ことさら、この冬は
睦月 6
友だちから寒中見舞いが届いた。
寒中お見舞い申し上げます。
耐えて春の到来を待つ。
ほんとにねえ。
自営業の身で、
御多分にもれず、コロナの影響を受けている。
それでも、
耐えるといっても、身軽な独り暮らしの身は、
たかが知れている。
大変なのは、養う家族や、店舗の家賃を
抱えたかたがたや、
医療や介護の現場で働くかたがたで、
心労いかばかりか、想像のおよばないことだった。
年が明けてひと月近く。
馴染みの飲み屋のご主人いわく、
一日のお客がひとりかふたり。
時間短縮の要請が出なくたって、
夜の8時をまわれば、だれも来ないという。
昨年の緊急事態宣言が出たときよりも、
売り上げが落ちているというから、
深刻なことだった。
そのさなか、国のえらい人たちは、
東京オリンピックは必ず開催すると言っている。
昨年、全国で子供たちの行事が、はしから中止に
なったのに、オリンピックは開くというのも、
住む世界がちがうねえの気分になってしまう。
そもそも、東北の震災や原発事故の傷が癒えぬ中、
オリンピックを招致すること自体、
おかしなことと思っていた。
前回のリオ・オリンピックの閉会式で、
安倍晋三首相がスーパーマリオの格好で
登場したときは、
この世の終わりだ・・
とたんに酒が不味くなった。
収束見えないコロナ騒ぎに、気分もさえないことだった。
早朝、散歩の身支度をして外に出たら、夜半の雨で
空気が湿り気をおびて暖かい。
このまま春にならんかねえ。
まだこれから2月、それは無理か。
ことさら春が待ち遠しい、この冬だった。
海街diary
睦月 5
先日テレビで、「海街diary」をみた。
2015年の、是枝裕和監督の作品だった。
鎌倉に住む、幸、佳乃、千佳の3姉妹のもとに、
離れて暮らす父の訃報が届く。
葬儀に出向いた山形の地で、腹ちがいの妹、
すずと出会うのだった。
姉たちは、鎌倉で一緒に暮らそうとすずに呼びかけ、
4姉妹の、新たな生活が始まった。
幸、佳乃、千佳、
それぞれに人間関係や仕事に悩みを抱え、
すずもまた、自らの生い立ちに葛藤を抱えている。
鎌倉の四季織りなす中で、
ときにぶつかり合いつつも、
見守りあい暮らしていくさまが描かれた、
好い作品だった。
4姉妹を演じたのは、綾瀬はるかに長澤まさみに、
夏帆に広瀬すずで、みなさんほんとに美しい。
高校を卒業したあと、
4年間、横浜の3流大学に通っていて、
ときどき授業をさぼって鎌倉へ繰り出していた。
横須賀線の北鎌倉駅で降りて、
道々に並ぶ寺を覗きながら、鶴ケ岡八幡宮や
大仏さんまで。
長谷観音の前の、邪宗門というちいさな喫茶店に
よく立ち寄っていた。
グーグルマップで調べたら、
現在は鎌倉駅前の、小町通りに移っているらしい。
大学で世話になっていた先生が亡くなったとき、
鎌倉から藤沢のご自宅まで、
海沿いの国道を友だちと、
えんえん歩いてお参りに行ったこともあった。
映画の中には見覚えのある景色も映し出されて、
懐かしかった。
年下の友だちが鎌倉に住んでいて、
インスタグラムに、
その日の景色をアップするときがある。
見るたびに、いつかまた行ってみたいと思うのだった。
「海街diary」は、吉田秋生の漫画が原作だという。
全九巻、すみやかにポチっとした。
早朝の散歩で
睦月 4
毎朝、ノルディックウォーキングをしている。
5時の目覚ましで起きられたときは、
7キロから10キロ。
前夜の深酒が効いて寝坊をしたときは、
3キロから4キロ。
東西南北、コースを変えて歩いている。
自宅を出て、その日は東の方向へ。
柳町の通りを歩いていくと、前方に黒いジャンパーの
男性がいた。
追い抜きざま、おはようございますと挨拶をしたら、
いつもお世話さまと返ってきた。
よく見たら、すぐそこのバイク屋のご主人だった。
スーパーカブ、もうすぐ保険が切れるんで、
また伺いますと伝えて、店の前で別れた。
てくてく進んでいくと、五差路の交番の前に、
おまわりさんと、茶髪のか細い女の子の肩を抱いて、
婦警さんが立っていた。
なにがあったんだ・・女の子の悲しい表情を見たら、
わけわからずとも、なんだかせつなくなってしまった。
信号を渡って行くと、右手にスーパーのツルヤがある。
みなみさわさんという、とても美しい
店員さんがいたのに、
ここのところ、ぜんぜん姿が見えずさみしい。
買い物に行くたびに、
未練がましく探してしまうのだった。
となりの、創価学会のビルの角を右手に折れたら、
三重公園の前をすぎて、川沿いの小路を行く。
居町へ出て踏切を渡ったら、早苗町の通りにぶつかる。
ここに、一房という名の蕎麦屋があって、
ちょいと気になっている。
通りを横切って東鶴賀に入れば、
友だちの営む旅館に、お客の姿があった。
宿泊業も今は大変な折り、ほっとした。
まっすぐに、西鶴賀から権堂のアーケードへ。
アーケードの真ん中辺に、
友だちの友だちが営むビストロがあったのに、
いつの間にかテナント募集と貼ってあった。
町を歩いていると、
ぽつぽつと終いになった商売家を見かけ、
おなじ自営の身は、哀しくなってしまうのだった。
中央通りに出たらそのまま善光寺まで、
およそ7キロの散歩だった。
歩くのに支障はないものの、
この頃左側の、腰太もも膝がうずいてしょうがない。
整骨院で診てもらったら、
みやいりさんは歩くときに、左足を少々
引きずるくせがある。
だから左側に負担がかかるのですと言われた。
へえそうなんだ。
この歳になっても、我が身の知らなかった
ことがある。
思い知った次第なのだった。
須坂の料理屋「た幸」にて。
睦月 3
電車に乗って須坂へ出かけた。
知り合いのご主人の,開店祝いに
出かけたのだった。
以前、長野駅の近くで、
料理屋を営んでいたかただった。
ときどきおじゃましては、旨い酒と肴で
もてなしていただいた。
このたび地元の須坂にて、新しく店を
立ち上げたのだった。
須坂駅から1キロほど。
墨坂神社のある八幡町の信号を下った左側に、
うなぎ料理の店、「た幸」はある。
看板のない、小体な構えの玄関を入って、
久しぶりのご主人夫婦に、お祝いのあいさつをする。
ぴかぴかの店内は、個室のテーブルがいくつかと、
カウンターの、こざっぱりとした造りが好い。
使うのは、愛知の三河一色産のうなぎで、
昼の品書きは、うな重に、かば焼きに白焼き、
う巻きたまごとある。
夜の営業は3月からで、土曜日限定の予約制で、
うな重のほかに、いくつかのコースと、冬限定の
とらふぐのコースもある。
清潔な店内で、エビスを飲みながら、
う巻き玉子と、かば焼きと白焼きの
焼きあがるのを待っているのは、
なんともゆったりとした気分になるのだった。
須坂の、ちいさな町の風情が好きで、
ときどき訪れている。
拠りどころができたのは、ありがたいことだった。
うなぎをつまみに、勝駒と而今と〆張り鶴を1合づつ。
ご主人夫婦に開店初日から、しまりのないヨッパの相手を
させてしまいました。
見送られて店をあとにして、墨坂神社に立ち寄った。
りっぱな拝殿に向かい、末々長くの商売繁盛を、
よくよくお願いをした。
酔いざましに、臥竜公園まで上がっていけば、
池のまわりの、ソメイヨシノの枝先に、
ちいさなつぼみがあった。
昨年、コロナのおかげで中止になった、
桜のライトアップはできるのかな。
夜桜眺めて旨い肴で一献。
春が待ち遠しいことだった。

電車に乗って須坂へ出かけた。
知り合いのご主人の,開店祝いに
出かけたのだった。
以前、長野駅の近くで、
料理屋を営んでいたかただった。
ときどきおじゃましては、旨い酒と肴で
もてなしていただいた。
このたび地元の須坂にて、新しく店を
立ち上げたのだった。
須坂駅から1キロほど。
墨坂神社のある八幡町の信号を下った左側に、
うなぎ料理の店、「た幸」はある。
看板のない、小体な構えの玄関を入って、
久しぶりのご主人夫婦に、お祝いのあいさつをする。
ぴかぴかの店内は、個室のテーブルがいくつかと、
カウンターの、こざっぱりとした造りが好い。
使うのは、愛知の三河一色産のうなぎで、
昼の品書きは、うな重に、かば焼きに白焼き、
う巻きたまごとある。
夜の営業は3月からで、土曜日限定の予約制で、
うな重のほかに、いくつかのコースと、冬限定の
とらふぐのコースもある。
清潔な店内で、エビスを飲みながら、
う巻き玉子と、かば焼きと白焼きの
焼きあがるのを待っているのは、
なんともゆったりとした気分になるのだった。
須坂の、ちいさな町の風情が好きで、
ときどき訪れている。
拠りどころができたのは、ありがたいことだった。
うなぎをつまみに、勝駒と而今と〆張り鶴を1合づつ。
ご主人夫婦に開店初日から、しまりのないヨッパの相手を
させてしまいました。
見送られて店をあとにして、墨坂神社に立ち寄った。
りっぱな拝殿に向かい、末々長くの商売繁盛を、
よくよくお願いをした。
酔いざましに、臥竜公園まで上がっていけば、
池のまわりの、ソメイヨシノの枝先に、
ちいさなつぼみがあった。
昨年、コロナのおかげで中止になった、
桜のライトアップはできるのかな。
夜桜眺めて旨い肴で一献。
春が待ち遠しいことだった。
すこしづつに季節が
睦月 2
夕方、日が伸びてきた。早朝も、空の明けるのが
早くなり、
つめたい空気の中を散歩していても、
冬から春へ、
季節のしずかな動きが感じられる。
この冬は雪降りの日がつづく。
それでも、この界隈の雪の量などかわいいもので、
ほかの地では、豪雪のおかげで車が立ち往生したり、
家の中に閉じ込められたり、
みなさん大変な目にあっている。おまけに、
コロナの勢いがぜんぜん収まらず、
鬱屈した気分の年明けなのだった。
先だって、馴染みの飲み屋へ顔を出したら、
あいかわらず、客足が遠のいているという。
1日に、お客ひとりだけという日がしょっちゅうで、
2人3人お客が来れば、たいした儲けが無くても、
ずいぶん働いた気になっちゃうから
困るというのだった。
1月の3連休最後の日、
友だちと蕎麦屋の昼酒に出かけた。
善光寺門前をくだって、
県町のさがやさんへ向かっていくと、
手前の、プラモデル屋の東京堂の前で、
車いすの男性が佇んでいる。
どうしたのかなと店内に目を向けたら、
小学生の男の子が熱心にプラモデルを選んでいた。
そっか。店内は狭くて、車いすでは入れない。
外から息子を見守っていたかと思ったら、
なんだか気持ちが温かくなった。
東京で緊急事態宣言が出てから、ますます暇になったと、
さがやの御主人もこぼす。
承知しました、頑張りますと、
砂肝焼きともつ煮と、イワナの刺身としょうゆ豆で、
大那に若松に松尾に戸隠に澤の花に而今、
日本酒の杯をかさね、
温かい蕎麦で締めたのだった。
好い酔いの帰り道、東京堂へ寄ってみた。
小学生のとき、足しげく通っては、
上から下まで、びっしり積まれたプラモデルの中から、
どれを買おうか、わくわくしながら選んだものだった。
こうして今でも店があるのは貴重なこと。
昔と変わらぬ店内にいると、
老いぼれじじいになっても、
あの頃の気分がもどってくる。
友だちはタミヤの飛行機、紫電改のプラモデルを、
こちらは、愛車スーパーカブのミニチュアを求めた。
手近な場所で、贅沢を楽しんだのだった。


夕方、日が伸びてきた。早朝も、空の明けるのが
早くなり、
つめたい空気の中を散歩していても、
冬から春へ、
季節のしずかな動きが感じられる。
この冬は雪降りの日がつづく。
それでも、この界隈の雪の量などかわいいもので、
ほかの地では、豪雪のおかげで車が立ち往生したり、
家の中に閉じ込められたり、
みなさん大変な目にあっている。おまけに、
コロナの勢いがぜんぜん収まらず、
鬱屈した気分の年明けなのだった。
先だって、馴染みの飲み屋へ顔を出したら、
あいかわらず、客足が遠のいているという。
1日に、お客ひとりだけという日がしょっちゅうで、
2人3人お客が来れば、たいした儲けが無くても、
ずいぶん働いた気になっちゃうから
困るというのだった。
1月の3連休最後の日、
友だちと蕎麦屋の昼酒に出かけた。
善光寺門前をくだって、
県町のさがやさんへ向かっていくと、
手前の、プラモデル屋の東京堂の前で、
車いすの男性が佇んでいる。
どうしたのかなと店内に目を向けたら、
小学生の男の子が熱心にプラモデルを選んでいた。
そっか。店内は狭くて、車いすでは入れない。
外から息子を見守っていたかと思ったら、
なんだか気持ちが温かくなった。
東京で緊急事態宣言が出てから、ますます暇になったと、
さがやの御主人もこぼす。
承知しました、頑張りますと、
砂肝焼きともつ煮と、イワナの刺身としょうゆ豆で、
大那に若松に松尾に戸隠に澤の花に而今、
日本酒の杯をかさね、
温かい蕎麦で締めたのだった。
好い酔いの帰り道、東京堂へ寄ってみた。
小学生のとき、足しげく通っては、
上から下まで、びっしり積まれたプラモデルの中から、
どれを買おうか、わくわくしながら選んだものだった。
こうして今でも店があるのは貴重なこと。
昔と変わらぬ店内にいると、
老いぼれじじいになっても、
あの頃の気分がもどってくる。
友だちはタミヤの飛行機、紫電改のプラモデルを、
こちらは、愛車スーパーカブのミニチュアを求めた。
手近な場所で、贅沢を楽しんだのだった。
新年を迎えて
睦月 1
年末年始は、
介護施設にいる母を自宅に呼んで過ごしていた。
このたびは、寒い中を行き来するのも大変と、
それぞれ別に過ごすこととなった。
セブンイレブンのおせちを母のもとへ届けて、
自宅でのんびり、ひとりの年越しをした。
晩酌をしながら、紅白歌合戦を観ていれば、
初めて目にする若い歌い手さんが、男の子も女の子も、
みんなきれいな顔をしていて感心する。
だれが出場するのかぜんぜん知らなかったから、
終盤、大好きな玉置浩二さんの歌声を聴けたのは、
大変うれしかった。
ほかのみなさんの歌も力づよくて、
歌を通して、新しい年を明るく。
そんな気持ちが伝わってきた。
外へ出れば、善光寺から除夜の鐘が響いてきた。
氏神さんの伊勢社で、みんなの今年の無事を。
商売繁盛の西宮神社で、みんなが無事に働けますよう。
疫病退散の弥栄神社で、コロナが早くなくなりますよう。
善光寺でふたたびみんなの無事を願って、
新年早々の初詣でと成った。
元日は、実業団駅伝を観ながら、新年の杯をかさねた。
2日は、飲み仲間の、バイクの師匠と淑女お二人を招いて
我が家で新年会をして、
3日は、同業のお仲間たちと我が家で新年会をして、
新年早々、親しいかたがたと会えるのは、
うれしくありがたいことだった。
コロナの収まる気配がなく、馴染みの飲食店も、
今年もきびしい商いになるとうかがえる。
貧しいふところをやりくりして、
足を運ばなくてはいけない。
50代最後の一年、どんな年になるのやら。
我が身にも不安は尽きないけれど、
春を待つ気持ちを忘れずに、
笑顔で過ごしていくように。
みんなと変わらず過ごせますよう、
それだけあればじゅうぶんと願う次第だった。

年末年始は、
介護施設にいる母を自宅に呼んで過ごしていた。
このたびは、寒い中を行き来するのも大変と、
それぞれ別に過ごすこととなった。
セブンイレブンのおせちを母のもとへ届けて、
自宅でのんびり、ひとりの年越しをした。
晩酌をしながら、紅白歌合戦を観ていれば、
初めて目にする若い歌い手さんが、男の子も女の子も、
みんなきれいな顔をしていて感心する。
だれが出場するのかぜんぜん知らなかったから、
終盤、大好きな玉置浩二さんの歌声を聴けたのは、
大変うれしかった。
ほかのみなさんの歌も力づよくて、
歌を通して、新しい年を明るく。
そんな気持ちが伝わってきた。
外へ出れば、善光寺から除夜の鐘が響いてきた。
氏神さんの伊勢社で、みんなの今年の無事を。
商売繁盛の西宮神社で、みんなが無事に働けますよう。
疫病退散の弥栄神社で、コロナが早くなくなりますよう。
善光寺でふたたびみんなの無事を願って、
新年早々の初詣でと成った。
元日は、実業団駅伝を観ながら、新年の杯をかさねた。
2日は、飲み仲間の、バイクの師匠と淑女お二人を招いて
我が家で新年会をして、
3日は、同業のお仲間たちと我が家で新年会をして、
新年早々、親しいかたがたと会えるのは、
うれしくありがたいことだった。
コロナの収まる気配がなく、馴染みの飲食店も、
今年もきびしい商いになるとうかがえる。
貧しいふところをやりくりして、
足を運ばなくてはいけない。
50代最後の一年、どんな年になるのやら。
我が身にも不安は尽きないけれど、
春を待つ気持ちを忘れずに、
笑顔で過ごしていくように。
みんなと変わらず過ごせますよう、
それだけあればじゅうぶんと願う次第だった。