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飯山の菜の花へ

2016年04月26日

 へこりと at 13:34  | Comments(0)
卯月 10

飯綱町へ出かけた。
先週、丹霞郷の桃の花を見にいったら、
蕾の枝が多かった。
一週間を経て、やさしい色の花が畑に満ちて、
菜の花の黄色にかさなっていた。
三脚を立てて写真を撮っていたおじさんが、
黄砂がなあとぼやく。
砂のおかげで、彼方の北信五岳がかすんでいて、
桃の花と菜の花と残雪の山やまの組み合わせに、
水をさしているのだった。
畑を下りて豊野町を抜け、飯山へと足を延ばす。
菜の花公園の菜の花が、見頃になったのだった。
いつも5月の連休あたりが盛りで、
たくさんの人でにぎわう。
今年は早くに咲いて、
公園いっぱいに、鮮やかな黄色がひろがっていた。
連休前で人の姿も多くない。
蜂の羽音とうぐいすの声を聞きながら、
のんびりと、花の間をひとまわりした。
公園をはなれて北竜湖に行くと、
こちらの菜の花も見頃になっていて、
対岸の里山が色づいてきていた。
しずかな湖面が風に揺れ、岸辺の桜が散っていく。
ひげ面の若者が、ぽつんと釣竿をたらしていた。
来た道をひき返したら、
そのまま福島地区の坂を上がっていく。
阿弥陀堂だよりは好い映画だった。
思いだしながら、
ロケに使われた、幼稚園の前を過ぎていく。
延々とした棚田にたどり着くと、
枯れた田んぼで、
おばあさんがうずくまって、もくもくと作業をしていた。
広い空にうぐいすの声が消えていき、
田んぼのわきを、
がぼがぼと山からの水が流れていく。
ぽつりぽつりと立っている道祖神は、
みな、やさしいお顔をされている。
阿弥陀堂の前に立てば、
陽射しにひかる千曲川の川面が見えて、
北信濃の春の眺めに、気分が清々としたのだった。


  


取材を受けて

2016年04月24日

 へこりと at 09:46  | Comments(0)
卯月 9

善光寺界隈の木々の緑が冴えてきた。
穏やかな陽気に誘われて、門前に観光客の姿が増えている。
おもての通りからそれた、路地のわきで暮らしている。
朝夕の、学生や勤め人の行き来がなくなると、
歩く人の姿もなく、あせた静けさの中、
日がな一日すごしている。
暖かくなって、雀の鳴き声も増えたなあ。
静かすぎて、そんなことにも気を取られているのだった。
四月初日、渋いイケメンのかたが訪ねて来た。
渡された名刺に、信濃毎日新聞の加賀さんとあり、
取材をさせてくれというのだった。
仕事場の前に、二十四節季の七十二候と、
ひと言メッセージを書いた看板を出している。
町を歩いては、記事のネタを探しているといい、
目に留まったというのだった。
それはとてもありがたいことで、
宣伝というほどのことではないが、
通るかたに、気を向けてもらいたくて始めた旨を伝えた。
次の日、ひまつぶしに、
仕事場の裏の草取りをして戻ってきたら、
看板に目を凝らしている女性が立っていた。
よそから来たかたと察しがついて声をかけたら、
高山村から来たという。
昨年、東京から高山村に嫁いできた。
近々、東京の友だちが遊びに来るから、
善光寺界隈を案内したい。
下調べに散策をしていて、目に留めてくれたのだった。
ひと気のない路地にも、まれに佇むかたが来てくれて、
言葉のやりとりが楽しいこととなる。
二日のちの夕方、
近所のかたから電話がかかってきた。
夕刊見たわよ~というから、載ったのだとわかった。
コンビニで、一部求めて覗いてみたら、
とりとめなく話したことを、
要領よくまとめてあって感心した。
写真写りのわるさだけは、なんともさえないのだった。



  


飯綱町へ

2016年04月20日

 へこりと at 09:43  | Comments(0)
卯月 8

穏やかな陽気になって、善光寺界隈に観光客の姿が増えた。
爽やかな緑の季節が訪れて、気持ちも清々とするのだった。
休日の朝、
SBC通りのすき家で朝食を済ませてから、
飯綱町の丹霞郷へむかった。
バイクに乗って、ひと気のない北国街道を走っていく。
おおきな通りに出てから右に曲がったら、
満開の山桜がむかえてくれた。
そのまま進んで行くと、桃の花の里は、見頃にはあと少し。
それでも陽当たりの好い畑では、
枝々にやさしい色の花が顔を見せていた。
その先の菜の花畑は満開になっていて、
黄色い花が風に揺れていた。
飯綱、戸隠、黒姫、斑尾、妙高。
すこしかすんだ空気のむこうには、
残雪の北信五岳がそびえている。
畑の中では、
ぽつりぽつりと剪定をしている人の姿が見える。
どこぞで工事をしているのか、
狭い農道を、ときどきトラックが走っていく。
畑のあちこちにはタンポポも咲いて、
野焼きの煙がのんびりと、暖かな空に上がっていった。
菜の花畑の前では、先客のカップルが、
それぞれカメラを構えて写真を撮っていた。
あいさつをしようとしたものの、
そっけない顔つきに声をかけそびれ、
こちらも春の景色に専念することにする。
ゆっくりと畑の斜面を下りていけば、
なめらかなうぐいすの声が聞こえる。
枯れた田んぼの水たまりでは、しずかに蛙が鳴いていて、
春から初夏へ。
すでにそんな気配があるのだった。
澄んだ空気を吸いながら、
桃は来週あたりが見頃と、再訪をきめたのだった。
今日のお昼は、友だちと酌み交わす予定が入っている。
桃の花が咲いたから。
菜の花の黄色が鮮やかだったから。
残雪の山並みが雄大だったから。
不謹慎な昼酒の言い訳には、充分なことなのだった。



  


ゲストハウスが出来て。

2016年04月16日

 へこりと at 14:13  | Comments(0)
卯月 7

玄関先のガマズミの葉が、日ごと大きくなっている。
蕾も膨らみはじめて、
初夏に、ちいさな白い花が咲くのが楽しみになる。
向かいの、松木さんのお宅のつたの枝からも、
ぐいぐいと、つやのある葉が出はじめた。
ずっと目にしてきた身近な景色が、
今さらながらに気持ちに留まるのは、
ふつうに暮らせるありがたさを、
感じられる歳になったせいかと思う。
ずいぶん久しぶりのかたが訪ねて来た。
はるばる上田市から、電車に乗って来てくれるのだった。
若いころ、長野に暮らしていたかただった。
このごろは、来るたびに町の景色があたらしくなって、
すこしさびしいという。
それでも善光寺門前は、昔の風情がのこり、
季節折々の彩りがある。
訪れてくれるたびに、気持ちが和むのかもしれない。
何年か前から、
門前暮らしを勧める活動をしているかたがたがいる。
おかげで、空き家を活用して店を始めたり、
家族で暮らし始めるかたがたが増えた。
住んでいる東之門町の、司食堂の二軒下に、
長らく空き家になっている古民家がある。
昨年、若いかたがゲストハウスを始めると知らせがあり、
しばらくすると、職人さんたちが入りはじめた。
今年の桜の季節がおわるころ、家の前に看板が出た。
ドットホステルナガノといい、
外人相手の仕事をしてきた、原義直さんが営むという。
ようこそ東之門町へ。
開業の前日、
伏見の、澤屋まつもとの一升瓶を手土産に、
オープニングパーティーに寄らせていただいた。
近隣の見知ったかたがたも駆けつけて、
あたらしいかたの暮らしのはじまりを、
にぎやかに歓迎した。
ゲストハウスには日本酒バーも併設されて、
県内の酒を中心に提供するという。
近所にたちのわるい酒飲みがいるから気をつけろ。
だれかに吹き込まれていないか、
それだけが心配なのだった。




  


安茂里の菜の花

2016年04月15日

 へこりと at 12:19  | Comments(0)
卯月 6

ひと晩降りつづいた雨で、
氏神さんの桜がすっかり散った。
階段や石畳のあちこちに花びらが張りついて、
今年の桜が終いになったのだった。
隙間のできた枝々のむこうの菅平に、
名残りの厚い雲がかかっていた。
青天の早朝、境内でラジオ体操をしていたら、
路地を走ってくる人がいる。
勢いよく階段を駆け上がってきたのは、
めがねをかけた若い女性で、
右手にりっぱなカメラを持っている。
おっ、なにを撮るんですかと声をかけたら、
あっちをと、東の空を指さしながら過ぎていった。
撮影ポイントは、こちらも気に入りですと察しがついた。
神社を抜けて上がっていくと、料理屋の万佳亭がある。
その先のあずま屋の前から、
志賀の山並みからの日の出が、好く見えるのだった。
日の出前に日の出後は、光の気配がひたひた変わる。
急ぐ気持ちに合点がいった。
朝いちばんの元気に感心したら、
愛車のスージーのペダルをこいで、
裾花川の土手まで出かけた。
菜の花が見頃になっていたのだった。
水かさが増して、景気よく流れる川に沿って、
冴えた黄色がつづいている。
その先には、
マルコメ味噌の工場沿いにしだれ桜が連なって、
毎年いちどに楽しめるのだった。
菜の花は、飯山へも眺めに行っている。
いつも五月の連休当りに満開になるのに、
今年は早そうだという。
毎日、飯山観光協会のホームページで確かめては、
見頃どきと休日が折り合うか気にしている。
川を渡って戻っていくと、
県庁の前の街路樹が芽吹いていた。
中央通りの街路樹の葉も目を引いて、
清々と、季節の移りを感じるのだった。



  


臥竜公園へ

2016年04月13日

 へこりと at 12:57  | Comments(0)
卯月 5

夜半に雨が降ったらしい。
地面が濡れて、朝の空気が冷え込んでいる。
桜を眺めに、須坂の臥竜公園に出かけた。
電車に揺られていくと、村山橋の下の畑にも、
見ごろの桜が揺れていた。
駅を出て、ひと気のない通りを上がっていく。
気になっていた、天ぷら屋の招福は、
店名が、かがやきに変わっていた。
天ぷら屋らしくない名前と、ま新しい看板を眺めた。
須坂高校の桜を見上げ、
小山小学校のグラウンドの桜を見上げ、
その先の、通り沿いの桜を眺めて、わき道を行くと、
臥竜公園の桜が見えてくるのだった。
駐車場につぎつぎと車が入ってきて、
誘導係のおじさんがいそがしい。竜ヶ池のまわりの、
ソメイヨシノやしだれ桜が見ごろとなって、
平日でも、たくさんの人が訪れているのだった。
年配のご夫婦や若いカップルに、関西弁の団体や、
でかい声の、
アジアの言葉のグループとすれちがいながら、
名所百選の桜を眺めた。
池のまわりにはおでん屋が立ち並び、
味の染みたおでんを売っている。
一軒に立ち寄って、
おでんとビールでくつろいでいたら、
青い運動着の中学生たちが過ぎていく。
午前の明るさの中、
健全な子供たちにぞろぞろと見られると、
やさぐれた酔っぱらいは、少々うしろめたいのだった。
風が止まず、桜の枝を揺らしている。
あおられた花弁が池に散って、
おわりの気配を見せていた。
前日の日曜日は陽気も良くて、
歩けないほどの人でにぎわったという。
うってかわって
肌さむい中の、今年さいごの桜詣でとなったのだった。
公園を出て、昼どきをまわった通りを下りていく。
和食か中華か蕎麦か。
ちょっと迷って、旬菜古民家ゆるりへと向かった。
初めての店は人気があるようで、
女性客で混んでいる。
ねぎとろイクラ丼をお願いして、
待つあいだ燗酒を酌んでいれば、
さむくてふるえていた身も、
ようやくゆるんでくるのだった。


  


桜が見頃に

2016年04月08日

 へこりと at 12:05  | Comments(0)
卯月 4

善光寺門前界隈の桜が見頃をむかえた。
氏神さんの桜は、石垣の上からのびのびと枝を伸ばし、
毎朝、路地から見上げている。
料理屋の万佳亭のわきの桜を眺め、
階段を下りていく。
長野電鉄の線路沿いを歩いていくと、
ガスタンクのうす緑に、桜が色を添えていた。
県立短大の桜を眺め、
城山団地の、桜並木の階段を上がっていく。
招魂社の桜を眺めてから、
アザラシのひしゃげた鳴き声を聞きながら、
動物園の桜を眺めた。
気象台の坂を上がって、
むかしのNHKの裏手の桜を眺めて戻るころ、
桜のむこう、眼下の町並みを、
朝陽が照らし出すのだった。
ひさしぶりの友だちと、したたかに酌み交わした翌朝、
屋根をたたく雨の音で目が覚めた。
桜の季節になると、
たいていひとつかふたつ天気がくずれる。
二日酔いのだるい気分を持て余しながら、
日がな一日、桜の案配を気にしていた。
翌朝、路地に出てみれば、
雨風に耐えた、氏神さんの桜が曇天の空に映えている。
城山公園の桜も咲き満ちて、
清楚な、制服姿の清泉女学院の学生たちが歩いていく。
野球場跡の公園の桜も成長して、
今年はずいぶんと見ばえが好い。
高台の神社の境内には、5軒の花見小屋が建っていて、
この週末は、いちばんのかきいれ時とうかがえる。
こちらも馴染みのかたがたと、
連夜の予定が入っていてぬかりはない。
桜のひとときも、咲いてしまうとあっという間のことで、
眺めたそばから次の見所の算段となるのだった。



  


上田の桜へ

2016年04月06日

 へこりと at 08:02  | Comments(0)
卯月 3

上田城跡公園の桜が、見頃をむかえたという。
休日の朝、雨降りの中、電車に乗って出かけた。
沿線の住宅街や畑の中の、
梅や桃や桜を眺めながら着けば、
折よく雨も止んで、太陽が顔を出す。
上田高校の、古い門の前の桜をすぎて行くと、
春休みのしずかな校舎から、
コントラバスの重厚な響きが聞こえてきた。
大河ドラマの真田丸が始まって、
今年は上田へ訪れる人が多い。
公園に入っていくと、
ボランティアのおじさんの説明に耳をかたむける、
お年寄りの団体に、
春休みの子供を連れた家族連れに、
若い男女のグループに、
午前から、たくさんの人でにぎわっていた。
大河ドラマ館のむかいがわに、
長屋のように店が並んだ、真田茶屋ができていた。
焼き鳥におやきにこねつけにだんごと、
地元の味を提供しているのだった。
さっそく一番搾りを飲みながら、
名物の美味だれ焼き鳥をほおばった。
城門の前では、満開のしだれ桜を背景に、
観光客が、
おもてなし武将隊の面々と、写真に納まっている。
真田神社にお参りをして歩いていくと、
お堀に沿って、もうすぐ満開のソメイヨシノが、
鮮やかに映えていた。
6日からの千本桜祭りのために、
あちこちで、テキヤのお兄さんたちが、
屋台の準備にいそがしい。
見ばえの好い場所では、
年配のおじさんたちがカメラを並べ、
大砲のようなレンズを、お堀の中の桜に向けていた。
ちっちゃな子供を連れたお母さんに、
芝生で弁当を広げる親子連れに、
犬の散歩をするおじさんに、
部活帰りの女子高生たちは、スマホに桜をおさめては、
すぐにメールを打っている。
遠くから近くから、桜を愛でに訪れているのだった。
ひとまわりして城門を出たら、
真田茶屋は、ますますひとだかりができていた。
もういちど、缶チューハイと焼き鳥でひと休みとした。
桜に染まった石垣と櫓の公園に、
しみじみと、春は好いなあと癒されたのだった。


  


桜が咲いて

2016年04月03日

 へこりと at 12:08  | Comments(0)
卯月 2

暖かくなって、善光寺へお参りに来る人の姿が増えた。
早朝、町をひとまわり歩いていれば、行く先々で、
色とりどりの運動着のランナーを見かけ、
長野マラソンの日が近い。
玄関先のガマズミが芽吹いて、
日ごと緑の葉が増えている。
氏神さんの桜の木も、
冬の合い間に暖かい日もつづいたせいか、
いつもより、蕾の膨らみかたが早い。
毎年、近くの桜に、すこし遠くの桜を愛でている。
昨年は、陽気の好い日がつづいて、
あちこちで一斉に開花した。
見頃のときと都合が合わず、
上田城跡公園で、散りゆくしだれ桜を見上げ、
須坂の臥竜公園では、雨に降られて早々に退散して、
飯山の城址公園では、
すっかりの葉桜に肩を落としたのだった。
今年もすでに、上田城跡公園のしだれ桜は、
満開になったというから落ちつかない。
桜詣での算段に、気もそぞろになってしまうのだった。
卯月初日。朝、氏神さんの階段を上がったら、
蕾がひとつ開いていた。
午後になり、ふたたび確かめたら、
さらにいくつか開いていた。
残雪の菅平を背景に、石垣から伸びた枝々は、
連日の穏やかな陽を浴びて、
満開の日もすぐなのだった。
料理屋の、万佳亭をすぎた先の桜の木々も、
陽当たりの好さにつられて、
いくつか開いていた。
城山公園の、桜並木の蕾もずいぶんと膨らんで、
今週には開花する気配がある。
敷地の中には、早々にに花見小屋が建てられた。
昨年は開花が早すぎて、見頃の稼ぎどきをのがした。
今年はぬかりなく、準備万端整えている。
門前界隈に、
今年の春のにぎやかさがやってくるのだった。






  


器の修理を

2016年04月01日

 へこりと at 07:56  | Comments(0)
卯月 1

朝の明けるのが早くなり、夕方の陽も伸びてきた。
仕事を終えたあと、さらっとひと風呂浴びて、
明るさののこる外の気配を眺めながら、
伏見の、澤屋まつもとの燗酒なんぞを酌んでいれば、
これ以上のぜいたくはない気分になるのだった。
6畳の茶の間の茶箪笥に、酒器を置いてある。
ぐい呑みや盃、その日の気分でひとつ選んで、
酒を満たす。
器好きの友だちがいて、毎年五月の連休に、
岐阜の陶器市に出かけている。
そのたびに、
ぐい呑みを土産に買ってきてくれるのだった。
以前、晩酌をしていたときに、手がすべって、
ひとつ落としてしまったことがあった。
器はこわれるものとわかっていても、
せっかくの、友だちの好意に申しわけがない。
欠けた口を目にするたびに、
うしろめたい気持ちになっていた。
1月下旬、長野市民新聞の一面に目が留まる。
金継ぎという、器の修理を生業にしている
女性が載っていたのだった。
神川 梓さんは、高知県生まれで長野市在住。
古道具屋で働いていたときに、金継ぎを知ったという。
すぐにひらめいて、
欠けたぐい呑みの修理を、メールでお願いした。
金継ぎは、器の欠けた部分を漆で埋めて、
その上から、金や銀の粉を蒔く技のことをいう。
ゆっくりしっかりと漆を乾かすため、
仕上がるまでに、ひと月半ほどかかるのだった。
さくらの開花が、待ち遠しくなってきた3月下旬、
直りましたと連絡が来る。
届けてもらったぐい呑みを手にすれば、
黒地の肌に、ちいさな金色が好く似合う。
氏神さんの桜の蕾も明日には開く。
ちょっと冴えた顔つきになったぐい呑みに、
春の酒を酌む楽しみが増えたのだった。