ドコモショップまで。
長月 8
休日、近所の蕎麦屋で
昼酒をたしなんで帰ってきたら、
スマホを忘れたことに気がついた。
あわてて引き返したら、
店のかたが気づいて、
預かっていてくれた。
ほっとして、お礼を言って帰ってきた。
以前は、携帯電話もお金もポケットに突っ込んで、
外出していた。
酔っ払って、携帯電話を2回落としたことがある。
さいわい2回とも、無事に手元に戻って来たものの、
それいらい、肩掛けバッグに入れて
持ち歩くようにした。
このたびは久しぶりの友だちと、
昼の宴に酔い酔いになり、バッグごと忘れたのだから
しゃれにならないことだった。
ふだんスマホに、他人がいじれぬよう
ロックをかけていない。
忘れて、盗られたときのためにかけておこうと、
あれこれ操作していたら、
いきなり画面が変わり、
ロックされています。解除するには8ケタの数字を
打ち込んでくださいと出た。
まちがって、おのれをロックしちゃったのだった。
8ケタの数字ってなんだ?
パソコンを開いて調べてみたら、
スマホを契約した際の契約書に載っているという。
契約書なんて、はるか昔に捨てちまったぞ・・・
ドコモのホームページで調べようと開いたら、
お使いの電話番号にお送りした、
セキュリティコードを入力してくださいという。
スマホが開けないのだから
電話番号のショートメールが覗けるわけがない。
本末転倒ではないか・・・
ドコモの相談窓口に電話をかけたら、
ただいま電話がたいへん
混みあっておりますで、つながらない。
あきらめて、長野駅前のドコモショップに
予約を入れたのだった。
翌日の夕方、ショップで事情を説明したら、
ピンクのネイルのお姉さんが、
10分もかからずに解除してくれて、
ようやく事なきを得た。
それでも丸一日、スマホを手に取らなかったら、
それはそれで、気持ちが落ちつくことだった。
ふだんいかに無駄にさわって
気を散らしているとわかり、反省をした。
気がかりごとがなくなって気分もさっぱり。
祝い酒を求めて、馴染みのいいださんへ早足になる。

休日、近所の蕎麦屋で
昼酒をたしなんで帰ってきたら、
スマホを忘れたことに気がついた。
あわてて引き返したら、
店のかたが気づいて、
預かっていてくれた。
ほっとして、お礼を言って帰ってきた。
以前は、携帯電話もお金もポケットに突っ込んで、
外出していた。
酔っ払って、携帯電話を2回落としたことがある。
さいわい2回とも、無事に手元に戻って来たものの、
それいらい、肩掛けバッグに入れて
持ち歩くようにした。
このたびは久しぶりの友だちと、
昼の宴に酔い酔いになり、バッグごと忘れたのだから
しゃれにならないことだった。
ふだんスマホに、他人がいじれぬよう
ロックをかけていない。
忘れて、盗られたときのためにかけておこうと、
あれこれ操作していたら、
いきなり画面が変わり、
ロックされています。解除するには8ケタの数字を
打ち込んでくださいと出た。
まちがって、おのれをロックしちゃったのだった。
8ケタの数字ってなんだ?
パソコンを開いて調べてみたら、
スマホを契約した際の契約書に載っているという。
契約書なんて、はるか昔に捨てちまったぞ・・・
ドコモのホームページで調べようと開いたら、
お使いの電話番号にお送りした、
セキュリティコードを入力してくださいという。
スマホが開けないのだから
電話番号のショートメールが覗けるわけがない。
本末転倒ではないか・・・
ドコモの相談窓口に電話をかけたら、
ただいま電話がたいへん
混みあっておりますで、つながらない。
あきらめて、長野駅前のドコモショップに
予約を入れたのだった。
翌日の夕方、ショップで事情を説明したら、
ピンクのネイルのお姉さんが、
10分もかからずに解除してくれて、
ようやく事なきを得た。
それでも丸一日、スマホを手に取らなかったら、
それはそれで、気持ちが落ちつくことだった。
ふだんいかに無駄にさわって
気を散らしているとわかり、反省をした。
気がかりごとがなくなって気分もさっぱり。
祝い酒を求めて、馴染みのいいださんへ早足になる。
夢見悪くて
長月 7
母をかかりつけの病院へ連れて行った。
入居している施設に送り届けて帰ってきたら、
自宅が消えている。
となりの権田さんちも、
向かいの松木さんちもなくなって、
あたり一面の更地に唖然とした。
作業着姿の男たちがいたから問い詰めたら、
重機でぜんぶ壊したという。
頭にきて、110番をしたところで目が覚めた。
夢でよかった。心底ほっとしたのだった。
寝ぼけた頭で、
なんでこんな夢をと考えたら、
思い当たる節がある。
前日の昼間、仕事がひまで、
外に出て日向ぼっこをしていた。
目の前の我が家を見上げて、もう二十年かあと、
建てた当時のことを思いだしたのだった。
一階が仕事場で、二階が住まいの我が家は、
母の友だちの建築士さんによるもので、
ほぼお任せで建てていただいた。
完成相成って、いざ住みはじめたら、
電気のスイッチの配置やら、台所と茶の間の
間取りやら、トイレの位置やら、
どうも不便でいけない。
事前に設計図を見せてもらったものの、
素人には、使い勝手のことまで見通せない。
いちばん困ったのは、台所と茶の間の出窓だった。
冬になると結露がひどくて、毎朝乾いたぞうきんで、
窓いっぱいの水滴を拭く羽目になった。
そのうちに、窓際の壁にかびが出てきて、
黒ずみが年々大きくなってきた。
もう駄目だとあれこれ調べて、
窓の内側にもうひとつ窓を付けたら、
ようやく事なきを得たのだった。
そんな不便を思い出したのが、
更地にして建てかえる、こたびの夢につながったか。
もう二十年付き合ってきた不便さを、
今さら気にしても仕方がない。
夢見の悪さに気持ちを乱すより、
よほどましなことだった。
布団から出て窓の外を見たら、
西の空に夕べの中秋の満月が、
まだ浮かんでいた。
明けがたのしずかな景色に、
気持ちもようやく落ち着いた。
そういえば、仕事場と茶の間のエアコンも、
建てたときにつけたから、
おなじ年月が経っている。
そろそろ買い替えどきかなと、
ちらっと頭によぎったものの、とぼしい稼ぎの折り、
考えないこととした。

母をかかりつけの病院へ連れて行った。
入居している施設に送り届けて帰ってきたら、
自宅が消えている。
となりの権田さんちも、
向かいの松木さんちもなくなって、
あたり一面の更地に唖然とした。
作業着姿の男たちがいたから問い詰めたら、
重機でぜんぶ壊したという。
頭にきて、110番をしたところで目が覚めた。
夢でよかった。心底ほっとしたのだった。
寝ぼけた頭で、
なんでこんな夢をと考えたら、
思い当たる節がある。
前日の昼間、仕事がひまで、
外に出て日向ぼっこをしていた。
目の前の我が家を見上げて、もう二十年かあと、
建てた当時のことを思いだしたのだった。
一階が仕事場で、二階が住まいの我が家は、
母の友だちの建築士さんによるもので、
ほぼお任せで建てていただいた。
完成相成って、いざ住みはじめたら、
電気のスイッチの配置やら、台所と茶の間の
間取りやら、トイレの位置やら、
どうも不便でいけない。
事前に設計図を見せてもらったものの、
素人には、使い勝手のことまで見通せない。
いちばん困ったのは、台所と茶の間の出窓だった。
冬になると結露がひどくて、毎朝乾いたぞうきんで、
窓いっぱいの水滴を拭く羽目になった。
そのうちに、窓際の壁にかびが出てきて、
黒ずみが年々大きくなってきた。
もう駄目だとあれこれ調べて、
窓の内側にもうひとつ窓を付けたら、
ようやく事なきを得たのだった。
そんな不便を思い出したのが、
更地にして建てかえる、こたびの夢につながったか。
もう二十年付き合ってきた不便さを、
今さら気にしても仕方がない。
夢見の悪さに気持ちを乱すより、
よほどましなことだった。
布団から出て窓の外を見たら、
西の空に夕べの中秋の満月が、
まだ浮かんでいた。
明けがたのしずかな景色に、
気持ちもようやく落ち着いた。
そういえば、仕事場と茶の間のエアコンも、
建てたときにつけたから、
おなじ年月が経っている。
そろそろ買い替えどきかなと、
ちらっと頭によぎったものの、とぼしい稼ぎの折り、
考えないこととした。
彼岸の入りに
長月 6
暑さ寒さも彼岸まで。とはいうものの、
この秋の彼岸の入りは、夏日のような陽気になった。
三連休最後の日、善光寺界隈が、
久しぶりに観光客でにぎわっている。
介護施設に暮らす母から、
ツルヤのちらし寿司を買ってこいと
電話があった。
バイクにまたがって、平林街道のツルヤまで。
寿司とヤクルトとせんべいとチョコとミカンを
買って届けたら、そのまま、若里の水野美術館まで
足を伸ばした。日本画家、神坂雪佳の作品展を
観たのだった。祝日とあって、
鑑賞に来られたかたの姿が多い。
密にならぬよう気をつけて巡っていくと、
ほかの日本画家の作品も数多く展示されていた。
雪佳の作品よりも、児玉希望というかたの、
春の月景色の絵が、いちばん印象に残った。
美術館からの帰り道、自宅の近所の花屋に寄った。
若旦那とバイク談義をしながら、お参り用の花を買い、
自宅にバイクを停めてから、歩いてすぐの
菩提寺の寛慶寺へ向かう。
門をくぐると、本堂前のノウゼンカズラが、
まだきれいな花をつけていた。
墓前で祖父母と父に、身内のみんなの無事を、
お願いした。
にぎわう善光寺の参道を抜けて、
西町の西方寺へと行く。
年下の友だちが亡くなって三年あまり。
残されたご家族を守ってくれるよう、
おおきな体と優しい顔を想い出し、お参りした。
中央通りの一本西の、ひと気のない通りを
下りていくと、県立大学の後町キャンパスの敷地から、
自転車に乗った男の子がふたり、
勢いよく飛び出してきた。
プラモデルの東京堂は、あいにく子供の姿が
見当たらない。
ガラス越しに飾ってあるモデルガンをしばし眺めて、
そこからすぐの、蕎麦屋のさがやに落ちついた。
祝日、門前の喧騒を避けて、ゆっくり落ちつける
蕎麦屋があるのはありがたい。
鳥のレバーと長いも揚げをつまみに、
すこし遅めの昼酒となったのだった。

暑さ寒さも彼岸まで。とはいうものの、
この秋の彼岸の入りは、夏日のような陽気になった。
三連休最後の日、善光寺界隈が、
久しぶりに観光客でにぎわっている。
介護施設に暮らす母から、
ツルヤのちらし寿司を買ってこいと
電話があった。
バイクにまたがって、平林街道のツルヤまで。
寿司とヤクルトとせんべいとチョコとミカンを
買って届けたら、そのまま、若里の水野美術館まで
足を伸ばした。日本画家、神坂雪佳の作品展を
観たのだった。祝日とあって、
鑑賞に来られたかたの姿が多い。
密にならぬよう気をつけて巡っていくと、
ほかの日本画家の作品も数多く展示されていた。
雪佳の作品よりも、児玉希望というかたの、
春の月景色の絵が、いちばん印象に残った。
美術館からの帰り道、自宅の近所の花屋に寄った。
若旦那とバイク談義をしながら、お参り用の花を買い、
自宅にバイクを停めてから、歩いてすぐの
菩提寺の寛慶寺へ向かう。
門をくぐると、本堂前のノウゼンカズラが、
まだきれいな花をつけていた。
墓前で祖父母と父に、身内のみんなの無事を、
お願いした。
にぎわう善光寺の参道を抜けて、
西町の西方寺へと行く。
年下の友だちが亡くなって三年あまり。
残されたご家族を守ってくれるよう、
おおきな体と優しい顔を想い出し、お参りした。
中央通りの一本西の、ひと気のない通りを
下りていくと、県立大学の後町キャンパスの敷地から、
自転車に乗った男の子がふたり、
勢いよく飛び出してきた。
プラモデルの東京堂は、あいにく子供の姿が
見当たらない。
ガラス越しに飾ってあるモデルガンをしばし眺めて、
そこからすぐの、蕎麦屋のさがやに落ちついた。
祝日、門前の喧騒を避けて、ゆっくり落ちつける
蕎麦屋があるのはありがたい。
鳥のレバーと長いも揚げをつまみに、
すこし遅めの昼酒となったのだった。
9月の日に
長月 5
となりのお宅の奥さんは、
ときどき差し入れをしてくださる。
天ぷらを揚げたり、
いなり寿司や焼きそばをを作ったり、
そのつど、独り身にはじゅうぶんすぎるほどの、
おすそ分けを届けてくれるのだった。
朝、出かけた折りには、近所の太平堂で
パンを買ってきてくれることもある。
酒飲みの,辛党の身と知っているから、
ジャムやあんこの甘いパンではなく、
コロッケやソーセージやサラダの総菜パンを、
選んでくれる気遣いもしてくれる。
先日、たくさん作ったからと、カレーを頂いた。
肉とジャガイモのたくさん入ったカレーは、
ゆうに二食分はある。
カレーなんぞ、まず作ることはないから、
これまたありがたいことだった。
ところが、あいにくご飯がない。
米の液体なら、
常に一升瓶が冷蔵庫に鎮座しているものの、
裏長屋に暮らす貧乏浪人さながらに、
米びつに一粒も米がない。
ご飯が食べたくなったときは、
コンビニでおにぎりを買っている。
早速レトルトのご飯を買いに行ったのだった。
晩酌の締めにカレーライス。二晩つづけて
味わった。
さっぱりと秋晴れの朝、
向かいのお宅に植木屋がやって来た。
丸い体の親方に、締まった体のお弟子さんは、
広い庭の草を刈ってから、塀沿いの松の木に,
長い脚立をかけて登って、剪定を始めた。
玄関越しに、
チャカチャカと小気味よい鋏の音と一緒に、
お二人の話し声が聞こえる。
時おりなにやら笑い声も混じって、
和やかな仕事ぶりの様子に、
こちらもなんだか、
和やかな気分になったのだった。
しばらく経った曇天の早朝、紅葉の名所、
昌禅寺へ出かけた。
境内のもみじは、まだ爽やかな緑が
映えているものの、
かすかに朱色になりかけている葉もあった。
今年は見ごろが早いかも。
まめに様子をうかがいに来なくてはいけない。
日足も短くなってきて、秋が深まっていく。
気持ちがふさぎがちな世情の昨今、
身近に癒される出来事があるのは、
つくづくとありがたい。
燗酒を酌みながらこの秋を、
しずかに過ごしたいものだった。

となりのお宅の奥さんは、
ときどき差し入れをしてくださる。
天ぷらを揚げたり、
いなり寿司や焼きそばをを作ったり、
そのつど、独り身にはじゅうぶんすぎるほどの、
おすそ分けを届けてくれるのだった。
朝、出かけた折りには、近所の太平堂で
パンを買ってきてくれることもある。
酒飲みの,辛党の身と知っているから、
ジャムやあんこの甘いパンではなく、
コロッケやソーセージやサラダの総菜パンを、
選んでくれる気遣いもしてくれる。
先日、たくさん作ったからと、カレーを頂いた。
肉とジャガイモのたくさん入ったカレーは、
ゆうに二食分はある。
カレーなんぞ、まず作ることはないから、
これまたありがたいことだった。
ところが、あいにくご飯がない。
米の液体なら、
常に一升瓶が冷蔵庫に鎮座しているものの、
裏長屋に暮らす貧乏浪人さながらに、
米びつに一粒も米がない。
ご飯が食べたくなったときは、
コンビニでおにぎりを買っている。
早速レトルトのご飯を買いに行ったのだった。
晩酌の締めにカレーライス。二晩つづけて
味わった。
さっぱりと秋晴れの朝、
向かいのお宅に植木屋がやって来た。
丸い体の親方に、締まった体のお弟子さんは、
広い庭の草を刈ってから、塀沿いの松の木に,
長い脚立をかけて登って、剪定を始めた。
玄関越しに、
チャカチャカと小気味よい鋏の音と一緒に、
お二人の話し声が聞こえる。
時おりなにやら笑い声も混じって、
和やかな仕事ぶりの様子に、
こちらもなんだか、
和やかな気分になったのだった。
しばらく経った曇天の早朝、紅葉の名所、
昌禅寺へ出かけた。
境内のもみじは、まだ爽やかな緑が
映えているものの、
かすかに朱色になりかけている葉もあった。
今年は見ごろが早いかも。
まめに様子をうかがいに来なくてはいけない。
日足も短くなってきて、秋が深まっていく。
気持ちがふさぎがちな世情の昨今、
身近に癒される出来事があるのは、
つくづくとありがたい。
燗酒を酌みながらこの秋を、
しずかに過ごしたいものだった。
日本酒の力
長月 4
毎晩日本酒を酌んでいる。
秋のこの時期、
冬の仕込みからひと夏超えて、旨味の増した
ひやおろしが、
酒屋や飲み屋に出回ることとなる。
コロナのおかげで、飲み屋に客が行かなくなり、
お蔵さんも、仕込んだ酒が売れずに
困っている。
それでも春夏秋冬、きちんと
季節に添った味を造ってくれるのは、
酒徒にとってありがたいことだった。
馴染みの飲み屋のいいださんで、
ときどき顔を合わせるお蔵さんがいる。
先日もカウンターで隣り合わせて、
一献酌み交わした。
酒の売り上げが伸び悩む中、
日本酒がコロナに効けばいいのに。
そうしたらばんばん売れるのにと言ったら、
いや、そのとおり。
日本酒を飲むとコロナの予防になるのですと、
いうのだった。
へっ、そうなの?と驚いたら、
すでに学会でも発表されているという。
ただし、いちどに二升飲まないと効かないといい、
おおやけにすると、
アルコール中毒の患者が増えるから、
伏せているというのだった。
・・・二升ですか・・・
過去の記憶を振りかえると、
サッカーのワールドカップを観ながら、
伯楽星の純米吟醸を飲んだときが最高だった。
日本チームを応援しながら、
気がついたら八合空けていた。
さすがに二升は無理なものの、
日本酒と親しくなって30年あまり。
体にしみ込んだあまたの銘柄が、
コロナを防いでくれるのではと、
淡い期待をしているのだった。
ひやおろしを出し終えたら、お蔵さんは
来季の造りの準備に入る。
先の見えぬ不安を抱え、どこのお蔵も
造りに過大な神経を使わなくてはいけない。
ほんとに大変なことと、
携わるかたがたの、
気苦労がしのばれるのだった。

毎晩日本酒を酌んでいる。
秋のこの時期、
冬の仕込みからひと夏超えて、旨味の増した
ひやおろしが、
酒屋や飲み屋に出回ることとなる。
コロナのおかげで、飲み屋に客が行かなくなり、
お蔵さんも、仕込んだ酒が売れずに
困っている。
それでも春夏秋冬、きちんと
季節に添った味を造ってくれるのは、
酒徒にとってありがたいことだった。
馴染みの飲み屋のいいださんで、
ときどき顔を合わせるお蔵さんがいる。
先日もカウンターで隣り合わせて、
一献酌み交わした。
酒の売り上げが伸び悩む中、
日本酒がコロナに効けばいいのに。
そうしたらばんばん売れるのにと言ったら、
いや、そのとおり。
日本酒を飲むとコロナの予防になるのですと、
いうのだった。
へっ、そうなの?と驚いたら、
すでに学会でも発表されているという。
ただし、いちどに二升飲まないと効かないといい、
おおやけにすると、
アルコール中毒の患者が増えるから、
伏せているというのだった。
・・・二升ですか・・・
過去の記憶を振りかえると、
サッカーのワールドカップを観ながら、
伯楽星の純米吟醸を飲んだときが最高だった。
日本チームを応援しながら、
気がついたら八合空けていた。
さすがに二升は無理なものの、
日本酒と親しくなって30年あまり。
体にしみ込んだあまたの銘柄が、
コロナを防いでくれるのではと、
淡い期待をしているのだった。
ひやおろしを出し終えたら、お蔵さんは
来季の造りの準備に入る。
先の見えぬ不安を抱え、どこのお蔵も
造りに過大な神経を使わなくてはいけない。
ほんとに大変なことと、
携わるかたがたの、
気苦労がしのばれるのだった。
刀屋にて
長月 3
休日の昼どきは、
たいていどこぞの蕎麦屋で酒を酌んでいる。
品書きの肴を一、二品。ビールを一本に
お銚子二本。
ほろ酔い加減になったら、締めのもりを
すすっている。
上田駅からほど近い場所に、
刀屋という蕎麦屋がある。
真田太平記の作者、池波正太郎さんが
贔屓にしていた店で、
取材のたびに立ち寄っては、
天ぷらなどをつまみに酒を飲み、
蕎麦を食していたという。
店のかたの客あしらいもていねいで、
それがまた魅力というのだった。
気になっていたものの、昼どきは、
お客が外で待っていることがたびたびあって、
うかがうのをためらっていた。
先だって、昼どきをいくらか過ぎたころ、
上田へ出かけた。
思いついて、ちょいと覗いてみたら、
幸い、席に余裕があった。
端っこの入れこみに上がり、
ようやくの、念願かなう運びとなった。
つづけざまにお客が出入りするものの、
年季の入った店の佇まいに、気分がほっと落ち着く。
自家製の漬物をつまみに、
ビールを飲みながら眺めていると、噂通りに
蕎麦の量が半端じゃない。
しばらくして入ってきたワイシャツ姿の6人連れが、
そろって、ざる蕎麦の大を注文したら、
店のお姉さんが、
大で四人前の量になりますけれど大丈夫ですかと
いう。中で三人前、並で二人前、小で一人前といい、
聞いていて、思わず笑ってしまった。
まことに気前がいいのだった。
すみやかに、6人そろって並に変えていた。
燗酒を頼んだら、
ぬるかったら言ってくださいねの気遣いと一緒に、
また漬物を持ってきてくれたのも、
気前がいいことだった。
締めのもりを頼んだら、
おさけのかた、もりのしょうおねが~いと
のどかな声が厨房から聞こえた。
おさけのかたの顔を覚えてもらうよう、
間をおかずに来なくてはいけない。
屋号の由来はその昔、先祖が刀鍛冶を
やっていたからという。
蕎麦はこしのある太打ちで、
なかなかのど越しの手ごわい味に、
小でじゅうぶん腹がふくれた。
池波さんの母方の祖母の先祖は、
上田城下の造り酒屋だったという。
もしかして、和田龍の和田さんちかな。
それとも亀齢の岡崎さんちかな。
上田の酒、かなり旨いですよ。
池波さんに利いてもらえぬのが、
残念なことだった。

休日の昼どきは、
たいていどこぞの蕎麦屋で酒を酌んでいる。
品書きの肴を一、二品。ビールを一本に
お銚子二本。
ほろ酔い加減になったら、締めのもりを
すすっている。
上田駅からほど近い場所に、
刀屋という蕎麦屋がある。
真田太平記の作者、池波正太郎さんが
贔屓にしていた店で、
取材のたびに立ち寄っては、
天ぷらなどをつまみに酒を飲み、
蕎麦を食していたという。
店のかたの客あしらいもていねいで、
それがまた魅力というのだった。
気になっていたものの、昼どきは、
お客が外で待っていることがたびたびあって、
うかがうのをためらっていた。
先だって、昼どきをいくらか過ぎたころ、
上田へ出かけた。
思いついて、ちょいと覗いてみたら、
幸い、席に余裕があった。
端っこの入れこみに上がり、
ようやくの、念願かなう運びとなった。
つづけざまにお客が出入りするものの、
年季の入った店の佇まいに、気分がほっと落ち着く。
自家製の漬物をつまみに、
ビールを飲みながら眺めていると、噂通りに
蕎麦の量が半端じゃない。
しばらくして入ってきたワイシャツ姿の6人連れが、
そろって、ざる蕎麦の大を注文したら、
店のお姉さんが、
大で四人前の量になりますけれど大丈夫ですかと
いう。中で三人前、並で二人前、小で一人前といい、
聞いていて、思わず笑ってしまった。
まことに気前がいいのだった。
すみやかに、6人そろって並に変えていた。
燗酒を頼んだら、
ぬるかったら言ってくださいねの気遣いと一緒に、
また漬物を持ってきてくれたのも、
気前がいいことだった。
締めのもりを頼んだら、
おさけのかた、もりのしょうおねが~いと
のどかな声が厨房から聞こえた。
おさけのかたの顔を覚えてもらうよう、
間をおかずに来なくてはいけない。
屋号の由来はその昔、先祖が刀鍛冶を
やっていたからという。
蕎麦はこしのある太打ちで、
なかなかのど越しの手ごわい味に、
小でじゅうぶん腹がふくれた。
池波さんの母方の祖母の先祖は、
上田城下の造り酒屋だったという。
もしかして、和田龍の和田さんちかな。
それとも亀齢の岡崎さんちかな。
上田の酒、かなり旨いですよ。
池波さんに利いてもらえぬのが、
残念なことだった。
9月の風に
長月 2
9月に入ったとたん、陽気が変わった。
朝夕の風は寒いほどで、日中、陽が射していても、
汗ばむことがなくなった。夏を惜しむような
蝉の鳴き声も、日ごとちいさくなっている。
梅雨の時期から、この秋の初めにかけて、
今年は雨の日が多い。
天気の不順のせいなのか、畑仕事をしている知り合いは、
皆そろって野菜の出来がわるいとこぼしていた。
言われてみれば、頂いたキュウリは皮が厚く、
トマトは味が薄かった気がしたものの、
味覚にこだわらぬ身は、頂くたびに、気にせず
ありがたくたいらげていた。
ぶどう栽培を生業にしている友だちは、
雨続きのおかげで、
今年は甘みがのるのがおそいという。
おまけに雨が降ると、実の皮が裂けてしまうといい、
気が休まらない様子だった。
無事の収穫ができますよう、願ってしまうのだった。
夏の豪雨に、あちこちで大きな災害があったなあと
思ったら、つい先日は、大雨で茅野市で川が氾濫して、
多くの被害が出たという。
家屋を失ったかたの心情を思うと、他人ごととはいえ、
せつなくなってしまう。
この秋に台風でも来れば、また災害を招くかもしれない。
そんなことにならぬよう、祈らずにはいられない。
コロナ騒ぎも先の見通しがつかず、
緊急宣言の延長で、飲食店が
営業時間の短縮に、休業を余儀なくされている。
公共の施設も立ち入り禁止になって、
知らずに訪れた観光客をがっかりさせている。
秋の行楽シーズンに、例年ほどではないにしろ、
善光寺にも観光客が訪れている。
コインパーキングの前を通ると、
つい車のナンバーを見てしまい、
下関やら福岡やら、
ずいぶん遠くから訪ねてきているかたもいる。
土産物屋の奥さんが、
お客さんが来てくれるのはありがたいけれど、
遠方の人と接するのは、やっぱりちょっと不安になる。
早くそんな気持ちがなくなる日に戻ってもらいたいと、
ため息をついていた。
物事にそんなに頓着しない身でも、
日々のニュースに、
知らずに気分がふさぎがちになっていた。
コロナ禍で、
仕事の暇さ加減に輪がかかっているけれど、
食べていけるだけまだ十分。
しずかに平らな心持ちで往くように。
言い聞かせている秋だった。

9月に入ったとたん、陽気が変わった。
朝夕の風は寒いほどで、日中、陽が射していても、
汗ばむことがなくなった。夏を惜しむような
蝉の鳴き声も、日ごとちいさくなっている。
梅雨の時期から、この秋の初めにかけて、
今年は雨の日が多い。
天気の不順のせいなのか、畑仕事をしている知り合いは、
皆そろって野菜の出来がわるいとこぼしていた。
言われてみれば、頂いたキュウリは皮が厚く、
トマトは味が薄かった気がしたものの、
味覚にこだわらぬ身は、頂くたびに、気にせず
ありがたくたいらげていた。
ぶどう栽培を生業にしている友だちは、
雨続きのおかげで、
今年は甘みがのるのがおそいという。
おまけに雨が降ると、実の皮が裂けてしまうといい、
気が休まらない様子だった。
無事の収穫ができますよう、願ってしまうのだった。
夏の豪雨に、あちこちで大きな災害があったなあと
思ったら、つい先日は、大雨で茅野市で川が氾濫して、
多くの被害が出たという。
家屋を失ったかたの心情を思うと、他人ごととはいえ、
せつなくなってしまう。
この秋に台風でも来れば、また災害を招くかもしれない。
そんなことにならぬよう、祈らずにはいられない。
コロナ騒ぎも先の見通しがつかず、
緊急宣言の延長で、飲食店が
営業時間の短縮に、休業を余儀なくされている。
公共の施設も立ち入り禁止になって、
知らずに訪れた観光客をがっかりさせている。
秋の行楽シーズンに、例年ほどではないにしろ、
善光寺にも観光客が訪れている。
コインパーキングの前を通ると、
つい車のナンバーを見てしまい、
下関やら福岡やら、
ずいぶん遠くから訪ねてきているかたもいる。
土産物屋の奥さんが、
お客さんが来てくれるのはありがたいけれど、
遠方の人と接するのは、やっぱりちょっと不安になる。
早くそんな気持ちがなくなる日に戻ってもらいたいと、
ため息をついていた。
物事にそんなに頓着しない身でも、
日々のニュースに、
知らずに気分がふさぎがちになっていた。
コロナ禍で、
仕事の暇さ加減に輪がかかっているけれど、
食べていけるだけまだ十分。
しずかに平らな心持ちで往くように。
言い聞かせている秋だった。
子供のことに
長月 1
朝刊をめくっていたら、あいさつへの違和感と題した、
読者のかたの投稿が載っていた。
最近ウォーキングを始めたそのかたに、
途中で出会う小学生の子供たちが、
こんにちはと、あいさつをしてくれるという。
ある日の夕方、こんにちはと声をかけてくれた女の子に、
こんにちは。N小学校の子?と返したところ、
それは個人情報だから、
言ったり聞いたりしたらいけないんだよと、
叫ばれたというのだった。
子供たちのあいさつは、
地区の育成会が行っている、あいさつ運動に
従っているだけで、
こちらに親しみをこめてのことではないと
悟ったという。
ニュースや新聞を観ていると、ほんとにうんざりするくらい、
子供がらみの事件が多い。
被害にあった当人や親御さんのことを思うと、
あかの他人のことでも気持ちが重くなる。
あいさつはするけれど、用心もしなきゃいけない。
窮屈な世の中になっているのだった。
毎朝自宅の前を、小中学生に高校生の子供たちが
通っていく。
中には、おはようございますと、
笑顔で声をかけてくれる子供がいて、
あいさつを返しながら、
和やかな気持ちを頂くときもある。
毎朝散歩をしていると、
おなじように、早朝から歩いているおじいさんや
おばあさんとすれちがう。
おはようございますのあいさつに、
ニッコリ笑顔で返事をもらえると、
それだけで今日の始まりにはずみがつく。
あいさつをもらったときは、同じように
笑顔で返すよう、
心がけているのだった。
玄関先のガマズミが赤い実をつけて、
この秋が始まった。
いまだ、身近なかたにも会いづらい日が
つづいている。
会えた日は、その嬉しさを笑顔できちんと
伝えるようにしたいものだった。

朝刊をめくっていたら、あいさつへの違和感と題した、
読者のかたの投稿が載っていた。
最近ウォーキングを始めたそのかたに、
途中で出会う小学生の子供たちが、
こんにちはと、あいさつをしてくれるという。
ある日の夕方、こんにちはと声をかけてくれた女の子に、
こんにちは。N小学校の子?と返したところ、
それは個人情報だから、
言ったり聞いたりしたらいけないんだよと、
叫ばれたというのだった。
子供たちのあいさつは、
地区の育成会が行っている、あいさつ運動に
従っているだけで、
こちらに親しみをこめてのことではないと
悟ったという。
ニュースや新聞を観ていると、ほんとにうんざりするくらい、
子供がらみの事件が多い。
被害にあった当人や親御さんのことを思うと、
あかの他人のことでも気持ちが重くなる。
あいさつはするけれど、用心もしなきゃいけない。
窮屈な世の中になっているのだった。
毎朝自宅の前を、小中学生に高校生の子供たちが
通っていく。
中には、おはようございますと、
笑顔で声をかけてくれる子供がいて、
あいさつを返しながら、
和やかな気持ちを頂くときもある。
毎朝散歩をしていると、
おなじように、早朝から歩いているおじいさんや
おばあさんとすれちがう。
おはようございますのあいさつに、
ニッコリ笑顔で返事をもらえると、
それだけで今日の始まりにはずみがつく。
あいさつをもらったときは、同じように
笑顔で返すよう、
心がけているのだった。
玄関先のガマズミが赤い実をつけて、
この秋が始まった。
いまだ、身近なかたにも会いづらい日が
つづいている。
会えた日は、その嬉しさを笑顔できちんと
伝えるようにしたいものだった。