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町の本屋を

2019年01月27日

 へこりと at 13:10  | Comments(0)
睦月 5

遠くの街から友だちが訪ねてきた。
2年ぶりの再会を祝って、
馴染みの料理屋で一献酌み交わす。
久しぶりに長野に来ておどろいたのは、
目の前の平安堂書店が、
ドン・キホーテに替わっていたことという。
玄関口の景色が味気なくなったとこぼすのだった。
かつての大型書店も、今では規模を小さくして、
駅前のデパートの中で営業している。
本屋は町の文化だから、なくならないでほしいという。
アマゾンや楽天でポチっとすれば、
居ながらにして本が買える時代でも、
近所のちいさな本屋を使っているというのだった。
先日、映画「マスカレード・ホテル」を観に行った。
東野圭吾原作のミステリーは、
名だたる俳優陣が味の有る演技を見せていた。
ところが話の流れに不可解なところが有って、
すっきりしない気分で映画館をあとにした。
次の日、善光寺門前の西沢書店に出かけた。
目当ての原作の文庫は、
映画の上映に合わせて、
入り口の真正面に積んである。
読み終えて、なるほどそういうことですかと、
ようやく、話の中身に合点がいったのだった。
近所に本屋が在るおかげで、
早々に胸のつかえがとれた。
この本屋には、子供のころから
もう40年以上世話になっている。
金華堂に長谷川書店に、
宮原書店に渡辺書店に白馬堂。
岩波書籍の専門店はなんという名前だったか。
町なかに点在する本屋が、
つぎつぎと姿を消して久しい。
そんな中、歩いていける範囲に、西沢書店と、
もうちょい先に、朝陽館が残っている。
どちらも程よい広さで、本の揃えも好い。
欲しい本が見つかっても見つからなくても、
佇んでいるだけで、なんだか落ち着くから、
本屋でなければ得られない、
そんな趣きも有るのだった。
本屋は町の文化。
ポチっとばかりしてないで、
足を運ばなければと思ったのだった。


  


観光列車ろくもんで

2019年01月23日

 へこりと at 14:42  | Comments(0)
睦月 4

人生に大事なものは、
好い友、好い酒、好い景色。
しなの鉄道が運行する観光列車、
ろくもんに乗ってきた。
週末、長野と軽井沢を行き来するろくもんは、
長野県産のスギやヒノキをふんだんに使った
お洒落な車内で、
沿線の景色を眺めながら、旨い地酒と料理が味わえる。
運行開始以来好評で、
県外だけでなく、外国からのお客も来るという。
客室乗務員をしている友だちがいて、
初の企画、「北信濃雪見酒列車プラン」に携わった。
長野と信濃町の黒姫を往復して、
冬の景色と酒と料理を楽しむというものだった。
友だちが形にしたプランなら、
乗らないわけにはいかない。
飲み仲間をお誘いして、当日乗り込んだのだった。
この冬、雪のない日がつづいていたのに、
うまい具合に朝から雪降りで、
雪見酒日和と相成った。
ゆっくりと列車が動き出したのを合図に乾杯をした。
料理を供してくれるのは、小布施町の「鈴花」さんで、
信州サーモンの南蛮漬けから、信州和牛の煮びたしに、
さつま芋けしの実揚げやら、牛蒡の胡麻味噌和えなど、
壱の重、弐の重と、ぎっしり酒の肴が詰まっている。
日本酒は、長野が誇る、
女性杜氏のかたがたの銘柄をそろえたといい、
この日は、川中島の千野さんの幻舞に、
信州新町の尾澤さんの十九に、
小布施町の高沢さんの豊賀と、
大御所三人の銘柄が並んで
こころづよい。
酒と肴を味わいながら進んでいくと、
豊野を過ぎて牟礼に入ったあたりから、
雪の勢いがつよくなる。
黒姫駅に着けば、風はいっそう冷たくて、
雪積もる、
しっかりとした冬の景色が有ったのだった。
景色を眺め、旨い酒と肴を味わって。
ことのほかぜいたくな時間と思えたのは、
きびきびと動く乗務員のかたがたの
素敵な笑顔と丁寧な接客が有ったからだった。
日ごろ忙しくしている顔見知りのかたがたに、
たまには時間を忘れてゆっくりと。
おすすめしたくなる、2時間半の電車散歩だった。






  


小布施の安市へ

2019年01月17日

 へこりと at 15:17  | Comments(0)
睦月 3

1月14,15日と、小布施町の皇大神社で、
安市が行われるという。
朝刊を広げたら、でかでか広告が載っていた。
年始めの、だるまや縁起物を売る市は、
小布施の冬の風物詩という。
15日、電車に乗って出かけてみた。
朝からうっすらと晴れた日で、
小布施駅のホームから、飯綱戸隠黒姫妙高斑尾の
北信五岳がよく見えた。
駅前のロータリーから進んでいくと、すぐに、
道の両側にずらっと屋台が並んで、人があふれている。
店子さんのかけ声に、パンパンと射的の音に、
予想以上のひと出の中を皇大神社へ行くと、
こちらも境内に、ずらっと屋台が並んで、
かけ声が飛び交っている。
ときどき小布施に散歩に来ても、
境内に人を見かけたことがなく、
ちんやりとしたものだった。
打って変わった賑わいぶりに、
すごいですねえと感心したのだった。
お守りを買ってお参りをして、境内を出れば、
今日も小布施の空に、酒蔵松葉屋本店の、
レンガの煙突がゆうゆうと勇ましい。
昼めしはその先の料理屋、鈴花さんと決めて、
暖簾をくぐった。
銀だらの粕漬け定食で、エビスを一本に、
地酒の豊賀を二本。
ちびちびとやっていれば、格子窓の向こうを、
絶え間なく人が歩いていく。
いつもは観光客がごった返す小布施の町も、
この2日間は、
地元の人がおおいに盛り上げているのだった。
ほろ酔い加減で店を出たら、
白装束の人たちと、消防団の人たちが
ぞろぞろと歩いていく。
綱切りの儀式の行列だといい、
神様が、町の繁栄を願って、
あちこちに張られた綱を切って、
道を開いているのだった。
地元のかたたちに交じってついていけば、
ちいさな町のまとまりの好さが感じられる。
今年もにぎやかにあがめていただいて、
神様も、さぞ、お喜びになられたことと
思うのだった。




  


散歩日和に

2019年01月09日

 へこりと at 16:29  | Comments(0)
睦月 2

母にお使いを頼まれた。
昨年世話になった知人が二人いた。
御礼を届けてくれというのだった。
それぞれ市街地の北側、吉田と若槻団地に住んでいる。
昼食後の腹ごなしに、歩いていくことにした。
駅前のデパートで商品券をふたつ調達して、
通りを上がっていく。
風は冷たいものの、さっぱりと晴れた日で、
歩いていても気持ちが好い。
西鶴賀から柳町から三輪を抜けていくと、
SBC通りに出る。
かつてテレビ局のSBCが在った通りは、
SBCがなくなった後も、SBC通りと呼ばれている。
SBCの跡地にはヤマダ電機が出来て、
そのすぐ近くの知人宅に着いた。
母がよろしく申しておりました。
御礼を渡したら、SBC通りから吉田の住宅街を抜けて、
まゆみだ大通りに出る。
通りを渡って進んでいくと若槻団地にたどり着く。
いりくんだ団地の中を通っていくと、
おまわりさんが3人立っていて物々しい。
近づいていったら、車が1台、
壁に激突して大破していた。
そのそばで、困った顔のおじいさんが、
おまわりさんに事情を聴かれていた。
通りすぎて知人宅に着くと、
あいにくこちらは留守だった。
ポストに入れてから、
若槻団地から浅川団地の中を抜け、わが家へ戻った。
確かめたら、およそ13キロの散歩だった。
歩くのが好きだから、なんにも予定のないときは、
たいてい町をさまよっている。
遠くの町に出かけるときも、
車を使わずに電車に乗って行く。
駅を出て、あてもなく町の中をぶらぶらと。
夕暮れどきにさしかかれば、
目についた飲み屋で一杯やったりするのだった。
以前友だちに、
車が似合いませんねと言われたことがある。
歩いてばかりの印象がつよいのか、
同じ台詞を何人もの人に言われたから、
ほんとに似合わないのだと思う。
それでも運転しなきゃいけないときもある。
どんな車種だったら似合いますかねえ。
ひまつぶしに自動車雑誌を眺めても、
てんで思いつかないのだった。






  


気もちに寄り添う酒を

2019年01月04日

 へこりと at 16:52  | Comments(0)
睦月 1

昨年の暮れ、締めの独酌に、馴染みの飲み屋へ出かけた。
カウンターで盃を傾けていたら、
顔見知りの、酒蔵の杜氏さんが入ってきた。
大学時代のお仲間の集まりがあるというのだった。
長野県の東の町にあるお蔵さんで、
近年、涼やかで口当たりの好い、旨い味を醸している。
そのかたがたの宴のざわめきを、
背中越しに聞きながら杯をかさねていたら、
合間を見てカウンターに来てくれた。
今季の造りの話をしてくれたあと、
酒にまつわる思い出話を聞かせてくれた。
8年前の、東日本大震災のときのことだった。
被災地へ、
ボランティアに行っていた知人から連絡があった。
出来るだけたくさんの日本酒を、
被災地に送ってくれないかというのだった。
避難所で暮らす人々のもとに、食料や衣服や毛布など、
救援物資が届いている。
ところが、酒やたばこのような嗜好品は
届かないというのだった。
家や家族や友人を失って、
避難所で毎日を暗い気持ちで過ごしていると、
胸が押しつぶされそうになる。
せめて、酒に酔って気分を紛らわせたいと思っても、
この大変なときに、酒が欲しいとは言えないという声を、
聞いたのだった。
すぐにできる限りの日本酒を被災地へ送ったといい、
辛いかたがたの役に立てて,
酒造りをしていてほんとによかったと、
そう思える出来事だったという。
1年の終わりに、
しみじみと好い話を聞かせていただいた。
気もちに寄り添う酒を造ってもらっているのだから、
いい加減、酒に寄り添う気持ちで酌まなくてはいけない。
遅まきながら、言い聞かせたことだった。
亥の年、人の手に負えない災いが起きないように、
切に願ってしまう。
楽しい一献の日がつづいてくれますよう。
今年もよろしくお願いします。