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職人技に

2019年03月30日

 へこりと at 12:54  | Comments(0)
弥生 5

路地を挟んだ向かいのお宅の塀ぎわに、
でかいもみの木が立っている。
ビルの3階ほどの大きさで、緑の2等辺三角形を、
うっそうと茂らせている。
芽吹きどきのころ、風にあおられて
黄色い花粉が洪水のように舞っていくと、
見ているだけで鼻水が出てくるのだった。
弥生の上旬、向かいのお宅の奥さんが、
出入りの植木職人さんと、菓子折りを持ってやってきた。
このたび、もみの木を伐採することにしたという。
作業の間迷惑をかけますがというのだった。
こんなにでかくなりすぎちゃって、
いったいどうするんだろう。
台風が来たら倒れやしないか心配だ。
ご近所さんも気にかけていたから、
憂いごとがなくなるのは、ひと安心なことだった。
間をおいた弥生下旬、植木職人さんが、
ひげ面の、腰にロープとカタビラを
たくさんぶら下げたおにいさんを連れてきた。
大木の伐採を生業にしている、木こりさんだった。
作業の様子を眺めていたら、
幹の下の枝をチェーンソーで刈り取って、
ロープを伝って上へ行き、枝を刈ってまた上へ。
ばっさばっさと枝を落としながら、
忍者のようにするすると、てっぺんへ向かっていく。
たどり着いたときには、一本立ちの幹だけの、
せいせいとした姿になった。
次の日、今度は上から幹を少しづつ、
輪切りにして降ろしていく。
勇ましいチェーンソーの音が響くなか、
どんどん低くなり、最後のひと太刀加えたら、
威風堂々としたもみの木が、
さっぱりあとかたもなくなった。すごいなあ。
2日にわたる職人技に、ほれぼれと見とれた。
視界が開けて路地が明るくなって良かった。
しかし気がかりごとができてしまった。
冬になるともみの木が、
我が家への北風をさえぎってくれていた。
風通しがよくなって、
来年の冬はもっと寒いかもしれない。
春が来たというのに、もう冬の心配をしている。
なんともアホなことだった。


  


キャッシュレスのご時世に

2019年03月26日

 へこりと at 15:49  | Comments(0)
弥生 4

客商売をしていると、いろんな人が訪ねてくる。
ひんぱんに来るのはクロネコさんで、
荷物の配達に、集荷の依頼にと世話になっている。
乳製品の営業のかたが来たときは、
試供品をたくさんくれたから、つい契約をしてしまった。
キリスト教の普及に励む人もやってくる。
冊子をよこして、しばし聖書のお話をされていく。
御先祖さまからの浄土宗だから、
あまり興味はないものの、ここ最近お見えになっていない。
来なければ来ないで気になるのだった。
銀行や保険会社の営業さんが、
にこにこと定期や保険の勧誘に来るときがある。
そのたびに苦笑いで、ない袖は振れませんと、
無駄足を踏ませている。
平日の夕方、背広姿の青年が訪ねてきた。
最近、知り合いの店でも扱いはじめた、
スマホ決済の会社のかただった。
お金を使わずにスマホで決済を、
取り入れませんかとのお誘いだった。
世話になっているお客は、中高年から年配のかたが多い。
使う人いるかなあといぶかしんだら、
紙幣や硬貨を作るにも費用がかかる。
国のお偉いかたがたはその費用を抑えるために、
作る量を減らしているという。
いまにみんなが、カードやスマホで支払いを
済ませるようになるというのだった。
果たしてそんなご時世まで
商いをつづけていられるのか、
はなはだ心もとないものの、
無料で登録できるというし、感じの良い青年だったから、
お願いすることにした。
そうはいっても、自ら使うことはない。
カードやスマホの支払いばかりでは、
飲み屋でしたたかに酔ったあと、
にいちゃん、ごちそうさま。お代はここに置いとくよ。
いいんだ、釣りはとっときな。
などと、寅さんみたいに見栄張って、
粋がることも出来ないではないか。
なんとも味気なくてつまらない。
本日の稼ぎをかたく握りしめて、
恋しい飲み屋へ出向くのだった。




  


花粉の到来に

2019年03月23日

 へこりと at 14:10  | Comments(0)
弥生 3

この春、花粉のいきおいが素晴らしい。
夕方の日も伸びて、朝夕まだ寒い日があるものの、
昼間の陽射しの暖かさに、気持ちも和やかになる。
まわりの木々から早々に
うぐいすの鳴き声が聞こえ、
善光寺の境内の梅も咲きだした。
桜の開花も例年よりも早いというし、
見ごろの桜を逃さぬように、気もそぞろになる。
待ちわびた春なのに、
今年も花粉の到来に、やられているのだった。
花粉症になって30年あまり。
毎春4月の下旬まで、薬を飲んで鼻水を抑える日がつづく。
幸い近所の薬屋が、良い飲み薬と目薬を扱っていて、
ここ何年もずっと世話になっている。
いつもの年なら毎朝1回薬を飲めば、
まる1日しのげていた。
ところが今年に限っては、薬の効果が半日しか持たない。
目のかゆみもつよく、ひまさえあれば目薬をさしている。
体もだるいし頭も重い。
今年は花粉の飛散が多いと聞いていたものの、
まさに身を持って実感している毎日だった。
ふだん屋内で仕事をしてる身でこのありさまだから、
営業や肉体労働で
外を動いている花粉症のかたがたは、
さぞやつらいことと察しられるのだった。
そういえば、このところひとり酒に出ていない。
酒好きで、飲み屋通いを愛する身でも、
外へ出るのをためらってしまうほどだった。
足が遠のいている馴染みの店を思い出しては、
ほぞを噛んでいるのだった。
月に一度、馴染みのおでん屋で、
日本酒の会をやっている。
常連さんがひとり一本持ち寄って、
味の利き比べをする。
昨夜も名だたる銘柄が揃って、美味しいひとときを過ごした。
したたかに酔っぱらって、お先に失礼と帰路についても、
そのままつぶれるわけにはいかない。
翌朝の鼻水が大変なことになるのだった。
ふらふらと素っ裸になって、
いきおいよく、シャワーで本日の花粉を流した。




  


ソール・ライター展へ

2019年03月14日

 へこりと at 14:21  | Comments(0)
弥生 2

関西に暮らす友だちがいる。
昨年、うだるような暑い夏のさなか、
涼しげな、雪の写真のはがきを送ってきた。
写真家ソール・ライターの展覧会に
行ってきたというのだった。
気をひかれて調べてみたら、この3月から、
新潟県立万代島美術館で、展覧会があるという。
待ちわびての、新潟詣でと相成った。
新潟駅を出ると、春先の雨に町がおおわれている。
悠々とした、信濃川の流れを見ながら万代橋を渡ると、
きれいなビルと古いビルが立ち並ぶ、
平成と昭和の混在した町並みがあった。
その日の夜は、昭和の風情の古町の居酒屋で、
在住する友だちと、
久しぶりの一献を交わした。
次の日、二日酔いのけだるさを伴って、
信濃川沿いに高々そびえる、
朱鷺メッセの中の、美術館へ出かけた。
ソール・ライターは、1923年生まれの写真家で、
2013年にこの世を去っている。
生涯のほとんどを、
ニューヨークのひと画で暮らしていたといい、
作品の多くが界隈で撮られたものだった。
車や店の窓越し、高架鉄道から見下ろして、
あるいは雪や雨の湿った空気の中、
行き交う人や働く人を切り取っている。
生前、日本の美術を愛していたといい、
所蔵していた日本画などの蔵書も展示されていた。
目を引きつけて止まない作品の仕立てには、
浮世絵の影響もあったのかとうかがえる。
自身の描いた水彩画も展示されていて、
和紙に描かれた作品もあった。
カラーで撮るときは、
使用期限の切れたフイルムを使っていたという。
今どきの写真にはない、
褪せた色合いと柔らかな輪郭の作品に、
渋くて静かな懐かしさを感じてしまうのだった。
春のはじめに、
ほんとに好い展覧会に来られてよかった。
きっかけをくれた友だちには、
越後の地酒を送って、感謝の意としたいのだった。



  


大信州酒造さんへ

2019年03月05日

 へこりと at 15:57  | Comments(0)
弥生 1

酒蔵見学に出かけた。
とことこ電車に乗って、
豊野町の、大信州酒造さんへおじゃましたのだった。
銘柄の大信州は、品のある華やかな味わいが特徴で、
全国に名を馳せている。
酒徒のあいだで評判になり始めた20年前、
お蔵を訪ねたことがある。
造りの現場を見せてもらったら、
醪(もろみ)の入ったタンクに、
「愛と感謝」と書かれた紙が貼ってあった。
酒造りが出来ることへの想いを込めて、
杜氏の下原多津栄さんが貼ったという。
お会いした杜氏さんは、
80歳すぎとは思えぬかくしゃくとしたかたで、
気さくな笑顔で、貴重な大吟醸の味を利かせてくれた。
ひさしぶりのお蔵は、まだ造りの真っ最中だった。
現杜氏の森本貴之さんによると、
今年の暖冬で、醪の発酵が進みすぎるきらいがあり、
苦労しているという。
使用している米は、長野県産のひとごこちと金紋錦で、
11軒の契約農家さんに作ってもらっている。
おなじ品種でも作り手によって個性がちがうから、
その個性を活かすために、
混ぜないで仕込みに使っているのだった。
米の洗い場では3人の蔵人が、
網に入った米を次々と洗っていた。
洗って水を切って重さを量る。
息もつかせぬ秒単位の動きを見ているだけで、
造りの大変さが伝わってきた。
タンクには、今も「愛感謝」の貼り紙があって、
蔵人ひとりひとりが手書きして貼っているという。
下原杜氏はもう亡くなったのですかと尋ねたら、
御年102歳、だいぶもうろくしたものの、
元気にしているというからおどろいた。
老杜氏の姿勢は、きっちり後の世代に受け継がれて、
美酒を醸しているのだった。
来季から、豊野町から本社のある松本市に蔵を移して
酒を造るという。
気候や風土が変わる中、未知の不安はあるものの、
今より旨い酒をめざすという。
新たな地でどんな味わいが生まれるのか、
今から気になることだった。