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初冬の花火に。

2024年11月29日

 へこりと at 09:48  | Comments(2)

霜月 8

毎年11月19日は、自宅のそばの、西宮神社のえびす講が開かれる。
神社のまわりにだるまや熊手の縁起物や、焼きそばや唐揚げに
お好み焼きなど食べ物の屋台が並ぶのだった。
この日は夕方から、同業のかたがたと飲み会が入っていた。
明るい神社を遠めに眺めながら、通りを下りていく。神社から
ちょっと離れたこの通りにも、昔は屋台がずらりと並んでいた。
景気が良かった頃は、神社の1キロ先まで参拝客が列を成していた
という。
景気の波がすっかり引いてしまい、年々活気がなくなっているの
だった。
毎年、ずっと同じだるま屋からだるまを買っていた。
いつも名入りのだるまを届けに来てくれるのに、今年はついぞ
姿を見せず、だるまが買えず終いになってしまった。だるまを買う
だけの間柄で、名前も存じ上げないかただった。どんな事情で
今年は売りに来なかったのか、気になってしまったのだった。
飲み会の帰り道に神社にお参りに立ち寄ったら、まだ夜の9時過ぎ
なのに、参拝客がまばらだった。この先どうなるんだろうねえ。
飲み会で盛り上がった気分もちんやりしてしまった。
日を置いた23日の祝日は、えびす講大煙火大会が行われる。
恒例の花火大会は今年で118回を数える。その間、山の上で
上げられたり、学校のグラウンドで上げられたり、安全性や住宅の
増加など諸事情を踏まえて打ち上げ場所を変えてきた。現在は
長野赤十字病院の先に在る、千曲川の河川敷に落ちついている。
長野駅の東口の通路から眺めて、終わったらすぐそばの馴染みの
飲み屋で体を温めたり、ワンカップを温めて、上着を着こんで
自宅のそばの神社の境内から遠めに眺めたり、その時の気分で
初冬の花火を眺めてきた。今年はこの花火大会に合わせて、
長野駅東口の大きな公園で日本酒のイベントが開かれると
いうのだった。当日、薄暮の中大勢の見物客に混じって公園に
着くと、まわりに飲食の屋台がずらっと並び、
顔見知りのお蔵さんたちが、列を成した酔客にせっせと酒を注いで
いた。飲み仲間のかたがたと合流して、冷やかに澄んだ空気の中、
高々と広がる花火を見ていたら、冬が来るなあと、静かに染み入って
来るのだった。

冴ゆる夜や数多の華を見上げつつ。




  


若いかたがたと。

2024年11月26日

 へこりと at 09:44  | Comments(2)

霜月 7

先日、馴染みの飲み屋に出かけたところ、カウンターに
先客がいた。初めて見掛ける女性だった。ジントニックを
飲みながら店のご主人とカウンター越しに話をしていたら、
その女性を紹介された。ご主人の自宅の近所に住んでいる
かたなのだった。
話をしているうちに、どういう流れか忘れたけれど、今度、
三人で蕎麦屋の昼酒をやりましょうと相成った。場所はこちらの
馴染みの蕎麦屋でということで。初対面のしょぼくれたおじさんと
昼間から酒に付き合ってくれるのだから、なんともありがたいこと
だった。
日を置いた当日、自宅からほど近い蕎麦屋の丸清におじゃまして
エビスを飲んでいたら、ほどなく女性もやって来た。
しばらくしたら店のご主人から電話がかかって来た。
すみません、前夜飲みすぎまして・・今日は二日酔いで行けません
とのお詫びだった。二日酔いになるほど飲めるのは若い証拠。
お大事にと伝えて、女性と差しつ差されつの昼間酒となった。
きのこおろしや天ぷらをつまみに延々と、大信州の辛口純米の
一合瓶を空にしていったのだった。お互いの仕事のことに、
好みの日本酒のこと、話をしながら杯を重ねた。初めて杯を
交わしているのに、こちらに余計な気遣いをさせることもなく、
まことに楽しい昼酒のひとときを過ごせたことだった。おまけに、
どれだけ飲んでも顔色ひとつ変わらずに、ひょうひょうとしていて
酒がつよい。
新蕎麦を食べてから、もう一軒別の店にはしごして、西之門の
純米吟醸二本で締めた。昨今の若者は日本酒を飲まなくなったと
耳にするから、こんな飲みっぷりの好いかたに出会うと、
なんだか嬉しくなってしまうのだった。
この歳になって、杯を交わすかたがたは年下のかたばかりとなって
いる。皆さんよほど懐が深いのか、だらしのないしょぼくれた
おじさんに、いやな顔もせず付き合ってくれる。
まことに感謝の至りだった。ただ困るのは、こちらは年相応に
体や内臓にガタが来ているのに、若いかたとの楽しい一献に、
同じペースで杯を重ねてしまうことだった。だいたい、
子供の頃から胃腸の弱い体質で、食べすぎ飲みすぎにやられた
ことが数多ある。
調子に乗って飲みすぎた翌朝は、決まって気だるい体で太田胃散の
世話になっている。いよいよ忘年会の時期となる。胃腸の衰えを
よくよく忘れずに、今年の締めの宴にかかりたいものだった。

だるいです連日連夜年忘れ。





  


昌禅寺の紅葉を。

2024年11月22日

 へこりと at 10:18  | Comments(2)

霜月 6

善光寺門前で暮らしている。秋になると善光寺東側の
道路の桜並木が紅く色づくのに、木々がもう痩せ衰えて
しまったせいで、葉の茂りも悪く、この頃は色づく前に
葉が落ちている。なんとも寂しいことだった。
日曜日の午後、友だちからメールが届いた。
さっき昌禅寺行ってきたけど、まだ一部でしたとの
知らせだった。友だちの菩提寺の昌禅寺は、秋になると
境内の紅葉が見事な彩りになる。
写真を撮りに多くのカメラマンが訪れるのだった。
住宅街に在る曹洞宗の古刹で、以前は紅葉の名所と知る人も
少なかったのに、一度テレビのニュースでその模様を
流されてから、広まってしまった。何年か前などは、週末の
紅葉見物の車が住宅街で渋滞して、車同士が事故を起こした
ことがあった。人混み避けて、平日の静かな朝や夕に足を
運んでいるのだった。
今年はいつまでも夏日のような暑さが続き、秋の訪れが
遅かった。どこの紅葉も例年より色づきが遅くなっている。
翌日の午前、昌禅寺まで行ってみると、境内の駐車場に
車がぎっしり停まっている。気の早いカメラマンが
押し寄せているのかと、いぶかしながら入って行ったら、
あちこちで、キャンパスに境内の景色を描いているかたがいた。
絵画愛好家のかたがたの集まりだった。
邪魔にならぬよう境内をひと回りすれば、確かに色づきがまだ
浅かった。十一月中旬でもこの暖かさだからねえ。
それでも染まり始めの紅葉も、それはそれで味がある。
しばし眺めて境内を後にした。
それから三日後の夕方、再び訪ねていくと、短い間にずいぶん
色づいていた。ひと気のない薄暗い境内で紅葉を眺めていたら、
ごーんと鐘が鳴り響き、ご住職の鐘の音に境内の静寂が増した
のだった。
さらに三日後訪れてみると、この日も駐車場に車がぎっしりで、
先週と同じように絵画愛好家のかたがたが、それぞれ先週と同じ
場所で筆を振るっていた。境内の紅葉も見頃の彩りと成ったものの、
昨晩の激しい雨に、ずいぶんと葉が落ちていた。おまけに紅い葉の
色乗りが今一つの感がある。
そういえば昨年も良くなかったと思い出し、夏のばかみたいな
暑さが紅葉にも影響しているのだった。
十一月下旬になって、冬の気配が増してきた。早朝再び訪ねて
みたら、この間よりも紅くなっていた。
短いこの秋に、今年も身近な紅葉を楽しんだのだった。

秋の果て友の菩提寺紅尽くし。




  


久しぶりの上田で。

2024年11月19日

 へこりと at 09:37  | Comments(2)

霜月 5

久しぶりに上田へ出かけた。小さな城下町の風情が好きで、
ひと月に二、三度は訪れているのに、十月は休日のたびに
用事があって、なかなか来れなかったのだった。
別宅に荷物を置いてから、甲田理髪店で散髪をしてもらう。
さっぱりと髪を切ってもらったら、ぶらぶら薄暮の通りを
上がって行って、「かぎや」の暖簾をくぐった。
お父さん夫婦と息子さん夫婦が営むこの店は、気さくで
温かな雰囲気が好く、いつ来ても地元のお客で賑わっている。
お通しのひじきの煮物を突っつきながらスーパードライを
飲み始めれば、テレビでは日本シリーズの第六戦、早々に
筒香がソロホームランを放って幸先がいい。長野出身の
牧秀悟が入団してから、ずっとベイスターズを応援している。
ぜひとも今夜日本一に輝いてもらいたいのだった。
くじらの竜田揚げをつまみに、いいちこのロックを飲んで
いると、奥の座敷から、せいやせいやと掛け声が聞こえてきた。
この日は上田真田まつりがあったから、打ち上げの宴の賑わいと
察しがついた。
好い加減で酔っ払って、ローソンで明日の朝食を買って別宅に
戻ったら、トリスの水割りを飲みながら日本シリーズの続きを観た。
ベイスターズの日本一に杯が進みすぎてそのままつぶれた。翌朝、
朝食を済ませてから、上田市立美術館で開催されている、
山本鼎版画大賞展に出かけた。日中の風も冷たくなって、秋の
深まりを感じるようになった。今年は夏の暑さが長引いたせいで、
秋がいきなり来た感が否めない。おかしな陽気に体がついて
いけないのだった。ゆっくりと百五十点余りの作品を観て
美術館を出ればちょうど昼どき、そのまま蕎麦屋の塩田屋に
向かった。暖簾をくぐってビールを飲みながら眺めれば、
壁に貼られた、
「新蕎麦が出回ってお蕎麦が一段と美味しくなりました。」の
台詞が嬉しい。お通しに出された小鉢五品でビールと燗酒を二本、
角の立った冷たいもりで締めたのだった。別宅に戻って昼寝から
覚めた夕方、長野に戻って駅前の馴染みの飲み屋へ行ったら、
暖簾が出ていない。しばらくして気がついた。今日は祝日だった。
馴染みの店はどこも開いてないなあ。諦めて家路をたどったこと
だった。

新蕎麦の知らせ嬉しや酒二合。


  


八犬伝を観て。

2024年11月15日

 へこりと at 09:45  | Comments(2)

霜月 4

子供の頃、NHKで「新八犬伝」という人形劇を放送していた。
江戸時代の作家、滝沢馬琴の原作をもとに、
安房の国の領主、里見家にゆかりのある八人の剣士たちの
活躍を描いた物語だった。八人はそれぞれ、仁・義・礼・智・忠
・信・孝・悌の霊玉を持ち、里見家に恨みを持つ女、玉梓の悪霊を
退治するのだった。坂本九のメリハリのある語り口と、波乱万丈な
展開に、毎日放送を楽しみにしていたものだった。また実家に
亡くなった父が若い頃に買いそろえた世界名作全集があって、
その中に「八犬伝」も入っていて、読んだ覚えがある。
この頃、映画「八犬伝」が上映された。この物語はかつて真田広之と
薬師丸ひろ子が主演で映画化されたことがある。そのときはあまりに
つまらなくて、観終わってがっかりしたのを覚えている。このたびは、
山田風太郎の原作をもとに、滝沢馬琴と、絵師葛飾北斎との交流を軸に、「八犬伝」を作りあげていく物語だった。
馬琴を役所広司が、葛飾北斎を内野聖陽が演じている。二人の交流の
合間に、八人の剣士たちの活躍が散りばめられ、物語が進んでいく。
馬琴の息子は体が弱く、また馬琴の妻は仕事に理解を示さず、いつも
小言ばかり言っている。そんな家族との葛藤を抱えつつ、壮大な
物語を書き続けていくのだった。実に物語が完成するまでに二十八年
の歳月を要したという。おまけに途中で失明してしまい、亡くなった
息子の嫁に口述をして、書いてもらったのだった。もともと読み書きの
出来ない嫁が、馬琴のために労を惜しまず、字を覚え完成までこぎつけた。
馬琴の妻役を寺島しのぶが演じており、罵詈雑言を馬琴に浴びせる姿が
まことに憎々し気で好い。息子の嫁を黒木華が演じており、
寡黙に馬琴に尽くす姿が好かった。以前結婚していた時があり、黒木華は
当時の連れ合いに似ているから、観るたびになんだか胸が切なくなって
困るのだった。
最近の若い役者に疎い身は、剣士を演じた若者も全然知らないかたばかり
だった。
最近の若者は、みんなきれいな顔をしていて見惚れてしまう。
迫力のある剣裁きや立ち回りがかっこよく、飽きずに楽しめた。
この映画を作った曽利文彦監督も、子供時代に「新八犬伝」を観ていたと
いい、面白い映画にしてくださった。久々に夢中で観ていた子供の頃を思い出したことだった。

秋深し酌み合いたいや黒木華。


  


贅沢な土産に。

2024年11月08日

 へこりと at 12:36  | Comments(0)

霜月 3

毎朝、仕事場の掃除をしながら玉置浩二の曲を
聴いている。ゆったりとした気分で一日を始められるよう、
主にバラードをユーチューブで流している。
二十年ほど前に友だちの結婚式に招かれたことがある。
そのときに、新郎の友だちが、「しあわせのランプ」を
歌ってくれたのだった。好い曲だなあと聴き惚れて、以来
頻繁に聴くようになったのだった。
長野にライブに来た折りは、何度かおじゃまさせてもらった。
玉置さんはライブの間はぜんぜんおしゃべりをしない。
ただ黙々と歌声を響かせるだけ。最近は長野で久しくライブを
行っていない。この秋のツアーも長野は入っていなかった。
以前はチケット一枚9900円だったのに、いつの間にか11500円に
なっていた。ライブに行くにも結構な出費が必要になってしまう
のだった。
大学を卒業したあとに歯磨きや洗剤のメーカー、
「ライオン」の地元の卸問屋に勤めていたことがある。そのときに、
取り引きをしていたスーパーで働いている女の子に、THE・ALFEEの
ライブに誘われたことがあった。
「メリーアン」や「星空のディスタンス」がヒットしていた頃で、
ライブの迫力に酔っていたら、途中で高見沢さんのエレキギターの弦が
切れるというアクシデントがあった。そのお詫びにと、アンコールで
五曲も歌ってくれたのだった。
誘ってくれた女の子とは、そのあと何回か食事に行ったりしたものの、
しばらくしてからこちらが転職をしてからは、会わずじまいに
なってしまった。今でも元気にしていることか、久しぶりに思い出して
しまった。そのTHE・ALFEEの大ファンの友だちがいる。
ライブがあると聞けば、長野だけじゃなく遠くの県外にも足を延ばして
いる。ところがやっかいなのは、チケットがなかなか取れないこと
だった。抽選に外れることがたびたびで残念でならない。
そこで仲のいい友だちにもチケットを申し込みをお願いして、
何回か頼まれたことがある。
先日も頼まれたので、ポチっとしたところ、めでたく当選の知らせが
届いた。友だちにその旨を伝えたら、後日チケット代の支払いに来た
ときに、土産に立派な松茸を持ってきてくれた。
友だちの役に立つのは嬉しいこと。見返りなんか求めていない
けれど、思いがけないご褒美になんとも驚いてしまった。
早速その日の夜、ホイル焼きにしたところ、台所いっぱいに芳香な
香りが広がって、幸せな気分に包まれた。贅沢な晩酌のひとときに
感謝したことだった。

松茸や焼いて厚意の染みりつつ。


  


古い町のイベントで。

2024年11月05日

 へこりと at 08:58  | Comments(2)

霜月 2

長野市の古刹、善光寺から一キロほど通りを下った処に、
権堂アーケードが在る。飲食店や洋品店があり、若い頃は
昼間は買い物客で、夕方になればサラリーマンのおじさん
たちが好い酔いに酔っ払っておおいに賑わっていた。
老舗の料亭やチェーン店の居酒屋に、蕎麦屋に寿司屋に天ぷら屋、
どこも繁盛していたものだった。アーケードを入ったすぐの左手に
かつて「びくら」というレストランが在って、子供の頃にときどき
母に連れて行ってもらった。今のようにファミレスなどなかった
頃だから、この店のハンバーグは最高の贅沢だった。
長野オリンピックの賑わいを境に客足が減って、今では昼も夜も
客の姿が少なくなってしまった。それでもこの頃は観光客の姿を
ちらほら見かける。夕方になると、さて、どこの飲み屋で旨い酒を
飲もうかと、店を物色している外人さんがうろうろしているのだった。
そのアーケードをまっすぐ抜けていくと、古い飲み屋街の
西鶴賀が在り、さらにその先には、かつての色街だった東鶴賀が
在る。こちらも昔は賑わっていたものの、空き店舗が連なるように
なり、人通りが少ない。それでも今でも常連さんが頻繁に足を運んで
いる老舗の飲み屋が在り、面白いことに最近は、この古い町に店を
開く若いかたもいるのだった。
酒屋を営む友だちがいる。信州の酒を大勢のかたに知って頂き
たいと、毎年六月に長野駅前の飲食店と協力して、「酒とらっぷ」
というイベントを開いている。駅前の複数の飲み屋にそれぞれ
長野の酒蔵さんに滞在してもらい、酒を試飲しながら各店を回ると
いう催しだった。そのイベントがこのたび、権堂アーケードと西鶴賀、
東鶴賀で行われたのだった。
八つの店と十三の酒蔵さんが参加しての当日、杯を片手に多くの
酔客が店を巡り歩く。参加した店の中には、馴染みの店もいくつか
あって、やあやあご苦労様ですと、ねぎらいながら回っていく。
西鶴賀に東鶴賀は通りが狭い。この日はいつも駅前で参加している
飲み屋のご主人がたがボランティアで交通整理に励んでいた。
この界隈はまだ昭和の風情が残っている。それが逆に新鮮に見えるのか、
ここ最近平成生まれの若者が客として来るという。実際この日も
地元の大学に通っている若者たちと遭遇した。
若いかたがたに古い町に足繁く通っていただきたいことだった。

行く秋や昭和の町で杯重ね。




  


五九醸の酒を。

2024年11月01日

 へこりと at 08:46  | Comments(2)

霜月 1

毎晩日本酒を酌んでいる。いつまでも夏のような
陽気が続いたこの秋、この頃になってようやく
熱燗を欲する気分になってきたのだった。
長野県に「五九醸」というお蔵さんのユニットがある。
昭和五十九年生まれの、お蔵の跡取りたちの集まりで、
参加しているのは北光正宗を醸す角口酒造に、
勢い正宗を醸す丸世酒造に、本老いの松を醸す
東飯田酒造に、積善を醸す西飯田酒造に、福無量を
醸す沓掛酒造の五蔵だった。
結成を呼び掛けたのは、角口酒造の息子さんで、その
きっかけになったのは、日本酒の売り上げの落ち込み
だった。その昔は酒さえ造っていれば勝手に売れていた。
ところが日本酒を飲まない世代が増え、今までと同じことを
していては、ますます落ち込んでいく。単に品質を上げる
だけでは、売れ行きは伸びない。話題性のあることをして
日本酒に興味を持っていただきたい。そこで、同じ歳の
お蔵さんとユニットを組んで毎年日本酒をPRすることに
したのだった。結成したのは2014年。活動は十年間と
決めた。翌年から毎年テーマを決めてそれぞれの個性の
ある酒を発売して、宣伝のための大きなイベントを開催
するようになった。当初はイベントの準備や、お客さんへの
酒の説明など、慣れないことに戸惑っていたという。
そんな彼らを、酒屋や飲み屋、縁のある異業種のかたがたが
応援して、回を重ねるごとに知名度も上がっていき、
いつもイベント会場は多くのお客で賑わっていた。
2024年、雨降りの土曜日の夕方、自宅のそばのギャラリーへ
出かけた。今年で活動を終える五九醸の最後のイベントが
開かれたのだった。これまでの活動の様子が映像で流されて、
酒を酌みながらそのときどきを振り返る。十年間の活動の
記念に、それぞれの思いを語った本が出版された。
読んでみれば、それぞれ最初は不安だらけだったという。
みんなに置いて行かれないようにプレッシャーを感じながら、
造りをしていたという。ただ、五九醸の活動に刺激を受けて、
自らの造りの方向性が見えてきたと、みんなおっしゃっている。
この十年、どのお蔵さんも、素晴らしい味を醸すようになった
のだった。
十年間の活動は、この酔っ払いも楽しませていただきました。
ほんとにお疲れ様でした。
もう今期の造りの季節になる。それぞれ無事の造りが出来ます
ように。

新酒待つ無事の造りを願いつつ。