親の悪いところだけ
文月 9
母から、電話がかかってきた。
今朝がた、あんたの夢を見たと言う。
体調をくずしていないか、
気になってというのだった。
以前もおなじようなことがあった。
当時の職場に電話をかけてきて、
ふとお前のことが頭をよぎった。
なんともないかい?
けがや病気に気をつけるんだよと言うから、
はいはいわかったと、
てきとうにあしらって切った。
翌日、友だちに会うために、
北陸自動車道を走っていたら、
後ろから、居眠り運転の車に突っ込まれて、
あごの骨折と全身打撲でひと月、
病院の世話になる羽目となった。
母の予感はこれだったかと、
つくづく身に染みたのだった。
そんなことがあったから、
母の勘は、あながち無視できない。
その日は、車ですこし遠くの町へ行く用事があった。
気を引き締めて運転をした。
昔、父が単身赴任で、
大町市の職場に勤めていたことがある。
母が急に、なんか気にかかると言って、
父の職場に電話をかけた。
ところが職場のかたが、
今日はみやいりさんは、お休みをしていると言う。
そこで、父の職員寮へ電話をかけたら、
管理人さんが、みやいりさんは、
先ほど奥さまとお出かけになりましたと
言うのだった。
いや、奥さまは今こうして電話をかけている。
どこぞの女と、
大町温泉郷でしけこんでいるにちがいない。
鬼のような形相で、温泉郷のすべての
旅館の電話番号を調べあげ、
いちばん最初に電話をした旅館に
父がいたのだった。
一発で当てたんだあ!すごいねえ!
母の勘の鋭さに、ほとほと感心をしてしまった。
父には、はるか以前に前科があった。
父が職場の当直の日、いやな予感がして、
夜、不意に訪ねていったら、
まさに、近所の飲み屋の女将と
しけこんでいる最中だった。
現場を押さえられ、
離婚するしないの大騒ぎになったのは、
子供ごころに覚えている。
そんな鋭利な勘を持つことなく、、
母からもらったのは、
無駄づかいをするくせと、数字に弱いところだけ。
父の、女にだらしのないところは、
しっかり分けていただいた。
親のわるいところだけ受け継いで、
こんなじじいになってしまったことだった。

母から、電話がかかってきた。
今朝がた、あんたの夢を見たと言う。
体調をくずしていないか、
気になってというのだった。
以前もおなじようなことがあった。
当時の職場に電話をかけてきて、
ふとお前のことが頭をよぎった。
なんともないかい?
けがや病気に気をつけるんだよと言うから、
はいはいわかったと、
てきとうにあしらって切った。
翌日、友だちに会うために、
北陸自動車道を走っていたら、
後ろから、居眠り運転の車に突っ込まれて、
あごの骨折と全身打撲でひと月、
病院の世話になる羽目となった。
母の予感はこれだったかと、
つくづく身に染みたのだった。
そんなことがあったから、
母の勘は、あながち無視できない。
その日は、車ですこし遠くの町へ行く用事があった。
気を引き締めて運転をした。
昔、父が単身赴任で、
大町市の職場に勤めていたことがある。
母が急に、なんか気にかかると言って、
父の職場に電話をかけた。
ところが職場のかたが、
今日はみやいりさんは、お休みをしていると言う。
そこで、父の職員寮へ電話をかけたら、
管理人さんが、みやいりさんは、
先ほど奥さまとお出かけになりましたと
言うのだった。
いや、奥さまは今こうして電話をかけている。
どこぞの女と、
大町温泉郷でしけこんでいるにちがいない。
鬼のような形相で、温泉郷のすべての
旅館の電話番号を調べあげ、
いちばん最初に電話をした旅館に
父がいたのだった。
一発で当てたんだあ!すごいねえ!
母の勘の鋭さに、ほとほと感心をしてしまった。
父には、はるか以前に前科があった。
父が職場の当直の日、いやな予感がして、
夜、不意に訪ねていったら、
まさに、近所の飲み屋の女将と
しけこんでいる最中だった。
現場を押さえられ、
離婚するしないの大騒ぎになったのは、
子供ごころに覚えている。
そんな鋭利な勘を持つことなく、、
母からもらったのは、
無駄づかいをするくせと、数字に弱いところだけ。
父の、女にだらしのないところは、
しっかり分けていただいた。
親のわるいところだけ受け継いで、
こんなじじいになってしまったことだった。
かあちゃんがんばれ。
文月 8
毎週、火曜日と金曜日に、ヨーグルトが届く。
以前、明治乳業の営業さんが、
試食品を持って飛び込んできた。
以来ずっと配達をしてもらっているのだった。
長らく配達に来ていたのは、麻生久美子似の、
目元涼やかなきれいな女性だった。
顔を拝めるのが楽しみで、
ヨーグルトを受け取りながら
左手の薬指の指輪を見るたびに、
外したくなって困った。
そのかたが、親の介護のために辞められたあと、
小柄で色白の、長い茶髪の女の子が
来るようになった。
明るく気さくな子で、
いつも手の爪を,きれいな絵柄で飾っている。
ネイルきれいだねと褒めれば、
ネイル、すごく好きなんですとにっこり笑うのだった。
いつも午前の10時ごろに来るのに、
ある日、早朝の散歩に出ようとしたら、
もう玄関先にヨーグルトが置いてあった。
やけに早いなあと、わけを尋ねたら、
あの日は子供2人の参観日で、
早朝に配達を済ませて、午前中、
長女と長男の通う幼稚園に行ったというのだった。
へっ?・・・子供がいるの?
どう見ても、あなた自身がまだ
子供みたいなんですけどと、目が点になった。
19歳で長女を産んで、翌年に長男を産んだ。
そのあと離婚をしてしまい、
親子3人、今は実家の両親と一緒に
暮らしている。
働いている間は、
両親が子供の面倒を見てくれているという。
子供は手がかかるけど、かわいくて仕方ないと、
子供のような笑顔で語るのだった。
先月、配達に来たかと思ったら、
じつは仕事を辞めることにしたという。
大好きなネイルについて本格的に学びたい。
その費用を稼ぐために、
もっと給料のいい仕事に転職するというのだった。
いつか自分のサロンを開くのが夢というから、
素晴らしい。まだ若いんだし、
やりたいことにどんどん挑戦していけばいい。
頑張ってと励ました。
餞別に、絵柄のちがうハンカチを2枚あげたら、
後日訪ねて来たときに、紙袋を渡された。
開けてみたら、渋い柄のティーカップで、
こんなの好きかなあと思ってという。
お~っ、好きだよ~、ありがとよ~。
若い子の素直な気遣いが嬉しくて、
かあちゃん、頑張れよ~!
手を振る笑顔に、エールを送ったのだった。

毎週、火曜日と金曜日に、ヨーグルトが届く。
以前、明治乳業の営業さんが、
試食品を持って飛び込んできた。
以来ずっと配達をしてもらっているのだった。
長らく配達に来ていたのは、麻生久美子似の、
目元涼やかなきれいな女性だった。
顔を拝めるのが楽しみで、
ヨーグルトを受け取りながら
左手の薬指の指輪を見るたびに、
外したくなって困った。
そのかたが、親の介護のために辞められたあと、
小柄で色白の、長い茶髪の女の子が
来るようになった。
明るく気さくな子で、
いつも手の爪を,きれいな絵柄で飾っている。
ネイルきれいだねと褒めれば、
ネイル、すごく好きなんですとにっこり笑うのだった。
いつも午前の10時ごろに来るのに、
ある日、早朝の散歩に出ようとしたら、
もう玄関先にヨーグルトが置いてあった。
やけに早いなあと、わけを尋ねたら、
あの日は子供2人の参観日で、
早朝に配達を済ませて、午前中、
長女と長男の通う幼稚園に行ったというのだった。
へっ?・・・子供がいるの?
どう見ても、あなた自身がまだ
子供みたいなんですけどと、目が点になった。
19歳で長女を産んで、翌年に長男を産んだ。
そのあと離婚をしてしまい、
親子3人、今は実家の両親と一緒に
暮らしている。
働いている間は、
両親が子供の面倒を見てくれているという。
子供は手がかかるけど、かわいくて仕方ないと、
子供のような笑顔で語るのだった。
先月、配達に来たかと思ったら、
じつは仕事を辞めることにしたという。
大好きなネイルについて本格的に学びたい。
その費用を稼ぐために、
もっと給料のいい仕事に転職するというのだった。
いつか自分のサロンを開くのが夢というから、
素晴らしい。まだ若いんだし、
やりたいことにどんどん挑戦していけばいい。
頑張ってと励ました。
餞別に、絵柄のちがうハンカチを2枚あげたら、
後日訪ねて来たときに、紙袋を渡された。
開けてみたら、渋い柄のティーカップで、
こんなの好きかなあと思ってという。
お~っ、好きだよ~、ありがとよ~。
若い子の素直な気遣いが嬉しくて、
かあちゃん、頑張れよ~!
手を振る笑顔に、エールを送ったのだった。
梅雨の被害に
文月 7
土曜日の昼どき、
窓越しに、町の区長の姿が見えた。
しばらくすると、
町の顧問をしている市会議員もやって来て、
なにやら話をしている。
気になって外へ出てみたら、
石垣が崩れちゃったんだよと言うのだった。
すぐそばを流れる湯福川を覗いてみたら、
川の左側の石垣が崩れていた。
連日の雨降りで地盤がゆるんだのか、
2年前に川のわきに建てられた、
マンションの工事の影響なのか、
崩れた石垣の上には、
はす向かいのお宅の敷地があるから、心配なことだった。
区長がすぐに復旧の手配をして、
その日のうちに、市の河川課の人たちが、
様子を見に来てくれた。
今年の梅雨どきも、
全国のあちこちで雨の被害がつづいた。
大きな土砂災害のあった熱海市では、
いまだ行方不明者の捜索がつづいている。
災害が起こると避難警報が出る。
その警報が災害の大きさによって、
レベル1からレベル5まで分かれている。
常々、なんで細かく分けるんだろうと
怪訝に思っているのだった。
レベル3だからまだ大丈夫と思っていたら、
予想を超えた勢いにやられたなどという話を、
災害があるたびに耳にする。
避難警報を細かく区分するからややこしいので、
山や川の様子がいつもと違ったら、
地域の全員を、
とにかくさっさと避難させちゃえと思うのだった。
避難させたあと、
何ごとも起こらずに空振りに終わったとしても、
犠牲者が出るよりよほどましではないか。
御嶽山が噴火したときも、
すこし前から山の様子に異変があったという。
それでも入山規制をしなかったら、
予想外の噴火が起きて、
たくさんの犠牲者がでてしまった。
あの折り、登山者のことを考えると、
なかなか容易に入山規制はできないと、
専門家のかたが言っていた。
見渡すまでもなく、山は御嶽山だけではない。
いつもと様子が違ったら、
すみやかに、登山禁止にすればよかったのにと、
今でも思う。
想像をはるかに超えた災害が、
どこで起きてもおかしくないのが当たり前。
我が身は我が身で守るしかないなあ。
しみじみ思ってしまうことだった。

土曜日の昼どき、
窓越しに、町の区長の姿が見えた。
しばらくすると、
町の顧問をしている市会議員もやって来て、
なにやら話をしている。
気になって外へ出てみたら、
石垣が崩れちゃったんだよと言うのだった。
すぐそばを流れる湯福川を覗いてみたら、
川の左側の石垣が崩れていた。
連日の雨降りで地盤がゆるんだのか、
2年前に川のわきに建てられた、
マンションの工事の影響なのか、
崩れた石垣の上には、
はす向かいのお宅の敷地があるから、心配なことだった。
区長がすぐに復旧の手配をして、
その日のうちに、市の河川課の人たちが、
様子を見に来てくれた。
今年の梅雨どきも、
全国のあちこちで雨の被害がつづいた。
大きな土砂災害のあった熱海市では、
いまだ行方不明者の捜索がつづいている。
災害が起こると避難警報が出る。
その警報が災害の大きさによって、
レベル1からレベル5まで分かれている。
常々、なんで細かく分けるんだろうと
怪訝に思っているのだった。
レベル3だからまだ大丈夫と思っていたら、
予想を超えた勢いにやられたなどという話を、
災害があるたびに耳にする。
避難警報を細かく区分するからややこしいので、
山や川の様子がいつもと違ったら、
地域の全員を、
とにかくさっさと避難させちゃえと思うのだった。
避難させたあと、
何ごとも起こらずに空振りに終わったとしても、
犠牲者が出るよりよほどましではないか。
御嶽山が噴火したときも、
すこし前から山の様子に異変があったという。
それでも入山規制をしなかったら、
予想外の噴火が起きて、
たくさんの犠牲者がでてしまった。
あの折り、登山者のことを考えると、
なかなか容易に入山規制はできないと、
専門家のかたが言っていた。
見渡すまでもなく、山は御嶽山だけではない。
いつもと様子が違ったら、
すみやかに、登山禁止にすればよかったのにと、
今でも思う。
想像をはるかに超えた災害が、
どこで起きてもおかしくないのが当たり前。
我が身は我が身で守るしかないなあ。
しみじみ思ってしまうことだった。
腰痛日和
文月 6
馴染みの飲み屋へ出かけたら、
女将のりさちゃんが、ぎっくり腰をやっちゃってという。
腰に負担のかかるような、
太った体格でもないのに、
運動不足のせいだねえとちゃちゃを入れたら、
診てもらった整体師の友だちに、
腰ががちがちだよ~と言われたという。
翌朝、いつものように布団から出ようとしたら、
腰の両脇に重たい痛みがある。
長らく腰痛持ちの身で、
ふだんは生活に差し支えない程度なのに、
ときどき思い出したように、痛みが増すときがある。
それにしても、この朝の痛みは、
半端じゃない。
りさちゃんの心配をしている場合ではないぞ。
ぐ~っと圧迫されてるような痛みで、
なんとか仕事場に就いたものの、
立っているのもやっとのありさまだった。
こりゃだめだと午前で仕事を終いにして、
午後はずっと横になっていた。
夕方、整骨院を営む友だちに診てもらうと、
腰から太ももにかけての筋肉が、
かなり張っているという。
じっくりと腰に針を打ってもらい、
指圧でほぐしてもらった。
翌朝、おそるおそる起きてみたら、
だいぶ痛みがなくなっていてほっとする。
歳をかさねるごとに、
まめな体の管理が大事になってくるのだった。
仕事柄、中腰になったり腰をかがめたりするけれど、
たいして忙しいわけではない。
どきどきと、腰に負担をかけるような色恋ごとは、
もう、すっかり縁がない。
痛みの原因と思い当たるのは、
毎朝の、
ノルディックウォーキングくらいなものだった。
この頃知人に会うと、
痩せました?と聞かれることがある。
ストックを突きながら歩いているから、
延々、肩や肩甲骨や鎖骨を動かしている。
肩回りの肉が取れて、
すっきり見えるせいかと思い当たる。
ところが、ノルディックウォーキングをつづけると、
おなかの脂肪も取れると聞いていたのに、
そちらのほうはさっぱり効き目がない。
毎朝歩いてカロリーを消費しても、
夕方になれば、それ以上のビールを腹に収めている。
腹がへこむわけがないのだった。
そんなぽっこり腹を支えるために、
日夜、腰に負担をかけているのだなあ。
すんなり合点がいった次第だった。

馴染みの飲み屋へ出かけたら、
女将のりさちゃんが、ぎっくり腰をやっちゃってという。
腰に負担のかかるような、
太った体格でもないのに、
運動不足のせいだねえとちゃちゃを入れたら、
診てもらった整体師の友だちに、
腰ががちがちだよ~と言われたという。
翌朝、いつものように布団から出ようとしたら、
腰の両脇に重たい痛みがある。
長らく腰痛持ちの身で、
ふだんは生活に差し支えない程度なのに、
ときどき思い出したように、痛みが増すときがある。
それにしても、この朝の痛みは、
半端じゃない。
りさちゃんの心配をしている場合ではないぞ。
ぐ~っと圧迫されてるような痛みで、
なんとか仕事場に就いたものの、
立っているのもやっとのありさまだった。
こりゃだめだと午前で仕事を終いにして、
午後はずっと横になっていた。
夕方、整骨院を営む友だちに診てもらうと、
腰から太ももにかけての筋肉が、
かなり張っているという。
じっくりと腰に針を打ってもらい、
指圧でほぐしてもらった。
翌朝、おそるおそる起きてみたら、
だいぶ痛みがなくなっていてほっとする。
歳をかさねるごとに、
まめな体の管理が大事になってくるのだった。
仕事柄、中腰になったり腰をかがめたりするけれど、
たいして忙しいわけではない。
どきどきと、腰に負担をかけるような色恋ごとは、
もう、すっかり縁がない。
痛みの原因と思い当たるのは、
毎朝の、
ノルディックウォーキングくらいなものだった。
この頃知人に会うと、
痩せました?と聞かれることがある。
ストックを突きながら歩いているから、
延々、肩や肩甲骨や鎖骨を動かしている。
肩回りの肉が取れて、
すっきり見えるせいかと思い当たる。
ところが、ノルディックウォーキングをつづけると、
おなかの脂肪も取れると聞いていたのに、
そちらのほうはさっぱり効き目がない。
毎朝歩いてカロリーを消費しても、
夕方になれば、それ以上のビールを腹に収めている。
腹がへこむわけがないのだった。
そんなぽっこり腹を支えるために、
日夜、腰に負担をかけているのだなあ。
すんなり合点がいった次第だった。
めでたいことに。
文月 5
身内に甥っ子がひとりいる。
函館に暮らす兄夫婦の子で、
今年33歳になる。
兄が東京の音楽大学を中退して、
函館に渡ってから、
40年あまりの月日が流れている。
言葉の口調もすっかり北海道訛りになって、
長野が縁遠い故郷になっている。
6歳離れているから、子供の頃から、
一緒に過ごす時間が多くなかった。
わりあい、我を押し出す性格の兄にたいして、
こちらは酔っていなければ、
我を控えめにしているほうと思う。
酔ってさえいなければ。
歳も離れて、性格もちがうから、
それほど会いたいとも思わず、
増して、長野と函館では、
そうそう行き来できる距離ではない。
生前の父の病がひどくなったときに、
見舞いに来たのが、15年ぶりの再会だった。
そののち、父の一周忌で会ってから、
今度顔を合わせるのはいつのことやら、
見当もつかないのだった。
その息子の甥っ子はといえば、
高校を卒業してから、
はるばる九州の宮崎の大学に進学して、
卒業後は、地元の飲食店で働いていた。
今年になって職を変えて、
今度は教育関係の仕事に携わり、
現在東京の職場に勤めている。
頭が良くて性格も素直で、
真面目な道を行くものと思っていたら、
女が好きで酒が好きと、このおじさんの血を
まっとうにひいたような歩みぶりで、
嬉しくてかわいい。
兄には会わなくても、甥っ子には、
コロナが落ちついたら会いたいのおと
思っている次第だった。
その甥っ子が、このたび結婚をした。
お相手の女性は、宮崎のかたで、
スマホに、黒ラベルを飲んでいる、
笑顔の二人の写真が届いた。
7月7日の七夕の日。
宮崎市役所で、
無事入籍しましたと連絡が来た。
折よくその日発売の、
天の川ラベルの宮城の銘酒、
DATE7を買い込んだから、
さっそく祝い酒にと二人に送った。
くれぐれも、このおじさんのように、
結婚生活をしくじらぬよう、
末々長く、仲良くいられますよう願っている。
来年は、九州で一緒に暮らせる予定という。
写真を撮るのが趣味だから、
大奮発のお祝いに、カメラを送ることにした。
お嫁さんの素敵な笑顔を、
たくさん撮っていただきたい。

身内に甥っ子がひとりいる。
函館に暮らす兄夫婦の子で、
今年33歳になる。
兄が東京の音楽大学を中退して、
函館に渡ってから、
40年あまりの月日が流れている。
言葉の口調もすっかり北海道訛りになって、
長野が縁遠い故郷になっている。
6歳離れているから、子供の頃から、
一緒に過ごす時間が多くなかった。
わりあい、我を押し出す性格の兄にたいして、
こちらは酔っていなければ、
我を控えめにしているほうと思う。
酔ってさえいなければ。
歳も離れて、性格もちがうから、
それほど会いたいとも思わず、
増して、長野と函館では、
そうそう行き来できる距離ではない。
生前の父の病がひどくなったときに、
見舞いに来たのが、15年ぶりの再会だった。
そののち、父の一周忌で会ってから、
今度顔を合わせるのはいつのことやら、
見当もつかないのだった。
その息子の甥っ子はといえば、
高校を卒業してから、
はるばる九州の宮崎の大学に進学して、
卒業後は、地元の飲食店で働いていた。
今年になって職を変えて、
今度は教育関係の仕事に携わり、
現在東京の職場に勤めている。
頭が良くて性格も素直で、
真面目な道を行くものと思っていたら、
女が好きで酒が好きと、このおじさんの血を
まっとうにひいたような歩みぶりで、
嬉しくてかわいい。
兄には会わなくても、甥っ子には、
コロナが落ちついたら会いたいのおと
思っている次第だった。
その甥っ子が、このたび結婚をした。
お相手の女性は、宮崎のかたで、
スマホに、黒ラベルを飲んでいる、
笑顔の二人の写真が届いた。
7月7日の七夕の日。
宮崎市役所で、
無事入籍しましたと連絡が来た。
折よくその日発売の、
天の川ラベルの宮城の銘酒、
DATE7を買い込んだから、
さっそく祝い酒にと二人に送った。
くれぐれも、このおじさんのように、
結婚生活をしくじらぬよう、
末々長く、仲良くいられますよう願っている。
来年は、九州で一緒に暮らせる予定という。
写真を撮るのが趣味だから、
大奮発のお祝いに、カメラを送ることにした。
お嫁さんの素敵な笑顔を、
たくさん撮っていただきたい。
休日になると
文月 4
休日の朝いちばん、整骨院を営む友だちを訪ねた。
肩こりと頭痛がひどくてさあと言いながら、
シャツを脱いでベッドに横になる。
肩から背中から腰まで、じっくりとお灸をしてもらい、
そのあとに、念入りなマッサージをしてもらった。
整骨院をあとにしたら、その足で、
世話になっている車屋さんまで、
愛車の車検をお願いに行く。
愛車を置いて、代車を借りて走っていたら、
なんだか気分がわるくなってきた。
少々、室内の芳香剤の匂いが
鼻につくけれど、
それだけで、こんなに気分がわるくなるかなあ。
この車、なんか取りついているんじゃないかと
いぶかったら、ますますわるくなってきた。
自宅に着くなり、清めの塩を体にふりかけた。
気分が落ちついたら、
本日の蕎麦屋の昼酒に、
かんだたさんへ足を運んだのだった。
カウンターのはしに座って、
いつものようにビールを飲みはじめたら、
お灸とマッサージで、
血の巡りが良くなっていたせいか、
半分も飲まないうちに酔いが回ってきた。
そのあとにお銚子1本飲みはじめたら、
目の前がふわふわしてきていけない。
早々に締めの蕎麦をたいらげたら、
まっすぐ自宅に戻って、ばたりと布団にくずれ落ちた。
夕方、昼寝から目覚めると、
日中の小雨が上がっている。
寝ぼけざましに外へ出て、
涼しい風にあたっていたら、
お~いと手を振りながら、女性が近寄ってきた。
よく見たら、我が娘だった。
昔,家庭を持っていたときに授かった子で、
2歳のときに離婚をして、ずっと会うことがなかった。
養育費を払い終わった18歳のときに、
はるばる会いに来てくれたのだった。
その娘も、30歳になるといい、
もうおばさんだよ~と嘆くから、
こっちなんか、もう還暦のじじいだよおと
一緒に嘆いた。
今日は仕事が休みで、岡田准一のザ・ファブルを観て、
善光寺へお参りに来たという。
これ買ってきたよと差し出された箱を開けてみたら、
めでたい富士山の絵柄の、ガラスのぐい飲みだった。
父親らしいことは、昔も今もなんにもしていないのに、
手土産持って会いに来てくれたかい。
うしろ姿を見送っていたら、ちょっと、うるっときた。
翌日、車屋さんから、車検が済んだと連絡が来た。
体と代車に清めの塩を巻いて、
愛車を受け取りに行ったのだった。

休日の朝いちばん、整骨院を営む友だちを訪ねた。
肩こりと頭痛がひどくてさあと言いながら、
シャツを脱いでベッドに横になる。
肩から背中から腰まで、じっくりとお灸をしてもらい、
そのあとに、念入りなマッサージをしてもらった。
整骨院をあとにしたら、その足で、
世話になっている車屋さんまで、
愛車の車検をお願いに行く。
愛車を置いて、代車を借りて走っていたら、
なんだか気分がわるくなってきた。
少々、室内の芳香剤の匂いが
鼻につくけれど、
それだけで、こんなに気分がわるくなるかなあ。
この車、なんか取りついているんじゃないかと
いぶかったら、ますますわるくなってきた。
自宅に着くなり、清めの塩を体にふりかけた。
気分が落ちついたら、
本日の蕎麦屋の昼酒に、
かんだたさんへ足を運んだのだった。
カウンターのはしに座って、
いつものようにビールを飲みはじめたら、
お灸とマッサージで、
血の巡りが良くなっていたせいか、
半分も飲まないうちに酔いが回ってきた。
そのあとにお銚子1本飲みはじめたら、
目の前がふわふわしてきていけない。
早々に締めの蕎麦をたいらげたら、
まっすぐ自宅に戻って、ばたりと布団にくずれ落ちた。
夕方、昼寝から目覚めると、
日中の小雨が上がっている。
寝ぼけざましに外へ出て、
涼しい風にあたっていたら、
お~いと手を振りながら、女性が近寄ってきた。
よく見たら、我が娘だった。
昔,家庭を持っていたときに授かった子で、
2歳のときに離婚をして、ずっと会うことがなかった。
養育費を払い終わった18歳のときに、
はるばる会いに来てくれたのだった。
その娘も、30歳になるといい、
もうおばさんだよ~と嘆くから、
こっちなんか、もう還暦のじじいだよおと
一緒に嘆いた。
今日は仕事が休みで、岡田准一のザ・ファブルを観て、
善光寺へお参りに来たという。
これ買ってきたよと差し出された箱を開けてみたら、
めでたい富士山の絵柄の、ガラスのぐい飲みだった。
父親らしいことは、昔も今もなんにもしていないのに、
手土産持って会いに来てくれたかい。
うしろ姿を見送っていたら、ちょっと、うるっときた。
翌日、車屋さんから、車検が済んだと連絡が来た。
体と代車に清めの塩を巻いて、
愛車を受け取りに行ったのだった。
商いをつづけて
文月 3
久しぶりのかたが訪ねて来た。
2年前に車にはねられて以来、
歩行が困難になってしまったかただった。
この日は帰省中の、県外に暮らす娘さんが
車に乗せて連れてきてくれたのだった。
コロナ禍で、こんな場末の店にも、
よからぬしわ寄せがきている。
不自由な体で足を運んでくれるのは、
ほんとにありがたいことだった。
コロナ騒ぎが始まってから、
ぱたりと来なくなった知り合いがいる。
人づてに届いた話によると、
みやいりさんは、
しょっちゅう飲み屋に出入りしてるから、
コロナに感染しているかもしれない。
怖くて近づけないと言っていたという。
たしかに神経質なかただったなあと
思いだし、苦笑いを浮かべてしまった。
飲み屋に行くのはたいてい一人。
馴染みの店は、どこも感染対策を施している。
それでも、終始お客は我が身だけという日が
ざらだから、
飲み屋がことさらわるく思われるのは、
営むかたがたににとって、
気の毒なことだった。
そんな中、
馴染みのべじた坊さんが、店内の改装に
乗り出した。
感染対策に、空調設備やトイレ、品書きや
座席の配置を一新して、
料理の中身や提供も、変えることにするという。
売り上げが伸びぬ中、費用をかけるのは
勇気のいることと思う。
改装成ったあかつきには、
すみやかに、足を運ばにゃあいかんのだった。
金曜日の夕方、
南県町にある、ch.booksへ出かけた。
飲み仲間の、
デザイナーとフリーのライターが営む
ちいさな本屋は、
この日10周年を迎えたという。
早いなあ、もう10年ですか。
和菓子を土産に顔を出したら、
タケノコ汁とビールと日本酒をふるまってくれて、
営む4人の似顔絵入りの、トートバックを頂いた。
長らくの商売がやりづらいこのご時世、
身近な店のかたがたの努力に、
頭が下がる思いだった。

久しぶりのかたが訪ねて来た。
2年前に車にはねられて以来、
歩行が困難になってしまったかただった。
この日は帰省中の、県外に暮らす娘さんが
車に乗せて連れてきてくれたのだった。
コロナ禍で、こんな場末の店にも、
よからぬしわ寄せがきている。
不自由な体で足を運んでくれるのは、
ほんとにありがたいことだった。
コロナ騒ぎが始まってから、
ぱたりと来なくなった知り合いがいる。
人づてに届いた話によると、
みやいりさんは、
しょっちゅう飲み屋に出入りしてるから、
コロナに感染しているかもしれない。
怖くて近づけないと言っていたという。
たしかに神経質なかただったなあと
思いだし、苦笑いを浮かべてしまった。
飲み屋に行くのはたいてい一人。
馴染みの店は、どこも感染対策を施している。
それでも、終始お客は我が身だけという日が
ざらだから、
飲み屋がことさらわるく思われるのは、
営むかたがたににとって、
気の毒なことだった。
そんな中、
馴染みのべじた坊さんが、店内の改装に
乗り出した。
感染対策に、空調設備やトイレ、品書きや
座席の配置を一新して、
料理の中身や提供も、変えることにするという。
売り上げが伸びぬ中、費用をかけるのは
勇気のいることと思う。
改装成ったあかつきには、
すみやかに、足を運ばにゃあいかんのだった。
金曜日の夕方、
南県町にある、ch.booksへ出かけた。
飲み仲間の、
デザイナーとフリーのライターが営む
ちいさな本屋は、
この日10周年を迎えたという。
早いなあ、もう10年ですか。
和菓子を土産に顔を出したら、
タケノコ汁とビールと日本酒をふるまってくれて、
営む4人の似顔絵入りの、トートバックを頂いた。
長らくの商売がやりづらいこのご時世、
身近な店のかたがたの努力に、
頭が下がる思いだった。
紫陽花の頃
文月 2
仕事場のすぐそばに、
独り暮らしのおばあさんが住んでいる。
声のでかいかたで、毎日のように、
仕事場の向かいの、
おなじく独り暮らしのおばあさんちへ来ては、
延々とおしゃべりをしている。
玄関の戸を開けておくと、
こちらまで声が届くからやかましい。
なにを毎日話すことがあるのかねえと、
あきれているのだった。
そのおばあさんのお宅の塀沿いに、
この時期になると、あじさいとがくあじさいが、
きれいに咲く。
先日、ひまつぶしに眺めていたら、
おばあさんが出てきて、
なんか今年は色がうすいのよ~と、
でかい声で話しかけてきた。
はて、そう言われればそんな気もするが。
毎年眺めている、こちらの記憶も定かでない。
少しおくれて咲いたがくあじさいは、
鮮やかな紫色だったから、
おばあさんも安心したかもしれない。
以前、古い仕事場のときは、窓際に、
紫陽花が咲いていた。
20年前に仕事場を建てなおしたときに、
実家の庭に植え替えたら、
それっきり咲かなくなってしまった。
土との相性がわるかったかと、
申しわけないことをした。
町を歩いていると、赤や紫の紫陽花が
目に留まることがあり、癒される。
信用金庫の大門町支店の前や、
西町の古い銃砲店の前など、
あれ、こんなところに咲いていたっけと、
いつも通る道すじに、
初めて見つけたような紫陽花もある。
善光寺の本堂西側でも、たくさんの紫陽花が
咲いている。
昭和42年に森永乳業が寄贈した、
善子さん光子さんのそばにも紫陽花が咲いて、
牛の親子も幸せそうに見えるのだった。
明るい話に
文月 1
梅雨どきの気圧の低い毎日に、
体の調子がよろしくない。
頭痛に腰痛肩こりが収まらず、気だるさがとれない。
早朝の散歩で1時間あまり歩いても、
シャキッとせず、
帰ってきたら、
そのまま、再び布団にもぐりたくなるのだった。
そのせいか、手帳を開いて6月の様子を確かめたら、
ふだんより、飲み屋通いが少なかった。
恐ろしいことに来年は、還暦を迎えることとなる。
いつも酔っ払って記憶をなくしているから、
とても60年も、歳を重ねた気がしない。
こうして体の不調がつづいていると、そうは言っても
年相応に衰えているのを実感してしまうのだった。
我が身ばかりではなさそうで、
先日友だちと宴をしたら、
ひとりは予想外の病気で入院したといい、
もうひとりは、脚立から足を滑らして、
手を骨折したという。同級生に会って言葉を交わせば、
みんなそこかしこに不調を抱え、
お医者の世話になっている。相変わらずの
コロナ禍で、重たい気分がぬぐえず、
心身ともに、すっきりさっぱりせずにいる。
平日の朝いちばん、近所の商売屋の若旦那が
訪ねて来た。
席に着くなり、みやいりさん、聞いてくださいよ~という。
なにかあったんですかと返したら、
一緒に働いているお父さんのことだった。
お父さんは、御年83歳になる。
若いときから、車やバイクが大好きで、
これまで何台も乗り継いできたという。
そのお父さんが、新たに車を買ってきたといい、
よりによって、
スイフトスポーツを買ったというのだった。
83歳といえば、もう免許を返納してもおかしくないのに、
その歳で、ふつうスポーツカーに手を出しますかあと、
家族みんなであきれ返ったという。
思わず、いやあお父さん、若い!
素晴らしい!
お顔を思い出しながら笑ってしまった。
事故にだけは注意して、安全に運転を楽しんでもらえればと、
あきれ声の若旦那を慰めた。
体の不調にくよくよせず、明るい気持ちで楽しく日々を。
お父さんを見習いたいことだった。
古い町に暮らしているから、年寄りに囲まれている。
ときどき元気を頂けるのは、ありがたいことだった。

梅雨どきの気圧の低い毎日に、
体の調子がよろしくない。
頭痛に腰痛肩こりが収まらず、気だるさがとれない。
早朝の散歩で1時間あまり歩いても、
シャキッとせず、
帰ってきたら、
そのまま、再び布団にもぐりたくなるのだった。
そのせいか、手帳を開いて6月の様子を確かめたら、
ふだんより、飲み屋通いが少なかった。
恐ろしいことに来年は、還暦を迎えることとなる。
いつも酔っ払って記憶をなくしているから、
とても60年も、歳を重ねた気がしない。
こうして体の不調がつづいていると、そうは言っても
年相応に衰えているのを実感してしまうのだった。
我が身ばかりではなさそうで、
先日友だちと宴をしたら、
ひとりは予想外の病気で入院したといい、
もうひとりは、脚立から足を滑らして、
手を骨折したという。同級生に会って言葉を交わせば、
みんなそこかしこに不調を抱え、
お医者の世話になっている。相変わらずの
コロナ禍で、重たい気分がぬぐえず、
心身ともに、すっきりさっぱりせずにいる。
平日の朝いちばん、近所の商売屋の若旦那が
訪ねて来た。
席に着くなり、みやいりさん、聞いてくださいよ~という。
なにかあったんですかと返したら、
一緒に働いているお父さんのことだった。
お父さんは、御年83歳になる。
若いときから、車やバイクが大好きで、
これまで何台も乗り継いできたという。
そのお父さんが、新たに車を買ってきたといい、
よりによって、
スイフトスポーツを買ったというのだった。
83歳といえば、もう免許を返納してもおかしくないのに、
その歳で、ふつうスポーツカーに手を出しますかあと、
家族みんなであきれ返ったという。
思わず、いやあお父さん、若い!
素晴らしい!
お顔を思い出しながら笑ってしまった。
事故にだけは注意して、安全に運転を楽しんでもらえればと、
あきれ声の若旦那を慰めた。
体の不調にくよくよせず、明るい気持ちで楽しく日々を。
お父さんを見習いたいことだった。
古い町に暮らしているから、年寄りに囲まれている。
ときどき元気を頂けるのは、ありがたいことだった。