蕎麦屋から
弥生 9
善光寺門前、馴染みの蕎麦屋、かどの大丸へ
うかがった。
その名のとおり、善光寺入り口のかどに在る。
風格ある古い店内は、いつもお客でにぎわっている。
テーブルに座って、キリンのラガーの大びんを
空けながら見渡したら、
窓際の入れこみに、親子の3人連れが居た。
髪の長い、きれいなお嬢さんは20代半ばか後半か。
蕎麦が運ばれてきて、食べる仕草に、思わず目が留まる。
口の中いっぱいにほおばって、
ほっぺた膨らまして、もぐもぐしているのだった。
蕎麦はほおばるもんじゃなくて啜るもの。
餅を食ってんじゃないんだから、野暮っちいなあと、
ビールも不味くなる。
両親二人目の前にいるのに、子供のそんな食べ方は
気にならんのかね。
食べ終わって席を立った姿を見たら、
ヒールの高い靴を履いた、すらっとした身なりは
美しい。
それだけに惜しい!じつに惜しい蕎麦への仕草だった。
かく言う我が身も、はしご酒に酩酊すれば、
飲み食いがだらしない。
酔って記憶をなくすこともざらだから、
その間の仕草なんて怪しいものだった。
もう歳も歳。
気をつけなきゃいけないのだった。
春彼岸のさなか、友だちと県町の蕎麦屋、さがやで
昼酒を交わした。
入れこみに落ちついて、まずはビールで乾杯する。
テレビでは、カーリング女子の中継を流していて、
中部電力がアメリカに僅差で勝利した。
しかし、中部電力の選手はみんなきれいだねえ、
見惚れるねえなどと言い合いながら、
板わさと天ぷらと砂肝焼きをつまみに、
小布施の豊賀と、信州新町の十九の杯をかさねた。
帰り道、ふたりで浄土宗の古刹、
西方寺の門をくぐる。
友だちは、かつての同僚のお参りを、
こちらは、4年前に亡くなった、かどの大丸の
若旦那のお参りをした。
若旦那にはきれいなお姉さんがいて、
今、職人さんを使いながら、店を切り盛りしている。
亡くなる前に、宮入さんと結婚するように。
遺言を残しておいてもらいたかったなあ。
じつに惜しいことだった。
この3連休、善光寺にずいぶんと参拝客が来ていた。
御開帳が始まれば、さらにお客の数が増え、
馴染みの蕎麦屋も混雑する。
御開帳が終わるまでは、ゆっくり昼酒のひとときは
我慢なこととなり、ちょいとさみしいことだった。
彼岸くる友の戒名十一字。
地震の町を
弥生 8
4月3日から、善光寺の御開帳が開かれる。
コロナ禍で1年延期しての開催だった。
土産物屋も宿坊も、このたびばかりは
人出の流れが読めないという。
宿坊の案内人をしている友だちは、
泊まり客の予約がまだ2組だけといい、
馴染みの蕎麦屋の女将は、
コロナ禍で席数を減らしての営業だから、
売り上げもいつものようにいかないといい、
気持ちが盛り上がらないままむかえることとなる。
蔓延防止措置が解除されて、善光寺に
お客の姿が増えてきた。
7年にいちどの大行事のさなか、
感染者が増えないことを願うばかりだった。
平日の夕方、馴染みのべじた坊でひさしぶりの
一献をしていたら、電話が鳴った。
宮城で酒屋を営む友だちで、
5月の黄金週間に、御開帳にうかがいますとの
連絡だった。
待っています。酌み交わしましょうと返事をして、
ひさしぶりにお会いできるのが楽しみなことだった。
酩酊して帰宅して、ひと風呂浴びて、
締めの寝酒でうとうとして目を覚ましたら、
つけっぱなしのテレビで地震のニュースが流れていた。
福島・宮城で震度6強。
あわてて宮城の友だちに連絡をしたら、
ラインで、悲惨な店内の様子を送ってきた。
酒瓶が冷蔵庫からくずれ落ち、散乱している様子に、
言葉を失った。
昨年の2月の地震でも大きな被害を受けて、
耐震補強工事をした。
それが及ばないほどの惨事に、かける言葉が
見つからない。
11年前の東日本大震災の年、
愛飲する宮城の伯楽星のお蔵さんにおじゃました。
年季の入った建物の、傾いた柱やひび割れた壁に、
一升瓶の残骸に、地震のすごさがうかがえた。
友だち曰く、あのときとは違った、
凄い怖い揺れだったという。
それでも、すぐに営業を再開するといい、
気持ちのつよさに頭が下がるのだった。
天を恨まずとはいうけれど、東北への試練は
お願いです、もう終わりにしてくださいと、
切なくなってしまった。
笑顔の再会を待ちわびる。
その思いが深くなったのだった。
春驟雨地震の町を思いけり。

江戸の話で
弥生 7
春がきざして、
まだ冷たい風が吹く日があるものの、
近所の梅がほころび始めて、
桜の蕾も大きくなってきた。
春の訪れにほっとしているのだった。
日曜日の午後、仕事を早じまいして、
芝居見物に出かけた。
旅館を営むかたわら、役者をしている友だちが
いるのだった。
旅館が舞台のその日の演目は、
長野市権堂にゆかりがあるという、国定忠治。
有名な、赤城の山も今宵限りの、子分との別れと、
あこぎな女郎屋から父娘を救い出す、
権堂・山形屋の一件で、
他の役者のかたがたと友だちの、
めりはりの効いた演技に引き込まれた。
浩ちゃん、いい味だしてるねえ。
初めて観た友だちの芝居に、
楽しい時間をすごせたのだった。
翌日、
おなじく、見物していた女の子の営むまほろばへ、
ランチにうかがった。
昨日の芝居の話になり、
子供の頃、テレビであんな芝居を観たことがあると
言われ、そういえば、
昔NHKで放送してたよなあと思いだしたものの、
おぼろげな記憶しかない。
スマホをいじっていた女の子が、
あった!、お江戸でござるだ!と声をあげて、
そうだった、お江戸でござるだった。
伊東四朗やら桜金造やら藤田千恵子らの出演で、
毎回江戸庶民の暮らしを、面白おかしく演じていた。
芝居のあとに、江戸研究家の杉浦日向子さんの、
当時の庶民文化の解説がまた好くて、
杉浦さんの著書を買うようになった。
江戸が好き、蕎麦が好き、酒が好き。
このかたの随筆を読んでから、蕎麦屋の昼酒に
いそしむようになったのだった。
「江戸の蕎麦屋というのは、
食事をするところというより、大人の男の
とまり木のようなところだったんです。」
「そば湯だけを合いの手に、酒を呑むのは、
年を重ね、盃を重ねたものの到達する、
枯淡の境地であろう。」
こんな台詞を読むたびに、好いなあ、
好い女だなあと会いたい想いにかられた。
47歳で亡くなったときには、とても悲しかった。
馴染みの蕎麦屋で一献酌み交わしたかったと、
今でも思ってしまうのだった。
春の日や忠治蕎麦屋で酌んでおり。

春がきざして、
まだ冷たい風が吹く日があるものの、
近所の梅がほころび始めて、
桜の蕾も大きくなってきた。
春の訪れにほっとしているのだった。
日曜日の午後、仕事を早じまいして、
芝居見物に出かけた。
旅館を営むかたわら、役者をしている友だちが
いるのだった。
旅館が舞台のその日の演目は、
長野市権堂にゆかりがあるという、国定忠治。
有名な、赤城の山も今宵限りの、子分との別れと、
あこぎな女郎屋から父娘を救い出す、
権堂・山形屋の一件で、
他の役者のかたがたと友だちの、
めりはりの効いた演技に引き込まれた。
浩ちゃん、いい味だしてるねえ。
初めて観た友だちの芝居に、
楽しい時間をすごせたのだった。
翌日、
おなじく、見物していた女の子の営むまほろばへ、
ランチにうかがった。
昨日の芝居の話になり、
子供の頃、テレビであんな芝居を観たことがあると
言われ、そういえば、
昔NHKで放送してたよなあと思いだしたものの、
おぼろげな記憶しかない。
スマホをいじっていた女の子が、
あった!、お江戸でござるだ!と声をあげて、
そうだった、お江戸でござるだった。
伊東四朗やら桜金造やら藤田千恵子らの出演で、
毎回江戸庶民の暮らしを、面白おかしく演じていた。
芝居のあとに、江戸研究家の杉浦日向子さんの、
当時の庶民文化の解説がまた好くて、
杉浦さんの著書を買うようになった。
江戸が好き、蕎麦が好き、酒が好き。
このかたの随筆を読んでから、蕎麦屋の昼酒に
いそしむようになったのだった。
「江戸の蕎麦屋というのは、
食事をするところというより、大人の男の
とまり木のようなところだったんです。」
「そば湯だけを合いの手に、酒を呑むのは、
年を重ね、盃を重ねたものの到達する、
枯淡の境地であろう。」
こんな台詞を読むたびに、好いなあ、
好い女だなあと会いたい想いにかられた。
47歳で亡くなったときには、とても悲しかった。
馴染みの蕎麦屋で一献酌み交わしたかったと、
今でも思ってしまうのだった。
春の日や忠治蕎麦屋で酌んでおり。
上田の風に
弥生 6
上田市立美術館で、巨匠たちの10代という、
有名な画家たちの、子供のころの作品展を開いている。
モネにロートレック、ディッフェに
ピカソなど、海外のかたの作品が31点。
高村光太郎に岸田劉生、伊東深水に平山郁夫など、
日本のかたの作品が75点。
渡辺えりや松岡修造、鉄拳など、
テレビでおなじみのかたの作品もあって、
ユニークな企画展と眺めた。
長野駅の地下の連絡通路に、
地元の子供たちの絵が飾ってある。
眺めながら歩いていると、ときどき、おっと見入ってしまう
作品がある。構図、色使いが見事で、
そんな絵を描く子は、将来有望な、
画家の玉子かもしれない。
一緒に、美術館所蔵の版画展も開いていて、
ふたたび、村上早の作品にお目にかかれた。
3年まえにこのかたの銅版画の数々を観て以来、
好きになったのだった。
ぜひまた、おおきな作品展を開いて
もらいたいことだった。
美術館を出て、千曲川の堤防道路を歩いていけば、
さっぱりとした風が、輝く川面をすぎていく。
別所線の赤い鉄橋を、2両電車がごとごとと
渡って行く。
清掃工場の煙突から青天に、のんびりと煙が
上がっていた。
冬すぎて,
柔らかな春の風に、気持ちも
ほっとするのだった。
ときどき、
しょっちゅう上田に出かけてますが、
彼女でもいるんですかと聞かれることがある。
その昔、上田に暮らすかたと付き合っていた。
それまで縁のなかった町にうかがうようになり、
ちいさな城下町の和やかな風情に魅入られた。
知り合わなければ、上田の魅力も
気づかずじまいだったから、
ありがたいことだった。
桜のきれいな城跡公園が在り、
目を引く展覧会をする美術館が在り、
落ちついた昭和の景色が残り、
馴染みの蕎麦屋に飲み屋も出来て、来るたびに、
好い町と思いながら歩いている。
古い家屋のつづく道を抜け、矢出沢川をわたって
北国街道を行く。
上田高校第2グラウンドでは、サッカー部の
子供たちが、わいわいとボールを蹴っっていた。
城跡公園に行くと、梅の蕾が大きくなって、
そろそろ開花しますかね。
来月には桜も開くから、春の上田のひとときを、
今年も楽しみに待っているのだった。
春一番赤い鉄橋渡りおり。

上田市立美術館で、巨匠たちの10代という、
有名な画家たちの、子供のころの作品展を開いている。
モネにロートレック、ディッフェに
ピカソなど、海外のかたの作品が31点。
高村光太郎に岸田劉生、伊東深水に平山郁夫など、
日本のかたの作品が75点。
渡辺えりや松岡修造、鉄拳など、
テレビでおなじみのかたの作品もあって、
ユニークな企画展と眺めた。
長野駅の地下の連絡通路に、
地元の子供たちの絵が飾ってある。
眺めながら歩いていると、ときどき、おっと見入ってしまう
作品がある。構図、色使いが見事で、
そんな絵を描く子は、将来有望な、
画家の玉子かもしれない。
一緒に、美術館所蔵の版画展も開いていて、
ふたたび、村上早の作品にお目にかかれた。
3年まえにこのかたの銅版画の数々を観て以来、
好きになったのだった。
ぜひまた、おおきな作品展を開いて
もらいたいことだった。
美術館を出て、千曲川の堤防道路を歩いていけば、
さっぱりとした風が、輝く川面をすぎていく。
別所線の赤い鉄橋を、2両電車がごとごとと
渡って行く。
清掃工場の煙突から青天に、のんびりと煙が
上がっていた。
冬すぎて,
柔らかな春の風に、気持ちも
ほっとするのだった。
ときどき、
しょっちゅう上田に出かけてますが、
彼女でもいるんですかと聞かれることがある。
その昔、上田に暮らすかたと付き合っていた。
それまで縁のなかった町にうかがうようになり、
ちいさな城下町の和やかな風情に魅入られた。
知り合わなければ、上田の魅力も
気づかずじまいだったから、
ありがたいことだった。
桜のきれいな城跡公園が在り、
目を引く展覧会をする美術館が在り、
落ちついた昭和の景色が残り、
馴染みの蕎麦屋に飲み屋も出来て、来るたびに、
好い町と思いながら歩いている。
古い家屋のつづく道を抜け、矢出沢川をわたって
北国街道を行く。
上田高校第2グラウンドでは、サッカー部の
子供たちが、わいわいとボールを蹴っっていた。
城跡公園に行くと、梅の蕾が大きくなって、
そろそろ開花しますかね。
来月には桜も開くから、春の上田のひとときを、
今年も楽しみに待っているのだった。
春一番赤い鉄橋渡りおり。
春に祈る
弥生 5
昔、町内に暮らしていたおじいさんがいた。
長らく国鉄に勤めて、退職後は町の老人会の
会長をしながら、奥さんと仲良く暮らしていた。
太平洋戦争の折りは、満州に出兵していたかたで、
町内会の宴のときに、どんなきっかけだったか
当時の話をされて、満州では、人に言えないようなことを
さんざんやってしまったと、
ぽつりとおっしゃっていたのを覚えている。
老人会の役を辞めてしばらくしたら、
ちょっと様子がおかしいと、見受けられるようになった。
いつもにこにこと穏やかなかただったのに、
些細なことで大声をあげるようになり、
そのうちに、ふらっといなくなったかと思ったら、
とんでもない遠くの場所で保護されることがつづいた。
夜中に起き上がったかと思ったら、
敵が来るぞ、おれの銃はどこだあと叫びだしたり、
敵を攻めるぞおと、外に飛び出そうとして、
奥さんの手を焼かせることとなった。
いちど夜遅くに、玄関の戸をどんどん叩く音がして、
開けてみたら、寝間着姿のおじいさんが立っていた。
手にたくさんの100円ライターを持っていて、
手りゅう弾をみつけました、どうすればいいかと
聞いてきた。
私が預かりますと受け取って、翌朝、
奥さんに返したのだった。
ボケると、古い記憶ばかりがよみがえると言うけれど、
戦争体験がいかに心に傷を落としていたか
うかがえた。しばらくそんなことがつづいたのち、
おじいさんは彼岸へ旅立ってしまった。
戦争で、深く長い傷を負っている人々のことを思うと
気持ちがなんとも暗くなる。
はるか遠い国に早く平和が訪れますように。
祈らずにはいられないのだった。
青空と小麦の国や春祈る。

昔、町内に暮らしていたおじいさんがいた。
長らく国鉄に勤めて、退職後は町の老人会の
会長をしながら、奥さんと仲良く暮らしていた。
太平洋戦争の折りは、満州に出兵していたかたで、
町内会の宴のときに、どんなきっかけだったか
当時の話をされて、満州では、人に言えないようなことを
さんざんやってしまったと、
ぽつりとおっしゃっていたのを覚えている。
老人会の役を辞めてしばらくしたら、
ちょっと様子がおかしいと、見受けられるようになった。
いつもにこにこと穏やかなかただったのに、
些細なことで大声をあげるようになり、
そのうちに、ふらっといなくなったかと思ったら、
とんでもない遠くの場所で保護されることがつづいた。
夜中に起き上がったかと思ったら、
敵が来るぞ、おれの銃はどこだあと叫びだしたり、
敵を攻めるぞおと、外に飛び出そうとして、
奥さんの手を焼かせることとなった。
いちど夜遅くに、玄関の戸をどんどん叩く音がして、
開けてみたら、寝間着姿のおじいさんが立っていた。
手にたくさんの100円ライターを持っていて、
手りゅう弾をみつけました、どうすればいいかと
聞いてきた。
私が預かりますと受け取って、翌朝、
奥さんに返したのだった。
ボケると、古い記憶ばかりがよみがえると言うけれど、
戦争体験がいかに心に傷を落としていたか
うかがえた。しばらくそんなことがつづいたのち、
おじいさんは彼岸へ旅立ってしまった。
戦争で、深く長い傷を負っている人々のことを思うと
気持ちがなんとも暗くなる。
はるか遠い国に早く平和が訪れますように。
祈らずにはいられないのだった。
青空と小麦の国や春祈る。
この春を。
弥生 4
信濃町に出かけた。
長野高校の五差路を北に過ぎて、
坂中のくねくね坂を上っていく。
長いトンネルを抜けて、飯綱町に入ったとたん、
景色が変わった。雪の量が半端ないのだった。
この冬、長野市街地は降雪が多く、
寒さもきびしかった。
ところがこうして山の町に来てみると、
市街地の冬なんてかわいいもんだと
よくわかる。
さいわい道路はきれいに除雪されて、
車の運転に支障はないものの、
道の両側の雪の壁が、高くて厚い。
広い道から、林の中の知人宅へ向かうと、
辺りには、まだ嘘みたいな雪が積もっていた。
おじゃまして庭を眺めていたら、
これでもずいぶん片付けたとの
台詞に、この冬の労力がうかがえたのだった。
美味しい珈琲を頂いて、お願いごとの話を済ませ、
お宅をあとにする。
さっぱりと晴れた日で、てっぺんを白く染めた
飯綱山と戸隠山と黒姫山に妙高山が望めた。
清々とした景色を前に、気持ちもこざっぱりとしたのだった。
ちょいと足を延ばせば、豊かな景色に恵まれる。
コロナ禍で遠出ができない折り、
ささやかにありがたいことだった。
日を置いた平日の午後、久しぶりのかたが
訪ねてきてくれた。
長野から鎌倉へ移住した友だちで、
帰郷のついでに顔を出してくれたのだった。
大河ドラマのおかげで、鎌倉も混雑しているかと尋ねれば、
コロナ禍の影響で、人出はあるものの、
ふだんよりぜんぜん少ないという。
コロナが落ちついたら、ぜひ遊びに来てくださいと言うから、
ぜひ行きますと交わした。
大学生活を横浜で過ごしていたから、
鎌倉は、よく足を運んだものだった。
もう40年あまり前のことだから、ずいぶんと懐かしい。
横須賀線の北鎌倉駅で降りて、のんびり寺巡りをしながら
鎌倉まで。またたどってみたいことだった。
大学時代、いちばん仲の良かった友だちとの一献を金沢で。
慕ってくれる年下の友だちとの一献を鎌倉で。
長いコロナ禍の中、そろそろ旅情が
うずいてきているのだった。
春時雨鎌倉殿も濡れており。

信濃町に出かけた。
長野高校の五差路を北に過ぎて、
坂中のくねくね坂を上っていく。
長いトンネルを抜けて、飯綱町に入ったとたん、
景色が変わった。雪の量が半端ないのだった。
この冬、長野市街地は降雪が多く、
寒さもきびしかった。
ところがこうして山の町に来てみると、
市街地の冬なんてかわいいもんだと
よくわかる。
さいわい道路はきれいに除雪されて、
車の運転に支障はないものの、
道の両側の雪の壁が、高くて厚い。
広い道から、林の中の知人宅へ向かうと、
辺りには、まだ嘘みたいな雪が積もっていた。
おじゃまして庭を眺めていたら、
これでもずいぶん片付けたとの
台詞に、この冬の労力がうかがえたのだった。
美味しい珈琲を頂いて、お願いごとの話を済ませ、
お宅をあとにする。
さっぱりと晴れた日で、てっぺんを白く染めた
飯綱山と戸隠山と黒姫山に妙高山が望めた。
清々とした景色を前に、気持ちもこざっぱりとしたのだった。
ちょいと足を延ばせば、豊かな景色に恵まれる。
コロナ禍で遠出ができない折り、
ささやかにありがたいことだった。
日を置いた平日の午後、久しぶりのかたが
訪ねてきてくれた。
長野から鎌倉へ移住した友だちで、
帰郷のついでに顔を出してくれたのだった。
大河ドラマのおかげで、鎌倉も混雑しているかと尋ねれば、
コロナ禍の影響で、人出はあるものの、
ふだんよりぜんぜん少ないという。
コロナが落ちついたら、ぜひ遊びに来てくださいと言うから、
ぜひ行きますと交わした。
大学生活を横浜で過ごしていたから、
鎌倉は、よく足を運んだものだった。
もう40年あまり前のことだから、ずいぶんと懐かしい。
横須賀線の北鎌倉駅で降りて、のんびり寺巡りをしながら
鎌倉まで。またたどってみたいことだった。
大学時代、いちばん仲の良かった友だちとの一献を金沢で。
慕ってくれる年下の友だちとの一献を鎌倉で。
長いコロナ禍の中、そろそろ旅情が
うずいてきているのだった。
春時雨鎌倉殿も濡れており。
無くしものを。
弥生 3
朝刊を見ていたら、10歳の女の子の投稿が載っていた。
お店の駐車場で財布を無くしてしまいました。
お店の人に聞いても、車の中を探しても見つからず、
翌朝早く、お父さんとお母さんが駐車場を探しても
見つからず、哀しくて涙が止まりませんというのだった。
ちいさな胸の内を思うと、こちらも切なくなってしまった。
財布、どうか見つかりますように。
これまでに酔っ払って財布や携帯電話を落としたり、
しらふのときもついうっかりで、お金を
落としたことがあった。見つかることもあれば
見つからぬこともあり、その都度、ほっとしたり
がっかりしていた。
昨年、昼からのはしご酒の折り、スマホを落としてしまった。
幸いGPSのおかげで落とし場所がわかり、
手元に戻ってきたから良かったものの、
はしご酒をするからいかんのだ。飲みに出たら一軒勝負。
つつしんで守っている。
落としたわけではないのに失ったものもある。
4年前に自宅の駐車場からバイクを盗まれた。
鍵をかけてハンドルロックもしておいたのに、
持っていかれてしまった。
おなじ目にあわぬよう、駐車場にシャッターを
設置することとなり、ずいぶんな出費になってしまった。
いちばん大きな無くしものは、まちがいなく家庭だった。
25歳のときに結婚して、5年で縁が切れた。
32歳で再婚して、11年で縁が切れた。
不徳のせいでいろんなかたに心配と迷惑をかけてしまい、
振り返るたびにつくづく情けない。
もう家庭を持つことはない。
せめて今有る縁を無くさぬように。
それだけが願いだった。
冬になるとワカサギ釣りに出かける友だちがいる。
先日、飯綱の霊仙寺湖に出かけたときのことだった。
ひととき釣って、帰り支度を始めたときに、
蹴つまずいて、スマホを置いてあった台に
足をぶつけてしまった。するとスマホが滑って、
見事ホールインワン、
ワカサギを釣っていた穴に落ちてしまったのだった。
刹那、静寂な湖で絶叫をあげてしまい、
あわてて穴に手を突っ込んだものの、
スマホは静かに湖底に消えてしまったという。
落とした場所がわかっているのに拾えないのも
切ないなあと、笑いながら同情した次第だった。
縁切られはや幾年や春月夜。

朝刊を見ていたら、10歳の女の子の投稿が載っていた。
お店の駐車場で財布を無くしてしまいました。
お店の人に聞いても、車の中を探しても見つからず、
翌朝早く、お父さんとお母さんが駐車場を探しても
見つからず、哀しくて涙が止まりませんというのだった。
ちいさな胸の内を思うと、こちらも切なくなってしまった。
財布、どうか見つかりますように。
これまでに酔っ払って財布や携帯電話を落としたり、
しらふのときもついうっかりで、お金を
落としたことがあった。見つかることもあれば
見つからぬこともあり、その都度、ほっとしたり
がっかりしていた。
昨年、昼からのはしご酒の折り、スマホを落としてしまった。
幸いGPSのおかげで落とし場所がわかり、
手元に戻ってきたから良かったものの、
はしご酒をするからいかんのだ。飲みに出たら一軒勝負。
つつしんで守っている。
落としたわけではないのに失ったものもある。
4年前に自宅の駐車場からバイクを盗まれた。
鍵をかけてハンドルロックもしておいたのに、
持っていかれてしまった。
おなじ目にあわぬよう、駐車場にシャッターを
設置することとなり、ずいぶんな出費になってしまった。
いちばん大きな無くしものは、まちがいなく家庭だった。
25歳のときに結婚して、5年で縁が切れた。
32歳で再婚して、11年で縁が切れた。
不徳のせいでいろんなかたに心配と迷惑をかけてしまい、
振り返るたびにつくづく情けない。
もう家庭を持つことはない。
せめて今有る縁を無くさぬように。
それだけが願いだった。
冬になるとワカサギ釣りに出かける友だちがいる。
先日、飯綱の霊仙寺湖に出かけたときのことだった。
ひととき釣って、帰り支度を始めたときに、
蹴つまずいて、スマホを置いてあった台に
足をぶつけてしまった。するとスマホが滑って、
見事ホールインワン、
ワカサギを釣っていた穴に落ちてしまったのだった。
刹那、静寂な湖で絶叫をあげてしまい、
あわてて穴に手を突っ込んだものの、
スマホは静かに湖底に消えてしまったという。
落とした場所がわかっているのに拾えないのも
切ないなあと、笑いながら同情した次第だった。
縁切られはや幾年や春月夜。
亡き人と
弥生 2
日中の光に暖かさが感じられるようになり、
この冬の終わりが見えてきた。
それでも、まだ朝の冷え込みは変わらず、
目覚まし時計のアラームに、目が覚めても
起きられず、二度寝を決めこんでいる。
そんなとき、決まって懐かしい人が夢に出てくるのだった。
ずいぶんと会っていない同級生や、
遠くの町に暮らす友だちや、
すでに逝ってしまったかたが現れる。
昔、家庭を持っていたことがある。
一男一女の親になったものの、5年で連れ合いと
離婚をした。その連れ合いが、3年前に癌で亡くなった。
亡くなったときに子供から連絡があり、お参りに行った。
情の薄い身は、その後思い出すこともなかったのに、
先日夢に現れたのだった。
癌が見つかったときは、すでに病状が進んでいた。
子供たちのことをよろしくお願いしますと、
切羽詰まった顔で訪ねて来たことを思い出し、
夢でなにを伝えたかったのか。3月23日が命日。
子供たちのことは心配せぬようにと、
手を合わせたい。
4年前に亡くなった友だちが出てきたことがあった。
焼き肉屋で一緒に宴をしている夢だった。
蕎麦屋を営んでいた友だちで、蕎麦を見るのは
うんざりだけど、焼き肉だったら
毎日食べたいと言うほどの肉好きだった。
宴の幹事をお願いすれば、決まってどこぞの焼き肉屋で、
鍋奉行ならぬ肉奉行で、ほいほい肉を焼いてくれ、
大盛りのご飯に焼き肉乗っけては、旨そうに
ほおばっていた。陽さん会いたいよ。
父が夢に出てくるときもときどきある。
亡くなってこの3月でまる5年。
春の彼岸に逝ったのは、几帳面な父らしいことだった。
来年は七回忌を迎えることになる。
亡くなったかたを思い出すと、
月日の流れの早いことが、まこと感じられるのだった。
春の夢父は怒っているばかり。
近所で休日を
弥生 1
休日、カーテンを開けたら粉雪の朝だった。
たいした降りではなかったから、散歩に出た。
通勤通学の人とすれちがい、裾花川沿いの
土手を歩いていけば、川音の響きが高く、
朝の光も増して、春の気配が感じられる。
清々と気持ちよく、8キロ余りの道のりを歩いた。
帰宅して近所の郵便局へ出向いて、
確定申告の書類を税務署へ送り、税金を納めた。
毎年この時期、申告の書類を作るたびに、
この程度の稼ぎで、よくもまあ、
あれだけ飲み屋に散財できたものと
我ながら感心している。こんなときだけ
男やもめの身軽さが、ありがたいことだった。
郵便局をでると、雪の降りがつよくなってきた。
今日は近所で過ごすと決めて、そのまま
県立美術館へ足を運んだ。
下諏訪町出身の松沢侑の作品展が
開かれているのだった。
初めて名前を知ったかたの作品は、絵画に
立体的なオブジェに散文と、自身の内面を
抽象的な形であらわしている。なんとなく、
作品へのよりどころを見いだせないまま、あとにした。
地下のギャラリーでは、近隣の小中学生の描いた、
善光寺の作品展をやっていた。
おなじ境内を描いていても、それぞれの
個性が感じられ、
ほう、こういう視点で捉えたかと、
子供たちの豊かな感性に感心をした。
美術館を出て、降りやまぬ雪の中、
善光寺仲見世の蕎麦屋、丸清の暖簾をくぐる。
枝豆をつまみにビールを飲みだせば、
となりの中年のカップルの会話が聞こえてくる。
そやさかい~、の台詞に、関西か北陸からの
観光客とうかがえて、
金沢に暮らす友だちを思い出す。
今年は会いに行く予定なんだけど、
いつまでも収まらぬコロナが恨めしい。
そのかたたちが店を出てほどなく、
若いカップルが入ってきた。
大学生かな。もう春休みになったのかな。
二人ともきれいな顔立ちをしていて、
男の子は天ぷら蕎麦、女の子はとろろ蕎麦を注文した。
蕎麦が運ばれてくると、戸田恵梨香似の女の子は、
長い髪をうしろで結び、手を合わせ、
いただきますとお辞儀をして食べ始めた。
きちんとした姿に、
親御さんは良い育てかたをされていると眺めた。
蕗味噌とブリの照り焼きで燗酒を2本。
もりで締めて店を出れば、雪が小降りになっている。
酔いざましにひとまわり歩いていれば、
目の前を、帰宅途中の城山小学校の子供たちが
歩いていく。
にぎやかな声と笑顔を眺めていれば、
子供たちががまんをせず、のびのび暮らせる日常が、
はやく戻りますように。
つくづく思ってしまうのだった。
そやさかい税金納め春きざす。

休日、カーテンを開けたら粉雪の朝だった。
たいした降りではなかったから、散歩に出た。
通勤通学の人とすれちがい、裾花川沿いの
土手を歩いていけば、川音の響きが高く、
朝の光も増して、春の気配が感じられる。
清々と気持ちよく、8キロ余りの道のりを歩いた。
帰宅して近所の郵便局へ出向いて、
確定申告の書類を税務署へ送り、税金を納めた。
毎年この時期、申告の書類を作るたびに、
この程度の稼ぎで、よくもまあ、
あれだけ飲み屋に散財できたものと
我ながら感心している。こんなときだけ
男やもめの身軽さが、ありがたいことだった。
郵便局をでると、雪の降りがつよくなってきた。
今日は近所で過ごすと決めて、そのまま
県立美術館へ足を運んだ。
下諏訪町出身の松沢侑の作品展が
開かれているのだった。
初めて名前を知ったかたの作品は、絵画に
立体的なオブジェに散文と、自身の内面を
抽象的な形であらわしている。なんとなく、
作品へのよりどころを見いだせないまま、あとにした。
地下のギャラリーでは、近隣の小中学生の描いた、
善光寺の作品展をやっていた。
おなじ境内を描いていても、それぞれの
個性が感じられ、
ほう、こういう視点で捉えたかと、
子供たちの豊かな感性に感心をした。
美術館を出て、降りやまぬ雪の中、
善光寺仲見世の蕎麦屋、丸清の暖簾をくぐる。
枝豆をつまみにビールを飲みだせば、
となりの中年のカップルの会話が聞こえてくる。
そやさかい~、の台詞に、関西か北陸からの
観光客とうかがえて、
金沢に暮らす友だちを思い出す。
今年は会いに行く予定なんだけど、
いつまでも収まらぬコロナが恨めしい。
そのかたたちが店を出てほどなく、
若いカップルが入ってきた。
大学生かな。もう春休みになったのかな。
二人ともきれいな顔立ちをしていて、
男の子は天ぷら蕎麦、女の子はとろろ蕎麦を注文した。
蕎麦が運ばれてくると、戸田恵梨香似の女の子は、
長い髪をうしろで結び、手を合わせ、
いただきますとお辞儀をして食べ始めた。
きちんとした姿に、
親御さんは良い育てかたをされていると眺めた。
蕗味噌とブリの照り焼きで燗酒を2本。
もりで締めて店を出れば、雪が小降りになっている。
酔いざましにひとまわり歩いていれば、
目の前を、帰宅途中の城山小学校の子供たちが
歩いていく。
にぎやかな声と笑顔を眺めていれば、
子供たちががまんをせず、のびのび暮らせる日常が、
はやく戻りますように。
つくづく思ってしまうのだった。
そやさかい税金納め春きざす。