蕎麦屋に誘われて
神無月 8
休日の朝、友だちの営む整骨院へ出かけた。
腰痛と頭痛と肩こりをほぐしてもらい、すっきりした
気分で町をひとまわり散歩する。
長野電鉄の線路に沿って歩いて行くと、三輪小学校の
子供たちが元気よく走って追い抜いていく。
美和神社にお参りをして、静かな住宅街の中を抜けて
大きな通りに出たら、ゆるい坂道を上がって行く。
大きな四つ角を左に曲がって行くと、我が母校の
長野吉田高校の後輩たちが、ぞろぞろと学校に向かって
いる。そのまま進んで、通り沿いのすき家に立ち寄った。
店内には、作業服のおじさんたちや、年金暮らしの
おじいさんが朝飯を食べている。
ビールを飲みながら、おろしポン酢牛丼ミニ盛りを
食べていたら、女の子がひとり入ってきた。
すぐそばの長野高校の生徒さんと見受けられ、
カウンターに座って運ばれてきた牛丼を食べ始めた。
牛丼屋にひとりでやって来る女子高生、なかなか
かっこいいではないか。成人したらおじさんと
一杯やろう。見惚れて声をかけそうになった。
反面、家でご飯を食べられない環境なのかなと気に
なりつつ店を出た。
自宅に帰って掃除と洗濯を済ませたら、ほど良い時間に
なった。
自宅から3キロ余り離れたところに飲み友だちが住んでいる。
すぐ近所に馴染みの蕎麦屋が在るから昼酒をやりましょうと
誘われたのだった。
三輪田町を過ぎて、柳町から平林のスーパー、ツルヤを
過ぎた先の、わだやが今回の目当てだった。
暖簾をくぐると、店のお姉さんが明るい声で迎えてくれた。
店の奥の冷蔵庫を覗いたら、幻舞、澤の花、太平海に東洋美人、
酒の品ぞろえが好い。この銘柄だと、取り引きしてる酒屋は
千曲市の生坂屋だな。呑兵衛はすぐわかる。
ビールで乾杯して品書きを眺めていたら、カウンター越しに
ご主人が、今日はサバの西京焼きがありますよ~と声を
かけてくれた。やっこと長芋の千切りと一緒に注文した。
朝の散歩のときに、いつもこの店の前を通っていた。
店先に一升瓶が何本か飾ってあったから、酒の品ぞろえが
良いのかなと気になっていた。足を運ぶことが出来て、
誘ってくれた友だちに感謝した。
日本酒3杯酌み交わし、十割のもりで締めて、またやろうと
酔い酔いで別れたのだった。
初めての蕎麦屋昼酒秋日和。
秋の花粉に
神無月 7
久しぶりのかたが訪ねて来た。
長年の勤め先を定年退職をしたかただった。退職後も
変わらず同じ職場で働いているものの、以前に比べて
勤務時間がはるかに少なくなった。
そこで空いた時間を使って、健康のために町をひとまわり
歩くことにした。ずっと続けていたところ、
ひとつ困りごとが出来てしまったという。
秋の花粉症にかかってしまったというのだった。
もともと春になると花粉に悩まされているかただった。
加えて秋も悩まされると聞いて、気の毒になってしまった。
などと、他人ごとのように思っていたら、こちらもなんだか
様子がおかしい。毎朝ノルディックウォーキングをしている。
今年の秋を迎えて、7キロから8キロ歩いてくると、
目が異物が入ったようにごわごわして、ひどいときには
充血するときもあり、鼻水もだらしなく出てくるのだった。
春の花粉症にはもう40年も苦しめられている。
大学を卒業して、雑貨の問屋に就職して、外回りの営業を
始めた春、
目がかゆくなり鼻水が止まらず毎日困っていた。
まだ花粉症という言葉もそんなに馴染んでいないころで、
今ほどたくさんの薬も売られていなかった。
以来、いろんな薬を試したり、ヨーグルトが効くと聞けば
毎日食べて、べにふうき茶が効くと言われて毎日飲んで
みたものの、どれも効果が得られなかった。のちに、
アルコールを摂取していると、花粉症に良くないと、病院に
勤める知り合いに教えてもらった。
毎晩の酒を控えるのは花粉症よりも切ないことなので、
あきらめて、春がくるたびに耐えているのだった。
今年から秋もですかと、歳をかさね年々抵抗力の落ちている
我が身を実感した。充血した目をしていると、訪ねて来た
かたに、決まって、夕べも飲み過ぎましたねと
言われてしまう。そのたびに花粉症ですと言い訳を
している始末だった。
毎年10月16日は、暮している東之門町の、伊勢社の秋祭りが
開かれる。
長野市でいちばん最後の祭りで、神輿を担ぎに、あちこちの
町から祭り好きの老若男女が集まって来る。
元来ものぐさな身は、祭りといえば、参加するよりビールを
飲みながら眺めているほうが性に合っている。
億劫な気分を押さえて、神輿の後について町内をひとまわり
歩いた翌朝、夜風に乗った花粉にやられて、すっかり目鼻が
ぐずぐずの情けない顔になってしまったのだった。
独り身に寄り添う秋の花粉かな。
めまいよれよれ
神無月 6
上田へ出かけた。
休日になると自宅を出て、どこぞの町を
歩いている。電車に乗ってほどなく行けるところが
ほとんどで、小布施に須坂、松本に上田に軽井沢。
たまに県外にも足を延ばして、東京に横浜、
富山に高岡あたりにも出かけることがある。
いろんなところへ出かけるよりも、気に入りの
電車一本で行ける町へ、ビールを飲みながらのんびりと。
上田の町は特に足繫く通っているのだった。
秋らしい爽やかな風の吹く休日、新幹線で出かけた。
馴染みの寿司屋の萬寿さんの暖簾をくぐって昼酒にする。
小鯵の南蛮漬けで黒ラベルを飲んで、
握りと巻きもので地酒を酌んだ。
亀齢に御園竹に澤の花に、あと何酌んだっけ?
思い出せないほどいつもより杯を重ねて、店を出た。
別宅に行って昼寝を決めこんだら、そのまま夜まで
つぶれていた。
シャワーを浴びて、さきいかをかじりながら、トリスの
ストレートを何杯か舐めて、ふたたび布団にもぐり込んだ。
翌朝、目が覚めて起き上がろうとしたら、ひどい目まいに
襲われて立ち上がれない。なんだなんだ、どうしたんだ?
昨日の酔いが残っているかと思ったものの、
明らかに二日酔いとは様子が違う。熱があるわけでもないし、
こりゃだめだと布団にぶっ倒れた。
お昼近くになって起きてみたら、なんとか立てた。
喉が渇いて、オレンジジュースとポカリスエットが飲みたく
なって、着替えて近所のコンビニへ行こうと外へ出たら、
ふらふらと足元がおぼつかない。なんとかたどり着いて、
2リットルのペットボトルを2本、重たく抱えて戻ってきた。
喉を潤して、それからまたしばらく寝て、これはもう、
早々に長野に戻らなければと、頼りない足取りで上田駅へ
行き、新幹線で戻ってきた。
長野駅から自宅まで2キロ。たいした距離じゃないのに、
もう無理。タクシーに乗り込んでやっとの思いで帰ってきた。
風呂に入って、軽い夕飯を食べて、布団に入ろうとしたら、
少し寒気がする。体温を計ってみたら37,1度。微妙だなあ。
念のため、解熱剤のみみず一風散を飲んで寝た。
翌朝目を覚ますと、速やかに起き上がれて、嘘のように
すっきりさっぱり体が軽い。
昨日の目まいは何だったんだろう?かなり寝汗を
かいたから、どこか調子がわるかったと思ったものの
見当がつかないのだった。
湿った寝間着と下着とシーツと毛布を洗濯機に放り込んで、
ほっとしたのだった。
目まいして駅まで遠し秋の空。
初紅葉を
神無月 5
朝晩の冷え込みが増してきた。
目が覚めても、布団から出るのをためらったり、
夕方飲み屋へ行くときも、上着一枚余計に羽織る
ように、寒さを感じている。
秋を迎えると、毎回近場の紅葉を眺めに出かけている。
早朝、冷たく爽やかな空気の中、散歩に出た。
氏神さんにお参りをして北へ歩いて行くと、
城山公園の桜並木が、葉が色づく前にほとんど
散ってしまい、さみしい姿になっている。
広い道路に沿って上がって行くと、土曜日の朝は
早朝から行きかう車が多い。
湯谷団地の坂道を上がって行くと、はるばる広がる
東の空にも冷気が感じられる。
左に曲がって右に下って、久しぶりの昌禅寺に
たどり着いた。
門をくぐると正面にりっぱな本堂が在り、その右手に
庫裏がある。庫裏の先を進んでいくと、高々そびえる
杉林が有って、その先に檀家さんのお墓がずらっと
並んでいる。ふだん世話になっている友だち夫婦の
菩提寺だから、まずは本堂の仏さまに、
お二人の無事を見守ってくれるよう、手を合わせた。
ここの境内は、紅葉の眺めがまことに見事で、
佇んでいると、京都の古刹にでもいるような気分に
なって来る。
京都なら当たり前のように拝観料を取るけれど、
毎回ただでこれだけの景色を拝めるのは、
ありがたいことだった。
写真を撮っていると、ご住職やご家族と顔を合わせる
ことがある。
おじゃましていますと挨拶をすると、いつも愛想好く
お辞儀をしてくれる。
ここのご住職は、顔つきがこわもてで、一見すると
その筋の人に見えなくもない。
見かけによらず優しいかたなのかもしれない。
この朝、階段を上がった正門先のもみじが
染まり始めていた。今年の初紅葉の朝と
なったのだった。。
紅葉の名所と知られているから、訪れる人が多い。
寺までの住宅街の道が渋滞することもあり、足を
運ぶのは早朝と決めている。
ひとりで貸し切りのときもあれば、立派なカメラを
携えたおじさんたちと遭遇することもある。
彩り好く染まってくれますよう、眺めたのだった。
早朝の友の菩提寺初紅葉。
この秋に
神無月 4
暑さ寒さも彼岸までというものの、今年は9月の
彼岸を過ぎても夏の名残が続いていた。
外へ出れば、うんざりとする酷暑に見舞われ、
仕事中は一日冷房の中にいるから、気温の差に
体がついていけなかった。10月になってようやく
秋らしい気配が漂い始めても、体のだるさが残った
ままなのだった。酒屋を営む友だちは、あまりの暑さで
酎ハイやビールはよく売れたものの、日本酒の売れ行きが
芳しくなかったという。確かに、暑いときに日本酒の
糖分は喉に残るもんなあ。こちらも連日の晩酌では、
麦焼酎のロックばかり杯を重ねていた。
仕事場の壁沿いにヘクソカズラの葉と、零余子の葉が
茂っている。この夏は雨がぜんぜん降らず、
植物にとってもつらい夏のはずだった。
ところがどういうわけだか、ヘクソカズラと零余子は
例年にない勢いでぐいぐいと葉を茂らせて伸びていった。
ヘクソカズラの花がいつもよりもたくさん咲いて、
雨どいに絡まりながら、屋根に届きそうな高さまで
伸びてしまった。地面をはって、あれよあれよという間に
家屋を囲むように両脇まで伸びている。
零余子の実も、いつもは食べる気も
起きないような小さな実が、申しわけ程度にできるほどなのに、
びっしりとりっぱな実をつけてくれた。
ほったらかしで、ろくに水やりもしなかったのに、
生命力のたくましさに目を丸くしている。毎年葉が枯れ始める
頃に選定していたのに、
手が届かない高さまで伸びた蔓を眺めながら、どうしたものかと
途方に暮れている。
平日の午後、仕事がひまだったので、零余子を取った。
茂った葉をかき分けて、手ごろな大きさの実を拾っていったら、
お椀がいっぱいになった。
仕事を終えた夕方、ビールを飲みながら茹でて、木綿豆腐の
白和えにした。
翌晩は辛子とマヨネーズで和えた。晩酌のちょっとした箸休めに
素朴な歯触りが好いのだった。
料理好きだった母がまだ元気だったころ、零余子の時期になると、
甘じょっぱい零余子の胡麻和えを作ってくれた。それをつまみに
父と酌み交わしたっけ。懐かしく思い出したことだった。
葉をめくり椀いっぱいの零余子かな。
SNSを
神無月 3
仕事の合間に、パソコンを開いてSNSを覗いている。
10年あまり前に、地元の長野県のSNS,ナガブロで
ブログを書くようになり、間をおいて、それを
コピーして、フェイスブックとNOTEにも載せる
ようにした。
火曜日と金曜日に載せて、その他に、木曜日と
日曜日には、ふだん町歩きの最中に撮った写真を
インスタグラムにアップしている。
SNSを通じて知り合ったかたが何人かいて、細々と縁が
つづいていたり、長らく音信不通だった同級生と
連絡が取れたり、ありがたい出会いがある反面、
ありがたくない出会いもある。いちどフェイスブックを
どこぞの知らない人に乗っ取られたのだった。
パソコンの扱いに疎い身は、修復するのに時間を取られ、
まことに難儀な思いをした。
以来、フェイスブックとインスタグラムに関しては、
親しい友だちしか閲覧できないようにした。
うっとうしいのは、閲覧に制限をかけているのに、
友達申請が来ることだった。プロフィールの写真を
見れば、きまって美しい女性で、明らかに怪しい、
じつに怪しい。
いちど、アメリカのスーザン・ケネディという人から
申請が来たことがある。プロフィールの写真を見たら、
星条旗を背景に軍服姿の女性が載っていた。
日本の長野の場末に暮らすしょぼくれたおっさんと、
勇ましい軍人さんが友だちになりたいのですかと、
あきれて笑った。
申請が来るたびに削除するのが、いい加減面倒くさい。
SNSもそれぞれ特徴があって、ナガブロは地元の話題が
多く、インスタグラムは写真の投稿が多い。
フェイスブックはみんなの日常の投稿が多いし、
NOTEは、趣味や暮らしについて、長文で語るかたが
多い。先だってNOTEでフォローしているかたの記事を
読んでいたら、山口恵以子さんというかたの、
ゆうれい居酒屋という本を推していた。
酒飲みだから、居酒屋の文字に反応してしまった。
東京の新小岩のルミナード商店街のわきに在る、
女将が営むちいさな店に、悩みを抱えた客がやって来る。
美味しい料理と女将の温かな助言に救われて、
再び訪れると、店は跡形もない。読後に気持ちが
温かくなる好い作品だった。
新小岩、行ってみようかなあ。
お会いしたことのないかたに、こういう目に留まる
情報を教えていただけるのは、ありがたいことと
思うことだった。
秋の昼友達申請消しており。
バイクを売って
神無月 2
貯金が出来ない性分で困る。
小金が貯まると、そのときそのとき
欲しいものに手を出してしまうのだった。
父と母はまるで金の使いかたが正反対だった。
貧しい家庭で生まれ育った父は、若いときから
お金に細かく贅沢の出来ない性分だった。
唯一の贅沢といえば、仕事帰りに安い飲み屋で
酔っ払うことぐらいで、年金暮らしになってからは
飲み屋にも行かず、2リットル800円の紙パックの酒を
旨そうに飲んでいた。
生前、我が家に来た折りに、冷蔵庫にエビスが冷やして
あるのを見て、稼ぎもないのに贅沢をするなと
怒られたことがあった。
かたや母は、若いときから美容師として羽振りが良く、
宝石に着物に洋服に使いたい放題費やしていた。
仕事が終われば、お弟子さんを連れて高級レストランや
寿司屋に繰り出していた。
父の酒飲みの血と母の散財癖の血だけしっかり
引いてしまったのだった。バイクを3台に車を1台持っている。
バイクは、紺色のスーパーカブとピンクの
スーパーカブを。どちらも衝動買いだった。
もう一台は友だちからの借り物の昔の50㏄を。
車は父の形見の軽自動車を。
ところが外出をするといえば、馴染みの飲み屋へ行くだけで、
買い物は近所のセブンイレブンで間に合うし、自宅と仕事場が
同じ家屋だから、通勤は階段を13段降りるだけ。
バイクや車に乗ることがないのだった。
以前は遠出をするときに、
バイクに乗って行ったこともあったけれど、もともとの
ものぐさな性分に輪がかかり、この頃は電車かバスで、
缶ビールを飲みながらだらだらと。それがお決まりに
なっている。
おまけにバイクに乗っているときに、他人の車に何度か
冷やっとしたことがあった。こちらが気をつけていても、
いきなりわき道から飛び出して来たり、一時停止をしないで
飛び出してきたり。連日、バイクの死亡事故のニュースを
観るたびに、明日は我が身と思ってしまうのも、
乗りそびれている理由だった。乗らないバイクを
毎日眺めては、もやもやした気分になっていた。
そんな折りのこの夏、自宅と仕事場のトイレを新調する羽目に
なってしまった。
値段の安い施工業者にお願いしたものの、そうはいっても
それなりに金がかかる。
この際と腹を決め、バイクを売って出費に充てることにした。
バイク王さんに来てもらい、速やかにバイクがトイレに
姿を変えた。すっきりしたガレージを眺めたら、
気分もすこし軽くなったのだった。
バイク売り車庫さっぱりや秋彼岸。

貯金が出来ない性分で困る。
小金が貯まると、そのときそのとき
欲しいものに手を出してしまうのだった。
父と母はまるで金の使いかたが正反対だった。
貧しい家庭で生まれ育った父は、若いときから
お金に細かく贅沢の出来ない性分だった。
唯一の贅沢といえば、仕事帰りに安い飲み屋で
酔っ払うことぐらいで、年金暮らしになってからは
飲み屋にも行かず、2リットル800円の紙パックの酒を
旨そうに飲んでいた。
生前、我が家に来た折りに、冷蔵庫にエビスが冷やして
あるのを見て、稼ぎもないのに贅沢をするなと
怒られたことがあった。
かたや母は、若いときから美容師として羽振りが良く、
宝石に着物に洋服に使いたい放題費やしていた。
仕事が終われば、お弟子さんを連れて高級レストランや
寿司屋に繰り出していた。
父の酒飲みの血と母の散財癖の血だけしっかり
引いてしまったのだった。バイクを3台に車を1台持っている。
バイクは、紺色のスーパーカブとピンクの
スーパーカブを。どちらも衝動買いだった。
もう一台は友だちからの借り物の昔の50㏄を。
車は父の形見の軽自動車を。
ところが外出をするといえば、馴染みの飲み屋へ行くだけで、
買い物は近所のセブンイレブンで間に合うし、自宅と仕事場が
同じ家屋だから、通勤は階段を13段降りるだけ。
バイクや車に乗ることがないのだった。
以前は遠出をするときに、
バイクに乗って行ったこともあったけれど、もともとの
ものぐさな性分に輪がかかり、この頃は電車かバスで、
缶ビールを飲みながらだらだらと。それがお決まりに
なっている。
おまけにバイクに乗っているときに、他人の車に何度か
冷やっとしたことがあった。こちらが気をつけていても、
いきなりわき道から飛び出して来たり、一時停止をしないで
飛び出してきたり。連日、バイクの死亡事故のニュースを
観るたびに、明日は我が身と思ってしまうのも、
乗りそびれている理由だった。乗らないバイクを
毎日眺めては、もやもやした気分になっていた。
そんな折りのこの夏、自宅と仕事場のトイレを新調する羽目に
なってしまった。
値段の安い施工業者にお願いしたものの、そうはいっても
それなりに金がかかる。
この際と腹を決め、バイクを売って出費に充てることにした。
バイク王さんに来てもらい、速やかにバイクがトイレに
姿を変えた。すっきりしたガレージを眺めたら、
気分もすこし軽くなったのだった。
バイク売り車庫さっぱりや秋彼岸。
長野の日本酒を
神無月 1
毎晩酒を飲んでいる。
ようやくこの夏のバカみたいな暑さが峠を越えて、
日中も涼しい風が吹き、朝晩の空気に冷気が
感じられるようになってきた。
湯豆腐で燗酒。そんな季節ですな。
そう思うだけで、今日の仕事をやめたくなるのだった。
平日の夕方、仕事を早仕舞いして長野駅前の
ホテルメトロポリタンへ出かけた。
長野県酒造組合主催の、日本酒の会が開かれたのだった。
これまで毎年秋になると開催されていた。
コロナ禍で中止の年がつづき、4年ぶりの開催と相成った。
長野県には東西南北、80社の酒蔵が点在している。
かつては、上等な味を醸すお蔵さんが少なかったものの、
世代交代をして、若い造り手さんが携わるようになってから、
旨い酒を醸すお蔵さんが増えてきたのだった。
この日は62蔵が参加していて、会場は酒徒のかたがたの
熱気に包まれている。
阿部長野県知事の乾杯を合図に、みなさんあちこちの
お蔵さんへと群がっていく。
ぜんぶのお蔵さんを回っていたら、とてもじゃないが
体がもたない。日頃付き合いのある、馴染みのお蔵さん
だけを回ることにした。
挨拶をして酒を注いでもらい、今年の酒米の出来具合や、
今期の造りに込める意気込みなんぞを聞いていると、
お蔵のかたがたも、久しぶりの酒の会の開催が嬉しいと
伝わってくる。そんな姿を見ていると、
ふだん馴染みの飲み屋で飲み慣れている銘柄も、
新鮮な味わいになるのだった。
兄弟で造りに取り組むお蔵さんに、ご夫婦で造りに
取り組むお蔵さん、病を患いながらもお蔵を守ろうと
頑張っているかた、飲みながら、みなさんの笑顔を拝見して
いたら、胸が温かくなった。
この頃はなんでもかんでも値上げで、暮らしに影響している。
お蔵さんも例にもれず、一升瓶も四合瓶も、ラベルの紙代も
値上げしているという。一升瓶に至っては一本50円の値上げ
という。聞かせてくれたお蔵さんの年間の生産量は5万本。
・・・250万円ですか・・
どこのお蔵さんも造りの規模は小さい。蔵人の数も
限られているから仕事の幅も限られる。
コロナ禍で出荷量が減った中、経費だけは膨らんで、
気苦労が絶えない。
そんな中、今期の酒造りが始まろうとしている。
どうか少しでも日本酒が売れますように。
願わずにはいられないのだった。
気苦労に思い巡らす新酒かな。

毎晩酒を飲んでいる。
ようやくこの夏のバカみたいな暑さが峠を越えて、
日中も涼しい風が吹き、朝晩の空気に冷気が
感じられるようになってきた。
湯豆腐で燗酒。そんな季節ですな。
そう思うだけで、今日の仕事をやめたくなるのだった。
平日の夕方、仕事を早仕舞いして長野駅前の
ホテルメトロポリタンへ出かけた。
長野県酒造組合主催の、日本酒の会が開かれたのだった。
これまで毎年秋になると開催されていた。
コロナ禍で中止の年がつづき、4年ぶりの開催と相成った。
長野県には東西南北、80社の酒蔵が点在している。
かつては、上等な味を醸すお蔵さんが少なかったものの、
世代交代をして、若い造り手さんが携わるようになってから、
旨い酒を醸すお蔵さんが増えてきたのだった。
この日は62蔵が参加していて、会場は酒徒のかたがたの
熱気に包まれている。
阿部長野県知事の乾杯を合図に、みなさんあちこちの
お蔵さんへと群がっていく。
ぜんぶのお蔵さんを回っていたら、とてもじゃないが
体がもたない。日頃付き合いのある、馴染みのお蔵さん
だけを回ることにした。
挨拶をして酒を注いでもらい、今年の酒米の出来具合や、
今期の造りに込める意気込みなんぞを聞いていると、
お蔵のかたがたも、久しぶりの酒の会の開催が嬉しいと
伝わってくる。そんな姿を見ていると、
ふだん馴染みの飲み屋で飲み慣れている銘柄も、
新鮮な味わいになるのだった。
兄弟で造りに取り組むお蔵さんに、ご夫婦で造りに
取り組むお蔵さん、病を患いながらもお蔵を守ろうと
頑張っているかた、飲みながら、みなさんの笑顔を拝見して
いたら、胸が温かくなった。
この頃はなんでもかんでも値上げで、暮らしに影響している。
お蔵さんも例にもれず、一升瓶も四合瓶も、ラベルの紙代も
値上げしているという。一升瓶に至っては一本50円の値上げ
という。聞かせてくれたお蔵さんの年間の生産量は5万本。
・・・250万円ですか・・
どこのお蔵さんも造りの規模は小さい。蔵人の数も
限られているから仕事の幅も限られる。
コロナ禍で出荷量が減った中、経費だけは膨らんで、
気苦労が絶えない。
そんな中、今期の酒造りが始まろうとしている。
どうか少しでも日本酒が売れますように。
願わずにはいられないのだった。
気苦労に思い巡らす新酒かな。