インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 11人
オーナーへメッセージ

ときどきのしくじりを

2022年10月28日

 へこりと at 08:18  | Comments(0)

神無月 6

注意力が散漫で、ときどき無くし物をする。
酔うと輪をかけていけないのだった。
携帯電話に眼鏡に帽子に財布。
無事手元に戻ってきたこともあれば、
ついぞ見つからず、へこんだときもある。
以前、ちいさなカメラと携帯電話を失くしたことがある。
二日酔いの翌朝、部屋中探しても見つからない。
途方に暮れて、その旨をブログでこぼしたら、
その日の昼過ぎに、
失くしたのはこれかなあと言いながら、
友だちが届けてくれた。おお、まさに間違いないです!
それにしても、昨夜はその友だちに会っていない。
なぜ見つけてくれたのか、訳を聞いたところ、
外出しようと車の停めてある駐車場に行ったところ、
ボンネットの上に置いてあったという。
どうやら、酔っ払った帰り道で用を足したくなって、
駐車場の暗陰に入った折りに、ポケットから
カメラと携帯を取り出して、ボンネットに
置いたらしいのだった。それが偶然にも友だちの
愛車だったおかげで、無事に手元に戻ってきた。
余りの幸運に、友だちにビール10杯
奢りたくなった。飲み屋に行くときは、携帯にお金を
ポケットに突っ込んで出かけていた。以来、
カバンに入れて肩からぶら下げるようにした。
それでも、いまだにしくじりを繰り返しているから、
始末がわるい。
母が介護施設に入居したときに、実家に有った母の
ネックレスとペンダントを預かった。先日、馴染みの飲み屋に
行くときに、そのうちの一つをぶら下げていこうと
引きだしを開けたところ、見当たらないのだった。
いぶかしんで、手持ちのカバンの中や部屋の中を探しても
見当たらない。???の気分で、最後に身に着けていったのは
いつだったかと思い返したところ、はたと思い出す。
四日前に友だちと一緒に、上田の鹿教湯温泉に行ったのだった。
脱衣所で服を脱ぐときにはずして、そのまま脱衣所の
ロッカーの中へ忘れてきたと見当がついた。
世話になった温泉施設に電話をして確かめたら、
受付のおじさんから、はい、預かってますよ~。と返ってきた。
翌日、上田駅からバスに乗って一時間、
再び鹿教湯温泉を訪ねた。
無事手元に戻ってきて、ようやくほっとした。
すこしぬるめの柔らかな湯に、のんびり浸かったのだった。

再訪や秋雨包む鹿教湯かな。


  


軽井沢安東美術館へ

2022年10月25日

 へこりと at 10:15  | Comments(0)

神無月 5

朝刊をめくっていたら、軽井沢に新たに美術館が
開館したと載っていた。
実業家の安東泰志さんがこれまで収集した、
藤田嗣治の作品を展示する、軽井沢安東美術館という。
藤田嗣治は、現在の東京芸大を卒業してから渡仏して、
作品を描いていた。作品をサロンに出展するたびに
人気を博して、その名が広く知れ渡ったという。
折しも第二次世界大戦が始まったときで、
パリから日本に帰国すると,
終戦までの間、率先して日本軍部に協力して
戦地に出向き、戦争画を描いては出展していた。
戦後に、その行為を国内で非難されることとなり、
日本に嫌気がさして、再び渡仏して、フランスで
生涯を終えたのだった。
そんなこともあり、パリでは最も有名な日本画家なのに、
日本では長らく知名度が低かったという。
藤田の作品は、七年前に上田市立美術館で
拝見したことがある。
主に人物画と、当時パリで親交のあったピカソやルソーや
モディリアーニ等の作品が展示されていた。
気持ちに留まる企画で、二回足を運んだのだった。
またお目にかかる機会が出来て嬉しいことだった。
休日、電車に乗って軽井沢まで出かけた。
秋晴れの日で、車窓からなだらかな浅間山が
よく見えた。
軽井沢駅を出て、矢ヶ崎公園の敷地を抜けて行くと、すぐに
安東美術館にたどり着いた。
入館料を払って展示室に行くと、初期の作品から年代ごとに
並べられている。藤田の作品の特徴は、他の画家の作品には
見られない、独特の乳白色で、それを用いて描かれた
少女の作品がたくさん展示されている。
清楚な透明感と、切なさを含んだ表情の少女たちに
静かに魅かれてしまうのだった。
このかたが戦時中、戦地の凄惨な様子を暗い絵に
描いたのは、どんな心情だったのか、
思いを向けてしまった。
さいごの展示室には少女の作品と共に猫の作品たちも
展示されて、なんともかわいらしい。
安東さんが初めて藤田の作品を買ったのは、軽井沢の美術店という。
そんな所以もあって、この地に美術館を建ててくれたのか。
実業家として抱えた悩みや苦しみを、藤田の少女たちや猫たちと
乗り越えてきたという。この美術館がみなさまにとって、
心の安寧を得て頂ける場になれば幸いですという。
美術館には、珈琲器具の会社、ハリオが直営するカフェが併設
されている。アイスコーヒーを注文したら、
開店祝いの景品に、ショットグラスを頂けて嬉しいことだった。
来月になれば、雲場池の紅葉も真っ赤に見ごろをむかえる。
晩秋の軽井沢へ、また足を運ぶこととする。

秋澄むや乳白色の少女かな。


  


歳を重ねるのも

2022年10月18日

 へこりと at 10:21  | Comments(0)

神無月 4

近所に九十九歳のおばあさんが住んでいる。
二十年前に旦那さんを亡くされてから、
独り暮らしをしている。
杖を使っているものの、腰も曲がらず足腰が丈夫で
頭もしっかりしている。
週に三日、すこし離れた温泉施設に通っては、
源泉かけ流しの湯で体を癒しているのだった。
食事の支度から洗濯など、身の回りのことを
人の手を借りずにこなしているから、えらいものだなあと
感心をしている。
月に二度、訪ねてきてくれるおばあさんがいる。
愛媛の松山から長野に嫁いで来たかたで、
いつも日々の暮らしの様子を、楽し気な口調で話してくれる。
松山の実家では、九十七歳の兄が独り暮らしをしている。
ときどき、電話をかけたりかかってきたり、
お互いの様子を確かめあっているという。
歳のわりにしっかりしていると思っていたら、
どうもこの頃、おかしくなってきたとこぼすのだった。
この夏電話をしたところ、友だちが亡くなったという。
お通夜の席で友だちの奥さんに、お互い独りになったのだから、
一緒に暮らしましょうと誘ったら、断られたと言う。
ぶしつけに不謹慎なことをと、たしなめたという。
先日、その兄から電話がきた。嬉しそうな声で、
ひでこが、わしの面倒をみてくれると言うのだった。
兄は大学生活を横浜で過ごしていた。その当時、
下宿先の娘さんと恋に落ち、結婚の約束をしたものの、
親の反対にあい、泣く泣くあきらめた。
その娘さんがひでこさんなのだった。
ひでこさんだって生きていれば九十歳の後半。
松山まで面倒を見にくるわけがないだろうに。
何を妄想しているかと思ったものの、あんまり嬉しそうに
話すから、
それはよかったねえと話を合わせた。
歳を重ねると、昔を懐かしんじゃうんですかねえと、
笑ってしまった。
先だって、母が入居している介護施設の所長さんから
電話がかかってきた。
開口一番、みやいりさん、ほんとに申しわけありませんと
謝られた。なんだなんだ、どうした?
詳しく話を聞いたところ、
先日、新たに入居してきたおじいさんがいた。
そのおじいさんが昨日、下半身丸出しの格好で、母の部屋に
入って来て、母を押し倒したというのだった。
母が抵抗したらそのまま部屋を出て行ったというものの、
すぐにそのかたの家族に電話して退去してもらったという。
九十歳のばあさんに手を出すなんて、まともな頭じゃないと
察しはつくものの、
打ちどころがわるければ怪我をするところだった。
怖い思いをした母を不憫に思ってしまった。
後日、色ボケじいさんの息子さんの謝罪を受けた。
平謝りに謝る息子さんの話を聞けば、
今年になって認知症がひどくなっていたものの、
そんな迷惑までかけるとは想像できなかった。
すぐに精神病院の、鍵のかかる個室に入れたというのだった。
腹立たしい出来事だったけれど、親を独房のような個室に
閉じ込める息子さんも、切ないこととうかがえた。
長生きするのも善し悪しと、ため息が出たことだった。


歳重ね善し悪し分かる秋の蜂。


  


写真散歩が好きで

2022年10月14日

 へこりと at 10:36  | Comments(0)
神無月 3

仕事場の入口のわきに、零余子の葉とヘクソカズラの葉が
茂っている。
茎が雨どいにも絡んで、二階まで届きそうな勢いだった。
気がついたら、窓のかすかな隙間から、仕事場の中まで
ヘクソカズラが入っていた。あれよあれよと茎が伸びて、
入口まで届いている。
植物の健気なつよさに感心をしたのだった。
善光寺界隈の木々の緑が朱色を帯びてきた。
深まる秋の景色を眺めにどこへ行こうか、
算段をしてしているのだった。
出かけるときは、いつもカメラをぶら下げて行く。
使うのはもっぱらフジフイルムのカメラで、
手ごろなサイズで持ち運びが苦にならないのが好い。
二年前、著名な写真家が、今のフジのカメラには
初期の頃に有った、写りの柔らかさがなくなったと
こぼしているいるのを見つけた。
キレキレカリカリの、鮮やかな写りは好みでなく、
色味も輪郭も、弱い設定にして撮っている。そんな身は、
写りの柔らかさが気になってしまい、
アマゾンで物色したら、九年前の最初期モデルの新品が、
値崩れした価格で売っていた。迷わずポチっとしたのだった。
手元に届いて、昨年買ったカメラと撮り比べてみたら、
たしかに景色の輪郭が柔らかく、色味も優しい。
機能が少なく不便なこともあるけれど、
好みの写りが手に入り嬉しいことだった。
別の著名な写真家が、フジのカメラは、
写真を撮らなくても触っているだけで愛しいと
言っていた。
最新型は性能も格段に向上して、キレのある写りを
するけれど、絵写りもカメラ本体にも、
フジ独特の情緒のある佇まいが薄くなった。
他のメーカーのカメラと変わり映えしなくなって、
さみしいことだった。
物への愛着は、性能の良さだけでは語れないのだった。
先日、ふと思いついてにアマゾンで検索したら、
なんと、手元の最初期モデルの後継機種の新品が、
これまた値崩れした価格で売っていた。
うっ、見つけてしまった。まずい、まずいぞ。
三日間迷いに迷って、ポチっとしてしまった。
こんなことばかりしているから、ちっともお金が
貯まらないのだった。

初紅葉古いカメラをぶらさげて。


  


松茸詣でに

2022年10月07日

 へこりと at 09:14  | Comments(0)

神無月 2

上田の町が好きで、ときどき訪れている。
上田駅のお城口を出て、松尾町の信号を左に曲がると、
桂旅館という古びた宿が在る。
その外観からは想像がつかないが、じつはイタリアンの評判の
良い宿なのだった。
秋になると、松茸のイタリアンを提供しているということで、
友だち八人と松茸詣でに足を運んだ。
日曜日の昼どきにおじゃまをすれば、
愛想の好い女将さんが迎えてくれた。
料理を作るのは女将さんの息子さんで、とても上質な松茸が
手に入ったといい、松茸のスープからまるまる一本の蒸し焼きに、
リゾットに,自家製の優しい味わいのコンソメスープをもとにした
料理がつづく。息子さんはソムリエの資格を持っていて、
ワインを所望したら、あれこれいろいろ並べてくれる。
日本酒は、上田の岡崎酒造さんの亀齢を提供していて、
地元の銘酒が酌めるのもありがたいことだった。
旅館は創業して36年という。ご先祖さんが別の地で、
別の商売をしていたときの、江戸時代からの建物を移築して、
あちこち手を加えて使っているという。
旨い酒を交わしながら、つぎつぎと出てくる松茸料理に腹が
いっぱいになり、最後の松茸を添えたステーキは、とても入らず、
同行した年下の友だちに食べてもらった。
松茸のイタリアンは初めての経験だったから、
新鮮な味わいにまこと満足をしたのだった。
この日は、長野市川中島町で幻舞を醸すお蔵さんの、
千野さんご夫妻も同行していただいた。食事を終えて腹ごなしに、
千野さんご夫妻と柳町にある岡崎酒造さんまで訪ねて行った。
千野さんの幻舞も、岡崎さんの亀齢も、
跡取り娘さんが杜氏を務めている。その味の好さに、
すっかり手に入りづらい銘柄になっているのだった。
岡崎さんの御好意で蔵の中を見せてもらえば、造りの場は
きれいに清掃されていて、こざっぱりと気持ちが好い。
石高は500石といい、これ以上増産する気はないというから、
無理のない姿勢で造りをしているとうかがえた。
蔵見学の礼を述べて、通りを下って行けば、
時刻も薄暮の頃となってちょうどよい。
ふたたび同行した友だちと、駅前の幸村で合流して、
二次会と相成った。けれど、昼間の松茸がまだこなれず、
ろくろく料理も頼まぬまま日本酒の杯を重ね、
記憶をなくしたのだった。
桂旅館、またイタリアンを頂きながら、おじゃましたいことだった。

腹くちい老舗旅館の松茸に


  


秋酒をやりながら

2022年10月04日

 へこりと at 09:13  | Comments(0)

神無月 1

平日の午後6時になると、BSフジの植野食堂を観ている。
料理雑誌dancyuの編集長、植野広生さんが、
あちこちの飲食店を訪ねて、その店の看板メニューの
作り方を教わる番組だった。毎回旨そうな料理を作るさまを
観ながら、こちらは焼いた油揚げなんぞをつまみに、
酒を酌んでいる。
せっかく観ているのだから、まねをして、気を入れた
酒の肴を作ればいいものを、不精な身は、塩か醤油で
肉や野菜を炒めるだけで、あとはナスの塩もみでも
あれば充分の、晩酌生活なのだった。寒さが増してくれば、
鍋で一杯の夜がつづく。ひとりの鍋は具材はせいぜい
一つか二つ。
手間をかけずにすぐ飲めるのが好い。
仕事柄、仕事場に雑誌を幾種類か置いている。
dancyuも、以前定期購読をしていた。
ところが、デザートやら韓国料理やらラーメンやら、
毎回いろんな特集が載っているものの、
甘いものは食べないし、手の込んだ料理も作らない。
買ってもさらっと読むだけだった。
今は、毎年3月号の日本酒の特集と、たまに載る、
焼酎やワインの特集の時だけ買っているのだった。
この頃、パソコンを開いてdancyuのホームページを
覗いたら、大竹聡さんという作家が、
東京界隈の飲み屋を紹介する記事を連載していた。
いろんな店を巡って飲み食いする様子が、
まことに楽しそうに描かれていて、読んでいると、
もう仕事やめて飲むかの気分になっていけない。
著書も読んでみたいと思い、先日、
「ずぶ六の四季」という随筆を取り寄せた。
自らの酒にまつわる様子を綴った内容で、
読んでいくと、まあよく飲むかただった。
酒ならなんでもござれなかたで、日本酒は本醸造で、
焼酎は宝で、ウイスキーなら角と、手ごろな値段の
銘柄を好んで飲んでいる。
自宅はむろんのこと、馬券握って競馬場に
いるときも、旅先や、沖釣り船に乗ったときも、
ずっと飲んでいる。まだ子供が
よちよち歩きだった頃、公園で遊ぶ姿を見ながら
飲んでいたというからあきれた。
痛風で、もがき苦しんでいても飲み、
ひどい二日酔いに苦しんでいるときも飲み、
お前はバカかと自問しながらはしご酒をしていると
いう。そしてよく食べる。
あんかけ焼きそばシュウマイもつ焼き刺身焼き魚に、果ては
クマの肉まで、なんでもつまみにしてぐいぐい飲む。
正月には、雑煮を食べながら飲むといい、
餅、つまみにするか?とまたあきれた。
同世代のかただけど、このかたの酒に比べると、
我が身の酒などまだかわいいもんだと、つくづく
恐れ入ったのだった。

新酒酌むその勢いのはしごかな。