精米機とクラフトジンと
霜月 8
宮城は川崎町のお蔵さん、新澤醸造店の見学をした
帰り道、三本木町に在る、新澤さんの精米工場に立ち寄った。
酒造りに使う米を、ここで削っているのだった。
以前伺ったときは精米機は二台だった覚えがある。
そのあと二台追加して、さらに二年前に、それらとは
米の削り方の異なる精米機を二台追加した。
積み上げられた酒米を前に計六台の薄緑色の精米機が
並ぶさまは、なんとも圧巻なのだった。
新澤さんの品ぞろえは、とても手が出ない高級酒から、
日々の晩酌にちょうどよい、手ごろな価格の酒まで揃っている。
以前から、安い酒でもかなり旨いのが、ありがたいことだった。
そして、安い酒に使う米を、後から入れた二台の精米機で
削るようになったところ、さらに味が好くなってたまげた。
それまでは、一升二千円の愛宕の松の特別本醸造を
晩酌酒にしていた。この頃は、それより安い一升千七百円の
本醸造で充分だなあと、感心をしながら酔っている。
生産量は二千五百石。その規模のお蔵さんで
高価な精米機をこれだけ抱えているのは、全国でも珍しい。
酒造りへの妥協のない姿勢が、見ているだけで伝わって
きたのだった。
新澤さんでは二年前に同じ敷地に別会社を設立して、
ジンも造っている。
宮城産のセリ、柚子、茶葉、葡萄を用いて蒸留している。
宮城の県木から欅と名付けられたクラフトジンは、
ドイツ製の小ぶりな蒸留機で造られていた。
その豊かな味わいは、
ジントニックにもっとも向いているといい、ロックでも
ソーダ割りでも旨い。
出始めたときは晩酌用に買っていた。
ところが、旨すぎてついつい杯を重ねすぎ、
翌朝になっても、まだ酔っていることがしばしばあった。
これは危険だぞ。沼にはまるぞ。
そう言い聞かせて以後は、馴染みの飲み屋で一、二杯
たしなむようにしている。
精米工場をあとにして、おなじ三本木町に在る、
新澤醸造店の本社に伺った。
十一年前の、大震災で壊れたお蔵はきれいになくなって、
新しい店舗が建てられていた。
社長のお母様が迎えてくれて、御挨拶をした。
震災のあと、社長がお蔵の移転を決めたとき、
頑張るということは、こういうことかと
思いました。皆さんに助けられて奮い立ったんですと
我が子のことを静かに語っていた姿が、
胸に染みたことだった。
冬浅し震災の蔵訪ね来て。
宮城のお蔵さんまで
霜月 7
酒屋の峯村君に連れられて宮城へ出かけた。
気に入りの日本酒、伯楽星と愛宕の松を醸している
新澤醸造店を訪ねたのだった。
これまでに、東日本大震災の前にいちど、
震災後に二度おじゃまさせていただいた。
峯村君が新澤さんの社長と取り引きを始めたのは、
今から二十年余り前のことで、宮城の知り合いの
酒屋から紹介されてのことだった。
社長がお蔵を継いだとき、それまでの酒の評判が
良くなくて、地元でも扱ってくれる酒屋が
少なかったときだった。そんなときに、
わざわざ長野の酒屋が扱ってくれることになり、
ご挨拶に来たときに誘われて、
宴の席を御一緒させていただいた。
二年後に伯楽星を造り始め、味の良さが評判になり、
ほどなく全国屈指の銘酒に昇りつめた。
日本航空のファーストクラスに採用されたり、
サッカーのワールドカップの公認酒に選ばれたり、
目覚ましい活躍に感心していた折りに、
東日本大震災が起きたのだった。
造り棟と母屋が全壊して、その有様を見たときは、
涙が止まらなかった。被災のあと、酒蔵を三本木町から
70キロ離れた川崎町に移転して、造りを再開した。
仙台に着いた翌朝、川崎町まで行けば、
良質な湧き水が出るお蔵の裏山が、冬始めの
あせた秋の色に満ちていた。
新澤さんの話を伺えば、
働いている蔵人の半分以上が女性で、
女性管理者が全管理者の半分を占めるという。
造りの規模に対して多めの蔵人を雇い、
設備投資を充実させて、就労時間を短くして、
蔵人の負担を減らしているという。
蔵人それぞれが自身の事情に合わせて、
仕事の段取りを組んでいる。
就労時間を短くすると、気持ちに、働き方や酒について
考える余裕ができるという。
蔵人の意見におおいに耳を傾けている
のだった。
そして、さらに良い酒を造るために、
蔵人みんな、日々の味覚の研鑽を怠らないという。
単に酒造りだけでなく、企業として末長く
向上していくにはどうするか。
視点が発想豊かで深い。その源になっているのは、
酒造りに関わってくれるかたがたへの、
温かな気持ちとうかがえたのだった。
初めてお会いした女性の蔵人が後日、
新澤は私たちを家族のように扱ってくれて、私たちも
やり甲斐と誇りを感じていますと述べていた。
蔵人にこんな台詞を言わせるなんて、
つくづくたいしたお人だなあ。
つるつる頭の風貌を思い出したのだった。
冬はじめ醪はじける音色かな。
軽井沢のギャラリーへ
霜月 6
晩秋の軽井沢へ出かけた。
広い通りから、ひと気のない静かな通りを歩いて行くと、
紅葉が所々に映えている。
名所の雲場池に行くと、盛りは過ぎていたものの、
鮮やかな赤みがまだ水面を照らしていた。
多くの人が終わりの紅葉を眺めながら散策して
いたのだった。
池を離れて、立ち並ぶ別荘地の彩りを眺めながら行く。
木々の葉がだいぶ落ちて、延々と石垣に沿って積もっている。
静かな別荘地から旧軽井沢通りのロータリーに出たら、
たくさんの観光客が行きかっていた。蕎麦屋の川上庵で
昼酒をと思っていたら、開店前なのに、すでに入口に
長い列ができていてあきらめた。
はす向かいの腸詰屋に入って、ウインナーの盛り合わせを
つまみにビールを飲んだ。
そのすぐそばの酢重ギャラリーで、版画家、村上早さんの
個展が開かれているのだった。
3年前に、上田市立美術館で初めて拝見したら
静かな痛々しさを感じさせる作品を前に、
なんとも動くことができなくなった。
若い子なのに、抱えている孤独が染み入ってくる
作品に、再び触れたのだった。
ギャラリーを出て、久しぶりの脇田美術館へ行った。
洋画家、脇田和が建てた美術館で、御自身の作品が
展示されている。
3年前、北海道の自然を描きつづけた相原求一朗の
個展を観に立ち寄った。賑やかな通りから外れた場所の
静かな佇まいに、ここもまた、好い美術館と
思ったのだった。脇田和の作品は、どれも
淡くやわらかな色合いで、鳥を題材にした作品が多い。
他にお客のいない館内で、静かな時間を過ごした。
広い通りを横切って、矢ヶ崎公園を抜けて、
先月開館した、安東美術館に行ってみる。
洋画家藤田嗣治の作品を集めた美術館で、
以前から好きだったこのかたの作品を、いつでも
拝見できるのは、ありがたいことだった。
館内に入って受付に行くと、応対してくれた
スタッフのかたに、
たしか先月もお見えになられましたよねと、
声をかけられた。
よく覚えていてくれましたと、ちょっと嬉しかった。
ひととおり作品を眺めて、帰ろうとしたら、
再び声をかけてきて、冬になると、作品の入れ替えを
行うかもしれませんという。
冬の軽井沢は来たことがないというと、
寒いけれど冬の軽井沢も素敵です。またのお越しを
お待ちしていますと見送って頂いた。
雪の軽井沢、写真を撮りに来ようかな。
算段をつけたのだった。
冬ざれた避暑地を心待ちにして。
蕎麦屋と鮨屋で
霜月 5
ビールを買いにセブンイレブンに出かけたら、
雑誌売り場のダンチュウに目が留まる。
今月の特集は、町蕎麦と町鮨なのだった。
買い求めて拝見したら、東京の蕎麦屋に鮨屋が
何軒か、旨そうな肴や蕎麦や握りの写真と共に紹介されて、
見ているだけでそそられる。
休日になると、たいてい馴染みの蕎麦屋の暖簾をくぐり、
徳利を傾けている。油揚げの醤油煮やら、とり皮の
うま煮やら、きのこおろしやらで、ビール一本に
日本酒二本。冷たいもりか温かいかけで締めている。
その日の気分で、鮨屋の昼酒に出かけるときもある。
ふらっと長野駅前のチェーン店で、握りをつまみに
一杯するけれど、個人のちいさな店が好きな身は、
なんとなく落ちつかないのだった。
子供の頃は、どこの町にも鮨屋があったものだった。
いまほど魚の流通が良くなかったときだから、
ネタの鮮度は怪しかったものの、
ときどき両親と鮨屋へ行ったり出前を取ったりすると、
子供ごころにも贅沢な気分になったのだった。
歩いて間もないところに、高級な鮨屋が二件在る。
どちらもコース料理のみの提供で、酒でも飲んで勘定すれば、
らくらく諭吉さんが3枚くらい飛んでいく。
軽くつまんで燗酒でも。
そんな鮨屋は、なかなか見当たらない。
ときどき上田の町を散策する。気に入りの蕎麦屋が二件あり、
どちらも酒肴の品ぞろえ好く、蕎麦も旨い。
そこに加えて、好い鮨屋を見つけたのだった。
以前、あてもなく徘徊していた折に、
ひと気のない路地に、すし処萬寿という看板を見つけた。
へえ、こんな目立たない場所にと思いながら、
暖簾をくぐった。
親子で営むちいさな店で、旦那さんと息子さんが
板場に立って、お母さんとお嫁さんがお運びをしている。
気さくな家族の雰囲気が好く、鮨も旨い。
酒も地元の亀齢や澤の花と、間違いがない。
今ではすっかり顔も覚えていただいている。
長野駅の近くに、いち松という鮨屋が在る。
酒屋を営む友だちに紹介してもらい、
ときどき足を運んでいた。寡黙な若いご夫婦の営む店で、
昼間の営業はないけれど、夕方は四時から開店するから、
早々に一杯できるのが好かった。
ひとりで過ごしたり飲み仲間を誘ったり、
常連になりつつあったのに、コロナ禍になって、
飲みに出るのを控えるようになり、まるまる二年半も
御無沙汰をしてしまった。ダンチュウを見て思い出し、
久しぶりに足を運びたくなった。
間を置きすぎると、気楽に出かけていた店も、ちょいと
敷居が高くなる。先日、意を決して出かけたら、
変わりのない笑顔で迎えていただいて、ほっとした。
こはだとあじといかを握ってもらい、宮城の伯楽星を
酌んだのだった。
鮨屋にて締めは真鯛か鮪かな。
水丸さんと〆張り鶴
霜月 4
つい先日まで、安西カオリさんの
ブルーインク・ストーリーを読んでいた。
イラストレーター、安西水丸さんの娘さんで、
父にまつわる思い出が、水丸さんのイラストを
交えながら綴られている。水丸さんは八年前の
三月十九日に、突然お亡くなりになった。
生前好んだ食べ物や器や酒についての思い出に、
一緒に過ごして感じた人柄について、しずかに
語られている。
頁をめくりながら、久しぶりに下手上手な
イラストにも触れられたのだった。
水丸さんを知ったのは、料理雑誌のダンチュウで、
越後は村上で〆張鶴を醸す、宮尾酒造を訪ねた記事が
載っていたときだった。
〆張鶴は昔も今も、越後の銘柄でいちばんの
気に入りだから、記事を読みながら、おなじく
この酒を愛するこのかたに興味を持ったのだった。
細面の目つきの優しそうな顔が印象的で、
雑誌や本でイラストを見かけると、
つい微笑んでしまうような、子供っぽい描写に、
和やかな人柄がうかがえた。
ブルーインク・ストーリーでも触れられていて、
父は村上市の〆張鶴を好んでいた。父の好きなお酒を
いつまでも一緒に飲めると信じていた。
当たり前のように過ごしていたひとときが
かけがえのない時間だったと述べている。
思いを向けたかたにまつわる酒を酌むと、ことのほか
味が心身に染みるのだった。
歳を重ねて、身近なかたがたと酌み交わしていると、
あと何年一緒に飲めるのかと思うときがある。
気持ちの通い合えるひとときひとときがありがたく
大切なことだった。
〆張鶴は、長野市の富屋酒店と、お隣の須坂市の新崎酒店で
扱っている。富屋酒店のご主人は、機嫌が悪いと
すぐにお客を怒鳴る、導火線の短かさがこわい。
飲みたくなったら、いつもフットワークの軽い
新崎酒店の若旦那に、配達をしてもらっている。
ふだんは手ごろな値段の本醸造を買っている。
このたびは、水丸さんが特に好きだった、純米吟醸の純も
買い求めた。ダンチュウの記事で水丸さんが、
〆張鶴という、ピンと張りつめた名前がいいと言っていた。
名前に違わぬ端正な味は、飲み飽きしない好さなのだった。
水丸忌〆張鶴の彼岸かな。
松本まで
霜月 3
休日、電車に乗って松本へ出かけた。
篠ノ井線の車窓から、秋の彩りが映える里山を
眺めながら行く。
駅前のホテルに荷物を預けて、町なかをぶらぶら歩く。
昼酒に訪ねた、目当ての蕎麦屋丸周は、この日は
あいにく休業でふられた。
それではと、公園通りの、手前ざる俊の暖簾をくぐった。
一番搾りでのどを潤して、味噌田楽をつまみに
大信州と真澄を一杯づつ酌んで、ざるで締めた。
この店は、お運びを担当しているお姉さんの客あしらいが
好い。
店を出て、縄手通りを歩いていくと、ずいぶんと
観光客の姿も増えた。四柱神社にお参りに行くと、
七五三の親子連れの姿があちこち目についた。
あてもなく歩いていたら、昼間から開いている
日本酒パブを見つけた。
漬け物をつまみに、勢正宗と明鏡止水を一杯づつ、
話好きのご主人と、酒談義を交わしながら、酌んだ。
歩き回った夕方、ホテルの大浴場でひと風呂浴びて、
焼き鳥の末喜商店におじゃまする。
旨い焼き鳥をほおばりながら、さつま島美人のロックで
酔っ払ったのだった。
翌朝、ホテルを出てから、松本市美術館へ立ち寄った。
松本市が友好関係を結んでいる鹿児島市の、市立美術館の
作品展を開いているのだった。黒田清輝、東郷青児、有島生馬や
クロード・モネにアンリ・マティス、ポール・セザンヌらの
著名な作品を拝見できた。
気に入りの、藤田嗣治の作品も
有って、好い展示会だった。
見終えて外へ出たら、いつの間にか雨が降っている。
コンビニで傘を求めて、丸の内ホテルのそばの、
ギャラリーノイエに向かった。知り合いの書家、
山上紘山さんの作品展が今日から始まったのだった。
墨を用いて仏像画を描いているかたで、
昨年は一年間奈良に移住して、古刹の仏像を描いていた。
静かな佇まいの仏画を前に、気持ちがしんとしたのだった。
期間中の催しとして、
こちらの頭に浮かんだ言葉を書いてくれると言い、
それではと、ぱっと浮かんだ独秋雨往の文字を
書いていただいた。
秋雨の中を独り往く。その日の我が身そのものだった。
書いていただいたはがきを飾っておくと、生活に
これまでになかった変化が起きるという。
どんなことが起きるのか、11月は、よくよく日々の
意識を高くしてと、楽しみなことだった。
秋時雨仏画に染みる独りかな。
朝から災難で
霜月 2
毎朝、町をひとまわり歩いている。
お決まりのコースがいくつかあって、その日の気分で
変えている。
東のコースへ歩きに出たときのことだった。
新幹線としなの鉄道の高架下を抜けて行き、
スーパーのツルヤのかどを右に曲がる。
国道に出る手前の、住宅街のしずかな通りに入って
しばらくしたら、どーんと弾き飛ばされた。
左側の柵にぶつかって、地面に転がった。
目の前に停まった白い軽自動車から、
慌てておじいさんが降りてきた。
目にした前のお宅のご主人が、大丈夫ですかあ!と
叫びながら駆け寄ってきた。
後ろから追突されたのだった。
いきなりの出来事に呼吸が整わず、へたり込んだまま
動けない。おじいさんに話を聞いたら、
わき道から出て右折をしたら、
こちらの姿に気づくのが遅れ、慌ててブレーキを
踏んだものの、間に合わなかったという。
ご主人が、頭から血が出ていると言い、
お宅へ取って返してタオルを持ってきてくれた。
傷口を押さえていると、タオルが真っ赤になって、
血が止まらない。
これはまずいと、その場で救急車を呼んだ。
運び込まれた脳神経外科病院で、お医者に
診てもらったら、けっこう切れてるねえ。
入院した方がいいかなあと言われた。
・・まじですか・・
この日は、知人が訪ねて来る予定が入っていた。
応急処置をしてもらい、タクシーで自宅に戻り、
知人に連絡して日を延ばしてもらい、病院へ戻った。
夕方に傷口の手術をすることになり、それまでの間、
MRIとレントゲンで検査をして、ベッドに横たわって、
抗生物質の点滴をしてもらった。
体の様子を確かめたら、
左手に擦り傷が出来て、小指が腫れている。
左肩の肩甲骨と左足の太ももと、首の付け根と
尾てい骨が痛い。
四年前の夏にも、見通しのよい道路で、おじいさんの
運転する車に後ろから追突された。
よもやまたまた同じ目にあうとは、思っても
いなかったのだった。
夕方の5時を回って手術室に通された。手術台に
乗るのは、やはり三十年前に、交通事故で右あごを
骨折して以来のことだった。
翌朝点滴をして、ひと月後にもう一度、
MRIの検査をする旨を伝えられ、昼前に退院した。
事故から二週間余り経ち、
まだ動くたびに痛みが出るものの、
追突の衝撃のわりに、この程度で済んだのは、
ほんとに幸いなことだった。
腕なり足なり骨折をすれば、仕事ができなくなる。
心底ほっとしたのだった。
世話になった脳神経外科は、お医者も看護師も、
皆気さくなかたたちだった。
看護師のみなさんは、代わるがわるに
こちらの様子を案じて顔を出したくれた。
わずか一日の入院生活だったけれど、痛い思いの中、
気遣いがありがたかったのだった。
点滴の遅々のしずくや秋湿り。

毎朝、町をひとまわり歩いている。
お決まりのコースがいくつかあって、その日の気分で
変えている。
東のコースへ歩きに出たときのことだった。
新幹線としなの鉄道の高架下を抜けて行き、
スーパーのツルヤのかどを右に曲がる。
国道に出る手前の、住宅街のしずかな通りに入って
しばらくしたら、どーんと弾き飛ばされた。
左側の柵にぶつかって、地面に転がった。
目の前に停まった白い軽自動車から、
慌てておじいさんが降りてきた。
目にした前のお宅のご主人が、大丈夫ですかあ!と
叫びながら駆け寄ってきた。
後ろから追突されたのだった。
いきなりの出来事に呼吸が整わず、へたり込んだまま
動けない。おじいさんに話を聞いたら、
わき道から出て右折をしたら、
こちらの姿に気づくのが遅れ、慌ててブレーキを
踏んだものの、間に合わなかったという。
ご主人が、頭から血が出ていると言い、
お宅へ取って返してタオルを持ってきてくれた。
傷口を押さえていると、タオルが真っ赤になって、
血が止まらない。
これはまずいと、その場で救急車を呼んだ。
運び込まれた脳神経外科病院で、お医者に
診てもらったら、けっこう切れてるねえ。
入院した方がいいかなあと言われた。
・・まじですか・・
この日は、知人が訪ねて来る予定が入っていた。
応急処置をしてもらい、タクシーで自宅に戻り、
知人に連絡して日を延ばしてもらい、病院へ戻った。
夕方に傷口の手術をすることになり、それまでの間、
MRIとレントゲンで検査をして、ベッドに横たわって、
抗生物質の点滴をしてもらった。
体の様子を確かめたら、
左手に擦り傷が出来て、小指が腫れている。
左肩の肩甲骨と左足の太ももと、首の付け根と
尾てい骨が痛い。
四年前の夏にも、見通しのよい道路で、おじいさんの
運転する車に後ろから追突された。
よもやまたまた同じ目にあうとは、思っても
いなかったのだった。
夕方の5時を回って手術室に通された。手術台に
乗るのは、やはり三十年前に、交通事故で右あごを
骨折して以来のことだった。
翌朝点滴をして、ひと月後にもう一度、
MRIの検査をする旨を伝えられ、昼前に退院した。
事故から二週間余り経ち、
まだ動くたびに痛みが出るものの、
追突の衝撃のわりに、この程度で済んだのは、
ほんとに幸いなことだった。
腕なり足なり骨折をすれば、仕事ができなくなる。
心底ほっとしたのだった。
世話になった脳神経外科は、お医者も看護師も、
皆気さくなかたたちだった。
看護師のみなさんは、代わるがわるに
こちらの様子を案じて顔を出したくれた。
わずか一日の入院生活だったけれど、痛い思いの中、
気遣いがありがたかったのだった。
点滴の遅々のしずくや秋湿り。
秋の蕎麦屋で
霜月 1
朝の冷え込みが増してきた。
早朝の散歩に出ると、からりと乾いた空気が
肌に心地好い。もう手袋が必要と思いながら、
町をひと歩きしている。
善光寺界隈の木々の紅葉黄葉が深まっている。
行楽シーズンの観光客が増えてきて、
門前が賑わっているのだった。
この頃になって、久しぶりに海外の観光客も
目にするようになった。
コロナ禍で、ずっと閉めたままになっていた町内の
ドミトリーも、営業を再開して、早々に外人さんの
予約で埋まったという。
休日、その日の野暮用を済ませた昼どき、
いつものように蕎麦屋の昼酒に出向いた。
門前の店はどこも観光客で混んでいる。
少し離れた、ひと気のない通りに在る、
さがやの暖簾を久しぶりにくぐったのだった。
カウンターの隅っこに落ちついて、お通しの
アボガドの醤油豆和えでビールを一本。
ご主人は信濃町の出身だから、信濃町産の
蕎麦粉だけを使っていて、
新蕎麦になるのは11月の初めという。
しらうおのかき揚げで、澤の花のひやおろしを
酌んだら、相変わらずの落ちついた味わいが好い。
品書きには載せてないけれど、亀齢ありますよと、
ご主人が言う。
上田の岡崎酒造の亀齢は、長野県でもっとも
入手困難な銘柄になっている。
取り引きしている酒屋が売り場に出さずに
隠していて、親しい飲食店にしか卸さないという。
その一本を分けてもらったというのだった。
葉わさびのおひたしと、だいこんの醤油漬けで
一杯頂けば、欠点のない味わいと頷いた。
ゆでた蝦蛄をつまみに、辰野町の夜明け前を酌めば、
この銘柄も、長らく不動の地位を保っている、
安定感の有る味わいだった。
安心して注文できる旨い酒が、ほんとに
長野に増えたのは、喜ばしいことと思っている。
もりで締めて、勘定を済ませれば、いつの間にやら
雨がぱらついている。ご主人に傘をお借りして、
また来ますと店を出た。
その足で、世話になっている整骨院へ行き、
お灸とマッサージをしてもらう。
自宅に戻ってしばらくしたら、雨が止んだ。
源泉かけ流しの、権堂の湯でひと風呂浴びて、
そのまま馴染みのおでん屋へ行き、
おでんをつまみに一献傾けたのだった。
昼酒をして、体をほぐしてもらい、
温泉で温まって、また酒。
なんともゆるい暮らしぶりなのだった。
新蕎麦や次の月まで待てといい。