信州酒Trapの開催
卯月 十二
長野市民新聞をひろげたら、
見覚えのある、うさんくさい顔がならんでいた。
世話になっている、飲み屋と酒屋のご主人がたで、
ツラ付き合わせて、なにやらよからぬ相談をしている。
このかたたちに会わなければ、旨い酒も知らず、
夜の町で散財することもなく、
健全な日々をおくれたのにとうらめしい。
記事に目をとおせば、
地酒の飲み歩きを楽しんでもらうイベント、
信州酒Trap(トラップ)を開くとある。
お蔵さんと酒屋さんと飲み屋さんが企画して、
長野駅前の五店が参加する。
それぞれの店に、
ふたつのお蔵さんの酒を二種類ずつ用意して、
飲み歩いてもらうという。
別料金で料理も出る。蔵人さんもお越しになるから、
くわしい酒の話も聞けるのだった。
携わる酒屋の新崎さんと峰村さんは、
若いながら、日本酒の普及に熱心で、
お蔵さんからの信頼も厚い。
飲み屋は、いいださんにひ魯ひ魯さんに、
みちのかさんにまんちさんに優羽さん。
料理の味の好さは、身をもってさんざん知っている。
利ける銘柄はといえば、
北光正宗に岩清水に松尾、北信流に豊賀に十九に積善、
聖山に澤の花に信濃鶴と、
若手の蔵人の醸す銘酒がそろう。
例にもれず、日本酒の需要にもきびしいものがある。
そんな中、長野の日本酒の好さを知ってもらう取り組みは、
呑兵衛の身として、応援をしなくてはいけない。
酒Trapの開催は、六月八日の午後一時から六時。
前売り券は千円で、
五月八日から酒屋さん、飲み屋さんで販売するという。
たくさんのかたに来ていただきたいのだった。

長野市民新聞をひろげたら、
見覚えのある、うさんくさい顔がならんでいた。
世話になっている、飲み屋と酒屋のご主人がたで、
ツラ付き合わせて、なにやらよからぬ相談をしている。
このかたたちに会わなければ、旨い酒も知らず、
夜の町で散財することもなく、
健全な日々をおくれたのにとうらめしい。
記事に目をとおせば、
地酒の飲み歩きを楽しんでもらうイベント、
信州酒Trap(トラップ)を開くとある。
お蔵さんと酒屋さんと飲み屋さんが企画して、
長野駅前の五店が参加する。
それぞれの店に、
ふたつのお蔵さんの酒を二種類ずつ用意して、
飲み歩いてもらうという。
別料金で料理も出る。蔵人さんもお越しになるから、
くわしい酒の話も聞けるのだった。
携わる酒屋の新崎さんと峰村さんは、
若いながら、日本酒の普及に熱心で、
お蔵さんからの信頼も厚い。
飲み屋は、いいださんにひ魯ひ魯さんに、
みちのかさんにまんちさんに優羽さん。
料理の味の好さは、身をもってさんざん知っている。
利ける銘柄はといえば、
北光正宗に岩清水に松尾、北信流に豊賀に十九に積善、
聖山に澤の花に信濃鶴と、
若手の蔵人の醸す銘酒がそろう。
例にもれず、日本酒の需要にもきびしいものがある。
そんな中、長野の日本酒の好さを知ってもらう取り組みは、
呑兵衛の身として、応援をしなくてはいけない。
酒Trapの開催は、六月八日の午後一時から六時。
前売り券は千円で、
五月八日から酒屋さん、飲み屋さんで販売するという。
たくさんのかたに来ていただきたいのだった。
金紋錦サミットへ
卯月 十一
二日酔いになっても、記憶をなくしても、落とし物をしても、
懲りずに日本酒を酌んでいる。
知り合いの酒屋さんとフリーの編集者のかたが、
金紋錦サミットをひらいた。
長野県の木島平村で、全国で唯一、
金紋錦という酒米を作っている。
栽培家と酒蔵さんの話を聞いて、酒を利くという催しなのだった。
金紋錦は、
かつては長野県の、あちこちのお蔵さんで使っていたという。
ところが、栽培がむずかしいこと、
造りが大変なことで,しだいに使われなくなった。
長いあいだ、金沢のお蔵の福光屋さんだけが、
木島平の農家さんと契約をして、使っているだけだったという。
ある年、飯山の田中酒造さんが、
余った米をまわしてもらい仕込んだら、
たいそう好い味に仕上がった。
熱心な酒屋さんのあと押しもあり、それからは、
地元の米で評判の好い酒を醸しているのだった。
栽培家のかたは、
好い米にするためには神経を使う。
それでもまだまだ質を上げていきたいという。
農家も高齢者が多いから、
あとを担う若いかたが増えてくれればという。
田中酒造さんに福光屋さん、米を手に入れる経緯から、
求める味わいについて語ってくださった。
新酒に熟成酒、磨いた米と磨かない米、冷やと燗、
それぞれ利いてみれば、どれも口あたり好く、
金紋錦のふところのふかさがうかがえた。
田中酒造さんのあと、
金紋錦を使うお蔵さんもすこしづつ増えている。
宴の席では、
黒帯、水尾、北光正宗、縁喜、北信流、御湖鶴に豊香、
つぎつぎと銘柄がテーブルを埋めていった。
ちいさな北の村で、絶やさず作られてきた米で、
好き酒を造る若いかたがたがいる。
ひととき、
その御苦労のひとかけらを見せていただいた。
酒好きの身は、
めぐまれた地にいることとあらためてわかるのだった。

二日酔いになっても、記憶をなくしても、落とし物をしても、
懲りずに日本酒を酌んでいる。
知り合いの酒屋さんとフリーの編集者のかたが、
金紋錦サミットをひらいた。
長野県の木島平村で、全国で唯一、
金紋錦という酒米を作っている。
栽培家と酒蔵さんの話を聞いて、酒を利くという催しなのだった。
金紋錦は、
かつては長野県の、あちこちのお蔵さんで使っていたという。
ところが、栽培がむずかしいこと、
造りが大変なことで,しだいに使われなくなった。
長いあいだ、金沢のお蔵の福光屋さんだけが、
木島平の農家さんと契約をして、使っているだけだったという。
ある年、飯山の田中酒造さんが、
余った米をまわしてもらい仕込んだら、
たいそう好い味に仕上がった。
熱心な酒屋さんのあと押しもあり、それからは、
地元の米で評判の好い酒を醸しているのだった。
栽培家のかたは、
好い米にするためには神経を使う。
それでもまだまだ質を上げていきたいという。
農家も高齢者が多いから、
あとを担う若いかたが増えてくれればという。
田中酒造さんに福光屋さん、米を手に入れる経緯から、
求める味わいについて語ってくださった。
新酒に熟成酒、磨いた米と磨かない米、冷やと燗、
それぞれ利いてみれば、どれも口あたり好く、
金紋錦のふところのふかさがうかがえた。
田中酒造さんのあと、
金紋錦を使うお蔵さんもすこしづつ増えている。
宴の席では、
黒帯、水尾、北光正宗、縁喜、北信流、御湖鶴に豊香、
つぎつぎと銘柄がテーブルを埋めていった。
ちいさな北の村で、絶やさず作られてきた米で、
好き酒を造る若いかたがたがいる。
ひととき、
その御苦労のひとかけらを見せていただいた。
酒好きの身は、
めぐまれた地にいることとあらためてわかるのだった。
飯山へ
卯月 十
ひさしぶりに飯山へ出かけた。
桜が見頃と聞いたのだった。
夕方の飯山線は、帰宅する学生たちで混んでいる。
立ちんぼうのまま、二両の電車に揺られていく。
沿線の住宅街の桜が風に散っている。
替佐駅をすぎると、国道沿いに目を引く桜が並んでいた。
建設中の飯山駅が見えてきて、
新幹線の開通は、もうすぐのこととなる。
ひとつ先の北飯山駅で降りたら、
ほどなく飯山城址の桜が見えてきた。
坂道を上がっていくと、右手の公園で子供たちが遊んでいる。
四つ並んだ屋台のひとつで、
おじさんが焼き鳥とおでんを売っていた。
石垣の階段を上がったら、
満開の桜がむかえてくれたのだった。
桜の下、千曲川が流れ、はるか残雪の山並みが悠々しい。
提灯に明かりが灯り、
はやばやの団体さんが、花見の支度にとりかかる。
石垣に座っていた女の子は、
アイスを落としてお母さんに叱られている。
青い運動着の女生徒ふたり、
焼き鳥をかじりながら桜を見上げて、なかなかしぶい。
桜のむこうを見下ろせば、
学校のグラウンドで、子供たちが部活に精をだしている。
会社帰りのおじさんたちが、ぞろぞろ坂を上がってきた。
屋台を覗く顔もゆるみ、
おそい桜を待っていたとわかる。
ゆっくり愛でて、葵神社にお参りをして坂を下りた。
坂の下に稲荷大明神があった。
小路に沿ってぶら下がった行燈には、
尊敬し、目標にできるライバルを
暑さ寒さも自然に感謝
りっぱな言葉が書いてある。
いちばんさいごの行燈には、
知恵をしぼって人の三倍働こうとあった。
仕事をさぼって花見に来た身は肩身がせまい。
川沿いの道へ上がったら、菜の花が揺れていた。
連休のころには、菜の花公園も、
いちめん黄色に満たされる。
ひと気のない商店街からわき道へ。
桜の余韻で一杯と、六兵衛さんの戸を開けた。
地野菜の盛り合わせと、サッポロラガーでひと息ついて、
川のある、ちいさな城下町の風情が好い。
菜の花を眺めに、また来たいのだった。
いわしの刺身と豊賀で締めて、駅へ行けばまだ間がある。
うろついて、店先の北光正宗の樽を目にとめた。
迷わず暖簾をくぐり、はしご酒と相成った。

ひさしぶりに飯山へ出かけた。
桜が見頃と聞いたのだった。
夕方の飯山線は、帰宅する学生たちで混んでいる。
立ちんぼうのまま、二両の電車に揺られていく。
沿線の住宅街の桜が風に散っている。
替佐駅をすぎると、国道沿いに目を引く桜が並んでいた。
建設中の飯山駅が見えてきて、
新幹線の開通は、もうすぐのこととなる。
ひとつ先の北飯山駅で降りたら、
ほどなく飯山城址の桜が見えてきた。
坂道を上がっていくと、右手の公園で子供たちが遊んでいる。
四つ並んだ屋台のひとつで、
おじさんが焼き鳥とおでんを売っていた。
石垣の階段を上がったら、
満開の桜がむかえてくれたのだった。
桜の下、千曲川が流れ、はるか残雪の山並みが悠々しい。
提灯に明かりが灯り、
はやばやの団体さんが、花見の支度にとりかかる。
石垣に座っていた女の子は、
アイスを落としてお母さんに叱られている。
青い運動着の女生徒ふたり、
焼き鳥をかじりながら桜を見上げて、なかなかしぶい。
桜のむこうを見下ろせば、
学校のグラウンドで、子供たちが部活に精をだしている。
会社帰りのおじさんたちが、ぞろぞろ坂を上がってきた。
屋台を覗く顔もゆるみ、
おそい桜を待っていたとわかる。
ゆっくり愛でて、葵神社にお参りをして坂を下りた。
坂の下に稲荷大明神があった。
小路に沿ってぶら下がった行燈には、
尊敬し、目標にできるライバルを
暑さ寒さも自然に感謝
りっぱな言葉が書いてある。
いちばんさいごの行燈には、
知恵をしぼって人の三倍働こうとあった。
仕事をさぼって花見に来た身は肩身がせまい。
川沿いの道へ上がったら、菜の花が揺れていた。
連休のころには、菜の花公園も、
いちめん黄色に満たされる。
ひと気のない商店街からわき道へ。
桜の余韻で一杯と、六兵衛さんの戸を開けた。
地野菜の盛り合わせと、サッポロラガーでひと息ついて、
川のある、ちいさな城下町の風情が好い。
菜の花を眺めに、また来たいのだった。
いわしの刺身と豊賀で締めて、駅へ行けばまだ間がある。
うろついて、店先の北光正宗の樽を目にとめた。
迷わず暖簾をくぐり、はしご酒と相成った。
桜が散りはじめ
卯月 九
桜も見頃を終えた。
氏神さんの桜も舞って、路地になごりのはなびらが散っている。
夕方、葉ざくらになりかけの木の下で、
若者たちが酔っぱらっていた。
宴の様子にもわびしさがあるのだった。
翌朝、散歩に出た。
日中、春のあたたかさがあっても、
起きたての空気はすこしつめたい。
写真屋の褪せたビルのむこうに、青空がひろがっている。
往生地の坂を上がって、公園の桜を見上げた。
細い道をすすんで行くと、
ちいさな外車の並んでいる家の前に出た。
陽あたりの好い畑で、りんごの白い花がひらいていた。
往生地界隈は、昔ながらの家と、
おしゃれできれいな家が交ざっている。
働き手がなくなって、耕さなくなった畑に、
あたらしい家族が住むからかもしれない。
朽ち果てた空家のわきに、
朽ち果てたセリカXXが放置されていた。
立ち止まり見わたせば、市街地からかなたの山並みへ、
うすぼんやりとした春の気配がひろがっている。
春に生まれた身は、こんな景色にふさわしい、
ぼんやりとした柄になってしまった。
バードラインの入り口の、小高い桜をながめながら、
川沿いの道を下る。
急な階段を上がって御嶽山神社にお参りをしたら、
賽銭箱のわきに、木曽御嶽山という焼酎がころがっていた。
金網ごしの西高校の桜も散りはじめ、
石垣のすみに、はなびらがかさなっている。
プレハブの部室の窓に、赤いシャツがぶら下がっていた。
友だちの息子が野球部に入っていて、
がんばっているかと思い出す。
玄関先に、菜の花を飾ってある家があって、
ふるい佇まいに、黄色の鮮やかさが似合っていた。
ひとまわり歩いてきたら、
今朝もうぐいすの鳴き声が好くひびく。
松木さんのお宅のつたの葉も茂りだし、
緑の季節になるのだった。

桜も見頃を終えた。
氏神さんの桜も舞って、路地になごりのはなびらが散っている。
夕方、葉ざくらになりかけの木の下で、
若者たちが酔っぱらっていた。
宴の様子にもわびしさがあるのだった。
翌朝、散歩に出た。
日中、春のあたたかさがあっても、
起きたての空気はすこしつめたい。
写真屋の褪せたビルのむこうに、青空がひろがっている。
往生地の坂を上がって、公園の桜を見上げた。
細い道をすすんで行くと、
ちいさな外車の並んでいる家の前に出た。
陽あたりの好い畑で、りんごの白い花がひらいていた。
往生地界隈は、昔ながらの家と、
おしゃれできれいな家が交ざっている。
働き手がなくなって、耕さなくなった畑に、
あたらしい家族が住むからかもしれない。
朽ち果てた空家のわきに、
朽ち果てたセリカXXが放置されていた。
立ち止まり見わたせば、市街地からかなたの山並みへ、
うすぼんやりとした春の気配がひろがっている。
春に生まれた身は、こんな景色にふさわしい、
ぼんやりとした柄になってしまった。
バードラインの入り口の、小高い桜をながめながら、
川沿いの道を下る。
急な階段を上がって御嶽山神社にお参りをしたら、
賽銭箱のわきに、木曽御嶽山という焼酎がころがっていた。
金網ごしの西高校の桜も散りはじめ、
石垣のすみに、はなびらがかさなっている。
プレハブの部室の窓に、赤いシャツがぶら下がっていた。
友だちの息子が野球部に入っていて、
がんばっているかと思い出す。
玄関先に、菜の花を飾ってある家があって、
ふるい佇まいに、黄色の鮮やかさが似合っていた。
ひとまわり歩いてきたら、
今朝もうぐいすの鳴き声が好くひびく。
松木さんのお宅のつたの葉も茂りだし、
緑の季節になるのだった。
臥竜公園へ
卯月 八
ふた晩つづけて、我が家で宴をした。
気のおけないかたがたとの、花見を兼ねたひとときは、
桜と、集まった淑女のかたがたと、旨い酒に酔った。
深酒の余韻を抱えた休日、電車に揺られて須坂へ行った。
桜を愛でに足を運んだのだった。
駅から坂道をまっすぐに上がって、
八百屋のかどを曲がったら、目当ての臥竜公園に着く。
入り口の駐車場には、岡崎、足立、横浜と、
県外の観光バスが並ぶ。
誘導係のおじさんが、乗用車は停められませんと、
つぎつぎとやってくる車に説明をしている。
おじいさんやおばあさんの団体に混ざって歩いてゆくと、
さくら名所百選の碑がむかえてくれた。
平日で、ずらり並んだ屋台はみんなシートをかぶっていた。
十時半からカピバラ親子が、
桜の花びらを浮かべた温泉に入ります。
となりの動物園から案内の放送が流れてくる。
入園料は、大人が二百円で小中学生が七十円。
良心的な価格が好い。
車いすのおばあさんたちが、
桜の下で記念撮影をしている。
若い女の先生が、
青い運動服の子供たちを引率してやってきた。
桜を見上げる前に、きれいな顔の先生に見惚れた。
池のまわりには、手描きの立て札が刺さっている。
池をキレイに ゴミを0に
ようこそ臥竜公園へ 竜ヶ池ボートのりば
描いているのは、ちかくの小山小学校の生徒だった。
茶店のお姉さんに声をかけて、
おでんひと皿とビールを注文した。
池の前に腰かけてほおばれば、
醤油の染みたコンニャクが旨い。
昨年は見頃どきを失って、足を運べなかった。
満開の様子を目にできたのはなによりのことと、
曇天の空に映える桜を眺めた。

ふた晩つづけて、我が家で宴をした。
気のおけないかたがたとの、花見を兼ねたひとときは、
桜と、集まった淑女のかたがたと、旨い酒に酔った。
深酒の余韻を抱えた休日、電車に揺られて須坂へ行った。
桜を愛でに足を運んだのだった。
駅から坂道をまっすぐに上がって、
八百屋のかどを曲がったら、目当ての臥竜公園に着く。
入り口の駐車場には、岡崎、足立、横浜と、
県外の観光バスが並ぶ。
誘導係のおじさんが、乗用車は停められませんと、
つぎつぎとやってくる車に説明をしている。
おじいさんやおばあさんの団体に混ざって歩いてゆくと、
さくら名所百選の碑がむかえてくれた。
平日で、ずらり並んだ屋台はみんなシートをかぶっていた。
十時半からカピバラ親子が、
桜の花びらを浮かべた温泉に入ります。
となりの動物園から案内の放送が流れてくる。
入園料は、大人が二百円で小中学生が七十円。
良心的な価格が好い。
車いすのおばあさんたちが、
桜の下で記念撮影をしている。
若い女の先生が、
青い運動服の子供たちを引率してやってきた。
桜を見上げる前に、きれいな顔の先生に見惚れた。
池のまわりには、手描きの立て札が刺さっている。
池をキレイに ゴミを0に
ようこそ臥竜公園へ 竜ヶ池ボートのりば
描いているのは、ちかくの小山小学校の生徒だった。
茶店のお姉さんに声をかけて、
おでんひと皿とビールを注文した。
池の前に腰かけてほおばれば、
醤油の染みたコンニャクが旨い。
昨年は見頃どきを失って、足を運べなかった。
満開の様子を目にできたのはなによりのことと、
曇天の空に映える桜を眺めた。
城山公園の桜も
卯月 七
城山公園の桜が満開になった。
昼間、おばさんの群れや、
ちいさい子を連れたおかあさんたちが上がって行き、
陽が落ちたころに、会社帰りのおじさんたちが、
足早にすぎてゆく。
出向いてみれば、たくさんの人が訪れて、
車も列を成している。
野球場あとの、公園の桜の枝ぶりも伸びて、
見ばえ好く咲いている。
花粉が舞って、うすぼんやりした空気のむこう、
里山の桜も染まっていた。
桜の下でにぎやかに酌み交わす団体に、
静かにビールを飲んでいる女同士、
酔ったおじさんが、トイレはどこかと探している。
花見小屋も満席で、
スーツ姿のおじさんお兄さんお姉さんが
宴の席に興じている。
暗闇の桜の下では、
若いカップルが町の灯を見下ろしながら、
肩を並べて座っていた。
桜の艶気にそそのかされる春は、うらやましいことだった。
通り沿いの屋台にも人が集まっていて、
テキ屋のお兄さんもいそがしい。
近くの女子高の生徒がふたり、
道ばたに腰かけてたこ焼きを食べている。
規則のきびしい学校だから、
見つかったら怒られると心配になった。
おかあさんが、桜をバックに子供の写真を撮っている。
こっちむいてといえば、お姉ちゃんはピースをして、
にっこり笑う。ちっちゃい弟は、
そのたびよそ見をするから、ほらほらもう一回、
何度も撮りなおしていた。
蕾がおおきくなれば、開花のときを早々に待ち、
咲いてしまえば散りどきが気にかかる。
毎年、春は気持ちが落ちつかない。
週末、天気の様子があやしい。
月曜日まで花見の予定を立てていた。
持ちこたえてくれますよう、
空の案配を気にしているのだった。

城山公園の桜が満開になった。
昼間、おばさんの群れや、
ちいさい子を連れたおかあさんたちが上がって行き、
陽が落ちたころに、会社帰りのおじさんたちが、
足早にすぎてゆく。
出向いてみれば、たくさんの人が訪れて、
車も列を成している。
野球場あとの、公園の桜の枝ぶりも伸びて、
見ばえ好く咲いている。
花粉が舞って、うすぼんやりした空気のむこう、
里山の桜も染まっていた。
桜の下でにぎやかに酌み交わす団体に、
静かにビールを飲んでいる女同士、
酔ったおじさんが、トイレはどこかと探している。
花見小屋も満席で、
スーツ姿のおじさんお兄さんお姉さんが
宴の席に興じている。
暗闇の桜の下では、
若いカップルが町の灯を見下ろしながら、
肩を並べて座っていた。
桜の艶気にそそのかされる春は、うらやましいことだった。
通り沿いの屋台にも人が集まっていて、
テキ屋のお兄さんもいそがしい。
近くの女子高の生徒がふたり、
道ばたに腰かけてたこ焼きを食べている。
規則のきびしい学校だから、
見つかったら怒られると心配になった。
おかあさんが、桜をバックに子供の写真を撮っている。
こっちむいてといえば、お姉ちゃんはピースをして、
にっこり笑う。ちっちゃい弟は、
そのたびよそ見をするから、ほらほらもう一回、
何度も撮りなおしていた。
蕾がおおきくなれば、開花のときを早々に待ち、
咲いてしまえば散りどきが気にかかる。
毎年、春は気持ちが落ちつかない。
週末、天気の様子があやしい。
月曜日まで花見の予定を立てていた。
持ちこたえてくれますよう、
空の案配を気にしているのだった。
春に思い出し
卯月 六
近所を散歩していると、
軒先やちいさな畑の隅で、梅やあんずが満開になっている。
花が咲いて、善光寺界隈にも人の姿が増えてきた。
おもての通りから顔を向ければ、
路地の先、氏神さんの桜がまっすぐ目に入る。
桜にひかれて路地に入ってくるかたも、ちらほらといる。
男性ふたり、氏神さんの階段に腰かけて、
しきりにスマホをいじっているのを見かけた。
スマホなど見てないで桜を見なさい。
つい命令したくなる。
朝いちばん、近所のおばあさんを訪ねた。
体調をくずしてから外出がままならなくなった。
ときどき髪を切りに来てくれと頼まれるのだった。
おはようございますと戸を開ければ、
すでに廊下の椅子にちょこんと座って待っていた。
髪を切っているあいだ、耳のとおいおばあさんのかわりに、
おじいさんが話し相手をしてくれる。
おじいさんは御年九十二歳。
かくしゃくとした動きぶりに話しぶりは、
歳よりもずっと若く見える。
この頃はばあさんがこんな調子だから、
花見もご無沙汰しているという。
城山公園は、週末あたりが見頃です。
陽気も好いことだからと勧めた。
この歳になり春をむかえると、
昔の仲間のことを思いだすことが多くなったという。
戦争中、鹿児島や大分で飛行機の整備をしていた。
白いマフラーをなびかせて、あのころの飛行機乗りは、
みんなかっこがよかったという。
飛んでいく姿を見送って、
そのまま会えなくなったかたがたくさんいた。
運よく生き延びて、おかげでこうしてこいつと暮らしていると、
おばあさんを見て笑う。
ばかげた戦争でしたと口にしたら、
あとから知れば、ほんとにそうだった。
けれど、
そのときは正しいと信じて疑わなかったと返ってきて、
想像のつかない時代を生きてこられたのだった。
終戦から七十年。
戦争の話を聞ける機会も、ずいぶんすくなくなっている。

近所を散歩していると、
軒先やちいさな畑の隅で、梅やあんずが満開になっている。
花が咲いて、善光寺界隈にも人の姿が増えてきた。
おもての通りから顔を向ければ、
路地の先、氏神さんの桜がまっすぐ目に入る。
桜にひかれて路地に入ってくるかたも、ちらほらといる。
男性ふたり、氏神さんの階段に腰かけて、
しきりにスマホをいじっているのを見かけた。
スマホなど見てないで桜を見なさい。
つい命令したくなる。
朝いちばん、近所のおばあさんを訪ねた。
体調をくずしてから外出がままならなくなった。
ときどき髪を切りに来てくれと頼まれるのだった。
おはようございますと戸を開ければ、
すでに廊下の椅子にちょこんと座って待っていた。
髪を切っているあいだ、耳のとおいおばあさんのかわりに、
おじいさんが話し相手をしてくれる。
おじいさんは御年九十二歳。
かくしゃくとした動きぶりに話しぶりは、
歳よりもずっと若く見える。
この頃はばあさんがこんな調子だから、
花見もご無沙汰しているという。
城山公園は、週末あたりが見頃です。
陽気も好いことだからと勧めた。
この歳になり春をむかえると、
昔の仲間のことを思いだすことが多くなったという。
戦争中、鹿児島や大分で飛行機の整備をしていた。
白いマフラーをなびかせて、あのころの飛行機乗りは、
みんなかっこがよかったという。
飛んでいく姿を見送って、
そのまま会えなくなったかたがたくさんいた。
運よく生き延びて、おかげでこうしてこいつと暮らしていると、
おばあさんを見て笑う。
ばかげた戦争でしたと口にしたら、
あとから知れば、ほんとにそうだった。
けれど、
そのときは正しいと信じて疑わなかったと返ってきて、
想像のつかない時代を生きてこられたのだった。
終戦から七十年。
戦争の話を聞ける機会も、ずいぶんすくなくなっている。
上田の桜
卯月 五
平日なのに人のながれが多い。
第二中学の前を過ぎて信号を渡ったら、
入り口に群れができている。
覗いたら猿まわしをやっていた。
上田城へ花見に来たのだった。
駐車場に屋台がならび、だんごにおやき、
ビールやジュースを売っている。
長い列ができていたのは、おいダレ焼き鳥の屋台だった。
お堀端の桜は見頃の色合いで、
あちこちでカメラを構えるおじさんがいる。
真田神社の境内で、
そろいの制服のちびっ子が行儀よく、
おじさんの話を聞いている。
手をつないで桜を見上げるカップルに、
きれいだねえの孫の言葉に、にこにこ笑うおじいさん。
お堀の内側の芝生では、
桜の下で弁当を広げる人たちがあちこちにいる。
家族連れに友だちどうし、桜が咲くと、
みんながしあわせな顔になるのは好いことだった。
ひとまわりして、屋台のお兄さんに声をかけたら、
調子どうすっかあと聞かれた。
なんの調子か?花粉症か仕事か?
どちらもわるいから、
あんまりよくないと返して、ビールとソーセージを受けとる。
城門前の、しだれ桜のわきでのどを潤せば、
赤い陣羽織の真田幸村公が、
つぎからつぎへと観光客と写真におさまっている。
ボランティアのおじさんは、
シャッターを押してくださいと頼まれつづけていそがしい。
ひさしぶりの蕎麦屋で昼酒をたしなんで、
うつらうつらと電車に揺られて三十分。
別所温泉で湯に浸かる。
春の桜と秋のけやきが、城跡の石垣と櫓に映える。
夏には、威勢の好い祇園祭りと華やかな花火がある。
好さげな飲み屋や蕎麦屋があって、
こうして温泉も近い。落ち着いた風情もあって、
上田に来るたびに、暮らしてみたいと思うのだった。
再び電車で戻れば、ちょうど好い時間となった。
飲み仲間と待ち合わせて、
ほろ酔いの夜桜見物へと引き返した。

平日なのに人のながれが多い。
第二中学の前を過ぎて信号を渡ったら、
入り口に群れができている。
覗いたら猿まわしをやっていた。
上田城へ花見に来たのだった。
駐車場に屋台がならび、だんごにおやき、
ビールやジュースを売っている。
長い列ができていたのは、おいダレ焼き鳥の屋台だった。
お堀端の桜は見頃の色合いで、
あちこちでカメラを構えるおじさんがいる。
真田神社の境内で、
そろいの制服のちびっ子が行儀よく、
おじさんの話を聞いている。
手をつないで桜を見上げるカップルに、
きれいだねえの孫の言葉に、にこにこ笑うおじいさん。
お堀の内側の芝生では、
桜の下で弁当を広げる人たちがあちこちにいる。
家族連れに友だちどうし、桜が咲くと、
みんながしあわせな顔になるのは好いことだった。
ひとまわりして、屋台のお兄さんに声をかけたら、
調子どうすっかあと聞かれた。
なんの調子か?花粉症か仕事か?
どちらもわるいから、
あんまりよくないと返して、ビールとソーセージを受けとる。
城門前の、しだれ桜のわきでのどを潤せば、
赤い陣羽織の真田幸村公が、
つぎからつぎへと観光客と写真におさまっている。
ボランティアのおじさんは、
シャッターを押してくださいと頼まれつづけていそがしい。
ひさしぶりの蕎麦屋で昼酒をたしなんで、
うつらうつらと電車に揺られて三十分。
別所温泉で湯に浸かる。
春の桜と秋のけやきが、城跡の石垣と櫓に映える。
夏には、威勢の好い祇園祭りと華やかな花火がある。
好さげな飲み屋や蕎麦屋があって、
こうして温泉も近い。落ち着いた風情もあって、
上田に来るたびに、暮らしてみたいと思うのだった。
再び電車で戻れば、ちょうど好い時間となった。
飲み仲間と待ち合わせて、
ほろ酔いの夜桜見物へと引き返した。
朝の眺めに
卯月 四
なごりの雪が降ったあと、おだやかな日がつづく。
路地を行く女子中学生たちの笑い声に、
朝の風も光る。
氏神さんの階段を上がってたしかめれば、
桜が開いていた。
春本番になるのだった。
すっかり準備の整った花見小屋は、週末開店となる。
ガラスに貼られたチラシには、
料理のコースは三千五百円から五千五百円。
いささか高いと思ってしまうのは、
日ごろ、なじみの店に出向いては、
手ごろな値段で、
旨い酒と肴を頂いているせいかもしれない。
見下ろした女学校のグラウンドでは、
陸上部の生徒が練習をしていた。
朝の陽射しに、白いジャージがまぶしく映える。
気象台の前を通りすぎれば、
開花宣言ももうすぐのことだった。
ま新しい制服の、
女学校の中学生や高校生が坂道を上がってくる。
登校する小学校の列に、
ぴかぴかのランドセルが重たそうなちびっ子もいる。
美術館の入り口には、
山下清展のポスターが貼ってあり、
白いランニング姿の、芦屋 雁之助を思いだした。
横断歩道では、旗を持ったおじさんが、
おはようと声をかけながら、子供たちを誘導している。
返事を返す元気な子もいれば、
眠たそうな顔をして通りすぎる子もいる。
あたたかくなり、善光寺の境内にも人の数が増えた。
この頃は外人さんの姿も多くなり、
震災の影響が薄れたせいかと目を向ける。
桜が満開になればこの界隈も、
昼夜問わずにぎやかな日がつづく。
桜の季節は思いのほかにみじかい。
咲くたびに、
陽気の好さがつづくようにと願うのだった。
ひとまわり、近所の様子を眺めてきたら、
早々に、目と鼻がぐずぐずになってきた。
三十年、花粉だけが春の悩みになっている。

なごりの雪が降ったあと、おだやかな日がつづく。
路地を行く女子中学生たちの笑い声に、
朝の風も光る。
氏神さんの階段を上がってたしかめれば、
桜が開いていた。
春本番になるのだった。
すっかり準備の整った花見小屋は、週末開店となる。
ガラスに貼られたチラシには、
料理のコースは三千五百円から五千五百円。
いささか高いと思ってしまうのは、
日ごろ、なじみの店に出向いては、
手ごろな値段で、
旨い酒と肴を頂いているせいかもしれない。
見下ろした女学校のグラウンドでは、
陸上部の生徒が練習をしていた。
朝の陽射しに、白いジャージがまぶしく映える。
気象台の前を通りすぎれば、
開花宣言ももうすぐのことだった。
ま新しい制服の、
女学校の中学生や高校生が坂道を上がってくる。
登校する小学校の列に、
ぴかぴかのランドセルが重たそうなちびっ子もいる。
美術館の入り口には、
山下清展のポスターが貼ってあり、
白いランニング姿の、芦屋 雁之助を思いだした。
横断歩道では、旗を持ったおじさんが、
おはようと声をかけながら、子供たちを誘導している。
返事を返す元気な子もいれば、
眠たそうな顔をして通りすぎる子もいる。
あたたかくなり、善光寺の境内にも人の数が増えた。
この頃は外人さんの姿も多くなり、
震災の影響が薄れたせいかと目を向ける。
桜が満開になればこの界隈も、
昼夜問わずにぎやかな日がつづく。
桜の季節は思いのほかにみじかい。
咲くたびに、
陽気の好さがつづくようにと願うのだった。
ひとまわり、近所の様子を眺めてきたら、
早々に、目と鼻がぐずぐずになってきた。
三十年、花粉だけが春の悩みになっている。
閉店つづきに
卯月 三
春になり、早朝のひと走りにもようやく気がむいてくる。
五時に起きて約八キロ。
仕事前の準備運動にちょうど好い。
いつものように桜枝町の通りを走って行ったら、
豆腐屋のガラス戸に貼り紙がしてあった。
三月いっぱいで閉店します。長い間ありがとうございました。
店じまいの知らせだった。
毎朝、開け放ったガラス戸のむこうで、
ジャイアンツの帽子をかぶったおじさんが、
奥さんと豆腐を作っていた。
湧き上がる湯気の中でもくもくと作業をしていて、
通るたび、すっかりあたりまえの景色になっていた.
ずいぶん前に豆腐を買いに行ったことがある。
応対した奥さんは、いらっしゃいませも笑顔もなく、
お金を受け取ると、黙って奥へ引っこんでいった。
みごとなくらいの愛想のなさも、
店じまいとなると妙になつかしい。
桜枝町は昨年から、肉屋、毛糸屋、魚屋と、
たてつづけに商いをやめてしまった。
酒好きの父は、
魚屋のまぐろとかじきの刺身で一杯が気に入りだったから、
店じまいをしきりに残念がっていた。
まだがんばっている店もあって、
郵便局の職員さんは、いつも元気よくむかえてくれる。
愛想の好いパン屋のおばさんは、
夕方に伺うと、売れ残ったパンをおまけしてくれる。
電気屋ではきれいなお嬢さんが、
お父さんといっしょに働いている。
近ごろは、門前界隈で店を始める若いかたもいて、
閉店した桜枝町の美容室も、
ほどなく雑貨屋にさま変わりをした。
店じまいをしたら、更地にして駐車場。
殺風景な景色にならずに済むのは、
界隈になじんだ身にはありがたいことだった。
このごろ伊勢町の布団屋の前に、
ニッカポッカのおじさんたちがいた。
がしゃがしゃ音のひびく日がつづいたら、
すっかり店がなくなって、うらの住まいが顔を出した。
またひとつ見慣れた店がなくなって、
さみしいことではあるけれど、長いあいだの働きづめ、
ごくろうさまでしたとねぎらいたい。

春になり、早朝のひと走りにもようやく気がむいてくる。
五時に起きて約八キロ。
仕事前の準備運動にちょうど好い。
いつものように桜枝町の通りを走って行ったら、
豆腐屋のガラス戸に貼り紙がしてあった。
三月いっぱいで閉店します。長い間ありがとうございました。
店じまいの知らせだった。
毎朝、開け放ったガラス戸のむこうで、
ジャイアンツの帽子をかぶったおじさんが、
奥さんと豆腐を作っていた。
湧き上がる湯気の中でもくもくと作業をしていて、
通るたび、すっかりあたりまえの景色になっていた.
ずいぶん前に豆腐を買いに行ったことがある。
応対した奥さんは、いらっしゃいませも笑顔もなく、
お金を受け取ると、黙って奥へ引っこんでいった。
みごとなくらいの愛想のなさも、
店じまいとなると妙になつかしい。
桜枝町は昨年から、肉屋、毛糸屋、魚屋と、
たてつづけに商いをやめてしまった。
酒好きの父は、
魚屋のまぐろとかじきの刺身で一杯が気に入りだったから、
店じまいをしきりに残念がっていた。
まだがんばっている店もあって、
郵便局の職員さんは、いつも元気よくむかえてくれる。
愛想の好いパン屋のおばさんは、
夕方に伺うと、売れ残ったパンをおまけしてくれる。
電気屋ではきれいなお嬢さんが、
お父さんといっしょに働いている。
近ごろは、門前界隈で店を始める若いかたもいて、
閉店した桜枝町の美容室も、
ほどなく雑貨屋にさま変わりをした。
店じまいをしたら、更地にして駐車場。
殺風景な景色にならずに済むのは、
界隈になじんだ身にはありがたいことだった。
このごろ伊勢町の布団屋の前に、
ニッカポッカのおじさんたちがいた。
がしゃがしゃ音のひびく日がつづいたら、
すっかり店がなくなって、うらの住まいが顔を出した。
またひとつ見慣れた店がなくなって、
さみしいことではあるけれど、長いあいだの働きづめ、
ごくろうさまでしたとねぎらいたい。
文は人なり
卯月 二
ひさしぶりに映画を観た。
神様のカルテ2は、前作同様、
信州は松本の病院が舞台の物語だった。
四季おりおり、松本の風景をおりまぜながら
過酷な仕事と、
家族とのかかわりについて問いかけながら、
物語はすすんでゆく。
櫻井翔に宮崎あおい、主役のふたりに、
このたびから藤原竜也が加わった。
看護師役の、池脇千鶴のちょっと勝気な顔つきは、
男ごころをそそられる。
榎本明に市毛良枝、ベテランのふたりが、
しみじみと、好い深みを出していた。
帰り道のおでん屋で、あと味の余韻に浸りながら、
日本酒を酌んだ。
原作者の夏川草介さんは、
先月まで、信濃毎日新聞に随筆を書いていた。
日々の暮らしの中での思いを、
古風ながらも読みやすく書かれており、
毎回楽しませていただいた。
随筆の最終回では、文は人なりと述べている。
このごろの書物に目を通せば、
派手で過激的な言葉が視界を埋めて、
品のない夜のネオン街のようだといい、
たしかにと思いあたる。
朝、新聞を開くと、
その日発売の、週刊誌の広告が載っている。
芸能人や有名人をそしる見出しは、
見ただけで、読む気が失せてうんざりする。
書き手の人間性は、文体になって現れるといい、
品のある文章は、読み手の気品を育てるとつづく。
このかたの作品の読後感が爽やかなのは、
つねづね、
文は人なりを自覚しているせいと合点がいった。
四月上旬、城山公園の梅が咲いた。
氏神さんの桜の木は、残雪の菅平を背景に、
いまにも咲かんと蕾もおおきくなっている。
路地にはうぐいすの声がひびき、
耳かたむけながら、ゆっくりとすごしている。
この町にも春がきました。
丁寧に言葉を連ねて、
遠くの友だちに手紙を書いてみたくなる。

ひさしぶりに映画を観た。
神様のカルテ2は、前作同様、
信州は松本の病院が舞台の物語だった。
四季おりおり、松本の風景をおりまぜながら
過酷な仕事と、
家族とのかかわりについて問いかけながら、
物語はすすんでゆく。
櫻井翔に宮崎あおい、主役のふたりに、
このたびから藤原竜也が加わった。
看護師役の、池脇千鶴のちょっと勝気な顔つきは、
男ごころをそそられる。
榎本明に市毛良枝、ベテランのふたりが、
しみじみと、好い深みを出していた。
帰り道のおでん屋で、あと味の余韻に浸りながら、
日本酒を酌んだ。
原作者の夏川草介さんは、
先月まで、信濃毎日新聞に随筆を書いていた。
日々の暮らしの中での思いを、
古風ながらも読みやすく書かれており、
毎回楽しませていただいた。
随筆の最終回では、文は人なりと述べている。
このごろの書物に目を通せば、
派手で過激的な言葉が視界を埋めて、
品のない夜のネオン街のようだといい、
たしかにと思いあたる。
朝、新聞を開くと、
その日発売の、週刊誌の広告が載っている。
芸能人や有名人をそしる見出しは、
見ただけで、読む気が失せてうんざりする。
書き手の人間性は、文体になって現れるといい、
品のある文章は、読み手の気品を育てるとつづく。
このかたの作品の読後感が爽やかなのは、
つねづね、
文は人なりを自覚しているせいと合点がいった。
四月上旬、城山公園の梅が咲いた。
氏神さんの桜の木は、残雪の菅平を背景に、
いまにも咲かんと蕾もおおきくなっている。
路地にはうぐいすの声がひびき、
耳かたむけながら、ゆっくりとすごしている。
この町にも春がきました。
丁寧に言葉を連ねて、
遠くの友だちに手紙を書いてみたくなる。

あたらしい年度に
卯月 一
春になり、勤めを辞める人に始める人、
腕を見込まれて、むずかしい仕事を頼まれる人、
今年もまわりで、あらたな一歩のかたがいる。
ひさしく会っていない知り合いが、このごろ会社をやめた。
勤めていたのは、
市内でも老舗で安定した会社だったから、
人づてに聞いて、おどろいて電話をかけた。
ところが、言葉じりがはっきりせず、
関わってもらいたくない気配が見える。
感情の浮き沈みがはげしいかたで、
沈んでいるときに、負のいきおいに乗ってしまったか。
気になるものの、おせっかいな気遣いは、
無用なことと言い聞かせた。
先方の暮らしが変わったことで、縁の切れることがある。
その一方で、変わらずつづく縁もあれば、
切れていたのに再びの縁もある。
息子と娘に訪ねてきてもらった。
パソコンを買い替えたのだった。
機械に疎い身は、
動かすようになるまで、あれこれ迷うことが間違いない。
そんな父とうらはらに、
息子はおどろくほど詳しいのだった。
機種の選定から設定まで、丸投げでおねがいをした。
二十五歳で結婚して、一男一女の親になった。
離婚をしてからずっと会うこともなかったのに、
十六年がすぎたとき、ひょいと会いに来た。
それから連絡をくれるようになり、
ときどき酌み交わしている。
折々、途切れていた間の話を聞けば、
素行不良の父に似て、しくじり交えた育ちぶりと分かる。
それでも、
育児放棄の中途半端な身に会ってくれるのは、
ありがたくて後ろめたくて申しわけがない。
キーボードを見ずに、かちゃかちゃいじる器用さに、
血をひいているとは思えないと感心した。
あっという間に立ち上げてくれたお礼は、
焼き鳥屋の一杯でごまかした。
娘はこのたび、お腹に子供ができたという。
娘にとっても、二十三歳でおかあさんになる、
あらたな春からの一歩なのだった。
我が子が母親になると思ったら、
ちょいと鼻の奥がつんとする。

春になり、勤めを辞める人に始める人、
腕を見込まれて、むずかしい仕事を頼まれる人、
今年もまわりで、あらたな一歩のかたがいる。
ひさしく会っていない知り合いが、このごろ会社をやめた。
勤めていたのは、
市内でも老舗で安定した会社だったから、
人づてに聞いて、おどろいて電話をかけた。
ところが、言葉じりがはっきりせず、
関わってもらいたくない気配が見える。
感情の浮き沈みがはげしいかたで、
沈んでいるときに、負のいきおいに乗ってしまったか。
気になるものの、おせっかいな気遣いは、
無用なことと言い聞かせた。
先方の暮らしが変わったことで、縁の切れることがある。
その一方で、変わらずつづく縁もあれば、
切れていたのに再びの縁もある。
息子と娘に訪ねてきてもらった。
パソコンを買い替えたのだった。
機械に疎い身は、
動かすようになるまで、あれこれ迷うことが間違いない。
そんな父とうらはらに、
息子はおどろくほど詳しいのだった。
機種の選定から設定まで、丸投げでおねがいをした。
二十五歳で結婚して、一男一女の親になった。
離婚をしてからずっと会うこともなかったのに、
十六年がすぎたとき、ひょいと会いに来た。
それから連絡をくれるようになり、
ときどき酌み交わしている。
折々、途切れていた間の話を聞けば、
素行不良の父に似て、しくじり交えた育ちぶりと分かる。
それでも、
育児放棄の中途半端な身に会ってくれるのは、
ありがたくて後ろめたくて申しわけがない。
キーボードを見ずに、かちゃかちゃいじる器用さに、
血をひいているとは思えないと感心した。
あっという間に立ち上げてくれたお礼は、
焼き鳥屋の一杯でごまかした。
娘はこのたび、お腹に子供ができたという。
娘にとっても、二十三歳でおかあさんになる、
あらたな春からの一歩なのだった。
我が子が母親になると思ったら、
ちょいと鼻の奥がつんとする。