祖母を思い出し
卯月 7
休日になると、実家の片づけに出かけている。
6年前に父が亡くなり、翌年に母が介護施設に
入居してから、空家になっているのだった。
テーブルや座卓にタンスなど、でかい物はいずれ
回収業者にお願いすることとして、ごみ袋に
入るものを少しづつ始末している。
先日母の洋服ダンスを片付けていたら、古い和紙の
包み物が出てきた。
開いてみたら、昭和45年に亡くなった祖母の
写真と卒業証書と履歴書が出てきた。
東京で生まれ育った祖母は家が貧しくて、
親類縁者のつてで、長野の篠ノ井町の料理屋へ奉公に
出された。そこで客として来ていた祖父に
見初められたのだった。祖父には家庭があったため、
妾として囲われ、髪結いの技術を身につけた。
その当時、善光寺のまわりは色町で、料理屋に旅館に遊郭が
在り、祖父の友だちが遊郭の置屋を営んでいた。
祖父の養女という形で籍に入り、
置屋のひと部屋を借りて、界隈で働く女性を相手に
結髪営業を始めたのだった。
履歴書を見たら明治37年生まれで、大正14年から営業を
始めたとあり、21歳のときだった。
卒業証書は、結髪だけでなく、電髪という当時のパーマの技術を
得るために、東京の美容学校へ行ったときのものだった。
祖母には子供がいなかった。親しくしていたかたの娘が
美容師になりたいということで、養子に迎えた。それが母だった。
母が東京の美容学校を卒業して、修行先から戻ってきて、
借金をして置屋を買い取ってからしばらくして、祖母は
現役を退いたという。
幼いころ、祖母と善光寺へ行ったり、丸光デパートの
屋上の遊園地へ、連れて行ってもらったことを覚えている。
血のつながらない孫のことを、よくよくかわいがってくれていた。
花嫁の着付けをしている写真を見たら、恰幅のよい姿をしている。
心筋梗塞で亡くなったときは、あんなに瘦せていたのにと思い出す。
実際に働いている姿をひと目見たかった。
母もお弟子さんを雇って、毎日忙しく働いていた。
仕事場だけでなく、いろんな結婚式場に出向いては、たくさんの
花嫁を仕上げていた。
祖母や母の身につけた技術に、積み重ねてきた苦労を思うと、
足元にも及ばない。三代目のごくつぶしで
我が家の幕を閉じるのは、情けなく申しわけないことだった。
暮の春髪結う祖母に会いたくて。
ピアノの音色に元気をもらって
卯月 6
日曜日の夕方、NHKのBSで、町角ピアノという番組を
放送している。15分の番組で、いろんな国の駅や路上に
置かれたピアノを、いろんなかたが弾いていく様子を流している。
先だっての日曜日は、90分の特別番組を放送した。
ピアニストのハラミちゃんが、フランスの町角ピアノを
巡る様子を映していたのだった。
上田に暮らす友だちがいる。2年前の6月、インスタグラムを
覗いたら、あのハラミちゃんが、別所温泉駅のピアノを
弾きに来てくれたと、顔を寄せ合ってピースサインの写真を載せていた。
別所温泉駅は超混雑だったといい、
へ~っ、そんなに有名人なんだと、初めて知ったのだった。
しばらくしてユーチューブで検索したら、ほんとに
たくさんの人が訪れていた。
駅長と上田市長と子供のリクエストに答えて、
栄光の架け橋にサマーウォーズのテーマ曲に、千本桜を弾いてライブを終えようとしたら、小さな女の子が、もっと聴きたいと訴える。優しく語りかけて、リクエストの夜に駆けるを弾いてくれた。丁寧な態度に、
親切な娘だなあと、惚れぼれとする演奏に
聴きいったのだった。
全国のあちこちを訪ねて,お客のリクエストに応えて弾いている。
知らない曲は、スマホで検索して、一度で覚えて弾きこなす。
どこへ行っても人懐っこい笑顔で、お客に話しかけ、
演奏が終わればきちんと頭を下げて、親しみやすい人柄が
素直に伝わってくる。
楽しそうに鍵盤をたたいて、
繊細で力強い音色を聴かせてくれる姿は、きれいでかっこよくて、
そして温かい。
町角ピアノのかたわら、
ときには卒業式や文化祭、結婚式に招かれて、サプライズの
演奏をして花を添えている。
この娘のピアノは、いやあ、元気をもらえるぞ。
ほんとに好い娘だなあ。観るたびに聴くたびに涙が出て
しまうのだった。
フランスでは、あちこちの駅のピアノをまわり、
弾いているかたといきなり連弾をしたり、演奏に合わせて
踊りを披露する女性や唄いだす女性に遭遇したり、
その場で知り合った男性にライブハウスに招かれたり、
地元の名の知れたピアニストのスタジオに招かれたり、
言葉の通じない地でも楽しそうにピアノを弾いて、みんなを
笑顔にしていた。
今年は47都道府県でライブをやるという。
昨年のクリスマスライブのチケットは10分で完売した。
長野若里文化ホールのライブは9月。チケット当たりますように。
願いを込めてポチっとした。
薫風や君の奏でる音のごとく。
のんびり上田
卯月 5
休日、上田へ出かけた。
夕方、久しぶりの友だちと一献交わした翌朝、
ゆっくり起きて、ぶらぶら散歩に出た。
駅からの通り沿いにあるヴァシランドコーヒーに
立ち寄ったら、馴染みの蕎麦屋の、東都庵の女将さんと
お会いした。いつもお世話様ですと挨拶をして、
浅煎りの、爽やかなコーヒーをいただいた。
店を出て、あてもなく静かな小路を歩いて行くと、
道沿いのお宅に、園児募集 梅花幼稚園の貼り紙があった。
ここのお宅の子が通っているのかな。貼り紙に描かれた
絵が幼くてかわいい。木町から柳町へ出て通りを下り、
池波正太郎・真田太平記館へ行く。時代作家池波正太郎は
今年生誕百年を迎える。記念の企画展が開かれているのだった。
池波さんは、上田の武将真田家を題材にした真田太平記を
執筆する際に、たびたび取材で上田を訪れていた。
企画展ではその足跡や、訪れたときの日記が展示されていた。
上田の町の風情を気に入って、東都庵に、同じく蕎麦屋の
刀屋に、カレーのべんがるに肉屋の但馬軒と、贔屓にしていた
店も紹介されている。
上田へ来たときは、当時、市の観光課に勤めていた
益子輝之さんが案内をしていた。今も御健在で、
上田の名士として知られている。
二人で真田家ゆかりの地を訪ねたときの写真もいくつか
飾ってあった。かつて益子さんが、なんで上田の町を気に入って
くれたのか尋ねたら、上田には東京が失った昔の東京があると
返ってきたという。確かに上田の町なみには、あてもなく
歩いているだけでほっとするような、落ち着いた風情が
あるのだった。
いちど東都庵で益子さんにお会いしたことがある。
着物姿の細身で端正な姿が印象的だった。
上田について池波さんは、
折りにふれ、上田の人々の顔をおもい、
上田の町をおもうことは、私の幸福なのである。
と言葉を残している。上田が好きな身には、まことに嬉しい
ことだった。
昼どき、上田に暮らす友だちと中華の美華におじゃまして、
餃子とラーメンの昼酒をして、グランドシネマズ上田へ行く。
池波さん原作の、仕掛人藤枝梅安が上映しているのだった。
2月の上映につづいての第二弾で、豊川悦司の梅安さんと、
片岡愛之助の彦次郎に、再びお目にかかれた。
映画館を出て薄暮の中、
東都庵での一杯に、まったくもって急ぎ足になるのだった。
春雷や梅安さんは刀屋に。
新緑の季節に
卯月 4
寒さが和らいで、たくさんの参拝客が
善光寺に来ている。
先ごろ行われたWBCで、思いがけず善光寺が話題に
なった。
代表選手のひとり、ベイスターズの牧選手が初詣でに
来た折りに、必勝祈願のお守りの勝守を、
ほかの選手の分も含めて善光寺から授かった。
身につけている様子がニュースで流れると、
日本が優勝を決めた日に、買い求める客が押し寄せて、
あっという間に完売した。
夕方、遠くの町に暮らす幼馴染みからラインが来る。
勝守ひとつ買っておいてもらえますかとの
お願いだった。翌朝、頒布所に行って尋ねたら、
入荷するのは4月になるという。
すぐ売り切れると気になって、つてを頼ることにした。
飲み仲間の善光寺の住職に、勝守ふたつ確保してくださいと
お願いしたのだった。
おかげで、4月1日の発売日に、手元に届けていただいた。
その日3時間で完売して、後の入荷は未定というから、
持つべきものは友と感謝した。
ひとつは幼馴染みのもとへ速達で。
美容関係の店をオープンする娘に授けると知って、
親心だなあとしみじみした。
もうひとつは、上田に暮らすちいさな友だちに。
日夜、サッカーとフットサルとハンドボールを
頑張っているから、たくさん活躍できるように
お母さんから手渡してもらった。
日を置いて、パソコンでヤフーのニュースを覗いたら、
善光寺本堂に鎮座している仏様、びんずるさんが
盗まれたと出ていた。
へっ?台座に安置してある像は、80センチほどの大きさで、
運び出すのが大変だぞ。エイプリルフールの冗談かと思ったら、
この日の午前の出来事だった。
本堂の中には職員がいるし、すぐそばに警備員の事務所もある。
なんですんなり盗られるかなあといぶかしんだ。びんずるさんも、
あれ、私どうなっちゃうのと、さぞかし心細かったにちがいない。
警察に通報したところ、2時間ほど経ってから、松本市内で
犯人を確保して、びんずるさんも無事だったという。
長野県警素晴らしい。
迅速に解決してまことに好かったことだった。
ひと晩、春の雨が降った翌朝、散歩に出ると湿り気を帯びた
空気が涼しい。行く先々、目にする木々の緑に爽やかさが増して、
新緑のときを迎えている。
季節の移り変わりに、気持ちが静かになるのだった。
ランドセル勝守揺れる春入日。
臥竜公園桜詣で
卯月 3
平日の夕方、仕事を早めに終いにして須坂へ出かけた。
臥竜公園の桜が見頃を迎えているのだった。
車窓の、住宅街や河川敷の桜を眺めながら、電車に
揺られて行く。
須坂駅を出て坂道を上がって行くと、
須坂高校の玄関先に、
令和5年 須坂高校は百周年を迎えます。
大きな垂れ幕がぶら下がっている。
小山小学校の校庭の桜を見上げながら公園に
着くと、花見客がわんさかしていた。
竜ヶ池を囲む桜は、今週いっぱいが見頃の咲きっぷりで、
ほんとに桜の足取りの早い春なのだった。
この時期、池のまわりに、ずらっとおでん屋が開店する。
ふらっと入って、スーパードライを飲みながら、
味の染みたおでんをほおばった。
薄暮の公園に灯りがついて、桜がぼおっと浮かび上がる。
西の空に陽が沈み、東の空に丸い月が顔をだす。
そぞろ歩きながら、スマホやカメラで桜を撮ったり、
桜をバックに自撮りをしたり、みんな満開の桜を
楽しんでいた。公園を出て坂道を下って駅前へ
行くと、電車の時間まで間がある。辺りを見回すと、
焼き鳥とり松の看板が目についた。
時間つぶしに暖簾をくぐったら、中年の女将さんが
迎えてくれた。
カウンターの端っこで、皮とぼんじりとキムチで、
スーパードライを飲んでいると、先客の
カウンターの女性二人は、もういい感じに
出来上がっている。焼酎のお湯割りを飲みながら、
職場の同僚の悪口で盛り上がっていた。
しばらくすると男性二人と女性一人の三人連れが
入ってきて、奥の小上がりに陣取った。
座るなり、男性が女性に花束を手渡したから、
送別会かなとうかがえた。
間をおいて、女将さんの友だちがやって来て、
カウンターで、焼き鳥をつまみにライムサワーを
飲みだした。その後じきに、小学生ぐらいの子供を連れた
親子四人が入ってきた。女将さん、忙しくなってきたねと
眺めていたら、奥の部屋から女将さんの息子が
出てきて、お母さんを手伝い始めた。高校生ぐらいかな。
焼き鳥を運んだり生ビールを注いだり、もくもくと
手伝っている。カウンター越しにキープされたボトルの数を
見れば、まだ開店して日が浅いとうかがえた。
たまには知らない店の片すみで、黙って酒を酌むのも
好いのだった。レモンサワー二杯飲み干して、
頃合い好く桜詣での締めとした。
夜桜や寡婦が寄り添い来るような。
春爛漫
卯月 2
先週に続いて上田へ出かけた。
城跡公園の桜が見頃をむかえたのだった。
日曜日の夕方足を運ぶと、大勢の花見客でにぎわっている。
先週見頃だった城門前の枝垂桜は、すっかり葉桜に
なっていた。
お堀ばたのソメイヨシノは満開で、水面をたくさんの花びらが
彩っている。まわりを囲む食い物の屋台はどこもたくさんの客が
並び、テキ屋のお兄さんお姉さんは、稼ぎ時で忙しい。
子供たちからお年寄りまで、桜を楽しむたくさんの人を
眺めていると、春のにぎやかさが戻ってきたことが、
嬉しく思えるのだった。ゆっくりと桜を愛でて、
薄暮の穏やかさを感じながら袋町へ行き、
めめ家さんで今夜の一杯と相成った。
お通しで黒ラベルを空けて、冷やしトマトで,亀の海の
純米を酌むと、端正なすっとした味わいが好い。
この夜は、初めて見かける女の子が働いていた。
注文を頼めば、笑顔でにっこりはきはきと
返事をして、てきぱき動く姿が気持ちが好い。
帰り際、ご主人にその旨を伝えて、また来ますと挨拶をして
店を出た。翌朝、ふたたびぶらぶらと城跡公園に出向いた。
この日も好い天気に誘われて、午前から花見客の姿が多い。
ブルーシートを広げて早々に宴会を始めるおじさんたちに、
ちいさな子供とママ友さんのグループに、のんびり桜を
見上げている老夫婦に、思いおもいにそれぞれの春を
楽しんでいる。金麦を飲みながら、のどかな気分に
満たされたのだった。
歩く先々、風に乗って桜の花びらが散っていく。
今年も見ごろの時期に足を運べて良かった。満足して
公園をあとにした。
蕎麦屋の昼酒に久しぶりの塩田屋へ行くと、
いつものように白髪頭のお母さんと、娘さんが笑顔で
迎えてくれた。お母さん、元気そうでなによりです。
ひじきの煮物とかぼちゃでキリンラガーを空けて、
菜の花の辛し和えで御園竹の燗酒を酌む。
緊張感のない性格で、いつもゆるく暮らしているけれど、
春になると輪をかけてゆりゆるになる。
今年も桜に和ませていただいた。酒の味もよくよく
美味しいことだった。
お堀端思い思いの桜かな。
軽井沢春めいて
卯月 1
休日、軽井沢へ出かけた。洋画家、藤田嗣治の作品を
展示している安東美術館が、作品の展示替えをして、
新たな作品を拝見できることとなったのだった。
長野駅で長野・軽井沢フリー切符を求めてしなの鉄道に
乗り込む。春休みになって、同じく軽井沢に向かう
若い姿が、駅々で乗り込んでくる。
さっぱりと良い天気の日で、里山の彼方に
白い北アルプスの山並みが青空に映えていた。
軽井沢に着いて、ホームから駅舎に行けば、観光客が
わんさかしている。旧軽銀座に向かう人と離れて、
まずは腹ごしらえに、矢ヶ崎公園前のフレスガッセに
おじゃました。窓際の席に落ちついてエビスを頼めば、
店員のきれいなお姉さんが、今日は下仁田ネギの天ぷらが
有りますとすすめてくる。では、それもくださいと
頼んだら、太いりっぱな天ぷらが出てきた。
昔、交通事故であごの骨を折って以来、かみ合わせが
悪くなった。ぐにゅとしたネギがなかなかかみ切れず、
甘い味わいをなんとか食べた。
エビスをおかわりして、なにか軽いつまみをと生ハムを
頼んだら、これが旨くてたまげた。
味わいながら他のお客の料理を見れば、ソーセージも
トンテキも、盛りにボリュームがある。
品書きを見ればあれもこれも食べたくなるのに、
あれもこれも頼めないほどの量なのだった。ハイボールを
飲みながらナポリタンをたいらげて、いやあ、腹いっぱいに
なりました。余は満足じゃと会計に向かうと、
厨房からご主人が出てきて挨拶をしてくれた。
安東美術館が好きなこと。新緑の頃の軽井沢の、
湿り気を帯びた緑の気配が好きなことなどを話して、
また寄らせてくださいと店を出た。
矢ヶ崎公園を抜けながら美術館に向かうと、
雪をかぶった浅間山が、青空にくっきりと美しい。
美術館では、このたび新たな少女と猫を描いた作品を
観ることができた。藤田嗣治の描いた少女の作品は、
乳白色の肌色がまことに淡く深く、引き込まれる。
なんど足を運んでも見飽きることのない、作品の数々
だった。ゆっくりと館内を巡り、隣のハリオカフェで
酔い覚ましのコーヒーを飲みながら時計を見れば、
思いのほか時間が経っていた。
フレスガッセと安東美術館だけでゆっくりした
ひとときだった。長野に戻って一杯だな。
寄り道をせず、駅へと引き返したのだった。
ナポリタンちょいと固めや春の昼。