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酔いの縁に

2014年02月27日

 へこりと at 15:38  | Comments(2)
如月 十二

朝起きたら、左手の甲にメモ書きがある。
水 西 十九。
なんのことかわからない。
前の晩、
飲み仲間のかたがたと、したたかに酔ったのだった。
ぼんやりした頭で思いだせず、
しばらくしてカレンダーをめくったら、
三月十九日が水曜日だった。
水 酒 十九か。
その日に飲み会が入ったのかと察したものの、
どこでだれとが思い当たらない。
次の日、
いっしょに酌み交わしたかたからメールが来た。
もしかして、今夜の飲み会のこと忘れてます?
なんのことはない。本日水曜日十九時に、
飲み会の約束をしていたのだった。
忘れぬためのメモ書きの、
中味を忘れていたのは、本末転倒なことだった。
こんなことがしばしばある。
飲み会をした後日、
ご一緒したかたに、その日の写メールを見せてもらう。
記憶にない、
ごきげんなありさまの我が身を見るたびに、
穴を掘って隠れたくなる。
公開されたくなければビールをおごれ。
脅されたら、すなおに無条件降伏の写真ばかりだった。
酒飲みの父は、
若いころ、毎晩のように酔っぱらって帰ってきた。
次の日、母にさんざん怒られても、
おぼえていないと言い訳ばかりしていた。
しらっととぼけていると眺めたものの、
この歳になり、
ほんとにおぼえていなかったのだとわかる。
まだ携帯電話やスマホのないときだったから、
証拠ものこらず好い時代だった。
おじさんになって、宴を共にしてくれるかたも、
年下のかたがほとんどになった。
よくもまあ付き合ってくれると、
若いかたの度量のひろさがありがたい。
この二月、先日店じまいをした、
飲み屋の常連さんがたと酌み交わす日がつづいた。
店じまいの宴をご一緒して、この日も御主人を励ましに、
あたらしく勤めはじめた店に、
みんなで出かけたのだった。
店の主から勤め人へ。
腹をきめて、ひろいフロアーをきびきび動く姿に、
ビールが鼻につんとくる。
せつない味もうれしい味も。
酌み交わせる若いかたにめぐまれたのは、
酔っぱらい冥利なことだった。




  


再開を待って

2014年02月23日

 へこりと at 17:19  | Comments(0)
如月 十一

身の拠りどころがなくなるのは寂しい。
世話になっていた飲み屋さんが、店じまいをしたのだった。
土曜日、店いっぱいに集まった常連さんと、
お疲れさまでしたの乾杯をして、さいごの宴となった。
御主人夫婦の、思いのほか明るい笑顔に救われて、
今夜は店の酒、
ぜんぶ飲んじゃってくださいの台詞がすこしせつない。
たまたま店の前を通ったのだった。看板には食堂とあるのに、
入口の日本酒の空き瓶がみょうに気になった。
しばらくして足を運んでみたら、
日本酒と焼酎の品揃えがはんぱじゃなく、
こんな住宅街にこんな店がとおどろいた。
ありがたいのは、食堂だから昼間もやっている。
仕事が休みの日、あんかけ焼きそばをつまみに、
ビール一本に日本酒一杯、のつもりがつい三杯。
至福の昼めし時間だった。
そのうちに、ときどき行なわれる、
日本酒の会にも声をかけていただくようになる。
気持ちの好い常連さんとも酌み交わす機会もできて、
たのしい縁を作っていただいた。
東洋美人に而今、
なかなか手に入らない銘柄がふつうに飲めたのも、
早くから扱った先見の明があったからだった。
行くたびに、
初めての銘柄を利かせていただくことも多く、
地酒の好さをひろめた功績を思えば、
ほんとに残念なことだった。
店じまいの理由に思いをむければ、
理不尽で不愉快なことと、今だにはらわたが煮えくり返る。
気持ちを切りかえてあたらしい暮らしを始める、
御主人家族を応援したくなるのだった。
御主人はしばらく勤めに出て、
また時期がきたら店を始めたいという。
二年間は待ってやる。 ガンバレ コノヤロー おら!!
常連の女性が、お祝い袋にメッセージを添えた。
店の再開、みんなで待っています。がんばってください。



  


神様のカルテを読みながら

2014年02月22日

 へこりと at 15:16  | Comments(0)
如月 十

雪が止んで青空の日がつづく。
冷え込みのきびしさは相変わらずだから、
積もった雪が固まって、片づけるのがめんどうになる。
それでも、日なたに出ておてんとうさんに向き合えば、
陽射しに春のつよさが増している。
この冬も、もうすこしのことなのだった。
訪ねてくる人のないしずかな平日、
神様のカルテ3を読んですごした。
信州は松本で、地域の医療をささえる病院を舞台に、
主人公の内科医が、
仲間や友人や家族との関わりの中で、
患者と向き合う日々をつづっている。
作者の夏川草介さんは、実際のお医者だという。
話の途中、たびたび信州の酒の名前が出てきて、
おそらくは、駒ヶ根の信濃鶴がお気に入りと察した。
純米酒しか造らないお蔵さんの味は、
値段が安いわりに好く、南信の銘酒のひとつと思う。
文中にアルコール性肝硬変の患者が登場する。
他人ごとではないなと思いながら、
信濃鶴、最近飲んでないなとそそられるのは、
始末のわるいことだった。
来月には映画も公開されるから、
楽しみに待っている。
それにしても、この小説を読むたびに、
医学の道を志す人は、
なにをもってその心境になるのかと感心をする。
ことに外科の先生にいたっては、
とてもおなじ人間とは思えない。
ときどきテレビで、
有名な先生が手術をしている場面に出くわすことがある。
切り開いて、内臓をいじっているところを観ただけで、
体中の力が抜けて、チャンネルを変えることとなる。
看護師をしている友だちにいわせると、
外科の先生にも、手術のあとの縫合の上手い人と、
下手な人がいるという。
二十年前に、交通事故であごの骨を折った。
手術をしてくれた先生は、
見た目わからぬほどきれいに縫ってくれ、
ありがたかった。おかげで、
いい男だいなしとならずに今日に至っている。
読みおえて時計を見たら、夕方の五時を回っていた。
もうこんな時間とおどろくほど外は明るい。
春に向かって、すっかり陽ものびているのだった。


  


大声出さずに

2014年02月21日

 へこりと at 16:05  | Comments(0)
如月 九

すかっと晴れた日、久しぶりのかたが訪ねてきた。
椅子に座るなり、
ほんと、いやなじじいだったとつぶやいた。
バスに乗ってきたという。
雪は止んだものの、
道路に積もりにつもり、まだ交通が通常通りといかない。
路線バスの運行にも影響が出て、
ずいぶおくれてやってきたという。
おわびを述べる運転手に、いっしょに乗ったおばあさんが、
雪の中ごくろうさまと、ヤクルトをあげたから、
ほほえましいことと眺めた。
ところが、しばらく行った先で乗り込んできたおじいさんが、
つかつか運転手のとこへ行き、
いつまで待たせるんだと!どなったものだから、
和やかな空気が吹き飛んだという。
大雪の中、帰るに帰れず、難儀をしたかたがたくさんいた。
それを思えば、少々のバスの遅れに文句を言うのは、
かっこがわるいと頷いた。
実家の父母は、若いときからけんかばかりしていた。
原因は、たいてい父の酒で、
毎晩酔っておそくに帰ってきては、母の怒りを買っていた。
当時、ばりばりに働いていて、
父よりも稼ぎよく、血気盛んだったから、
外に聞こえるおおきな声で、どなって叩いていた。
それが十年前におおきな手術をしてからは、
あの勢いはどこへやら、すっかり穏やかな柄となった。
ときどき実家に顔を出せば、
けんかをしてるのは相変わらずで、
お父さんがごはんをこぼしてばかりいるとか、
おれに内緒で通販でこんなに菓子を買ったとか、
まことに他愛のないことが原因であきれる。
この頃は、昔の仕返しとばかりに、
父が大きな声でどなるというから、
歳をして、険しい顔はみっともないよ。
片方がいなくなれば、それはそれは寂しくなるのだから、
一緒にいるうちは仲良くねと、
そのたび世話をやいているのだった。
年老いた親よりも先に、
連れ合いをなくした心境がわかるのはなさけないことだった。


  


大雪に

2014年02月18日

 へこりと at 16:28  | Comments(2)
如月 八

週末、大雪日和となった。
とめどなく降る雪に、空と陸の交通がぱたりと止まった。
電車と車が立ち往生し、
車内でたくさんの人ががまんを強いられた。
物流にも影響が出て、
近所のコンビニの棚もすかすかになる。
長野の国道のあちこちでも、動けない車が数珠つなぎになり、
地元のかたが炊き出しをしたり、
泊まる場所を提供する様子が、テレビで映しだされていた。
木曽に暮らす友だちは、二升三合のごはんでおにぎりを作り、
復旧を待つ運転手さんたちに配ったという。
文句を言わずに待つ身にも、無償の助けをする身にも、
思い浮かべれば、頭のさがる気持ちになる。
二月、善光寺では毎年恒例の灯明祭りが行なわれた。
仲見世に、食べ物や飲み物の屋台が出て、
界隈の蕎麦屋では、スタンプラリーも行なわれ、
おおいににぎわう予定だった。
ところがこの大雪の影響で、もくろみがはずれた。
飲食店のご主人に話を聞けば、
売り上げは昨年の半分ほど、店によってはいそがしさに備え、
臨時のアルバイトを雇ったところもあるから、
儲けがなくて出費がかさむのは、泣きっ面に蜂と、
気の毒になった。
この天気では訪ねてくる人もないからと、
路地の雪かきをした。
となり近所のおばさんたちと、
よく降りますなあと言い合いながら、路地のはしに雪を積む。
そんな最中、それでも幾人かのかたが、
足もとわるい中を訪ねてきてくれた。
みなさん、ちかくで御商売をされているかたで、
ぜんぜんお客が来ないからと、
こちらのお客になってもらい申しわけがない。
仕事が休みの月曜日、
朝飯もそこそこに、ひきつづき駐車場の雪かきをした。
スコップですくって、すぐそばの川へ捨てる。
午前中、もくもくと作業をしていれば、
額に汗が浮かんでくる。
あとで計算してみたら、
駐車場と川の往復七十二メートル。
距離にして、十五キロあまりを歩いていた。
好い運動になりました。
しばらくは、
筋肉痛と付き合わなければいけないのだった。



  


痛みにたえて

2014年02月15日

 へこりと at 11:28  | Comments(0)
如月 七

平日の夕方、近所のかたがやってきた。
若い女性を連れてきて、助けてあげてくれという。
どうしたのかと眺めたら、
長い髪にロールブラシがぶらさがっていた。
ほどちかいところにある温泉で、
風呂上りにブローをしていたら、絡まってしまったという。
脱衣所にいたみんなで、
なんとか取ろうとしたものの、らちがあかずに途方にくれた。
これは美容室に駆け込むしかないとなったものの、
若い女性を、
こんな姿で駅前のおしゃれな店に連れて行くのは、
目立つし忍びない。
ひと気がなくて、おしゃれじゃないこの店ならと思いつき、
連れてきたという。
びみょうによろこべない頼みごとに苦笑いが出て、
絡んだ髪をほどきにかかった。
悪戦苦闘しながらほどいていって、
ようやく髪からブラシが離れ、
よかったよかったと顔を見合わせた。
やれやれとひと息ついたら、またずきっときた。
このところ左肩の調子がわるく、
動かすたびに痛みがくるのだった。
整骨院を営む友だちに診てもらったら、
力こぶのところの筋が、炎症をおこしているという。
腕をつかう仕事柄、痛みがあるのはちとつらい。
仕事で酷使したおぼえもなければ、
ころんでぶつけたおぼえもない。
思い当たるのは、
長年の一升瓶の上げ下ろしだけというのは、
なんともなさけのないことだった。
この冬は雪が少ないとよろこんでいたら、
二月になって、週末のたび大雪が降る。
そんな日は、訪ねてくるかたもいないから、
一日路地の雪をかたづけていたら、
肩の痛みも増してきて、
まったく踏んだり蹴ったりなこととなる。
毎日恩湿布を張りかえて、治るのを待っている。



  


笑顔にいやされて

2014年02月13日

 へこりと at 14:17  | Comments(0)
如月 六

会津若松へ出かけた夕方、
居酒屋・籠太さんへおじゃました。
以前、太田和彦さんの居酒屋紀行という番組で、
紹介されていたのをおぼえている。
置き行灯のあかりがやさしい入口から、
靴を脱いで店にあがる。
同行したひとりが、雪で足を濡らしてしまったら、
愛想の好い仲居さんが、ストーブで靴下を乾かしてくれ、
早々の気づかいに気持ちもほぐれる。
入れ込みで生ビールで乾杯をしたら、
カウンターのほうが御主人と酒談義が出来るからと、
席を移してくれたのもうれしいことで、
清潔な杉板のカウンターで、さくら鍋を突っつきながら、
飛露喜、泉川、会津娘、会津の地酒を酌み合う。
貫禄のある御主人に、つぎのおすすめをとお願いすれば、
力づよくうなずいて、コップになみなみと注いでくれる。
見た目とうらはらに、気さくに酒の話もしてくれて、
御主人がいちばん好きだという、
以外や、群馬の酒の味も利かせていただいた。
地酒と郷土料理と、気の利いたもてなしに、
飲んで食べて、ごきげんに酔っぱらって記憶をとばした。
次の日、籠太さんの取り引きしている酒屋へと、
酒を買いに出かけたら、
あいにくと臨時休業とありふられた。
ちかくに、大内宿という宿場町があるというから、
ではそちらへと山道を行く。
しばらく走ったら、真っ白い雪景色のむこうに、
わらぶき屋根の古い家屋のならぶ、
ほそい通りがあった。
道の両側に雪の灯篭が飾られて、
それぞれの軒先で、自家製の味噌や染みだいこん、
せんべいや会津漆器に飾り物を売っている。
どの店を覗いても、
にこにこと、笑顔のおばさんおばあさんが、
やわらかい方言で声をかけてくれ、心地が好い。
土蔵造りの酒屋では、
おじさんが試飲をすすめてくれたから、
いそいそとお言葉に甘えた。
通りの奥の小高い場所から見下ろせば、
雪化粧の、ちいさな宿場町の風情がきれいだった。
酒を買い、味噌を買い、玉こんにゃくをほおばって、
思いがけず楽しい散策ができたのだった。
長野とおなじ山国の、会津の風は白くつめたい。
それでも、
ひととき接してくれたかたがたのあたたかさに癒されて、
好い旅となったのだった。
また寄って酔ってくなんしょ。
鶴ヶ城の桜の咲くころに、また足を運びたくなった。




  


会津へ

2014年02月13日

 へこりと at 11:29  | Comments(0)
如月 五

通りに並ぶ店のあちこちに、
凛々しい綾瀬はるかのポスターが貼ってある。
会津若松に来たのだった。
飲み仲間のかたが、素敵な飲み屋があるという。
では、みんなで遠征して一献と相成った。
ホテルに荷物をあずけて町を散策する。
昼めしにと、会津ラーメンの幟に魅かれて入った店は、
小汚い店内に、
ムード音楽のBGMが流れる怪しい雰囲気で、
愛想のない親父の作ったラーメンは、まあまあの味だった。
店を出て、広い通りをまっすぐ鶴ヶ城へとむかう。
道端のお堀に沿って歩いていけば、
となりの小学校から、子供たちの元気な声が聞こえてくる。
りっぱな石垣に見惚れながら進んでいくと、
雪をかぶった鶴ヶ城が見えてきた。
鶴ヶ城では幕末の戊辰戦争のときに、
会津藩と反幕府軍が壮絶な戦いを行なった。
城内には、当時の展示品や歴史の説明があり、
銃弾や砲弾をさんざん浴びた、
城の写真も飾ってあり痛々しい。
現在の城は、昭和四十年に再建されたものという。
悲劇の歴史をかかえる会津の人にとって、
城の再建は、待ち望んだ悲願だったとうかがえる。
来年は、再建五十周年というから、
めでたいことなのだった。
城を出てから、近くにある宮泉酒造さんへ入ってみた。
銘酒、写楽を醸す蔵の一部を拝見すれば、
ぴかぴかに磨かれた酒米が、酒に成るのを待っている。
できたばかりの新酒を試飲させてもらったら、
きれいな旨みが心地よい。
会津は酒蔵が多いのもうれしいことで、
つづいて、古い木造の構えに趣のある、
末廣酒造さんへ伺った。
こちらでも、
発売されたばかりの新酒から、
大吟醸まで味を利かせていただいて、
夜の宴へのはずみがつく。
会津若松は、蔵と酒の町。
古い蔵造りの店が並び、町に落ち着いた風情がある。
好い町ですなあ。
眺めながら、目当ての飲み屋へ足早になる。



  


突然の葉書に

2014年02月09日

 へこりと at 11:36  | Comments(0)
如月 四

二十五歳のときに結婚をした。
男の子と女の子の親になって、
連れ合いの実家で暮らしていた。
ところが、義理の親との折り合いや、
連れ合いとのかかわりがわるくなり、
がまんがきかずに、五年で家庭を解消した。
そのまま、
子供たちとも音信普通のまま月日をかさね、
養育費を支払い終わったころに、
ひょっこり会いにきてくれたのだった。
息子は母親に似て、
横におおきくなって、少々いかつくなっていた。
娘はといえば、父親に似て、細身の容姿で目が大きく、
それはそれは、きれいになっていてなによりだった。
ひさしぶりに息子が訪ねてきて、
正月、親父宛てに葉書が来たと渡された。
なつかしい住所に、こちらの名前が書いてあり、
差し出し人は、山梨の酒蔵さんだった。
今年も毎年恒例の
酒蔵開放イベントの季節がやってまいりました。
三十種類の利き酒と美味しい料理で
皆さまをおもてなし致しますと書いてある。
毎年届いていたのと息子に聞けば、
今年初めて届いたというから、
なんでまた今ごろとあっけにとられた。
まだ家庭がつづいていたときに、
ホンダの二百五十㏄のバイクを買った。
国道を南下して、山梨へツーリングをしたときに、
立ち寄って見学をしたのだった。
日本酒の味に目覚めたころだったから、
酒蔵の看板に迷わずバイクを停めたのは、
二十三年前のことだった。
二十三年も経てば、人生いろんなことがある。
暮らしも変われば住まいも変わり、
思いの馳せもいろいろとなる。
突拍子もなく届いた葉書に、
わすれていた昔のことを思いだした。
山梨銘醸さんの七賢、
くせのない、素直な味のおぼえがある。
山梨に行ったときは、また寄らせていただきます。



  


日本酒の旨みに

2014年02月07日

 へこりと at 17:31  | Comments(0)
如月 三

料理雑誌のダンチュウの三月号は、
日本酒の特集と決まっている。
新政に松の司、飛露喜に天青に十四代、
ページを開けば、名を馳せる銘柄の蔵元が、
造りに関わる話をされていた。それに合わせて今回は、
あまり削らない米を使った、日本酒の特集が載っていた。
日本酒はたくさん米を削って、
表面のよけいな部分を落としたほうが、
きれいな味になるという。
大吟醸といわれる高級酒で、およそ五割から六割、
なかには、それ以上削った米を使うお蔵さんもある。
先日、四合瓶で二万円の銘柄を酌んだ。
それにいたっては、米の九割二分が削ってあって、
なんとも気品のある味わいで、ぜいたくなひとときとなった。
ところがこのごろになって、米を二割ほどしか削らずに、
仕込みに使うお蔵さんがでてきたという。
じっさい、ときどき足をはこぶ居酒屋で、
兵庫の奥播磨という銘柄の、
その手の味を利いたことがある。
旨みと酸のバランスが好く、飲み飽きしない。
それ以来その店に行くたびに、いつも酌むようになった。
飯山で北光正宗という銘柄を醸すお蔵さんが、
昨年、本数限定の商品を発売した。
地元で栽培している金紋錦という米を、
二割ほど削って造ったその味は、
雑味のない、きれいな旨みがきれよく切れて、
これは好いとおどろいた。
米を削るコストがかからないぶん、値段も手ごろで、
後日蔵元にお会いしたときに、
通年で出してくれとおねがいをしてしまった。
米を削らないと酒の味が粗くなる。
これだけきれいに仕上げるのには、
より神経をすり減らし、
手間をかけているからとうかがえる。
それでいて、
無理なく日常に取り入れられる値段なのだから、
こんなありがたいことはないのだった。
ハレの日に、高価な酒を酌むぜいたくもあれば、
日々の晩酌に、手ごろな旨い酒を酌むぜいたくもある。
酒飲みのよろこびは、
厳寒の夜に、しずかにタンクのもろみに向き合う
蔵人のかたがたの努力に支えられている。
鼻の奥がつんとして、ふかぶか頭を下げたくなる。



  


休みの一日

2014年02月04日

 へこりと at 15:48  | Comments(0)
如月 二

二月最初の週末、おだやかな陽気につつまれて、
節分の日も朝からあたたかい。
部屋を掃除して、洗濯をして、
朝ごはんを食べたら、もうやることがない。
散歩でもしますかと、ぶらぶら町へ出た。
古い町をぬけて川沿いの道をえらぶ。
陽を照り返してながれる水のいきおいは、
さながら、春がきたかと思わせる。
山王小学校を左手にすぎ、繁華街をぬけていく。
おおきな通りからしずかな路地へ、
あてずっぽうに歩いていれば、
じんわり背中が汗ばんでくる。
住宅の間の抜け道を見つけて入っていったら、
おぼえのある、柳町の五差路に出た。
時刻ももうすぐ昼どきと間が好かった。
そこからすぐの、なじみの店で昼めしと相成った。
口開け早々のカウンターにおちついて、
歩きつかれた体を、キリンのラガーで潤した。
牡蠣フライを注文して、日本酒を少々たしなんで、
締めのラーメンで昼のひとときを楽しむ。
くつろげるこの店は、
わけあって今月で閉めるのだった。
愛想の好いご主人夫婦が営んでいて、
常連さんも、感じの好いかたばかりだった。
いちど奥さんがいなかったときに、
高校生の娘さんが、
お父さんを手伝っていたときがある。
にこにこと働く姿に、素直な好い子と目を細めた。
しばらく別のところで働いて、
また店を開きたいというから、
世話になった飲兵衛は、
応援をしなくてはいけないのだった。
腹いっぱいになり、時計を見ればちょうどいい。
今年の善光寺の節分会に、
女優の常盤貴子さんが来るというから、
いそいそと足をはこんだ。
境内で、顔見知りの男性たちに会えば、
口々に、常盤貴子を拝めれば充分という。
考えることは皆いっしょ。
男の福は、単純なことで満たされる。
赤い裃すがたの美しい容姿に見惚れて、
その晩の酒も、ふくふく好い味わいになる。
ひと晩たって次の朝、
打って変わって身を切るつめたい風が吹く。
まだまだ二月の冷え込みに、
油断禁物と身をすくめた。






  


スキーさんざん

2014年02月01日

 へこりと at 14:21  | Comments(0)
如月 一

小学校の教頭先生をしている友だちがいる。
ひさしぶりに訪ねてきた日、体が痛くてとこぼす。
先日、スキー学校に出かけたという。
四年生と五年生と六年生、
総勢三百人を引きつれて飯綱リゾートへ行ってきた。
およそ十年ぶりのスキーで、筋肉痛になったのだった。
スキー人口が減ったと聞いてずいぶんになる。
学校の先生がたも、滑ることのできない人が多いから、
生徒にスキーを教えるのは、
もっぱら地元のインストラクターのかたがたという。
生徒のほうでも、
スキー板を持参してくるのは、クラスの三分の一ていどで、
あとはレンタルの板を借りているという。
生徒のお父さんお母さんの年齢をさかのぼれば、
ちょうどスキーをする人が減って、
スキー場がすたれたころと交差する。
スキーをしない子供が増えても、無理からぬことだった。
小学校四年生のときに、スキー学校に行った。
両親が共働きだったから、それまで、
スキーに連れて行ってもらったことがなかった。
あのころはどこの家でも、
スキー板があるのが当たり前だったから、
買ってもらうことになった。
ところが万事に節約家の父は、
大人になっても使えるようにと、
175センチの長い板を買ってきたのだった。
背の低い、
四年生の子供にそんな板が扱えるはずもなく、
案の定、スキー場では転びつづけ、
しっかり雪だるま状態になっていた。
帰ってきて、父にさんざん文句を言って、
それ以来、すっかりスキーとは無縁の身となった。
このごろのスキー板は、
昔に比べてずいぶん短くなったと聞く。
子供のときにそれがあればと思うと、すこしくやしい。
長野オリンピックの開かれる前、
オリンピック組織委員会に勤める友だちと、
志賀高原の岩菅山に登ったことがある。
歩きながら、スキー会場の予定地だと教えられ、
こんな急なところを猛スピードで滑るのかと驚いて、
足がふるえた。
もうすぐ冬のオリンピックが開催される。
スキーはテレビの前で釘付けで。
それで充分となっているのだった。