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片づけを少しづつ

2024年04月26日

 へこりと at 08:41  | Comments(0)

卯月 7

四月、春らしい陽気になってきた。善光寺界隈を
散策すれば、先々の家の庭や道沿いに、いろんな
花がきれいに咲いて、気持ちを和ませてくれる。
早朝の空気もゆるくなり、寒い冬の間さぼっていた、
ノルディックウォーキングを再開している。
花粉とウイルスを防いでくれるスプレーを顔に
吹き付けて、一時間ちょい余り町をひとまわり。
帰ってきたら、目と鼻と顔をよく洗う。
花粉症に苦しんでも、朝の空気はやっぱりさっぱりと
気持ちが好い。困ったのは、二年ほど前から、
花粉症の薬を毎日飲むと、たまに体調がおかしくなる
ことだった。暑くもないのに汗が出て、軽い目まいに
見舞われる。歳を重ねて薬への抵抗力が落ちている
のかもしれない。この頃、長野市のスギ花粉の飛散が
終わったと聞いて、ほっとしているのだった。
先日、年明け初めて空き家になっている実家へ
行ったら、庭の小ぶりな灯篭が倒れていた。台所では、
食器棚の扉が開いて、いくつか中の食器が落ちていた。
壁にぶら下がっていた温度計も床に落ちて割れていた。
二階に上がってみたら、
出窓に置いてあった電気スタンドも床に落ちて割れて
いる。来客用の布団をしまってあった押し入れの中も、
積んであった布団が崩れていた。
元日に起きた能登半島地震の揺れが、実家に影響を
与えていたのだった。実家の在る界隈は、もともと
田んぼだったから地盤が弱い。
子供の頃は、自宅のまわりに田んぼがあって、
夏に窓を開けていると、蛙の声でテレビの音が聞こえ
ないほどだった。十年前に長野で大きな地震が有った
とき、まわりの住宅のあちこちで、壁が崩れたり
瓦が落ちたり塀が倒れたりと、かなりの被害があった。
夜の十時過ぎに起きたから、出歩いている人がなく、
けが人が出なかったのが幸いだった。
母が介護施設に入って空き家になってから、貴重品や
洋服など、自宅に持ち帰ったものの、面倒くさがって
それっきり片づけをしていない。また大きな地震が来て
物が散乱する前に、今年はもう少し頻繁に片づけをして、
持ち帰るものは持ち帰ってをしなきゃいかんなあ。
すっかり埃だらけの室内を見渡したのだった。

のどけしや片づけ事や気が乗らず。


  


スマホに悩まされ

2024年04月23日

 へこりと at 09:07  | Comments(0)

卯月 6

使っているスマホの調子がおかしくなった。
使い始めて四年、この頃になって、意味不明の
通知音が鳴るようになったのだった。それまで
スマホの設定をいじった覚えがないし、なにが
原因なのかわからない。
パソコンを開いて、スマホ謎の通知音で検索したら、
けっこうおなじ症状に悩むかたがいるようで、
対策方法が並んでいた。なんとなくそれに
従って処置してみたものの、ぜんぜん症状が変わら
ない。十分に一回鳴る時もあれば、
続けざまに鳴る時もあって、小鳥のさえずりのような
音が長々響いている。
面倒くさいことはドコモショップに頼ったほうが早い。
予約を入れて訪ねた。
応対してくれたお兄さんによると、スマホに入って
いるアプリに通知が来たときに、なにかの拍子で
通知音が鳴るようになってしまったという。
ふだん使っていないいくつかのアプリの通知の設定を
OFFにしてもらった。
これで安心と胸をなでおろした翌日、懲りずにまた鳴った。
昨日のお兄さんに教えてもらった通りに、すべてのアプリを
開いて、まだOFFにしてなかったアプリの設定を変えたら
ようやく鳴き止んだのだった。
スマホを持っていても、実のところ、そんなに
いろんな機能は使っていない。ゲームはしないし、
調べたいことは自宅のパソコンを開いているし、
インスタグラムやフェイスブックなどのSNSも
パソコンで書き込みをしている。スマホがなくて
困るのはラインの繋がりくらいで、それにしたって、
親しいかたとはメールが繋がっているから些細なこと
だった。外出先でスマホを使うこともほぼないし、
機能の少ないガラケーに戻すのもわるくないかもと、
思ったりしてしまうのだった。
ちなみに今でもガラケーって売ってるんですかと、
ドコモのホームページを開いてみたら、四種類ほど有って、
そのうち二種類は昨年発売になったばかりだった。
若いかたばかりでなく、年配のかたも当たり前のように
スマホを使う中、まだまだ需要があるんですね。
近ごろ、生活から無用なものを取り払って、簡素な暮らしを
したいと思っている。ほんとにガラケーに戻そうかな。
ホームページをよくよくにらんでしまったのだった。

電子音ぴよぴよ止まぬ遅日かな。


  


上田の桜を

2024年04月19日

 へこりと at 09:15  | Comments(2)
卯月 5

上田へ出かけた。別宅に荷物を置いてから甲田理髪店に
寄った。
この店のご主人は、施術の間、ほとんど話しかけてこない。
こちらも余計な気遣いをせずに済むのがありがたいのだった。
髪をさっぱり短くして、ほど近い寿司屋の萬寿の暖簾を
くぐる。愛想の好い御主人家族に迎えられ、
お通しのホタルイカでビールを飲んで、握りをつまみに
木曽の九郎右衛門の純米吟醸を酌んでいたら、二階から
ひとり娘のなおちゃんが降りてきた。こんにちは~と声を
かければ、照れたようにニコッと笑う。
お母さん似の美人さんは今年小学校二年生。
久しぶりに会ったら、少し背が伸びていた。翌朝、
コンビニでサンドイッチと缶ビールを買って、城跡公園へ
行くと、花見客がけっこう訪れている。
城門前のしだれ桜が満開で、みんなスマホで写真を撮って
いた。お堀端のベンチに座り、ビールを飲みながら
まわりのソメイヨシノを眺めれば、こちらはまだ五分咲き
くらいの開きようで、来週あたりが見頃とうかがえた。
ってなわけで、翌週再び上田詣でをした。仕事を終えた
夕方、城跡公園に行くと、たくさんの花見客で賑わって
いる。お堀のまわりに唐揚げやらチョコバナナやら
たこ焼きやらの屋台がずらっと並び、テキ屋さんも忙しい。
ソメイヨシノはまさに見頃の満開で、日当たりの好い処は
すでに葉桜になり始め、まことにこの春の足取りが早い
ことだった。
缶ビールを飲みながらひと回り。今年も大好きな上田の
桜を満喫出来て好かった。
公園を出て、今宵の一献にと、久しぶりにかぎやの暖簾を
くぐった。この店も営むご主人家族の感じが好くて、
目立たぬ場所に在るのに、いつも地元のかたがたで
賑わっている。
鮪の刺身で長野の幻舞を酌んで、どじょうのから揚げで二階堂を
ロックで酌んで、酔い酔いに酔っ払った。
翌朝、持参していたカメラの記録を見たら、かぎやの常連さん
のご機嫌に酔っている様子が映っていた。
撮った覚えが記憶にないものの、みなさん好い笑顔をしている。
店も好い、客も好い。馴染みの浅い町にくつろげる店が
有るのは、ありがたいことと眺めたのだった。

酔客の笑顔や春の盛りかな。



  


桜が咲いて。

2024年04月16日

 へこりと at 09:02  | Comments(2)

卯月 4

桜が咲いた。冴えかえりの日が続き、開花がおそかった。
ところがそのあとの陽気の良さに、あれよあれよと咲き
はじめて、もう盛りを迎えている。
すぐそばの氏神さんの桜も、善光寺の東側、城山公園の桜も、
すっかり見頃になっているのだった。
週末の土曜日の朝、散歩に出たら、早朝から公園の界隈に、
花見客がずいぶん訪れていた。芝生の桜の木の下に、
早々にブルーシートを敷いているところもいくつか有った。
通り沿いの桜並木を見上げて、スマホで写真を撮る人に、
じっくりカメラを構えて撮る人に、花の盛りをおさめている。
清泉女学院の前を過ぎて、その先の護国神社の境内を抜けて
行く。城山団地の友だち宅の前を通ったら、庭で草取りを
していた。朝から働くねえと声をかけて、坂道を下りて
広い通りを渡る。長野高校に向かって行くと、正門の
わきの桜並木が朝日に輝いている。犬を連れた女の人が、
見上げることもなく、足早に通り過ぎて行った。
静かな住宅地を抜けてSBC通りを渡って、曹洞宗の古刹、
盛傳寺へ行くと、参道を桜が彩っていて、六体の石仏さまが
優しく見守っている。自宅の隣の湯本さんの菩提寺で、
湯本さんにはいつもお世話になっている。本殿に手を合わせ、
お守りくださいますよう祈った。境内を出て、住宅地の中を
過ぎていくと、立派なお宅の庭におおきな桜の木が見えた。
自宅に居ながら毎日花見酒ができるのは、なんとも羨ましいと
眺めた。上松団地の前を過ぎてSBC通りへ出たら、
通りを渡った先の、人ひとりが通れるくらいの小路の先に桜が
見えた。あれまあ、こんなところに。
目立たぬ場所に一本きりの桜も、静かな風情があって好いもの
なのだった。
そのまま小路を抜けて行ったら、長野高校の前に出た。
ゴミ出しをしていた近所のおじさんとおばさんが桜を見上げ、
あっという間に咲いちゃったねえと話していて、
同感ですとうなずいた。城山動物園のわきの階段の桜並木を
眺め、城山公園に戻ってきたら、花見客の数が増えて、車が
次々とやって来て列を成していた。今日と明日の日曜日は、
おおいに賑やかになりますな。善光寺へ向かって本堂前の
桜を眺め、朝いちばんのひと回り。
桜の景色を堪能したのだった。

場所取りのブルーシートや花の朝。


  


久しぶりの蕎麦屋で

2024年04月12日

 へこりと at 09:22  | Comments(0)

卯月 3

休日になると、たいていどこぞの蕎麦屋で酒を
酌んでいる。ビールを一本にお銚子を二本。
ときにはそこに加えて蕎麦焼酎のお湯割りを
追加して酔っ払っている。
四月初めの休日、善光寺門前を歩いて行くと、春休みの
観光客の姿が多い。ところどころに真新しいスーツの
若者を見かけて、今日は新年度初日と気がついた。
参道を抜けた信号を右手に行くと、老舗の蕎麦屋の元屋
が在る。
ずいぶん久しぶりに暖簾をくぐってみたのだった。
年配のご主人夫婦の、親方と女将さんが営んでいて、
いつも繁盛していた。週末になると開店前から
店の前に行列ができるほどだった。
しばらくしたら、親方のお孫さんが一緒に働く
ようになった。
その後もときどきおじゃましていたものの、
なんとなく通う頻度が少なくなってしまい、
そのうちに、
すっかり通わなくなってしまったのだった。
よくよく数えてみたら、六年ぶりの再訪だった。
店に入って右手の入れこみが定席で、
この日もそこに落ちついた。ビールで喉を潤しながら
眺めれば、話好きな女将さんの姿が見当たらない。
以前は杯を傾けていれば、いつもにこにこお相手を
してくれて、漬け物をサービスしてくれたり、ときどき、
お銚子一本サービスしてくれたりの気遣いがありがたかった。
顔見知りのパートさんにうかがったら、親方も女将さんも
もう引退して店には出ていないとのことだった。
そうだよなあ。お二人ともすでに九十歳を超えていても
おかしくない。それでも変わらずに元気にされているとの
ことで、それは良かったと安心をした。
おそらく、もうお会いすることもないけれど、無事に
長生きをしてくださいと願った。
久しぶりの店は、ビールが黒ラベルからエビスに変わって
いた。中瓶で590円は良心的と思う。
なんでも食材が値上がりしている中、料理や蕎麦の値段も
この界隈では安い。お孫さんが継いでから、ひととき味の
評判が落ちたときがあったけれど、天ぷらも蕎麦も
旨かった。この日もひっきりなしにお客が来て、
相変わらずの繁盛ぶりだった。
足繁く通っていた昔を懐かしみながら、西之門の純米吟醸に
酔ったのだった。

うららけし疎遠のかたの懐かしく。


  


輪島塗りの漆器を

2024年04月05日

 へこりと at 09:47  | Comments(2)

卯月 2

このところ、日本や世界のあちこちで地震が起きている。
二日前には、台湾で大きな地震が起きたばかりだった。
元日に起きた能登半島地震では、暮らしている
長野もずいぶん揺れたという。その日は群馬の
草津温泉に滞在していて、熱めの湯と酒に癒されていた。
地震が起きたとき、すっかり酔いつぶれていて、
まったく気がつかなかったのだった。
心配してくれた友だちからのメールで、地震があったと
知った次第だった。なんとものんきなことだった。
金沢に大学時代の友だちが住んでいる。
心配になってラインを送ったら、尋常ではない様子を写メで
送ってきた。その後、テレビで被災地の様子を観たら、
あちこちの被害の大きさに唖然としてしまった。
現場に行かなくても、復旧に相当の時間がかかると
うかがえた。軒並み崩れた家屋に、焼け野原になった町に、
気力を振り絞ることがどれだけ大変か、被災者のみなさんを
思うと涙が出てしまった。ほんとに微力ながらでも、
気持ちを向けていたいことだった。
善光寺門前にギャラリー夏至が在る。品の好い御姉妹が
営んでいる店で、そのときどき、洋服や着物、器などを
展示販売されている。この三月、輪島塗りの漆器展を
開くと案内が届いた。福田敏雄さん、高田晴之さん、
土田和茂さん、お三かたの展示会で、三人とも、工房が
大きな被害を受けたという。
現在も二次避難先から数時間をかけて自宅に戻り、
片づけを行っているといい、そんな中、無事だった作品の
出展にこぎつけたのだった。今展での売り上げは、
出来るだけお三かたに渡すという。
仕事を終えた夕方、開催初日に足を運んだ。
お盆にお椀に小皿に片口など、どれも静謐な佇まいで、
眺めていると気持ちが静かになってくる。
母が介護施設に入居したあと、空き家になった実家の
片づけをしていたら、台所の戸棚から、未使用の会津塗りや
木曽塗りの漆器が出てきた。自宅に持って帰り、
ふだんの食事に使っているから、漆器には馴染みがある。
輪島塗りの漆器に触れるのは、初めてのことだった。
酒好きだから買うなら酒器でしょ。よくよく眺めて、
福田敏雄さんの酒盃を買わせていただいた。
軽くて手触りも馴染み、酒を酌むたびに、能登に思いが
向くことだった。

杯重ね漆器の町の春思う。


  


パソコンも電話も

2024年04月02日

 へこりと at 09:20  | Comments(0)

卯月 1

木曜日の朝、いつものように仕事の準備を終えて、
SNSを覗こうとパソコンを開いたら、
インターネットに接続されていませんとの表示が出た。
ときどきこういうことがあり、そのたびに修復作業を
している。いつもならじきに繋がるのに、
この日はどういうわけか、何度繰り返しても
繋がらないのだった。再起動を何度かしてみたり、
接続機器を外して繋げてみたり、一時間あまり格闘
しても、繋がる気配がない。悪戦苦闘をしていたら、
近所の知り合いがガラッと入口の戸を開けて、
顔を見るなり、ああよかった、無事だったと言う。
???と思って尋ねたら、さっきから何度も電話を
かけているのに、ぜんぜん繋がらないと言う。
なにかあったんじゃないかと心配になって、
駆けつけてきたのだった。男やもめの身は、いつも
近所のかたの気配りに支えられている。
それにしても、パソコンとにらめっこをしている間、
いちども電話は鳴らなかったぞ。いぶかしんで、
受話器を取ったら、ツーともカーとも反応がない。
パソコンに続いて電話もですか・・・
インターネットに詳しい友だちに、スマホで尋ねて
みたら、ネットも電話も繋がらないとくれば、
光回線の様子がおかしいと思われる。契約している
会社に問い合わせたほうがいいと教えていただいた。
すぐにドコモ光に電話をかけて、パソコンに電話に
接続機器の状態を説明したところ、やはり回線に
不具合が生じているとのことだった。最短で
修理業者が来られるのは翌週の火曜日とのことで、
お願いをした。ふだんパソコンを使うのは、
せいぜいブログを書いたり覗いたりと、アマゾンや
楽天で買い物をするくらいで、繋がらなくても支障は
ない。ところが客商売をしているから、
電話が繋がらないとお客さんに迷惑がかかる。
火曜日までの六日間を、心もとない気分で過ごしていた。
当日、修理業者のかたに調べてもらったら、原因は、
接続コードの傷みだった。コードが茶の間の壁伝いに
接続機器の有る隣の台所まで伸びていて、襖をまたいで
繋げてある。襖を開け閉めするたびにコードに
ぶつけていたから傷んでしまったのだった。
細かいことに気の回らぬ柄が招いたことだった。
反省して、コードと襖が触れぬよう、速やかに作業を
したことだった。

繋がらぬドコモ光や春の朝。


  


春の訪れに

2024年03月29日

 へこりと at 09:11  | Comments(0)

弥生 7

平日の夕方、お世話になっているかたが、
両手いっぱいに梅の花を抱えて来てくれた。毎年自宅の
庭にたくさん咲くと言い、春の訪れのおすそ分けだった。
さっそく玄関先の甕に入れたら、枝が多すぎて入りきらない。
もう一個、使っていなかった甕を出して、突っ込んだ。
自宅前の路地に、幅四メートルほどの橋があって、
老朽化のために架け替え工事を行っている。
毎日、トラックやブルドーザーが入ってきては、
おじさんたちが作業をしている。
二月の下旬から始まって、三月の中ほどに終わる予定だった。
それがどうしたわけだか長引くことになり、現場の責任者の
かたが、すみません、四月の下旬までかかりそうでしてと
謝りにみえられたのだった。
工事をしている間は、ふだん路地を抜けていく小学生や
中学生や高校生の子供たちも、通勤のかたがたも通らない。
優しい彩りの紅梅を眺めてもらえないのは、ちょっと
寂しいことだった。この冬は暖冬だと聞いていた。
桜の開花も例年より早そうと聞いていたのに、春始めの
三月になってから、冷えこんだり雪が降ったり、冬に
逆戻りの日が続いた。
路地の先に氏神さんの伊勢社が在る。
石段を上がったわきに桜の木が二本ある。善光寺界隈で
いちばん最初に開くのに、今年はまだ、かたい蕾のまま
だった。桜の名所の上田城跡公園に須坂臥竜公園、
毎年この時期になると、見頃はいつかとあおられる。
今年はどちらも遅れそうと、観光協会のホームページの
開花具合を眺めている。
知り合いに、ときどきひとりで旅行をしているかたがいる。
旅行会社のツアーに申し込んでは、全国あちこちを
旅している。先日訪ねて来たときに、三月なのにこんなに
寒くてやんなっちゃうとこぼすのだった。
三月二十八日に、奈良の吉野の桜ツアーに行くのだという。
この寒さじゃ桜も咲き切らなくて、見頃を逃しそうと
ため息をつく。以前、青森の弘前の桜を訪ねたときは、もう
葉桜になっていたといい、遠方の桜巡りは、つくづく
時期の見極めがむずかしい。
スマホで調べたら、吉野の桜の開花日は三月三十日だった。
すっかり旅行を終えた日で、せめて地元の美味しいものでも
楽しんできてくださいと慰めてしまったことだった。

訪客の愚痴は吉野の桜です。




  


戸倉上山田温泉へ

2024年03月26日

 へこりと at 14:38  | Comments(2)

弥生 6

三月も終わるというのに、寒さが
ぶり返している。
久しぶりに温泉で体を温めたいのおと、
戸倉上山田温泉に出かけた。
長野駅からしなの鉄道に乗って三十分。
久しぶりの湯の町に降り立った。国道を渡って、
廃業した酒蔵の脇の小路を抜けていくと、
水上布奈山神社にぶつかった。
隣接する幼稚園のちびっ子たちが境内で遊んでいる。
賑やかな声を聞きながら、湯の町の無事を拝んだ。
向かいの戸倉小学校の校庭で子供たちがボールを追って
走りまわっている。千曲川にかかる長い大正橋を渡って
いくと、清々しい青空の向こうに真っ白な戸隠山と
妙高山が輝いていた。橋を渡った正面に、
佐良志奈神社の広い境内がある。
階段を下りた先の拝殿に、再び湯の町の無事を拝んだ。
戸倉温泉から上山田温泉へ歩いて行くと、立ち並ぶ
旅館やホテルの間に、つぶれた床屋や花屋や食堂が在り、
わびしい。
両親が元気だった頃、正月をここで迎えたことが二度
あった。
一度目は有田屋に、二度目は中央ホテルに泊った。
前を通り過ぎながら、
両親と旅行をすることはもうないのだと思ったら、
懐かしく切ない気分になってしまった。
あてもなく小路をうろついていくと、先々にスナックや
飲み屋の看板が並んでいる。どの店も年季の入った
外観で、町が栄えし昭和の風情を残している。
廃れた家屋に混じって、新しい家が点在していて、
温泉に惹かれて住みついたかたもいるのだろうか。
町のあちこちに外湯が在って、住民はお安く入浴できる
という。なんともうらやましいことだった。
ホテル・ルートインに荷物を預けたら、万年橋を渡って、
温泉施設の白鳥園へ行く。駐車場にけっこうな数の
車が停まっていたのに、浴場に入ったら、地元の
おじいさんが五人湯船に浸かっているだけだった。
柔らかな湯に、心身ゆっくりくつろいで、大広間で、
焼き鳥と枝豆をつまみに黒ラベルを飲めば、まこと
幸せな気分になったのだった。
ホテルのチェックインに合わせて、白鳥園を出て、
再び万年橋を渡って行く。
時計を見ながら歩いていたら、三月十一日、この日の
二時四十六分を迎えた。災害のない平和な毎日が
続きますように。橋の上から東北に向かって、
しみじみ手を合わせたのだった。

橋上で祈る三月東北へ。


  


桜を待って

2024年03月22日

 へこりと at 15:07  | Comments(2)

弥生 5

このところ、持病の坐骨神経痛がよろしくない。
腰から左足の太ももの裏側の痛みが増しているのだった。
仕事を終えて、風呂に入ったあと、冷たい湿布を貼って
いた。ところが先日ふと気がついた。
風呂に入ってながなが湯船に浸かっていると、痛みが
薄らいでいたのだった。温めたほうが効くんじゃないか。
スマホで検索してみたら、案の定、慢性的な神経痛は
温湿布の方が良いと出ていた。
おのれの体の不具合に、よくよく気遣いが足りないこと
だった。
翌朝、友だちの営む整骨院でお灸とマッサージをして
もらったら、ずいぶんと痛みが軽くなった。
温湿布もいいけれど、もしかぶれるようならホカロンも
痛みに効くと、教えてもらった。
自宅に戻って朝飯を済ませたら、権堂アーケードの
映画館、長野ロキシーへ出かけて、「コットンテール」
を観た。認知症の妻を亡くし気持ちの廃れた男の役を、
リリーフランキーが好演していた。
映画館を出ると、入口わきの、蕎麦屋の戸隠でじいさんが
ふたり、温かい蕎麦を食べている。ひと気のない
アーケードを出て、長野駅前へと下る。前夜の
バナナマンのせっかくグルメで、日村さんが旨そうに
ラーメンを食べていた。今日のランチはラーメンラーメン。
久しぶりに東急の七階の食堂街の、金流飯店におじゃました。
この店は、お運びをするおばちゃんたちの愛想がとても好い。
気さくにお客に声をかけたり、足の不自由なおばあさんに
手を貸したり、お客の動きにこまめに気を使っている。
常連さんとおぼしきお客もいて、楽しそうに言葉を交わして
帰っていく。
餃子をつまみにビールを飲みながら、気持ちの好い店と
眺めたのだった。締めのラーメンを食べ終えて、午後の町を
散策する。この日の風も冷たいけれど、ぷかぷかと雲の
浮かんだ空を眺めていると、この春の訪れに気持ちが和む
のだった。
静かな平日の町をあてもなく散策してむかえた夕方、
馴染みの店、豆腐とお酒・まほろばで、一献酌み交わした。
この日のお相手は、須坂市で鰻屋のた幸を営むご主人だった。
好みの店のご主人と、お客と店の垣根を越えて酌み交わせる
のは、ふだん聞けない話も聞けて、酒徒冥利に尽きること
だった。桜の名所百選、須坂の臥竜公園の桜の開花はいつ頃
かな。この春も夜桜見物に出かけることだった。

竜潜む池のほとりや初桜。


  


風通しの好い気持ちで

2024年03月19日

 へこりと at 11:20  | Comments(2)

弥生 4

自営で客商売をしている。
お客さんのほとんどが年配のかたで、長らく世話に
なっているかたもいてありがたい。
ところが毎年、体調を崩して亡くなったり、
自活が難しくなって介護施設に入られたりする
かたが幾人かいらっしゃる。加えてコロナ禍に
なり、すっかり来なくなった遠方のかたもいる。
昔に比べると、ずいぶん売り上げが落ちているの
だった。この先も、この傾向が変わらないのは
明らかだった。
売り上げを伸ばす攻め手を考えればよいものを、
元来ものぐさの身は、そんな気も起きない。
働いてはいるものの、半分隠居気分で毎日を過ごして
いるのだった。
日々の出費でいちばん大きいのは、なんといっても
飲み屋に落とす金だった。
お客さんが福沢諭吉さんを置いていけば、すんなりと、
今宵の飲み屋へ気持ちが飛んでいく。
カウンターの端に落ちついて、まずはビールで口を
湿らせて。一品二品の肴で旨い日本酒なんぞを酌んだ
翌朝、財布の中を覗いてみれば、どれだけ飲んだんだ
とあきれるくらい減っている。
毎年この時期になると確定申告をして、税務署に税金を
納めている。
一年間の売り上げを計算するたびに、よくこの程度の
稼ぎで、あんなに飲み屋詣でができたことと感心している
ありさまだった。
金が貯まらぬのも無理からぬことだった。
近ごろは、限られた店しか足を運ばなくなっている。
飲み屋もコロナ禍で売り上げが減ったり、
食材の値上げがあったり、皆さんご苦労をされている。
か細い飲み代は、できるだけ思い入れのあるお馴染みさんに
落としたいのだった。
日々の暮らしの中で、これまで義理絡みや、こちらからの
気遣いの付き合いを長年抱えてしまっていた。
そのおかげで、屈託を抱えたり、不愉快な思いをしたり
することが何度かあった。
気にしなければよいものの、そこまで度量の広い柄では
ない。
この際、無用な義理や気遣いは持たぬことと、今年さっぱりと
縁を切らせていただいた。
あれこれいろいろ手を付けたり気を散らしたりせず、
日々の思いを簡素にして、風通しの好い気持ちで毎日を
過ごしたいものだった。

飲み屋へと日銭つかんで春の宵。


  


松本市美術館まで

2024年03月08日

 へこりと at 08:13  | Comments(0)

弥生 3

松本市美術館へ出かけた。
須藤康花さんという、夭折した画家の作品展を開催
しているのだった。
会場の入口に遺影が飾ってあった。
意志のつよそうな目をした、きれいなかただった。
幼いころ、重い病気にかかり、ほとんど学校へ行けず、
入退院を繰り返していたという。そのさなか、絵を
描くことが好きで、大きな公募展で入賞を果たして
いる。十四歳のときに母親を亡くし、自身の闘病も
あり、死ぬことが身近になる中、自殺を考え、遺書を
書いたものの、絵画への思いがとどまらせ、その後も
たくさんの作品を制作した。会場には、幼少の頃から
成長する過程に合わせて、年代別に作品が展示して
あった。死と向きあう自身の内面を描いた作品は、
緻密で闇の中の光を感じさせ、まるで生と死の
つながりを深く静かに伝えてくるようだった。
作品の合間に、いくつもの詩も展示されていて、
目を背けず、自身の病と死と向き合って描きつづけて
いたことが察せられた。進学した多摩美術大学では
銅版画を専攻した。モノクロの作品は、どれも黒い影
の部分が多く、それがかすかな光の存在を
引き立てて、そのかすかな光に、限られた
生への思いが感じられたのだった。
三十歳で亡くなるまでに千点の作品を残したという。
残された作品は父親の正親さんが保管して、2012年
に、松本市に康花美術館を開館した。
美術館の協力のもと貴重な作品の数々に触れることが
でき、好い時間を頂けた。
会場を出ると、館内の別の会場で、地元の
エクセラン高校の美術科の作品展が開かれている。
ちょいと拝見するかと会場に入ったら、おしゃれな制服
の子供たちが迎えてくれた。
油彩画に水彩画に立体物、子供たちの個性が反映された
作品が並んでいる。
三年生の卒業制作テーマは、「泥中に咲く僕ら」で、
十人の作品が展示されていた。「泥中」は、楽しかった
事、辛かった事、もがいてきた三年間の積み重ね。
「咲く僕ら」はその経験から作品が咲くという意味と
いう。須藤康花さんの死と向き合った作品を観て、
明るく健気な子供たちの作品を観たら、なんとも胸が
切なくなった。将来有るこの子たちが、これからも
素敵な作品を作っていけますように。

春の空光かすかな生を往き。


  


松本の居酒屋で

2024年03月05日

 へこりと at 07:55  | Comments(4)

弥生 2

夕方、仕事を早めに終いにして松本へ出かけた。
長野駅まで来ると三連休の中日、駅の構内が
観光客でごった返している。特急しなので五十分、
氷結とハイボールを飲みながら、薄暮の景色を眺めて行く。
久しぶりの松本の夜、東横インにチェックインを済ませ
たら、目当ての店に向かったのだった。
毎週BS11で、太田和彦の居酒屋百選を観ている。
毎回全国のあちこちに旅をしては、いろんな居酒屋を
紹介している。以前、友だちと会津若松へ旅行をした
折りに、太田さんが紹介していた籠太という店に行った。
郷土料理の旨い、接客の温かな好い店だった。
つい先だって、太田さんの故郷の松本の「深酒」という
居酒屋を紹介していた。寡黙そうなご夫婦が営んでいて、
店も小ぎれいな雰囲気を醸し出している。パソコンで
検索してみたら、ホームページが引っ掛かった。
品書きを見ると、日本酒の専門店のようで、申しわけ
程度にクラフトビールが一種類。焼酎もワインも
ウイスキーも見当たらない。
そして、日本酒を飲まないかたの入店はお断りとある。
任せてくれ。最低でも四合は杯を重ねますよとうなづいて、
二軒目、三軒目の入店はお断りとある。承知です。
きっちり素面で速やかに伺いますとうなづいて、
そのあとに、泥酔したかた、常識のないかたの入店は
お断りとあって、ちょっとひるんだ。泥酔して常識に
欠けて、さんざん人さまに迷惑をかけた過去を思い出し、
気を引き締めて予約をぽちっとしたのだった。
ホテルを出て、女鳥羽川の千歳橋を渡ったら、四柱神社
を抜けた先に在った。扉を開けたら、カウンターも
テーブルも客でいっぱいで、二階にも客席があり、
後から入ってきた客が案内されていた。
すごい盛況ぶりに驚いた。県内外、日本酒の品ぞろえが
すごい。
まずはお通しの茶わん蒸しで、秋田の鳥海山を利く。
刺身の三点盛りと、箸休めに、ひたし豆と菜の花の
昆布締めを頼んで、山形のばくれんと若乃井と、宮城の
萩の鶴と秋田の春霞と、東北の味を楽しんだ。
女将さんと話をすればいたってきさくなかたで、店に
入る前の緊張感はどこへやら、楽しく酔わせていただ
いた。ご主人と奥さんにお礼を述べて、締めは焼き鳥で
ハイボールかな。ホテル近くの末喜商店さんにお邪魔を
したことだった。

東北の酒松本で春の暮れ。


  


上田の地酒に

2024年03月01日

 へこりと at 09:04  | Comments(2)
弥生 1

毎日日本酒を酌んでいる。
料理雑誌dantyuの三月号は日本酒の
特集と決まっている。
今回は「王道の日本酒」と銘打って、
数々の銘柄が紹介されていた。
十四代、新政、獺祭、秋鹿、大七、などの
全国に名を馳せた銘柄に、これから王道に
乗るであろう、新進気鋭の銘柄などが百本以上
紹介されていた。
特集の始めに、お蔵さんや酒屋さんなど精通
したかたがたに、王道の日本酒とはどんな酒
ですかと問うている。
常に向上していく酒とか、テロワールを表現して
いる酒とか、過去の歴史から育ってきた酒とか、
飲み手が語れるような特徴のある酒とか、
どんな料理にも合う酒とか、それぞれいろいろに
答えている。その中に、日常に寄り添い、家で
寝っ転がって飲める酒と答えている酒屋さんが
いて、我が意と同じですと頷いた。
気楽に買えて、飲み疲れしない酒がなによりと、
懐ぐあいの寒い身は、晩酌でそんな酒ばかりを
酌んでいるのだった。
また、二十代、三十代の若いかたがたに王道の
銘柄を問うているページがあって、黒龍、群馬泉、
義侠に廣戸川などの銘酒をあげている。
今の日本酒好きの若い子は、すんなり旨い味に
手が届くから、好いご時世になったことと
喜ばしい。こちらがその歳の頃には、まだ地酒を
扱う酒屋も少なく、情報もたやすく手に入らな
かったから、あちこち探し回ったものだった。
若いかたに、おおいに旨い酒を広めていただきたい。
今回嬉しいことに、長野県上田市で信州亀齢を
醸す岡崎酒造さんが紹介されていた。
宿場町の面影を残す柳町に在るお蔵さんで、跡取り
娘さんが杜氏を務め、旦那さんと二人三脚で造りを
している。
娘さんが杜氏になったばかりの頃はあまり
旨くなかった。それでいて、値段が高めの設定で、
なにかの折りに酌むたびに、なんだかなあの気分に
なっていた。すすんで買って飲みたい味にはほど
遠かったのだった。それから何年か経って、朝刊の
1ページに目が留まった。関東信越酒類鑑評会で、
亀齢が最優秀賞を取ったと載っていたのだった。
思わず、うそでしょ!と声をあげてしまい、
信じられなかった。
しばらくして、馴染みの飲み屋で利いてみたら、
以前の味はどこへやら、瑞々しいきれいな味に
驚いてしまった。
亀齢を扱う飲み屋も増えて、今ではその人気
ぶりに、すっかり入手困難な銘柄となっている。
酒質の向上の陰には、ご夫婦の随分な苦労と、
応援するかたがたの支えがあったと後ほど
知った次第だった。
こちらの知らないご苦労のおかげで、いつでも
旨き味に酔っていられる。お蔵さんにはまことに
感謝しかないことだった。

春浅し酒はちょっぴり温めて。



  


観光列車ろくもんへ

2024年02月27日

 へこりと at 08:59  | Comments(0)

如月 7

土曜日、午前の仕事を終えて長野駅へ向かった。
しなの鉄道の観光列車、ろくもんに乗ったのだった。
ろくもんはふだん、長野と軽井沢の間を走っている。
ろくもんの名称は、しなの鉄道の本社のある上田
ゆかりの武将、真田家の家紋の六文銭から名付けられた。
友だちが客室乗務員をしている縁で、これまでに
何回か乗らせてもらっている。旨い料理と長野の地酒を
味わいながら沿線の景色を眺めるのは、のんびりと
好いひとときだった。
冬の雪景色がきれいなこの時期、長野から雪深い
信濃町まで、北信濃雪見酒列車を運行する。
駅ビルで菓子と地酒を買って改札を抜けて待っていると、
赤色のろくもんがホームに入ってきた。
乗務員の女の子の勇ましいほら貝の音色を合図に、
落ちついた木のぬくもりの車内に入って、
友だちとあいさつを交わしながら、差し入れの菓子と
酒を渡した。
この日の料理は、沿線の飯綱町に在るレストラン、
サンクゼールのシェフが提供してくれる。合わせる酒は、
佐久の花と亀の海と勢正宗と三種類。
この冬、長野はまったく雪の降らない日が続いた。
出発して見覚えのある沿線の景色を眺めていても、市街地に
雪が見当たらない。豊野を過ぎて飯綱町の辺りから、
ようやく解け残った雪が見えたのだった。
料理をつまみに酒を酌み、友だちを眺めていれば、
相変わらず好い笑顔でお客さんに言葉をかけていて、
お客さんもにこにこ嬉しそうに返している。
この日のお客さんは、ほぼリピーターのかたたちばかりと
いう。
料理も長野の地酒もさることながら、また会いたいと
思える親しさが、再び乗りたい気分にさせてくれると
わかるのだった。
信濃町の黒姫駅に着いて眺めれば、雪深いはずの地に、
雪が少ない。車内では音楽家お二人のチェロとフルート
の演奏が始まった。爽やかな音色を聴きながら、
春の気配を感じながらの雪見酒と相成った。
黒姫駅から折り返して長野駅へ。
旨い料理と酒の旅、ちょっぴりの贅沢は、毎年の
恒例行事にしますと決めたことだった。

春めくやろくもんゆるゆる酔いの旅。


  


親の気持ちが

2024年02月23日

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如月 6

二か月にいちど、暮らしの手帖を定期購読している。
今のようにインターネットのなかった昔、衣食住に
関する貴重な情報源として、多くの女性に支持されて
いた雑誌だった。
今でも余計な広告は載せず、暮らしに関わるいろいろな
記事が丁寧に載っている。
特集の中に、毎回全国の本屋の店員さんが、ひとつの
テーマに添ってお薦めの本を紹介する頁が有る。
このたびは手紙にまつわるお薦めの本ということで、
谷川史子さんという漫画家の「手紙」という作品を
紹介しているかたがいた。
主人公の素子は、引越しをしたばかりの部屋に届いた
前の住人あての、母からの手紙をうっかり読んで
しまう。つい出来心で、息子のふりをして返事を出した
ところ返信が来て、見知らぬお母さんとの文通が
始まった。一方、実の母親といえば毎日電話をかけて
きて、小言を言ったりいらぬ世話を焼いたりで、素子も
うんざりしていた。そんな中、優しそうなお母さんとの
文通に気持ちが癒されるのだった。
そんなあらすじを読んだら、興味がわいた。
アマゾンを開いて新品を買おうとしたら、値段が
五千円を超えていてぶったまげた。2009年の作品で、
十五年の月日が経っている。プレミアム価格になっちゃ
ったのか、コミック一冊に、さすがにその値段は出せない。
バリューブックスという店で、中古の品を見つけてぽちっ
とした。
四十頁ほどの短編で、温かな気持ちになる好い作品だった。
漫画を読んでうるっときたのは、海街diary以来だった。
二月の初日、介護施設に暮らす母と面会をした。
面会日は、月曜日と木曜日で時間は十五分ほど。
施設では以前コロナの集団感染が出ているから、
相変わらず面会に規制がかかっているのだった。
職員さんに車いすを押されて来た母に会うと、嬉しそうな
笑顔を見せる。会うたびに決まって、体に気をつけるんだよ、
飲み過ぎないようにと、何度も何度も言ってくる。
子供が元気でいることがなによりなのだと、
老いた親の気持ちが伝わってきて、しみじみとありがたい
のだった。
上田市のぼろいマンションに別宅を持っていて、いちど
前の住人あてのはがきが届いたことがある。市役所からの
お金の督促状だった。もうここには住んでいませんよ。
ひと言添えて、速やかに送り返したのだった。

春きざす母との遠出もうなくて。


  


外仕事のかたがたに

2024年02月20日

 へこりと at 08:54  | Comments(0)

如月 5

一月の中旬、作業着姿のかたが訪ねて来た。
自宅兼仕事場の玄関を出て、路地を右手に行くと、
氏神さんの伊勢社が在る。その手前に四メートル
ほどの橋があり、このたび建て替え工事を行うと、
挨拶に来たのだった。
伊勢社の階段のわきに町の駐車場があって、車が
七、八台停めてある。毎日車の出入りがあり、
老朽化した橋が崩れぬうちに新しくするのだった。
ずいぶん以前から、橋の傷みは問題になっていた。
市道だから、長野市に建て替えをお願いしておいた
ところ、ようやくの工事と相成った。
一月の下旬から工事が始まって、毎日作業着姿の
おじさんたちが作業に取り掛かっている。
連日賑やかな重機の音が響いているのだった。
ふだん、屋内で仕事をしている。夏の酷暑の日も涼しい
冷房の中で、冬の厳寒の日も温かな暖房の中で仕事を
して、暇なときは、本を読んだりパソコンを開いて
ユーチューブを観たり、楽な一日を過ごしている。
今の仕事に就く前に、二年ほど会社勤めをしていたことが
ある。雑貨の卸問屋で働いていて、毎日四トントラックに
洗剤やらトイレットペーパーやら荷物をたくさん詰め込んで、
長野市内や、周辺の町や村の商店やスーパーに品物を卸して
いた。大きなトラックの運転に不慣れな頃、事故を起こしたり、
山道で脱輪して助けを求めたり、しくじりを何度かしていた。
月にいちど新潟の津南町に行くことがあり、豪雪の中で
車がスリップして死ぬんじゃないかと怖い思いをしたことも
あった。短い間とはいえ、外で働く大変さを経験している。
季節や天気を問わず、毎日野外で汗水流しているかたがたを
見ると、ほんとにえらいなあと思ってしまうのだった。
早朝、新聞を届けてくれるお兄さんに、バイクに乗って
手紙を届けてくれる郵便屋さんに、いつも明るいヤクルト
レディさんに、
注文した品物を速やかに届けてくれるクロネコさんに
飛脚さんに、毎週食材を届けてくれる生協のお兄さんと、
日々、外仕事のかたがたに助けられている。
連日、能登の被災地の様子をテレビで流している。
がれきを片付けたり、安否不明のかたを探したり、
寒い中、もくもくと被災者のために働いているかたがたの
姿を見ていると、深々と頭を下げたい気持ちになるの
だった。

立春の路地や重機の賑やかに。



  


パーフェクトデイズを

2024年02月16日

 へこりと at 08:47  | Comments(4)

如月 4

夕方、権堂アーケードの映画館、長野ロキシーに
出かけた。
役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観たのだった。
役所広司演じる平山は、古いアパートに暮らし、
日々、公共トイレの清掃員として働いている。
早朝、近所のかたの掃除する竹ぼうきの音で目を
覚まし、顔を洗って、育てているちいさな草木たちに
霧吹きで水をやる。仕事着に着替えて玄関を出たら、
アパートの前の自販機で缶コーヒーを買って、車に
乗って仕事に向かうのだった。
あちこちのトイレをまわり、丁寧に磨き上げ、
お昼には、いつもの神社の境内で昼食を食べる。
仕事が終わると銭湯で汗を流し、地下街の
大衆飲み屋で一杯やる。ときどき、馴染みの
女将さんの小料理屋で酒を飲むときがある。
頻繁に伺わないのは、好意を押し付けぬように
気を使っているのだった。
部屋の掃除は、濡らした新聞紙を畳に撒いて、ほうきで
埃を取っている。洗濯物はコインランドリーまで運んで
洗っている。昼食時、古いフィルムのカメラで木々の
木漏れ日の写真を撮り、写真屋で現像してもらう。
古本屋で、一冊百円の文庫本を毎回一冊だけ買って
読んでいる。車の中で聴くのは、カセットテープに
録音した、昔の洋楽だった。
夜空にスカイツリーの輝きが映える町で、
およそ今どきの快適さとは縁遠い暮らしをしているの
だった。
変わりばえのない日常の中で、朝の空を見上げて
微笑んだり、銭湯で会うおじいさんや、
おなじく神社で昼食をとるOLさんなど、見知らぬ
かたにお辞儀をしたり、ときどき出会うホームレスの
おじさんに優しいまなざしを向けたりしている。
そのしぐさに、穏やかな気持ちで日々を過ごしている
のが伝わってくる。
それでもときには小さな波風があり、職場の後輩の
悩みごとに振り回されたり、長らく疎遠になっている
妹の娘が家出をして訪ねて来る。
娘を迎えに来た妹と、久しぶりの再会をする。
運転手付きの高級車で現れた妹から、かつては平山も
お金に恵まれた暮らしをしていたと察しがつく。
どんな経緯でトイレの清掃員になり、古いアパートで
質素に暮らしているのか、その心情に思いが向いた。
別れ際、妹を抱きしめる姿や、微笑みながらも顔を
ゆがめそうになる一瞬に、今の暮らしを選びながら、
過去への思いが胸をかすめるときがあるとうかがえた。
今の暮らしと、取り返せない、あるいは捨て去った、
過去の暮らしに思いの行く、静かな作品だった。

過ぎし日や数多悔い有り春の月。


  


冬さなかに

2024年02月09日

 へこりと at 10:03  | Comments(0)

如月 3

この冬、長野市街地は雪が少ない。先日久しぶりに
終日雪降りの日があったものの、日中の気温が高いのか、
翌日の午後にはほとんど消えていた。朝晩の冷え込みは
きつく、昼間も風のつよい日は、寒さがけっこうこたえる
ものの、雪がなければ雪かきの手間も省けてありがたい
ことだった。そうはいっても、日々写真を撮っているから、
白く清々しい景色を撮れないのは、寂しくもあるのだった。
仕事を終えた夕方、介護施設に暮らす母に
菓子を届けようと思い立った。
リモコンで車のドアを開けようとピッと
したら反応がない。いやな予感を抱えつつドアを開け、
エンジンをかけようと鍵を回したら、案の定、うんとも
すんとも言わない。
バッテリーが上がってしまったのだった。
車を持っているものの、ほとんど乗ることがない。
六キロ離れた母の介護施設に行くときに使うくらいで、
月にいちどか二度のことだった。
寒い中ずっとエンジンを回さなかったから、お釈迦に
なってしまったか。
それにしても、一年前に新品に交換したばかりだった。
いくら寒いと言っても上がるかなあ。
いぶかしながら、バッテリーの充電をお願いしようと、
世話になっている自動車屋に電話をかけた。
自動車屋の旦那さんにその旨を伝えたところ、
思いがけない答えが返ってきた。
今どきの、アイドリングストップ機能が付いている
車のバッテリーは、充電が出来ないというのだった。
まるごと変えるしかないと言われ、とほほの気分の、
月末の手痛い出費になってしまった。
翌日、早速交換に訪ねてきていただいた。
取りつけてもらいエンジンをかけたところ、
なぜかハザードランプが点滅し始めた。
どうやらどこかで点けたときに、そのまま消すのを
忘れていたらしい。
母を訪ねて行ったのはひと月前のこと。
ずっと点けたままだった。
そりゃあバッテリーも上がるわな・・・
おのれのあほさ加減にあきれてしまった。
旦那さんに、長らく乗らないときは、バッテリーの
コードをねじを緩めて外しておいた方がいいと
教わった。
バッテリー代、原価におまけしとくよと言われ、
長い付き合いに感謝したのだった。

ミライース寒波に負けて息切れて。


  


店じまいに

2024年02月06日

 へこりと at 08:34  | Comments(0)
如月 2

夕方、権堂アーケードの立ち飲み屋、
コンドウで、バターコーンをつまみにハイボールを
飲んでいたら、
ご主人が、桂林閉めちゃいましたねという。
えっ、そうなのと驚いたのだった。
アーケードのわきに在る中華料理屋で、
長年世話になっていたのだった。
飲み屋で酔っ払った帰りに立ち寄っては、
餃子をつまみにビールを飲んだり、ラーメンや
焼きそばを腹に収めていた。
つるつる頭の気さくな旦那さんが営んでいて、
店がひまなときはカウンターをはさんで
ビールを酌み合っていた。
以前も体調を崩して、しばらく休業していた
ときがあった。
いきなりの閉店に、旦那さんのことが気がかりに
なってしまった。コンドウを出て、店の前に行ったら、
シャッターが下ろされて、テナント募集の看板が
置いてあった。それから一週間後の朝、朝刊の
お悔み欄に旦那さんの名前が載っていたのだった。
なにがあったのか・・・享年七十一歳。
早すぎる死に、胸が切なくなってしまった。
子供の頃は、自宅の在るこの町や、四方の隣町は
どこもいろんな店で賑わっていた。
高齢化だったり体調を崩されたり、はたまたお客が
減って売り上げが望めなくなったり、だんだんと
店じまいの知らせを聞くことが増えている。
毎晩酒を酌んでいる。その昔、権堂アーケードの東側、
西鶴賀に在った焼き鳥屋へよく通っていた。
背の高い男前の旦那さんが営んでいて、ときどき
ひとり娘のあいちゃんが、カウンターで宿題をしていて、
かわいいのおと眺めたこともあった。
旦那さんが御実家の事情で店をたたんでから二十五年。
今でも店の在った場所を通り過ぎると、楽しく飲んでいた
若いときを思い出す。世話になっている馴染みの店が
いくつか有る。こちらが昇天するまで商いを続けて
もらいたいと、よくよく願っているのだった。
年明け初めて、豆腐とお酒のまほろばさんにおじゃました。
馬刺しをつまみに福島の大七の燗酒を酌んでいたら、
女将のあゆみさんが、一月一日に入籍しましたという。
おおっ、そうなの!おめでとうございます!
お相手のご主人とは、何度かこの店でお会いしている。
お二人のめでたい知らせに、こちらも気分が明るくなった。
さて、祝いの品はなににしようか。思案した次第だった。

入籍の知らせめでたや冬ぬくし。