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受験を控えて

2015年01月29日

 へこりと at 16:21  | Comments(0)
睦月 八

知り合いが、息子といっしょに訪ねてきた。
善光寺にお参りに行きたいので、その間、
車を停めさせてくれという。
息子さんが三月に、高校受験を控えている。
実力がないので、神だのみですと笑う。
善光寺の境内にも、年明け、
たくさんの合格祈願の絵馬がぶら下がっている。
受験当日までひと月あまり。大詰めをむかえているのだった。
近所に中学三年生の男の子がいる。
訪ねてきた日に、受験勉強の調子を尋ねたら、
あまり自信がないと、たよりないことをいう。
国語と社会は大丈夫なんだけど、
理科と数学と英語がどうもというのだった。
はるか昔に、この地に根付いた家の子で、
家には、御先祖さんの残していった、
日記や覚え書きがたくさんあるという。
呼んでいるうちに歴史が好きになり、
司馬遼太郎の、時代小説を愛読しているという。
歴史と読書が好きならば、
社会と国語が得意なのも頷けることだった。
大河ドラマは観ているのと聞けば、
テレビを観ていると、お父さんが勉強しろとやかましいという。
それにしても今度の大河ドラマ、
吉田松陰の妹が主人公だなんて、ネタが地味だなあと、
いっちょまえのことをいうから、吹き出しそうになった。
歴史上の人物で好きなのは、西郷隆盛で、
あの人のように、どんな相手でも受け入れる、
器量のおおきい人間になりたいという。
クラスメートの中には、とても嫌いな人もいる。
だけど、その人の良いところは受け入れて、
悪口を言わないように気を付けているというから、
酔っぱらっては悪口を吹聴している身は、
えらいなあと、素直に感心してしまった。
そういえば、
この子のお母さんは、鹿児島出身だったと思いだす。
高校に合格したら、
西郷さんの故郷へ行ってくればいいと思うのだった。


  


防火訓練を見て

2015年01月27日

 へこりと at 13:08  | Comments(0)
睦月 七

休日、朝から寒さがやわらぐ。
長野市街地は、ときどき雪が降るものの、
積もらずにいるからありがたい。
かわいた通りに、朝の散歩に出た。
八十二銀行本店の前を行き、くぐって抜けたら、
長野駅の東口は、あいかわらず再開発の真っ最中、
またひとつ、おおきな通りが出来ている。
ひと気のない道をまっすぐ行って、日赤の通りにぶつかったら、
橋を渡ってもどる。いきおいのある、
犀川の流れを聞きながら、土手を歩いていると、
犬を連れたおじさんや、
二本のポールを突いて歩くおじいさんとすれちがった。
早足で一時間、下って上がって善光寺に着いたら、
山門に、文化財防火デーの幕が張ってあった。
防火訓練の日なのだった。
本堂で手を合わせ、守衛のおじさんに尋ねたら、
十時すぎに始まるという。
自宅に帰って朝ごはんを済ませ、ふたたび出向いた。
本堂横ではりっぱな消防車が停まり、
消防隊のお兄さんたちが待機をしている。
境内には、ヘルメットをかぶった、
界隈の消防団のかたがたが集まっていて、
見知った顔に、ごくろうさんですと声をかけた。
善光寺本堂から出火しました、の放送を合図に煙が上がり、
誘導され、避難をするかたがたが出てきた。
消防隊が手早くホースを並べ、はしご車のはしごが、天高くのびる。
放水はじめのかけ声とともに、一斉に本堂に水しぶきが走り、
行儀よく座って見ていた善光寺保育園のちびっこたちが、
わあっときらきらした顔で歓声を上げた。
引き締まった訓練ぶりに、
見事なものを見せていただきましたと感心した。
余韻ののこる境内を出て、近所をひとまわり、
そのまま蕎麦屋の昼酒へとむかう。
こちらはぜんぜん引き締まりが足りないのだった。




  


太田和彦さんに

2015年01月20日

 へこりと at 13:49  | Comments(0)
睦月 六

風邪をひいた。
寒い日がつづき、体調もよくない。
大好きな飲み屋通いも控えめにして、
家で晩酌の日がつづく。
無精者だから、ろくなつまみを作らない。
豆腐を温めるだけ、油揚げを焼くだけ。
つまみながら、だらだら日本酒を酌んでいる。
仕事がひまなとき、本を読んでいる。
好きな著者のひとりに太田和彦さんがいる。
木曽の薮原や松本で育ち、資生堂宣伝部を経て、
グラフィックデザイナーとして独立したかただった。
そのかたわら、居酒屋や酒にも精通していて、
全国の居酒屋をめぐっては、その様子を本やテレビで伝えている。
朴訥とした文体や語り口に触れると、素直に飲み屋に行きたくなる。
デザイナーとしての著書は一冊だけなのに、
居酒屋の著書は三十冊以上というから、
どちらが本業なのかわからないのだった。
日曜日の夕方、久米書店という番組をやっていて、
久米宏が毎回一冊、著者を招いて、本の紹介をしている。
折よく太田和彦さんが出演するというので、
大根と油揚げの小鍋で、福井の黒龍の燗酒をやりながら観た。
最近出版された「居酒屋を極める」では、
良い店の見分け方や、初めての店での心得、
きらわれる客の仕草、ひとり酒の好さについて書かれており、
だらしのないヨッパには、たいへん参考になるのだった。
久米宏とのやりとりのなかで、
焼き油揚げをつまみに一杯やる。
そんな姿が似合うのは、四十歳をすぎてからという。
しみじみ頷ける、そんな歳になっている。
以前、飲み仲間のかたがたと会津若松へ行ったことがある。
著書で薦めていた、籠太という店におじゃましたら、
本文にたがわず、接客も料理も酒もすばらしい店だった。
カウンターの壁に、太田和彦さんの色紙が飾ってあって、
いい酒 いい人 いい肴 そして会津魂 とあった。
つねづね世話になっている店は、
どこも、いい酒にいい人にいい肴が揃っている。
こちらもいい酔客にならなければと反省しているのだった。



  


日本人のボルドーワインに

2015年01月14日

 へこりと at 08:45  | Comments(0)
睦月 五

ときどきワインを飲んでいる。
日曜日、雪降る中を権堂の飲み屋まででかけた。
内田修さんという醸造家のかたがいる。
フランスのボルドー大学でワインの醸造を学んでから、
彼の地で、有機栽培で葡萄を造り、
ワインを仕込んでいるかただった。
このたび、馴染みの酒屋さんが招いてのワイン会と相成った。
利かせていただいたのは、白とロゼのスパークリングに、
白の年代別のものをひとつづつ。
特徴は、醸造のあとに澱を残すことで、
香りと味に幅が出るといい、いちど引いた澱のなかから、
きれいな澱だけをふたたび戻しているという。
白のスパークリングは、
やや厚みのある酸味が印象に残る。
白は、2013年と2012年のものを飲み比べてみた。
酸味の口あたりが印象的な2013年と、
それよりはるかに落ち着いた味わいの2012年、
一年寝かせたちがいが明確で面白い。
ロゼのスパークリングも程よい酸味が印象的で、
はじめから終いまで、飲み飽きせずにいける感がある。
たとえば、フランス人の握った寿司を日本人が欲しないように、
日本人が造ったワインを、
フランス人に飲んでもらうことはたやすいことではない。
ファーストヴィンテージから四年、
葡萄の栽培から醸造まで、手間をかけた味わいは、
今では現地でも好評だという。
このたびは、赤ワインがまだ発酵中とのことで、
お目にかかれなかった。
どんな味わいなのか、楽しみに待っているのだった。




  


ウイスキーを飲みながら

2015年01月13日

 へこりと at 15:30  | Comments(0)
睦月 四

夜、BSプレミアムを観ていたら、マッサンの再放送が始まった。
ニッカの竹鶴政孝さんをモデルにした物語を、
この頃は、とんと観るのを忘れていた。
テレビの中では、マッサンが、余市の漁師たちと酒盛りをしていて、
もうすぐ独立して、余市に蒸留所を造る日が近いとわかる。
正月明けに会った友だちは、最近バーボンにはまっているという。
あれこれ飲みくらべをしながら、正月休みの間、
一日一本空にしていたというから、そりゃすごいとおどろいた。
以前馴染みのバーで、
月に一回、ウイスキーの試飲会をしていたことがある。
わき毛の生えた熟女のような味から、
三十半ば、滑らかな色気のある味もあって、
個々の銘柄のちがいを楽しんだものだった。
自宅では、白州に響、
マッカランにグレンリベットの12年を飲むことが多い。
いつぞや、スーパーで買い物をしたときに、
ニッカの竹鶴の安いやつを買って利いてみた。
安くても、思ったよりも美味しくて、
家で飲むには、これくらいで充分と思ったのだった。
忘年会の帰り道、思いついて、馴染みのバーに立ち寄った。
檜のカウンター越しに、女性バーテンダーさんに注文する。
安くて旨くて、家飲みにふさわしいやつをお願いします。
出してくれたデュワーズ12年は、
ほどよい香りと旨みの味わいで、
こういうことはプロに聞くのがいちばんと、
好い銘柄を教えていただいた。
年明け、近所に暮らす友だちが顔を出す。
これ、よかったらと渡されたのは、
まさにそのデュワーズ12年だった。
タイミングの好い偶然で、新年早々縁起がよい。
冷え込みきびしい夜は、
ウイスキーのお湯割りでほっとするのも、楽しみなことだった。




  


ふつうが一番と言い

2015年01月10日

 へこりと at 10:12  | Comments(0)
睦月 三

東京の知り合いから、おそい年賀状が届いた。
かつて長野に暮らしていて、
さびれた鶴賀のひと角で、奥さんと焼き鳥屋を営んでいた。
あの頃いちばん世話になっていた店で、
伺えば、いつもひとり娘の愛ちゃんが、
カウンターのはしで宿題をしていた。
あれから十年余り、愛ちゃんも二十歳をすぎて、
お母さん似の、美人になっているかとなつかしい。
毎年、日本国は日本人のものとか、
君が代、日の丸を大切にとか、
とんがったことを書いてくるのに、今年は趣きがちがう。
赤羽のマルマスで、ホヤの塩辛を二級酒で
普通が一番
なんでもないのが一番
健康で暮らせる毎日 これが一番
最近シミジミととある。
たしか、四つ五つ年上のかただった。
この世代になると思うことはいっしょと、
個性的な文字を眺めた。
昨年の暮れに、ランニングをしていて膝を痛めた。
寄る歳なみに治りがおそく、この頃になり、
ようやく腫れもひいて、痛みもやわらいできた。
年明けの暴飲暴食に、寒さに負けて動くことをしないから、
すっかり体が重たくていけない。ランニングはまだ自重して、
仕事前の一時間をウォーキングすることにした。
氷点下の早朝、ぼやけた月を眺めながら往けば、
すこしづつ、東の空が白々としてくる。
もともと歩くのは好きだから、門前から四方八方、
見慣れた景色の中を、さんざん歩いている。
それでも、冬の冷気の中を往くのは、
清々と気持ちが好いことだった。
なんでもないことが楽しいのはなによりのこと。
あらためて思うのだった。


  


味覚がかわって

2015年01月07日

 へこりと at 12:58  | Comments(0)
睦月 二

年が明けて、あっという間に一週間になる。
気がつけば、夕方もすこし、薄暮の合い間が長くなった。
青天の日の、陽射しの暖かさも増してきて、
すこしずつ、春に近づいているとわかる。
実家の父は、昨年の秋のおわりから暮れにかけて、
病気の治療をしていた。
毎日病院へ通い、のどに放射線を当てていたのだった。
酒好きの父にしてみれば、治療をしているあいだ、
晩酌ができなくなるかどうかが、いちばんの気がかりになる。
その旨をお医者に尋ねたら、
放射線を当てると、味覚が変わってくるという。
味が不味くなって飲みたくなくなりますからと、
笑って言われたという。
ところが治療が始まってじきに、母から電話がかかってきた。
お父さん、晩酌してるんだけどいいのかねえと、
ひそひそ声で言う。
コップに二杯、いつもよりすくない量だけど、
旨そうに酌んでいるという。
御年八十四歳。休肝日なしで三百六十五日、
親知らずを抜いた晩も飲んでいた。
年季のはいった飲兵衛に、放射線が弱すぎるのか。
飲ませとけ飲ませとけとうっちゃっておいた。
元旦の朝、父と酌み交わしていたら、
それでもやっぱり味覚が変わったといいだした。
この頃、やたらと甘いものが食べたいというから、
まじですかと思わず声に出た。
およそ、和菓子やケーキを食べている姿など、
見たことのない人だった。
元旦の朝は、酒を酌んで、締めに雑煮が習わしだった。
今年はそんなわけでお汁粉にしたからと言われ、のけぞった。
さんざん旨い酒を飲んだあとに汁粉ですか。
考えただけで胸やけがしてきた。
週末、治療の経過を聞いてから、その後どうするか、
お医者と相談するという。
味覚が変わったぐらいの効果は、出ていてほしいのだった。






  


年が明けて

2015年01月06日

 へこりと at 10:08  | Comments(0)
睦月 一

年が明けて、未の年となった。
雪降りの元旦、早朝からにぎわう善光寺と、
えびすさんの西宮神社と、氏神さんの伊勢社と、
菩提寺の寛慶寺に、今年もよろしくお願いしますと手を合わせた。
そのまま実家へ出かけて、さっそく父と酌み交わす。
父は、昨年のおわりに病気が見つかって、治療をつづけている。
それでも、どこ吹く風という顔で酒を飲んでいるから、
頼もしいやらあきれるやら、朝夕と酌んで、
山形の弁天の大吟醸を空けた。
せいせいと晴れた二日、近所に住んでいる友だち宅で宴をした。
旨い鍋を突っつきながら、大信州の純米の杯をかさねた。
ほとほと酔いが回ってきたころに、愚息から電話がかかってきた。
善光寺へお参りに来ているというから、我が家へもどり、
同行してきた、娘と愚息の友だちと酌み交わす。
三日もさっぱりと晴れて、お参り日和となる。
蕎麦屋の昼酒にと外へ出れば、
道路は車が連なって、参道も人があふれている。
界隈の蕎麦屋も混んでいて、
元屋の前では、角を曲がったむこうまで列ができていた。
春から善光寺の御開帳がはじまれば、
二か月、この忙しさがつづくこととなる。
御苦労なことだなあと、他人ごとながらにため息が出た。
にぎわう中央通りを下りて、かんだたさんの暖簾をくぐれば、
さいわいひと席空いていた。
おせちの三点盛りをつまみに、ビール一本にお銚子二本、
新年最初の蕎麦屋酒と相成った。
昼寝をしてから、夕方ふたたび通りを下る。
べじた坊さんで、最初の居酒屋酒となり、
例年どおり、飲み会つづきの年明けとなったのだった。
どんな一年になるのか。変わらず、だらしのないヨッパの身、
今年もどうぞよろしくお願いします。