息子さんまじえて
水無月 九
馴染みのおでん屋はいつも女将さんがひとりで切り盛りしている。
この頃になり、遠くに住んでいた息子さんが一緒に働くようになった。
息子さんはあちこち旅をするのが好きな人で、
北海道では農場で働いたり、沖縄ではさとうきび畑で
働いたりしてきたという。
おおらかな顔つきはお母さんに似て、うしろ姿の雰囲気は
山の中で木彫りをしているお父さんに似ている。
夕暮れどき、ビールを飲みながら注文を出せば、
はい、ウインナー焼いて。はい、枝豆ゆでて。
女将さんに指図されるたび、おおきな体をまるめてフライパンや鍋を
あやつっている。
六月さいごの日曜日、女将さん家族と、常連の妙齢の女性ふたりと
中年のおじさん四人で、山ノ内にある女将さん家族の別宅へ出かけた。
仕事を早めに終いにして、途中で日本酒を仕入れてからバイクを飛ばす。
穂波温泉でひと風呂浴びてから、見晴らしの好い寒沢地区のお宅に着けば、
先に来ていたみなさんで、山盛りのコロッケをこしらえて
宴の仕度をしてくれていた。
あいさつもそこそこに、すぐにビールの栓を抜き、
やあやあおつかれさまですと、毎度なじみの方々と乾杯をした。
女将さんにお父さんに息子さんと、常連さんのひとりが六月生まれだという。
ケーキ屋を営む女将さんの娘さんの作った誕生日ケーキで
おめでとうのお祝いをする。
めでたい席にご一緒できて、飲んで食べて腹いっぱいの酔っぱらいは
いちばんまっ先につぶれた。
次の日目覚めもさわやかに早起きをすれば、
お父さんがすでに起きていて、珈琲を淹れてくれる。
月曜日の朝、出勤される方々は、朝ご飯を早々に済ませて
お世話様でしたと先に下界へ下っていった。
そのあとにもそもそと息子さんが起きてきた。
まだ酔ってます。つらそうな顔で言い、
みんなで朝ごはんを食べたあと、ごそごそとふたたび布団の中に
もぐりこんでいった。

馴染みのおでん屋はいつも女将さんがひとりで切り盛りしている。
この頃になり、遠くに住んでいた息子さんが一緒に働くようになった。
息子さんはあちこち旅をするのが好きな人で、
北海道では農場で働いたり、沖縄ではさとうきび畑で
働いたりしてきたという。
おおらかな顔つきはお母さんに似て、うしろ姿の雰囲気は
山の中で木彫りをしているお父さんに似ている。
夕暮れどき、ビールを飲みながら注文を出せば、
はい、ウインナー焼いて。はい、枝豆ゆでて。
女将さんに指図されるたび、おおきな体をまるめてフライパンや鍋を
あやつっている。
六月さいごの日曜日、女将さん家族と、常連の妙齢の女性ふたりと
中年のおじさん四人で、山ノ内にある女将さん家族の別宅へ出かけた。
仕事を早めに終いにして、途中で日本酒を仕入れてからバイクを飛ばす。
穂波温泉でひと風呂浴びてから、見晴らしの好い寒沢地区のお宅に着けば、
先に来ていたみなさんで、山盛りのコロッケをこしらえて
宴の仕度をしてくれていた。
あいさつもそこそこに、すぐにビールの栓を抜き、
やあやあおつかれさまですと、毎度なじみの方々と乾杯をした。
女将さんにお父さんに息子さんと、常連さんのひとりが六月生まれだという。
ケーキ屋を営む女将さんの娘さんの作った誕生日ケーキで
おめでとうのお祝いをする。
めでたい席にご一緒できて、飲んで食べて腹いっぱいの酔っぱらいは
いちばんまっ先につぶれた。
次の日目覚めもさわやかに早起きをすれば、
お父さんがすでに起きていて、珈琲を淹れてくれる。
月曜日の朝、出勤される方々は、朝ご飯を早々に済ませて
お世話様でしたと先に下界へ下っていった。
そのあとにもそもそと息子さんが起きてきた。
まだ酔ってます。つらそうな顔で言い、
みんなで朝ごはんを食べたあと、ごそごそとふたたび布団の中に
もぐりこんでいった。

マナーをわすれず
水無月 八
蕎麦屋でビールを飲んでいたらおおきな声がひびく。
いいかげんにしなさい!おじいちゃんの前で!
振り向けば、お父さんが娘の携帯電話を取り上げていた。
長野に住んでいるお父さん家族のところへ、
遠路はるばるおじいちゃんが訪ねてきた。
善光寺にお参りをして、お昼を蕎麦屋でと来たものの、
ずっと携帯電話をいじってばかりで、
おじいちゃんと話もしようとしない娘の態度に
お父さんの怒りが爆発したのだった。
こんこんと怒られて、娘は顔を真っ赤にしてうつむいて、
おじいちゃんとお母さんは、困った顔をしてまあまあと
お父さんをなだめている。
そんなやりとり眺めながら、他人ごとではないなあと
うしろめたい気持ちになった。
使い始める前、仕事帰りの友だちがうちへ立ち寄ることがあった。
酌み交わしている最中、付き合っていた彼女から電話やメールがくるたびに
いちいち携帯電話を開くから、
話のコシを折られていらっとしたことがあった。
ところがいざ使い始めてみれば、ほとほと失礼なことばかりを繰り返している。
友だちと一緒のときはもちろんのこと、目上の方との一席のときも
目の前で覗くこと常になっている。
貴重な宴のひとときは、うつつを抜かさず目の前の人に向き合うこと。
親しさに甘え、当たり前のマナーをおろそかにしていたのは
なさけのないことだった。
酔っておそい時間に電話をかけたり、
ひどいときは、飲みに来いと呼び出したくせに、かけつけてきたら、
こちらはすでにカウンターで夢の中ということもあったから
申しわけのないことをしたとはずかしい。
便利さにかまけて、ひとりのひととき人さまとのひととき
いい歳をして、落ち着きなくさぬよう気をつけたい。
年老いた親に、なにかあったときにすぐに連絡がつくように
携帯電話を持たせている。
それなのに、外出するたびに家に置いていってしまうのは
困りごとなのだった。

蕎麦屋でビールを飲んでいたらおおきな声がひびく。
いいかげんにしなさい!おじいちゃんの前で!
振り向けば、お父さんが娘の携帯電話を取り上げていた。
長野に住んでいるお父さん家族のところへ、
遠路はるばるおじいちゃんが訪ねてきた。
善光寺にお参りをして、お昼を蕎麦屋でと来たものの、
ずっと携帯電話をいじってばかりで、
おじいちゃんと話もしようとしない娘の態度に
お父さんの怒りが爆発したのだった。
こんこんと怒られて、娘は顔を真っ赤にしてうつむいて、
おじいちゃんとお母さんは、困った顔をしてまあまあと
お父さんをなだめている。
そんなやりとり眺めながら、他人ごとではないなあと
うしろめたい気持ちになった。
使い始める前、仕事帰りの友だちがうちへ立ち寄ることがあった。
酌み交わしている最中、付き合っていた彼女から電話やメールがくるたびに
いちいち携帯電話を開くから、
話のコシを折られていらっとしたことがあった。
ところがいざ使い始めてみれば、ほとほと失礼なことばかりを繰り返している。
友だちと一緒のときはもちろんのこと、目上の方との一席のときも
目の前で覗くこと常になっている。
貴重な宴のひとときは、うつつを抜かさず目の前の人に向き合うこと。
親しさに甘え、当たり前のマナーをおろそかにしていたのは
なさけのないことだった。
酔っておそい時間に電話をかけたり、
ひどいときは、飲みに来いと呼び出したくせに、かけつけてきたら、
こちらはすでにカウンターで夢の中ということもあったから
申しわけのないことをしたとはずかしい。
便利さにかまけて、ひとりのひととき人さまとのひととき
いい歳をして、落ち着きなくさぬよう気をつけたい。
年老いた親に、なにかあったときにすぐに連絡がつくように
携帯電話を持たせている。
それなのに、外出するたびに家に置いていってしまうのは
困りごとなのだった。

決めごと守るよう
水無月 七
ひまで困っちゃうわあ。
土産物屋の奥さんがこぼすから、まったくですとうなずいた。
六月になったら、善光寺界隈の人のながれが落ち着いた。
飲み仲間の蕎麦屋の御主人も、平日がひまでさあと言っていた。
観光客が来ていても、土産に食事、
なかなかお金を使ってくれないのだった。
先日草津へ行ったときに、おおきな旅館の玄関に
善光寺草津ツアー御一行様の看板が立っていた。
そうだよなあ、泊まるなら温泉だよなあと、
苦笑いの気分でながめた。
しばらくは東京にお客を取られちゃうわねと言うから
連日満員御礼のスカイツリーが頭に浮かぶ。
それにしてもスカイツリーが人気だからといって、
我が身の生業の美容室まで、ひまになることないだろうと
いぶかしい。
どうせ行くなら、髪を切ってきれいになって行きなさいと
ちからづよく言いたいのだった。
月が変わるたび、今月もがんばろうと気合が入る。
仕事だけに入れていればよいものを、馴染みの店での外飲みにも
仕事以上に気合を入れるから始末がわるい。
連夜の通いにうつつを抜かし、いそがしさのあてがはずれて
ひまな日がつづくと、つつましくしていればよかったと悔やむこととなり
なさけない。
月の後半、うまい具合に御近所のあちこちから、
漬物にふきの煮物に、ほたてや鮭の缶詰をいただいたから
おとなしく家飲みしていましょうとなった。
仕事を終えてひと風呂浴びて、プロ野球を見ながら杯を重ねていれば
早々に酔いもまわって眠くなる。
十時就寝四時起床。早寝早起きをくり返していたら
時間と気持ちにゆとりができて調子が好い。
外へ飲みに出るたびに、八時九時は宵の口とはしご酒をくり返して、
お金と体力を使いすぎてしまう。
一軒集中、十時前には帰宅。
外飲みの日も、早寝早起きの習慣を守りたい。
梅雨があければビールに冷や酒、ますます美味しい季節となる。
毎年、夏の暑さに浮かれてたこと思い出し、
できるのか?一抹の不安抱えながら、よくよく守るよう
言いきかせながら過ごさなければいけないこととなる。

ひまで困っちゃうわあ。
土産物屋の奥さんがこぼすから、まったくですとうなずいた。
六月になったら、善光寺界隈の人のながれが落ち着いた。
飲み仲間の蕎麦屋の御主人も、平日がひまでさあと言っていた。
観光客が来ていても、土産に食事、
なかなかお金を使ってくれないのだった。
先日草津へ行ったときに、おおきな旅館の玄関に
善光寺草津ツアー御一行様の看板が立っていた。
そうだよなあ、泊まるなら温泉だよなあと、
苦笑いの気分でながめた。
しばらくは東京にお客を取られちゃうわねと言うから
連日満員御礼のスカイツリーが頭に浮かぶ。
それにしてもスカイツリーが人気だからといって、
我が身の生業の美容室まで、ひまになることないだろうと
いぶかしい。
どうせ行くなら、髪を切ってきれいになって行きなさいと
ちからづよく言いたいのだった。
月が変わるたび、今月もがんばろうと気合が入る。
仕事だけに入れていればよいものを、馴染みの店での外飲みにも
仕事以上に気合を入れるから始末がわるい。
連夜の通いにうつつを抜かし、いそがしさのあてがはずれて
ひまな日がつづくと、つつましくしていればよかったと悔やむこととなり
なさけない。
月の後半、うまい具合に御近所のあちこちから、
漬物にふきの煮物に、ほたてや鮭の缶詰をいただいたから
おとなしく家飲みしていましょうとなった。
仕事を終えてひと風呂浴びて、プロ野球を見ながら杯を重ねていれば
早々に酔いもまわって眠くなる。
十時就寝四時起床。早寝早起きをくり返していたら
時間と気持ちにゆとりができて調子が好い。
外へ飲みに出るたびに、八時九時は宵の口とはしご酒をくり返して、
お金と体力を使いすぎてしまう。
一軒集中、十時前には帰宅。
外飲みの日も、早寝早起きの習慣を守りたい。
梅雨があければビールに冷や酒、ますます美味しい季節となる。
毎年、夏の暑さに浮かれてたこと思い出し、
できるのか?一抹の不安抱えながら、よくよく守るよう
言いきかせながら過ごさなければいけないこととなる。

カタナに出費で
水無月 六
天気のよい休みの日はバイクに乗って、
のんびりとあちらの風景こちらの風景を楽しんでいる。
すこし大きいのを三台乗り継いで、今はちいさいのを愛車にしている。
あやつり加減が楽だから、ひょいっと出かける気分になれるのは
ぐあいの好いことだった。
年下の友だちが訪ねてきてくれた。
いつもホンダのおおきいバイクで飛ばしてくるのに、
この日は車で来たからめずらしい。
今エンジンをいじってもらっているという。
パワーを制御する部品をはずしてもらい、
これまでの倍のパワーが出るようにしてもらっているというから、
華奢な体つきなのに大胆なことをと感心した。
ひいきにしている和菓子屋の若旦那も、おなじホンダのバイクに乗っていた。
先日近所で見かけたら、ずいぶん古いカワサキで走っていたから
おっ、バイク換えたねと見送った。
ネイビーブルーの角ばったタンクは70年代のFXか。
歳を重ねてくると性能の良し悪しよりも、昔のもののかもし出す情感も
選ぶ決め手になるとわかる。
古いスズキに乗っている同級生がいる。
カタナの1100㏄は、製造中止になってから12年がすぎていた。
先日、そのカタナのブレーキを新しくしたという。
その費用に五十万円かかったというから、ぶったまげたのだった。
たしかに身を守る大事な部品ではあるものの、
新車が一台買えるではないかとあきれた。
それでも今なお色あせない優れたデザインの車体を見れば、
乗りつづけたい気持ちも察しがつく。
さすがによく効くよお。今度はタンクの色を塗りかえたいと
うれしそうに話すから、
奥さんには内緒なの?と尋ねれば、もちろんと即座に返事が返ってきた。
暮らしの役にたたないことに、そんな大金を使ったとばれれば
怒りの火山が噴火する。
そうだよなあ、言えないよなあとうなずいた。
家計を切り盛りする奥さんに、男の遊びごころを大目に見てもらうのは
なかなかむずかしいことなのだった。

天気のよい休みの日はバイクに乗って、
のんびりとあちらの風景こちらの風景を楽しんでいる。
すこし大きいのを三台乗り継いで、今はちいさいのを愛車にしている。
あやつり加減が楽だから、ひょいっと出かける気分になれるのは
ぐあいの好いことだった。
年下の友だちが訪ねてきてくれた。
いつもホンダのおおきいバイクで飛ばしてくるのに、
この日は車で来たからめずらしい。
今エンジンをいじってもらっているという。
パワーを制御する部品をはずしてもらい、
これまでの倍のパワーが出るようにしてもらっているというから、
華奢な体つきなのに大胆なことをと感心した。
ひいきにしている和菓子屋の若旦那も、おなじホンダのバイクに乗っていた。
先日近所で見かけたら、ずいぶん古いカワサキで走っていたから
おっ、バイク換えたねと見送った。
ネイビーブルーの角ばったタンクは70年代のFXか。
歳を重ねてくると性能の良し悪しよりも、昔のもののかもし出す情感も
選ぶ決め手になるとわかる。
古いスズキに乗っている同級生がいる。
カタナの1100㏄は、製造中止になってから12年がすぎていた。
先日、そのカタナのブレーキを新しくしたという。
その費用に五十万円かかったというから、ぶったまげたのだった。
たしかに身を守る大事な部品ではあるものの、
新車が一台買えるではないかとあきれた。
それでも今なお色あせない優れたデザインの車体を見れば、
乗りつづけたい気持ちも察しがつく。
さすがによく効くよお。今度はタンクの色を塗りかえたいと
うれしそうに話すから、
奥さんには内緒なの?と尋ねれば、もちろんと即座に返事が返ってきた。
暮らしの役にたたないことに、そんな大金を使ったとばれれば
怒りの火山が噴火する。
そうだよなあ、言えないよなあとうなずいた。
家計を切り盛りする奥さんに、男の遊びごころを大目に見てもらうのは
なかなかむずかしいことなのだった。

別所温泉まで
水無月 五
別所温泉へ出かけた。
千曲川に沿ってゆるいカーブのつづく国道77号線を
上山田から坂城と走り上田市に入る。
別所温泉に来たのはずいぶん久しぶりのことだった。
秋のさかりに、両親とまつたけ料理を堪能したのはいつだったか。
思い出せないくらい昔のことになっていた。
駅の脇にバイクを停めて坂道を歩く。
平日の温泉町はしずかな佇まいで、立ち並ぶ商店も
閉まっているところが多い。
旅館の並ぶ通りにぽちぽち観光客の姿が見える。
食事処大島屋の入口には、本日満席の札がかかっていて、
閑散としているようで、けっこうお客さんはいるのだった。
せまい参道を通って北向観音の階段を上がる。
高台の境内から、緑にかこまれた町並みと、さっぱり晴れた空の下、
はるか向こうの山並みが見える。
眺めていて思い出す。
昨年から、上田の町で暮らしはじめた知人がいるのだった。
おかあさんとちいさな男の子。
つつがなく無事に暮らしていけますよう、観音さまによくよく手を合わせた。
古刹の安楽寺に足を伸ばせば、門前の立て札に
若い時はみなきれい。歳を重ねて美しくなると書いてある。
なかなか意味深いお言葉ですと読んだ。
安楽寺から常楽寺への道すがら、りっぱな石碑が建っていた。
山本宣治と高倉テルは昭和のはじめ、貧しい農民をたすけるために
力を尽くしたひとだった。
石碑には、なき人の恩を教えてくれる役目がある。
駅前にある日帰り温泉・あいそめの湯は入浴料500円。
地元のおじいさんたちにまぜてもらい、
ぬるめのお湯に手足を伸ばしてくつろいで、ゆっくりと汗をながした。
風呂上り、カルピスウォーターでのどをうるおしてから
塩田平を抜けた。
左手に田んぼと畑の緑がひろがり、右手に里山の雑木林の緑が繁る。
梅雨の合間の晴れた日は、近場の風景と温泉にいやされるのが好い。

別所温泉へ出かけた。
千曲川に沿ってゆるいカーブのつづく国道77号線を
上山田から坂城と走り上田市に入る。
別所温泉に来たのはずいぶん久しぶりのことだった。
秋のさかりに、両親とまつたけ料理を堪能したのはいつだったか。
思い出せないくらい昔のことになっていた。
駅の脇にバイクを停めて坂道を歩く。
平日の温泉町はしずかな佇まいで、立ち並ぶ商店も
閉まっているところが多い。
旅館の並ぶ通りにぽちぽち観光客の姿が見える。
食事処大島屋の入口には、本日満席の札がかかっていて、
閑散としているようで、けっこうお客さんはいるのだった。
せまい参道を通って北向観音の階段を上がる。
高台の境内から、緑にかこまれた町並みと、さっぱり晴れた空の下、
はるか向こうの山並みが見える。
眺めていて思い出す。
昨年から、上田の町で暮らしはじめた知人がいるのだった。
おかあさんとちいさな男の子。
つつがなく無事に暮らしていけますよう、観音さまによくよく手を合わせた。
古刹の安楽寺に足を伸ばせば、門前の立て札に
若い時はみなきれい。歳を重ねて美しくなると書いてある。
なかなか意味深いお言葉ですと読んだ。
安楽寺から常楽寺への道すがら、りっぱな石碑が建っていた。
山本宣治と高倉テルは昭和のはじめ、貧しい農民をたすけるために
力を尽くしたひとだった。
石碑には、なき人の恩を教えてくれる役目がある。
駅前にある日帰り温泉・あいそめの湯は入浴料500円。
地元のおじいさんたちにまぜてもらい、
ぬるめのお湯に手足を伸ばしてくつろいで、ゆっくりと汗をながした。
風呂上り、カルピスウォーターでのどをうるおしてから
塩田平を抜けた。
左手に田んぼと畑の緑がひろがり、右手に里山の雑木林の緑が繁る。
梅雨の合間の晴れた日は、近場の風景と温泉にいやされるのが好い。

あぐらをかいてはいけませぬ
水無月 四
草津で一泊した次の日、朝からのお湯を楽しんだあと
すこし早めの昼飯の算段になる。
いつも足を運ぶ蕎麦屋があって、時間が早くてまだ開いていないという。
それではと、もうもう湯気の湧き出る湯畑の前にある
りっぱな構えの蕎麦屋へ入ってみた。
腰を下ろしてメニューを開く。眺めてしばしの沈黙のあと、
連れの二人と顔見合わせて、高いねえと口に出た。
ビールも蕎麦も一品物も、ずいぶんとりっぱな値段がついている。
観光地だからというのもあるかもしれない。
都会の人からみれば、おどろくほどのことではないかもしれない。
それでも日ごろ手間ひまかけた旨い味を、安価に提供してくれる店に
馴染んでいる身には、ひっかかりが出てしまう。
ぴり辛こんにゃくとビールで時間をつぶして店を出て、
いつもの蕎麦屋へ河岸をかえた。
燗酒のあとに食べたかけ蕎麦は、五百円のわりにきちんと美味しかった。
一等地だから黙っていても高くてもお客が来る。
あぐらをかいてはいけないなあ。連れの言葉に思い出す。
住んでいる門前町の界隈にも、蕎麦屋をはじめ何軒もの店があるのだった。
人通りの多いめぐまれた場所にあるのに、ひと口食べてみれば
これはがまん大会ですかと聞きたくなるような味の店もあり、
観光客の人が吸い込まれてゆくのを見れば、
それが信州の味と思わないでくださいと、他人ごとながら
申しわけない気持ちになってしまう。
その一方で、素材よく味よく愛想よく、儲けのすくない商いで
店を出たそばから、また訪ねたいと思わせる店もある。
商売というものは、つくづく営んでおられる方の構え方が
おもてにあらわれるとわかる。
飲み屋に蕎麦屋に洋食屋、ひいきにしている店を思い浮かべれば
今さらながらに好いご縁をと思わずにいられない。
居心地の好さに散財しすぎてしまうことだけ、悩みのたねになっている。

草津で一泊した次の日、朝からのお湯を楽しんだあと
すこし早めの昼飯の算段になる。
いつも足を運ぶ蕎麦屋があって、時間が早くてまだ開いていないという。
それではと、もうもう湯気の湧き出る湯畑の前にある
りっぱな構えの蕎麦屋へ入ってみた。
腰を下ろしてメニューを開く。眺めてしばしの沈黙のあと、
連れの二人と顔見合わせて、高いねえと口に出た。
ビールも蕎麦も一品物も、ずいぶんとりっぱな値段がついている。
観光地だからというのもあるかもしれない。
都会の人からみれば、おどろくほどのことではないかもしれない。
それでも日ごろ手間ひまかけた旨い味を、安価に提供してくれる店に
馴染んでいる身には、ひっかかりが出てしまう。
ぴり辛こんにゃくとビールで時間をつぶして店を出て、
いつもの蕎麦屋へ河岸をかえた。
燗酒のあとに食べたかけ蕎麦は、五百円のわりにきちんと美味しかった。
一等地だから黙っていても高くてもお客が来る。
あぐらをかいてはいけないなあ。連れの言葉に思い出す。
住んでいる門前町の界隈にも、蕎麦屋をはじめ何軒もの店があるのだった。
人通りの多いめぐまれた場所にあるのに、ひと口食べてみれば
これはがまん大会ですかと聞きたくなるような味の店もあり、
観光客の人が吸い込まれてゆくのを見れば、
それが信州の味と思わないでくださいと、他人ごとながら
申しわけない気持ちになってしまう。
その一方で、素材よく味よく愛想よく、儲けのすくない商いで
店を出たそばから、また訪ねたいと思わせる店もある。
商売というものは、つくづく営んでおられる方の構え方が
おもてにあらわれるとわかる。
飲み屋に蕎麦屋に洋食屋、ひいきにしている店を思い浮かべれば
今さらながらに好いご縁をと思わずにいられない。
居心地の好さに散財しすぎてしまうことだけ、悩みのたねになっている。

日本人に生まれて
水無月 三
飲み仲間二人と草津に出かけた。
菅平を抜けて、ひろびろキャベツ畑の広がる
パノラマ道路を走ってゆくと、見慣れた温泉街に着く。
素泊まりの宿で、まずはビールで乾杯してひと風呂浴びてから
飲みに出た。
この日の草津はいつもより人の姿も少なくて、
飲み屋もがらんと空いている。
ふたたびビールで乾杯をして、串もの揚げものサラダを頼んだ。
地酒を一合注文して飲んでみたらきっぱり口に合わない味で
早々に飲み干して芋焼酎へときりかえる。
ほどよく飲んで、締めに食べた手打ちのうどんは
こしがあって美味しかった。
次の朝、セブンイレブンのサンドイッチと珈琲で朝食を済ませてから
車で三十分の露天風呂へと向かった。
駐車場に車を停めて歩いてゆくと、川沿いのほとりに
小さな露天風呂が見えてきた。
すでに先客が何人かいて、みんな裸になっているのに
湯船に浸かろうとしない。
尋ねてみたら、熱すぎて入れないというから、足を浸してみたら
なるほどはんぱな熱さではないとびびる。
それでもせっかく来たのだからと、ざんざんかけ湯をして浸かったら
熱いけれどもさらさらとした湯ざわりが気持ちがいい。
すぐに汗がふきだしてきて、もうじゅうぶんと上がったら、
川を吹きぬける風に当たっても平気なくらい、
体がぽかぽかになっていた。
年季のはいった旅館もいくつかあって、山あいの緑の景色に
気持ちもなごむ。
温泉の名前は尻焼温泉。
名前にたがわず尻が焼けるくらいの熱さでしたと降参した。
ふたたび草津に戻ってから、蕎麦屋で昼飯を済ませてから
おおきな外湯に足を運んだ。
今度はちょうどの湯かげんにのびのび手足をのばして
ゆっくりと浸かる。
金髪の外人さんが湯船の中で気持ちよさそうにあくびをしている。
日本の温泉はいかがですかあ。
身近に旨い日本酒とゆったりくつろげる温泉がある。
日本人に生まれたぜいたくとつくづく思うのだった。

飲み仲間二人と草津に出かけた。
菅平を抜けて、ひろびろキャベツ畑の広がる
パノラマ道路を走ってゆくと、見慣れた温泉街に着く。
素泊まりの宿で、まずはビールで乾杯してひと風呂浴びてから
飲みに出た。
この日の草津はいつもより人の姿も少なくて、
飲み屋もがらんと空いている。
ふたたびビールで乾杯をして、串もの揚げものサラダを頼んだ。
地酒を一合注文して飲んでみたらきっぱり口に合わない味で
早々に飲み干して芋焼酎へときりかえる。
ほどよく飲んで、締めに食べた手打ちのうどんは
こしがあって美味しかった。
次の朝、セブンイレブンのサンドイッチと珈琲で朝食を済ませてから
車で三十分の露天風呂へと向かった。
駐車場に車を停めて歩いてゆくと、川沿いのほとりに
小さな露天風呂が見えてきた。
すでに先客が何人かいて、みんな裸になっているのに
湯船に浸かろうとしない。
尋ねてみたら、熱すぎて入れないというから、足を浸してみたら
なるほどはんぱな熱さではないとびびる。
それでもせっかく来たのだからと、ざんざんかけ湯をして浸かったら
熱いけれどもさらさらとした湯ざわりが気持ちがいい。
すぐに汗がふきだしてきて、もうじゅうぶんと上がったら、
川を吹きぬける風に当たっても平気なくらい、
体がぽかぽかになっていた。
年季のはいった旅館もいくつかあって、山あいの緑の景色に
気持ちもなごむ。
温泉の名前は尻焼温泉。
名前にたがわず尻が焼けるくらいの熱さでしたと降参した。
ふたたび草津に戻ってから、蕎麦屋で昼飯を済ませてから
おおきな外湯に足を運んだ。
今度はちょうどの湯かげんにのびのび手足をのばして
ゆっくりと浸かる。
金髪の外人さんが湯船の中で気持ちよさそうにあくびをしている。
日本の温泉はいかがですかあ。
身近に旨い日本酒とゆったりくつろげる温泉がある。
日本人に生まれたぜいたくとつくづく思うのだった。

おだやかでひまな日は
水無月 二
春のはじめから、近所のあちこちで工事をしている。
道路を掘ってガス管のとりかえをしたり
目の前の宿坊がリフォームをしたり、毎日にぎやかな音が
聞こえてくる。
善光寺下の通りにマンションが立ち始めた。
高台にある氏神さんにお参りに行けば、見下ろせて
一日一日高くなっていくのがわかる。
マンションの前には、近くに住んでいる人が書いた
建設反対の札がかけられている。
おおきな建設会社のマンションは、どれも同じ形でつまらない。
お年寄りの多い,古い町に馴染むようなおもむきにすれば
ちがうのにと眺めている。
六月になったとたん、玄関先のつるばらが咲きはじめた。
なんの手入れをしなくても、葉がしげり蕾がふくらんで
白くせいせいと花ひらくしなやかなつよさにほれぼれとする。
ただよう香りにさそわれて、日がな一日蜂が飛んでくる。
みつ蜂だけならよいものをすずめ蜂もやってきて、
うっかりすると仕事場の中にも跳びこんでくるから
気をつけなくてはいけない。
玄関には麻の暖簾をかけた。柿渋の薄地が
風にゆったりなびいている。
路地に陽があたる頃、若いお母さんたちが子供を保育園へと
送っていく。
歌をうたったりおしゃべりをしたり、明るくにぎやかな声がひびき
たまたま外に出ていれば、いってらっしゃいと声をかける。
近頃の若いお母さんはきれいな人が多いから、
にこにこと挨拶をかわせば、朝からなんだか得をした気分になれて好い。
ひとしきり通勤通学の時間が過ぎて人通りが絶えれば
再びの静けさがもどってくる。
掃除をして新聞をひろげて珈琲を飲む。
ひといきついて訪ねて来る人もいないときは
陽あたりにバイクを引っ張り出して磨いたりしている。
汚れを拭いてワックスをかけて。
ぴかぴかになった銀色タンクをなでていれば、
散歩に飛んでいきますか。むくむく怠け心がおきてくる。
おだやかな陽気の暇な日は、ゆるい柄にも拍車がかかって
困りものなのだった。
春のはじめから、近所のあちこちで工事をしている。
道路を掘ってガス管のとりかえをしたり
目の前の宿坊がリフォームをしたり、毎日にぎやかな音が
聞こえてくる。
善光寺下の通りにマンションが立ち始めた。
高台にある氏神さんにお参りに行けば、見下ろせて
一日一日高くなっていくのがわかる。
マンションの前には、近くに住んでいる人が書いた
建設反対の札がかけられている。
おおきな建設会社のマンションは、どれも同じ形でつまらない。
お年寄りの多い,古い町に馴染むようなおもむきにすれば
ちがうのにと眺めている。
六月になったとたん、玄関先のつるばらが咲きはじめた。
なんの手入れをしなくても、葉がしげり蕾がふくらんで
白くせいせいと花ひらくしなやかなつよさにほれぼれとする。
ただよう香りにさそわれて、日がな一日蜂が飛んでくる。
みつ蜂だけならよいものをすずめ蜂もやってきて、
うっかりすると仕事場の中にも跳びこんでくるから
気をつけなくてはいけない。
玄関には麻の暖簾をかけた。柿渋の薄地が
風にゆったりなびいている。
路地に陽があたる頃、若いお母さんたちが子供を保育園へと
送っていく。
歌をうたったりおしゃべりをしたり、明るくにぎやかな声がひびき
たまたま外に出ていれば、いってらっしゃいと声をかける。
近頃の若いお母さんはきれいな人が多いから、
にこにこと挨拶をかわせば、朝からなんだか得をした気分になれて好い。
ひとしきり通勤通学の時間が過ぎて人通りが絶えれば
再びの静けさがもどってくる。
掃除をして新聞をひろげて珈琲を飲む。
ひといきついて訪ねて来る人もいないときは
陽あたりにバイクを引っ張り出して磨いたりしている。
汚れを拭いてワックスをかけて。
ぴかぴかになった銀色タンクをなでていれば、
散歩に飛んでいきますか。むくむく怠け心がおきてくる。
おだやかな陽気の暇な日は、ゆるい柄にも拍車がかかって
困りものなのだった。

海まで
水無月 一
休みの日、四時半に目が覚めた。善光寺さんに散歩に出れば、
朝からさっぱり青空が広がっている。
久しぶりに海を眺めにいこうと思い立ち、スーパーカブにまたがった。
飯綱町から信濃町、山の道を走っていくと、水の張った田んぼのまわりを
ゆるく霧がたちこめる。
国道に下りて、のんびりとことこ走ってゆく。
雲の間から陽が射せば、すずしい朝の空気にようやくぬくもりがやってくる。
妙高町を抜け上越に入ったら、今日の始まりの活気が出ているところだった。
登校途中の小学生や中学生、信号待ちの車の列。
にぎやかな国道をそれて古い道を行けば、人も車もほとんど見ない
静かな町並みがつづく。
大潟キャンプ場の看板を左に折れて下ってゆくと、
おだやかに広がる空と海が見えてきた。
キャンプ場の入口に停めて浜へ下りれば、釣りにいそしむ人がちらほらといる。
波の音を聞きながら眺めていれば、単純な青の風景に飽きることがない。
沖の方から白いしぶきもいさましく、モーターボートがやってきた。
浜に乗り上げ、運転していたおじさんが手際よく台車に乗せて、
近くの小屋へとしまいこんだ。
朝、ゆうゆう海を散歩する特権がこの町の人にはあるとうらやましい。
帰り道、妙高町から杉の沢を抜け、ふたたび信濃町を行く。
すっかり霧もはれ、妙高山に黒姫山に飯綱山、くっきりはっきりそびえ立つ。
霊仙寺湖まで走っていって、ほとりの天狗の館でひと風呂浴びる。
時計を見ればまだ十一時半。
早起きをすれば、海の景色に山の景色と両方楽しめるぜいたくがあるのだった。
ぜいたくついでに、もうビールを飲むしかないでしょうと言い聞かせ
蕎麦屋の昼酒に狙いさだめて帰路をいそいだ。
休みの日、四時半に目が覚めた。善光寺さんに散歩に出れば、
朝からさっぱり青空が広がっている。
久しぶりに海を眺めにいこうと思い立ち、スーパーカブにまたがった。
飯綱町から信濃町、山の道を走っていくと、水の張った田んぼのまわりを
ゆるく霧がたちこめる。
国道に下りて、のんびりとことこ走ってゆく。
雲の間から陽が射せば、すずしい朝の空気にようやくぬくもりがやってくる。
妙高町を抜け上越に入ったら、今日の始まりの活気が出ているところだった。
登校途中の小学生や中学生、信号待ちの車の列。
にぎやかな国道をそれて古い道を行けば、人も車もほとんど見ない
静かな町並みがつづく。
大潟キャンプ場の看板を左に折れて下ってゆくと、
おだやかに広がる空と海が見えてきた。
キャンプ場の入口に停めて浜へ下りれば、釣りにいそしむ人がちらほらといる。
波の音を聞きながら眺めていれば、単純な青の風景に飽きることがない。
沖の方から白いしぶきもいさましく、モーターボートがやってきた。
浜に乗り上げ、運転していたおじさんが手際よく台車に乗せて、
近くの小屋へとしまいこんだ。
朝、ゆうゆう海を散歩する特権がこの町の人にはあるとうらやましい。
帰り道、妙高町から杉の沢を抜け、ふたたび信濃町を行く。
すっかり霧もはれ、妙高山に黒姫山に飯綱山、くっきりはっきりそびえ立つ。
霊仙寺湖まで走っていって、ほとりの天狗の館でひと風呂浴びる。
時計を見ればまだ十一時半。
早起きをすれば、海の景色に山の景色と両方楽しめるぜいたくがあるのだった。
ぜいたくついでに、もうビールを飲むしかないでしょうと言い聞かせ
蕎麦屋の昼酒に狙いさだめて帰路をいそいだ。
