長野のワインを
文月 九
ときどき、馴染みの飲み屋さんの酒の会に
呼んでいただくことがある。
日曜日、駅前のオステリア・ガットさんへ出かけた。
中野市の、たかやしろワイナリーさんを招いての
飲み会があったのだった。
中野市は、もともと葡萄の栽培が盛んな土地だった。
ワイナリーは、2004年の創業だといい、
美しい姿の、高社山のふもとにワイナリーがある。
いちど、中野市の古刹、谷厳寺の紫陽花を眺めた帰り道、
買い求めようと立ち寄ったことがある。
ところが、敷地の中をうろついても、人の姿が見当たらない。
ぽかんと待っていたものの、
人が来る気配もなく、あきらめた。
ふられたものの、田舎の素朴なお蔵さんと、
感じたことを覚えている。
高社山のデザインの、シンプルなラベルのセンスが好い。
白から赤へと味を利いていけば、
どれも口あたり好く、杯がすすむ。
おまけにありがたいのは、
味に比べて値段の安いことだった。
地元のかたに、手ごろな価格で提供したい。
酒は気軽に楽しく飲むのがいちばんです。
蔵元さんのおおらかな台詞も、
親しみが感じられ、ありがたいことだった。
おかげで、
くつろいだ酔いのひとときを楽しめたのだった。
遠くの街に暮らすかたから、暑中見舞いが届いた。
小野竹喬の、雨の景色の絵ハガキに、
最近体調をくずしていたことと、
中央線が復旧したら長野へ行きたいと書いてある。
半年にいちど訪ねてきては、
いつも土産に長野の日本酒を買っていく。
今度、お会いできたあかつきには、
実は長野、ワインもなかなか好いのですと、
一本差し上げる算段をする。

ときどき、馴染みの飲み屋さんの酒の会に
呼んでいただくことがある。
日曜日、駅前のオステリア・ガットさんへ出かけた。
中野市の、たかやしろワイナリーさんを招いての
飲み会があったのだった。
中野市は、もともと葡萄の栽培が盛んな土地だった。
ワイナリーは、2004年の創業だといい、
美しい姿の、高社山のふもとにワイナリーがある。
いちど、中野市の古刹、谷厳寺の紫陽花を眺めた帰り道、
買い求めようと立ち寄ったことがある。
ところが、敷地の中をうろついても、人の姿が見当たらない。
ぽかんと待っていたものの、
人が来る気配もなく、あきらめた。
ふられたものの、田舎の素朴なお蔵さんと、
感じたことを覚えている。
高社山のデザインの、シンプルなラベルのセンスが好い。
白から赤へと味を利いていけば、
どれも口あたり好く、杯がすすむ。
おまけにありがたいのは、
味に比べて値段の安いことだった。
地元のかたに、手ごろな価格で提供したい。
酒は気軽に楽しく飲むのがいちばんです。
蔵元さんのおおらかな台詞も、
親しみが感じられ、ありがたいことだった。
おかげで、
くつろいだ酔いのひとときを楽しめたのだった。
遠くの街に暮らすかたから、暑中見舞いが届いた。
小野竹喬の、雨の景色の絵ハガキに、
最近体調をくずしていたことと、
中央線が復旧したら長野へ行きたいと書いてある。
半年にいちど訪ねてきては、
いつも土産に長野の日本酒を買っていく。
今度、お会いできたあかつきには、
実は長野、ワインもなかなか好いのですと、
一本差し上げる算段をする。

塩田平の紫陽花
文月 八
紫陽花を眺めに出かけた。
上田駅から別所線に乗りこんで、塩田町で降りる。
のんびり歩いていくとちいさなお社があり、手を合わせる。
左手にため池が見えてきて、悠々とした夏の雲を映していた。
田んぼの緑が風に揺れて、目にやさしい。
県道をわたって坂を上がっていくと、木陰の風が涼しく、
しずかに蝉の鳴き声がひびく。
信濃デッサン館の前から、陽に映える田園が見えた。
三重の塔の前山寺を眺めていくと、
塩田城跡の石碑を囲んで、たくさんの紫陽花が咲いていた。
艶やかな紫の色合いが並び、見事なものと見惚れた。
塩田の館と龍光院をすぎていくと、またため池がある。
おばさんがひとり、しきりに餌をまいている。
ほとりにも紫陽花が咲いていて、柵には、
落とし物の、幼稚園児の帽子が縛られていた。
ふるい家の並ぶ小道をいけば、
立派な門構えのお宅が多い。
ファミリーストアはこだをすぎると、
さくら国際高等学校の校舎が見えた。
趣きのある木造の校舎は、かつての西塩田小学校で、
入り口に、創立百周年の碑が建っていた。
そのままいくと、またおおきなため池が見えてきて、
塩田平は、ほんとにため池の土地なのだった。
別所温泉にたどり着いたら、
あいそめの湯でひと休みをする。
程よい加減の湯に浸かれば、
さっぱりと、歩き疲れた身もほぐれる。
腹も空いて喉も乾けば、一杯やらなくてはいけない。
顔見知りのかたの営んでいる、あいの日さんへお邪魔した。
昼どきの店内は、地元のおばさんたちでにぎわっている。
お母さん手作りの吊るし雛が飾ってあって、
素敵な出来に感心をした。
ランチプレートの、キッシュとチキンのトマト煮が美味しくて、
つまみながら、ロゼを一杯に白を二杯、
ワインの味を利いた。
夏の空と、緑と紫陽花の景色を愛でて、
温泉で汗を流して、冷えたワインを酌む。
なんとも贅沢なひとときをすごし、
上田界隈、やっぱり好いなあと思うのだった。

紫陽花を眺めに出かけた。
上田駅から別所線に乗りこんで、塩田町で降りる。
のんびり歩いていくとちいさなお社があり、手を合わせる。
左手にため池が見えてきて、悠々とした夏の雲を映していた。
田んぼの緑が風に揺れて、目にやさしい。
県道をわたって坂を上がっていくと、木陰の風が涼しく、
しずかに蝉の鳴き声がひびく。
信濃デッサン館の前から、陽に映える田園が見えた。
三重の塔の前山寺を眺めていくと、
塩田城跡の石碑を囲んで、たくさんの紫陽花が咲いていた。
艶やかな紫の色合いが並び、見事なものと見惚れた。
塩田の館と龍光院をすぎていくと、またため池がある。
おばさんがひとり、しきりに餌をまいている。
ほとりにも紫陽花が咲いていて、柵には、
落とし物の、幼稚園児の帽子が縛られていた。
ふるい家の並ぶ小道をいけば、
立派な門構えのお宅が多い。
ファミリーストアはこだをすぎると、
さくら国際高等学校の校舎が見えた。
趣きのある木造の校舎は、かつての西塩田小学校で、
入り口に、創立百周年の碑が建っていた。
そのままいくと、またおおきなため池が見えてきて、
塩田平は、ほんとにため池の土地なのだった。
別所温泉にたどり着いたら、
あいそめの湯でひと休みをする。
程よい加減の湯に浸かれば、
さっぱりと、歩き疲れた身もほぐれる。
腹も空いて喉も乾けば、一杯やらなくてはいけない。
顔見知りのかたの営んでいる、あいの日さんへお邪魔した。
昼どきの店内は、地元のおばさんたちでにぎわっている。
お母さん手作りの吊るし雛が飾ってあって、
素敵な出来に感心をした。
ランチプレートの、キッシュとチキンのトマト煮が美味しくて、
つまみながら、ロゼを一杯に白を二杯、
ワインの味を利いた。
夏の空と、緑と紫陽花の景色を愛でて、
温泉で汗を流して、冷えたワインを酌む。
なんとも贅沢なひとときをすごし、
上田界隈、やっぱり好いなあと思うのだった。
心身に合わせて
文月 七
近所のかたに梅漬けをいただいた。
毎朝一個、つめたいほうじ茶のお供につまんでいる。
きちっと効いた塩気の酸っぱさに、
体が目覚める気がして好い。
雨交じりの蒸し暑い日がつづき、体の調子も定まらない。
クーラーの効いた部屋で、
素足にサンダルで仕事をしているから、体も冷える。
おまけに陽が沈めば、
ビールと冷や酒を流し込んで輪をかけている。
この頃あちこちからいただいて、
冷蔵庫の中が一升瓶でいっぱいになっている。
うれしくて、杯をかさねすぎているのだった。
こんな毎日に、
持病の腰痛、膝痛も疼きっぱなしになっている。
せめてゆっくり湯ぶねで、体を温めれば良いものを、
風呂掃除がきらいな身は、
さっさとシャワーで済ませている。
体のこわばりがひどくなると、温泉が恋しいのだった。
すこし前、いらぬことを言ったりやったりして、
へこんで反省した。
状態が好くなかったときだったかと思いあたり、
バイオリズムを調べてみたら、
身体、知性、感情、すべて最低のときだった。
心身定まらないこういうときは、
特に注意をしなくてはいけない。
その日の在り方に反して、
はしゃがぬようにと実感して、
今日一日の目安にと、毎朝覗いている。
午前四時、膝が疼いて目が覚めた。
酔いつぶれてばかりの毎日で、
目覚ましの前に起きたのはひさしぶりだった。
夜中からの雨に、湿った空気が涼しい。
濡れた参道を通って善光寺へ行けば、
朝の始まりの太鼓が鳴りひびく。手を合わせ、
帰ってきてから、掃除に洗濯。
早い時間からの動き出しに、
気持ちにもすこし張りが出る。
梅雨明けまであとすこし。
氏神さんにお参りに行ったら、
この夏最初の、蝉の鳴き声を耳にした。

近所のかたに梅漬けをいただいた。
毎朝一個、つめたいほうじ茶のお供につまんでいる。
きちっと効いた塩気の酸っぱさに、
体が目覚める気がして好い。
雨交じりの蒸し暑い日がつづき、体の調子も定まらない。
クーラーの効いた部屋で、
素足にサンダルで仕事をしているから、体も冷える。
おまけに陽が沈めば、
ビールと冷や酒を流し込んで輪をかけている。
この頃あちこちからいただいて、
冷蔵庫の中が一升瓶でいっぱいになっている。
うれしくて、杯をかさねすぎているのだった。
こんな毎日に、
持病の腰痛、膝痛も疼きっぱなしになっている。
せめてゆっくり湯ぶねで、体を温めれば良いものを、
風呂掃除がきらいな身は、
さっさとシャワーで済ませている。
体のこわばりがひどくなると、温泉が恋しいのだった。
すこし前、いらぬことを言ったりやったりして、
へこんで反省した。
状態が好くなかったときだったかと思いあたり、
バイオリズムを調べてみたら、
身体、知性、感情、すべて最低のときだった。
心身定まらないこういうときは、
特に注意をしなくてはいけない。
その日の在り方に反して、
はしゃがぬようにと実感して、
今日一日の目安にと、毎朝覗いている。
午前四時、膝が疼いて目が覚めた。
酔いつぶれてばかりの毎日で、
目覚ましの前に起きたのはひさしぶりだった。
夜中からの雨に、湿った空気が涼しい。
濡れた参道を通って善光寺へ行けば、
朝の始まりの太鼓が鳴りひびく。手を合わせ、
帰ってきてから、掃除に洗濯。
早い時間からの動き出しに、
気持ちにもすこし張りが出る。
梅雨明けまであとすこし。
氏神さんにお参りに行ったら、
この夏最初の、蝉の鳴き声を耳にした。
東京日和
文月 六
毎年七月になると、
住んでいる東之門町の、青年部で旅行に出かける。
青年部といっても青年の姿など見当たらない、
すっかり、しょぼいおじさんたちの集まりになっている。
このたびは東京見物と成り、東京大学へ出かけた。
銀杏並木の通りを歩いていけば、
趣きのある校舎が建っている。
昔、学生たちが立てこもっていた安田講堂は、
大がかりな修理の真っ最中で、青いシートに覆われていた。
東京には、品ぞろえの好い酒屋が多い。
酒好きの身は、
こういう機会に、ふだん飲めない銘柄を求めたい。
タクシーに乗って番地を告げる。
ほそい坂道を入り込んだ住宅街の、
こんなところにという場所に、伊勢五酒店さんがあった。
冷蔵庫の中を覗けば、名の知れた銘酒に交じって、
長野の銘柄もいくつかあってうれしい。
福島と秋田と奈良の酒を買い、谷中へむかった。
谷中銀座は、せまい通りにずらっと店が並んでいる。
酒屋の店先でエビスの生を買い、
肉屋の店先でコロッケを買う。
飲み食いしながら歩いていけば、
住み心地の好さそうな風情がある。
築地の寿司屋で昼飯を済ませたら、銀座をぶらつく。
昼間の酒に気だるくなって、
通りがかりの床屋でひと休みと決めた。
日ごろ、鏡を見ながら髪を刈っている。
客として店に入るのはひさしぶりのことだった。
シャンプーして、短く刈って、マッサージをしてもらう。
散髪をするひとときは、なるほど癒しの時間と自覚した。
午後四時、和光の前に集合してタクシーに乗り込む。
神田明神にお参りをして、今宵の宴へと、
すき焼きのいし橋さんにおじゃました。
年季の入った構えの店に入り、座敷に通されれば、
脇に置かれた氷のかたまりが涼をさそう。
昼間の寿司もこなれていないのに、
上等な肉の旨さと、勧め上手な仲居さんの接待で、
すっかりたいらげた。くるしい腹をさすりながら、
ごちそうさまでしたと降りていけば、
火打石を叩いて女将さんが見送ってくれた。
好く食べて好く飲んで、粗食つづきの毎日に、
ぽっかりぜいたくな一日をすごしたのだった。

毎年七月になると、
住んでいる東之門町の、青年部で旅行に出かける。
青年部といっても青年の姿など見当たらない、
すっかり、しょぼいおじさんたちの集まりになっている。
このたびは東京見物と成り、東京大学へ出かけた。
銀杏並木の通りを歩いていけば、
趣きのある校舎が建っている。
昔、学生たちが立てこもっていた安田講堂は、
大がかりな修理の真っ最中で、青いシートに覆われていた。
東京には、品ぞろえの好い酒屋が多い。
酒好きの身は、
こういう機会に、ふだん飲めない銘柄を求めたい。
タクシーに乗って番地を告げる。
ほそい坂道を入り込んだ住宅街の、
こんなところにという場所に、伊勢五酒店さんがあった。
冷蔵庫の中を覗けば、名の知れた銘酒に交じって、
長野の銘柄もいくつかあってうれしい。
福島と秋田と奈良の酒を買い、谷中へむかった。
谷中銀座は、せまい通りにずらっと店が並んでいる。
酒屋の店先でエビスの生を買い、
肉屋の店先でコロッケを買う。
飲み食いしながら歩いていけば、
住み心地の好さそうな風情がある。
築地の寿司屋で昼飯を済ませたら、銀座をぶらつく。
昼間の酒に気だるくなって、
通りがかりの床屋でひと休みと決めた。
日ごろ、鏡を見ながら髪を刈っている。
客として店に入るのはひさしぶりのことだった。
シャンプーして、短く刈って、マッサージをしてもらう。
散髪をするひとときは、なるほど癒しの時間と自覚した。
午後四時、和光の前に集合してタクシーに乗り込む。
神田明神にお参りをして、今宵の宴へと、
すき焼きのいし橋さんにおじゃました。
年季の入った構えの店に入り、座敷に通されれば、
脇に置かれた氷のかたまりが涼をさそう。
昼間の寿司もこなれていないのに、
上等な肉の旨さと、勧め上手な仲居さんの接待で、
すっかりたいらげた。くるしい腹をさすりながら、
ごちそうさまでしたと降りていけば、
火打石を叩いて女将さんが見送ってくれた。
好く食べて好く飲んで、粗食つづきの毎日に、
ぽっかりぜいたくな一日をすごしたのだった。
会える日を待って
文月 五
ワールドカップが終わった。
熱戦つづきの大会は、ドイツの優勝で幕を閉じた。
イギリス、スペイン、イタリアと、
つよいといわれたチームが予選で姿を消して、
日本チームも、一つも勝てないままに消えてしまった。
残念だったものの、他のチームとくらべたら、
体力、脚力、決定力の差はあきらかだった。
無理からぬことと思ってしまったのだった。
深夜のサッカー観戦での寝不足と、
雨降りと暑さのはざかいな陽気に、心身がだるい日がつづく。
七月半ばをすぎれば、
梅雨明けの清々とした夏が、より待ちどおしいのだった。
七月上旬、遠くに暮らす友だちと会う予定があった。
ところが仕事がいそがしかったり、時間の折り合いがつかず、
叶わないままになっている。
伊那にひとり、木曽に二人。
それでもブログを拝見すれば、
相変わらず元気に活動している様子がわかったり、
かたや、ぜんぜん更新されていない様子には、
仕事がいそがしいかと察しをつけている。
一年にいちどか二度。
ほどよい距離の付き合いは、
気がつけば、もう七年目となっていた。
日々の付き合いを振り返れば、
まめに顔を会わせるかたも、ごくごくたまにというかたも、
些細なきっかけが、馴染みの好い縁にとつながっている。
不出来な柄を、見捨てずお相手していただくのは、
よくよくありがたいことだった。
夕方、昼寝から覚めて、飲み屋へ出かける算段をする。
出がけにポストを覗いたら、手紙が来ていた。
夏模様の封筒に見覚えのある文字は、
木曽の友だちからとすぐわかる。
会わぬ間の気遣いを目にすれば、
遠からず、お目もじ叶いますよう。
待つのも夏の楽しみとなるのだった。

ワールドカップが終わった。
熱戦つづきの大会は、ドイツの優勝で幕を閉じた。
イギリス、スペイン、イタリアと、
つよいといわれたチームが予選で姿を消して、
日本チームも、一つも勝てないままに消えてしまった。
残念だったものの、他のチームとくらべたら、
体力、脚力、決定力の差はあきらかだった。
無理からぬことと思ってしまったのだった。
深夜のサッカー観戦での寝不足と、
雨降りと暑さのはざかいな陽気に、心身がだるい日がつづく。
七月半ばをすぎれば、
梅雨明けの清々とした夏が、より待ちどおしいのだった。
七月上旬、遠くに暮らす友だちと会う予定があった。
ところが仕事がいそがしかったり、時間の折り合いがつかず、
叶わないままになっている。
伊那にひとり、木曽に二人。
それでもブログを拝見すれば、
相変わらず元気に活動している様子がわかったり、
かたや、ぜんぜん更新されていない様子には、
仕事がいそがしいかと察しをつけている。
一年にいちどか二度。
ほどよい距離の付き合いは、
気がつけば、もう七年目となっていた。
日々の付き合いを振り返れば、
まめに顔を会わせるかたも、ごくごくたまにというかたも、
些細なきっかけが、馴染みの好い縁にとつながっている。
不出来な柄を、見捨てずお相手していただくのは、
よくよくありがたいことだった。
夕方、昼寝から覚めて、飲み屋へ出かける算段をする。
出がけにポストを覗いたら、手紙が来ていた。
夏模様の封筒に見覚えのある文字は、
木曽の友だちからとすぐわかる。
会わぬ間の気遣いを目にすれば、
遠からず、お目もじ叶いますよう。
待つのも夏の楽しみとなるのだった。
蔓も伸びて
文月 四
梅雨どきの雨降りの日がつづく。
日がな一日降る日もあれば、
午後、陽射しをさえぎる厚い雲がひろがって、
雷雨になるときもある。夜中に降り出すときもあり、
屋根をたたく雨音を聞きながら、ワールドカップを見ていた。
ワイン用の葡萄を育てている。
生業にしている友だちに、
苗木を一本頂いて、プランターに刺した。
空の恵みを受けてから、ぐいぐいと蔓が伸び、
添え木を超すいきおいを見せている。
育てているといっても、できるのは水くれくらいなもので、
さて、どうしたものかとメールをしたら、
あとで来てくれるというから、ほっとした。
子供のときに、家の玄関先に葡萄の棚があった。
善光寺の裏手に団地が出来たとき、
両親が土地を買って、家を建てた。
園芸好きだった父が、棚を作って育て始めたのだった。
黄緑色のマスカットで、あまり好みではなかった。
家の裏には桃の木もあって、
そちらのほうが、実のなるのが楽しみだった。
こじんまりとしたちいさな家で、
会社の社長やデパートの社長、
テレビ局の重役たちの、おおきな家に囲まれていたから、
よけい貧弱に見えた。
いちど泥棒に入られたことがある。
勝手口をこわされて財布をとられた。
まわりにこれだけ立派なお宅が並んでいるのに、
今から思えば、ずいぶんと欲のない泥棒だった。
高校二年のときに建て替えをして、
葡萄の棚も、桃の木もなくなってしまった。
部屋数の多い、おおきな家になったのに、
振り返れば、葡萄の緑が目に映えた、
ちいさな家で過ごした日々がなつかしい。
酔っぱらって帰ってきたら、折好く友だちが来てくれた。
慣れた手つきで柵を作って、蔓をまとめてくれて、
上手いもんだなあと、酔ったまま感心をした。
こうした地道な作業の先に旨いワインがある。
心して飲まなければいけないのだった。

梅雨どきの雨降りの日がつづく。
日がな一日降る日もあれば、
午後、陽射しをさえぎる厚い雲がひろがって、
雷雨になるときもある。夜中に降り出すときもあり、
屋根をたたく雨音を聞きながら、ワールドカップを見ていた。
ワイン用の葡萄を育てている。
生業にしている友だちに、
苗木を一本頂いて、プランターに刺した。
空の恵みを受けてから、ぐいぐいと蔓が伸び、
添え木を超すいきおいを見せている。
育てているといっても、できるのは水くれくらいなもので、
さて、どうしたものかとメールをしたら、
あとで来てくれるというから、ほっとした。
子供のときに、家の玄関先に葡萄の棚があった。
善光寺の裏手に団地が出来たとき、
両親が土地を買って、家を建てた。
園芸好きだった父が、棚を作って育て始めたのだった。
黄緑色のマスカットで、あまり好みではなかった。
家の裏には桃の木もあって、
そちらのほうが、実のなるのが楽しみだった。
こじんまりとしたちいさな家で、
会社の社長やデパートの社長、
テレビ局の重役たちの、おおきな家に囲まれていたから、
よけい貧弱に見えた。
いちど泥棒に入られたことがある。
勝手口をこわされて財布をとられた。
まわりにこれだけ立派なお宅が並んでいるのに、
今から思えば、ずいぶんと欲のない泥棒だった。
高校二年のときに建て替えをして、
葡萄の棚も、桃の木もなくなってしまった。
部屋数の多い、おおきな家になったのに、
振り返れば、葡萄の緑が目に映えた、
ちいさな家で過ごした日々がなつかしい。
酔っぱらって帰ってきたら、折好く友だちが来てくれた。
慣れた手つきで柵を作って、蔓をまとめてくれて、
上手いもんだなあと、酔ったまま感心をした。
こうした地道な作業の先に旨いワインがある。
心して飲まなければいけないのだった。
お蔵さんに願いを
文月 三
駅前の景家さんへ出かけた。
酒屋の峯村君が日本酒の会を開いたのだった。
伯楽星を醸す、宮城の蔵元を招いてのひとときに、
たくさんのお客が集まって、満員御礼の貸切りと相成った。
純米大吟醸をかわきりに、夏の限定酒に、
定番の純米吟醸や特別純米をつぎつぎと利いてゆく。
震災のあと、
良質の湧き水の出る山のふもとに蔵を移したら、
それまでのきれいな味わいにやわらかさが加わった。
糖度のひくい酒質は、
暑い夏でも杯をかさねられるのだった。
この日は峯村君の知り合いの、
宮城の酒屋さんもお見えになっていた。
ひさしぶりですと挨拶をしたら、
最近付き合い始めた、
栃木のお蔵さんも連れてきたといい、紹介をされた。
栃木市の相良酒造さんは、江戸時代の創業で、
現在の蔵元で八代目になるという。
造る銘柄は朝日栄といい、石高は二百石とちいさい。
蔵元の社長が杜氏をしていて、跡継ぎの娘さんは、
まだ二十五歳と若い。
昨年、初めてタンク一本の仕込みをしたという。
造りについてはまだまだといい、
勉強のために、長野で好き味を醸す、
女性杜氏のお蔵を訪ねてきたという。
ときどきお蔵のかたがたと酌み交わせば、
米の出来具合や、人間関係のしがらみなど、
過酷な労働に加えて、
頭を悩ます気苦労もすくなくないとわかる。
それでも毎年たがわぬ味を仕上げているから
えらいことと思えるのだった。
貫禄たっぷりに、酒の説明をしている伯楽星の蔵元も、
造りを始めたときは、
地元の酒屋にも相手にしてもらえなかったという。
国内外で名を馳せるようになったのは、
造りへの真摯な取り組みと、
関わるかたがたの、好き縁が導いたものとうかがえる。
知り合えた、栃木のちいさなお蔵さんの出来栄えも、
飲兵衛の楽しみのひとつになるのだった。

駅前の景家さんへ出かけた。
酒屋の峯村君が日本酒の会を開いたのだった。
伯楽星を醸す、宮城の蔵元を招いてのひとときに、
たくさんのお客が集まって、満員御礼の貸切りと相成った。
純米大吟醸をかわきりに、夏の限定酒に、
定番の純米吟醸や特別純米をつぎつぎと利いてゆく。
震災のあと、
良質の湧き水の出る山のふもとに蔵を移したら、
それまでのきれいな味わいにやわらかさが加わった。
糖度のひくい酒質は、
暑い夏でも杯をかさねられるのだった。
この日は峯村君の知り合いの、
宮城の酒屋さんもお見えになっていた。
ひさしぶりですと挨拶をしたら、
最近付き合い始めた、
栃木のお蔵さんも連れてきたといい、紹介をされた。
栃木市の相良酒造さんは、江戸時代の創業で、
現在の蔵元で八代目になるという。
造る銘柄は朝日栄といい、石高は二百石とちいさい。
蔵元の社長が杜氏をしていて、跡継ぎの娘さんは、
まだ二十五歳と若い。
昨年、初めてタンク一本の仕込みをしたという。
造りについてはまだまだといい、
勉強のために、長野で好き味を醸す、
女性杜氏のお蔵を訪ねてきたという。
ときどきお蔵のかたがたと酌み交わせば、
米の出来具合や、人間関係のしがらみなど、
過酷な労働に加えて、
頭を悩ます気苦労もすくなくないとわかる。
それでも毎年たがわぬ味を仕上げているから
えらいことと思えるのだった。
貫禄たっぷりに、酒の説明をしている伯楽星の蔵元も、
造りを始めたときは、
地元の酒屋にも相手にしてもらえなかったという。
国内外で名を馳せるようになったのは、
造りへの真摯な取り組みと、
関わるかたがたの、好き縁が導いたものとうかがえる。
知り合えた、栃木のちいさなお蔵さんの出来栄えも、
飲兵衛の楽しみのひとつになるのだった。

ヴァレリー・アファナシエフ
文月 二
仕事場で、有線をBGMに使っている。
Jポップにロックに演歌、ジャズにソウルにレゲエに
クラシック、さまざまなチャンネルがある。
主に聞くのは、ゆるいテンポのジャズボーカルか、
にぎやかすぎないクラシックで、
ときどき坂本龍一も聞く。
戦場のメリークリスマスは、
何度もレコードを聞いたものだったとなつかしい。
訪ねてきたかたが、
松本までコンサートを聞きに行くという。
ロシアのピアニスト、
ヴァレリー・アファナシエフさんの演奏で、
以前からファンだった。
ユーチューブで検索をしてみたら、
2008年に、NHKが特集番組を放送していた。
戦後の、まだロシアがソヴィエトだったときに生まれた。
モスクワ音楽院で学び、
自由を求めてフランスへと亡命をしたという。
若いときから日本の古典文学に興味があって、
枕草子や源氏物語を読んでいたという。
学生時代、古典の授業が苦手だった身は、
それだけで、すごい人と感心をしてしまう。
徒然草の一節を朗読して、
もののあはれという世界観があり、
自身の演奏にも取り入れていると語るのだった。
後日、教えてくれたかたにお会いした。
コンサートどうでしたかと尋ねたら、
シューベルトの曲をふたつ、
余計なおしゃべりもアンコールもなく、
演奏された。
帰りぎわ、買ったCDにサインをお願いしたら、
やさしく微笑んで応じてくれたという。
アファナシエフさんの、
しずかな所作のしずかな音色を、
BGMにさせてもらうようになったのだった。
このごろ、徒然草を買ってきて読んでいる。
世のはかなさ虚しさに打ちひしがれた身には、
受け入れられる言葉もすくなくない。
まことに、
おろかなることは、なほまさりたるものなのだった。

仕事場で、有線をBGMに使っている。
Jポップにロックに演歌、ジャズにソウルにレゲエに
クラシック、さまざまなチャンネルがある。
主に聞くのは、ゆるいテンポのジャズボーカルか、
にぎやかすぎないクラシックで、
ときどき坂本龍一も聞く。
戦場のメリークリスマスは、
何度もレコードを聞いたものだったとなつかしい。
訪ねてきたかたが、
松本までコンサートを聞きに行くという。
ロシアのピアニスト、
ヴァレリー・アファナシエフさんの演奏で、
以前からファンだった。
ユーチューブで検索をしてみたら、
2008年に、NHKが特集番組を放送していた。
戦後の、まだロシアがソヴィエトだったときに生まれた。
モスクワ音楽院で学び、
自由を求めてフランスへと亡命をしたという。
若いときから日本の古典文学に興味があって、
枕草子や源氏物語を読んでいたという。
学生時代、古典の授業が苦手だった身は、
それだけで、すごい人と感心をしてしまう。
徒然草の一節を朗読して、
もののあはれという世界観があり、
自身の演奏にも取り入れていると語るのだった。
後日、教えてくれたかたにお会いした。
コンサートどうでしたかと尋ねたら、
シューベルトの曲をふたつ、
余計なおしゃべりもアンコールもなく、
演奏された。
帰りぎわ、買ったCDにサインをお願いしたら、
やさしく微笑んで応じてくれたという。
アファナシエフさんの、
しずかな所作のしずかな音色を、
BGMにさせてもらうようになったのだった。
このごろ、徒然草を買ってきて読んでいる。
世のはかなさ虚しさに打ちひしがれた身には、
受け入れられる言葉もすくなくない。
まことに、
おろかなることは、なほまさりたるものなのだった。
つばめの巣作り
文月 一
このごろ家の軒下に、つばめが巣を作った。
路地に急降下してきては、ぺたぺたと藁や土を張り付けてゆく。
玄関先を掃除しているときに遭遇すると、
あわててUターンをして、
電線の上からこちらの様子をうかがっている。
健気な巣作りのじゃまをしないこと。
気遣いが毎日の日課になった。
平日の昼下がり、巣の中でうずくまっているのを見かけた。
子供が産まれるのももうすぐかもしれない。
朝夕、子供たちが路地を抜けてゆく。
中学生に高校生、にぎやかに、友だちのことやテストのこと、
先生の悪口を言いながら通ってゆく。
眺めていれば、
三年のちがいで、子供もずいぶん大人びた雰囲気になる。
春から、おなじ制服の、
おなじ背丈の女の子たちが通るようになった。
いつも三人で肩を並べて笑いながら通っていたのに、
先月のはじめから様子が変わる。
ひとりだけ先に通りすぎたあと、
間をおいて残りの二人が通ってゆく。
仲たがいでもしたのかと、見かけるたびに気にかかる。
近所にマンションが出来てから、ちいさな子供の姿も増えた。
おかあさんと手をつないで歩く男の子や、
自転車の荷台に乗せられていく女の子、
夕方になると、ちいさな自転車のペダルをこいで過ぎてゆく、
お兄ちゃんと妹もいる。
朝夕通る男の子がいる。
いちど善光寺下駅に吸い込まれるのを見かけたから、
電車に乗って、付属小学校に通っているとわかった。
路地で顔を会わせたときに、いってらっしゃいと声をかければ、
か細い声で、いってきますと返ってくる。
そのたびに、おとなしいなあ。
元気がなくて大丈夫かあと心配になった。
この間、はつらつと歌をうたいながら帰ってゆく姿を見かけ、
楽しそうな様子に安心した。
ちいさな子に生意気ざかりの子、朝夕のひとときを、
子供たちの、話し声と笑い声と歌声で癒してもらっている。
つばめが巣を作ると縁起が良いとされている。
住んでいるおじさんは、
毎日旨い酒さえ飲めれば、充分幸せなことだった。
路地に運んでもらう幸福は、
行き交う子供たちに振り分けていただきたいのだった。

このごろ家の軒下に、つばめが巣を作った。
路地に急降下してきては、ぺたぺたと藁や土を張り付けてゆく。
玄関先を掃除しているときに遭遇すると、
あわててUターンをして、
電線の上からこちらの様子をうかがっている。
健気な巣作りのじゃまをしないこと。
気遣いが毎日の日課になった。
平日の昼下がり、巣の中でうずくまっているのを見かけた。
子供が産まれるのももうすぐかもしれない。
朝夕、子供たちが路地を抜けてゆく。
中学生に高校生、にぎやかに、友だちのことやテストのこと、
先生の悪口を言いながら通ってゆく。
眺めていれば、
三年のちがいで、子供もずいぶん大人びた雰囲気になる。
春から、おなじ制服の、
おなじ背丈の女の子たちが通るようになった。
いつも三人で肩を並べて笑いながら通っていたのに、
先月のはじめから様子が変わる。
ひとりだけ先に通りすぎたあと、
間をおいて残りの二人が通ってゆく。
仲たがいでもしたのかと、見かけるたびに気にかかる。
近所にマンションが出来てから、ちいさな子供の姿も増えた。
おかあさんと手をつないで歩く男の子や、
自転車の荷台に乗せられていく女の子、
夕方になると、ちいさな自転車のペダルをこいで過ぎてゆく、
お兄ちゃんと妹もいる。
朝夕通る男の子がいる。
いちど善光寺下駅に吸い込まれるのを見かけたから、
電車に乗って、付属小学校に通っているとわかった。
路地で顔を会わせたときに、いってらっしゃいと声をかければ、
か細い声で、いってきますと返ってくる。
そのたびに、おとなしいなあ。
元気がなくて大丈夫かあと心配になった。
この間、はつらつと歌をうたいながら帰ってゆく姿を見かけ、
楽しそうな様子に安心した。
ちいさな子に生意気ざかりの子、朝夕のひとときを、
子供たちの、話し声と笑い声と歌声で癒してもらっている。
つばめが巣を作ると縁起が良いとされている。
住んでいるおじさんは、
毎日旨い酒さえ飲めれば、充分幸せなことだった。
路地に運んでもらう幸福は、
行き交う子供たちに振り分けていただきたいのだった。