相原求一朗展へ
水無月 5
雨のそぼ降る休日、軽井沢の脇田美術館へ、
相原求一朗展を観に出かけた。
相原求一朗は埼玉生まれの画家で、
今年、没後20年をむかえたという。
戦時中、満州で兵役に就いていたといい、
画家としての道を開いてからは、
広大な満州の土地を思わせる、
北海道の自然を描きつづけた。
駅から歩いて10分ほどの美術館に着くと、
おおきなキャンパスに描かれた作品が並ぶ。
ときに、がっと間近に迫る山肌や、
ときに、えんえんと広角な大地が、
どこか寂しさを感じさせるような、
肌寒い色合いで描かれている。
観ていると、
音のない、孤独な気配に包まれた。
亡くなった年に描いた「天と地と」は、
ぐいぐいとつづく山並みの向こうに、
灰色の空を背景に雪山が悠然して、
すぐれない体調で仕上げたとは思えないほどの、
近寄りがたい力づよさが感じられた。
美術館を出て、雨宿りがてらの昼酒に、
川上庵に立ち寄った。
おしゃれなつくりの蕎麦屋は、こんな天気の日でも、
観光客でにぎわっている。
キリンのハートランドを注文したら、
持ってきてくれた男の子が、
どうぞと、お酌をしてくれてうれしい。
鴨焼きをつまみにのどを潤していれば、
スタッフの男の子や女の子の動きが
きびきびとしていて、
次から次へとやってくるお客を、
愛想よくさばいている。
そば味噌を頼んで、ちびちびと舐めながら、
日本酒を二杯。
締めのせいろをすすっていたら、
白いシャツに蕎麦汁が飛んでしまった。
おしぼりでごしごしこすっていたら、
女の子が、これ使ってくださいと、
新しいおしぼりを持って飛んできてくれた。
これもまたうれしいことだった。
川上庵、品書きの値段はちょい高いけど、
また来たいぞ。
店を出て、ひと気のない,別荘の並ぶ道を行けば、
敷地の中の、雨に濡れた緑が目にやさしい。
夏の軽井沢、にぎわう旧軽通りをはずれて、
来るたびに、静かな緑に癒されるのだった。

雨のそぼ降る休日、軽井沢の脇田美術館へ、
相原求一朗展を観に出かけた。
相原求一朗は埼玉生まれの画家で、
今年、没後20年をむかえたという。
戦時中、満州で兵役に就いていたといい、
画家としての道を開いてからは、
広大な満州の土地を思わせる、
北海道の自然を描きつづけた。
駅から歩いて10分ほどの美術館に着くと、
おおきなキャンパスに描かれた作品が並ぶ。
ときに、がっと間近に迫る山肌や、
ときに、えんえんと広角な大地が、
どこか寂しさを感じさせるような、
肌寒い色合いで描かれている。
観ていると、
音のない、孤独な気配に包まれた。
亡くなった年に描いた「天と地と」は、
ぐいぐいとつづく山並みの向こうに、
灰色の空を背景に雪山が悠然して、
すぐれない体調で仕上げたとは思えないほどの、
近寄りがたい力づよさが感じられた。
美術館を出て、雨宿りがてらの昼酒に、
川上庵に立ち寄った。
おしゃれなつくりの蕎麦屋は、こんな天気の日でも、
観光客でにぎわっている。
キリンのハートランドを注文したら、
持ってきてくれた男の子が、
どうぞと、お酌をしてくれてうれしい。
鴨焼きをつまみにのどを潤していれば、
スタッフの男の子や女の子の動きが
きびきびとしていて、
次から次へとやってくるお客を、
愛想よくさばいている。
そば味噌を頼んで、ちびちびと舐めながら、
日本酒を二杯。
締めのせいろをすすっていたら、
白いシャツに蕎麦汁が飛んでしまった。
おしぼりでごしごしこすっていたら、
女の子が、これ使ってくださいと、
新しいおしぼりを持って飛んできてくれた。
これもまたうれしいことだった。
川上庵、品書きの値段はちょい高いけど、
また来たいぞ。
店を出て、ひと気のない,別荘の並ぶ道を行けば、
敷地の中の、雨に濡れた緑が目にやさしい。
夏の軽井沢、にぎわう旧軽通りをはずれて、
来るたびに、静かな緑に癒されるのだった。
母校の演奏会へ
水無月 4
演奏会の案内をいただいた。
友だちの娘さんが長野吉田高校に通っている。
吹奏楽部でラッパを吹いていて、
定期演奏会があるのだった。
長野吉田高校はわが母校。後輩の音色を聴きに、
日曜日の午後、市立芸術館へ出かけた。
このたびの演奏会は、第40回記念演奏会という。
ちょうど40年前に高校に在籍していた。
当時の音楽の先生は、
こちらの入学と一緒に赴任して来たかただった。
その先生が始めてから、
脈々と40年間つなげてきたのだった。
市芸術館に着くと、会場のメインホールは、
父兄や友だちや、他校の、
吹奏楽部とおぼしき子供たちでいっぱいになっている。
ステージに、白いジャケットに、
黒のパンツの後輩たちが揃うと、演奏会の始まりは、
校歌だった。
あずま~やれんぽお~、ちくま~のきょせん~
みわたすしぜん~は、いだい~のきょくち~。
きれいな斉唱に懐かしさがこみあげて
思わずうるっときてしまった。
はるか彼方のあの頃を思い出せば、
授業中は寝てばかり、
部活もいやいやつづけていた始末だった。
なんとも中途半端な毎日で、
そのまま歳をかさねてしまったから、
校訓の「晴耕雨読」には、
まことに申しわけないことだった。
演奏会の選曲が種々多様で、クラシックから映画音楽に
オリジナルのメドレーもあった。
ステージには、OBとOGのかたが加わったり、
やはり母校の、柳町中学校の吹奏楽部も
参加しての演奏もあった。
高校と中学合同で演奏した、
いきものがかりのじょいふるは、踊り手さんたちも登場して、
元気にステージを飛び跳ねていた。
演奏会のテーマは、ForYouだという。
家族や仲間、演奏会をつづけてきてくれた先輩方、
お世話になっているたくさんのかたがたと、
40回を迎えた吹奏楽班の歴史に
感謝とおめでとうの想いを込めて名付けたという。
曲に合わせて衣装を変えたり、
身振り手振りの芝居をしたり、
この日のために、みんなで創意工夫を
かさねてきたとうかがえる。
響きわたる演奏を聴きながら、
子供ってすごいなあと、つくづく感心してしまった。
ひたむきな後輩たちの演奏に、胸打たれ、
すっかり元気をいただいたのだった。

演奏会の案内をいただいた。
友だちの娘さんが長野吉田高校に通っている。
吹奏楽部でラッパを吹いていて、
定期演奏会があるのだった。
長野吉田高校はわが母校。後輩の音色を聴きに、
日曜日の午後、市立芸術館へ出かけた。
このたびの演奏会は、第40回記念演奏会という。
ちょうど40年前に高校に在籍していた。
当時の音楽の先生は、
こちらの入学と一緒に赴任して来たかただった。
その先生が始めてから、
脈々と40年間つなげてきたのだった。
市芸術館に着くと、会場のメインホールは、
父兄や友だちや、他校の、
吹奏楽部とおぼしき子供たちでいっぱいになっている。
ステージに、白いジャケットに、
黒のパンツの後輩たちが揃うと、演奏会の始まりは、
校歌だった。
あずま~やれんぽお~、ちくま~のきょせん~
みわたすしぜん~は、いだい~のきょくち~。
きれいな斉唱に懐かしさがこみあげて
思わずうるっときてしまった。
はるか彼方のあの頃を思い出せば、
授業中は寝てばかり、
部活もいやいやつづけていた始末だった。
なんとも中途半端な毎日で、
そのまま歳をかさねてしまったから、
校訓の「晴耕雨読」には、
まことに申しわけないことだった。
演奏会の選曲が種々多様で、クラシックから映画音楽に
オリジナルのメドレーもあった。
ステージには、OBとOGのかたが加わったり、
やはり母校の、柳町中学校の吹奏楽部も
参加しての演奏もあった。
高校と中学合同で演奏した、
いきものがかりのじょいふるは、踊り手さんたちも登場して、
元気にステージを飛び跳ねていた。
演奏会のテーマは、ForYouだという。
家族や仲間、演奏会をつづけてきてくれた先輩方、
お世話になっているたくさんのかたがたと、
40回を迎えた吹奏楽班の歴史に
感謝とおめでとうの想いを込めて名付けたという。
曲に合わせて衣装を変えたり、
身振り手振りの芝居をしたり、
この日のために、みんなで創意工夫を
かさねてきたとうかがえる。
響きわたる演奏を聴きながら、
子供ってすごいなあと、つくづく感心してしまった。
ひたむきな後輩たちの演奏に、胸打たれ、
すっかり元気をいただいたのだった。
松本まで
水無月 3
信濃毎日新聞を広げていたら、
松本市の日本浮世絵博物館の記事が載っていた。
松本にそんな博物館があるなんて、
ついぞ今まで知らなかった。
休日、特急しなのに乗って出かけてみたのだった。
博物館は、松本駅のアルプス口を出て、
3キロほどの場所にある。
松本へ来れば、市立美術館や松本城のある、
お城口にばかり下りていた。
博物館に気が付かないわけだった。
江戸時代、紙の問屋として財を成した酒井家が、
200年にわたって集めた浮世絵を公開するために、
昭和57年に10代目の当主が建てたという。
収集作品の数はおよそ10万点で、
折々の企画にあわせて順次展示をしているという。
このたびは、
浮世絵に描かれた、着物の柄に着目した展示で、
歌川国芳、国貞と、渓斎英泉の作品が並べられていた。
しずかな平日の館内で、年配の外人のご夫婦が、
なにやらひそひそささやきあいながら、
じっくりと作品を鑑賞していた。
博物館のとなりには、松本歴史の里があり、
昔の裁判所や製糸工場、
少年院の、趣きある建物が移築されている。
ひととき過ごして、合同庁舎の前まで来れば、
ワイシャツ姿の職員たちが、
昼めしを求めて歩いている。
こちらも、歩き疲れてビールでのどを潤したい。
駅前まで戻って、あてもなくさまよっていたら、
蕎麦屋の丸周さんにぶち当たった。
初めての店の暖簾をくぐって、カウンターに落ち着いた。
ビールを注文して品書きを見れば、
一品料理と酒の品ぞろえが好い。
松本の蕎麦屋では、
いちどろくでもない店に入ってしまい、
痛い目にあっている。
ご主人とお運びのお姉さんの愛想も好く、
ようやく再訪したい蕎麦屋に出会えたのだった。
昼のいそがしい時間、ご主人の手のかからぬ板わさと、
夜明け前の本醸造でくつろいで、
十割蕎麦で腹を満たした。
梅雨どきのさなか、今日も雨の予報だったのに、
めずらしく天気予報が外れた。
ひさしぶりに仰ぎ見る松本城は、雲の流れる青空に、
あいかわらず、
きりっとした雄姿が映えていて、美しいのだった。

信濃毎日新聞を広げていたら、
松本市の日本浮世絵博物館の記事が載っていた。
松本にそんな博物館があるなんて、
ついぞ今まで知らなかった。
休日、特急しなのに乗って出かけてみたのだった。
博物館は、松本駅のアルプス口を出て、
3キロほどの場所にある。
松本へ来れば、市立美術館や松本城のある、
お城口にばかり下りていた。
博物館に気が付かないわけだった。
江戸時代、紙の問屋として財を成した酒井家が、
200年にわたって集めた浮世絵を公開するために、
昭和57年に10代目の当主が建てたという。
収集作品の数はおよそ10万点で、
折々の企画にあわせて順次展示をしているという。
このたびは、
浮世絵に描かれた、着物の柄に着目した展示で、
歌川国芳、国貞と、渓斎英泉の作品が並べられていた。
しずかな平日の館内で、年配の外人のご夫婦が、
なにやらひそひそささやきあいながら、
じっくりと作品を鑑賞していた。
博物館のとなりには、松本歴史の里があり、
昔の裁判所や製糸工場、
少年院の、趣きある建物が移築されている。
ひととき過ごして、合同庁舎の前まで来れば、
ワイシャツ姿の職員たちが、
昼めしを求めて歩いている。
こちらも、歩き疲れてビールでのどを潤したい。
駅前まで戻って、あてもなくさまよっていたら、
蕎麦屋の丸周さんにぶち当たった。
初めての店の暖簾をくぐって、カウンターに落ち着いた。
ビールを注文して品書きを見れば、
一品料理と酒の品ぞろえが好い。
松本の蕎麦屋では、
いちどろくでもない店に入ってしまい、
痛い目にあっている。
ご主人とお運びのお姉さんの愛想も好く、
ようやく再訪したい蕎麦屋に出会えたのだった。
昼のいそがしい時間、ご主人の手のかからぬ板わさと、
夜明け前の本醸造でくつろいで、
十割蕎麦で腹を満たした。
梅雨どきのさなか、今日も雨の予報だったのに、
めずらしく天気予報が外れた。
ひさしぶりに仰ぎ見る松本城は、雲の流れる青空に、
あいかわらず、
きりっとした雄姿が映えていて、美しいのだった。
家電あれこれ
水無月 2
朝いちばん、洗濯機がこわれた。
衣類をほおりこんで回していたら、
ピーピーピーピー泣き出して止まった。
点検の赤いランプが光っていたものの、
どこを点検していいやらわからない。
スイッチを切ってから、最初からやり直してみたものの、
何度繰り返しても途中で止まってしまう。
2001年製だもんなあ。無理もないかあ。
あきらめて、一枚一枚、手ですすいで絞って干して、
仕事前の、朝の貴重なひとときに、すでにくたびれた。
午前の仕事を終えた昼どき、
バイクに乗ってヤマダ電機へ飛んでいく。
こんなことでもないと、家電量販店に足を運ぶこともない。
3階の洗濯機売り場に行くと、
たくさんの洗濯機がずらっと並んでいて、
見ているだけでなんだか楽しい。
とはいっても、狭い洗面所に置くにはサイズが限られる。
幅と奥行きを目を凝らして確かめていったら、
ちょうどよい大きさのシャープのやつが、
特価価格で売っていた。
機能もシンプルで、男の独り暮らしにはこれで充分。
店員さんに手配をお願いしたのだった。
自宅兼仕事場を新築して18年。
家電製品もそのときに買いそろえて、
昨年は、電子レンジと冷蔵庫を入れ替えた。
このたびは洗濯機で、
あと、年季が入っている家電といえば、エアコンだった。
猛暑の夏に壊れわせぬか、今から不安になっている。
家電だけでなく、仕事場と台所と風呂場の湯沸かし器も、
そろって古い。
壊れる前に換えたほうがいいですよ。
先だって、
ガス会社に勤める友だちに言われたばかりだった。
そうはいっても先立つものがねえ。
なんか、家電とかガス器具とかで悩むより、
もっとこう、色恋沙汰の悩みを抱えて暮らしたいわ。
すっかり縁がなくなって、味気がないのだった。

朝いちばん、洗濯機がこわれた。
衣類をほおりこんで回していたら、
ピーピーピーピー泣き出して止まった。
点検の赤いランプが光っていたものの、
どこを点検していいやらわからない。
スイッチを切ってから、最初からやり直してみたものの、
何度繰り返しても途中で止まってしまう。
2001年製だもんなあ。無理もないかあ。
あきらめて、一枚一枚、手ですすいで絞って干して、
仕事前の、朝の貴重なひとときに、すでにくたびれた。
午前の仕事を終えた昼どき、
バイクに乗ってヤマダ電機へ飛んでいく。
こんなことでもないと、家電量販店に足を運ぶこともない。
3階の洗濯機売り場に行くと、
たくさんの洗濯機がずらっと並んでいて、
見ているだけでなんだか楽しい。
とはいっても、狭い洗面所に置くにはサイズが限られる。
幅と奥行きを目を凝らして確かめていったら、
ちょうどよい大きさのシャープのやつが、
特価価格で売っていた。
機能もシンプルで、男の独り暮らしにはこれで充分。
店員さんに手配をお願いしたのだった。
自宅兼仕事場を新築して18年。
家電製品もそのときに買いそろえて、
昨年は、電子レンジと冷蔵庫を入れ替えた。
このたびは洗濯機で、
あと、年季が入っている家電といえば、エアコンだった。
猛暑の夏に壊れわせぬか、今から不安になっている。
家電だけでなく、仕事場と台所と風呂場の湯沸かし器も、
そろって古い。
壊れる前に換えたほうがいいですよ。
先だって、
ガス会社に勤める友だちに言われたばかりだった。
そうはいっても先立つものがねえ。
なんか、家電とかガス器具とかで悩むより、
もっとこう、色恋沙汰の悩みを抱えて暮らしたいわ。
すっかり縁がなくなって、味気がないのだった。
母を眺めて
水無月 1
母が介護施設に入居して1年が過ぎた。
2年前に父が亡くなって、
実家でひとりでくらしていた。
困ったのは、
以前から慢性的なめまいを抱えていることだった。
日によって特にひどいときがあり,
ぶっ倒れては、救急車で病院へ担ぎ込まれていた。
日中ひとりにしておけないと、施設のお世話になったのだった。
施設の職員さんは、みなさん感じが良い。
とはいっても、職員さんや利用者さんとの関わりは、
ときによって意にそぐわないこともある。
ご機嫌うかがいをしては、母の愚痴を聞いている。
この頃、新しく男の人が入ってきたという。
食堂へ食事に行くたびに、母のところをじろじろ見るといい、
気持ちがわるいと思っていたら、
あんた、長野商業で陸上をやっていた
みやざわみよこさんだろ。と話しかけてきたという。
旧姓の名を言われておどろいたら、
学生時代の1年先輩のかただった。
そしておもむろに、みなさん、このみよちゃんは、
ぼくの学生時代のマドンナだったんです
と言うものだから、ほうほうのていで逃げてきたという。
日々、いちばん気に入らないのは、
3度の食事がいつも味がうすいことという。
元気だったときは、しょうゆとみりんと砂糖をたっぷり使って、
味の染みたおかずを作っていた。
カロリー塩分控えめの味に満足しないのも
無理からぬことだった。
休日の昼、その日のリクエストに応じて、
母を食事に連れて行く。
かつて美容師として、はぶりを利かしていた若いころ、
お弟子さんや友だちを引き連れては、
高級なレストランや料理屋で贅沢をしていた人だった。
それが今では、ラーメンにカレーにオムレツ、
天ぷらそばなんぞを、
おいしいねえとうれしそうにばくばくほおばっている。
親も80歳半ばを過ぎると子供と一緒だなあと、
ちょっと切なく眺めている。
ときどき、早くお父さんが迎えに来てくれないかなという。
聞くたびに、その食欲なら、
あと10年は来ませんよとあきれているのだった。
母が介護施設に入居して1年が過ぎた。
2年前に父が亡くなって、
実家でひとりでくらしていた。
困ったのは、
以前から慢性的なめまいを抱えていることだった。
日によって特にひどいときがあり,
ぶっ倒れては、救急車で病院へ担ぎ込まれていた。
日中ひとりにしておけないと、施設のお世話になったのだった。
施設の職員さんは、みなさん感じが良い。
とはいっても、職員さんや利用者さんとの関わりは、
ときによって意にそぐわないこともある。
ご機嫌うかがいをしては、母の愚痴を聞いている。
この頃、新しく男の人が入ってきたという。
食堂へ食事に行くたびに、母のところをじろじろ見るといい、
気持ちがわるいと思っていたら、
あんた、長野商業で陸上をやっていた
みやざわみよこさんだろ。と話しかけてきたという。
旧姓の名を言われておどろいたら、
学生時代の1年先輩のかただった。
そしておもむろに、みなさん、このみよちゃんは、
ぼくの学生時代のマドンナだったんです
と言うものだから、ほうほうのていで逃げてきたという。
日々、いちばん気に入らないのは、
3度の食事がいつも味がうすいことという。
元気だったときは、しょうゆとみりんと砂糖をたっぷり使って、
味の染みたおかずを作っていた。
カロリー塩分控えめの味に満足しないのも
無理からぬことだった。
休日の昼、その日のリクエストに応じて、
母を食事に連れて行く。
かつて美容師として、はぶりを利かしていた若いころ、
お弟子さんや友だちを引き連れては、
高級なレストランや料理屋で贅沢をしていた人だった。
それが今では、ラーメンにカレーにオムレツ、
天ぷらそばなんぞを、
おいしいねえとうれしそうにばくばくほおばっている。
親も80歳半ばを過ぎると子供と一緒だなあと、
ちょっと切なく眺めている。
ときどき、早くお父さんが迎えに来てくれないかなという。
聞くたびに、その食欲なら、
あと10年は来ませんよとあきれているのだった。