飯山の菜の花へ
卯月 10
飯綱町へ出かけた。
先週、丹霞郷の桃の花を見にいったら、
蕾の枝が多かった。
一週間を経て、やさしい色の花が畑に満ちて、
菜の花の黄色にかさなっていた。
三脚を立てて写真を撮っていたおじさんが、
黄砂がなあとぼやく。
砂のおかげで、彼方の北信五岳がかすんでいて、
桃の花と菜の花と残雪の山やまの組み合わせに、
水をさしているのだった。
畑を下りて豊野町を抜け、飯山へと足を延ばす。
菜の花公園の菜の花が、見頃になったのだった。
いつも5月の連休あたりが盛りで、
たくさんの人でにぎわう。
今年は早くに咲いて、
公園いっぱいに、鮮やかな黄色がひろがっていた。
連休前で人の姿も多くない。
蜂の羽音とうぐいすの声を聞きながら、
のんびりと、花の間をひとまわりした。
公園をはなれて北竜湖に行くと、
こちらの菜の花も見頃になっていて、
対岸の里山が色づいてきていた。
しずかな湖面が風に揺れ、岸辺の桜が散っていく。
ひげ面の若者が、ぽつんと釣竿をたらしていた。
来た道をひき返したら、
そのまま福島地区の坂を上がっていく。
阿弥陀堂だよりは好い映画だった。
思いだしながら、
ロケに使われた、幼稚園の前を過ぎていく。
延々とした棚田にたどり着くと、
枯れた田んぼで、
おばあさんがうずくまって、もくもくと作業をしていた。
広い空にうぐいすの声が消えていき、
田んぼのわきを、
がぼがぼと山からの水が流れていく。
ぽつりぽつりと立っている道祖神は、
みな、やさしいお顔をされている。
阿弥陀堂の前に立てば、
陽射しにひかる千曲川の川面が見えて、
北信濃の春の眺めに、気分が清々としたのだった。

飯綱町へ出かけた。
先週、丹霞郷の桃の花を見にいったら、
蕾の枝が多かった。
一週間を経て、やさしい色の花が畑に満ちて、
菜の花の黄色にかさなっていた。
三脚を立てて写真を撮っていたおじさんが、
黄砂がなあとぼやく。
砂のおかげで、彼方の北信五岳がかすんでいて、
桃の花と菜の花と残雪の山やまの組み合わせに、
水をさしているのだった。
畑を下りて豊野町を抜け、飯山へと足を延ばす。
菜の花公園の菜の花が、見頃になったのだった。
いつも5月の連休あたりが盛りで、
たくさんの人でにぎわう。
今年は早くに咲いて、
公園いっぱいに、鮮やかな黄色がひろがっていた。
連休前で人の姿も多くない。
蜂の羽音とうぐいすの声を聞きながら、
のんびりと、花の間をひとまわりした。
公園をはなれて北竜湖に行くと、
こちらの菜の花も見頃になっていて、
対岸の里山が色づいてきていた。
しずかな湖面が風に揺れ、岸辺の桜が散っていく。
ひげ面の若者が、ぽつんと釣竿をたらしていた。
来た道をひき返したら、
そのまま福島地区の坂を上がっていく。
阿弥陀堂だよりは好い映画だった。
思いだしながら、
ロケに使われた、幼稚園の前を過ぎていく。
延々とした棚田にたどり着くと、
枯れた田んぼで、
おばあさんがうずくまって、もくもくと作業をしていた。
広い空にうぐいすの声が消えていき、
田んぼのわきを、
がぼがぼと山からの水が流れていく。
ぽつりぽつりと立っている道祖神は、
みな、やさしいお顔をされている。
阿弥陀堂の前に立てば、
陽射しにひかる千曲川の川面が見えて、
北信濃の春の眺めに、気分が清々としたのだった。
取材を受けて
卯月 9
善光寺界隈の木々の緑が冴えてきた。
穏やかな陽気に誘われて、門前に観光客の姿が増えている。
おもての通りからそれた、路地のわきで暮らしている。
朝夕の、学生や勤め人の行き来がなくなると、
歩く人の姿もなく、あせた静けさの中、
日がな一日すごしている。
暖かくなって、雀の鳴き声も増えたなあ。
静かすぎて、そんなことにも気を取られているのだった。
四月初日、渋いイケメンのかたが訪ねて来た。
渡された名刺に、信濃毎日新聞の加賀さんとあり、
取材をさせてくれというのだった。
仕事場の前に、二十四節季の七十二候と、
ひと言メッセージを書いた看板を出している。
町を歩いては、記事のネタを探しているといい、
目に留まったというのだった。
それはとてもありがたいことで、
宣伝というほどのことではないが、
通るかたに、気を向けてもらいたくて始めた旨を伝えた。
次の日、ひまつぶしに、
仕事場の裏の草取りをして戻ってきたら、
看板に目を凝らしている女性が立っていた。
よそから来たかたと察しがついて声をかけたら、
高山村から来たという。
昨年、東京から高山村に嫁いできた。
近々、東京の友だちが遊びに来るから、
善光寺界隈を案内したい。
下調べに散策をしていて、目に留めてくれたのだった。
ひと気のない路地にも、まれに佇むかたが来てくれて、
言葉のやりとりが楽しいこととなる。
二日のちの夕方、
近所のかたから電話がかかってきた。
夕刊見たわよ~というから、載ったのだとわかった。
コンビニで、一部求めて覗いてみたら、
とりとめなく話したことを、
要領よくまとめてあって感心した。
写真写りのわるさだけは、なんともさえないのだった。

善光寺界隈の木々の緑が冴えてきた。
穏やかな陽気に誘われて、門前に観光客の姿が増えている。
おもての通りからそれた、路地のわきで暮らしている。
朝夕の、学生や勤め人の行き来がなくなると、
歩く人の姿もなく、あせた静けさの中、
日がな一日すごしている。
暖かくなって、雀の鳴き声も増えたなあ。
静かすぎて、そんなことにも気を取られているのだった。
四月初日、渋いイケメンのかたが訪ねて来た。
渡された名刺に、信濃毎日新聞の加賀さんとあり、
取材をさせてくれというのだった。
仕事場の前に、二十四節季の七十二候と、
ひと言メッセージを書いた看板を出している。
町を歩いては、記事のネタを探しているといい、
目に留まったというのだった。
それはとてもありがたいことで、
宣伝というほどのことではないが、
通るかたに、気を向けてもらいたくて始めた旨を伝えた。
次の日、ひまつぶしに、
仕事場の裏の草取りをして戻ってきたら、
看板に目を凝らしている女性が立っていた。
よそから来たかたと察しがついて声をかけたら、
高山村から来たという。
昨年、東京から高山村に嫁いできた。
近々、東京の友だちが遊びに来るから、
善光寺界隈を案内したい。
下調べに散策をしていて、目に留めてくれたのだった。
ひと気のない路地にも、まれに佇むかたが来てくれて、
言葉のやりとりが楽しいこととなる。
二日のちの夕方、
近所のかたから電話がかかってきた。
夕刊見たわよ~というから、載ったのだとわかった。
コンビニで、一部求めて覗いてみたら、
とりとめなく話したことを、
要領よくまとめてあって感心した。
写真写りのわるさだけは、なんともさえないのだった。
飯綱町へ
卯月 8
穏やかな陽気になって、善光寺界隈に観光客の姿が増えた。
爽やかな緑の季節が訪れて、気持ちも清々とするのだった。
休日の朝、
SBC通りのすき家で朝食を済ませてから、
飯綱町の丹霞郷へむかった。
バイクに乗って、ひと気のない北国街道を走っていく。
おおきな通りに出てから右に曲がったら、
満開の山桜がむかえてくれた。
そのまま進んで行くと、桃の花の里は、見頃にはあと少し。
それでも陽当たりの好い畑では、
枝々にやさしい色の花が顔を見せていた。
その先の菜の花畑は満開になっていて、
黄色い花が風に揺れていた。
飯綱、戸隠、黒姫、斑尾、妙高。
すこしかすんだ空気のむこうには、
残雪の北信五岳がそびえている。
畑の中では、
ぽつりぽつりと剪定をしている人の姿が見える。
どこぞで工事をしているのか、
狭い農道を、ときどきトラックが走っていく。
畑のあちこちにはタンポポも咲いて、
野焼きの煙がのんびりと、暖かな空に上がっていった。
菜の花畑の前では、先客のカップルが、
それぞれカメラを構えて写真を撮っていた。
あいさつをしようとしたものの、
そっけない顔つきに声をかけそびれ、
こちらも春の景色に専念することにする。
ゆっくりと畑の斜面を下りていけば、
なめらかなうぐいすの声が聞こえる。
枯れた田んぼの水たまりでは、しずかに蛙が鳴いていて、
春から初夏へ。
すでにそんな気配があるのだった。
澄んだ空気を吸いながら、
桃は来週あたりが見頃と、再訪をきめたのだった。
今日のお昼は、友だちと酌み交わす予定が入っている。
桃の花が咲いたから。
菜の花の黄色が鮮やかだったから。
残雪の山並みが雄大だったから。
不謹慎な昼酒の言い訳には、充分なことなのだった。

穏やかな陽気になって、善光寺界隈に観光客の姿が増えた。
爽やかな緑の季節が訪れて、気持ちも清々とするのだった。
休日の朝、
SBC通りのすき家で朝食を済ませてから、
飯綱町の丹霞郷へむかった。
バイクに乗って、ひと気のない北国街道を走っていく。
おおきな通りに出てから右に曲がったら、
満開の山桜がむかえてくれた。
そのまま進んで行くと、桃の花の里は、見頃にはあと少し。
それでも陽当たりの好い畑では、
枝々にやさしい色の花が顔を見せていた。
その先の菜の花畑は満開になっていて、
黄色い花が風に揺れていた。
飯綱、戸隠、黒姫、斑尾、妙高。
すこしかすんだ空気のむこうには、
残雪の北信五岳がそびえている。
畑の中では、
ぽつりぽつりと剪定をしている人の姿が見える。
どこぞで工事をしているのか、
狭い農道を、ときどきトラックが走っていく。
畑のあちこちにはタンポポも咲いて、
野焼きの煙がのんびりと、暖かな空に上がっていった。
菜の花畑の前では、先客のカップルが、
それぞれカメラを構えて写真を撮っていた。
あいさつをしようとしたものの、
そっけない顔つきに声をかけそびれ、
こちらも春の景色に専念することにする。
ゆっくりと畑の斜面を下りていけば、
なめらかなうぐいすの声が聞こえる。
枯れた田んぼの水たまりでは、しずかに蛙が鳴いていて、
春から初夏へ。
すでにそんな気配があるのだった。
澄んだ空気を吸いながら、
桃は来週あたりが見頃と、再訪をきめたのだった。
今日のお昼は、友だちと酌み交わす予定が入っている。
桃の花が咲いたから。
菜の花の黄色が鮮やかだったから。
残雪の山並みが雄大だったから。
不謹慎な昼酒の言い訳には、充分なことなのだった。
ゲストハウスが出来て。
卯月 7
玄関先のガマズミの葉が、日ごと大きくなっている。
蕾も膨らみはじめて、
初夏に、ちいさな白い花が咲くのが楽しみになる。
向かいの、松木さんのお宅のつたの枝からも、
ぐいぐいと、つやのある葉が出はじめた。
ずっと目にしてきた身近な景色が、
今さらながらに気持ちに留まるのは、
ふつうに暮らせるありがたさを、
感じられる歳になったせいかと思う。
ずいぶん久しぶりのかたが訪ねて来た。
はるばる上田市から、電車に乗って来てくれるのだった。
若いころ、長野に暮らしていたかただった。
このごろは、来るたびに町の景色があたらしくなって、
すこしさびしいという。
それでも善光寺門前は、昔の風情がのこり、
季節折々の彩りがある。
訪れてくれるたびに、気持ちが和むのかもしれない。
何年か前から、
門前暮らしを勧める活動をしているかたがたがいる。
おかげで、空き家を活用して店を始めたり、
家族で暮らし始めるかたがたが増えた。
住んでいる東之門町の、司食堂の二軒下に、
長らく空き家になっている古民家がある。
昨年、若いかたがゲストハウスを始めると知らせがあり、
しばらくすると、職人さんたちが入りはじめた。
今年の桜の季節がおわるころ、家の前に看板が出た。
ドットホステルナガノといい、
外人相手の仕事をしてきた、原義直さんが営むという。
ようこそ東之門町へ。
開業の前日、
伏見の、澤屋まつもとの一升瓶を手土産に、
オープニングパーティーに寄らせていただいた。
近隣の見知ったかたがたも駆けつけて、
あたらしいかたの暮らしのはじまりを、
にぎやかに歓迎した。
ゲストハウスには日本酒バーも併設されて、
県内の酒を中心に提供するという。
近所にたちのわるい酒飲みがいるから気をつけろ。
だれかに吹き込まれていないか、
それだけが心配なのだった。

玄関先のガマズミの葉が、日ごと大きくなっている。
蕾も膨らみはじめて、
初夏に、ちいさな白い花が咲くのが楽しみになる。
向かいの、松木さんのお宅のつたの枝からも、
ぐいぐいと、つやのある葉が出はじめた。
ずっと目にしてきた身近な景色が、
今さらながらに気持ちに留まるのは、
ふつうに暮らせるありがたさを、
感じられる歳になったせいかと思う。
ずいぶん久しぶりのかたが訪ねて来た。
はるばる上田市から、電車に乗って来てくれるのだった。
若いころ、長野に暮らしていたかただった。
このごろは、来るたびに町の景色があたらしくなって、
すこしさびしいという。
それでも善光寺門前は、昔の風情がのこり、
季節折々の彩りがある。
訪れてくれるたびに、気持ちが和むのかもしれない。
何年か前から、
門前暮らしを勧める活動をしているかたがたがいる。
おかげで、空き家を活用して店を始めたり、
家族で暮らし始めるかたがたが増えた。
住んでいる東之門町の、司食堂の二軒下に、
長らく空き家になっている古民家がある。
昨年、若いかたがゲストハウスを始めると知らせがあり、
しばらくすると、職人さんたちが入りはじめた。
今年の桜の季節がおわるころ、家の前に看板が出た。
ドットホステルナガノといい、
外人相手の仕事をしてきた、原義直さんが営むという。
ようこそ東之門町へ。
開業の前日、
伏見の、澤屋まつもとの一升瓶を手土産に、
オープニングパーティーに寄らせていただいた。
近隣の見知ったかたがたも駆けつけて、
あたらしいかたの暮らしのはじまりを、
にぎやかに歓迎した。
ゲストハウスには日本酒バーも併設されて、
県内の酒を中心に提供するという。
近所にたちのわるい酒飲みがいるから気をつけろ。
だれかに吹き込まれていないか、
それだけが心配なのだった。
安茂里の菜の花
卯月 6
ひと晩降りつづいた雨で、
氏神さんの桜がすっかり散った。
階段や石畳のあちこちに花びらが張りついて、
今年の桜が終いになったのだった。
隙間のできた枝々のむこうの菅平に、
名残りの厚い雲がかかっていた。
青天の早朝、境内でラジオ体操をしていたら、
路地を走ってくる人がいる。
勢いよく階段を駆け上がってきたのは、
めがねをかけた若い女性で、
右手にりっぱなカメラを持っている。
おっ、なにを撮るんですかと声をかけたら、
あっちをと、東の空を指さしながら過ぎていった。
撮影ポイントは、こちらも気に入りですと察しがついた。
神社を抜けて上がっていくと、料理屋の万佳亭がある。
その先のあずま屋の前から、
志賀の山並みからの日の出が、好く見えるのだった。
日の出前に日の出後は、光の気配がひたひた変わる。
急ぐ気持ちに合点がいった。
朝いちばんの元気に感心したら、
愛車のスージーのペダルをこいで、
裾花川の土手まで出かけた。
菜の花が見頃になっていたのだった。
水かさが増して、景気よく流れる川に沿って、
冴えた黄色がつづいている。
その先には、
マルコメ味噌の工場沿いにしだれ桜が連なって、
毎年いちどに楽しめるのだった。
菜の花は、飯山へも眺めに行っている。
いつも五月の連休当りに満開になるのに、
今年は早そうだという。
毎日、飯山観光協会のホームページで確かめては、
見頃どきと休日が折り合うか気にしている。
川を渡って戻っていくと、
県庁の前の街路樹が芽吹いていた。
中央通りの街路樹の葉も目を引いて、
清々と、季節の移りを感じるのだった。

ひと晩降りつづいた雨で、
氏神さんの桜がすっかり散った。
階段や石畳のあちこちに花びらが張りついて、
今年の桜が終いになったのだった。
隙間のできた枝々のむこうの菅平に、
名残りの厚い雲がかかっていた。
青天の早朝、境内でラジオ体操をしていたら、
路地を走ってくる人がいる。
勢いよく階段を駆け上がってきたのは、
めがねをかけた若い女性で、
右手にりっぱなカメラを持っている。
おっ、なにを撮るんですかと声をかけたら、
あっちをと、東の空を指さしながら過ぎていった。
撮影ポイントは、こちらも気に入りですと察しがついた。
神社を抜けて上がっていくと、料理屋の万佳亭がある。
その先のあずま屋の前から、
志賀の山並みからの日の出が、好く見えるのだった。
日の出前に日の出後は、光の気配がひたひた変わる。
急ぐ気持ちに合点がいった。
朝いちばんの元気に感心したら、
愛車のスージーのペダルをこいで、
裾花川の土手まで出かけた。
菜の花が見頃になっていたのだった。
水かさが増して、景気よく流れる川に沿って、
冴えた黄色がつづいている。
その先には、
マルコメ味噌の工場沿いにしだれ桜が連なって、
毎年いちどに楽しめるのだった。
菜の花は、飯山へも眺めに行っている。
いつも五月の連休当りに満開になるのに、
今年は早そうだという。
毎日、飯山観光協会のホームページで確かめては、
見頃どきと休日が折り合うか気にしている。
川を渡って戻っていくと、
県庁の前の街路樹が芽吹いていた。
中央通りの街路樹の葉も目を引いて、
清々と、季節の移りを感じるのだった。
臥竜公園へ
卯月 5
夜半に雨が降ったらしい。
地面が濡れて、朝の空気が冷え込んでいる。
桜を眺めに、須坂の臥竜公園に出かけた。
電車に揺られていくと、村山橋の下の畑にも、
見ごろの桜が揺れていた。
駅を出て、ひと気のない通りを上がっていく。
気になっていた、天ぷら屋の招福は、
店名が、かがやきに変わっていた。
天ぷら屋らしくない名前と、ま新しい看板を眺めた。
須坂高校の桜を見上げ、
小山小学校のグラウンドの桜を見上げ、
その先の、通り沿いの桜を眺めて、わき道を行くと、
臥竜公園の桜が見えてくるのだった。
駐車場につぎつぎと車が入ってきて、
誘導係のおじさんがいそがしい。竜ヶ池のまわりの、
ソメイヨシノやしだれ桜が見ごろとなって、
平日でも、たくさんの人が訪れているのだった。
年配のご夫婦や若いカップルに、関西弁の団体や、
でかい声の、
アジアの言葉のグループとすれちがいながら、
名所百選の桜を眺めた。
池のまわりにはおでん屋が立ち並び、
味の染みたおでんを売っている。
一軒に立ち寄って、
おでんとビールでくつろいでいたら、
青い運動着の中学生たちが過ぎていく。
午前の明るさの中、
健全な子供たちにぞろぞろと見られると、
やさぐれた酔っぱらいは、少々うしろめたいのだった。
風が止まず、桜の枝を揺らしている。
あおられた花弁が池に散って、
おわりの気配を見せていた。
前日の日曜日は陽気も良くて、
歩けないほどの人でにぎわったという。
うってかわって
肌さむい中の、今年さいごの桜詣でとなったのだった。
公園を出て、昼どきをまわった通りを下りていく。
和食か中華か蕎麦か。
ちょっと迷って、旬菜古民家ゆるりへと向かった。
初めての店は人気があるようで、
女性客で混んでいる。
ねぎとろイクラ丼をお願いして、
待つあいだ燗酒を酌んでいれば、
さむくてふるえていた身も、
ようやくゆるんでくるのだった。

夜半に雨が降ったらしい。
地面が濡れて、朝の空気が冷え込んでいる。
桜を眺めに、須坂の臥竜公園に出かけた。
電車に揺られていくと、村山橋の下の畑にも、
見ごろの桜が揺れていた。
駅を出て、ひと気のない通りを上がっていく。
気になっていた、天ぷら屋の招福は、
店名が、かがやきに変わっていた。
天ぷら屋らしくない名前と、ま新しい看板を眺めた。
須坂高校の桜を見上げ、
小山小学校のグラウンドの桜を見上げ、
その先の、通り沿いの桜を眺めて、わき道を行くと、
臥竜公園の桜が見えてくるのだった。
駐車場につぎつぎと車が入ってきて、
誘導係のおじさんがいそがしい。竜ヶ池のまわりの、
ソメイヨシノやしだれ桜が見ごろとなって、
平日でも、たくさんの人が訪れているのだった。
年配のご夫婦や若いカップルに、関西弁の団体や、
でかい声の、
アジアの言葉のグループとすれちがいながら、
名所百選の桜を眺めた。
池のまわりにはおでん屋が立ち並び、
味の染みたおでんを売っている。
一軒に立ち寄って、
おでんとビールでくつろいでいたら、
青い運動着の中学生たちが過ぎていく。
午前の明るさの中、
健全な子供たちにぞろぞろと見られると、
やさぐれた酔っぱらいは、少々うしろめたいのだった。
風が止まず、桜の枝を揺らしている。
あおられた花弁が池に散って、
おわりの気配を見せていた。
前日の日曜日は陽気も良くて、
歩けないほどの人でにぎわったという。
うってかわって
肌さむい中の、今年さいごの桜詣でとなったのだった。
公園を出て、昼どきをまわった通りを下りていく。
和食か中華か蕎麦か。
ちょっと迷って、旬菜古民家ゆるりへと向かった。
初めての店は人気があるようで、
女性客で混んでいる。
ねぎとろイクラ丼をお願いして、
待つあいだ燗酒を酌んでいれば、
さむくてふるえていた身も、
ようやくゆるんでくるのだった。
桜が見頃に
卯月 4
善光寺門前界隈の桜が見頃をむかえた。
氏神さんの桜は、石垣の上からのびのびと枝を伸ばし、
毎朝、路地から見上げている。
料理屋の万佳亭のわきの桜を眺め、
階段を下りていく。
長野電鉄の線路沿いを歩いていくと、
ガスタンクのうす緑に、桜が色を添えていた。
県立短大の桜を眺め、
城山団地の、桜並木の階段を上がっていく。
招魂社の桜を眺めてから、
アザラシのひしゃげた鳴き声を聞きながら、
動物園の桜を眺めた。
気象台の坂を上がって、
むかしのNHKの裏手の桜を眺めて戻るころ、
桜のむこう、眼下の町並みを、
朝陽が照らし出すのだった。
ひさしぶりの友だちと、したたかに酌み交わした翌朝、
屋根をたたく雨の音で目が覚めた。
桜の季節になると、
たいていひとつかふたつ天気がくずれる。
二日酔いのだるい気分を持て余しながら、
日がな一日、桜の案配を気にしていた。
翌朝、路地に出てみれば、
雨風に耐えた、氏神さんの桜が曇天の空に映えている。
城山公園の桜も咲き満ちて、
清楚な、制服姿の清泉女学院の学生たちが歩いていく。
野球場跡の公園の桜も成長して、
今年はずいぶんと見ばえが好い。
高台の神社の境内には、5軒の花見小屋が建っていて、
この週末は、いちばんのかきいれ時とうかがえる。
こちらも馴染みのかたがたと、
連夜の予定が入っていてぬかりはない。
桜のひとときも、咲いてしまうとあっという間のことで、
眺めたそばから次の見所の算段となるのだった。

善光寺門前界隈の桜が見頃をむかえた。
氏神さんの桜は、石垣の上からのびのびと枝を伸ばし、
毎朝、路地から見上げている。
料理屋の万佳亭のわきの桜を眺め、
階段を下りていく。
長野電鉄の線路沿いを歩いていくと、
ガスタンクのうす緑に、桜が色を添えていた。
県立短大の桜を眺め、
城山団地の、桜並木の階段を上がっていく。
招魂社の桜を眺めてから、
アザラシのひしゃげた鳴き声を聞きながら、
動物園の桜を眺めた。
気象台の坂を上がって、
むかしのNHKの裏手の桜を眺めて戻るころ、
桜のむこう、眼下の町並みを、
朝陽が照らし出すのだった。
ひさしぶりの友だちと、したたかに酌み交わした翌朝、
屋根をたたく雨の音で目が覚めた。
桜の季節になると、
たいていひとつかふたつ天気がくずれる。
二日酔いのだるい気分を持て余しながら、
日がな一日、桜の案配を気にしていた。
翌朝、路地に出てみれば、
雨風に耐えた、氏神さんの桜が曇天の空に映えている。
城山公園の桜も咲き満ちて、
清楚な、制服姿の清泉女学院の学生たちが歩いていく。
野球場跡の公園の桜も成長して、
今年はずいぶんと見ばえが好い。
高台の神社の境内には、5軒の花見小屋が建っていて、
この週末は、いちばんのかきいれ時とうかがえる。
こちらも馴染みのかたがたと、
連夜の予定が入っていてぬかりはない。
桜のひとときも、咲いてしまうとあっという間のことで、
眺めたそばから次の見所の算段となるのだった。
上田の桜へ
卯月 3
上田城跡公園の桜が、見頃をむかえたという。
休日の朝、雨降りの中、電車に乗って出かけた。
沿線の住宅街や畑の中の、
梅や桃や桜を眺めながら着けば、
折よく雨も止んで、太陽が顔を出す。
上田高校の、古い門の前の桜をすぎて行くと、
春休みのしずかな校舎から、
コントラバスの重厚な響きが聞こえてきた。
大河ドラマの真田丸が始まって、
今年は上田へ訪れる人が多い。
公園に入っていくと、
ボランティアのおじさんの説明に耳をかたむける、
お年寄りの団体に、
春休みの子供を連れた家族連れに、
若い男女のグループに、
午前から、たくさんの人でにぎわっていた。
大河ドラマ館のむかいがわに、
長屋のように店が並んだ、真田茶屋ができていた。
焼き鳥におやきにこねつけにだんごと、
地元の味を提供しているのだった。
さっそく一番搾りを飲みながら、
名物の美味だれ焼き鳥をほおばった。
城門の前では、満開のしだれ桜を背景に、
観光客が、
おもてなし武将隊の面々と、写真に納まっている。
真田神社にお参りをして歩いていくと、
お堀に沿って、もうすぐ満開のソメイヨシノが、
鮮やかに映えていた。
6日からの千本桜祭りのために、
あちこちで、テキヤのお兄さんたちが、
屋台の準備にいそがしい。
見ばえの好い場所では、
年配のおじさんたちがカメラを並べ、
大砲のようなレンズを、お堀の中の桜に向けていた。
ちっちゃな子供を連れたお母さんに、
芝生で弁当を広げる親子連れに、
犬の散歩をするおじさんに、
部活帰りの女子高生たちは、スマホに桜をおさめては、
すぐにメールを打っている。
遠くから近くから、桜を愛でに訪れているのだった。
ひとまわりして城門を出たら、
真田茶屋は、ますますひとだかりができていた。
もういちど、缶チューハイと焼き鳥でひと休みとした。
桜に染まった石垣と櫓の公園に、
しみじみと、春は好いなあと癒されたのだった。

上田城跡公園の桜が、見頃をむかえたという。
休日の朝、雨降りの中、電車に乗って出かけた。
沿線の住宅街や畑の中の、
梅や桃や桜を眺めながら着けば、
折よく雨も止んで、太陽が顔を出す。
上田高校の、古い門の前の桜をすぎて行くと、
春休みのしずかな校舎から、
コントラバスの重厚な響きが聞こえてきた。
大河ドラマの真田丸が始まって、
今年は上田へ訪れる人が多い。
公園に入っていくと、
ボランティアのおじさんの説明に耳をかたむける、
お年寄りの団体に、
春休みの子供を連れた家族連れに、
若い男女のグループに、
午前から、たくさんの人でにぎわっていた。
大河ドラマ館のむかいがわに、
長屋のように店が並んだ、真田茶屋ができていた。
焼き鳥におやきにこねつけにだんごと、
地元の味を提供しているのだった。
さっそく一番搾りを飲みながら、
名物の美味だれ焼き鳥をほおばった。
城門の前では、満開のしだれ桜を背景に、
観光客が、
おもてなし武将隊の面々と、写真に納まっている。
真田神社にお参りをして歩いていくと、
お堀に沿って、もうすぐ満開のソメイヨシノが、
鮮やかに映えていた。
6日からの千本桜祭りのために、
あちこちで、テキヤのお兄さんたちが、
屋台の準備にいそがしい。
見ばえの好い場所では、
年配のおじさんたちがカメラを並べ、
大砲のようなレンズを、お堀の中の桜に向けていた。
ちっちゃな子供を連れたお母さんに、
芝生で弁当を広げる親子連れに、
犬の散歩をするおじさんに、
部活帰りの女子高生たちは、スマホに桜をおさめては、
すぐにメールを打っている。
遠くから近くから、桜を愛でに訪れているのだった。
ひとまわりして城門を出たら、
真田茶屋は、ますますひとだかりができていた。
もういちど、缶チューハイと焼き鳥でひと休みとした。
桜に染まった石垣と櫓の公園に、
しみじみと、春は好いなあと癒されたのだった。
桜が咲いて
卯月 2
暖かくなって、善光寺へお参りに来る人の姿が増えた。
早朝、町をひとまわり歩いていれば、行く先々で、
色とりどりの運動着のランナーを見かけ、
長野マラソンの日が近い。
玄関先のガマズミが芽吹いて、
日ごと緑の葉が増えている。
氏神さんの桜の木も、
冬の合い間に暖かい日もつづいたせいか、
いつもより、蕾の膨らみかたが早い。
毎年、近くの桜に、すこし遠くの桜を愛でている。
昨年は、陽気の好い日がつづいて、
あちこちで一斉に開花した。
見頃のときと都合が合わず、
上田城跡公園で、散りゆくしだれ桜を見上げ、
須坂の臥竜公園では、雨に降られて早々に退散して、
飯山の城址公園では、
すっかりの葉桜に肩を落としたのだった。
今年もすでに、上田城跡公園のしだれ桜は、
満開になったというから落ちつかない。
桜詣での算段に、気もそぞろになってしまうのだった。
卯月初日。朝、氏神さんの階段を上がったら、
蕾がひとつ開いていた。
午後になり、ふたたび確かめたら、
さらにいくつか開いていた。
残雪の菅平を背景に、石垣から伸びた枝々は、
連日の穏やかな陽を浴びて、
満開の日もすぐなのだった。
料理屋の、万佳亭をすぎた先の桜の木々も、
陽当たりの好さにつられて、
いくつか開いていた。
城山公園の、桜並木の蕾もずいぶんと膨らんで、
今週には開花する気配がある。
敷地の中には、早々にに花見小屋が建てられた。
昨年は開花が早すぎて、見頃の稼ぎどきをのがした。
今年はぬかりなく、準備万端整えている。
門前界隈に、
今年の春のにぎやかさがやってくるのだった。

暖かくなって、善光寺へお参りに来る人の姿が増えた。
早朝、町をひとまわり歩いていれば、行く先々で、
色とりどりの運動着のランナーを見かけ、
長野マラソンの日が近い。
玄関先のガマズミが芽吹いて、
日ごと緑の葉が増えている。
氏神さんの桜の木も、
冬の合い間に暖かい日もつづいたせいか、
いつもより、蕾の膨らみかたが早い。
毎年、近くの桜に、すこし遠くの桜を愛でている。
昨年は、陽気の好い日がつづいて、
あちこちで一斉に開花した。
見頃のときと都合が合わず、
上田城跡公園で、散りゆくしだれ桜を見上げ、
須坂の臥竜公園では、雨に降られて早々に退散して、
飯山の城址公園では、
すっかりの葉桜に肩を落としたのだった。
今年もすでに、上田城跡公園のしだれ桜は、
満開になったというから落ちつかない。
桜詣での算段に、気もそぞろになってしまうのだった。
卯月初日。朝、氏神さんの階段を上がったら、
蕾がひとつ開いていた。
午後になり、ふたたび確かめたら、
さらにいくつか開いていた。
残雪の菅平を背景に、石垣から伸びた枝々は、
連日の穏やかな陽を浴びて、
満開の日もすぐなのだった。
料理屋の、万佳亭をすぎた先の桜の木々も、
陽当たりの好さにつられて、
いくつか開いていた。
城山公園の、桜並木の蕾もずいぶんと膨らんで、
今週には開花する気配がある。
敷地の中には、早々にに花見小屋が建てられた。
昨年は開花が早すぎて、見頃の稼ぎどきをのがした。
今年はぬかりなく、準備万端整えている。
門前界隈に、
今年の春のにぎやかさがやってくるのだった。
器の修理を
卯月 1
朝の明けるのが早くなり、夕方の陽も伸びてきた。
仕事を終えたあと、さらっとひと風呂浴びて、
明るさののこる外の気配を眺めながら、
伏見の、澤屋まつもとの燗酒なんぞを酌んでいれば、
これ以上のぜいたくはない気分になるのだった。
6畳の茶の間の茶箪笥に、酒器を置いてある。
ぐい呑みや盃、その日の気分でひとつ選んで、
酒を満たす。
器好きの友だちがいて、毎年五月の連休に、
岐阜の陶器市に出かけている。
そのたびに、
ぐい呑みを土産に買ってきてくれるのだった。
以前、晩酌をしていたときに、手がすべって、
ひとつ落としてしまったことがあった。
器はこわれるものとわかっていても、
せっかくの、友だちの好意に申しわけがない。
欠けた口を目にするたびに、
うしろめたい気持ちになっていた。
1月下旬、長野市民新聞の一面に目が留まる。
金継ぎという、器の修理を生業にしている
女性が載っていたのだった。
神川 梓さんは、高知県生まれで長野市在住。
古道具屋で働いていたときに、金継ぎを知ったという。
すぐにひらめいて、
欠けたぐい呑みの修理を、メールでお願いした。
金継ぎは、器の欠けた部分を漆で埋めて、
その上から、金や銀の粉を蒔く技のことをいう。
ゆっくりしっかりと漆を乾かすため、
仕上がるまでに、ひと月半ほどかかるのだった。
さくらの開花が、待ち遠しくなってきた3月下旬、
直りましたと連絡が来る。
届けてもらったぐい呑みを手にすれば、
黒地の肌に、ちいさな金色が好く似合う。
氏神さんの桜の蕾も明日には開く。
ちょっと冴えた顔つきになったぐい呑みに、
春の酒を酌む楽しみが増えたのだった。

朝の明けるのが早くなり、夕方の陽も伸びてきた。
仕事を終えたあと、さらっとひと風呂浴びて、
明るさののこる外の気配を眺めながら、
伏見の、澤屋まつもとの燗酒なんぞを酌んでいれば、
これ以上のぜいたくはない気分になるのだった。
6畳の茶の間の茶箪笥に、酒器を置いてある。
ぐい呑みや盃、その日の気分でひとつ選んで、
酒を満たす。
器好きの友だちがいて、毎年五月の連休に、
岐阜の陶器市に出かけている。
そのたびに、
ぐい呑みを土産に買ってきてくれるのだった。
以前、晩酌をしていたときに、手がすべって、
ひとつ落としてしまったことがあった。
器はこわれるものとわかっていても、
せっかくの、友だちの好意に申しわけがない。
欠けた口を目にするたびに、
うしろめたい気持ちになっていた。
1月下旬、長野市民新聞の一面に目が留まる。
金継ぎという、器の修理を生業にしている
女性が載っていたのだった。
神川 梓さんは、高知県生まれで長野市在住。
古道具屋で働いていたときに、金継ぎを知ったという。
すぐにひらめいて、
欠けたぐい呑みの修理を、メールでお願いした。
金継ぎは、器の欠けた部分を漆で埋めて、
その上から、金や銀の粉を蒔く技のことをいう。
ゆっくりしっかりと漆を乾かすため、
仕上がるまでに、ひと月半ほどかかるのだった。
さくらの開花が、待ち遠しくなってきた3月下旬、
直りましたと連絡が来る。
届けてもらったぐい呑みを手にすれば、
黒地の肌に、ちいさな金色が好く似合う。
氏神さんの桜の蕾も明日には開く。
ちょっと冴えた顔つきになったぐい呑みに、
春の酒を酌む楽しみが増えたのだった。