野沢温泉まで
如月 八
友だちふたりに、ときどき温泉まで連れて行ってもらう。
年上の友だちと年下の友だち、
それぞれ飲食を生業にしている。
野沢温泉まで出かけた。
飯山に入ると、ふきつける雪の量が増え、
道の両側の厚い雪の壁に、この冬のきびしさがうかがえる。
瑞穂の地区を抜け野沢へゆけば、
春、菜の花で一面彩られると想像できないほど
さらに雪が多い。
宿に着いて荷物を置いて、ひと風呂へと出かけた。
野沢のお湯はすこぶる熱いと聞いていた。
おそるおそる外湯の戸を開ければ、
熱いぬるい、ふたつの浴槽があって、
まよわずぬるいほうに浸かった。
地元の人に観光客、つぎつぎとお湯を求めてやってくる。
いれちがいに外へ出たら、雪の降りもはげしくなって
すぐそばの居酒屋へ腰を下ろした。
酒を頼み、肴を頼む。
本場のはずなのに、野沢菜はそんなに旨くない。
混んでいる店なのに、他の肴もたいしたことはなく
これで繁盛してるんだからいいよなあと、
友だちふたり、妙な感心をしていた。
それでも岩魚の塩焼きだけは、身がふっくらと旨かった。
料理の腕というよりも、岩魚の出来がよかったのかもしれない。
もう一軒とはしごをすれば、
御主人夫婦とちっちゃな女の子が迎えてくれた。
ほかに客の姿もなく閑散としているのに
こちらの店は肴にひと工夫の旨さがあって
地元の水尾と北光正宗の杯がすすんだ。
女の子に見送られて外へ出て、
もう一軒、お好み焼き屋で豚バラ焼きと焼きそばで
腹を締めれば、あとはゆっくり宿で横になるだけとなる。
年上の友だちは、いつか野沢で店をやりたいという。
年下の友だちは、草津で店をやりたいという。
温泉のある町に住むのもいいなあとうなずいた。
歳を重ねたやもめ男三人、
肌身ぬくもりで癒せぬ身は、温泉の温かさだけが
救いのたねになっているのだった。
野沢温泉、菜の花の咲くころにふたたびゆっくり
来てみたい。
友だちふたりに、ときどき温泉まで連れて行ってもらう。
年上の友だちと年下の友だち、
それぞれ飲食を生業にしている。
野沢温泉まで出かけた。
飯山に入ると、ふきつける雪の量が増え、
道の両側の厚い雪の壁に、この冬のきびしさがうかがえる。
瑞穂の地区を抜け野沢へゆけば、
春、菜の花で一面彩られると想像できないほど
さらに雪が多い。
宿に着いて荷物を置いて、ひと風呂へと出かけた。
野沢のお湯はすこぶる熱いと聞いていた。
おそるおそる外湯の戸を開ければ、
熱いぬるい、ふたつの浴槽があって、
まよわずぬるいほうに浸かった。
地元の人に観光客、つぎつぎとお湯を求めてやってくる。
いれちがいに外へ出たら、雪の降りもはげしくなって
すぐそばの居酒屋へ腰を下ろした。
酒を頼み、肴を頼む。
本場のはずなのに、野沢菜はそんなに旨くない。
混んでいる店なのに、他の肴もたいしたことはなく
これで繁盛してるんだからいいよなあと、
友だちふたり、妙な感心をしていた。
それでも岩魚の塩焼きだけは、身がふっくらと旨かった。
料理の腕というよりも、岩魚の出来がよかったのかもしれない。
もう一軒とはしごをすれば、
御主人夫婦とちっちゃな女の子が迎えてくれた。
ほかに客の姿もなく閑散としているのに
こちらの店は肴にひと工夫の旨さがあって
地元の水尾と北光正宗の杯がすすんだ。
女の子に見送られて外へ出て、
もう一軒、お好み焼き屋で豚バラ焼きと焼きそばで
腹を締めれば、あとはゆっくり宿で横になるだけとなる。
年上の友だちは、いつか野沢で店をやりたいという。
年下の友だちは、草津で店をやりたいという。
温泉のある町に住むのもいいなあとうなずいた。
歳を重ねたやもめ男三人、
肌身ぬくもりで癒せぬ身は、温泉の温かさだけが
救いのたねになっているのだった。
野沢温泉、菜の花の咲くころにふたたびゆっくり
来てみたい。
酒日さんさん
如月 七
ひと気のない鶴賀の町に、行きつけのおでん屋がある。
馴染みの店がいくつかあって、
上等の刺身で、気に入りの純米吟醸を酌むのも好いが
さびれた町のちいさなおでん屋で
厚揚げと漬け物あたりで普通酒の燗酒を
ちびりちびりとやるのも、わびしい落ち着きがあって好い。
普通酒といっても、置いてある中野の岩清水はかなり旨い。
今週、酒屋の峯村くんが蔵見学に行くといっていた。
どんな印象を受けたかゆっくり話を聞いてみたい。
おでん屋では月に一度、日本酒の会を行なっている。
常連さん四、五人、ひとり一本持ち寄って飲み比べをする。
これは旨いと言わしめたい。
みんな腹に抱えて持ち寄るから
この夜ばかりは銘酒居酒屋へと様変わりをする。
二月、宮城の伯楽星に青森の陸奥八仙、
山形の出羽桜に豊野の大信州に新潟の越後桜と、
高知の司牡丹の船中八策が顔をそろえる。
出羽桜と司牡丹はなつかしい。
日本酒にのめりはじめた二十五年前、
上善如水や一の蔵などとともに酌んでいた。
そのあとに石川の菊姫と天狗舞にはまり
佐久の明鏡止水に出会い、
長野にも安くて旨い酒があるとよろこんだ。
歳をかさねながら、怠けぐせばかりが増してきて
どんどんずぼらになるものの、
家飲みで外飲みで、あまたの銘柄くちにすることだけ
ずいぶんまめにやってきた。
しくじり多い人生の、そのときどきに愛した銘柄があり
酒に飲まれること多々あれど、酒に救われることも多かった。
屈託をかかえて生きているつもりでも
冬から春にかけての新酒の出来ぐあいと、
夏すぎて秋にかけてのひやおろしの味ののりぐあいと
毎年それがいちばんの気がかりごとになっているから
つくづく人間の出来の軽さがわかる。
今年の春の酒を酌み。
どんな春になるのだろう。

ひと気のない鶴賀の町に、行きつけのおでん屋がある。
馴染みの店がいくつかあって、
上等の刺身で、気に入りの純米吟醸を酌むのも好いが
さびれた町のちいさなおでん屋で
厚揚げと漬け物あたりで普通酒の燗酒を
ちびりちびりとやるのも、わびしい落ち着きがあって好い。
普通酒といっても、置いてある中野の岩清水はかなり旨い。
今週、酒屋の峯村くんが蔵見学に行くといっていた。
どんな印象を受けたかゆっくり話を聞いてみたい。
おでん屋では月に一度、日本酒の会を行なっている。
常連さん四、五人、ひとり一本持ち寄って飲み比べをする。
これは旨いと言わしめたい。
みんな腹に抱えて持ち寄るから
この夜ばかりは銘酒居酒屋へと様変わりをする。
二月、宮城の伯楽星に青森の陸奥八仙、
山形の出羽桜に豊野の大信州に新潟の越後桜と、
高知の司牡丹の船中八策が顔をそろえる。
出羽桜と司牡丹はなつかしい。
日本酒にのめりはじめた二十五年前、
上善如水や一の蔵などとともに酌んでいた。
そのあとに石川の菊姫と天狗舞にはまり
佐久の明鏡止水に出会い、
長野にも安くて旨い酒があるとよろこんだ。
歳をかさねながら、怠けぐせばかりが増してきて
どんどんずぼらになるものの、
家飲みで外飲みで、あまたの銘柄くちにすることだけ
ずいぶんまめにやってきた。
しくじり多い人生の、そのときどきに愛した銘柄があり
酒に飲まれること多々あれど、酒に救われることも多かった。
屈託をかかえて生きているつもりでも
冬から春にかけての新酒の出来ぐあいと、
夏すぎて秋にかけてのひやおろしの味ののりぐあいと
毎年それがいちばんの気がかりごとになっているから
つくづく人間の出来の軽さがわかる。
今年の春の酒を酌み。
どんな春になるのだろう。
模様替えをして
如月 六
亡くなったいとこは古いものが好きだった。
営んでいたラーメン屋の店内には
たくさんの柱時計が時をきざみ、
古伊万里の蕎麦猪口や明治や大正のころの
コップやグラスが飾られていた。
不用なものを頂いたこともあり、
今では形見になっている。
落ち着いた店の雰囲気をまねして
仕事場にミシンふたつに柱時計ふたつ、
オブジェにして仕事をしている。
骨董品を収集している若い人と知り合いになり
酒を酌み交わすようになった。
古いガラスケースとストーブを貸してくれるといい、
置いてみたら仕事場になじんで好い。
ガラスをみがき、祖母の使っていた鋏と櫛、
父の愛用していたカメラ、
いとこに頂いたガラスの器を飾る。
空いたスペースには、気に入りの石田千さんの
本を並べた。
ストーブは日立の昔のもので、単純な形に愛嬌がある。
火をつければ思いのほかあたたかく重宝する。
訪ねてきた人が、
昔の和菓子屋さんが使ってたねえ。
こんなストーブ、うちにもあったなあと
なつかしがってくれる。
お年寄りの多い町、昔なじみになごんでもらえるのは
こちらもうれしいことだった。
それまで使っていた黒檀のついたてを、
茶の間と台所の間仕切りにして、
床の間に桜の枝を飾った。
身近な場所の模様替えをして、気分もすこしあたらしくなる。
この冬は、ことさら冷え込みがきびしかった。
陽がのびて、朝も早くに明るくなってきた。
氏神さんにお参りに行けば、
木々の鳥のさえずりもずいぶんとにぎやかになっている。
今年の春が近づいているなあと思う。
春を待つ思いは誰も幸せにできるだろう

亡くなったいとこは古いものが好きだった。
営んでいたラーメン屋の店内には
たくさんの柱時計が時をきざみ、
古伊万里の蕎麦猪口や明治や大正のころの
コップやグラスが飾られていた。
不用なものを頂いたこともあり、
今では形見になっている。
落ち着いた店の雰囲気をまねして
仕事場にミシンふたつに柱時計ふたつ、
オブジェにして仕事をしている。
骨董品を収集している若い人と知り合いになり
酒を酌み交わすようになった。
古いガラスケースとストーブを貸してくれるといい、
置いてみたら仕事場になじんで好い。
ガラスをみがき、祖母の使っていた鋏と櫛、
父の愛用していたカメラ、
いとこに頂いたガラスの器を飾る。
空いたスペースには、気に入りの石田千さんの
本を並べた。
ストーブは日立の昔のもので、単純な形に愛嬌がある。
火をつければ思いのほかあたたかく重宝する。
訪ねてきた人が、
昔の和菓子屋さんが使ってたねえ。
こんなストーブ、うちにもあったなあと
なつかしがってくれる。
お年寄りの多い町、昔なじみになごんでもらえるのは
こちらもうれしいことだった。
それまで使っていた黒檀のついたてを、
茶の間と台所の間仕切りにして、
床の間に桜の枝を飾った。
身近な場所の模様替えをして、気分もすこしあたらしくなる。
この冬は、ことさら冷え込みがきびしかった。
陽がのびて、朝も早くに明るくなってきた。
氏神さんにお参りに行けば、
木々の鳥のさえずりもずいぶんとにぎやかになっている。
今年の春が近づいているなあと思う。
春を待つ思いは誰も幸せにできるだろう
パソコンうつうつ
如月 五
良い予感は当たったためしがないものの、
わるい予感はよく当たる。
電話を光回線にかえたのだった。
NTTの代理店から電話代が安くなると言われ
それではとお願いした。
それからたびたび、担当の方から電話がかかってくるようになる。
話しぶりにめりはりがなく、
電話だけのやり取りなのだから、もうすこし
声に気持ちを入れれば良いのにと気になる。
いちどの電話で済むことを
何度も分けて聞いてくるのも気になった。
書類が届き、わからないことがあったから電話をしたら
おりかえしこちらから電話をするという。
二日たっても三日たってもかかってこないから
もういちどかけて、電話を受けた別の方に聞いて
事なきを得た。
それから十日ほどしてから、
わからないことがあるとのことですがと電話がかかってきて、
あまりの時間のずれにあきれた。
新入社員で仕事に慣れていないのか、
いそがしすぎて思考がまひしているのか、
だいじょうぶかなあと心配になる。
工事の当日、回線を接続してくれたお兄さんに
ブロバイダーからの書類を見せてくださいと言われ
???となる。そんなものは届いていない。
それがないとパスワードがわからないから
つなげられないと言われ、
あわてて代理店に問い合わせをした。
しばらくしてから恐縮した声で、
すみません。担当の者が手続きするのを忘れていましたと
返事が来て、
いやな予感がすんなり当たり、涙が出そうになった。
手違いはだれにでもある。
これも、日々の暮らしのちいさな修行と思えば我慢もきく。
言いきかせて腹の虫をおさめて、すぐの手配をお願いした。
それから予定より一週間遅れて、パソコンを開くことができた。
動きがわるくてと飲み仲間の友だちに相談をしたら
すぐに治しに来てくれて、
以前とは比べものにならぬほどさくさく動くようになる。
おまけに無線ランにしてくれて、
対処のできない疎い身にありがたいこととなり、
いとうれしい。

良い予感は当たったためしがないものの、
わるい予感はよく当たる。
電話を光回線にかえたのだった。
NTTの代理店から電話代が安くなると言われ
それではとお願いした。
それからたびたび、担当の方から電話がかかってくるようになる。
話しぶりにめりはりがなく、
電話だけのやり取りなのだから、もうすこし
声に気持ちを入れれば良いのにと気になる。
いちどの電話で済むことを
何度も分けて聞いてくるのも気になった。
書類が届き、わからないことがあったから電話をしたら
おりかえしこちらから電話をするという。
二日たっても三日たってもかかってこないから
もういちどかけて、電話を受けた別の方に聞いて
事なきを得た。
それから十日ほどしてから、
わからないことがあるとのことですがと電話がかかってきて、
あまりの時間のずれにあきれた。
新入社員で仕事に慣れていないのか、
いそがしすぎて思考がまひしているのか、
だいじょうぶかなあと心配になる。
工事の当日、回線を接続してくれたお兄さんに
ブロバイダーからの書類を見せてくださいと言われ
???となる。そんなものは届いていない。
それがないとパスワードがわからないから
つなげられないと言われ、
あわてて代理店に問い合わせをした。
しばらくしてから恐縮した声で、
すみません。担当の者が手続きするのを忘れていましたと
返事が来て、
いやな予感がすんなり当たり、涙が出そうになった。
手違いはだれにでもある。
これも、日々の暮らしのちいさな修行と思えば我慢もきく。
言いきかせて腹の虫をおさめて、すぐの手配をお願いした。
それから予定より一週間遅れて、パソコンを開くことができた。
動きがわるくてと飲み仲間の友だちに相談をしたら
すぐに治しに来てくれて、
以前とは比べものにならぬほどさくさく動くようになる。
おまけに無線ランにしてくれて、
対処のできない疎い身にありがたいこととなり、
いとうれしい。
きなりの雲
如月 四
石田千さんの新刊が出た。
前回の小説につづいてこのたびの作品も
芥川賞の候補になった。
惜しくも当選ならなかったものの、
賞というものに執着しない雰囲気の人だから
気に入りでも、
残念という気持ちにならずに済むのはよいことだった。
きなりの雲の主人公のさみ子さんは、
恋人にふられ、しずんだ気持ちですごす日々がつづく。
食べることを雑にして、睡眠不足になり体調をくずす。
ちゃんとした食事に規則正しい生活。
我に返って顔を上げたとき、
住んでいる古いアパートの住人の松本さんや、
いつも草木の手入れをしている田中さん、
編み物教室の生徒の小学生のちさちゃんや、
昔の職場の先輩の玲子さんと、御主人の中野さんとの
絡みの中、
恋人との再会があり、これからの道すじを探してゆく
話なのだった。
日々つつがなく暮らしている中で、
まわりの人の在り方が、往きかたを定めるきっかけになる。
垣間見える人柄に、ほそくながくの縁を求めたり
中途半端な思いはかえって迷惑のもとと
思いなおしたこともあった。
付き合いの長い短いが深い浅いにつながらないことや
それぞれの柄がわるくなくても
組み合わせのうまくいかないことや
言葉をかさねても伝わらないことがあると
日々の積みかさねでしみとおったこともある。
欲張らないこと。たし算よりもひき算で。
さらさらいくにはそれがかんじんとわかっているのに
ふがいなさが顔を出す。
久しぶりに玄関先の枝をかえた。
買ってきた白木蓮は春先の枝ものという。
それでも大ぶりの白い花は、二月の澄んだ空気に合う。
こんなふうにぽつっと単純に。
それがなかなかなあと眺めた。
料理雑誌に、カウンターで飲んでいる石田千さんが載っていた。
文体とおなじ涼やかな横顔が、見ていて飽きない。

石田千さんの新刊が出た。
前回の小説につづいてこのたびの作品も
芥川賞の候補になった。
惜しくも当選ならなかったものの、
賞というものに執着しない雰囲気の人だから
気に入りでも、
残念という気持ちにならずに済むのはよいことだった。
きなりの雲の主人公のさみ子さんは、
恋人にふられ、しずんだ気持ちですごす日々がつづく。
食べることを雑にして、睡眠不足になり体調をくずす。
ちゃんとした食事に規則正しい生活。
我に返って顔を上げたとき、
住んでいる古いアパートの住人の松本さんや、
いつも草木の手入れをしている田中さん、
編み物教室の生徒の小学生のちさちゃんや、
昔の職場の先輩の玲子さんと、御主人の中野さんとの
絡みの中、
恋人との再会があり、これからの道すじを探してゆく
話なのだった。
日々つつがなく暮らしている中で、
まわりの人の在り方が、往きかたを定めるきっかけになる。
垣間見える人柄に、ほそくながくの縁を求めたり
中途半端な思いはかえって迷惑のもとと
思いなおしたこともあった。
付き合いの長い短いが深い浅いにつながらないことや
それぞれの柄がわるくなくても
組み合わせのうまくいかないことや
言葉をかさねても伝わらないことがあると
日々の積みかさねでしみとおったこともある。
欲張らないこと。たし算よりもひき算で。
さらさらいくにはそれがかんじんとわかっているのに
ふがいなさが顔を出す。
久しぶりに玄関先の枝をかえた。
買ってきた白木蓮は春先の枝ものという。
それでも大ぶりの白い花は、二月の澄んだ空気に合う。
こんなふうにぽつっと単純に。
それがなかなかなあと眺めた。
料理雑誌に、カウンターで飲んでいる石田千さんが載っていた。
文体とおなじ涼やかな横顔が、見ていて飽きない。
知世さんとミシンと
如月 三
定期購読しているクロワッサンに
原田知世さんが載っていた。
昔から気に入りの女優さんで、
今年デビュー三十周年をむかえるという。
四十五歳になるというのに、
モノクロのマシュマロ頭の写真を眺めれば
澄んだ雰囲気はすこしも変わることがない。
今年久しぶりの出演作品が上映されているという。
長野での公開を楽しみに待っている。
仕事場のオブジェに、昔のミシンを二台置いてある。
古いものが好きで、どちらも近所のお宅が改築をするときに
もう使わないからというのをもらってきたものだった。
どちらも昭和二十五年当たりのもので
朝の連続ドラマを見ている人に
カーネーションにも出てたわねとか、
昔は子供の洋服を縫ったものだわと
なつかしがられるのだった。
ある日、初めての人が訪ねてきてくれた。
原田知世さんそっくりの空気をまとった人で、
つい最近近所に引っ越してきたという。
髪を切り帰りぎわ、
ミシンいいですねと、やさしい笑顔で愛でてくれた。
それからときどき足を運んでくれるようになり、
ぽつりぽつりと話をすれば、
おおきな失恋をしたことや、
しずかな門前町で生活をやり直そうと
引っ越してきたことなどを話してくれた。
雪降りの途切れた晴れた朝、早々に訪ねてきて
お願いがあるという。
じつは以前、洋裁を生業にしていたという。
このミシンを見て気持ちがかたまった。
もういちど洋服を作る暮らしをしたい。
ここでこのミシンで仕事をさせてくださいと
頭を下げられた。
お役に立つならありがたい。
どうぞ使ってくださいとこころよく引き受けた。
それ以来、朝いっしょに珈琲を飲み、
こちらは髪を切り、その人は仕事場のすみで
かたかた洋服を縫い、ゆるやかな共同生活が始まった。
原田知世さんとミシンを眺めながら、
そんな小説のようなすてきな出会いはないものかと
妄想していたらむなしくなって、
寒さがよけい身に染みるのは、なんともなさけのないことだった。

定期購読しているクロワッサンに
原田知世さんが載っていた。
昔から気に入りの女優さんで、
今年デビュー三十周年をむかえるという。
四十五歳になるというのに、
モノクロのマシュマロ頭の写真を眺めれば
澄んだ雰囲気はすこしも変わることがない。
今年久しぶりの出演作品が上映されているという。
長野での公開を楽しみに待っている。
仕事場のオブジェに、昔のミシンを二台置いてある。
古いものが好きで、どちらも近所のお宅が改築をするときに
もう使わないからというのをもらってきたものだった。
どちらも昭和二十五年当たりのもので
朝の連続ドラマを見ている人に
カーネーションにも出てたわねとか、
昔は子供の洋服を縫ったものだわと
なつかしがられるのだった。
ある日、初めての人が訪ねてきてくれた。
原田知世さんそっくりの空気をまとった人で、
つい最近近所に引っ越してきたという。
髪を切り帰りぎわ、
ミシンいいですねと、やさしい笑顔で愛でてくれた。
それからときどき足を運んでくれるようになり、
ぽつりぽつりと話をすれば、
おおきな失恋をしたことや、
しずかな門前町で生活をやり直そうと
引っ越してきたことなどを話してくれた。
雪降りの途切れた晴れた朝、早々に訪ねてきて
お願いがあるという。
じつは以前、洋裁を生業にしていたという。
このミシンを見て気持ちがかたまった。
もういちど洋服を作る暮らしをしたい。
ここでこのミシンで仕事をさせてくださいと
頭を下げられた。
お役に立つならありがたい。
どうぞ使ってくださいとこころよく引き受けた。
それ以来、朝いっしょに珈琲を飲み、
こちらは髪を切り、その人は仕事場のすみで
かたかた洋服を縫い、ゆるやかな共同生活が始まった。
原田知世さんとミシンを眺めながら、
そんな小説のようなすてきな出会いはないものかと
妄想していたらむなしくなって、
寒さがよけい身に染みるのは、なんともなさけのないことだった。
オリオンと北斗七星と
如月 二
今季の新酒を酌んでいる。
この冬は、冷え込みきびしく雪も降りつづく。
睡眠もままならず、仕込みに精をだすのは
酒造りの常とはいえ、たいへんなことと
蔵のみなさんに頭が下がる。
杯をかたむければ、一席交えた蔵の方々の
顔が思い浮かぶ。
川の町に蔵のある、十九のしらかば錦の純米は
瓶詰めをしてから、このごろ出荷されるまで
冷蔵庫で熟成されていたという。
かつてお世話になった醸造試験所の先生が、
星になっても見守っていると、
オリオン座を指差して、杜氏に言ってくれたという。
この酒のラベルには、そんないわれのオリオン座が
あしらってある。
封を切り窓を開ければ、
半分欠けた月の下、三ツ星を真ん中に
おおきくひかっている。
星を眺めながら酒を酌んだのは久しぶりのことだった。
冷えこんで晴れた日は、空気もきりっと透明になる。
冷気の星空をあおぎながら燗酒を酌むのも
冬の趣きと好い。
山の町に蔵のある北光正宗は、北斗七星にちなんで
つけられた銘柄という。
この蔵の杜氏は、26歳の跡取り息子さんがやっている。
大学を卒業してサラリーマンをしていたときに、
杜氏のおじさんにあたる人が先輩にいた。
気立ての穏やかなやさしい人で、
ずいぶんと世話になったものだった。
まだ日本酒に親しむ前のころで、
実家は飯山の酒蔵だと聞かされても、
ああ、そうなんですかと気にもとめなかった。
今ならまちがいなくただ酒のご提供期待して、
べったりくっ付くぐらい親しくしてしまう。
今はどこなにをしているのか、なつかしい。
杜氏に会ったら尋ねてみたい。
新酒をまだまだ楽しめるのは、寒い冬のよりどころと
ありがたい。
今季の新酒を酌んでいる。
この冬は、冷え込みきびしく雪も降りつづく。
睡眠もままならず、仕込みに精をだすのは
酒造りの常とはいえ、たいへんなことと
蔵のみなさんに頭が下がる。
杯をかたむければ、一席交えた蔵の方々の
顔が思い浮かぶ。
川の町に蔵のある、十九のしらかば錦の純米は
瓶詰めをしてから、このごろ出荷されるまで
冷蔵庫で熟成されていたという。
かつてお世話になった醸造試験所の先生が、
星になっても見守っていると、
オリオン座を指差して、杜氏に言ってくれたという。
この酒のラベルには、そんないわれのオリオン座が
あしらってある。
封を切り窓を開ければ、
半分欠けた月の下、三ツ星を真ん中に
おおきくひかっている。
星を眺めながら酒を酌んだのは久しぶりのことだった。
冷えこんで晴れた日は、空気もきりっと透明になる。
冷気の星空をあおぎながら燗酒を酌むのも
冬の趣きと好い。
山の町に蔵のある北光正宗は、北斗七星にちなんで
つけられた銘柄という。
この蔵の杜氏は、26歳の跡取り息子さんがやっている。
大学を卒業してサラリーマンをしていたときに、
杜氏のおじさんにあたる人が先輩にいた。
気立ての穏やかなやさしい人で、
ずいぶんと世話になったものだった。
まだ日本酒に親しむ前のころで、
実家は飯山の酒蔵だと聞かされても、
ああ、そうなんですかと気にもとめなかった。
今ならまちがいなくただ酒のご提供期待して、
べったりくっ付くぐらい親しくしてしまう。
今はどこなにをしているのか、なつかしい。
杜氏に会ったら尋ねてみたい。
新酒をまだまだ楽しめるのは、寒い冬のよりどころと
ありがたい。
携帯あれこれ
如月 一
年が明けてひと月がすぎた。
一月は、毎年物入りな月となる。
今月はその分つつましく暮らしたい。
ことにご機嫌な気分で、飲み屋で散財せぬように
よくよく言い聞かせる。
調子のわるいパソコンへのメールを
携帯電話に転送していたら、
電池がずいぶん早く終わるようになった。
不精な身は、そのたびの充電すら面倒くさい。
機種を変えれば持ちも良いかとよぎったものの、
使い始めて一年、愛着も出てきたから
欲張らず有るもの大事につつましくときめる。
遠くの知り合いから、久しぶりのメールが届いた。
この頃携帯電話を変えたという。
普通の携帯電話にしようと思ったら、
値段がかなり高くなるとのことで、スマートフォンにしたという。
携帯電話を買うときは、たいてい型おくれの
安い値段のばかりを買っていたから
今どきの新しい機種の値段がわからない。
ホームページで調べてみたら、機能満載のスマートフォンよりも
普通の携帯電話のほうが高くてたまげた。
電話ひとつにも、世の中の仕組みがわからなくなっているのは
なんともなさけのないことだった。
知り合いが、機種変更をするためにドコモへ出かけた。
すっかりスマートフォンにするつもりだったのに
いきなりらくらくフォンをすすめられて面食らったという。
二歳年上の人で、貫禄のある体格は、
たしかに年かさが増して見える。
そんなにおじいさんに見られたのかなあと、
気にしてなげいていた。
スマートフォンをすすめられるか、らくらくフォンか。
思わぬところで、見た目の按配加減が
試される歳になっているのだった。

年が明けてひと月がすぎた。
一月は、毎年物入りな月となる。
今月はその分つつましく暮らしたい。
ことにご機嫌な気分で、飲み屋で散財せぬように
よくよく言い聞かせる。
調子のわるいパソコンへのメールを
携帯電話に転送していたら、
電池がずいぶん早く終わるようになった。
不精な身は、そのたびの充電すら面倒くさい。
機種を変えれば持ちも良いかとよぎったものの、
使い始めて一年、愛着も出てきたから
欲張らず有るもの大事につつましくときめる。
遠くの知り合いから、久しぶりのメールが届いた。
この頃携帯電話を変えたという。
普通の携帯電話にしようと思ったら、
値段がかなり高くなるとのことで、スマートフォンにしたという。
携帯電話を買うときは、たいてい型おくれの
安い値段のばかりを買っていたから
今どきの新しい機種の値段がわからない。
ホームページで調べてみたら、機能満載のスマートフォンよりも
普通の携帯電話のほうが高くてたまげた。
電話ひとつにも、世の中の仕組みがわからなくなっているのは
なんともなさけのないことだった。
知り合いが、機種変更をするためにドコモへ出かけた。
すっかりスマートフォンにするつもりだったのに
いきなりらくらくフォンをすすめられて面食らったという。
二歳年上の人で、貫禄のある体格は、
たしかに年かさが増して見える。
そんなにおじいさんに見られたのかなあと、
気にしてなげいていた。
スマートフォンをすすめられるか、らくらくフォンか。
思わぬところで、見た目の按配加減が
試される歳になっているのだった。