八月の終わりに
葉月 6
この夏は、変な陽気だった。
梅雨の長雨がすぎて、猛暑の日がつづいたかと
思ったら、
お盆をむかえるあたりから、雨降りの日がつづき、
ふたたび夏日の暑さが戻ってきて、
こんな、落ち着かない天気の夏はめずらしいと、
過ごしていた。
おまけにコロナコロナと感染者が増えて、
テレビのニュースを観ているだけで、
あいかわらず、気分が滅入ってくるのだった。
飲食店に時短要請が出て、町なかを眺めると、
休業している飲み屋が多い。
馴染みの店もいくつか休んでいるから、
この八月は、まこと飲み屋詣でが少なかった。
営業している店に足を運んでも、
夜の八時に店じまいとなるから、
長居をすることなく、ちょっとの酔いかげんで
帰宅をすることになる。
シャワーを浴びて、さっぱりと締めの一杯を酌めば、
そこから拍車がかかり、
先ほどの、飲み屋の一献など呼び水で、
むしろ、これから本番と杯をかさねている。
気がつけば、茶の間でうたた寝のありさまだった。
飲み屋通いが減っても、
体に染みこむ酒量は、たいして変わりがないのだった。
晩酌で、宮崎の麦焼酎、駒を愛飲している。
やや軽めの柔らかな柑橘系の旨味は、
飲み飽きせず、
夕方、しずかな蜩の鳴き声を聞きながら、
お湯割りやロックで味わっていると、
なんとも幸せな気分になる。
かつて、焼酎ブーがあって、
芋の森伊蔵とか村尾とか、麦の中々とか兼八とか、
黒糖の朝日とか龍宮とか、
いろんな銘柄があちこちの雑誌に
取り上げられたことが
あった。
そんな騒ぎの折りも、
手近に入る好きな銘柄があれば十分と、
酌んでいた。
世間の出来事や日々の暮らしに、
言い知れぬ不安はあるけれど、
一日の終わりにほっとできるひとときが。
それだけで日々是好日と、
酔うたびに思うことだった。

この夏は、変な陽気だった。
梅雨の長雨がすぎて、猛暑の日がつづいたかと
思ったら、
お盆をむかえるあたりから、雨降りの日がつづき、
ふたたび夏日の暑さが戻ってきて、
こんな、落ち着かない天気の夏はめずらしいと、
過ごしていた。
おまけにコロナコロナと感染者が増えて、
テレビのニュースを観ているだけで、
あいかわらず、気分が滅入ってくるのだった。
飲食店に時短要請が出て、町なかを眺めると、
休業している飲み屋が多い。
馴染みの店もいくつか休んでいるから、
この八月は、まこと飲み屋詣でが少なかった。
営業している店に足を運んでも、
夜の八時に店じまいとなるから、
長居をすることなく、ちょっとの酔いかげんで
帰宅をすることになる。
シャワーを浴びて、さっぱりと締めの一杯を酌めば、
そこから拍車がかかり、
先ほどの、飲み屋の一献など呼び水で、
むしろ、これから本番と杯をかさねている。
気がつけば、茶の間でうたた寝のありさまだった。
飲み屋通いが減っても、
体に染みこむ酒量は、たいして変わりがないのだった。
晩酌で、宮崎の麦焼酎、駒を愛飲している。
やや軽めの柔らかな柑橘系の旨味は、
飲み飽きせず、
夕方、しずかな蜩の鳴き声を聞きながら、
お湯割りやロックで味わっていると、
なんとも幸せな気分になる。
かつて、焼酎ブーがあって、
芋の森伊蔵とか村尾とか、麦の中々とか兼八とか、
黒糖の朝日とか龍宮とか、
いろんな銘柄があちこちの雑誌に
取り上げられたことが
あった。
そんな騒ぎの折りも、
手近に入る好きな銘柄があれば十分と、
酌んでいた。
世間の出来事や日々の暮らしに、
言い知れぬ不安はあるけれど、
一日の終わりにほっとできるひとときが。
それだけで日々是好日と、
酔うたびに思うことだった。
甲田理髪店さんで
葉月 5
上田の町なみが好きで、ときどき出かけている。
ちいさな城下町の穏やかな風情に触れていると、
なんとも気分が落ちつくのだった。
上田の夏といえば、
おのおの町が、りっぱな神輿を繰り出す祇園祭に、
汗いっぱいの踊り手たちが、
通りを埋め尽くす上田わっしょいに、
夜空を盛大華やかに彩る、
千曲川河川敷の大花火大会と、賑やかな行事がつづく。
ところがコロナ禍で、昨年今年と中止になってしまい、
感染者が減らぬ中、来年は大丈夫なのかいなと、
早々に気にしてしまうのだった。
昨年、上田に暮らす友だちと、昼ごはんを共にした日、
別れて時計を見たら、帰りの電車の時間まで、
中途半端に間があった。
さて、どうしようかと思案しながら歩いていたら、
一軒の床屋が目に留まった。
髪の手入れといえば、いつも風呂場でバリカンで刈っている。
ちょっと伸びているし、
たまには床屋の世話になるのもいいかと、
時間つぶしに立ち寄ってみた。
甲田理髪店と描かれた扉を開けたら、
年配の旦那さんと、息子さんが迎えてくれた。
椅子に座って、旦那さんに刈ってもらう目安を伝えたら、
長めの鋏を使って、シャカシャカとテンポよく刈りだした。
飾り気のない店内に、ラジオ放送のBGMは、
昭和の雰囲気があって落ちつく。
ありがたいのは、髪を刈っている間、
旦那さんも息子さんも話しかけてこないことで、黙々と、
散髪をしてシャンプーをして、顔そりをしている間、
こちらも気を使うことなく、くつろいでいられた。
ていねいな施術ぶりに、
結局電車を一本逃してしまったけれど、
さっぱりと気持ちの好い時間が過ごせたのだった。
以来、上田へ行くたびに世話になっている。
甲田理髪店のとなりには、
真田太平記の著者、池波正太郎さんが贔屓にしていた、
刀屋という蕎麦屋がある。
人気の店で、昼どきになれば、平日でも行列ができている。
池波ファンの身とすれば、いちど入ってみたいものの、
混みあう店で、ゆっくり昼酒を酌むのも気が引けて
気にはなるのに、まだ暖簾をくぐったことがない。
そのはす向かいの路地に、萬寿という寿司屋があって、
ここは先日おじゃました。
こちらも親子で営む店で、
地酒の亀齢を酌みながら、
息子さんの握りをほおばれば、
ネタも、ご飯のほろっとほどける口当たりもよかった。
ぶらぶら散策して、昼酒夕酒。
大人の暇つぶしに、上田は程よい広さの町なのだった。
意を決して、刀屋にいざ出陣。今度試みたいことだった。

上田の町なみが好きで、ときどき出かけている。
ちいさな城下町の穏やかな風情に触れていると、
なんとも気分が落ちつくのだった。
上田の夏といえば、
おのおの町が、りっぱな神輿を繰り出す祇園祭に、
汗いっぱいの踊り手たちが、
通りを埋め尽くす上田わっしょいに、
夜空を盛大華やかに彩る、
千曲川河川敷の大花火大会と、賑やかな行事がつづく。
ところがコロナ禍で、昨年今年と中止になってしまい、
感染者が減らぬ中、来年は大丈夫なのかいなと、
早々に気にしてしまうのだった。
昨年、上田に暮らす友だちと、昼ごはんを共にした日、
別れて時計を見たら、帰りの電車の時間まで、
中途半端に間があった。
さて、どうしようかと思案しながら歩いていたら、
一軒の床屋が目に留まった。
髪の手入れといえば、いつも風呂場でバリカンで刈っている。
ちょっと伸びているし、
たまには床屋の世話になるのもいいかと、
時間つぶしに立ち寄ってみた。
甲田理髪店と描かれた扉を開けたら、
年配の旦那さんと、息子さんが迎えてくれた。
椅子に座って、旦那さんに刈ってもらう目安を伝えたら、
長めの鋏を使って、シャカシャカとテンポよく刈りだした。
飾り気のない店内に、ラジオ放送のBGMは、
昭和の雰囲気があって落ちつく。
ありがたいのは、髪を刈っている間、
旦那さんも息子さんも話しかけてこないことで、黙々と、
散髪をしてシャンプーをして、顔そりをしている間、
こちらも気を使うことなく、くつろいでいられた。
ていねいな施術ぶりに、
結局電車を一本逃してしまったけれど、
さっぱりと気持ちの好い時間が過ごせたのだった。
以来、上田へ行くたびに世話になっている。
甲田理髪店のとなりには、
真田太平記の著者、池波正太郎さんが贔屓にしていた、
刀屋という蕎麦屋がある。
人気の店で、昼どきになれば、平日でも行列ができている。
池波ファンの身とすれば、いちど入ってみたいものの、
混みあう店で、ゆっくり昼酒を酌むのも気が引けて
気にはなるのに、まだ暖簾をくぐったことがない。
そのはす向かいの路地に、萬寿という寿司屋があって、
ここは先日おじゃました。
こちらも親子で営む店で、
地酒の亀齢を酌みながら、
息子さんの握りをほおばれば、
ネタも、ご飯のほろっとほどける口当たりもよかった。
ぶらぶら散策して、昼酒夕酒。
大人の暇つぶしに、上田は程よい広さの町なのだった。
意を決して、刀屋にいざ出陣。今度試みたいことだった。
蓮の花まで
葉月 4
かまぼこをつまみに晩酌をしていたら、
年上の知人からメールが来た。
長野高専のそばのため池に、蓮がたくさん咲いている。
早朝の散歩コースによろしいですと、
教えてくれたのだった。
ときどき、あちらの方まで歩いているものの、
ため池があるとは知らなかったぞ。
グーグルマップで確認したら、
長野高専の東側に、おおきな池がある。
これですな。
すてきな情報に感謝して、さっそく出向いたのだった。
朝5時半、善光寺下の通りを下り、左折して、
相ノ木通りを歩いていく。
狭い旧道なのに、日中はやたらと車の往来がある。
早朝は気にせずに、テンポよく歩いていった。
信号の四つ角を、ふたつすぎてしばらく行くと、
開通して間もない、広い道路にぶつかる。
そこから稲田大通りへと北上して、
平安堂の四つ角から檀田通りへ右折する。
本久の四つ角を直進して、最初の角を左に曲がり、
長野高専の敷地に沿って歩いていくと、
きれいなお宅が立ち並んでいる真ん中に、
蓮の葉と花に覆われた、広いため池があった。
朝陽を受ける、
おおきな緑の葉と白い花が清々しく、
おおきな通りからちょいと入っただけなのに、
なんとも、空気の気配の好いところとたたずんだ。
まわりの、新しいお宅に住む人たちは、
毎朝この景色を眺めているのだから、
ちょっとうらやましいことだった。
蓮を眺めて写真を撮っていると、
おしゃべりをしながら歩いていくおばあさん連れに、
犬の散歩をしている旦那さん、蓮に見向きもせず、
颯爽と走っていくお姉さんとすれちがう。
池の彼方を、シャーッと新幹線が過ぎていき、
ガタンゴトンと長野電鉄の電車が走っていった。
30分ほど眺めて檀田通りへ戻れば、
にぎやかに、朝の気ぜわしさが始まっている。
好い花どころを教えていただいた。
さっぱり和やかな、一日の始まりとなったのだった。
須坂にて
葉月 3
新聞を広げていたら、ひとつの広告が目に留まる。
須坂版画美術館で、版画家、清原啓子展が
行われているのだった。
掲載されている白黒の作品に惹かれ、
このお盆休みに、足を運んでみた。
大雨の中、電車に乗って駅を出て、
美術館までの坂道を上がっていくと、
傘をさしていても、ひどい降りに、
衣服のあちこちが濡れてくる。
美術館のそばの百々川が、茶色い水しぶきを上げて
ごおごおと流れていた。
こんな天気に、お客は来ないと思っていたのか、
美術館の扉を開けたら、受付のお姉さんに、
ギョッとした顔で迎えられた。
清原啓子さんは、八王子出身の銅版画家で、
31年の短い生涯で、活動していたのは10年ほど。
その間に制作された作品の数は30点余りといい、
そのほとんどが、このたび展示されていた。
自ら創造した、人や自然が題材の白黒の作品は、
幻想的な雰囲気を醸し出していて、
こわさとせつなさと力づよさを、しずかに感じさせている。
去りがたい作品の数々を前に、
会期中、ふたたび訪れたい気持ちになった。
美術館を出たら、幸い雨が小降りになっている。
この日の昼酒は墨坂神社近くの、
うなぎのた幸さんと決めていた。
坂道を下り、お店にうかがえば、
久しぶりの、ご主人夫妻の笑顔に迎えられる。
清楚な店内のカウンターに落ちついて、
つめたい緑茶をひと口いただけば、
雨の中を6キロあまり、歩き疲れた身がほっとする。
うなぎ屋の昼酒は、
飲み屋や蕎麦屋とは、またちがった趣きがある。
日本人に生まれて、まこと幸せなことだった。
ひと息ついて、う巻きたまごをつまみに、
サッポロラガーを一本に、
富山の勝駒と満寿泉を一合づつ。
うなぎのかば焼きに、ごはんを軽く添えてもらい、
美味しい、腹いっぱいの時間を過ごさせていただいた。
ご主人夫妻に見送られ、駅へ向かいつつ、
天気に恵まれぬ、今年のお盆休みだけれど、
この一日に、十分贅沢な休みと思えたことだった。

新聞を広げていたら、ひとつの広告が目に留まる。
須坂版画美術館で、版画家、清原啓子展が
行われているのだった。
掲載されている白黒の作品に惹かれ、
このお盆休みに、足を運んでみた。
大雨の中、電車に乗って駅を出て、
美術館までの坂道を上がっていくと、
傘をさしていても、ひどい降りに、
衣服のあちこちが濡れてくる。
美術館のそばの百々川が、茶色い水しぶきを上げて
ごおごおと流れていた。
こんな天気に、お客は来ないと思っていたのか、
美術館の扉を開けたら、受付のお姉さんに、
ギョッとした顔で迎えられた。
清原啓子さんは、八王子出身の銅版画家で、
31年の短い生涯で、活動していたのは10年ほど。
その間に制作された作品の数は30点余りといい、
そのほとんどが、このたび展示されていた。
自ら創造した、人や自然が題材の白黒の作品は、
幻想的な雰囲気を醸し出していて、
こわさとせつなさと力づよさを、しずかに感じさせている。
去りがたい作品の数々を前に、
会期中、ふたたび訪れたい気持ちになった。
美術館を出たら、幸い雨が小降りになっている。
この日の昼酒は墨坂神社近くの、
うなぎのた幸さんと決めていた。
坂道を下り、お店にうかがえば、
久しぶりの、ご主人夫妻の笑顔に迎えられる。
清楚な店内のカウンターに落ちついて、
つめたい緑茶をひと口いただけば、
雨の中を6キロあまり、歩き疲れた身がほっとする。
うなぎ屋の昼酒は、
飲み屋や蕎麦屋とは、またちがった趣きがある。
日本人に生まれて、まこと幸せなことだった。
ひと息ついて、う巻きたまごをつまみに、
サッポロラガーを一本に、
富山の勝駒と満寿泉を一合づつ。
うなぎのかば焼きに、ごはんを軽く添えてもらい、
美味しい、腹いっぱいの時間を過ごさせていただいた。
ご主人夫妻に見送られ、駅へ向かいつつ、
天気に恵まれぬ、今年のお盆休みだけれど、
この一日に、十分贅沢な休みと思えたことだった。
夏の盛りに
葉月 2
早朝散歩をしている。
歩きはじめは、少しひんやりとした風当たりでも、
陽が顔を出せば、すぐに暑さが肌を突いてくる。
行く先々に、蝉の亡骸を目にしながら歩いていると、
盛りの夏に、汗だくのくたくたになるのだった。
都会に暮らす友だちから、暑中見舞いが届いた。
金魚にアサガオに素麺に花火、
月とツユクサと団扇にほおづき。
夏の風情をあしらった、切り絵のカードに添えた
手紙には、
なつかしい文字で、信州が恋しいです。
コロナが落ちついて、ゆっくり話せる日を楽しみに
していますとある。
長野のご実家には、母親が一人で暮らしている。
コロナ禍が始まる前は、体調を崩しがちな母を気遣って、
ときどき帰省をしていた。
今は、それがままならぬこととなり、
もどかしい思いをしていると、目に浮かんだ。
先月の連休には、それまで客足の減った善光寺界隈に、
久しぶりにたくさんの観光客が訪れた。
自宅前の通りに、朝から車が連なって、
コインパーキングの車を眺めれば、
徳島やら福岡やら下関など、
えらい遠くから来ていたかたもいた。
感染者の多い都会は避けて、信州詣でを選んだのかな。
暑い中遠路はるばるの、体力気力に感心をした。
そうやって人の波があちこちで起きたせいなのか、
県内外、また感染者が増えてきたという。
増えて、警戒レベルを4に引き上げた、
5に引き上げたと発表がある。
ではそれでどうするかというと、
飲食店に時間短縮営業や休業の要請をするばかりだった。
けれど感染症対策をして、入客の数を減らして、
売り上げが減るのを我慢して、
みなさん必死の思いで商いをしている。
まっとうな店から感染者は出ているのかいと、
なんとも腑に落ちない。
お偉いさんは、机上の数字だけを見て、
現場の様子を把握していないと、いぶかしんで
いるのだった。
お盆休みになれば、帰省してきた友だちと、
久しぶりの杯を酌み交わし、旧交を温める。
そんな楽しみは、今年のお盆も出来ないことだった。
ひとりで暑い暑いとぼやきながら、
ビールを飲むしかないのだった。
名刺を作って
葉月 1
名刺が残り少なくなってきたので、
新しく作ることにした。
この頃は、パソコンを開けば、
好きなデザインを安い値段で作ってくれる
印刷屋が見つかる。
100枚作って二千円でお釣りがくるのだから、
ありがたいことだった。
外回りの営業を生業にしているわけではないから、
作っても、そんなにひと様に配る機会がない。
100枚作れば、ゆうに10年は間に合うのだった。
頂いた名刺は、ひとつの冊子にまとめている。
仕事がらみで訪ねて来たかたに、
暮らしの頼みごとで知り合った営業さん。、
飲み屋のご主人に、
酒屋の旦那に、酒蔵の蔵人の皆さんの
名前が並んでいる。
馴染みの店のカウンターで、
初対面のかたと言葉を交わす機会があると、
名刺を頂くことがある。
ところが、ごきげんに酩酊していた身は、
翌朝その名刺を見ても、
お顔も会話の中身も、まるで覚えていないのだった。
そんな名刺もまじえて、
冊子に収まりきらぬようになると、
もう縁がないかたのお名前は、
申しわけありませんと、どいてもらっている。
ところが、酒蔵さんから頂いた名刺に関しては、
お会いせぬ日が長くても、
かわらず収めてある。
会えなくても、その銘柄を酌めば、
真摯に、米と水に向きあう姿が目に浮かぶ。
杯を傾ければ、
繋がりを感じていられるのだった。
先日、私用でお世話になったかたがいた。
昭和2年生まれの、御年94歳で、
声が大きく、話ぶりもしっかりしていて、
とてもお歳を感じさせないかただった。
向きあっていると、すっとこちらの背筋も
伸びるような、
じつにきちんとしたかただった。
頂いた名刺には、お住まいの地域の
高齢者クラブ連合会、福寿クラブ連合会の、
会長をされていたと記されていて、
長らく、責任ある地位を任されていたとわかる。
おそらくもう二度とお会いすることはないけれど、
あのお姿を思い出すと、
この名刺はいつまでもとっておきたいような、
そんな気持ちになったのだった。

名刺が残り少なくなってきたので、
新しく作ることにした。
この頃は、パソコンを開けば、
好きなデザインを安い値段で作ってくれる
印刷屋が見つかる。
100枚作って二千円でお釣りがくるのだから、
ありがたいことだった。
外回りの営業を生業にしているわけではないから、
作っても、そんなにひと様に配る機会がない。
100枚作れば、ゆうに10年は間に合うのだった。
頂いた名刺は、ひとつの冊子にまとめている。
仕事がらみで訪ねて来たかたに、
暮らしの頼みごとで知り合った営業さん。、
飲み屋のご主人に、
酒屋の旦那に、酒蔵の蔵人の皆さんの
名前が並んでいる。
馴染みの店のカウンターで、
初対面のかたと言葉を交わす機会があると、
名刺を頂くことがある。
ところが、ごきげんに酩酊していた身は、
翌朝その名刺を見ても、
お顔も会話の中身も、まるで覚えていないのだった。
そんな名刺もまじえて、
冊子に収まりきらぬようになると、
もう縁がないかたのお名前は、
申しわけありませんと、どいてもらっている。
ところが、酒蔵さんから頂いた名刺に関しては、
お会いせぬ日が長くても、
かわらず収めてある。
会えなくても、その銘柄を酌めば、
真摯に、米と水に向きあう姿が目に浮かぶ。
杯を傾ければ、
繋がりを感じていられるのだった。
先日、私用でお世話になったかたがいた。
昭和2年生まれの、御年94歳で、
声が大きく、話ぶりもしっかりしていて、
とてもお歳を感じさせないかただった。
向きあっていると、すっとこちらの背筋も
伸びるような、
じつにきちんとしたかただった。
頂いた名刺には、お住まいの地域の
高齢者クラブ連合会、福寿クラブ連合会の、
会長をされていたと記されていて、
長らく、責任ある地位を任されていたとわかる。
おそらくもう二度とお会いすることはないけれど、
あのお姿を思い出すと、
この名刺はいつまでもとっておきたいような、
そんな気持ちになったのだった。