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9月最後の休日に

2017年09月26日

 へこりと at 11:15  | Comments(0)
長月 6

休日の朝、母が菩提寺に連れて行けという。
午後にむかえに行くまでの間、暇つぶしに町を散歩した。
まずは市立図書館で、司馬遼太郎を借りようと伺ったら、
あいにく目当ての本の在庫がない。
あきらめて、向かいのサンデーライフコーヒーさんで、
冷たいサイダーで喉をうるおした。
店を出て、しずかな路地を抜けていけば、
閉校した後町小学校の跡地では、
長野県立大学の建設がずいぶんと進んでいる。
来春の開校が迫っているのだった。
昼どきを過ぎていたから、
すぐそばの、蕎麦屋のやぶさんの暖簾をくぐってみた。
せいろの大盛りを一枚。
初めて入った蕎麦屋の味は、
細打ちの、喉ごしの良い蕎麦だった。
腹を満たしたら再び下って行って、
写真屋のアカオウさんで、
撮りためた写真のいくつかをプリントしてもらう。
用事を済ませて中央通りを上がって行くと、
ちょうど、頃合いの良い時間となるのだった。
気持ちを持て余しているうちに、
9月の終わりが見えてきた。
盛り上がりに欠けた、夏の暑さを過ぎて、
残暑がきびしいと聞いていた9月も、
ときどき短パンTシャツで過ごせる日はあるものの、
朝夕は、すっかり肌寒い風にさらされる。
日差しもいくぶん弱くなり、
向かいのお宅やつたの葉や、
神社の高々伸びたこずえを照らす光と影も柔らかい。
はっきりしない季節の気配につられるように、
夏から秋、気持ちの置きどころがなくてまいってしまった。
性根の弱さはいくつになってもだめですねと、
ため息の出るこの秋だった。
風通しよくするように、つくづく思っているのだった。





  


信濃美術館へ

2017年09月20日

 へこりと at 12:59  | Comments(0)
長月 5

善光寺東側、城山公園内の信濃美術館が、
9月いっぱいで休館するという。
老朽化がすすみ、建て替えられることになったのだった。
小学校の授業で、訪れた覚えのころからこんにちまで、
数えきれないくらいに足を運んだところだった。
昭和41年に、信越放送の運営で開館して、
その3年後に長野県に移管された。
昭和62年には、東山魁夷館も併設されて、
今でも、県内唯一の県立美術館として成っているという。
休館前の最後の作品展、
「信濃美術館クロージング ネオヴィジョン新たな広がり」
を観に出かけた。
3部構成の内容で、1部では美術館の施工を請け負った、
建築家、林昌二の設計図や、模型が展示してあった。
2部では、一般のかたの公募で選ばれた、
人気の高い所蔵品が展示され、
昔から見覚えのある作品も混じっていた。
3部では、館内の学芸員によって選ばれた、
若手作家7人の作品が展示され、
絵画や写真や陶芸と、それぞれの個性がつよい。
美術館の改築に伴って、城山公園の再整備も行われる。
花時計に噴水、
かつて結婚式や地域の催しごとの場として栄えた、蔵春閣。
長らく見慣れた景色がなくなって、どんな公園ができるのか。
寂しくもあり、楽しみでもあるのだった。
再整備検討委員会で、知り合いのかたが委員を務めている。
先日お会いしたら、長野の食材を提供する食事処を作って、
観光客も地元の人も取り入れたいと言っていた。
それはいいなあ。
近年、長野は日本酒もワインも評判が良い。
食事と一緒に長野の酒も。
飲んべえは、なんでも地酒の応援につなげたいのだった。




  


玉置浩二さんのライブへ

2017年09月14日

 へこりと at 14:03  | Comments(0)
長月 4

夕方、上田へ出かけた。
サントミューゼの大ホールで、玉置浩二のライブがあるのだった。
生の声を聴けるのは、
昨年の、長野のホクト文化ホールにつづき二度目だった。
旭川の出身で、同郷の仲間と安全地帯を結成した。
井上陽水のバックバンドを経てからデビューして、
「ワインレッドの心」が大ヒットして、一躍有名になったのだった。
バンド活動を休止してソロになってから、
歌だけでなく役者として、ドラマや映画にも出演した。
「コーチ」に「こんな恋の話」は、良いドラマでしたと覚えている。
ときどき安全地帯を再結成していて、
この11月は、久しぶりに武道館でライブを行うのだった。
会場前の芝生で待っていれば、
夕暮れの中、ぞくぞくとファンが詰めかけてくる。
活動期間が長いから、若い人からおじさんおばさんまで、
年齢層が幅広い。
3階席から見下ろしていると、前奏が流れる中、
ご本人が現れる。
長めのジャケットに細身のパンツとブーツ。
白い長髪をライトに輝かせながら歌いだす。
ささやくようなときから張りあげるときまで、
深くふかく、情感豊かな歌声が染みこんでくる。
なつかしい曲から新しい曲まで、
2時間が、あっという間に過ぎたのだった。
また来年もお会いできますよう、余韻を胸に会場を出た。
毎朝、仕事の準備をしながら一曲聴いている。
気に入りは、「いつもどこかで」という曲で、
愛する人の、輝く明日を願う曲だった。
めでたい内容は、友だちの結婚のお祝いに、
唄いささげたいのに、結婚しそうな友だちが、
まわりにてんで見当たらない。
機会がなくて、さえないのだった。






  


夏の終わりの軽井沢へ

2017年09月12日

 へこりと at 14:32  | Comments(0)
長月 3

電車に乗って軽井沢へ出かけた。
黄金色の田んぼを眺めながら行けば
曇天の陽気で、すそ野から広がる浅間山には、
うすい雲がかかっていた。
トイレに行きたくなったので、ひとつ手前の中軽井沢駅で降りる。
駅で用を足してから、ぶらぶらと歩いていく。
広い通りから、別荘の並ぶ通りへ入っていくと、
木々の緑と、ふるい石垣の苔の緑がつづき、目に冴える。
ゴルフ場に沿った道に出て、歩きながら目をやれば、
うすく霧がかった中、芝生にちらほらと、
クラブを振ったりカートを引いていく人が見えた。
18号バイパスに出て、上がっていくと、
プリンスショッピングプラザは買い物客でにぎわっている。
縁のない、有名ブランドの店が軒を連ねているのだった。
売店のビールでひと息ついてから、
軽井沢駅の中を抜けて下りた。
駅舎のわきのワインバーで、
レバーのムースで白と赤を一杯づつ。通りへ出て、
雲場池の林道から別荘地の通りを歩いていると、
女性二人を乗せた人力車が、ゆっくりとすれちがっていった。
旧軽銀座のわきへ出て、からまつの並木道を上がっていくと、
旧三笠ホテルにたどりつく。
明治に建てられた西洋建築の建物は、
かつて多くの政財界人が滞在したといい、
外観と室内に、あせた華やかさが感じられる。
夏の終わりの、軽井沢の景色を楽しんで
ふたたび駅へと向かった。
木々の葉が赤や朱に染まるまでまだもう少し。
雲場池の見事な紅葉を今年も待ちわびるのだった。


  


宮城のお蔵さんまで

2017年09月09日

 へこりと at 14:15  | Comments(0)
長月 2

毎日日本酒を酌んでいる。
長野の地酒も旨い銘柄が増えたと喜んでいたら、
とんでもない知らせが届いた。
東筑摩郡筑北村で、「山清」を醸す山清酒造が
休業したというのだった。
かねてよりの友だちが、2年前から杜氏として造っていた。
これからが楽しみと思っていたから、まことに残念なことだった。
旨い銘柄が増えても、酒の売り上げは減っているという。
お蔵さんにとっては、厳しい時代がつづいているのだった。
休業に伴って解雇された友だちを、
どうすることかと気にしていたら、
なんとまあ、はるばる宮城のお蔵の、
新澤醸造さんに勤めることになったという。
来週早々に引っ越すといい、親しいかたがたで送別会と相成った。
付き合いのある酒屋さんやお蔵さんに交ぜてもらい、
最後の「山清」を酌みあいながら別れを惜しんだ。
新たに勤める新澤醸造さんは、伯楽星という銘柄で、
すでに全国に名を馳せている。
6年前の大震災で、大崎市に在った蔵が全壊したのちに、
山形県にほど近い川崎町に蔵を構えた。
裏山からの、良質な湧水を仕込みに使うようになってから、
よりきめの細かさと柔らかみの増した味になった。
蔵人が働きやすいよう、福利厚生に気を使っているといい、
就業は朝の9時から夕方5時までで、週休2日制という。
造りの時期になれば、およそ不眠不休が当たり前の現場で、
なんとも予想外の取り組みをしている。
慣れるまでが大変だけど、質の高いお蔵のもとで、
良い仕事ができますよう、心より願うのだった。
宮城かあ。
宮城の魚をつまみに、伯楽星を飲みたくなってきた。



  


関ケ原を観て

2017年09月06日

 へこりと at 12:30  | Comments(0)
長月 1

長野グランドシネマズへ、「関ケ原」を観に行った。
毎月1日は映画の日で、料金が安くなる。
平日でも、けっこう席が埋まっているのだった。
豊臣秀吉亡きあとに、
跡継ぎの幼子、秀頼を守ろうとする石田三成と、
代わって天下を取ろうとする徳川家康の
関ヶ原の戦いは、これまで何度も、ドラマや映画で流されている。
昨年の大河ドラマの「真田丸」だけ、あっさりと省かれていて、
関ヶ原、ないの?と、三谷幸喜さんの演出にずっこけた。
原作は司馬遼太郎で、長い物語を2時間余りに収めている。
省略されている箇所が多いから、
下調べをしてから観たほうが、
わかりやすいかもしれないのだった。
岡田准一に役所広司に平岳大など、
皆さん良い味を出していた。
ただ、大声で怒鳴る場面など、
ときどき台詞が聞き取れないところがあった。
この作品に限らずに、この頃映画を観るたびに、
若い役者の台詞回しで気になることだった。
昔の人は戦のたびに、柵を打ち立てたり、
山のてっぺんへ陣地を設けたり、
たいした機械もないのに人力で準備をして、
それからようやく、身の隠しようのない原っぱで、
ちゃんちゃんばらばら刀や槍を突き合わせる。
よくよく体力根気があることと、感心してしまうのだった。
ミサイルがあればあっという間なのに。
上空を実際に行き交うご時世に、
観ながら、物騒なことを思ってしまった。
時代小説が好きで、
司馬さんの作品もいくつか本棚に並んでいる。
まだ未読なものも多いから、
この秋は、司馬さんの歴史観を読みふけろうか。
「関ケ原」を観て思った次第なのだった。