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お別れに

2024年04月30日

 へこりと at 10:58  | Comments(0)

卯月 8

善光寺門前に暮している。この頃町内でつづけて
御不幸があった。長らく自転車屋を営んでいた
かたがいた。子供の頃から見知ったかたで、いつも店先で
自転車やバイクの修理をしていた。手先の器用なかたで、
仕事のないときは、大きな凧を自作の絵を描いて作ったり、
毎年、年明けのどんど焼きを神社の境内でやるときに、木を
組み立ててだるまを突きさす土台を作ったり、
秋祭りのときに、婦人部のみんなが作る焼きそばの屋台を
作ったり、町のためにあれこれ準備をしてくれた。
こちらが二十代のときに、バイクブームがあった。
気になるバイクがあったので、買おうかどうしようか相談
したら、初めて買うならもっと性能のおとなしいやつが
いいと指南されて、ホンダのおとなしいのを買った覚えが
ある。小柄な人で、長い髪をうしろに結んだ容姿は、
年が経ってもぜんぜん変わらず、ときどき近所の人と、
おさむちゃんっていったい今いくつなのと、不思議がる
ときがあった。
何年か前に体調を崩して、それを境に、急に老け込んで
しまった。歩いている姿を見かけると、
調子良くないのかなと心配になる衰えようだった。
しばらくしたら商売もやめてしまった。
県外に住んでいる身内のかたが、ある日、いくら電話を
かけても出ないから、不審に思って、隣の食堂のおばさんに
様子を見てきてくれと頼んだ。おばさんがうかがったら、
部屋の中ですでに息を引き取っていたのだった。葬儀は
身内だけで済ませたらしく、町内には何の通知も届かなかった。
自宅の目と鼻の先に老舗の蕎麦屋がある。御家族で営んでいて、
連日観光客で賑わっている。夜になると、蕎麦類だけでなく、
いろいろな一品料理も出してくれるから、近所の坊さん連中や
酒徒のかたの憩いの場になっている。この店の若奥さんが、
亡くなってしまったのだった。客あしらいの良いかたで、
どんなに忙しいときでも、にこにことこちらの注文に応じて
くれる。少し以前から、やせたんじゃないか、髪が明らかに
カツラだよなと、体調の異変が気になるようになった。
ある朝店の前を通ったら、三日間休業しますと貼り紙が出ていた。
もしかしたらといやな予感がよぎったら、当たってしまったの
だった。去年五十六歳。さえちゃん早すぎるよ。
次の日の夕方、通夜の席にお参りにうかがったら、普段着で
いつもの笑顔の遺影が飾ってあった。安らかに眠ってください。
御家族を見守ってください。手を合わせた。
日を置いて、店におじゃました。豊賀と本老いの松と十九、
気に入りの日本酒を酌んで、さえちゃん、ありがとよ。
しみじみ献杯をしたことだった。

普段着の遺影眺める春の夕。



  


片づけを少しづつ

2024年04月26日

 へこりと at 08:41  | Comments(0)

卯月 7

四月、春らしい陽気になってきた。善光寺界隈を
散策すれば、先々の家の庭や道沿いに、いろんな
花がきれいに咲いて、気持ちを和ませてくれる。
早朝の空気もゆるくなり、寒い冬の間さぼっていた、
ノルディックウォーキングを再開している。
花粉とウイルスを防いでくれるスプレーを顔に
吹き付けて、一時間ちょい余り町をひとまわり。
帰ってきたら、目と鼻と顔をよく洗う。
花粉症に苦しんでも、朝の空気はやっぱりさっぱりと
気持ちが好い。困ったのは、二年ほど前から、
花粉症の薬を毎日飲むと、たまに体調がおかしくなる
ことだった。暑くもないのに汗が出て、軽い目まいに
見舞われる。歳を重ねて薬への抵抗力が落ちている
のかもしれない。この頃、長野市のスギ花粉の飛散が
終わったと聞いて、ほっとしているのだった。
先日、年明け初めて空き家になっている実家へ
行ったら、庭の小ぶりな灯篭が倒れていた。台所では、
食器棚の扉が開いて、いくつか中の食器が落ちていた。
壁にぶら下がっていた温度計も床に落ちて割れていた。
二階に上がってみたら、
出窓に置いてあった電気スタンドも床に落ちて割れて
いる。来客用の布団をしまってあった押し入れの中も、
積んであった布団が崩れていた。
元日に起きた能登半島地震の揺れが、実家に影響を
与えていたのだった。実家の在る界隈は、もともと
田んぼだったから地盤が弱い。
子供の頃は、自宅のまわりに田んぼがあって、
夏に窓を開けていると、蛙の声でテレビの音が聞こえ
ないほどだった。十年前に長野で大きな地震が有った
とき、まわりの住宅のあちこちで、壁が崩れたり
瓦が落ちたり塀が倒れたりと、かなりの被害があった。
夜の十時過ぎに起きたから、出歩いている人がなく、
けが人が出なかったのが幸いだった。
母が介護施設に入って空き家になってから、貴重品や
洋服など、自宅に持ち帰ったものの、面倒くさがって
それっきり片づけをしていない。また大きな地震が来て
物が散乱する前に、今年はもう少し頻繁に片づけをして、
持ち帰るものは持ち帰ってをしなきゃいかんなあ。
すっかり埃だらけの室内を見渡したのだった。

のどけしや片づけ事や気が乗らず。


  


スマホに悩まされ

2024年04月23日

 へこりと at 09:07  | Comments(0)

卯月 6

使っているスマホの調子がおかしくなった。
使い始めて四年、この頃になって、意味不明の
通知音が鳴るようになったのだった。それまで
スマホの設定をいじった覚えがないし、なにが
原因なのかわからない。
パソコンを開いて、スマホ謎の通知音で検索したら、
けっこうおなじ症状に悩むかたがいるようで、
対策方法が並んでいた。なんとなくそれに
従って処置してみたものの、ぜんぜん症状が変わら
ない。十分に一回鳴る時もあれば、
続けざまに鳴る時もあって、小鳥のさえずりのような
音が長々響いている。
面倒くさいことはドコモショップに頼ったほうが早い。
予約を入れて訪ねた。
応対してくれたお兄さんによると、スマホに入って
いるアプリに通知が来たときに、なにかの拍子で
通知音が鳴るようになってしまったという。
ふだん使っていないいくつかのアプリの通知の設定を
OFFにしてもらった。
これで安心と胸をなでおろした翌日、懲りずにまた鳴った。
昨日のお兄さんに教えてもらった通りに、すべてのアプリを
開いて、まだOFFにしてなかったアプリの設定を変えたら
ようやく鳴き止んだのだった。
スマホを持っていても、実のところ、そんなに
いろんな機能は使っていない。ゲームはしないし、
調べたいことは自宅のパソコンを開いているし、
インスタグラムやフェイスブックなどのSNSも
パソコンで書き込みをしている。スマホがなくて
困るのはラインの繋がりくらいで、それにしたって、
親しいかたとはメールが繋がっているから些細なこと
だった。外出先でスマホを使うこともほぼないし、
機能の少ないガラケーに戻すのもわるくないかもと、
思ったりしてしまうのだった。
ちなみに今でもガラケーって売ってるんですかと、
ドコモのホームページを開いてみたら、四種類ほど有って、
そのうち二種類は昨年発売になったばかりだった。
若いかたばかりでなく、年配のかたも当たり前のように
スマホを使う中、まだまだ需要があるんですね。
近ごろ、生活から無用なものを取り払って、簡素な暮らしを
したいと思っている。ほんとにガラケーに戻そうかな。
ホームページをよくよくにらんでしまったのだった。

電子音ぴよぴよ止まぬ遅日かな。


  


上田の桜を

2024年04月19日

 へこりと at 09:15  | Comments(2)
卯月 5

上田へ出かけた。別宅に荷物を置いてから甲田理髪店に
寄った。
この店のご主人は、施術の間、ほとんど話しかけてこない。
こちらも余計な気遣いをせずに済むのがありがたいのだった。
髪をさっぱり短くして、ほど近い寿司屋の萬寿の暖簾を
くぐる。愛想の好い御主人家族に迎えられ、
お通しのホタルイカでビールを飲んで、握りをつまみに
木曽の九郎右衛門の純米吟醸を酌んでいたら、二階から
ひとり娘のなおちゃんが降りてきた。こんにちは~と声を
かければ、照れたようにニコッと笑う。
お母さん似の美人さんは今年小学校二年生。
久しぶりに会ったら、少し背が伸びていた。翌朝、
コンビニでサンドイッチと缶ビールを買って、城跡公園へ
行くと、花見客がけっこう訪れている。
城門前のしだれ桜が満開で、みんなスマホで写真を撮って
いた。お堀端のベンチに座り、ビールを飲みながら
まわりのソメイヨシノを眺めれば、こちらはまだ五分咲き
くらいの開きようで、来週あたりが見頃とうかがえた。
ってなわけで、翌週再び上田詣でをした。仕事を終えた
夕方、城跡公園に行くと、たくさんの花見客で賑わって
いる。お堀のまわりに唐揚げやらチョコバナナやら
たこ焼きやらの屋台がずらっと並び、テキ屋さんも忙しい。
ソメイヨシノはまさに見頃の満開で、日当たりの好い処は
すでに葉桜になり始め、まことにこの春の足取りが早い
ことだった。
缶ビールを飲みながらひと回り。今年も大好きな上田の
桜を満喫出来て好かった。
公園を出て、今宵の一献にと、久しぶりにかぎやの暖簾を
くぐった。この店も営むご主人家族の感じが好くて、
目立たぬ場所に在るのに、いつも地元のかたがたで
賑わっている。
鮪の刺身で長野の幻舞を酌んで、どじょうのから揚げで二階堂を
ロックで酌んで、酔い酔いに酔っ払った。
翌朝、持参していたカメラの記録を見たら、かぎやの常連さん
のご機嫌に酔っている様子が映っていた。
撮った覚えが記憶にないものの、みなさん好い笑顔をしている。
店も好い、客も好い。馴染みの浅い町にくつろげる店が
有るのは、ありがたいことと眺めたのだった。

酔客の笑顔や春の盛りかな。



  


桜が咲いて。

2024年04月16日

 へこりと at 09:02  | Comments(2)

卯月 4

桜が咲いた。冴えかえりの日が続き、開花がおそかった。
ところがそのあとの陽気の良さに、あれよあれよと咲き
はじめて、もう盛りを迎えている。
すぐそばの氏神さんの桜も、善光寺の東側、城山公園の桜も、
すっかり見頃になっているのだった。
週末の土曜日の朝、散歩に出たら、早朝から公園の界隈に、
花見客がずいぶん訪れていた。芝生の桜の木の下に、
早々にブルーシートを敷いているところもいくつか有った。
通り沿いの桜並木を見上げて、スマホで写真を撮る人に、
じっくりカメラを構えて撮る人に、花の盛りをおさめている。
清泉女学院の前を過ぎて、その先の護国神社の境内を抜けて
行く。城山団地の友だち宅の前を通ったら、庭で草取りを
していた。朝から働くねえと声をかけて、坂道を下りて
広い通りを渡る。長野高校に向かって行くと、正門の
わきの桜並木が朝日に輝いている。犬を連れた女の人が、
見上げることもなく、足早に通り過ぎて行った。
静かな住宅地を抜けてSBC通りを渡って、曹洞宗の古刹、
盛傳寺へ行くと、参道を桜が彩っていて、六体の石仏さまが
優しく見守っている。自宅の隣の湯本さんの菩提寺で、
湯本さんにはいつもお世話になっている。本殿に手を合わせ、
お守りくださいますよう祈った。境内を出て、住宅地の中を
過ぎていくと、立派なお宅の庭におおきな桜の木が見えた。
自宅に居ながら毎日花見酒ができるのは、なんとも羨ましいと
眺めた。上松団地の前を過ぎてSBC通りへ出たら、
通りを渡った先の、人ひとりが通れるくらいの小路の先に桜が
見えた。あれまあ、こんなところに。
目立たぬ場所に一本きりの桜も、静かな風情があって好いもの
なのだった。
そのまま小路を抜けて行ったら、長野高校の前に出た。
ゴミ出しをしていた近所のおじさんとおばさんが桜を見上げ、
あっという間に咲いちゃったねえと話していて、
同感ですとうなずいた。城山動物園のわきの階段の桜並木を
眺め、城山公園に戻ってきたら、花見客の数が増えて、車が
次々とやって来て列を成していた。今日と明日の日曜日は、
おおいに賑やかになりますな。善光寺へ向かって本堂前の
桜を眺め、朝いちばんのひと回り。
桜の景色を堪能したのだった。

場所取りのブルーシートや花の朝。


  


久しぶりの蕎麦屋で

2024年04月12日

 へこりと at 09:22  | Comments(0)

卯月 3

休日になると、たいていどこぞの蕎麦屋で酒を
酌んでいる。ビールを一本にお銚子を二本。
ときにはそこに加えて蕎麦焼酎のお湯割りを
追加して酔っ払っている。
四月初めの休日、善光寺門前を歩いて行くと、春休みの
観光客の姿が多い。ところどころに真新しいスーツの
若者を見かけて、今日は新年度初日と気がついた。
参道を抜けた信号を右手に行くと、老舗の蕎麦屋の元屋
が在る。
ずいぶん久しぶりに暖簾をくぐってみたのだった。
年配のご主人夫婦の、親方と女将さんが営んでいて、
いつも繁盛していた。週末になると開店前から
店の前に行列ができるほどだった。
しばらくしたら、親方のお孫さんが一緒に働く
ようになった。
その後もときどきおじゃましていたものの、
なんとなく通う頻度が少なくなってしまい、
そのうちに、
すっかり通わなくなってしまったのだった。
よくよく数えてみたら、六年ぶりの再訪だった。
店に入って右手の入れこみが定席で、
この日もそこに落ちついた。ビールで喉を潤しながら
眺めれば、話好きな女将さんの姿が見当たらない。
以前は杯を傾けていれば、いつもにこにこお相手を
してくれて、漬け物をサービスしてくれたり、ときどき、
お銚子一本サービスしてくれたりの気遣いがありがたかった。
顔見知りのパートさんにうかがったら、親方も女将さんも
もう引退して店には出ていないとのことだった。
そうだよなあ。お二人ともすでに九十歳を超えていても
おかしくない。それでも変わらずに元気にされているとの
ことで、それは良かったと安心をした。
おそらく、もうお会いすることもないけれど、無事に
長生きをしてくださいと願った。
久しぶりの店は、ビールが黒ラベルからエビスに変わって
いた。中瓶で590円は良心的と思う。
なんでも食材が値上がりしている中、料理や蕎麦の値段も
この界隈では安い。お孫さんが継いでから、ひととき味の
評判が落ちたときがあったけれど、天ぷらも蕎麦も
旨かった。この日もひっきりなしにお客が来て、
相変わらずの繁盛ぶりだった。
足繁く通っていた昔を懐かしみながら、西之門の純米吟醸に
酔ったのだった。

うららけし疎遠のかたの懐かしく。


  


輪島塗りの漆器を

2024年04月05日

 へこりと at 09:47  | Comments(2)

卯月 2

このところ、日本や世界のあちこちで地震が起きている。
二日前には、台湾で大きな地震が起きたばかりだった。
元日に起きた能登半島地震では、暮らしている
長野もずいぶん揺れたという。その日は群馬の
草津温泉に滞在していて、熱めの湯と酒に癒されていた。
地震が起きたとき、すっかり酔いつぶれていて、
まったく気がつかなかったのだった。
心配してくれた友だちからのメールで、地震があったと
知った次第だった。なんとものんきなことだった。
金沢に大学時代の友だちが住んでいる。
心配になってラインを送ったら、尋常ではない様子を写メで
送ってきた。その後、テレビで被災地の様子を観たら、
あちこちの被害の大きさに唖然としてしまった。
現場に行かなくても、復旧に相当の時間がかかると
うかがえた。軒並み崩れた家屋に、焼け野原になった町に、
気力を振り絞ることがどれだけ大変か、被災者のみなさんを
思うと涙が出てしまった。ほんとに微力ながらでも、
気持ちを向けていたいことだった。
善光寺門前にギャラリー夏至が在る。品の好い御姉妹が
営んでいる店で、そのときどき、洋服や着物、器などを
展示販売されている。この三月、輪島塗りの漆器展を
開くと案内が届いた。福田敏雄さん、高田晴之さん、
土田和茂さん、お三かたの展示会で、三人とも、工房が
大きな被害を受けたという。
現在も二次避難先から数時間をかけて自宅に戻り、
片づけを行っているといい、そんな中、無事だった作品の
出展にこぎつけたのだった。今展での売り上げは、
出来るだけお三かたに渡すという。
仕事を終えた夕方、開催初日に足を運んだ。
お盆にお椀に小皿に片口など、どれも静謐な佇まいで、
眺めていると気持ちが静かになってくる。
母が介護施設に入居したあと、空き家になった実家の
片づけをしていたら、台所の戸棚から、未使用の会津塗りや
木曽塗りの漆器が出てきた。自宅に持って帰り、
ふだんの食事に使っているから、漆器には馴染みがある。
輪島塗りの漆器に触れるのは、初めてのことだった。
酒好きだから買うなら酒器でしょ。よくよく眺めて、
福田敏雄さんの酒盃を買わせていただいた。
軽くて手触りも馴染み、酒を酌むたびに、能登に思いが
向くことだった。

杯重ね漆器の町の春思う。


  


パソコンも電話も

2024年04月02日

 へこりと at 09:20  | Comments(0)

卯月 1

木曜日の朝、いつものように仕事の準備を終えて、
SNSを覗こうとパソコンを開いたら、
インターネットに接続されていませんとの表示が出た。
ときどきこういうことがあり、そのたびに修復作業を
している。いつもならじきに繋がるのに、
この日はどういうわけか、何度繰り返しても
繋がらないのだった。再起動を何度かしてみたり、
接続機器を外して繋げてみたり、一時間あまり格闘
しても、繋がる気配がない。悪戦苦闘をしていたら、
近所の知り合いがガラッと入口の戸を開けて、
顔を見るなり、ああよかった、無事だったと言う。
???と思って尋ねたら、さっきから何度も電話を
かけているのに、ぜんぜん繋がらないと言う。
なにかあったんじゃないかと心配になって、
駆けつけてきたのだった。男やもめの身は、いつも
近所のかたの気配りに支えられている。
それにしても、パソコンとにらめっこをしている間、
いちども電話は鳴らなかったぞ。いぶかしんで、
受話器を取ったら、ツーともカーとも反応がない。
パソコンに続いて電話もですか・・・
インターネットに詳しい友だちに、スマホで尋ねて
みたら、ネットも電話も繋がらないとくれば、
光回線の様子がおかしいと思われる。契約している
会社に問い合わせたほうがいいと教えていただいた。
すぐにドコモ光に電話をかけて、パソコンに電話に
接続機器の状態を説明したところ、やはり回線に
不具合が生じているとのことだった。最短で
修理業者が来られるのは翌週の火曜日とのことで、
お願いをした。ふだんパソコンを使うのは、
せいぜいブログを書いたり覗いたりと、アマゾンや
楽天で買い物をするくらいで、繋がらなくても支障は
ない。ところが客商売をしているから、
電話が繋がらないとお客さんに迷惑がかかる。
火曜日までの六日間を、心もとない気分で過ごしていた。
当日、修理業者のかたに調べてもらったら、原因は、
接続コードの傷みだった。コードが茶の間の壁伝いに
接続機器の有る隣の台所まで伸びていて、襖をまたいで
繋げてある。襖を開け閉めするたびにコードに
ぶつけていたから傷んでしまったのだった。
細かいことに気の回らぬ柄が招いたことだった。
反省して、コードと襖が触れぬよう、速やかに作業を
したことだった。

繋がらぬドコモ光や春の朝。