町に活気が
皐月 6
長野市中央通り、権堂アーケードの入り口のちょい北側、
趣味の店の十二天さんが店じまいをした。
東京で装飾の仕事をしているご夫婦が始めた店で、
古い蔵造りの家屋は、玄関先から店内まで、
落ちついた趣きの飾り付けがなされ、
器や食器など、目筋の好い品を扱っていた。
このところの景気のわるさがひどく、
商売を通じて、
なんとか町に活気を呼ぼうと
がんばってきたものの、
物が売れる時代ではなくなった。
熟慮の末、店じまいを決めたのだった。
ただ、町屋造りで歴史のある家屋を、
このまま廃れさせるのは忍びない。
この界隈には、近所の人の集える場所や、
観光客の案内所もない。
地元のかたや、長野に訪れたかたがひと息つける、
そんな施設として、使ってもらえればというのだった。
それには、個人の力では、家屋の維持も含めて、
負担が大きすぎるという。
なんとか長野市に協力してもらえないか、
なんどもお願いをしているものの、
いまだ、なしのつぶてという。
なしのつぶてですかあ。
生意気を言わせてもらうなら、
町造りに関しては、
長野市の行政はセンスがないと思っている。
かつて、中央通りにパティオ大門にトイーゴと、
ふたつの複合施設が出来たとき、
素人目に見ても、こりゃだめだなあと思ってしまった。
テナント料で儲けたいのか、
どちらも細かく区割りされた造りは、
風通しがわるくおおらかさがない。
店が入っては消え、入っては消えをくり返し、
トイーゴに至っては、
中央通りのど真ん中のりっぱなビルなのに、
中はすかすかの、
歯の欠けた爺さんみたいになっている。
その道に精通したかたがたが
携わっているはずなのに、
なんでこんな入りづらい建物にしたのか、
不思議でしょうがないのだった。
善光寺の御開帳や灯明祭りに、
ゴールデンウィークやお盆の連休を見ても、
明らかに以前より人出が減っている。
老舗の土産物屋が並ぶ善光寺の仲見世にも、
ぽつぽつとチェーン店の土産物屋が出来てきて、
個人の商売のきびしさが伝わってくる。
救いなのは、
古い空き家を使って商売を始める若いかたや、
町の再生に力を入れる、
若い設計士や建築家のかたがいることだった。
そんな若いかたがたと、市の行政が、
上手く町の活性化に取り組んでくれたらと思っている。

長野市中央通り、権堂アーケードの入り口のちょい北側、
趣味の店の十二天さんが店じまいをした。
東京で装飾の仕事をしているご夫婦が始めた店で、
古い蔵造りの家屋は、玄関先から店内まで、
落ちついた趣きの飾り付けがなされ、
器や食器など、目筋の好い品を扱っていた。
このところの景気のわるさがひどく、
商売を通じて、
なんとか町に活気を呼ぼうと
がんばってきたものの、
物が売れる時代ではなくなった。
熟慮の末、店じまいを決めたのだった。
ただ、町屋造りで歴史のある家屋を、
このまま廃れさせるのは忍びない。
この界隈には、近所の人の集える場所や、
観光客の案内所もない。
地元のかたや、長野に訪れたかたがひと息つける、
そんな施設として、使ってもらえればというのだった。
それには、個人の力では、家屋の維持も含めて、
負担が大きすぎるという。
なんとか長野市に協力してもらえないか、
なんどもお願いをしているものの、
いまだ、なしのつぶてという。
なしのつぶてですかあ。
生意気を言わせてもらうなら、
町造りに関しては、
長野市の行政はセンスがないと思っている。
かつて、中央通りにパティオ大門にトイーゴと、
ふたつの複合施設が出来たとき、
素人目に見ても、こりゃだめだなあと思ってしまった。
テナント料で儲けたいのか、
どちらも細かく区割りされた造りは、
風通しがわるくおおらかさがない。
店が入っては消え、入っては消えをくり返し、
トイーゴに至っては、
中央通りのど真ん中のりっぱなビルなのに、
中はすかすかの、
歯の欠けた爺さんみたいになっている。
その道に精通したかたがたが
携わっているはずなのに、
なんでこんな入りづらい建物にしたのか、
不思議でしょうがないのだった。
善光寺の御開帳や灯明祭りに、
ゴールデンウィークやお盆の連休を見ても、
明らかに以前より人出が減っている。
老舗の土産物屋が並ぶ善光寺の仲見世にも、
ぽつぽつとチェーン店の土産物屋が出来てきて、
個人の商売のきびしさが伝わってくる。
救いなのは、
古い空き家を使って商売を始める若いかたや、
町の再生に力を入れる、
若い設計士や建築家のかたがいることだった。
そんな若いかたがたと、市の行政が、
上手く町の活性化に取り組んでくれたらと思っている。
松本まで。
皐月 5
ひさしぶりに松本へ出かけた。
うつらうつらと、鈍行列車に揺られていく。
時おり目を覚ませば、沿線の緑が目に優しい。
駅を出て、この頃出来上がったばかりの、
信濃毎日新聞松本本社、
信毎メディアガーデンへ行ってみた。
地下1階、地上5階建ての建物は、
1階にカフェとギャラリーが有り、ただいま、
レゴブロックで作る世界遺産展をやっていた。
ずらりと並んだ、
世界遺産の模型に感心して2階へ行くと、
丸山珈琲に、
アウトドアの店やフルーツを使った菓子屋が有った。
3階には、レストランがふたつと、
松本ブルワリーのアンテナショップが有る。
テラスに出て、町並みを見下ろせば、
穏やかな陽気にビールも旨い。
3杯でのどを潤して、蔵の並ぶ通りをぶらぶらと行く。
市立美術館では草間彌生さんの作品展をやっていて、
町なかに、その知らせが目につく。
あの方の作品の良さが良くわからないので、
それは素通りをした。
目についた、蕎麦屋の蔵の花でお昼と決めて、
暖簾をくぐる。
焼き味噌で地酒の岩波を2合。
締めのざるは、風味の効いた美味しい蕎麦だった。
青空のもと、端正な姿の松本城が映えている。
思いついてひさしぶりに上ってみることにした。
小学校6年生のときに、社会見学で来たことがある。
前日に、
自転車で転んで足をねんざしてしまった。
歩けなくなった身を、
同級生の平林秀樹くんが、背負ってくれて、
上まで連れて行ってくれたのだった。
体格が大きかったとはいえ、
この急な階段を上がってくれたのだから、
今さらながらに申しわけがないことだった。
今はどうしているのかなあ。
松本の町には、清々とあか抜けた気配が有る。
こうしてときどき訪ねると、いつもそれを感じてしまう。
町に関わるかたがたの、
センスの良さのせいかと思うのだった。

ひさしぶりに松本へ出かけた。
うつらうつらと、鈍行列車に揺られていく。
時おり目を覚ませば、沿線の緑が目に優しい。
駅を出て、この頃出来上がったばかりの、
信濃毎日新聞松本本社、
信毎メディアガーデンへ行ってみた。
地下1階、地上5階建ての建物は、
1階にカフェとギャラリーが有り、ただいま、
レゴブロックで作る世界遺産展をやっていた。
ずらりと並んだ、
世界遺産の模型に感心して2階へ行くと、
丸山珈琲に、
アウトドアの店やフルーツを使った菓子屋が有った。
3階には、レストランがふたつと、
松本ブルワリーのアンテナショップが有る。
テラスに出て、町並みを見下ろせば、
穏やかな陽気にビールも旨い。
3杯でのどを潤して、蔵の並ぶ通りをぶらぶらと行く。
市立美術館では草間彌生さんの作品展をやっていて、
町なかに、その知らせが目につく。
あの方の作品の良さが良くわからないので、
それは素通りをした。
目についた、蕎麦屋の蔵の花でお昼と決めて、
暖簾をくぐる。
焼き味噌で地酒の岩波を2合。
締めのざるは、風味の効いた美味しい蕎麦だった。
青空のもと、端正な姿の松本城が映えている。
思いついてひさしぶりに上ってみることにした。
小学校6年生のときに、社会見学で来たことがある。
前日に、
自転車で転んで足をねんざしてしまった。
歩けなくなった身を、
同級生の平林秀樹くんが、背負ってくれて、
上まで連れて行ってくれたのだった。
体格が大きかったとはいえ、
この急な階段を上がってくれたのだから、
今さらながらに申しわけがないことだった。
今はどうしているのかなあ。
松本の町には、清々とあか抜けた気配が有る。
こうしてときどき訪ねると、いつもそれを感じてしまう。
町に関わるかたがたの、
センスの良さのせいかと思うのだった。
篠田桃紅展へ
皐月 4
軽井沢へ出かけた。
夏、観光客でごった返す有名な避暑地も、
この時期は人が少ない。
避暑地といっても、このごろは、
夏になれば都会と変わらない暑さの日も多い。
むしろこのくらいのときのほうが、
爽やかな気配を感じられるのだった。
昼どきに、駅を出てじきの、
蕎麦屋の蕎游子さんに入ったら、
酒肴の充実した好い店だった。
板わさと山芋で、サッポロラガーと千曲錦を一合。
風味の効いた田舎蕎麦で締めた。
店を出て雲場池に行くと、
陽に映えた緑が池を囲み、目に優しい。
秋の紅葉も見事ながら、
日ごと緑が濃くなるこの季節も、見ごたえがあるのだった。
軽井沢の緑を満喫してから、上田へ向かった。
市立美術館で、書家の篠田桃紅さんの、
作品展が開かれているのだった。
御年105歳。5歳のときに父親から書を学んで以来、
独学で書きつづけてきたという。
若いときから現在まで、順に並ぶ作品を見ていけば、
書でもあり画でもある。
若いときの作品は、角が立ち、墨の黒が力づよい。
42歳のときに渡米して作品を発表したら、
高い評価を得たものの、
墨には日本の湿度が大事と気づき、戻ってきた。
それ以降の作品には、線の柔らかさ、墨の濃淡が出て、
心情の変わりが感じられたのだった。
字も読めない。何を表しているかもわからない。
それでも見ていて飽きることのない、墨の世界に見入った。
人は孤独なものです。けれど誰かに頼ったり、
教えを乞おうと思ったことはないという。
ひとりの自分として生まれてきたのだから、
ひとりで有ることを大事にして書いてきたという。
孤高の書家の作品には、
背筋の伸びる気配が有ったのだった。

軽井沢へ出かけた。
夏、観光客でごった返す有名な避暑地も、
この時期は人が少ない。
避暑地といっても、このごろは、
夏になれば都会と変わらない暑さの日も多い。
むしろこのくらいのときのほうが、
爽やかな気配を感じられるのだった。
昼どきに、駅を出てじきの、
蕎麦屋の蕎游子さんに入ったら、
酒肴の充実した好い店だった。
板わさと山芋で、サッポロラガーと千曲錦を一合。
風味の効いた田舎蕎麦で締めた。
店を出て雲場池に行くと、
陽に映えた緑が池を囲み、目に優しい。
秋の紅葉も見事ながら、
日ごと緑が濃くなるこの季節も、見ごたえがあるのだった。
軽井沢の緑を満喫してから、上田へ向かった。
市立美術館で、書家の篠田桃紅さんの、
作品展が開かれているのだった。
御年105歳。5歳のときに父親から書を学んで以来、
独学で書きつづけてきたという。
若いときから現在まで、順に並ぶ作品を見ていけば、
書でもあり画でもある。
若いときの作品は、角が立ち、墨の黒が力づよい。
42歳のときに渡米して作品を発表したら、
高い評価を得たものの、
墨には日本の湿度が大事と気づき、戻ってきた。
それ以降の作品には、線の柔らかさ、墨の濃淡が出て、
心情の変わりが感じられたのだった。
字も読めない。何を表しているかもわからない。
それでも見ていて飽きることのない、墨の世界に見入った。
人は孤独なものです。けれど誰かに頼ったり、
教えを乞おうと思ったことはないという。
ひとりの自分として生まれてきたのだから、
ひとりで有ることを大事にして書いてきたという。
孤高の書家の作品には、
背筋の伸びる気配が有ったのだった。
緑の季節
皐月 3
上田市立美術館で、
書家の、篠田桃紅さんの作品展が開かれている。
以前、定期購読している雑誌で特集していて、
いつか実物を拝見したいと思っていた。
休日の昼前、新幹線に乗って上田へ向かった。
蕎麦屋で昼酒をして、美術館へ行ってと、
車内で算段をしていたら、
なんとなく、速度の感じがいつもとちがう。
不安になって、窓の外を眺めていたら、
すみやかに、上田駅を通過していった。
あさまと間違えて、はくたかに乗ってしまったのだった。
佐久平を過ぎて、霧の軽井沢を過ぎて、
高崎まで来てしまった。
幸い、すぐに長野行きのあさまが来るという。
1分で高崎をあとにして、上田へ向かった。
ところが、駅に着いて美術館へ行ったら、
休館日ときたもんだ。
気力尽きて、目の前の上田アリオのうどん屋で、
おそい昼めしでビールを飲んだ。
腹を満たして、
上田城跡公園まで歩いていくと、
城門や櫓のまわりで緑が輝いている。
お堀をひとまわり、木々の緑を眺めていけば、
この景色を見られただけで、来て良かったと、
骨折り損のくたびれ儲けの気分も、
なぐさめられたのだった。
ゴールデンウイークが終わり、
観光客の落ち着いた善光寺門前も、
やさしく緑に包まれている。
二日、雨の日がつづいて、さっぱりと晴れた早朝、
上松の昌禅寺まで散歩に出た。
朝陽に照らされた市街地を、
見下ろしながら上がっていくと、
広い境内で、春もみじの緑が映えている。
緑の季節、好いなあと、
気持ちも穏やかになるのだった。

上田市立美術館で、
書家の、篠田桃紅さんの作品展が開かれている。
以前、定期購読している雑誌で特集していて、
いつか実物を拝見したいと思っていた。
休日の昼前、新幹線に乗って上田へ向かった。
蕎麦屋で昼酒をして、美術館へ行ってと、
車内で算段をしていたら、
なんとなく、速度の感じがいつもとちがう。
不安になって、窓の外を眺めていたら、
すみやかに、上田駅を通過していった。
あさまと間違えて、はくたかに乗ってしまったのだった。
佐久平を過ぎて、霧の軽井沢を過ぎて、
高崎まで来てしまった。
幸い、すぐに長野行きのあさまが来るという。
1分で高崎をあとにして、上田へ向かった。
ところが、駅に着いて美術館へ行ったら、
休館日ときたもんだ。
気力尽きて、目の前の上田アリオのうどん屋で、
おそい昼めしでビールを飲んだ。
腹を満たして、
上田城跡公園まで歩いていくと、
城門や櫓のまわりで緑が輝いている。
お堀をひとまわり、木々の緑を眺めていけば、
この景色を見られただけで、来て良かったと、
骨折り損のくたびれ儲けの気分も、
なぐさめられたのだった。
ゴールデンウイークが終わり、
観光客の落ち着いた善光寺門前も、
やさしく緑に包まれている。
二日、雨の日がつづいて、さっぱりと晴れた早朝、
上松の昌禅寺まで散歩に出た。
朝陽に照らされた市街地を、
見下ろしながら上がっていくと、
広い境内で、春もみじの緑が映えている。
緑の季節、好いなあと、
気持ちも穏やかになるのだった。
酒のイベントへ
皐月 2
この頃は、
長野の日本酒とワインと地ビールが、
ほんとに美味しくなってうれしい。
それに加えて、あちこちで、酒を知ってもらう催しが
増えているのも好いことだった。
4月、馴染みのワインバーのソムリエさんと、
小諸へ出かけた。
佐久地方13のお蔵さんの、
日本酒を利くイベントが有ったのだった。
その昔、長野の酒で初めてうまいと思ったのが、
佐久の橘倉酒造さんの菊秀で、それ以降、
折りにつけて口にした佐久の酒は、どれもわるくない。
特に20年ほど前に、
大沢酒造さんの明鏡止水がすい星のごとく、
図抜けた旨さで現れて以降、
年をかさねるごとに、どのお蔵さんも、
酒質が上がってきているのだった。
この日は、杜氏になって3年目、小諸市の大塚酒造さんの、
跡取り娘さんが造った浅間嶽を中心に、
お蔵さんの話を聞きながら、それぞれの味を楽しんだ。
日をおいて、4月最後の休日、中野市へ出かけた。
駅前の飲食店の料理と、
北信濃の、お蔵さんの酒を利くイベントが有ったのだった。
駅を出て、初めての町なかを歩いていくと、
まったく、人の姿も行き交う車もない。
祝日なのに静かすぎる・・・
ほんとにイベントをやっているのか、
不安になりながら進んでいくと、
ようやく賑やかなひと角が見えてきた。
初めてまわる飲み屋さんがたは、
どこも旨い料理を提供してくれて、
ご主人やスタッフの愛想も好かった。
またあらためて、
酒と料理を楽しみに来たいと思った次第だった。
小諸も中野も人が少なくて、
イベントに訪れても、まことにのどかな気配だった。
それはそれで好いけれど、
もうすこしたくさんの人に楽しんでもらいたいと、
酒好きのかたがたにお勧めしたいことだった。
来月、6月3日は、
酒トラップという、飲み歩きのイベントが長野駅前で行われる。
友だちが営む、酒屋さんと飲み屋さんとお蔵さんが主催だから、
こちらもおおいに盛り上がってもらいたいのだった。

この頃は、
長野の日本酒とワインと地ビールが、
ほんとに美味しくなってうれしい。
それに加えて、あちこちで、酒を知ってもらう催しが
増えているのも好いことだった。
4月、馴染みのワインバーのソムリエさんと、
小諸へ出かけた。
佐久地方13のお蔵さんの、
日本酒を利くイベントが有ったのだった。
その昔、長野の酒で初めてうまいと思ったのが、
佐久の橘倉酒造さんの菊秀で、それ以降、
折りにつけて口にした佐久の酒は、どれもわるくない。
特に20年ほど前に、
大沢酒造さんの明鏡止水がすい星のごとく、
図抜けた旨さで現れて以降、
年をかさねるごとに、どのお蔵さんも、
酒質が上がってきているのだった。
この日は、杜氏になって3年目、小諸市の大塚酒造さんの、
跡取り娘さんが造った浅間嶽を中心に、
お蔵さんの話を聞きながら、それぞれの味を楽しんだ。
日をおいて、4月最後の休日、中野市へ出かけた。
駅前の飲食店の料理と、
北信濃の、お蔵さんの酒を利くイベントが有ったのだった。
駅を出て、初めての町なかを歩いていくと、
まったく、人の姿も行き交う車もない。
祝日なのに静かすぎる・・・
ほんとにイベントをやっているのか、
不安になりながら進んでいくと、
ようやく賑やかなひと角が見えてきた。
初めてまわる飲み屋さんがたは、
どこも旨い料理を提供してくれて、
ご主人やスタッフの愛想も好かった。
またあらためて、
酒と料理を楽しみに来たいと思った次第だった。
小諸も中野も人が少なくて、
イベントに訪れても、まことにのどかな気配だった。
それはそれで好いけれど、
もうすこしたくさんの人に楽しんでもらいたいと、
酒好きのかたがたにお勧めしたいことだった。
来月、6月3日は、
酒トラップという、飲み歩きのイベントが長野駅前で行われる。
友だちが営む、酒屋さんと飲み屋さんとお蔵さんが主催だから、
こちらもおおいに盛り上がってもらいたいのだった。
菜の花公園へ
皐月 1
飯山の菜の花が、見ごろを迎えたという。
黄金週間の初日、出かけたのだった。
花の名所はいろいろあれど、
毎年ここは外せないという場所が有る。
どうやら我が身だけではないようで、
写真の師匠の友だちは、今年も、高山村の桜を撮りに、
南の村の友だちは、今年も早朝、
高遠城址公園の桜を愛でに行ったという。
桜のいちばん気に入りは、上田城跡公園で、
今年も早くから楽しみにしていたのに、
ちょうど満開になった頃、よんどころない用事に追われ、
足を運べなかった。
ものたりない気分で、桜の季節を終えてしまった。
飯山の菜の花公園を初めて訪れたのは、
25年ほど前のことだった。
その頃はまだ人もまばらで、静かなものだった。
今ではすっかり有名になって、
連休中は、市街地まで渋滞するありさまだった。
混雑を避けて、まだ暗いうちから車を飛ばせば、
ちょうど公園に着く頃に、空が明るくなってきた。
公園の上空には、今年も鯉のぼりが揺れている。
みっちりと満ちた菜の花の向こうには、
やや霞たつ気配の中、のどかな千曲川の流れが有る。
いつまでも眺めていたい好い景色だった。
花畑に立札が立っていて、
この畑は、私たちが菜の花の種をまきました。
飯山市立東小学校 平成29年度卒業生 在校2年生。
笑顔の子供たちの写真が載っている。
健気な子供の笑顔に鼻の奥がつんとして、
菜の花の景色が、より染み入ってくるのだった。
帰り道、北竜湖へまわったら、
こちらの菜の花はまだ早かった。
池のまわりの緑が、深く浅く色づいていた。
北信濃の、黄色鮮やかな菜の花を堪能したら、
気持ちも、緑の季節へと切り替わるのだった。

飯山の菜の花が、見ごろを迎えたという。
黄金週間の初日、出かけたのだった。
花の名所はいろいろあれど、
毎年ここは外せないという場所が有る。
どうやら我が身だけではないようで、
写真の師匠の友だちは、今年も、高山村の桜を撮りに、
南の村の友だちは、今年も早朝、
高遠城址公園の桜を愛でに行ったという。
桜のいちばん気に入りは、上田城跡公園で、
今年も早くから楽しみにしていたのに、
ちょうど満開になった頃、よんどころない用事に追われ、
足を運べなかった。
ものたりない気分で、桜の季節を終えてしまった。
飯山の菜の花公園を初めて訪れたのは、
25年ほど前のことだった。
その頃はまだ人もまばらで、静かなものだった。
今ではすっかり有名になって、
連休中は、市街地まで渋滞するありさまだった。
混雑を避けて、まだ暗いうちから車を飛ばせば、
ちょうど公園に着く頃に、空が明るくなってきた。
公園の上空には、今年も鯉のぼりが揺れている。
みっちりと満ちた菜の花の向こうには、
やや霞たつ気配の中、のどかな千曲川の流れが有る。
いつまでも眺めていたい好い景色だった。
花畑に立札が立っていて、
この畑は、私たちが菜の花の種をまきました。
飯山市立東小学校 平成29年度卒業生 在校2年生。
笑顔の子供たちの写真が載っている。
健気な子供の笑顔に鼻の奥がつんとして、
菜の花の景色が、より染み入ってくるのだった。
帰り道、北竜湖へまわったら、
こちらの菜の花はまだ早かった。
池のまわりの緑が、深く浅く色づいていた。
北信濃の、黄色鮮やかな菜の花を堪能したら、
気持ちも、緑の季節へと切り替わるのだった。