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上田好くよく

2013年04月30日

 へこりと at 10:54  | Comments(0)
卯月 十三

電車に乗って上田へ出かけた。
この連休、信濃国分寺で御開帳をやっている。
十二年にいちど、
巳年のときに開かれるというからめずらしい。
国分寺へ行くのは、小学校の社会見学以来のことだった。
天気の良い日だったから、
上田駅で下りてから、のんびりと歩いてゆくと決めた。
昼近くの陽射しがつよく、
上着いちまい脱いで、Tシャツ姿で歩いてもうっすらと汗をかく。
県外ナンバーの車のつづく国道を三キロあまり、
ちいさな山門が見えてきた。
くぐって坂道をあがってゆくと、
参拝客でにぎわっている境内にたどりつく。
回向柱にさわってから、お賽銭を投げ入れて
お参りをした。
我が身の無事は、日ごろ善光寺さんと氏神さんに
おまかせしている。
このたびは、上田に暮らす友だち親子の無事を
よくよくお願いをした。
電車でひと駅、上田の町に戻ってきたら、
この日は真田祭りが行なわれていてにぎわっている。
たてよこおおきな通りが歩行者天国になり、
着ぐるみのキャラクターが、あちこち子供たちを引き連れて
歩いていた。
上田城へむかう道すがら、テンポのいいお囃子にあわせて
半被にふんどし姿の威勢のいい兄さんたちが、
せいやせいやと神輿を練ってすぎてゆく。
城内には、そこかしこにお侍のおじさんたちがいて
のんびりと出番を待っていた。
鎧かぶとの武士がふたり、つぎつぎと記念写真をせがまれて
応えている。
頭をなでられたちいさな子が、いかつい容姿におびえて
顔をひきつらせていたのがかわいい。
城門の前にはステージが作られ、ここでもお侍の役員さんが
ずらっと並んで座っていた。
市長の祭り開催のあいさつのあと、
赤い甲冑姿の真田鉄砲隊の勇ましい射撃が披露され、
拍手につつまれる。
かっぽれ踊りの団体や民謡連合の団体に、
小学校から高校生までのマーチングバンドも繰りだして、
ちいさな城下町の祭りを町のみんなで盛り上げていた。
道をそれてわきの路地に入り込めば、
昔ながらのふるくて静かなたたずまいがある。
いつ来ても、空気の好い町と思えるのだった。


  


先生と呼ばれるには

2013年04月26日

 へこりと at 15:38  | Comments(0)
卯月 十二

母が京都に行ってきた。
菩提寺の御住職が、このたび本山からえらい位を
授かることになった。
授与式を見物に、檀家のかたがたと出かけたのだった。
はなやかな式典のあと、ホテルでパーティーとなる。
京都だから、どんなに美味しい懐石料理が出てくるかと思ったら、
中華料理の晩餐でがっかりしたという。
同行した年下の友だちが、円卓の料理を取り分けてくれる。
そのたびに、さあ、先生どんどん食べてというものだから
聞いていたとなりの見知らぬかたが、
さっきから先生と呼ばれてますが、なんの先生なんですかと
尋ねてきた。
美容師をしていた母は、若いときからお客さんやお弟子さん、
近所のかたに先生と呼ばれていた。
その旨を話したら、なるほどという顔でうなづかれたという。
八十歳をすぎてもおしゃれ魂失わず、
お招きの席へ行くときは、ぴかぴかのかっこうをしていく。
目だった姿のこの先生はなに者かと、興味を持たれたのだった。
この歳になるまでたくさんの先生の世話になってきた。
保育園に小学校に中学校に高校と、
思い返せば恩師にめぐまれた学生生活だった。
母のあとを継いで美容師になったとき、駅前のおおきな店で
修行をさせてもらった。
あきれるほどの不器用さに目をそむけず、
指導してくれたひげ面の先生には、いくら感謝しても足りない。
正直なところ世話にはなったものの、先生と呼びたくない人もいた。
それすらも反面教師と思えば、我が道すじにも活きてくる。
まこと人の縁、うまくいかないことはあっても無駄にはならないのだった。
古い町で仕事をしているから、お客さんのなかには
こちらがうぶ湯に浸かっているときからの常連さんもいる。
母にむけるのとおなじく、この若輩者を先生と呼ぶお年寄りもいて、
そのたび恐縮してはずかしい。
離婚二回、まともな家庭も作れぬまま、
夕方の四時をまわれば、仕事よりも馴染みの飲み屋が気になりだし、
酔うたびに記憶を金星まで飛ばしては、前夜のことをわすれている。
とても先生と呼ばれる代物ではないのだった。




  


ひさしぶりの店と初めての店と

2013年04月25日

 へこりと at 16:53  | Comments(0)
卯月 十一

初めての店で飲み会をした。
早めに家を出て道草をする。
駅のそばの小路を入った突き当たりに
居酒屋がある。
出来たばかりのころ、酔ったいきおいのはしご酒に
一、二度寄ったことがある。
今夜いっしょに飲む友だちが、
あそこはよい店ですと言っていたのを思い出し、
ずいぶんひさしぶりに訪ねたのだった。
カウンターのすみに座って、生ビールとイカの刺身を注文したら、
おひさしぶりです。今日はだし巻きたまごはよろしいですかと
ご主人にいわれたから、
覚えていましたかとおどろいた。
アルバイトの女の子が、おすすめの日本酒をていねいに説明してくれて、
一、二杯、みじかいひとときにお勘定をすれば、
ご主人が表で頭を下げて見送ってくれた。
きちんとしているなあと、またゆっくりうかがいたい。
ほどよくのどを湿らせて、年下の友だちふたりと集まったのは
イタリアンの店だった。
長い酔っ払い人生の中でも、フレンチやイタリアン、
その手の店には馴染みがうすい。
唯一足を運べるのは近所のこまつやさんで、
むかしから馴染んでいる町並みの気楽さに、
ワインを飲みたくなるとサンダルひっかけてうかがっている。
このたびの店は、長らく空いていた古びた居酒屋の店舗を
改装して出来た店だった。
夕方ランニングをしているときに、おしゃれな店先から覗いてみれば、
いつもお客でにぎわっている。
混んでいる初めての店に、ひとりで入るのは勇気がいる。
年下の友だちにきっかけを作ってもらいありがたい。
カルパッチョと、添えられているハーブが美味しい。
歯ざわりと旨みの好いホワイトアスパラは伊那産だという。
説明をしてくれるスタッフの、明るくはきはきした応対も
めりはりある空気を作ってくれる。
白ワイン二本に、赤をグラスで。
さいごに意表をつくお祝いをしてもらい、好い店ですなあと楽しく酔った。
ランチもやっているというから、昼間から飲めるのも好いことだった。
遠方より友きたるのときも使わせていただきたいと
候補に入れるのを忘れないのだった。




  


桜もおわりに

2013年04月23日

 へこりと at 15:21  | Comments(0)
卯月 十

往きつ戻りつの春になっている。
半袖一枚ですごせる日のあとに、冬物を引っ張り出したい日があって、
足つきさだまらない気候に体もしゃきっとせず、
ことに長い間の付きあいの花粉症がひどい。
毎年、朝一回薬を飲めば一日おさまっていたのに、
今年は夕方までもたない。
夜、鼻水をたらしながら酒を飲んでいるさまは、
ぼけたじいさんのようでなさけがない。
この春は読みをまちがえた。
桜の開花予報が出たころに、早々に桜めぐりの予定をたてた。
週にいちどの休みの日、この日はあっち、この日はこっちと
満開の桜を拝めるはずだった。
ところが、ずいぶんの陽気のよさに連打のように咲きはじめ、
予定がくずれた。
まともに目にできたのは近所の城山公園くらいで、
上田城は一週間おそかった。
須坂の臥竜公園にはすっかりふられた。
北信濃、中野の谷厳寺と、飯山城址の桜は咲きはじめがおそい。
まだ間にあうと休みの日の朝、バイクにまたがった。
長野マラソンの次の日だったのだった。
マラソンの当日の朝、ざんざんと雪が降っていておどろく。
友だちやその身内も出場するから、
よりによって今日降らなくてもとうらめしい。
仕事の合間に空をながめ気にしていたら、
ブログやツイッターで顔なじみ全員完走したとわかり
胸をなでおろした。
雪が降ったことをつい忘れていた。
前日の余韻の気温の上がらぬ日で、
バイクで走ってゆくと、
中野に近づくにつれ、風のいきおいがつよくなる。
雪をかぶった山を見ながらすすんで行くと
どうにもさむくて体のふるえもおさまらない。
寝ぼけた頭を覚まそうと、
起きがけに朝風呂に浸かってきたのもまぬけなことで、
湯冷めをして、風邪をひくために走らせているようなものだった。
高台にある谷厳寺から飯山まで、行く気も失せてUターンをしたのは
前日、悪天候のなかを42,195キロを走ったかたがたにくらべ、
なんと軟弱なことかとはずかしい。
帰り道、ここまで来たのだからと須坂の新崎酒店さんに立ち寄って、
島根の李白を二本買い求めたのが、
せめてものなぐさめだった。
桜の季節も、すぎてみればあっというまのこととなる。


  


地元のワインを

2013年04月21日

 へこりと at 12:51  | Comments(0)
卯月 九

日本酒をいただいた。
小布施酒造の生原酒は、こくのある旨みをきれいな酸がまとめている。
このお蔵はふだんワインを造っていて、
むしろ全国的には小布施ワイナリーとして名を馳せている。
日本酒にもワインのボトルを使っていて、
裏ラベルには、ワイナリーのスタッフ全員が、
ぶどう畑の仕事ができない一月の三週間だけ、
日本酒を造ると書いてある。
しろうと考えでいうならば、
ワインはその年どしのぶどうの出来が、おおきく味に影響するとおもう。
かたや日本酒は、多少米の出来がわるくても
工夫しだいでなんとかなるとおもう。
実際、春さきに飲んだ馴染みのお蔵さんの桜ラベルの日本酒は、
等級外の米を使っていたのに、ずいぶんと旨かった。
よいぶどうを作るのもさぞかし大変だろうに、
その合間に技ちがいの日本酒を造るのだから、
造り手の醸造にたいする姿勢に舌をまく。
この頃は、コンビニへ行けば千円で余裕でおつりのくる
安いワインがならんでいる。
いつぞや、飲み友だちと飲み屋へ行って、
ボトル売り三千円のワインをたのんだとき、友だちが、
これ、近所のスーパーで三百八十円で売ってるよと
こっそりつぶやいておどろいた。
そこそこ旨かったから、どうしてそんなに安いのか、
むずかしいことが苦手な身は、今の流通のしくみがまるでわからない。
信州にも、ちいさなワイナリーがふえている。
二年前、坂城町でワイン用のぶどうを作るという若いかたと知り合った。
ブログを拝見すれば、
毎日、畑の整地に精をだしている様子がうかがえる。
一献のひとときをいっしょにすれば、
信州のワイナリーのこと、ぶどうのことなど興味深く話してくれるから、
おりを見て酌んでみたい気持ちになっている。
近所のコンビニで、うまい味を手軽に買える手ごろさは
外国産の利点と、
ふいに飲みたくなったときにありがたい。
国産は、たしかに外国産と比べると割高な感は否めない。
それでも、ビールを発泡酒に変えても、純米吟醸酒を普通酒に変えても、
なぜか金もたまらず生活の苦しさが変わらないのは、
重々身をもって知っている。
ならばこまかいこと気にせずに、日本酒同様ワインについても、
地元の造り手の味に手をだすのは、信州に生まれた酒飲みの
だいじな使命になるのだった。





  


亀の尾の酒を酌み

2013年04月20日

 へこりと at 10:45  | Comments(0)
卯月 八

朝、家のなかひとつ掃除をしている。
まとめてやると難儀になるから、今日は茶の間、
明日は台所、分けておこなえば手間もかからず
起きがけのよい運動にもなる。
本をひさしぶりに片づけた。
読まないと見切りをつけた本をまとめてしばる。
買う本捨てる本、ときどき本棚の顔ぶれがかわっても
池波正太郎に藤沢周平、乃南アサ、
そして尾瀬あきらさんの漫画、夏子の酒は
しっかり不動の地位を保っている。
越後に久須見酒造というお蔵さんがある。
幻の米といわれた亀の尾という品種を、
わずか十本の稲穂から栽培して酒にして、
亀の翁と名づけられたその酒は、
今では酒通のあいだでは、すっかり知れわたっている。
夏子の酒は、その事実をもとに作られた物語なのだった。
東京で働いていた夏子は、志半ばで亡くなった兄にかわり
幻の米で酒造りをめざす。
ベテランの杜氏や蔵人、農家のかたと力を合わせ、
米を作り酒を造ってゆく。
連載が終わってからしばらくしてドラマも放送された。
夏子を演じる和久井映見の、田んぼで日焼けをした笑顔の姿は
健康的で美しく、毎週見惚れた。
兄さん役の中井貴一の、
秋には黄金色の稲穂がばあーっとだぞー!と
見送る夏子に両手を広げる姿は、
今思い出しても涙がでる。
下条正巳に高松英郎に山谷初男、
わきを固める役者も好い味を出していたのに
若杜氏役の萩原聖人が気に入らない。
線がほそすぎる。
原作では、もっと武骨でおおらかな姿だったから
あんな気の短そうな顔つきを使ってはいけない。
おまけに共演したのがきっかけで、
和久井映見は離婚するはめになったのだから、
ますますもっていけないと気の毒になった。
馴染みの酒屋のみねむら君に電話をしたら、
山形の米鶴酒造の米の力が入荷したという。
ひさしぶりの銘柄二本、さっそく持って来ていただいた。
亀の尾はもともと山形発祥の酒米で、
米の力は、お蔵さん自ら栽培している亀の尾で造られた酒だった。
赤いラベルはふくよかな旨みがある。
青いラベルは、亀の尾の変異種の亀粋という米で造られて、
酸と旨みのバランスが好い。
幻の米の酒をこうして手ごろに飲めるのだから
つくづく好い時代に生まれたと、
酒飲みにはありがたいことだった。


  


名前になやんで

2013年04月18日

 へこりと at 16:25  | Comments(0)
卯月 七

友だちがお父さんになった。
お祝いを兼ねて、お母さんと弟さんが営んでいる料理屋で
一献酌み交わす。
ほそい路地を抜けていけば、
店の前の桜の木が、今が見頃と咲きほこり、
祝いの席に花を添えていた。
写真を撮るのが好きで、ことに夏の花火の時期になると、
夜空の大輪をもとめて遠く近く、
あちこちの花火大会をとびまわっている。
音楽も大好きで、クラブのイベントがあるときは
DJブースでしゃかしゃかレコードをまわしている。
いっしょに酒を飲めば、
こちらがふらふらになって帰途に着くときも、
まだまだ余裕と杯をかさねている。
そうやって、ながらくひとり身の自由に
慣れ親しんだ人だったから、
結婚してお父さんになると聞いたときは、
これほどお父さんという言葉が似合わないお父さんもめずらしいと
ぶったまげたのだった。
さっそく姓名判断の本を片手に名前を考えたという。
調べれば調べるほどややこしくなるといい、
早々に、親の悩みがはじまった。
小学校のとき、名前の由来を親に聞いてこいという宿題があった。
今でも仲のよい友だちは、
生まれた当時の、東京大学の学長さんから頂いたといっていた。
長野市でいちばんの高校から、ストレートで国立大学へ行き、
上級職に受かって公務員と、名に違わぬ人生をおくっている。
かたや我が身のことをいわせてもらうならば、
文章の章であきらという名をいただいた。
一章、二章、
もの事に、きちんとけじめをつけられる人になるようにとつけたという。
ところが申しわけないことに、
ずるずるとけじめのつけられぬ、優柔不断のしくじりばかりをくり返し、
この歳まできてしまった。
この名は結婚運がよろしくない。
占い師の先生に言われたことも見事に当たり、
すっかり名前負けの人生なのだった。
今ではもうしょうがないことと、
性格とうらはらの名前に愛着持ってすごしている。
悩みに悩んで友だちは、子供に、
開くに北斗の斗と書いて、かいと君と名づけた。
歯切れのいい響きが好い。
歯切れ好く、人生を切り開いていけますよう。
開斗くんの未来を願いたい。





  


上田で遊ぶ

2013年04月17日

 へこりと at 13:12  | Comments(0)
卯月 六

ときには、いつものなわばりを離れて飲むのも好い。
年下の友だちふたりと、上田で酒を酌んだのだった。
上田の飲み屋事情には疎い。
地元の酒屋の宮島さんに尋ねたら、
駅から徒歩0分、ゆう杉さんを薦めてくれた。
友だちは、それぞれ酒についての見識がふかい。
瀧澤、和和和、明鏡止水、
つぎつぎと信州の銘柄の杯をかさね、酒談義に花が咲く。
おくれてやってきた地元の友だちも交え、
あずみアップルワインのソーヴィニヨン・ブランと
井筒ワインのメルローと、信州の赤白のボトルも空けた。
二軒目に引きつられてうかがったフィーカさんは、
古い自転車屋のビルを改装したカフェで趣きがある。
ここでも赤白一本づつ空けて、
ふらふらと駅前のホテルにもどってつぶれた。
次の日、飲みすぎのだるい体で
地元の友だちと花見にでかけた。
連れてきた一歳八ヶ月の男の子は、
すっかり友だちそっくりの顔立ちになっていてかわいい。
上田城へと歩いていけば、
上田千本桜まつりと書かれたのぼりが立ち並び、
平日でもたくさんの人が訪れていた。
そこかしこに、車の誘導をしたり道案内をしている
赤いジャンパーのかたがいて、市の観光課のひとだという。
日曜祭日は、まわりの銀行や学校も
駐車場を開けてくれるというから、
町をあげて桜の季節を盛り上げる姿勢は
りっぱなことと感心をする。
城跡の石垣に桜の彩りがよく似合い、
風に舞った花びらが、たくさんお堀に浮いている。
お堀にそってたくさんの屋台がならび、
おにいさんが見物客に、威勢のいい声をかけている。
公園に行ったら、青いジャージの中学生たちが
にぎやかに遊んでいた。
上田第三中学校の生徒さんで、
総合学習の授業で花見に来たという。
授業で花見とは、最近の中学校は粋なことをなさっている。
ちっちゃな子供を連れたお母さんたちが、
お菓子のやりとりをしたり、
デイケアーの車に乗って、おじいさんやおばあさんがやってきたり、
しまいには、おそろいの水色の制服を着た幼稚園児もやってきて、
にぎやかな、のどけき春の眺めのさなか、
二日酔いのおじさんひとり浮いていて、
なさけないのだった。



  


和のあつらえ

2013年04月12日

 へこりと at 11:03  | Comments(0)
卯月 五

美容師をしている母は、若いころから身につけるものに
お金をかけていた。
母の父親だった祖父が着道楽だったから、
子供のころから上等なものを着せてもらっていた。
戦後間もない高校時代、ただひとり、
きれいな革靴を履いていたのが自慢だったという。
商いの羽振りが良かったこともあり、
洋服に着物に宝石と、高価なものを買っていた。
紫色のドレスを着て、手にぴかぴかのおおきな指輪をつけて
中学校の卒業式に来たときは、
クラブのママのようだと同級生にいわれて、
ずいぶんと恥ずかしかった。
仕事柄、結婚式の花嫁さんの着付けもたくさんやっていて、
月にふたつもこなせば、当時のサラリーマンより稼げたというから、
公務員で安月給だった父が、頭が上がらなかったのもうなづける。
酔っぱらってばかりの亭主と、出来のわるい息子を抱えて
ストレスもたまっていたから、おしゃれに金をかけることで
うさを晴らしていたのかもしれない。
このごろ着物好きになった友だちがいる。
着付け教室に通ったあと、
細かいこつを習いたいと、ときどき母に教えを受けに来る。
きちんと学ぶ姿勢で来るから、教える母も張り合いがでる。
きたざわさん、あの調子でいけばかなり上手になるわ。
ひさしぶりのお弟子さんを褒めている。
四月八日は、毎年善光寺で針供養が行なわれる。
和裁をなりわいにしている友だちが、
はるばる南の町からやってきた。
着物の友だちといっしょに出迎えて、
うらうらと穏やかな陽気の中、善光寺まで歩いた。
おおきな供養塔の前で、坊さんのお経のあと、
参拝者のかたがたが、
使い古した針を収めてお参りをしている。
お昼ご飯をはさんで着物の友だちと和裁の友だちの
着物談義に耳をかたむければ、
和の装いの組み合わせの、奥の深さがうかがえた。
八十歳をすぎて、着物を着るのも疲れると、
招かれごとがあるときも、母はすっかり着物を着なくなった。
箪笥のこやしになっている、たくさんの着物をどうするか。
考えると夜も眠れないと、そんなことばかり悩んでいる。
お元気なうちに、見識ある若いかたがたに分けてしまいなさいと
いいたいのだった。


  


蔵のかたがたと

2013年04月09日

 へこりと at 16:55  | Comments(2)
卯月 四

酒蔵のかたがたの飲み会にまぜてもらった。
なじみのお蔵さんがたは、どこもみなちいさく
少ない人数で、体力気力を使って造りをされている。
冬の間のいそがしさを越えて、
ひさしぶりに会う、みんなの顔にも疲れの色がうかがえる。
今年は米が解けなくて苦労したという。
しかしそのせいなのか、どの味も利いてみれば
きれいに澄んだ口当たりがある。
旨みと酸のバランスに、あとくちの切れ、
それぞれの個性があってみな旨い。
ブラインドで利き酒をやったら、どれも旨いから
ほとんどはずしたのは愛嬌だった。
造りの大変さもさることながら、共に働くかたがたと
意見が合わなかったり考え方がちがったり、
ご多分にもれず、人間関係の気苦労がお蔵さんにもある。
思ったことはなんでも言って、コミニケーションをとればいい。
口で言うのはたやすいものの、それができそうでできない。
勤め人をしていたときのことを思い出せば、
当時の上司に、言いたいことは山ほどあったのに言えず、
毎朝職場に行くのが憂鬱だった。
関わってくる酒屋さんもいろいろで、
それがまた気苦労のたねになることがある。
取り引きをしてやるといわんばかりの態度で
お蔵の都合も考えず、
無理な注文をしてくるところもあるというから頭にくる。
長々の付き合いに欠かせぬのは、
おたがいを敬う謙虚さと思いやり。
有名な地酒をいくつも扱っているからといって
上から目線で向くようでは、
おまえさん、なに様のつもりなんだいと、
ひいきのお蔵にかわって憤慨してしまうのだった。
桜の咲くころは、まだ花冷えの日もある。
そんな夜は、菜花のおひたしですこしぬるめの燗をやるのも好い。

  


春うれい

2013年04月07日

 へこりと at 15:33  | Comments(0)
卯月 三

このところだんご屋の奥さんが、町内を駈けずりまわっている。
この間、ずいぶん風のつよい日があって、
だんご屋の駐車場に毛布が飛ばされてきたのだった。
どこかの家に干されていたものかと
青い毛布を抱えて、近所のお宅をひとつひとつ尋ねてみても
落とし主が見つからない。
弱ったよ、もおーといいながら、律儀に探しつづけている。
新学期になって、路地を行き交う学生にも
あたらしい顔ぶれを見るようになる。
東から西へむかう西高校の生徒や、西から東へむかう
柳町中学校の生徒の話し声で、朝のひとときがにぎやかになる。
柳町中学校は、いまでも伝統の肩かけかばんを採用している。
ちいさな新一年生が、まっ白なかばんを
重そうにぶらさげていく姿が初々しい。
友だちが息子を連れて訪ねてきた。
息子はこの春、西高校に入学できたといいめでたい。
ずっと野球をやっていて、高校でもつづけるという。
ちいさかった背丈が、中学生の間にぐんぐん伸びて
いまではお父さんよりおおきくなっている。
野球部といえば坊主頭が定番だから、
ながく伸びた髪を、すっきりさっぱりバリカンで刈ってあげた。
これから長野の野球大会は、母校の吉田高校といっしょに
西高校も応援をしなくてはいけない。
午後になり、別の友だちが訪ねてきた。
子供がふたりいて、上のお兄ちゃんは高校二年生。
反抗期の真っ最中で、親とろくに話もしないとこぼす。
下のお姉ちゃんは中学三年生で、来年高校受験を控えている。
それなのにぜんぜん勉強ができなくて、
頭のわるいのはいったい誰に似たんだとため息をつく。
春がきたというのに、だんご屋もお父さんをしている友だちも
悩みがつきない。
桜が咲いて、うぐいすもさえずり始め、気持ちの好い季節となった。
春うれいても、おだやかに往けますよう願うのだった。



  


春、門前

2013年04月04日

 へこりと at 12:29  | Comments(0)
卯月 二

うたた寝から目を覚ましたら、テレビにマルセイユの町が
映っていた。
露天で商売をしているおじさんが、
ここはよい町だよ。マリア様が守っているからねという。
映した先、小高い丘の寺院に、おおきな像が立っていた。
菓子屋のお兄さんも、自慢の菓子を紹介しながら
この町はマリア様が守っていると、おなじことをいう。
夕方、露天商のおじさんが、食堂の店先で一杯やっていた。
この町で生まれて商いをして、毎日マリア様を拝みながら
酒を飲んでいるという。
神様に守られている。信じて、生まれた町でつましく暮らす。
素朴なしあわせが感じられた。
近所のお年寄りにも、おなじことをいうかたがいる。
ここは善光寺さんが守ってくれるから大丈夫。
いつなんどき、長野にもおおきな震災がくるかわからないと
話していたときにいわれたのだった。
そのくせ、勤めているお坊さんたちの内紛ざたが
新聞ネタになったとき、
まったく、くそ坊主どもがと悪態をついていたから
善光寺さんは信心しても、お坊さんのことは
まるであてにしていないのだった。
このかたの台詞どおり、仏さまが守ってくれていると
思えるのは、
門前に生まれ育ったもののぜいたくと、この歳になると
わかる。
冬、京都へ出かけたときに、清水寺への坂道を歩きながら、
日ごろ暮らす、門前界隈の気配の好さを思い出していた。
自慢ではないが海外に行ったことがない。
遠くは北は函館、南は京都。
この歳になるまで行動範囲のせますぎるのは
いかがなものかと思うものの、
このままマルセイユのおじさんのように、遠くへ行かず、
ここはいい町だよ、善光寺さんが守ってくれるからと、
近所の蕎麦屋で酔っぱらっている年寄りを目指すのも
なかなか好いと思ってしまうのだった。
近所の梅が見頃になって、桜も開いてきた。
門前町にもいろどりが出てきて、
ぶらぶら歩きたい季節になってきた。


  


御身だいじに

2013年04月02日

 へこりと at 15:57  | Comments(0)
卯月 一

不摂生な生活に、回復力がおちている。
昨年の暮れにやけどをしたのだった。
酔ってストーブの前でうたた寝をして、
右足のくるぶしが赤く腫れた。
冬の間なかなか治らずに、このごろになり
ようやくかさぶたがとれた。
肉や魚じゃあるまいし、自分の足をじっくりローストしても
酒の肴にもならないとなさけない。
三日前から、こんどは左膝が痛くて階段の上り下りがつらい。
この痛みとはもう付き合いが長い。
中学生のときにバスケットボールをやっていた。
練習中にはじめて痛くなり、おおきな病院で検査をしてもらった。
どこにも異常がないなあとお医者に首を傾げられ、
おとなしくしていたら、そのうち痛みもなくなったから
そのままにしていた。
高校生になって、陸上をしていたときにも痛みが出た。
そのときも、しばらくおとなしくしていたら引いたので、やりすごした。
大人になって、二十年ほど前に追突事故にあった。
担ぎこまれたおおきな病院で、
頭の先から足の先まで調べられ、全身打撲に、あごの骨が折れてます。
それと、左の膝にちいさなちいさなひびがあります。
交通事故のものというよりは、生まれながらのものでしょうと
説明されて、合点がいったのだった。
手術をすることもできますが、これ以上進むものでもないといわれ、
生活に支障がないならと、ほったらかしにしてこんにちにいたっている。
町をひとまわり走ったあとや、長い時間正座をしていると
痛くなるのが常で、こうして何年かに一度、
忘れたころにおおきい痛みが来るのだった。
南の町で桜が開花したり、東の町であんずの花が見頃を迎えたり
花の便りがあちこちから届くようになってきた。
午後仕事の合間に、町内の氏神さんの桜の様子を確かめに行ったら
つぼみがひとつ開いていた。
善光寺界隈にも、待ちわびた桜の季節がやってきた。
浮かれて、花見酒ばかりに出歩かぬようにいましめかと、
風呂上り、よくよく左膝にバンテリンを塗っている。