新しい冷蔵庫を
睦月 8
母から電話がかかってきた。
なんか、冷蔵庫がこわれたみたいなんだけどと
言うのだった。
冷えている様子がしないから、
ためしに氷を作ってみたら、ちっとも凍らないという。
実家へ行って確かめたら、
仰せの通り寿命が尽きていた。
10年以上使ったからねえ。
すぐに、SBC通りのヤマダ電機へと向かった。
こわれた冷蔵庫は、母の背丈よりも高く、
容量も大きかった。
昨年父が亡くなって、独り暮らしになったから、
ちいさな2ドアでもいいかなあと思ったものの、
実家の近所は店がない。
そこそこ買い置きのできる広さは欲しいのだった。
店員さんの話を聞けば、
売れ行きのひくい2ドアよりも、むしろ、
大きな3ドアのほうが、電気も喰わないという。
ちょっと思案して、すこし小ぶりの日立の3ドアにした。
帰ってきて、こわれた冷蔵庫の中を片付ければ、
ハムやおにぎりに白いカビが生えていて、
アイスはぐちょぐちょに溶けている。
瓶詰めのふきみそは、蓋をあけたらとたんに、
酸っぱいにおいがして、
しばらく前から、こわれていたとうかがえた。
がさごそと奥を探ってみれば、
賞味期限の切れた、ドレッシングにかまぼこに
黒豆が有った。
未開封の七味唐辛子は10年前のもので、
母も歳をかさねて、物忘れがすすんでいる。
買い置きも、ほどほどにしないといけないのだった。
翌日の午後、さっそく新品の冷蔵庫が届いて、
母もほっと安堵していた。
ひさしぶりのピカピカの電化製品に、
年季の入った台所が、すこし明るくなったのだった。

母から電話がかかってきた。
なんか、冷蔵庫がこわれたみたいなんだけどと
言うのだった。
冷えている様子がしないから、
ためしに氷を作ってみたら、ちっとも凍らないという。
実家へ行って確かめたら、
仰せの通り寿命が尽きていた。
10年以上使ったからねえ。
すぐに、SBC通りのヤマダ電機へと向かった。
こわれた冷蔵庫は、母の背丈よりも高く、
容量も大きかった。
昨年父が亡くなって、独り暮らしになったから、
ちいさな2ドアでもいいかなあと思ったものの、
実家の近所は店がない。
そこそこ買い置きのできる広さは欲しいのだった。
店員さんの話を聞けば、
売れ行きのひくい2ドアよりも、むしろ、
大きな3ドアのほうが、電気も喰わないという。
ちょっと思案して、すこし小ぶりの日立の3ドアにした。
帰ってきて、こわれた冷蔵庫の中を片付ければ、
ハムやおにぎりに白いカビが生えていて、
アイスはぐちょぐちょに溶けている。
瓶詰めのふきみそは、蓋をあけたらとたんに、
酸っぱいにおいがして、
しばらく前から、こわれていたとうかがえた。
がさごそと奥を探ってみれば、
賞味期限の切れた、ドレッシングにかまぼこに
黒豆が有った。
未開封の七味唐辛子は10年前のもので、
母も歳をかさねて、物忘れがすすんでいる。
買い置きも、ほどほどにしないといけないのだった。
翌日の午後、さっそく新品の冷蔵庫が届いて、
母もほっと安堵していた。
ひさしぶりのピカピカの電化製品に、
年季の入った台所が、すこし明るくなったのだった。

冷え込みきびしく
睦月 7
酔っぱらって帰った晩、
つぶれるように布団にもぐり込むと、夜明け前、
寒さで目が覚める。
二度寝を決め込んで目をつぶると、
いつもろくでもない夢を見て寝覚めがわるい。
最近いちばんおそろしかったのは、
母が認知症になった夢だった。
徘徊をして行方知れずになり、
なぜか、中学や高校の同級生と探している夢だった。
見つけて捕まえたら、
あんたいやな人だねえと言われて、
絶句したところで目が覚めた。
夢で良かったわあ。
日ごろ、無意識のうちに懸念していることを、
見てしまうのかもしれなかった。
目が覚めても、気楽な自営の身は、
窓の外に、女子高生の笑い声がひびく頃に、
ようやく起きだすときもある。
寒くても、毎朝決まった時間に動きだす、
会社員や学生さんはえらいなあ。
ものぐさな身は、だらしなく感心をしているのだった。
おおきな寒波のおかげで、
雪国ではない町にも大雪が降り、
ことさら寒さがきびしい。
そのさなか、群馬と長野の境の白根山が噴火をした。
ふもとの温泉地、草津町に友だちが二人住んでいて、
それぞれ蕎麦屋と旅館を営んでいる。
客足に影響はないか心配しているのだった。
2月がおわり、3月になれば、陽射しもつよくなってくる。
わかってはいても、他の月より日がすくないくせに、
この2月が、毎年やけに長く感じてしまう。
困ったことなのだった。

酔っぱらって帰った晩、
つぶれるように布団にもぐり込むと、夜明け前、
寒さで目が覚める。
二度寝を決め込んで目をつぶると、
いつもろくでもない夢を見て寝覚めがわるい。
最近いちばんおそろしかったのは、
母が認知症になった夢だった。
徘徊をして行方知れずになり、
なぜか、中学や高校の同級生と探している夢だった。
見つけて捕まえたら、
あんたいやな人だねえと言われて、
絶句したところで目が覚めた。
夢で良かったわあ。
日ごろ、無意識のうちに懸念していることを、
見てしまうのかもしれなかった。
目が覚めても、気楽な自営の身は、
窓の外に、女子高生の笑い声がひびく頃に、
ようやく起きだすときもある。
寒くても、毎朝決まった時間に動きだす、
会社員や学生さんはえらいなあ。
ものぐさな身は、だらしなく感心をしているのだった。
おおきな寒波のおかげで、
雪国ではない町にも大雪が降り、
ことさら寒さがきびしい。
そのさなか、群馬と長野の境の白根山が噴火をした。
ふもとの温泉地、草津町に友だちが二人住んでいて、
それぞれ蕎麦屋と旅館を営んでいる。
客足に影響はないか心配しているのだった。
2月がおわり、3月になれば、陽射しもつよくなってくる。
わかってはいても、他の月より日がすくないくせに、
この2月が、毎年やけに長く感じてしまう。
困ったことなのだった。
電子レンジを
睦月 6
電子レンジがこわれた。
晩酌どきに酒を温めていたら、ふつりと息絶えたのだった。
叩いても押しても反応がない。
20年の上使ってきたからなあ。
あきらめてコンセントを抜いた。
以前掃除機がこわれたのをきっかけに、
ほうきとはたきで、しずかに掃除をするようにした。
晩酌のたびに動くのが億劫になり、
朝までうたた寝をしちゃうから、昨年の秋に、
思い切ってこたつも処分した。
電子レンジもせいぜい酒とつまみを温めるだけ。
酒はお湯で温められるし、つまみもその日の分だけで、
作り置きをしない。
なくてもいいかなあと思ったものの、
ときどき母や知人から、煮もの焼きもの冷凍ものを頂戴する。
思い直して、単純機能の手ごろなやつをぽちっとした。
冷蔵庫と洗濯機もおなじくらいのベテラン選手だった。
冷蔵庫はときどきエラー表示が出て、
洗濯機は脱水のたびに、
ゴジラのような雄叫びをあげるようになった。
それでも使い勝手に支障がないから、
そのまま使っているのだった。
どちらも所帯を持っていたときの名残だった。
男やもめと成った身は、
冷蔵庫で冷やすのは、酒とビールと卵くらいで、
洗濯も、一週間分をまとめてもたかが知れている。
今度買い替えるときは、
もっと小ぶりなもので良いのだった。
そもそも17年前に建てたこの家も、
ひとりで暮らすには広すぎる。
4畳半ひと間に、ちいさな流しと風呂があれば充分で、
離婚を切り出すなら、建てる前に言ってほしかった。
翌日届いた、新しい電子レンジを使ってみれば、
値段相応の、チ~ンという安っぽい音が、
なんともわびしくて良いのだった。

電子レンジがこわれた。
晩酌どきに酒を温めていたら、ふつりと息絶えたのだった。
叩いても押しても反応がない。
20年の上使ってきたからなあ。
あきらめてコンセントを抜いた。
以前掃除機がこわれたのをきっかけに、
ほうきとはたきで、しずかに掃除をするようにした。
晩酌のたびに動くのが億劫になり、
朝までうたた寝をしちゃうから、昨年の秋に、
思い切ってこたつも処分した。
電子レンジもせいぜい酒とつまみを温めるだけ。
酒はお湯で温められるし、つまみもその日の分だけで、
作り置きをしない。
なくてもいいかなあと思ったものの、
ときどき母や知人から、煮もの焼きもの冷凍ものを頂戴する。
思い直して、単純機能の手ごろなやつをぽちっとした。
冷蔵庫と洗濯機もおなじくらいのベテラン選手だった。
冷蔵庫はときどきエラー表示が出て、
洗濯機は脱水のたびに、
ゴジラのような雄叫びをあげるようになった。
それでも使い勝手に支障がないから、
そのまま使っているのだった。
どちらも所帯を持っていたときの名残だった。
男やもめと成った身は、
冷蔵庫で冷やすのは、酒とビールと卵くらいで、
洗濯も、一週間分をまとめてもたかが知れている。
今度買い替えるときは、
もっと小ぶりなもので良いのだった。
そもそも17年前に建てたこの家も、
ひとりで暮らすには広すぎる。
4畳半ひと間に、ちいさな流しと風呂があれば充分で、
離婚を切り出すなら、建てる前に言ってほしかった。
翌日届いた、新しい電子レンジを使ってみれば、
値段相応の、チ~ンという安っぽい音が、
なんともわびしくて良いのだった。
上田飲みに
睦月 5
上田の町へ出かけた。
飲み仲間のかたがたと、新年会があったのだった。
ちいさな城下町の風情が好きで、
ときどき用もないのに行きたくなる。
新幹線で12分。城跡公園の櫓が見えてくると、
いつも懐かしい気持ちになるのだった。
駅を出て、日暮れどきの通りを上がっていく。
原町の角に在った太平庵は、
昨年いっぱいで閉店したという。
窓から覗いたら、
店内はすっかり片づけられていて、がらんとしている。
ちくわの磯部揚げと自家製豆腐で酒を飲み、
冷たいもりで締めるのが好きだった。
寄り処がひとつなくなったのはさびしいことだった。
こまごまと、ちいさな飲み屋の並ぶ袋町を歩いていれば、
入りたい店がいくつも目に留まる。
うらぶれたじじいにふさわしい、昭和の佇まいが好い。
通るたびにそわそわしてしょうがないのだった。
焼きそばの名店日晶亭の前を過ぎていくと、
もうひとつの名店、福昇亭はきれいに改築されていた。
どちらも昼間は、行列ができるほど混み合うのに、
夜はけっこう空いている。
ゆっくりと焼きそばでビール。
夜ならできるとわかって良かった。
頃合い見て、フレンチのル・カドルさんの階段を上がれば、
物静かなご主人と、
笑顔のすてきな奥さんが迎えてくれる。
ビールを飲んで待っていれば、
慣れ親しんだ面々もやって来た。
今年もよろしくお願いします。
美味しい料理とワインを味わいながら、
新年最初の上田の夜を楽しんだのだった。

上田の町へ出かけた。
飲み仲間のかたがたと、新年会があったのだった。
ちいさな城下町の風情が好きで、
ときどき用もないのに行きたくなる。
新幹線で12分。城跡公園の櫓が見えてくると、
いつも懐かしい気持ちになるのだった。
駅を出て、日暮れどきの通りを上がっていく。
原町の角に在った太平庵は、
昨年いっぱいで閉店したという。
窓から覗いたら、
店内はすっかり片づけられていて、がらんとしている。
ちくわの磯部揚げと自家製豆腐で酒を飲み、
冷たいもりで締めるのが好きだった。
寄り処がひとつなくなったのはさびしいことだった。
こまごまと、ちいさな飲み屋の並ぶ袋町を歩いていれば、
入りたい店がいくつも目に留まる。
うらぶれたじじいにふさわしい、昭和の佇まいが好い。
通るたびにそわそわしてしょうがないのだった。
焼きそばの名店日晶亭の前を過ぎていくと、
もうひとつの名店、福昇亭はきれいに改築されていた。
どちらも昼間は、行列ができるほど混み合うのに、
夜はけっこう空いている。
ゆっくりと焼きそばでビール。
夜ならできるとわかって良かった。
頃合い見て、フレンチのル・カドルさんの階段を上がれば、
物静かなご主人と、
笑顔のすてきな奥さんが迎えてくれる。
ビールを飲んで待っていれば、
慣れ親しんだ面々もやって来た。
今年もよろしくお願いします。
美味しい料理とワインを味わいながら、
新年最初の上田の夜を楽しんだのだった。
冬の日に
睦月 4
雪の少ない、過ごしやすい日がつづいている。
おおきな寒波が来て、北は北海道から南は九州まで、
日本海側のあちこちで、大雪が降った。
どっぷりと積もった雪に、電車や車が動けなくなり、
降りつづく有様に雪かきが追い付かない。
かつて長野市でも、そんな大雪の日がたびたび有った。
大変だなあとニュースを観ていたのだった。
夕方から細かい雪が降りつづいた翌朝、
雪かきの音で目が覚めた。
窓から覗いたら、隣の湯本さんと向かいの松木さんが、
うっすらと積もった路地を、早々に片づけてくれていた。
毎度出おくれてすみません。
挨拶をして、玄関先をちゃちゃっと掃いて、思い立つ。
車の雪を落として、若穂の清水寺へと出かけた。
昨年の秋に初めて訪れた古刹では、
みごとな紅葉を堪能した。
里山の、高い木立に抱えられた境内は、
雪景色のころも、さぞや見ごたえがあるかもと
当たりをつけていたのだった。
暗い中、落合橋を渡って、
川沿いの坂道をぐいぐい上がっていくと、
家々の屋根の雪が平地と変わらない。
清水寺の境内も、うすく積もっているくらいだった。
門を抜けていくと石段に、
先客の、ちいさなけものの足跡がつづいている。
坂道を上って観音堂に着いたときに、
空がしらじらと明けてきたのだった。
しんとした気配の中で、
時おりかすかな鳥の鳴き声が、耳をかすめる。
ひとり、つめたい薄雪の境内に立っていると、
気持ちも清々とするのだった。
帰り道、落合橋の上から、
清掃工場の煙突の煙の彼方に
飯綱山が明るくなるのが見えた。
今日も天気が良くなるとわかり、
ほんとに過ごしやすい冬の日なのだった。

雪の少ない、過ごしやすい日がつづいている。
おおきな寒波が来て、北は北海道から南は九州まで、
日本海側のあちこちで、大雪が降った。
どっぷりと積もった雪に、電車や車が動けなくなり、
降りつづく有様に雪かきが追い付かない。
かつて長野市でも、そんな大雪の日がたびたび有った。
大変だなあとニュースを観ていたのだった。
夕方から細かい雪が降りつづいた翌朝、
雪かきの音で目が覚めた。
窓から覗いたら、隣の湯本さんと向かいの松木さんが、
うっすらと積もった路地を、早々に片づけてくれていた。
毎度出おくれてすみません。
挨拶をして、玄関先をちゃちゃっと掃いて、思い立つ。
車の雪を落として、若穂の清水寺へと出かけた。
昨年の秋に初めて訪れた古刹では、
みごとな紅葉を堪能した。
里山の、高い木立に抱えられた境内は、
雪景色のころも、さぞや見ごたえがあるかもと
当たりをつけていたのだった。
暗い中、落合橋を渡って、
川沿いの坂道をぐいぐい上がっていくと、
家々の屋根の雪が平地と変わらない。
清水寺の境内も、うすく積もっているくらいだった。
門を抜けていくと石段に、
先客の、ちいさなけものの足跡がつづいている。
坂道を上って観音堂に着いたときに、
空がしらじらと明けてきたのだった。
しんとした気配の中で、
時おりかすかな鳥の鳴き声が、耳をかすめる。
ひとり、つめたい薄雪の境内に立っていると、
気持ちも清々とするのだった。
帰り道、落合橋の上から、
清掃工場の煙突の煙の彼方に
飯綱山が明るくなるのが見えた。
今日も天気が良くなるとわかり、
ほんとに過ごしやすい冬の日なのだった。
店じまいに
睦月 3
早朝、ひさしぶりに柳町通りを散歩していたら、
まっさらにされたばかりの空き地が目についた。
はて、なにがあったっけ?眺めながら、
眼鏡屋のビルがあったと思い出す。
国産の高級な眼鏡を売っていると聞いていた。
昨今、ちまたにあふれている
安い店に押されたかと、想像しながら過ぎた。
見慣れた景色の中で、
ときどきこうした移り変わりがある。
善光寺門前で、
長らく営んでいた蕎麦屋が店じまいをした。
仲見世のいちばん上のかど店で、
立地は良かったのに、味が良ろしくなかった。
ウルトラ一等地で、
ウルトラ不味い蕎麦を出していたのだった。
パソコンで口コミを覗けば、
とろろそばを頼んだら、
鼻水みたいなとろろしか入っていなかったとか、
蕎麦がぶつぶつ切れてつかめないとか、
天ぷら蕎麦は、ぬるくて少なくてまずいとか、
皮肉交じりに、
この蕎麦屋を放置している、長野の人の
心の広さに感服すると書いている人もいた。
この頃は、スマホに触れば、店の評価がすぐわかる。
立地の良さだけでは、
やっていけないご時世なのだった。
古くからの土産物屋が並ぶ仲見世も、
どこの観光地でも見かける、
大きな資本の店がぽつぽつ現れている。
近ごろ新聞やニュースでは、
景気は上向いているというものの、
善光寺門前に、そんな気配はまったくない。
土産を買う人が少なくなって、
営む御主人がたに会えば、
売れないよー、顔をしかめてこぼすばかりだった。
年老いて、続けていくのも難儀になって、
大きいところに貸して、
家賃でまかなってとなってしまうのかもしれない。
閉店した蕎麦屋のあとは、建物はそのままに、
地元の大きな土産物屋が蕎麦屋をやるといい、
さかんに内装を直している。
10年もして、本物のじいさんになる頃は
どうなっているのかなあと眺めているのだった。

早朝、ひさしぶりに柳町通りを散歩していたら、
まっさらにされたばかりの空き地が目についた。
はて、なにがあったっけ?眺めながら、
眼鏡屋のビルがあったと思い出す。
国産の高級な眼鏡を売っていると聞いていた。
昨今、ちまたにあふれている
安い店に押されたかと、想像しながら過ぎた。
見慣れた景色の中で、
ときどきこうした移り変わりがある。
善光寺門前で、
長らく営んでいた蕎麦屋が店じまいをした。
仲見世のいちばん上のかど店で、
立地は良かったのに、味が良ろしくなかった。
ウルトラ一等地で、
ウルトラ不味い蕎麦を出していたのだった。
パソコンで口コミを覗けば、
とろろそばを頼んだら、
鼻水みたいなとろろしか入っていなかったとか、
蕎麦がぶつぶつ切れてつかめないとか、
天ぷら蕎麦は、ぬるくて少なくてまずいとか、
皮肉交じりに、
この蕎麦屋を放置している、長野の人の
心の広さに感服すると書いている人もいた。
この頃は、スマホに触れば、店の評価がすぐわかる。
立地の良さだけでは、
やっていけないご時世なのだった。
古くからの土産物屋が並ぶ仲見世も、
どこの観光地でも見かける、
大きな資本の店がぽつぽつ現れている。
近ごろ新聞やニュースでは、
景気は上向いているというものの、
善光寺門前に、そんな気配はまったくない。
土産を買う人が少なくなって、
営む御主人がたに会えば、
売れないよー、顔をしかめてこぼすばかりだった。
年老いて、続けていくのも難儀になって、
大きいところに貸して、
家賃でまかなってとなってしまうのかもしれない。
閉店した蕎麦屋のあとは、建物はそのままに、
地元の大きな土産物屋が蕎麦屋をやるといい、
さかんに内装を直している。
10年もして、本物のじいさんになる頃は
どうなっているのかなあと眺めているのだった。
一年が動きだして
睦月 2
正月3ヶ日がすぎて、成人式の連休も終わった。
初詣でのお客でごった返していた善光寺にも、
いつもの落ち着きが戻ってきたのだった。
連日天気予報では、雪のマークが見られるものの、
長野市街に大雪が降ることもない。
冬の前に買った新しい雪かきも、まだ2回使ったきりだった。
労力を消費しなくて良いものの、
冬らしくない景色はすこしさびしい。
適当に降って、風情を醸し出してくれないかと、
都合のいいことを思っているのだった。
仕事始めの朝、上松の昌禅寺まで散歩をした。
前日に降った雪も止んで、空気が凛とつめたい。
城山動物園の前をすぎて、城山団地の、
友だち夫婦のお宅の前を過ぎようとしたら、
がらっと窓が開いて、あらっ、あれっと目が合った。
玄関先で、今年もよろしくお願いしますと挨拶を交わした。
湯谷団地の坂を上がって昌禅寺に着けば、
広い境内は白く雪に覆われて、
足あとをつけるのもためらわれる静けさだった。
ひと回り眺めてから、坂道を下って行けば、
白い町なみを覆う曇天の空が、すこし明るくなってきた。
長野高校の五差路ではすでに渋滞が始まって、
みなさん、新しい1年に動きだしているのだった。
この年も、日々の暮らしに不安はあるが、
先のことは、成るようにしか成らない。
日々是好日。
まずはぽつぽつお誘いかかった新年会で、
明るく酌み交わしたいのだった。

正月3ヶ日がすぎて、成人式の連休も終わった。
初詣でのお客でごった返していた善光寺にも、
いつもの落ち着きが戻ってきたのだった。
連日天気予報では、雪のマークが見られるものの、
長野市街に大雪が降ることもない。
冬の前に買った新しい雪かきも、まだ2回使ったきりだった。
労力を消費しなくて良いものの、
冬らしくない景色はすこしさびしい。
適当に降って、風情を醸し出してくれないかと、
都合のいいことを思っているのだった。
仕事始めの朝、上松の昌禅寺まで散歩をした。
前日に降った雪も止んで、空気が凛とつめたい。
城山動物園の前をすぎて、城山団地の、
友だち夫婦のお宅の前を過ぎようとしたら、
がらっと窓が開いて、あらっ、あれっと目が合った。
玄関先で、今年もよろしくお願いしますと挨拶を交わした。
湯谷団地の坂を上がって昌禅寺に着けば、
広い境内は白く雪に覆われて、
足あとをつけるのもためらわれる静けさだった。
ひと回り眺めてから、坂道を下って行けば、
白い町なみを覆う曇天の空が、すこし明るくなってきた。
長野高校の五差路ではすでに渋滞が始まって、
みなさん、新しい1年に動きだしているのだった。
この年も、日々の暮らしに不安はあるが、
先のことは、成るようにしか成らない。
日々是好日。
まずはぽつぽつお誘いかかった新年会で、
明るく酌み交わしたいのだった。
年の初めに
睦月 1
平成30年に成った。
大晦日、宮城県の友だちが、地元の新酒を送ってきてくれた。
おせち料理をつまみながら、
戦勝政宗のあか抜けた味を楽しんだ。
飲み飽きしない味わいに、
そのまま紅白歌合戦を観ながら杯をかさねていたら、
郷ひろみの、2億4千万の瞳を観ながらつぶれた。
明けた元日、
一升瓶を確かめたら、3分の2が空になっていて、
つぶれるわけだわい・・
風呂に入ってさっぱりとして、
仏前で、祖父と祖母と父に、今年の無事をお願いした。
ところが台所へ行ったら、
母が流し台の前でしゃがみこんでいる。
めまいがひどくて立ってられないというのだった。
何年か前から、慢性的なめまいに悩まされている。
お医者で検査をしても異常が見つからず、
ずっと薬を飲んでいるのに、まるで効かない。
ことさらひどくなるときがあって、
今朝はいちばんひどいと嘆く。
そのまま午後まで寝ていたものの、症状が変わらない。
おまけに吐き気もしてきたといい、
体を支えてトイレへ連れて行った。
元日早々、病院の世話になったのだった。
長野中央病院で、受付を済ませて待合席に行けば、
先客が3組いた。
名前を呼ばれて、診てもらい、
めまいと吐き気のおさまる点滴を1時間受けた。
母も、80歳を過ぎてから、
目に見えて心身の衰えが早くなった。
めまいがする、腰が痛いと弱音を言いながらも、
食事どきともなれば、旨そうにごはんをぱくぱく食べていた。
食欲があるうちは大丈夫と、たかをくくっていたものの、
そうも言ってられないなあ。
母の身の振りかたを考える、新年の課題となるのだった。

平成30年に成った。
大晦日、宮城県の友だちが、地元の新酒を送ってきてくれた。
おせち料理をつまみながら、
戦勝政宗のあか抜けた味を楽しんだ。
飲み飽きしない味わいに、
そのまま紅白歌合戦を観ながら杯をかさねていたら、
郷ひろみの、2億4千万の瞳を観ながらつぶれた。
明けた元日、
一升瓶を確かめたら、3分の2が空になっていて、
つぶれるわけだわい・・
風呂に入ってさっぱりとして、
仏前で、祖父と祖母と父に、今年の無事をお願いした。
ところが台所へ行ったら、
母が流し台の前でしゃがみこんでいる。
めまいがひどくて立ってられないというのだった。
何年か前から、慢性的なめまいに悩まされている。
お医者で検査をしても異常が見つからず、
ずっと薬を飲んでいるのに、まるで効かない。
ことさらひどくなるときがあって、
今朝はいちばんひどいと嘆く。
そのまま午後まで寝ていたものの、症状が変わらない。
おまけに吐き気もしてきたといい、
体を支えてトイレへ連れて行った。
元日早々、病院の世話になったのだった。
長野中央病院で、受付を済ませて待合席に行けば、
先客が3組いた。
名前を呼ばれて、診てもらい、
めまいと吐き気のおさまる点滴を1時間受けた。
母も、80歳を過ぎてから、
目に見えて心身の衰えが早くなった。
めまいがする、腰が痛いと弱音を言いながらも、
食事どきともなれば、旨そうにごはんをぱくぱく食べていた。
食欲があるうちは大丈夫と、たかをくくっていたものの、
そうも言ってられないなあ。
母の身の振りかたを考える、新年の課題となるのだった。