて、免許証の点数を引かれたのだった。
朝の通勤ラッシュに巻き込まれぬよう、
早めに自宅を出て、交通安全センターへ向かった。
ふだん、父の形見の軽自動車に乗っている。
乗るといっても、自宅と仕事場が
一緒だから、通勤で使うことがない。
買い物は近所のセブンイレブンと、
生活協同組合の配達で間に合うから、
買い出しに使うこともない。
月にいちどか二度、
母親をお医者へ連れて行くとき以外は、
ぜんぜん使っていないのだった。
おかげで、購入してから8年が経つというのに、
いまだ走行距離が、14000キロにも
満たない。
仮に50000キロまで乗るとして、計算したら、
あと20年かかると出た。
20年・・
免許を返納する歳になっているではないか・・
父の形見だし、愛着もあるし、
車はもう買い替えることをせず、
一生付き合っていくことと決めた。
講習では、わき見運転に飲酒運転、昨今問題の
あおり運転の危険について講師の先生が
述べておられた。
38年前、走行中にわき見をして、
前方の車にぶつかってしまい、3か月間、
免停になった。
32年前、北陸自動車道で、居眠り運転の車に
突っ込まれ、全治1か月の大けがで
入院した。
加害者と被害者、ともに味わって、
以来、車の運転に際しては、無理をせぬよう、
前方後方、よくよく注意をはらっている。
町で見かけると、男女を問わず、
なんだかなあという運転を
しているかたが少なくない。
信号が黄色から赤に変わるときに
強引に突っ込んでいったり、
細い道を、速度を緩めずに走っていったり、
一時停止を怠ったり、目にするたびに、
人の振り見て我が振り直せと言い聞かせている。
善光寺の御開帳が始まって、
参拝客でにぎわっている。
観光シーズンになると、
自宅の前の一方通行の道を、標識を見落として
逆走する観光客を、日に何人も
見かけるのだった。
ここで見張っていれば、おもしろいように
切符が切れるのにと、
おまわりさんに教えたくなってしまった。
講習を受けて、あらためて安全運転を
言い聞かせ、新しい免許証をもらって、
さっぱりと交通安全センターをあとにした。
免許証の写真は、いかにも花粉にやられていますの
さえない顔つきで、
5年間、この写真と付き合うかと思ったら、
なんだか気持ちがしぼむのだった。
花粉症免許の写真ぐずぐずで。
上田の桜を
卯月 5
休日、上田の城跡公園へ出かけた。
上田アリオの餃子の王将で、揚げそばをつまみに
レモンサワーとウーロンハイでのどを潤してから、
公園へ向かう。好い天気に誘われて、
大勢の人が桜見物に来ていた。
この春は、桜の足取りがまことに早い。
開花の知らせを聞いたかと思ったら、日を置かず
満開になり、気があおられる。
城跡公園の桜もあれよあれよと開いたと聞き、
あわててやって来たのだった。
城門前の大きなしだれ桜は、すでに散っており、早々に
葉桜になっている。
お堀のまわりのソメイヨシノは、まさに最後の見ごろどき、
満開の桜は、風が吹くたびに、一斉に花びらが舞って、
お堀の水面を薄く彩っている。
ひとまわり、ゆっくり桜を愛でて、真田神社で
お参りをして、本日の締めに、
駅前の幸村で杯をかたむけた。
翌朝はやく、
まだひと気のない通りを、あてもなく、
気の向くままに散歩に出た。
合同庁舎の前をすぎて、国道を渡ってしばらく行くと、
大輪寺に着いた。真田家ゆかりの曹洞宗の古刹は、
大きな門をくぐると、
境内には薄桃色の桜が、鮮やかに咲いていた。
境内を出て行くと、黄金沢川に沿って、延々と
桜並木が立っていた。これは見事と
眺めながら、北小学校の前をすぎて行くと、
大きな鳥居の大星神社があった。
石の鳥居をふたつくぐっていくと、赤い鳥居があって、
なにやら張り紙がしてある。
赤い鳥居は、白アリにやられて腐食がすすんでいます。
新しく建てなおすか撤去するか、
みなさんのご意見を聞かせてください。
建てなおしの際にはご寄付をお願いしますとあり、
建てなおしか撤去か、どちらかに〇をするように
うながしていた。
建てなおしのかたが圧倒的で、撤去のかたは
3人だけだった。
神社の神様も、ほっとされているにちがいない。
通りを戻っていけば、朝の通勤ラッシュが
始まっている。
国道を渡って柳町から袋町を抜けていくと、
集団登校の子供たちとすれちがう。
黄色いヘルメットの子は5人。
お兄ちゃんお姉ちゃんに混ざって、
ぴかぴかのランドセルがまぶしく揺れていく。
セブンイレブンで、お茶とおにぎりを買って戻れば、
うっすらと汗をかいて、散歩のあとのシャワーが気持ち好い。
あてもなく歩いて、思いがけず、
ほろぼれと見惚れる桜並木に会えた。
今年の桜はこれでおしまい。
それで充分と思えるほど、好い桜のひとときと
なったのだった。
朝の陽のうす射す桜並木かな。
気が急いて
卯月 4
コロナ禍になってから、仕事場に
空気清浄機を入れた。
14畳の仕事場に、余裕を見て、
38畳対応の機種を設置した。
お客さん相手の仕事をしていて、アンモニアや
アルコールやらの原料を含んだ
薬品を使用している。
使いだすと、じきにごうごうと
動き出して、健気に空気をきれいにして
くれるのだった。
毎春、花粉症に苦しんでいる。年々、
症状に重い軽いはあるけれど、
この春の花粉は、なかなか強烈だった。
例年、朝に薬を飲めば、夕方まで
症状が抑えられていたのに,
薬の効き目が午後には切れて、
もう一度服用することとなる。
仕事場に人の出入りがあるたびに、
空気清浄機がすかさず動き出す。
これまでこんなに反応しなかったから、
出入りに伴って、たくさんの花粉が、
入ってきているとうかがえた。
先日の朝、起きたら寒気がする。
体温を計ってみたら、平熱をこえていた。
そのうちに咳も出始めて、風邪をひいて
しまったのだった。春のはじめの風邪なら、
今に始まったことではない。
ふだんなら気にもせぬことながら、
コロナ禍の中、花粉症はまだしも、
風邪はよろしくないと心配になり、
あわてて解熱剤と咳止めを買ってきて飲んだ。
その2日後、仕事をしていたら、急に
体中に汗が流れだし、めまいを起こした。
あれれ、どうしたんだ。
仕事がつづけられず手を止めたら、
異変に気付いたお客さんに、
大丈夫?すこし休んでくださいと心配をされた。
自室へ行って、上着を脱いで汗を拭いて、
着替えてから、しばしめまいが収まるのを待った。
なんとか仕事をこなして、お客さんを見送って、
へなへなと、椅子にくずれおちた。
鼻炎に解熱剤に咳止め、ふだん薬要らずの身が、
はやく症状を押さえたいと
つよい薬を飲んだせいで、
逆に体を不調にしてしまったのだった。
それからしばらく薬を飲まずにいたら、
ようやく普段の調子に戻って、ほっとした。
歳をかさねて、体力も免疫力も、
若いときのようなわけではない。
気を急いて体に無理をかけぬよう、
気をつけなければいけないのだった。
すぐ先の、氏神さんのソメイヨシノが
開花して、連日の陽気の良さに
促されて、あっという間に満開になった。
いつからか、今年の桜を目にするたびに、
生き延びられたなあと、そんな思いに
駆られるようになった。
この春も、花粉にやられながら、
しずかに歩いていきたいことだった。
花満ちて生き延びられた感の有り。
エビスを
卯月 3
南の街の友だちからメールが届く。
所用で松本に来ています。
よかったら軽くビールでも。
思いがけない誘いに、特急しなのに乗り込んで、
松本へ向かった。
以前長野に来たときに、知り合ったのが
きっかけだった。
あれから15年が経つのに、お会いするのは
数えるほどで、
このたびも3年ぶりの再会だった。
挨拶を交わして、アイリッシュ・パブの
OLDLOCKでクラフトビールを酌み交わした。
ひさしぶりの会話のなかで、好きなビールの
話になって、
うかがえば、エビスがいちばん好きという。
好いですねえ。
この頃になって、キリンにアサヒにサントリーが、
定番の、一番搾りにスーパードライに
プレミアムモルツの他に、新しい銘柄を出してきた。
長らく、サッポロをひいきにしていて、
定番の黒ラベルに赤星ラガー、
たまに運良く手に入る、北海道限定のクラシック。
そしてエビスと、どれもが口に合う。
エビスは昔から有る銘柄なのに、
どこでも買えるようになったのは、
いつからだったか。
子供のときの父の日に、エビスを買って、
贈ったことがあった。
喜んでくれると思ったら、なんだこれ?と
父に言われた覚えがある。
あの頃は、ビールと言えばキリンのラガー。
独占禁止法に引っかかるから、キリンの社員は
ラガーを買わぬよう。
そんなお触れが出るほど売れていた。
エビスのエの字も知られていない時代だった。
酒の味を覚えたときに、当時暮らしていた近所の酒屋で、
エビスを売っていた。
気なしに買って飲んだら、そのうまさに驚いた。
アサヒのスーパードライが爆発的にヒットして、
ラガーの牙城をくずして、
各社が負けじといろんなビールを売りだした頃だった。
ひととおり飲んだあと、エビスに戻ると、
やはり旨いなあとなるのだった。
28歳で亡くなった友だちがいる。
病気療養をしていたときに見舞いに行くと、
きまってエビスでもてなしてくれた。
お母さんの手料理でエビスを酌んで、
夏にはほかの友だちにも声かけて、みんなで
花火もしたっけ。
頻繁に買うのは黒ラベルが多い。
身近な酒徒にも、黒ラベルを愛飲しているかたが
少なくない。飲み飽きしない程好い旨味が
好まれる理由かと思う。
友だちが亡くなって、この5月で33回忌。
月日の経つのが早いことだった。振り返れば、
ビールひとつにも、友にまつわる思い出がある。
エビスを飲まにゃああかんなあ。
ビールはエビス。
春からの、ささやかな誓いだった。
亡き友を思いて春のエビスなり。
江口さんを
卯月 2
春休み、日中の町なかに子供たちの姿があった。
今どきの子供は、男の子も女の子も、
みんなきれいな顔をしている。
身なりのセンスも好いから、
町が華やぎにあふれていた。
歳を重ねたおじさんには、まことにまぶしく
映えたのだった。
コロナ禍で、子供たちの暮らしにも、
ずいぶんと我慢が強いられたことだった。
明るい笑顔を眺めていると、
のびのびと過ごせる日が戻りますように、
願ってしまうのだった。
馴染みの店で昼飯がてら、
ビール一本にお銚子二本空けたあと、
中央通りの北野カルチュラルセンターへ出向いた。
江口寿史さんのイラスト展が
開かれているのだった。
かつて少年ジャンプで連載していた、
すすめパイレーツやストップひばり君は、
はて、どんな内容だったか、すっかり忘れている。
愛読していたのは40年前のことだから、
それ以来に触れることだった。
「彼女」と題された催しで、
歌手のアルバムの表紙や、いろいろな
雑誌の表紙を飾った作品が、
一階から三階にわたる会場に
ずらっと並んでいた。
緻密に描かれた、いろいろな仕草や
表情の女の子たちは、どれも
若々しい色気が感じられ、引き込まれる。
イラストだというのに、
歳を重ねたおじさんは、年甲斐もなく
ドキドキしちゃいました。
こんな作品を一点部屋に飾っておけば、
いつでも春の華やぎを感じていられるのにと、
かなわぬ思いを抱いてしまったのだった
前髪をちょっと短く春休み。
同級生に
卯月 1
春めいて、朝の散歩を再開した。
ジャージに着替えて、いつものように
氏神さんの階段を上がれば、
里山も、見下ろす町なみも、柔らかな空気に
包まれている。静かな町の中を歩いていけば、
そこかしこで、走っている人たちとすれちがい、
長野マラソンの日がもうすぐとわかるのだった。
美術館裏の白梅を眺めて、
清泉女学院の前をすぎて行けば、市民プールが
すっかり取り壊されて、更地になった。
元オリンピック選手だった市長は、新たに
スケートボード場を作るという。
子供たちでにぎわうかなと、
広い敷地を眺めた。
その先の招魂社の階段を上がり、
長野の町が平和でありますようにと、手を合わせる。
当たり前の日常に、いつ何が起こるかわからない。
そんなことをつくづく感じる昨今の世の中だった。
およそ1時間の散歩で、体がほぐれるのは
気持ちが好いけれど、この春の花粉は、
いつもよりも手ごわい。
帰ってきて薬を飲んでも、なかなか
効いてくれない。
春もこれさえなければと、毎年思って
しまうのだった。
仕事場の掃除を終えて、朝刊をめくったら、
長野市副市長に、西沢正樹氏が就任と載っていた。
まじですか。
高校の同級生で、陸上部で、ともに
汗を流した人だった。
頭が良かったものの、秀でて成績がよかったという
覚えはない。副市長かあ。
凄い出世だなあと、ほとほと感心をした。
警官をしている友だちは、ただいま県警の
交通本部長におさまって、こちらも大した出世だった。
会社を起業して、たくさんの年収を稼いでいる
友だちに、大学の教授をしている友だちに、
県や市の職員として、市井のために働く
友だちもいる。
コンビニを営んで、気の利かないスタッフや、
態度のわるいお客に
へきえきしている友だちに、派遣の契約社員で
食っている友だちに、おおきな塾で先生をしている友だちや、
新興宗教にはまった友だちに、
酔っ払ってばかりいる、出来のわるい美容師もいる。
みんなそれぞれの暮らしをかさねてこの歳まで。
音沙汰の知れない友だちは、みんなどうしているのやら。
何年か前に中学校の同級会はあったものの、
高校の同級会は、40年近くやっていない。
懐かしい気持ちはあるものの、会えるも好し、
会えぬも好し。この歳になり、ひと様との出会いの執着も
失せてきた。幸い日々、恵まれた縁に囲まれている。
それで充分ありがたいことと、思っているのだった。
色気なら梅の香ほどが程好くて。

春めいて、朝の散歩を再開した。
ジャージに着替えて、いつものように
氏神さんの階段を上がれば、
里山も、見下ろす町なみも、柔らかな空気に
包まれている。静かな町の中を歩いていけば、
そこかしこで、走っている人たちとすれちがい、
長野マラソンの日がもうすぐとわかるのだった。
美術館裏の白梅を眺めて、
清泉女学院の前をすぎて行けば、市民プールが
すっかり取り壊されて、更地になった。
元オリンピック選手だった市長は、新たに
スケートボード場を作るという。
子供たちでにぎわうかなと、
広い敷地を眺めた。
その先の招魂社の階段を上がり、
長野の町が平和でありますようにと、手を合わせる。
当たり前の日常に、いつ何が起こるかわからない。
そんなことをつくづく感じる昨今の世の中だった。
およそ1時間の散歩で、体がほぐれるのは
気持ちが好いけれど、この春の花粉は、
いつもよりも手ごわい。
帰ってきて薬を飲んでも、なかなか
効いてくれない。
春もこれさえなければと、毎年思って
しまうのだった。
仕事場の掃除を終えて、朝刊をめくったら、
長野市副市長に、西沢正樹氏が就任と載っていた。
まじですか。
高校の同級生で、陸上部で、ともに
汗を流した人だった。
頭が良かったものの、秀でて成績がよかったという
覚えはない。副市長かあ。
凄い出世だなあと、ほとほと感心をした。
警官をしている友だちは、ただいま県警の
交通本部長におさまって、こちらも大した出世だった。
会社を起業して、たくさんの年収を稼いでいる
友だちに、大学の教授をしている友だちに、
県や市の職員として、市井のために働く
友だちもいる。
コンビニを営んで、気の利かないスタッフや、
態度のわるいお客に
へきえきしている友だちに、派遣の契約社員で
食っている友だちに、おおきな塾で先生をしている友だちや、
新興宗教にはまった友だちに、
酔っ払ってばかりいる、出来のわるい美容師もいる。
みんなそれぞれの暮らしをかさねてこの歳まで。
音沙汰の知れない友だちは、みんなどうしているのやら。
何年か前に中学校の同級会はあったものの、
高校の同級会は、40年近くやっていない。
懐かしい気持ちはあるものの、会えるも好し、
会えぬも好し。この歳になり、ひと様との出会いの執着も
失せてきた。幸い日々、恵まれた縁に囲まれている。
それで充分ありがたいことと、思っているのだった。
色気なら梅の香ほどが程好くて。