受験を控えて
睦月 八
知り合いが、息子といっしょに訪ねてきた。
善光寺にお参りに行きたいので、その間、
車を停めさせてくれという。
息子さんが三月に、高校受験を控えている。
実力がないので、神だのみですと笑う。
善光寺の境内にも、年明け、
たくさんの合格祈願の絵馬がぶら下がっている。
受験当日までひと月あまり。大詰めをむかえているのだった。
近所に中学三年生の男の子がいる。
訪ねてきた日に、受験勉強の調子を尋ねたら、
あまり自信がないと、たよりないことをいう。
国語と社会は大丈夫なんだけど、
理科と数学と英語がどうもというのだった。
はるか昔に、この地に根付いた家の子で、
家には、御先祖さんの残していった、
日記や覚え書きがたくさんあるという。
呼んでいるうちに歴史が好きになり、
司馬遼太郎の、時代小説を愛読しているという。
歴史と読書が好きならば、
社会と国語が得意なのも頷けることだった。
大河ドラマは観ているのと聞けば、
テレビを観ていると、お父さんが勉強しろとやかましいという。
それにしても今度の大河ドラマ、
吉田松陰の妹が主人公だなんて、ネタが地味だなあと、
いっちょまえのことをいうから、吹き出しそうになった。
歴史上の人物で好きなのは、西郷隆盛で、
あの人のように、どんな相手でも受け入れる、
器量のおおきい人間になりたいという。
クラスメートの中には、とても嫌いな人もいる。
だけど、その人の良いところは受け入れて、
悪口を言わないように気を付けているというから、
酔っぱらっては悪口を吹聴している身は、
えらいなあと、素直に感心してしまった。
そういえば、
この子のお母さんは、鹿児島出身だったと思いだす。
高校に合格したら、
西郷さんの故郷へ行ってくればいいと思うのだった。

知り合いが、息子といっしょに訪ねてきた。
善光寺にお参りに行きたいので、その間、
車を停めさせてくれという。
息子さんが三月に、高校受験を控えている。
実力がないので、神だのみですと笑う。
善光寺の境内にも、年明け、
たくさんの合格祈願の絵馬がぶら下がっている。
受験当日までひと月あまり。大詰めをむかえているのだった。
近所に中学三年生の男の子がいる。
訪ねてきた日に、受験勉強の調子を尋ねたら、
あまり自信がないと、たよりないことをいう。
国語と社会は大丈夫なんだけど、
理科と数学と英語がどうもというのだった。
はるか昔に、この地に根付いた家の子で、
家には、御先祖さんの残していった、
日記や覚え書きがたくさんあるという。
呼んでいるうちに歴史が好きになり、
司馬遼太郎の、時代小説を愛読しているという。
歴史と読書が好きならば、
社会と国語が得意なのも頷けることだった。
大河ドラマは観ているのと聞けば、
テレビを観ていると、お父さんが勉強しろとやかましいという。
それにしても今度の大河ドラマ、
吉田松陰の妹が主人公だなんて、ネタが地味だなあと、
いっちょまえのことをいうから、吹き出しそうになった。
歴史上の人物で好きなのは、西郷隆盛で、
あの人のように、どんな相手でも受け入れる、
器量のおおきい人間になりたいという。
クラスメートの中には、とても嫌いな人もいる。
だけど、その人の良いところは受け入れて、
悪口を言わないように気を付けているというから、
酔っぱらっては悪口を吹聴している身は、
えらいなあと、素直に感心してしまった。
そういえば、
この子のお母さんは、鹿児島出身だったと思いだす。
高校に合格したら、
西郷さんの故郷へ行ってくればいいと思うのだった。

防火訓練を見て
睦月 七
休日、朝から寒さがやわらぐ。
長野市街地は、ときどき雪が降るものの、
積もらずにいるからありがたい。
かわいた通りに、朝の散歩に出た。
八十二銀行本店の前を行き、くぐって抜けたら、
長野駅の東口は、あいかわらず再開発の真っ最中、
またひとつ、おおきな通りが出来ている。
ひと気のない道をまっすぐ行って、日赤の通りにぶつかったら、
橋を渡ってもどる。いきおいのある、
犀川の流れを聞きながら、土手を歩いていると、
犬を連れたおじさんや、
二本のポールを突いて歩くおじいさんとすれちがった。
早足で一時間、下って上がって善光寺に着いたら、
山門に、文化財防火デーの幕が張ってあった。
防火訓練の日なのだった。
本堂で手を合わせ、守衛のおじさんに尋ねたら、
十時すぎに始まるという。
自宅に帰って朝ごはんを済ませ、ふたたび出向いた。
本堂横ではりっぱな消防車が停まり、
消防隊のお兄さんたちが待機をしている。
境内には、ヘルメットをかぶった、
界隈の消防団のかたがたが集まっていて、
見知った顔に、ごくろうさんですと声をかけた。
善光寺本堂から出火しました、の放送を合図に煙が上がり、
誘導され、避難をするかたがたが出てきた。
消防隊が手早くホースを並べ、はしご車のはしごが、天高くのびる。
放水はじめのかけ声とともに、一斉に本堂に水しぶきが走り、
行儀よく座って見ていた善光寺保育園のちびっこたちが、
わあっときらきらした顔で歓声を上げた。
引き締まった訓練ぶりに、
見事なものを見せていただきましたと感心した。
余韻ののこる境内を出て、近所をひとまわり、
そのまま蕎麦屋の昼酒へとむかう。
こちらはぜんぜん引き締まりが足りないのだった。

休日、朝から寒さがやわらぐ。
長野市街地は、ときどき雪が降るものの、
積もらずにいるからありがたい。
かわいた通りに、朝の散歩に出た。
八十二銀行本店の前を行き、くぐって抜けたら、
長野駅の東口は、あいかわらず再開発の真っ最中、
またひとつ、おおきな通りが出来ている。
ひと気のない道をまっすぐ行って、日赤の通りにぶつかったら、
橋を渡ってもどる。いきおいのある、
犀川の流れを聞きながら、土手を歩いていると、
犬を連れたおじさんや、
二本のポールを突いて歩くおじいさんとすれちがった。
早足で一時間、下って上がって善光寺に着いたら、
山門に、文化財防火デーの幕が張ってあった。
防火訓練の日なのだった。
本堂で手を合わせ、守衛のおじさんに尋ねたら、
十時すぎに始まるという。
自宅に帰って朝ごはんを済ませ、ふたたび出向いた。
本堂横ではりっぱな消防車が停まり、
消防隊のお兄さんたちが待機をしている。
境内には、ヘルメットをかぶった、
界隈の消防団のかたがたが集まっていて、
見知った顔に、ごくろうさんですと声をかけた。
善光寺本堂から出火しました、の放送を合図に煙が上がり、
誘導され、避難をするかたがたが出てきた。
消防隊が手早くホースを並べ、はしご車のはしごが、天高くのびる。
放水はじめのかけ声とともに、一斉に本堂に水しぶきが走り、
行儀よく座って見ていた善光寺保育園のちびっこたちが、
わあっときらきらした顔で歓声を上げた。
引き締まった訓練ぶりに、
見事なものを見せていただきましたと感心した。
余韻ののこる境内を出て、近所をひとまわり、
そのまま蕎麦屋の昼酒へとむかう。
こちらはぜんぜん引き締まりが足りないのだった。
太田和彦さんに
睦月 六
風邪をひいた。
寒い日がつづき、体調もよくない。
大好きな飲み屋通いも控えめにして、
家で晩酌の日がつづく。
無精者だから、ろくなつまみを作らない。
豆腐を温めるだけ、油揚げを焼くだけ。
つまみながら、だらだら日本酒を酌んでいる。
仕事がひまなとき、本を読んでいる。
好きな著者のひとりに太田和彦さんがいる。
木曽の薮原や松本で育ち、資生堂宣伝部を経て、
グラフィックデザイナーとして独立したかただった。
そのかたわら、居酒屋や酒にも精通していて、
全国の居酒屋をめぐっては、その様子を本やテレビで伝えている。
朴訥とした文体や語り口に触れると、素直に飲み屋に行きたくなる。
デザイナーとしての著書は一冊だけなのに、
居酒屋の著書は三十冊以上というから、
どちらが本業なのかわからないのだった。
日曜日の夕方、久米書店という番組をやっていて、
久米宏が毎回一冊、著者を招いて、本の紹介をしている。
折よく太田和彦さんが出演するというので、
大根と油揚げの小鍋で、福井の黒龍の燗酒をやりながら観た。
最近出版された「居酒屋を極める」では、
良い店の見分け方や、初めての店での心得、
きらわれる客の仕草、ひとり酒の好さについて書かれており、
だらしのないヨッパには、たいへん参考になるのだった。
久米宏とのやりとりのなかで、
焼き油揚げをつまみに一杯やる。
そんな姿が似合うのは、四十歳をすぎてからという。
しみじみ頷ける、そんな歳になっている。
以前、飲み仲間のかたがたと会津若松へ行ったことがある。
著書で薦めていた、籠太という店におじゃましたら、
本文にたがわず、接客も料理も酒もすばらしい店だった。
カウンターの壁に、太田和彦さんの色紙が飾ってあって、
いい酒 いい人 いい肴 そして会津魂 とあった。
つねづね世話になっている店は、
どこも、いい酒にいい人にいい肴が揃っている。
こちらもいい酔客にならなければと反省しているのだった。

風邪をひいた。
寒い日がつづき、体調もよくない。
大好きな飲み屋通いも控えめにして、
家で晩酌の日がつづく。
無精者だから、ろくなつまみを作らない。
豆腐を温めるだけ、油揚げを焼くだけ。
つまみながら、だらだら日本酒を酌んでいる。
仕事がひまなとき、本を読んでいる。
好きな著者のひとりに太田和彦さんがいる。
木曽の薮原や松本で育ち、資生堂宣伝部を経て、
グラフィックデザイナーとして独立したかただった。
そのかたわら、居酒屋や酒にも精通していて、
全国の居酒屋をめぐっては、その様子を本やテレビで伝えている。
朴訥とした文体や語り口に触れると、素直に飲み屋に行きたくなる。
デザイナーとしての著書は一冊だけなのに、
居酒屋の著書は三十冊以上というから、
どちらが本業なのかわからないのだった。
日曜日の夕方、久米書店という番組をやっていて、
久米宏が毎回一冊、著者を招いて、本の紹介をしている。
折よく太田和彦さんが出演するというので、
大根と油揚げの小鍋で、福井の黒龍の燗酒をやりながら観た。
最近出版された「居酒屋を極める」では、
良い店の見分け方や、初めての店での心得、
きらわれる客の仕草、ひとり酒の好さについて書かれており、
だらしのないヨッパには、たいへん参考になるのだった。
久米宏とのやりとりのなかで、
焼き油揚げをつまみに一杯やる。
そんな姿が似合うのは、四十歳をすぎてからという。
しみじみ頷ける、そんな歳になっている。
以前、飲み仲間のかたがたと会津若松へ行ったことがある。
著書で薦めていた、籠太という店におじゃましたら、
本文にたがわず、接客も料理も酒もすばらしい店だった。
カウンターの壁に、太田和彦さんの色紙が飾ってあって、
いい酒 いい人 いい肴 そして会津魂 とあった。
つねづね世話になっている店は、
どこも、いい酒にいい人にいい肴が揃っている。
こちらもいい酔客にならなければと反省しているのだった。
日本人のボルドーワインに
睦月 五
ときどきワインを飲んでいる。
日曜日、雪降る中を権堂の飲み屋まででかけた。
内田修さんという醸造家のかたがいる。
フランスのボルドー大学でワインの醸造を学んでから、
彼の地で、有機栽培で葡萄を造り、
ワインを仕込んでいるかただった。
このたび、馴染みの酒屋さんが招いてのワイン会と相成った。
利かせていただいたのは、白とロゼのスパークリングに、
白の年代別のものをひとつづつ。
特徴は、醸造のあとに澱を残すことで、
香りと味に幅が出るといい、いちど引いた澱のなかから、
きれいな澱だけをふたたび戻しているという。
白のスパークリングは、
やや厚みのある酸味が印象に残る。
白は、2013年と2012年のものを飲み比べてみた。
酸味の口あたりが印象的な2013年と、
それよりはるかに落ち着いた味わいの2012年、
一年寝かせたちがいが明確で面白い。
ロゼのスパークリングも程よい酸味が印象的で、
はじめから終いまで、飲み飽きせずにいける感がある。
たとえば、フランス人の握った寿司を日本人が欲しないように、
日本人が造ったワインを、
フランス人に飲んでもらうことはたやすいことではない。
ファーストヴィンテージから四年、
葡萄の栽培から醸造まで、手間をかけた味わいは、
今では現地でも好評だという。
このたびは、赤ワインがまだ発酵中とのことで、
お目にかかれなかった。
どんな味わいなのか、楽しみに待っているのだった。

ときどきワインを飲んでいる。
日曜日、雪降る中を権堂の飲み屋まででかけた。
内田修さんという醸造家のかたがいる。
フランスのボルドー大学でワインの醸造を学んでから、
彼の地で、有機栽培で葡萄を造り、
ワインを仕込んでいるかただった。
このたび、馴染みの酒屋さんが招いてのワイン会と相成った。
利かせていただいたのは、白とロゼのスパークリングに、
白の年代別のものをひとつづつ。
特徴は、醸造のあとに澱を残すことで、
香りと味に幅が出るといい、いちど引いた澱のなかから、
きれいな澱だけをふたたび戻しているという。
白のスパークリングは、
やや厚みのある酸味が印象に残る。
白は、2013年と2012年のものを飲み比べてみた。
酸味の口あたりが印象的な2013年と、
それよりはるかに落ち着いた味わいの2012年、
一年寝かせたちがいが明確で面白い。
ロゼのスパークリングも程よい酸味が印象的で、
はじめから終いまで、飲み飽きせずにいける感がある。
たとえば、フランス人の握った寿司を日本人が欲しないように、
日本人が造ったワインを、
フランス人に飲んでもらうことはたやすいことではない。
ファーストヴィンテージから四年、
葡萄の栽培から醸造まで、手間をかけた味わいは、
今では現地でも好評だという。
このたびは、赤ワインがまだ発酵中とのことで、
お目にかかれなかった。
どんな味わいなのか、楽しみに待っているのだった。

ウイスキーを飲みながら
睦月 四
夜、BSプレミアムを観ていたら、マッサンの再放送が始まった。
ニッカの竹鶴政孝さんをモデルにした物語を、
この頃は、とんと観るのを忘れていた。
テレビの中では、マッサンが、余市の漁師たちと酒盛りをしていて、
もうすぐ独立して、余市に蒸留所を造る日が近いとわかる。
正月明けに会った友だちは、最近バーボンにはまっているという。
あれこれ飲みくらべをしながら、正月休みの間、
一日一本空にしていたというから、そりゃすごいとおどろいた。
以前馴染みのバーで、
月に一回、ウイスキーの試飲会をしていたことがある。
わき毛の生えた熟女のような味から、
三十半ば、滑らかな色気のある味もあって、
個々の銘柄のちがいを楽しんだものだった。
自宅では、白州に響、
マッカランにグレンリベットの12年を飲むことが多い。
いつぞや、スーパーで買い物をしたときに、
ニッカの竹鶴の安いやつを買って利いてみた。
安くても、思ったよりも美味しくて、
家で飲むには、これくらいで充分と思ったのだった。
忘年会の帰り道、思いついて、馴染みのバーに立ち寄った。
檜のカウンター越しに、女性バーテンダーさんに注文する。
安くて旨くて、家飲みにふさわしいやつをお願いします。
出してくれたデュワーズ12年は、
ほどよい香りと旨みの味わいで、
こういうことはプロに聞くのがいちばんと、
好い銘柄を教えていただいた。
年明け、近所に暮らす友だちが顔を出す。
これ、よかったらと渡されたのは、
まさにそのデュワーズ12年だった。
タイミングの好い偶然で、新年早々縁起がよい。
冷え込みきびしい夜は、
ウイスキーのお湯割りでほっとするのも、楽しみなことだった。

夜、BSプレミアムを観ていたら、マッサンの再放送が始まった。
ニッカの竹鶴政孝さんをモデルにした物語を、
この頃は、とんと観るのを忘れていた。
テレビの中では、マッサンが、余市の漁師たちと酒盛りをしていて、
もうすぐ独立して、余市に蒸留所を造る日が近いとわかる。
正月明けに会った友だちは、最近バーボンにはまっているという。
あれこれ飲みくらべをしながら、正月休みの間、
一日一本空にしていたというから、そりゃすごいとおどろいた。
以前馴染みのバーで、
月に一回、ウイスキーの試飲会をしていたことがある。
わき毛の生えた熟女のような味から、
三十半ば、滑らかな色気のある味もあって、
個々の銘柄のちがいを楽しんだものだった。
自宅では、白州に響、
マッカランにグレンリベットの12年を飲むことが多い。
いつぞや、スーパーで買い物をしたときに、
ニッカの竹鶴の安いやつを買って利いてみた。
安くても、思ったよりも美味しくて、
家で飲むには、これくらいで充分と思ったのだった。
忘年会の帰り道、思いついて、馴染みのバーに立ち寄った。
檜のカウンター越しに、女性バーテンダーさんに注文する。
安くて旨くて、家飲みにふさわしいやつをお願いします。
出してくれたデュワーズ12年は、
ほどよい香りと旨みの味わいで、
こういうことはプロに聞くのがいちばんと、
好い銘柄を教えていただいた。
年明け、近所に暮らす友だちが顔を出す。
これ、よかったらと渡されたのは、
まさにそのデュワーズ12年だった。
タイミングの好い偶然で、新年早々縁起がよい。
冷え込みきびしい夜は、
ウイスキーのお湯割りでほっとするのも、楽しみなことだった。
ふつうが一番と言い
睦月 三
東京の知り合いから、おそい年賀状が届いた。
かつて長野に暮らしていて、
さびれた鶴賀のひと角で、奥さんと焼き鳥屋を営んでいた。
あの頃いちばん世話になっていた店で、
伺えば、いつもひとり娘の愛ちゃんが、
カウンターのはしで宿題をしていた。
あれから十年余り、愛ちゃんも二十歳をすぎて、
お母さん似の、美人になっているかとなつかしい。
毎年、日本国は日本人のものとか、
君が代、日の丸を大切にとか、
とんがったことを書いてくるのに、今年は趣きがちがう。
赤羽のマルマスで、ホヤの塩辛を二級酒で
普通が一番
なんでもないのが一番
健康で暮らせる毎日 これが一番
最近シミジミととある。
たしか、四つ五つ年上のかただった。
この世代になると思うことはいっしょと、
個性的な文字を眺めた。
昨年の暮れに、ランニングをしていて膝を痛めた。
寄る歳なみに治りがおそく、この頃になり、
ようやく腫れもひいて、痛みもやわらいできた。
年明けの暴飲暴食に、寒さに負けて動くことをしないから、
すっかり体が重たくていけない。ランニングはまだ自重して、
仕事前の一時間をウォーキングすることにした。
氷点下の早朝、ぼやけた月を眺めながら往けば、
すこしづつ、東の空が白々としてくる。
もともと歩くのは好きだから、門前から四方八方、
見慣れた景色の中を、さんざん歩いている。
それでも、冬の冷気の中を往くのは、
清々と気持ちが好いことだった。
なんでもないことが楽しいのはなによりのこと。
あらためて思うのだった。

東京の知り合いから、おそい年賀状が届いた。
かつて長野に暮らしていて、
さびれた鶴賀のひと角で、奥さんと焼き鳥屋を営んでいた。
あの頃いちばん世話になっていた店で、
伺えば、いつもひとり娘の愛ちゃんが、
カウンターのはしで宿題をしていた。
あれから十年余り、愛ちゃんも二十歳をすぎて、
お母さん似の、美人になっているかとなつかしい。
毎年、日本国は日本人のものとか、
君が代、日の丸を大切にとか、
とんがったことを書いてくるのに、今年は趣きがちがう。
赤羽のマルマスで、ホヤの塩辛を二級酒で
普通が一番
なんでもないのが一番
健康で暮らせる毎日 これが一番
最近シミジミととある。
たしか、四つ五つ年上のかただった。
この世代になると思うことはいっしょと、
個性的な文字を眺めた。
昨年の暮れに、ランニングをしていて膝を痛めた。
寄る歳なみに治りがおそく、この頃になり、
ようやく腫れもひいて、痛みもやわらいできた。
年明けの暴飲暴食に、寒さに負けて動くことをしないから、
すっかり体が重たくていけない。ランニングはまだ自重して、
仕事前の一時間をウォーキングすることにした。
氷点下の早朝、ぼやけた月を眺めながら往けば、
すこしづつ、東の空が白々としてくる。
もともと歩くのは好きだから、門前から四方八方、
見慣れた景色の中を、さんざん歩いている。
それでも、冬の冷気の中を往くのは、
清々と気持ちが好いことだった。
なんでもないことが楽しいのはなによりのこと。
あらためて思うのだった。
味覚がかわって
睦月 二
年が明けて、あっという間に一週間になる。
気がつけば、夕方もすこし、薄暮の合い間が長くなった。
青天の日の、陽射しの暖かさも増してきて、
すこしずつ、春に近づいているとわかる。
実家の父は、昨年の秋のおわりから暮れにかけて、
病気の治療をしていた。
毎日病院へ通い、のどに放射線を当てていたのだった。
酒好きの父にしてみれば、治療をしているあいだ、
晩酌ができなくなるかどうかが、いちばんの気がかりになる。
その旨をお医者に尋ねたら、
放射線を当てると、味覚が変わってくるという。
味が不味くなって飲みたくなくなりますからと、
笑って言われたという。
ところが治療が始まってじきに、母から電話がかかってきた。
お父さん、晩酌してるんだけどいいのかねえと、
ひそひそ声で言う。
コップに二杯、いつもよりすくない量だけど、
旨そうに酌んでいるという。
御年八十四歳。休肝日なしで三百六十五日、
親知らずを抜いた晩も飲んでいた。
年季のはいった飲兵衛に、放射線が弱すぎるのか。
飲ませとけ飲ませとけとうっちゃっておいた。
元旦の朝、父と酌み交わしていたら、
それでもやっぱり味覚が変わったといいだした。
この頃、やたらと甘いものが食べたいというから、
まじですかと思わず声に出た。
およそ、和菓子やケーキを食べている姿など、
見たことのない人だった。
元旦の朝は、酒を酌んで、締めに雑煮が習わしだった。
今年はそんなわけでお汁粉にしたからと言われ、のけぞった。
さんざん旨い酒を飲んだあとに汁粉ですか。
考えただけで胸やけがしてきた。
週末、治療の経過を聞いてから、その後どうするか、
お医者と相談するという。
味覚が変わったぐらいの効果は、出ていてほしいのだった。

年が明けて、あっという間に一週間になる。
気がつけば、夕方もすこし、薄暮の合い間が長くなった。
青天の日の、陽射しの暖かさも増してきて、
すこしずつ、春に近づいているとわかる。
実家の父は、昨年の秋のおわりから暮れにかけて、
病気の治療をしていた。
毎日病院へ通い、のどに放射線を当てていたのだった。
酒好きの父にしてみれば、治療をしているあいだ、
晩酌ができなくなるかどうかが、いちばんの気がかりになる。
その旨をお医者に尋ねたら、
放射線を当てると、味覚が変わってくるという。
味が不味くなって飲みたくなくなりますからと、
笑って言われたという。
ところが治療が始まってじきに、母から電話がかかってきた。
お父さん、晩酌してるんだけどいいのかねえと、
ひそひそ声で言う。
コップに二杯、いつもよりすくない量だけど、
旨そうに酌んでいるという。
御年八十四歳。休肝日なしで三百六十五日、
親知らずを抜いた晩も飲んでいた。
年季のはいった飲兵衛に、放射線が弱すぎるのか。
飲ませとけ飲ませとけとうっちゃっておいた。
元旦の朝、父と酌み交わしていたら、
それでもやっぱり味覚が変わったといいだした。
この頃、やたらと甘いものが食べたいというから、
まじですかと思わず声に出た。
およそ、和菓子やケーキを食べている姿など、
見たことのない人だった。
元旦の朝は、酒を酌んで、締めに雑煮が習わしだった。
今年はそんなわけでお汁粉にしたからと言われ、のけぞった。
さんざん旨い酒を飲んだあとに汁粉ですか。
考えただけで胸やけがしてきた。
週末、治療の経過を聞いてから、その後どうするか、
お医者と相談するという。
味覚が変わったぐらいの効果は、出ていてほしいのだった。
年が明けて
睦月 一
年が明けて、未の年となった。
雪降りの元旦、早朝からにぎわう善光寺と、
えびすさんの西宮神社と、氏神さんの伊勢社と、
菩提寺の寛慶寺に、今年もよろしくお願いしますと手を合わせた。
そのまま実家へ出かけて、さっそく父と酌み交わす。
父は、昨年のおわりに病気が見つかって、治療をつづけている。
それでも、どこ吹く風という顔で酒を飲んでいるから、
頼もしいやらあきれるやら、朝夕と酌んで、
山形の弁天の大吟醸を空けた。
せいせいと晴れた二日、近所に住んでいる友だち宅で宴をした。
旨い鍋を突っつきながら、大信州の純米の杯をかさねた。
ほとほと酔いが回ってきたころに、愚息から電話がかかってきた。
善光寺へお参りに来ているというから、我が家へもどり、
同行してきた、娘と愚息の友だちと酌み交わす。
三日もさっぱりと晴れて、お参り日和となる。
蕎麦屋の昼酒にと外へ出れば、
道路は車が連なって、参道も人があふれている。
界隈の蕎麦屋も混んでいて、
元屋の前では、角を曲がったむこうまで列ができていた。
春から善光寺の御開帳がはじまれば、
二か月、この忙しさがつづくこととなる。
御苦労なことだなあと、他人ごとながらにため息が出た。
にぎわう中央通りを下りて、かんだたさんの暖簾をくぐれば、
さいわいひと席空いていた。
おせちの三点盛りをつまみに、ビール一本にお銚子二本、
新年最初の蕎麦屋酒と相成った。
昼寝をしてから、夕方ふたたび通りを下る。
べじた坊さんで、最初の居酒屋酒となり、
例年どおり、飲み会つづきの年明けとなったのだった。
どんな一年になるのか。変わらず、だらしのないヨッパの身、
今年もどうぞよろしくお願いします。

年が明けて、未の年となった。
雪降りの元旦、早朝からにぎわう善光寺と、
えびすさんの西宮神社と、氏神さんの伊勢社と、
菩提寺の寛慶寺に、今年もよろしくお願いしますと手を合わせた。
そのまま実家へ出かけて、さっそく父と酌み交わす。
父は、昨年のおわりに病気が見つかって、治療をつづけている。
それでも、どこ吹く風という顔で酒を飲んでいるから、
頼もしいやらあきれるやら、朝夕と酌んで、
山形の弁天の大吟醸を空けた。
せいせいと晴れた二日、近所に住んでいる友だち宅で宴をした。
旨い鍋を突っつきながら、大信州の純米の杯をかさねた。
ほとほと酔いが回ってきたころに、愚息から電話がかかってきた。
善光寺へお参りに来ているというから、我が家へもどり、
同行してきた、娘と愚息の友だちと酌み交わす。
三日もさっぱりと晴れて、お参り日和となる。
蕎麦屋の昼酒にと外へ出れば、
道路は車が連なって、参道も人があふれている。
界隈の蕎麦屋も混んでいて、
元屋の前では、角を曲がったむこうまで列ができていた。
春から善光寺の御開帳がはじまれば、
二か月、この忙しさがつづくこととなる。
御苦労なことだなあと、他人ごとながらにため息が出た。
にぎわう中央通りを下りて、かんだたさんの暖簾をくぐれば、
さいわいひと席空いていた。
おせちの三点盛りをつまみに、ビール一本にお銚子二本、
新年最初の蕎麦屋酒と相成った。
昼寝をしてから、夕方ふたたび通りを下る。
べじた坊さんで、最初の居酒屋酒となり、
例年どおり、飲み会つづきの年明けとなったのだった。
どんな一年になるのか。変わらず、だらしのないヨッパの身、
今年もどうぞよろしくお願いします。