一献の彼方に
卯月 5
上田が舞台のドキュメンタリー、
「一献の彼方に」を観た。
ちいさな酒蔵と、そこにまつわる人々の
物語なのだった。
宿場町の風情が残る柳町に、
岡崎酒造さんがある。
跡とり娘のお嬢さん夫婦が、
「亀齢」という銘柄を醸しているのだった。
棚田百選にも選ばれた、
稲倉の棚田での米作りも始めて、
お蔵さんに農家さん,呼びかけに集まった人々の
田植えをする姿が流れた。
お嬢さんが跡を継いでから、これまでのいきさつや、
米作りを存続させたい棚田保存会の取り組み、
モノだけでなく、お蔵さんの想いも届けたいと
励む居酒屋さんに酒屋さん、
関わったかたがたが、それぞれに想いを語っている。
亀齢といえば、今でこそ銘酒の誉れ高いけれど、
お嬢さんが杜氏として跡を継いだころは、
なかなかひどい味だった。
その割に値段ばかりが高くて、
なんだかなあと思っていたのだった。
お嬢さんにおくれて旦那さんが蔵に入ったころ、
ちょうど、馴染みの飲み屋の日本酒の会に、
出演している宮島酒店さんが、
旦那さんを連れてきたことがある。
「今はまだおすすめできない味です。
けれどきっと生まれ変わります。
よろしくお願いします!」と、
支えている姿を今でも覚えている。
それから何年かしたら、
酒の品評会で亀齢が一等賞をとったと、
知らせが飛び込んできた。
まじっすか?
いぶかりながら利いてみれば、
昔の味はどこへやら、
段ちがいに旨くなっていたのだった。
お蔵さんと、
陰で支えた酒屋さんの努力が実った味だった。
日本酒を飲み始めて33年。
縁のあるお蔵さんもいくつかできたのは、
ありがたいことだった。
酌み交わしながら話をうかがえば、
それぞれに、こんにちの旨き味を成すまでの
紆余曲折の物語があると知る。
一献の彼方に、お顔を思い出してしまうことだった。

https://vimeo.com/ondemand/ikkon/406512545?autoplay=1
上田が舞台のドキュメンタリー、
「一献の彼方に」を観た。
ちいさな酒蔵と、そこにまつわる人々の
物語なのだった。
宿場町の風情が残る柳町に、
岡崎酒造さんがある。
跡とり娘のお嬢さん夫婦が、
「亀齢」という銘柄を醸しているのだった。
棚田百選にも選ばれた、
稲倉の棚田での米作りも始めて、
お蔵さんに農家さん,呼びかけに集まった人々の
田植えをする姿が流れた。
お嬢さんが跡を継いでから、これまでのいきさつや、
米作りを存続させたい棚田保存会の取り組み、
モノだけでなく、お蔵さんの想いも届けたいと
励む居酒屋さんに酒屋さん、
関わったかたがたが、それぞれに想いを語っている。
亀齢といえば、今でこそ銘酒の誉れ高いけれど、
お嬢さんが杜氏として跡を継いだころは、
なかなかひどい味だった。
その割に値段ばかりが高くて、
なんだかなあと思っていたのだった。
お嬢さんにおくれて旦那さんが蔵に入ったころ、
ちょうど、馴染みの飲み屋の日本酒の会に、
出演している宮島酒店さんが、
旦那さんを連れてきたことがある。
「今はまだおすすめできない味です。
けれどきっと生まれ変わります。
よろしくお願いします!」と、
支えている姿を今でも覚えている。
それから何年かしたら、
酒の品評会で亀齢が一等賞をとったと、
知らせが飛び込んできた。
まじっすか?
いぶかりながら利いてみれば、
昔の味はどこへやら、
段ちがいに旨くなっていたのだった。
お蔵さんと、
陰で支えた酒屋さんの努力が実った味だった。
日本酒を飲み始めて33年。
縁のあるお蔵さんもいくつかできたのは、
ありがたいことだった。
酌み交わしながら話をうかがえば、
それぞれに、こんにちの旨き味を成すまでの
紆余曲折の物語があると知る。
一献の彼方に、お顔を思い出してしまうことだった。

https://vimeo.com/ondemand/ikkon/406512545?autoplay=1
飲みに出られずに
卯月 4
料理雑誌のダンチュウは、
ときどき酒に絡んだ特集を組む。
5月号の特集は、
「自由で、きまま、ひとり呑み」だった。
ひとり呑み、好いですね。
ふらりと飲みに出ても
文句を言う身内もいないから、
いつも気ままに、ひとりで通りを下りていく。
馴染みの店のカウンターに落ち着いて、
お通しをつまみにビールを一杯。
その日の気分で肴を選んで、
あとは日本酒を粛々と。
店が空いていれば、
ご主人と、この頃の近況なんぞを語り合い、
気の合う常連さんが入って来れば、
お久しぶりですと酌み交わし、
ひとり酒が楽しいのも、ひとりを癒してくれる
お相手ががいるからだった。
早く、そんないつもの暮らしが戻ってこぬものか、
連日のコロナ騒ぎにため息が出るのだった。
コロナのおかげで、町から人がいなくなり、
飲食店が、のきなみ休業を余儀なくされている。
長野市では、飲み屋の並ぶ権堂のキャバクラで
感染者が出た。感染した20代の女の子は、
すこし前に東京に行っていたといい、
このご時世に、なんで東京いくのかねとあきれた。
界隈の店には、
輪をかけてダメージが広がってしまうのだった。
そんなわけでこのところ、
家呑みの夜がつづいている。
ダンチュウのページをめくっていくと、
敬愛する、居酒屋評論家の、
太田和彦さんが載っていた。
ふだんの家呑みについて語っていて、
家呑みでいちばん大事なのは、
何もしないことという。
テレビもつけず、音楽も聴かず、背筋を伸ばして
お盆の上の酒に専念する。
定量は、ビール一本に、日本酒正一合半という。
・・それっぽっちしか飲まないんですか・・・
一合半なんて、呼び水じゃないですか・・・
いつもだらだらと杯をかさね、テレビをつけたまま
茶の間でつぶれている身には、
なかなか遠い道のりなのだった。

料理雑誌のダンチュウは、
ときどき酒に絡んだ特集を組む。
5月号の特集は、
「自由で、きまま、ひとり呑み」だった。
ひとり呑み、好いですね。
ふらりと飲みに出ても
文句を言う身内もいないから、
いつも気ままに、ひとりで通りを下りていく。
馴染みの店のカウンターに落ち着いて、
お通しをつまみにビールを一杯。
その日の気分で肴を選んで、
あとは日本酒を粛々と。
店が空いていれば、
ご主人と、この頃の近況なんぞを語り合い、
気の合う常連さんが入って来れば、
お久しぶりですと酌み交わし、
ひとり酒が楽しいのも、ひとりを癒してくれる
お相手ががいるからだった。
早く、そんないつもの暮らしが戻ってこぬものか、
連日のコロナ騒ぎにため息が出るのだった。
コロナのおかげで、町から人がいなくなり、
飲食店が、のきなみ休業を余儀なくされている。
長野市では、飲み屋の並ぶ権堂のキャバクラで
感染者が出た。感染した20代の女の子は、
すこし前に東京に行っていたといい、
このご時世に、なんで東京いくのかねとあきれた。
界隈の店には、
輪をかけてダメージが広がってしまうのだった。
そんなわけでこのところ、
家呑みの夜がつづいている。
ダンチュウのページをめくっていくと、
敬愛する、居酒屋評論家の、
太田和彦さんが載っていた。
ふだんの家呑みについて語っていて、
家呑みでいちばん大事なのは、
何もしないことという。
テレビもつけず、音楽も聴かず、背筋を伸ばして
お盆の上の酒に専念する。
定量は、ビール一本に、日本酒正一合半という。
・・それっぽっちしか飲まないんですか・・・
一合半なんて、呼び水じゃないですか・・・
いつもだらだらと杯をかさね、テレビをつけたまま
茶の間でつぶれている身には、
なかなか遠い道のりなのだった。
上田の桜を
卯月 3
休日の午後、上田へ出かけた。
学校帰りの子供たちに混ざって、電車に
揺られていく。
ゲームにいそしむ男の子に、
にぎやかに笑い声をあげる女の子たち、
みんなしっかりマスクをして、用心に怠りがない。
目を引いたのは、詰襟姿の三人組。
揃って背が高く、マスクをしていても、
顔立ちの良さがわかる。
スラムダンクみたいでかっちょいいのお。
学校でもてるんだろうなあ。
思わず見とれてしまったのだった。
駅を出て城跡公園へ向かえば、
上田高校の正門前のお堀で、
水抜きの機械がごぼっごぼっ音を立てている。
放課後の校舎から、
じゃかすかにぎやかな音楽が聞こえてきた。
城跡公園の、
城門前のしだれ桜は先週が満開だった。
まだ見ごろの花が栄えていて、
写真に収める人たちがいる。
門をくぐってお堀のまわりを歩けば、
ソメイヨシノは満開のちょい手前。
先々につぼみの枝がまだあった。
今年はコロナウイルスのおかげで、
千本桜まつりが中止になった。
いつもなら、
ぐるっとお堀を囲むテキ屋の屋台もなく、
さっぱりとしている。
犬の散歩に来た人に、
少しうるさいおばさん連中に、
ちいさな子供を連れたご夫婦など、
ぽつぽつと花見客のすぎるなか
護国神社のうぐいすの鳴き声が、
ひときわ澄んで響いていた。
公園を出て、
袋町のやきとりやまちゃんへ行ったら、
あいにくと閉店でふられた。
ちいさな飲み屋の並ぶ小路をうろうろすると、
あちこち、看板の灯りを目にするものの、
歩く人の姿がない。このご時世に
昭和の風情の町なみに、
よけいに寂しさを感じてしまったのだった。
自家焙煎珈琲の、
喫茶コロナの前を通ると、
なんだかお気の毒さまですの気分に
なってしまった。
長野に戻って一杯と決めて、通りを下って駅へと戻る。
通り沿いの串カツ屋では、
お客のいない店内で、
女の子が、手持ち無沙汰にスマホをいじっていた。
あさまの車窓から暮れゆく山並みを眺めれば、
この先どうなるのかねえと、ふと頭によぎる。
桜参りのあとの缶酎ハイも、味気がないのだった。
終わりが見えずに。
卯月 2
コロナウイルスのおかげで、
町の空気が沈んでいる。
善光寺の参道にもお客の姿がなくなって、
これでは、土産物屋も蕎麦屋も大変なことと、
案じられてしまった。
仕事場にいても、
外からぜんぜん車の音が聞こえない。
柱時計のカチコチがいつもより耳について、
余計にわびしさがつのるのだった。
よもや、こんな春になるとは思わなかったなあ。
毎年大勢の花見客で混雑する、
伊那の高遠城址公園が閉鎖をしたという。
長野市の城山公園は、毎年桜の季節には、
花見茶屋が立つ。
4軒のうち、3軒は早々に出店を取りやめて、
やる気だった1軒も、
せっかくプレハブ小屋まで建てたのに、
長野市に感染者が出たのを受けて、
泣く泣く中止を決めた。
須坂の臥竜公園は、
夜のライトアップをやめるといい、
今年は、桜の名所100選の、
幻想的な夜桜を拝めない。
先日、馴染みの酒屋さんに一升瓶を配達して
もらったら、
こんなときにありがとうございますと、
お礼を言われた。
外出自粛で、飲み屋にお客が行かなくなり、
酒の注文が減ってしまったのだった。
飲み屋がひまになれば、
酒屋も八百屋も肉屋も魚屋もひまになる。
悪循環に、みんなが困り果てている。
飲み屋の中には、日にちを限って営業したり、
従業員やお客の安全を考えて、苦渋の決断で、
まったく休業したところもある。
馴染みの店のカウンターで、
杯を傾けながらご主人と話をすれば、
いちばん困るのは先が見えないことという。
ウイルスの感染が長引けば、
お偉いかたから30万円もらったって、
そんなの雀のなみだという。
尽きない不安が伝わってきて、
酒もやけに、のど越しがわるいことだった。

コロナウイルスのおかげで、
町の空気が沈んでいる。
善光寺の参道にもお客の姿がなくなって、
これでは、土産物屋も蕎麦屋も大変なことと、
案じられてしまった。
仕事場にいても、
外からぜんぜん車の音が聞こえない。
柱時計のカチコチがいつもより耳について、
余計にわびしさがつのるのだった。
よもや、こんな春になるとは思わなかったなあ。
毎年大勢の花見客で混雑する、
伊那の高遠城址公園が閉鎖をしたという。
長野市の城山公園は、毎年桜の季節には、
花見茶屋が立つ。
4軒のうち、3軒は早々に出店を取りやめて、
やる気だった1軒も、
せっかくプレハブ小屋まで建てたのに、
長野市に感染者が出たのを受けて、
泣く泣く中止を決めた。
須坂の臥竜公園は、
夜のライトアップをやめるといい、
今年は、桜の名所100選の、
幻想的な夜桜を拝めない。
先日、馴染みの酒屋さんに一升瓶を配達して
もらったら、
こんなときにありがとうございますと、
お礼を言われた。
外出自粛で、飲み屋にお客が行かなくなり、
酒の注文が減ってしまったのだった。
飲み屋がひまになれば、
酒屋も八百屋も肉屋も魚屋もひまになる。
悪循環に、みんなが困り果てている。
飲み屋の中には、日にちを限って営業したり、
従業員やお客の安全を考えて、苦渋の決断で、
まったく休業したところもある。
馴染みの店のカウンターで、
杯を傾けながらご主人と話をすれば、
いちばん困るのは先が見えないことという。
ウイルスの感染が長引けば、
お偉いかたから30万円もらったって、
そんなの雀のなみだという。
尽きない不安が伝わってきて、
酒もやけに、のど越しがわるいことだった。
しずかな春に
卯月 1
自宅の前の路地の突き当りに、
氏神さんの伊勢社がある。
石段を上がった鳥居の前に、
2本の桜の木があるのだった。
3月終わり、ぽつりぽつりと淡色の花が
開花した。
缶ビールと柿のたねをぶらさげて、
徒歩30秒で花見ができるのは、
ありがたいことだった。
その昔、どこのどなたが植えてくれたものやら。
桜が咲くたびに、お顔も知らないそのかたに
感謝をしている。
このたびは、
ことさら、桜に癒される春になってしまった。
コロナウイルスの広がりが
収まらないせいだった。
えらい人から外出の自粛を呼びかけられて、
町がしずかになっている。
ふだんひと気のすくない町内も、
輪をかけて、行き来する車や人がなくなって、
しんとしている。
ときおり重たい音をひびかせて、
バスが通っていくだけだった。
馴染みの飲み屋へ顔を出せば、
すっかり客足が遠のいて、
なかなかきびしいですよ~とご主人が嘆く。
小学校の校長先生をしている友だちがいる。
先日、定年前の最後の転勤があった。
どこかのどかな山の学校で、
子供たちとのんびり過ごせればと、
のんきに構えていたら、
よりによって、全校生徒700人あまりの、
大規模校に飛ばされてしまったのだった。
新入生も120人入学してくるといい、
生徒が多ければ、
それだけウイルスの感染の危険も増える。
緊張感と不安と心配の、新年度の始まりだった。
身近なところにもウイルスの影響が出て、
ふだんぼんやり生きているひとり身も、
言いようのない不安がぬぐえない。
まして家族を抱えているかたがたの心労は
いかばかりのことかと思う。
早く皆が安心して暮らせるよう、
願いつつ、卯月を迎えたのだった。。

自宅の前の路地の突き当りに、
氏神さんの伊勢社がある。
石段を上がった鳥居の前に、
2本の桜の木があるのだった。
3月終わり、ぽつりぽつりと淡色の花が
開花した。
缶ビールと柿のたねをぶらさげて、
徒歩30秒で花見ができるのは、
ありがたいことだった。
その昔、どこのどなたが植えてくれたものやら。
桜が咲くたびに、お顔も知らないそのかたに
感謝をしている。
このたびは、
ことさら、桜に癒される春になってしまった。
コロナウイルスの広がりが
収まらないせいだった。
えらい人から外出の自粛を呼びかけられて、
町がしずかになっている。
ふだんひと気のすくない町内も、
輪をかけて、行き来する車や人がなくなって、
しんとしている。
ときおり重たい音をひびかせて、
バスが通っていくだけだった。
馴染みの飲み屋へ顔を出せば、
すっかり客足が遠のいて、
なかなかきびしいですよ~とご主人が嘆く。
小学校の校長先生をしている友だちがいる。
先日、定年前の最後の転勤があった。
どこかのどかな山の学校で、
子供たちとのんびり過ごせればと、
のんきに構えていたら、
よりによって、全校生徒700人あまりの、
大規模校に飛ばされてしまったのだった。
新入生も120人入学してくるといい、
生徒が多ければ、
それだけウイルスの感染の危険も増える。
緊張感と不安と心配の、新年度の始まりだった。
身近なところにもウイルスの影響が出て、
ふだんぼんやり生きているひとり身も、
言いようのない不安がぬぐえない。
まして家族を抱えているかたがたの心労は
いかばかりのことかと思う。
早く皆が安心して暮らせるよう、
願いつつ、卯月を迎えたのだった。。