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観光列車ろくもんへ

2024年02月27日

 へこりと at 08:59  | Comments(0)

如月 7

土曜日、午前の仕事を終えて長野駅へ向かった。
しなの鉄道の観光列車、ろくもんに乗ったのだった。
ろくもんはふだん、長野と軽井沢の間を走っている。
ろくもんの名称は、しなの鉄道の本社のある上田
ゆかりの武将、真田家の家紋の六文銭から名付けられた。
友だちが客室乗務員をしている縁で、これまでに
何回か乗らせてもらっている。旨い料理と長野の地酒を
味わいながら沿線の景色を眺めるのは、のんびりと
好いひとときだった。
冬の雪景色がきれいなこの時期、長野から雪深い
信濃町まで、北信濃雪見酒列車を運行する。
駅ビルで菓子と地酒を買って改札を抜けて待っていると、
赤色のろくもんがホームに入ってきた。
乗務員の女の子の勇ましいほら貝の音色を合図に、
落ちついた木のぬくもりの車内に入って、
友だちとあいさつを交わしながら、差し入れの菓子と
酒を渡した。
この日の料理は、沿線の飯綱町に在るレストラン、
サンクゼールのシェフが提供してくれる。合わせる酒は、
佐久の花と亀の海と勢正宗と三種類。
この冬、長野はまったく雪の降らない日が続いた。
出発して見覚えのある沿線の景色を眺めていても、市街地に
雪が見当たらない。豊野を過ぎて飯綱町の辺りから、
ようやく解け残った雪が見えたのだった。
料理をつまみに酒を酌み、友だちを眺めていれば、
相変わらず好い笑顔でお客さんに言葉をかけていて、
お客さんもにこにこ嬉しそうに返している。
この日のお客さんは、ほぼリピーターのかたたちばかりと
いう。
料理も長野の地酒もさることながら、また会いたいと
思える親しさが、再び乗りたい気分にさせてくれると
わかるのだった。
信濃町の黒姫駅に着いて眺めれば、雪深いはずの地に、
雪が少ない。車内では音楽家お二人のチェロとフルート
の演奏が始まった。爽やかな音色を聴きながら、
春の気配を感じながらの雪見酒と相成った。
黒姫駅から折り返して長野駅へ。
旨い料理と酒の旅、ちょっぴりの贅沢は、毎年の
恒例行事にしますと決めたことだった。

春めくやろくもんゆるゆる酔いの旅。


  


親の気持ちが

2024年02月23日

 へこりと at 08:31  | Comments(0)

如月 6

二か月にいちど、暮らしの手帖を定期購読している。
今のようにインターネットのなかった昔、衣食住に
関する貴重な情報源として、多くの女性に支持されて
いた雑誌だった。
今でも余計な広告は載せず、暮らしに関わるいろいろな
記事が丁寧に載っている。
特集の中に、毎回全国の本屋の店員さんが、ひとつの
テーマに添ってお薦めの本を紹介する頁が有る。
このたびは手紙にまつわるお薦めの本ということで、
谷川史子さんという漫画家の「手紙」という作品を
紹介しているかたがいた。
主人公の素子は、引越しをしたばかりの部屋に届いた
前の住人あての、母からの手紙をうっかり読んで
しまう。つい出来心で、息子のふりをして返事を出した
ところ返信が来て、見知らぬお母さんとの文通が
始まった。一方、実の母親といえば毎日電話をかけて
きて、小言を言ったりいらぬ世話を焼いたりで、素子も
うんざりしていた。そんな中、優しそうなお母さんとの
文通に気持ちが癒されるのだった。
そんなあらすじを読んだら、興味がわいた。
アマゾンを開いて新品を買おうとしたら、値段が
五千円を超えていてぶったまげた。2009年の作品で、
十五年の月日が経っている。プレミアム価格になっちゃ
ったのか、コミック一冊に、さすがにその値段は出せない。
バリューブックスという店で、中古の品を見つけてぽちっ
とした。
四十頁ほどの短編で、温かな気持ちになる好い作品だった。
漫画を読んでうるっときたのは、海街diary以来だった。
二月の初日、介護施設に暮らす母と面会をした。
面会日は、月曜日と木曜日で時間は十五分ほど。
施設では以前コロナの集団感染が出ているから、
相変わらず面会に規制がかかっているのだった。
職員さんに車いすを押されて来た母に会うと、嬉しそうな
笑顔を見せる。会うたびに決まって、体に気をつけるんだよ、
飲み過ぎないようにと、何度も何度も言ってくる。
子供が元気でいることがなによりなのだと、
老いた親の気持ちが伝わってきて、しみじみとありがたい
のだった。
上田市のぼろいマンションに別宅を持っていて、いちど
前の住人あてのはがきが届いたことがある。市役所からの
お金の督促状だった。もうここには住んでいませんよ。
ひと言添えて、速やかに送り返したのだった。

春きざす母との遠出もうなくて。


  


外仕事のかたがたに

2024年02月20日

 へこりと at 08:54  | Comments(0)

如月 5

一月の中旬、作業着姿のかたが訪ねて来た。
自宅兼仕事場の玄関を出て、路地を右手に行くと、
氏神さんの伊勢社が在る。その手前に四メートル
ほどの橋があり、このたび建て替え工事を行うと、
挨拶に来たのだった。
伊勢社の階段のわきに町の駐車場があって、車が
七、八台停めてある。毎日車の出入りがあり、
老朽化した橋が崩れぬうちに新しくするのだった。
ずいぶん以前から、橋の傷みは問題になっていた。
市道だから、長野市に建て替えをお願いしておいた
ところ、ようやくの工事と相成った。
一月の下旬から工事が始まって、毎日作業着姿の
おじさんたちが作業に取り掛かっている。
連日賑やかな重機の音が響いているのだった。
ふだん、屋内で仕事をしている。夏の酷暑の日も涼しい
冷房の中で、冬の厳寒の日も温かな暖房の中で仕事を
して、暇なときは、本を読んだりパソコンを開いて
ユーチューブを観たり、楽な一日を過ごしている。
今の仕事に就く前に、二年ほど会社勤めをしていたことが
ある。雑貨の卸問屋で働いていて、毎日四トントラックに
洗剤やらトイレットペーパーやら荷物をたくさん詰め込んで、
長野市内や、周辺の町や村の商店やスーパーに品物を卸して
いた。大きなトラックの運転に不慣れな頃、事故を起こしたり、
山道で脱輪して助けを求めたり、しくじりを何度かしていた。
月にいちど新潟の津南町に行くことがあり、豪雪の中で
車がスリップして死ぬんじゃないかと怖い思いをしたことも
あった。短い間とはいえ、外で働く大変さを経験している。
季節や天気を問わず、毎日野外で汗水流しているかたがたを
見ると、ほんとにえらいなあと思ってしまうのだった。
早朝、新聞を届けてくれるお兄さんに、バイクに乗って
手紙を届けてくれる郵便屋さんに、いつも明るいヤクルト
レディさんに、
注文した品物を速やかに届けてくれるクロネコさんに
飛脚さんに、毎週食材を届けてくれる生協のお兄さんと、
日々、外仕事のかたがたに助けられている。
連日、能登の被災地の様子をテレビで流している。
がれきを片付けたり、安否不明のかたを探したり、
寒い中、もくもくと被災者のために働いているかたがたの
姿を見ていると、深々と頭を下げたい気持ちになるの
だった。

立春の路地や重機の賑やかに。



  


パーフェクトデイズを

2024年02月16日

 へこりと at 08:47  | Comments(4)

如月 4

夕方、権堂アーケードの映画館、長野ロキシーに
出かけた。
役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観たのだった。
役所広司演じる平山は、古いアパートに暮らし、
日々、公共トイレの清掃員として働いている。
早朝、近所のかたの掃除する竹ぼうきの音で目を
覚まし、顔を洗って、育てているちいさな草木たちに
霧吹きで水をやる。仕事着に着替えて玄関を出たら、
アパートの前の自販機で缶コーヒーを買って、車に
乗って仕事に向かうのだった。
あちこちのトイレをまわり、丁寧に磨き上げ、
お昼には、いつもの神社の境内で昼食を食べる。
仕事が終わると銭湯で汗を流し、地下街の
大衆飲み屋で一杯やる。ときどき、馴染みの
女将さんの小料理屋で酒を飲むときがある。
頻繁に伺わないのは、好意を押し付けぬように
気を使っているのだった。
部屋の掃除は、濡らした新聞紙を畳に撒いて、ほうきで
埃を取っている。洗濯物はコインランドリーまで運んで
洗っている。昼食時、古いフィルムのカメラで木々の
木漏れ日の写真を撮り、写真屋で現像してもらう。
古本屋で、一冊百円の文庫本を毎回一冊だけ買って
読んでいる。車の中で聴くのは、カセットテープに
録音した、昔の洋楽だった。
夜空にスカイツリーの輝きが映える町で、
およそ今どきの快適さとは縁遠い暮らしをしているの
だった。
変わりばえのない日常の中で、朝の空を見上げて
微笑んだり、銭湯で会うおじいさんや、
おなじく神社で昼食をとるOLさんなど、見知らぬ
かたにお辞儀をしたり、ときどき出会うホームレスの
おじさんに優しいまなざしを向けたりしている。
そのしぐさに、穏やかな気持ちで日々を過ごしている
のが伝わってくる。
それでもときには小さな波風があり、職場の後輩の
悩みごとに振り回されたり、長らく疎遠になっている
妹の娘が家出をして訪ねて来る。
娘を迎えに来た妹と、久しぶりの再会をする。
運転手付きの高級車で現れた妹から、かつては平山も
お金に恵まれた暮らしをしていたと察しがつく。
どんな経緯でトイレの清掃員になり、古いアパートで
質素に暮らしているのか、その心情に思いが向いた。
別れ際、妹を抱きしめる姿や、微笑みながらも顔を
ゆがめそうになる一瞬に、今の暮らしを選びながら、
過去への思いが胸をかすめるときがあるとうかがえた。
今の暮らしと、取り返せない、あるいは捨て去った、
過去の暮らしに思いの行く、静かな作品だった。

過ぎし日や数多悔い有り春の月。


  


冬さなかに

2024年02月09日

 へこりと at 10:03  | Comments(0)

如月 3

この冬、長野市街地は雪が少ない。先日久しぶりに
終日雪降りの日があったものの、日中の気温が高いのか、
翌日の午後にはほとんど消えていた。朝晩の冷え込みは
きつく、昼間も風のつよい日は、寒さがけっこうこたえる
ものの、雪がなければ雪かきの手間も省けてありがたい
ことだった。そうはいっても、日々写真を撮っているから、
白く清々しい景色を撮れないのは、寂しくもあるのだった。
仕事を終えた夕方、介護施設に暮らす母に
菓子を届けようと思い立った。
リモコンで車のドアを開けようとピッと
したら反応がない。いやな予感を抱えつつドアを開け、
エンジンをかけようと鍵を回したら、案の定、うんとも
すんとも言わない。
バッテリーが上がってしまったのだった。
車を持っているものの、ほとんど乗ることがない。
六キロ離れた母の介護施設に行くときに使うくらいで、
月にいちどか二度のことだった。
寒い中ずっとエンジンを回さなかったから、お釈迦に
なってしまったか。
それにしても、一年前に新品に交換したばかりだった。
いくら寒いと言っても上がるかなあ。
いぶかしながら、バッテリーの充電をお願いしようと、
世話になっている自動車屋に電話をかけた。
自動車屋の旦那さんにその旨を伝えたところ、
思いがけない答えが返ってきた。
今どきの、アイドリングストップ機能が付いている
車のバッテリーは、充電が出来ないというのだった。
まるごと変えるしかないと言われ、とほほの気分の、
月末の手痛い出費になってしまった。
翌日、早速交換に訪ねてきていただいた。
取りつけてもらいエンジンをかけたところ、
なぜかハザードランプが点滅し始めた。
どうやらどこかで点けたときに、そのまま消すのを
忘れていたらしい。
母を訪ねて行ったのはひと月前のこと。
ずっと点けたままだった。
そりゃあバッテリーも上がるわな・・・
おのれのあほさ加減にあきれてしまった。
旦那さんに、長らく乗らないときは、バッテリーの
コードをねじを緩めて外しておいた方がいいと
教わった。
バッテリー代、原価におまけしとくよと言われ、
長い付き合いに感謝したのだった。

ミライース寒波に負けて息切れて。


  


店じまいに

2024年02月06日

 へこりと at 08:34  | Comments(0)
如月 2

夕方、権堂アーケードの立ち飲み屋、
コンドウで、バターコーンをつまみにハイボールを
飲んでいたら、
ご主人が、桂林閉めちゃいましたねという。
えっ、そうなのと驚いたのだった。
アーケードのわきに在る中華料理屋で、
長年世話になっていたのだった。
飲み屋で酔っ払った帰りに立ち寄っては、
餃子をつまみにビールを飲んだり、ラーメンや
焼きそばを腹に収めていた。
つるつる頭の気さくな旦那さんが営んでいて、
店がひまなときはカウンターをはさんで
ビールを酌み合っていた。
以前も体調を崩して、しばらく休業していた
ときがあった。
いきなりの閉店に、旦那さんのことが気がかりに
なってしまった。コンドウを出て、店の前に行ったら、
シャッターが下ろされて、テナント募集の看板が
置いてあった。それから一週間後の朝、朝刊の
お悔み欄に旦那さんの名前が載っていたのだった。
なにがあったのか・・・享年七十一歳。
早すぎる死に、胸が切なくなってしまった。
子供の頃は、自宅の在るこの町や、四方の隣町は
どこもいろんな店で賑わっていた。
高齢化だったり体調を崩されたり、はたまたお客が
減って売り上げが望めなくなったり、だんだんと
店じまいの知らせを聞くことが増えている。
毎晩酒を酌んでいる。その昔、権堂アーケードの東側、
西鶴賀に在った焼き鳥屋へよく通っていた。
背の高い男前の旦那さんが営んでいて、ときどき
ひとり娘のあいちゃんが、カウンターで宿題をしていて、
かわいいのおと眺めたこともあった。
旦那さんが御実家の事情で店をたたんでから二十五年。
今でも店の在った場所を通り過ぎると、楽しく飲んでいた
若いときを思い出す。世話になっている馴染みの店が
いくつか有る。こちらが昇天するまで商いを続けて
もらいたいと、よくよく願っているのだった。
年明け初めて、豆腐とお酒のまほろばさんにおじゃました。
馬刺しをつまみに福島の大七の燗酒を酌んでいたら、
女将のあゆみさんが、一月一日に入籍しましたという。
おおっ、そうなの!おめでとうございます!
お相手のご主人とは、何度かこの店でお会いしている。
お二人のめでたい知らせに、こちらも気分が明るくなった。
さて、祝いの品はなににしようか。思案した次第だった。

入籍の知らせめでたや冬ぬくし。


  


一月の終わりに

2024年02月02日

 へこりと at 08:53  | Comments(0)

如月 1

毎日、仕事を終えた夕方、町をひとまわり
ノルディックウォーキングをしている。
ここ最近の冷え込みの厳しさに負けて、しばらく
さぼっていた。一月さいごの休日、朝の冷え込みが
穏やかだったので、ジャージに着替えてコートを着て
歩きに出た。
善光寺の西側、横沢町から箱清水から上松へ、車の
通らない旧道を抜けていく。
湯谷団地の坂道を上がって行ったら、久しぶりの
運動に、太ももが張って腰が痛くなってくる。
さぼったつけが,ちゃんと体に出てくるのだった。
坂を上がって下りた先に、曹洞宗の古刹の昌禅寺が
在る。爽やかな初夏の新緑や、鮮やかな秋の紅葉の頃、
写真を撮りに何度か足を運んでいる。
冬に雪が積もると、白く清潔な景色がまた好くて、
この冬も撮ろうと思っていたのに、長野の町は、
先日ちょっと降っただけだった。
立ち寄ってみたら、案の定、境内に申しわけ程度に
残っていてさびしい。
帰り道、すき家に寄ったら、年配のおじいさんたちが、
カウンターに並んで座っている。チェーン店の牛丼屋で、
背中丸めてご飯を食べているさまは、眺めていると,
なんとも哀愁が漂っている。
しょぼい我が身も交ぜてもらい、ビールを飲みながら
牛カレーを頂戴した。自宅に戻って着替えたら、近所の
銀行でお金の相談ごとをする。これでもう本日の予定は
すべて終了。
さて、蕎麦屋の昼酒にはまだ間がある。銀行の隣の
うみなつ珈琲におじゃまして時間をつぶすことにした。
こちらの店は二年前の六月に開店した。
開店したばかりの頃は、ときどき足を運んでいたのに、
昨年はいちども訪ねていなかった。店に入ったら
ご主人が顔を覚えていてくれて、恐縮してしまった。
酸味のある薫り高いコーヒーを味わったのだった。
馴染みの和菓子屋、喜世栄に寄って、
女将さんお薦めの菓子を包んでもらい、今年初めての、
かんだたの暖簾をくぐる。
ご主人に菓子を渡しながら、遅ればせながらの新年の
挨拶をして、カウンターに落ちついた。休日になれば、
蕎麦屋の昼酒、飲み屋の夜酒、変わりばえなく酔っ払って
いる。変わりのない暮らしがありがたいと
思い知らされた一月が、あっという間に終わるのだった。

哀惜の思い一月能登の海。